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お祝いと狐汁




その日、朝から銀狐はぶるぶると震えていた。



所謂寒の戻りというやつで、まだ春告げの舞踏会が来ていない事で、本日のウィームは雪の降る一日になったのだ。

それに気付かず、廊下でお腹を出して寝ていた銀狐は、すっかり体を冷やしてしまったらしい。



ふぇっくしょいとくしゃみをすると、尻尾をけばけばにして涙目になった。

風邪という病の概念がないこちらの世界では、風邪の諸症状は、魔術可動域の低い生き物達の命を奪いかねない厄介なものとして認識されているのだ。



「狐さん、大丈夫ですよ。暖かくしてゆっくり寝ていれば治りますから、お部屋に…」


ネアは良かれと思って提案したのだが、ムギーと鳴いた銀狐はびょいんと跳ねて抗議の舞を示した。


悲しげにこちらを見上げる銀狐がなぜ外客棟の一室にいるのかと言えば、今日はお客を招き入れての簡単な快気祝い兼、先日無事に終わったばかりの仕事の打ち上げがあるのだ。


とは言え、安息日ではない通常の業務日であるので、二時間ほどの簡易的なものにはなるが、ネアはこの日をとても楽しみにしていた。



「ネア様、ガーウィンよりご無事に戻られて何よりです」

「ベージさん!」


そう微笑んでくれたのは、会場となる部屋に通されたばかりの、氷竜の騎士団長であるベージだ。


今年になってから起こった悪変した氷狼の事件を経て、一族の中でも階位を上げたらしい。

今までに見慣れた騎士の装いの中にある銀色の甲冑風の部分が、白に近い金属に変化しているので白を身に纏えるようになったのだろう。



優しく微笑む表情は変わらず柔和で誠実そうなままだが、その眼差しにはどこか、どっしりと自分の一族に寄り添う人の力強さのようなものが窺えるようになったので、あれから、ベージにも色々なことがあったのかもしれない。



(ベージさんは、一族の中でも特別な力を持つ一人だったのに、氷竜が力を誇示する事を好まないようになった事で、あまり一族の中での発言権はなかったのだとか…………)



そんな氷竜の国が、統一戦争以降久し振りに変わろうとしていた。



エーダリアの話によれば、ベージが主君として盛り立てている王子や、そんなベージを慕っている者達も、氷竜を好戦的な種族にしたい訳ではないのだそうだ。


これからの世代の子供達に、伝統と革新のそれぞれを選べる環境を開くことこそが、片方に傾き過ぎていた天秤を正したい氷竜達の願いなのだとか。



(であれば、これからは大変な事もあるかもしれないけれど、良い国になるといいな………)



人間の領域ではないので失念しがちだが、竜達にも国や国の事情がある。


国を主導する保守派からは煙たがられていた古い時代の竜だからこそ、今迄のベージは比較的のんびりとウィームの街を散策したり出来ていた。

これからはそうもいかないのだろうかと考えると、街角で偶然出会うこの氷竜とのお喋りを楽しみにしていたネアは、少しだけ寂しくなる。


彼は、まさに良き隣人であったのだ。




(だから、この会があって良かった…………)



案内してくれたリーナが退出すると、ネアはゆっくりと歩み寄り、優しい氷色の瞳を見上げた。



「本日は、お招きいただき有難うございました」



まだエーダリア達は来ていないが、部屋に入ると、ベージはにっこりと微笑み騎士らしい一礼をしてくれた。


もう、その身を蝕んだ黒い翳りはどこにもなく、その種のものを退けられる祝福を得たベージは、これから先も受けることはほぼないのだろう。



ベージが得たのは、終焉の魔物の祝福だ。



ディノが万象であるように、そしてそんなディノにも不得手なものがあるように、ウィリアムもまた、不自由さを持ちながらもこの世界の柱となる特等の人外者である。



そんな特等の繋ぎを得て、ベージ自身も魔術階位を上げたと言われている。



「ガーウィンでは、結局、気配をお借りすることもなく、ご心配だけおかけしてしまいました。けれど、心配だったそのお仕事も、無事に終わってほっとしています」

「わざわざ、ヒルドから私の方にも連絡をいただきました。加えて今日はこんなことまでしていただき、ご恩を返せる前に負担ばかりをおかけしていないといいのですが………」

「ふふ。すっかりヒルドさんとも仲良しになられましたね?………それと、その点については、今年の冬の入りまで暫く私との繋ぎを貸していただくようになるそうですので、またどこかでお世話になってしまうかもしれません。………私はすっかりぬくぬくですが、ご迷惑ではありませんか?」

「俺としては、その申し出をエーダリア様にいただいて、たいへん光栄でしたよ」

「まぁ!恰好いい竜の騎士さんにそんなことを言っていただけると、何だか嬉しくなってしまいます」



本当に嬉しそうに目を細めて微笑んでくれたベージの、その微笑みは雲ひとつない青空のような清しさだ。

ネアは、全く自分の手にした要素にはないその爽やかさに、何だか誇らしく尊い気持ちになってしまって、自分担当の竜の騎士が出来たようなわくわくを噛み締める。



しかし、じっとりとした視線を感じてはっと振り返れば、そこには、けばけばで震える銀狐だけではなく、そっと三つ編みを差し出してくる伴侶な魔物までいるではないか。



「ずるい………………」

「まぁ、ディノはベージさんであれば荒ぶらないのではなかったのですか?」

「恰好いいを使うなんて…………」

「あらあら、ディノだって、ガーウィンで狼さんから助けてくれた時には、とても恰好良かったですよ?あの時の私はレイノでしたので、その場で恰好いいと言ってあげられなかったのですが、とても素敵でした。……………なぜ滅びたのだ」



未だ抵抗力の戻らない魔物は、そんな言葉にあえなく滅びてしまった。

綺麗な瞳を瞠ってから、よろよろと後退りしてゆき長椅子にぱたんと倒れてしまうと、そこからは、いつも通りにずるいだとか可愛いだとかの声が聞こえてくる。


本日はお客様がいるのでそちらの魔物は放っておき、ネアは、ぱたぱたと走ってきた愛くるしい魔物に視線を向けた。


こちらを見たのは、宝石のような檸檬色の瞳に白混じりの水色の髪をした、リーエンベルクの至宝である。



「あのね、今日はローストビーフが出るよ!ネアの仕事の慰労会でもあるから、ネアの好きなものが出るんだって。僕、最近のローストビーフ大好き!」

「まぁ、あのローストビーフがあるのですね!ベージさん、リーエンベルクのローストビーフは、香草の香りがふわっとして絶品なのですよ!」

「それは楽しみですね。大好物です」

「むむ、では、私とゼノのローストビーフ同盟に入ります?会員になると美味しいローストビーフの報告をし合う代わりに、外出先で美味しいローストビーフに出会った場合は、その事案を共有することになりますが…………」

「………………入れていただけるんですか?」



驚いたように目を丸くしたベージに、ネアは、彼もまたローストビーフを崇める民に違いないとぱっと顔を輝かせた。


ぱたぱた水色ちびふわにして部屋で共に過ごした事で何だか親しみも感じてしまい、ベージは、もうリーエンベルクの仲間であるような気持ちさえしてしまう。


「リーエンベルクの騎士さん達にも会員がいますし、今は、アルテアさんとウィリアムさんも入会しているので、顔見知りの方もいるのではないでしょうか?なお、ロマックさんのチーズの会もありますが、そちらは、定期的にロマックさんから新しいチーズの売り込みも入ってしまうのだとか……………」



そんな話をしていると、午前中の執務を終えたエーダリアたちが部屋に入って来た。

一緒にグラストも入って来たので、ゼノーシュはすかさずローストビーフの報告をしに行っている。


その可愛いの極みの横顔を見てほんわりしていると、エーダリアの視線が下に落ちるのが見えた。


そこには、ぶふぇっくしょいとくしゃみをした銀狐が、その勢いでこてんと尻餅をついてしまっている。


「……………病気ではないだろうか………」

「お顔が真っ青ですが、狐さんはお腹を出して寝たことで、すっかり体を冷やしてしまっただけなので、悪寒とくしゃみが出ていますが、温かくして眠れば元気になるのではないでしょうか。しかし、意地でもこの打ち上げには参加するようですね…………」

「魔物の姿には戻らないのだな……………」

「戻れば簡単に治ってしまうのだと思えば、なぜこのままなのだろうかと謎が深まるばかりですね………」



そっとエーダリアに抱き上げられ、銀狐は悲しげに震えている。


その隣では、どうやら共通の話題があるらしく、ヒルドとベージが熱心に話をしていた。

グラストも加わり警備上の悪変対策を話しているので、新しくベージが得た魔術は、リーエンベルクにとっても頼もしいものになるようだ。


そこに、けばけばの銀狐を抱いたエーダリアも加わり、男達はわいわいと楽しく話を始める。


ネアは、そんな会話を聞いているばかりだが、それぞれに自信のある男性らしい凛々しさを見せて仕事の話をしている姿は、見ているだけでも誇らしさでいっぱいになる。


折しも、窓から差し込んだ陽光の煌めきが、雪に白さを増して、ヒルドの宝石を削ったような羽を煌めかせていた。


ベージは竜らしい堂々たる体躯の勇猛さに、気品のある優しい微笑みが映えるし、グラストは理想の父親のような包容力が際立ってしまいがちだが、こちらも、人間の中ではなかなかに美麗な騎士なのだ。

エーダリアは、真剣な顔をして話していると怜悧な美貌の王子らしさが顕著だが、腕に抱いた銀狐が堪らないアクセントとなっている。



「ベージ、ここまで出向かせてしまって申し訳ない。もう少し時間を取れれば、氷竜の国に近いところで行えたのだが………」

「いえ、飛べば時間はかかりませんし、こちらで開催していただくことを口実に街で菓子店にも寄れますから、一族の女性達にいい顔も出来ます。特に末王女からは、外出禁止命令が出ているので、あの少年への手紙など、あれこれ内緒のお願いを受けています」



くすりと笑ってそう秘密を明かしてくれたベージに、エーダリアも穏やかな目をして微笑む。


氷の系譜という中においては稀有な気質だが、この氷竜の騎士団長には、会話の相手を和ませるような不思議な魅力があるのだ。



「さて、まずは乾杯としようか。…………ネア、ディノはどうしたのだ?」

「ガーウィンでの恰好良さを褒めたところ、あえなく滅びました」

「そ、そうか。起きられるようならば、始める旨を伝えてくれるか?」

「ええ。しゅばっと起こしますので少し待っていて下さいね」


頷いたエーダリアの腕の中では、銀狐がムギムギ何かを訴えていた。

楽しみにしていたらしいこの打ち上げの会で体調不良になったのが悲しいようで、その思いのたけをぶつけているのか、前足でエーダリアの鎖骨のあたりをてしてししている。


その隙にと、ネアは長椅子の上でじたばたしている魔物をしゃっきりさせるべく、寄り添うように腰を下ろして美しい真珠色の髪をそっと撫でた。

すると、目元を染めた魔物がそろりと顔を上げるのだから、何とも無垢な感じがするではないか。


「ディノ、乾杯になるので生き返って下さいね。一緒に、ノアの持ち込みの美味しい雪霞と林檎のお酒を飲みましょう?」

「うん……………」

「そして、狐さんはまたくしゃみをしていますが、なぜ人型に戻ってすっきりさせないのだ………」

「どうしてなのかな…………」



様々な疑問を飲み込み、とにもかくにもベージの快気祝いとガーウィン潜入捜査の打ち上げが始まった。



なお、一緒に潜入捜査をしてくれたアルテアについては、やはり今回の仕事で拘束時間が長かったせいか、今は特に忙しいらしく、今日は来られたら参加するというスタンスであるらしい。


近く控えた春告げの舞踏会などもあるので、何だか忙しい魔物を随分拘束してしまっているような気持になったネアは、舞踏会が終わった後は暫く呼び出しをかけないようにしようと思っている。



「では、皆、集まってくれたことに礼を言う。簡単なものではあるが、存分に寛いでくれ」


このような時、エーダリアの挨拶からはベージの名前がそっと外される。


お互いにどこでどのような魔術の縁が繋がるのかが分からないので、魔術の理の上で正式な儀礼文言にされてしまうかもしれない灰色の領域においては、余計な繋ぎを避ける為にこうして気を遣うらしい。


明確に禁じられた線までなら測れるネアも、曖昧な領域を窺い手を打つのは苦手である。

こんな時は、さも全てを分かっておりますという感じの威厳を湛え、黙って微笑むことで乗り越えるようにしていた。



「ベージ、ここにあるのが雪霞と林檎の酒で、こちらがシュタルトの湖水メゾンの白、一昨年の赤、こちらは春月草の薬草酒、淡い黄色のものが黄薔薇の蜂蜜酒になります」

「春の系譜の酒が飲めるのはいいな」

「黄薔薇の蜂蜜酒も、先日の薔薇の祝祭で漬け込まれたようで、なかなか良い出来ですよ」

「僕、このお酒好き。去年の薔薇の蜂蜜酒は普通だったけど、今年のは美味しいと思う」



自身の瞳の色に似ている檸檬色の蜂蜜酒を飲んでいるゼノーシュは、どことなくグラストに似た雰囲気のあるベージとは話しやすいようだ。


また、同じ役職にあるベージとグラストも気が合うようで、ヒルドを加えたこの三人で集まってしまうと、警備や騎士達の配置の話などで盛り上がってしまう傾向が見られる。



(エーダリア様と私には敬語を使ってくれていて、多分、ディノやゼノーシュにも敬語かしら。ヒルドさんやグラストさんとは、ずっと砕けて話せるようになったみたい………)



こうして内輪の会に呼ばれると騎士としての気質が勝ってしまうのか、誰に敬語で誰と砕けた言葉で話すのかを密かに試行錯誤していたようだが、会話の中できちんと運用が定まりほっとしたようだ。


本来ならばウィームとは特別な約定のない氷竜の騎士なのだが、本来の柔和さとリーエンベルクの内側での身内だけの打ち上げであった事で悩んでしまったらしい。


そんな所が見えてしまえば、ネアはこの氷竜の騎士がますます好きになる。

楽しそうにヒルド達と話していれば、あの氷狼の事件で失われそうになったものの大切さをあらためて感じた。




「ディノ、これを見て下さい。さくさくとした揚げ物の中には、美味しいトマトソースとチーズが入っています。………むむ?!こちらはクリームソース………?」

「トマトソースはなかったのかい?」

「な、謎めいています。さては、手前と奥で味が違うのでしょうか………」

「僕、知ってるよ。四つに分かれてて、こっちはオリーブとマッシュポテトで、こっちはベーコンと玉葱と挽肉なの」

「四種類もあるのですね!これは制覇しなければなりませんが、一口大なのでさくさくはふはふです!」

「………トマトソースかな……」



食事の自己主張を覚えつつある魔物は、トマトソースを求めていたようだが、刻んだオリーブとジャガイモのシンプルなものを気に入ってしまい、美味しそうに食べていた。


銀狐は尻尾を振り回して鶏肉のマスタードクリームソースを食べているが、そんな姿を微笑ましく見ているベージが、銀狐の正体をきちんと知っているかどうかは、かなり悩ましい。



(でも、エーダリア様達が普通に話しているし、狐さんの専門店でも暗黙の了解みたいだから大丈夫かしら………?)




「ノアベルト、元の姿に戻った方がいいのではないか?」

「やれやれ、その体調で、どうしてあなたは首を振っているんですか…………」

「……………はは。こちらの姿の方が気に入っているんだな」



氷狼の事件の後処理からガーウィンの調査での助力も含め、ベージはこれまでに何度もリーエンベルクとの話し合いに参加してくれている。

今では、氷竜の使者としての立場から接する、土地の領主への他人行儀な敬意でもなく、お互いの名前と心を知った相手として、エーダリアとも自然に話せるようになり、そう微笑んだベージに、ネアはほっとして頷いた。


銀狐と塩の魔物の関係を知っているのであれば、ノアも、アルテアが来るまでは自由に魔物の姿に戻れるだろう。



(今は頑固に狐さんでいるけれど、あまりにも具合が悪ければ魔物の姿に戻ればいいのだし…………)



なかなか粋な計らいにより、前菜とおつまみまでは立食風だった会は、メインのあたりからは着席でのんびりとおしゃべりが出来る二部構成になっていた。

とろけるようなお肉が幸せを呼ぶローストビーフは、一皿ずつサーブされるので何だか大事にされているような気分になる。


ふわっと残る香草の香りや、表面の部分で感じられる上等な塩の旨味なども心を震わせる一皿は、セージグリーンの陶器のお皿の上で、付け合わせの野菜と合わせて輝くようだ。

ベージも気に入ったようで、ネアとゼノーシュがお代わりを始めると、ヒルドが上手に促してくれてお代わりに挑戦していた。


「ふぁふ。このトウモロコシで出来たざくざくさっくりしたものと、チーズクリームのミルフィーユも美味しくて、無限の可能性を秘めたお皿だと言わざるを得ませんね」

「これはおいしいね…………」

「まぁ、ディノの新しいお気に入りが見付かったようで、何だか嬉しいです」


些細なことだが嬉しかったので、慌てて口の中のミルフィーユをもぐもぐしながらそう言えば、慌てて食べる姿も気に入ってしまったものか、ディノはもじもじしている。


「ネアがかわいい……………」

「生き返ったばかりなのですから、もう少し頑張って下さいね」

「そうだね。爪先を踏んでおくかい?」

「なぞめいております…………」




会話に登るのは、たわいのない事も多かった。



ベージの友人の娘が結婚をした話や、グラストとやや深刻そうに交わしていた、望まない求婚をどう回避するのかの話。

ゼノーシュが教えている美味しいチョコレート専門店の場所に、エーダリアが尋ねた氷の魔術について。




それは、閉鎖的な国を憂いて、積極的に外部への使者としての仕事を受けてきたベージが、自分の力で得られた幸せな光景なのかもしれない。




「では、あの方がネア様の契約の魔物になられたのですね………」

「はい。騎士さん風という誘導でしたが、うっかりその直前に教えられていたウィリアムさんが浮かんでしまいました」

「終焉の供物を捧げられたあたりが、やはりお前らしい運の強さだな。…………ど、どうした?」

「ありなどいませんでした」

「そ、そうか……………っ?!」



ここで、ネアの暗い眼差しからそっと目を逸らしたエーダリアは、ぎょっとしたように目を瞠った。

何だろうとそちらを見たネア達も、あんまりな光景に愕然とする。



「狐汁でしょうか……………?」

「なぜ鍋にしたのだ……………」

「浴槽代わりですと、湯冷めして悪化しないといいのですがね……………」



そこには、いつの間にかほかほかと湯気を立てる白い琺瑯の大鍋があり、先程まで震えていた銀狐が、いい湯であると言わんばかりにふにゃりとした顔でお湯に浸かっている。


寒かったのでお風呂で温まりたいという気持ちはよく理解出来るが、なぜ浴槽を鍋にしてしまったのだろうという思いにしてくる、何ともいえない光景だ。



「ノアベルトが、鍋に…………」

「お労しい……………」



ディノは悲しくなってしまったのか、ネアにへばりついて震えているし、ゼノーシュからも久し振りにその一言が聞こえてきた。

グラストとベージは顔を見合わせて困惑した面持ちなので、ご機嫌なのは銀狐だけだった。



「とは言えノアですので、塩味のお出汁が出るのでしょうか?」

「ご主人様……………」

「その、寒かったのなら、これ以上に体を冷やさないように湯たんぽや太陽石の方が良かったのでは?」

「ベージ、すみません、この狐には、少々考えが足りない事が多々ありまして…………」



心配そうにしているベージには、ヒルドから、塩の魔物は銀狐姿になると意識レベルも銀狐なのだという悲しい説明がなされている。


ネアは太陽石というものについて聞いたのは初めてだなと首を傾げ、後で魔物に教えて貰おうと覚えておく事にした。



銀狐はうっとりとろんとしたまま、時々我に返ってちゃんと会に参加していますよ風にお酒などを嗜んでいたが、ネア達は、視界の端に狐汁にしか見えない刺激的なものが入り込む違和感に耐えつつお喋りを続けることになる。



お湯の温度は維持されているものか、幸い、上がるまでは湯冷めしてしまう事もなさそうだ。




「おい、よりにもよって何で鍋にした…………」




会も、そろそろお開きかなという時間のことだった。


ネアは、その呆れたような声に振り返り、狐汁に出会ってしまった使い魔に頷いてみせる。



「狐さんなりの体調管理であるようです。昨晩、お腹を出して眠ってしまい、随分と冷えてしまったようでして…………」

「………………情緒が減っただけはあるな」

「なぬ。なぜ私の提案かのように言われるのだ?!」



その後、銀狐はすぐさま鍋から取り出され、アルテアにふかふかのタオルで拭かれて魔術で水分を払われると、火織りの毛布で包まれてほかほかにされている。


狐姿でどこから取り出されたのかは分からないお湯と鍋は、機転を利かせたヒルドが家事妖精に引き取らせて、塩の魔物の何かが煮出されているかもしれないお湯をそのまま捨てられる危険は避けたようだ。



「使い魔さんは、狐さんの正体を知らないのです」



ネアは、アルテアが銀狐の世話をしているのをじっと見ていたベージにささっと近寄り、そう打ち明けておく。

内緒話風に打ち明けられたベージは、なぜか耳を押さえて目元を染めてしまっていたので、こちらの生き物達は耳打ちが苦手なのかもしれない。



(そう言えば、ディノもよく死んでしまうし……………)



そうなると気になってしまうのが、人間の性というものだ。

ネアは、ベージに耳打ちをしたネアに、悲しげにぺそりと項垂れたディノの方にててっと駆け寄ると、こちらにも内緒話風に、こういう事は苦手なのかを尋ねてみる。



「しかし、答えを得る前に死んでしまいました……………」

「おい、そっちの面倒は見ないぞ」


魔物は呆気なく儚くなってしまい、顔を顰めたアルテアから、厄介ごとを増やすなと叱られてしまう。

幸い、ベージがすぐに手を貸してくれて、足元もおぼつかないネアの伴侶は、長椅子に移設されることになった。




「これからの季節は氷竜の国に籠りますが、新しく得られた魔術がご入用な時には、魔術通信板から声をかけて下さい」

「その場合は、こちらで遮蔽地を作ろう。とは言えこれからは氷竜達にとっては巣篭もりの季節だ。ゆっくりと休んでくれ」



エーダリアにそう言われ、お土産のお酒を貰ったベージは微笑んで頷いた。

快気祝いも兼ねているので、ネアもディノと連名で美味しい雪灯りのお酒を贈ったので、これから国を閉ざす季節の中で、ゆっくり楽しんでくれればと思う。



ひらりと、騎士服のケープを翻して帰ってゆくベージに手を振った。


まだ一週間ほどは国の門も開いているそうなので、またどこかで会えるかもしれない。

国を閉ざす前に、友人達とも食事会があるのだと話してくれたベージは、とても穏やかな目をしていた。



(最後の登場が強烈過ぎて狐汁の印象がどうしても脳裏を占めがちだけど、楽しんでくれたみたいで良かったな…………)




なお、リーエンベルクにはその日の内に、銀狐用のほかほかバスケットが導入された。

これから季節の変わり目でまた体調を崩すことがないとは言えないので、入るだけでほかほか暖かな覆いのあるバスケットをエーダリアが魔術で作ってくれたのだ。



アルテアはノアと話したい事があったようで、あいつはまた出かけているのかと溜め息を吐いている。


お探しの相手は膝の上で火織りの毛布に巻かれているのにとは言えず、ネア達はとても緊迫した空気の中でその後の時間を過ごしたのだった。










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