我が儘な薔薇と配達人
窓の外には、細やかな魔術の煌めきが見えた。
薔薇の祝祭だからか、禁足地の森が近いリーエンベルクの庭園には様々な妖精達が集まってくる。
満開になった薔薇の花影に揺れる祝福の光は、得も言われぬ美しさであった。
偶然窓の外を覗いた時にその輝きを目にし、淡い微笑みが唇に浮かぶ。
困ったことも多い祝祭ではあるが、こうしてただ美しく優しいばかりのことも多い。
愛情を与え合う祝祭の恩寵を、こうして静かに受け止められるようになったのはいつからだっただろう。
ことんと音がした。
ヒルドが指の背で机の表面を打ったのだと気付き、視線を戻す。
エーダリアの視線をこちらに引き戻す為ではなく、先程引き取ってきたばかりの薔薇の花束に付随した、余分な祝福の魔術を払い落す為だろう。
元よりヒルドは、氏族そのものの階位の高い妖精の王族である。
今は無き、妖精の源流ともいえる氏族の王として、保有する魔術の資質はとても多い。
そんなヒルドと、原初の魔術を司るノアベルトが友人になって以降、エーダリアの大事な妖精はどうも、扱う高位魔術を増やしているような気がする。
(……………世界の始まりの頃には、様々なものが不慣れで不均等で、過分な力を持った存在が多く生まれたという)
とは言え、そんな者達が永らえるという訳でもないのは、この世界の不思議の一つだろう。
ここでネアが集めてきた高位の魔物達を知ってから、何となく分かったような気もするのだが、彼等は叡智や老獪さだけで己の心を宥められる程に器用ではない。
豊穣の妖精然り、作家の魔術を残した魔物然り、大きな力を持っていても滅びてゆくものたちは存外に多い。
そして、ヒルドの一族もまた、そうして失われたものだという。
(……………どうして、こんなに美しい妖精達を滅ぼしてしまえたのか……………)
つい、じっとヒルドを見つめてしまい、こちらを見た瑠璃色の瞳がふっと瞠られる。
慌てて何でもないのだと首を横に振ったが、視線を戻せば机の上に置かれた薔薇の花束が目に入った。
それを見ていると、どうにも上手く表現出来ない不快感のようなものが、心の中にひたりと落ちるのだ。
「……………やはり、届きましたか」
「ああ。懸念はあったのだが、こうなるのだな」
「…………ふぅん。僕の契約者に、こんな真似するんだ。これ、僕が捨てて来るからさ」
「ええ。お任せしても?」
「これが、エーダリアの手元にあるだけで不愉快だからさ。まぁ、姿は昔の僕に戻しておいて行ってくるかな……………」
「い、いや、そこまでせずとも、正式に断ることも出来るのだぞ?」
「甘いなぁ。こういうのってさ、自分の振舞いの危うさに気付かないから、懲りずにやるんだよ。不利益があるのを知った上でこんな真似をするような情熱でもなく、ただの手触りの悪い自己満足だ。僕はさ、可愛い妹が研ぎ澄ましているような欲望と、垂れ流されるようなこの手の自己満足の間には、常々愚かさの壁があると思っているんだ。さて……………ありゃ」
ひやりとするような、青紫色の魔物らしい眼差しになったノアベルトに、思わず、そんなに怒ってくれなくても大丈夫なのだと手を伸ばそうとしたとき、ノアベルトが執務机の上から取り上げようとしていた薔薇を、ひょいと横から攫う手が見えた。
慌ててそちらを見ると、そこに立っていたのは、うんざりとしたような冷ややかな目をした第三席の魔物ではないか。
唐突な出現に思えて一瞬ぎくりとしてしまったが、彼が執務室を訪れる事は知っていたし、ヒルドが何の反応もしていないとなると、部屋に入った事には気付いていたのだろう。
一緒に暮らすようになったことで、リーエンベルクに暮らす魔物達は便宜上ノックをしてくれるようになっているが、本来はこちらが傅かねばならない階位の魔物であるアルテアは、部屋の扉を叩かない事もある。
(ネア絡みと、そうではない時の差だろうか。となれば、彼なりにしっかりと線引きを付けているのかもしれない)
「え、それ僕の担当なんだけど……………」
「言っておくが、お前の、あの気質の連中の扱いは酷いものだぞ。だからこそ、懲りずに毎回刺されるんだろうが」
「……………え、もしかしてアルテアがやっておいてくれるの?」
「交渉に長けた部下に任せる。対価として、販路の一つでも刈り取らせておけばいい」
「あ、それが妥当だね。アルテアの管理下なら、こちらで問題になるような取引きにはならないから、販路くらいあげるよ。それに、ある程度の制裁がないと伝わらないからなぁ」
「俺としては、このくらいは放っておいても良かったんだがな……………」
「あはは、そうだよね。でも、引き受けて貰えて良かったよ。…………僕も僕で、ウィーム内となるとあまり評判が落とせないところもあるし、かといって僕達が面倒に巻き込まれると、この場合は、女の子のネアに影響が出そうだからね」
ノアベルトの説明に、その危険性もあったのだと気付いた。
共に暮らしているネアは、永遠の子供であることで、人間の婚姻台帳では未婚のままになっている。
愛情に纏わる祝祭の中では、普段は冷静な者でも一線を越えやすいことを失念してはならないし、ましてや、王都への影響を考えられずにリーエンベルクに使者を立て、薔薇の花束などを送り付ける貴族となれば、何をしでかすのか分かったものではない。
逆恨みをされても返り討ちにしてしまいそうでもあるが、今日を楽しみにしてきたネアには、憂いなく祝祭を楽しんで欲しいではないか。
(クロウウィンに誕生日と、一度ついた傷が影響したのかもしれないが、我慢を強いるようなことが続いてしまったからな……………。先日の死の精霊王との邂逅の前には、死の精霊続きの災難にも巻き込まれていた)
リーエンベルクの歌乞いは、ここではないどこかからの迷い子だ。
正確に言えば、異なる世界からの迷い子であり、ディノ曰く、異なる世界という区分は、もうこの世界と繋がる橋や道を持たないところであるらしい。
万象にしか介入出来ないその向こう側からやって来た彼女には、この世界の運命がない。
だからこそ、災厄にも祝福にも引き摺られ、少し歩いてはどこかにすとんと落ちるような目に遭う事が多いのだ。
(ルドヴィークの暮らすランシーンには、稀人と呼ばれる迷い子をもてなした家は、運命が開けるという話があるらしい)
その伝承は、手紙を交わしている友人に、様々な恩恵や、懇意にしている欲望の魔物との縁を齎した。
であれば、エーダリアにとっては、ここで共に暮らし始めたネアという少女が運んできた、これまでの経験や価値観をひっくり返すような賑やかで温かな日々を齎したのではあるまいか。
そんな彼女が運んできた祝福の中には、ここで共に暮らせるようになった、ヒルドやノアベルトという、何物にも代えがたいエーダリアの宝物も含まれている。
だからエーダリアは、今はもう家族になったネアには、いつだって幸福であって欲しいのだ。
ただでさえ取りこぼすものも多いのだから、このような出来事で、楽しみにしていた祝祭を諦めさせるような事だけは絶対に避けねばならない。
(やはりここは、アルテアに任せるのが最良なのだろう。必要であれば対価を支払い、この一件を含めたザルツへの牽制を、引き受けてくれるだろうか……………)
「すまないな。迷惑をかける。もし………」
「ザルツの管理は、あの土地の連中の問題だが、固有の才能の血が集まり過ぎるのも考え物だな。血は資質だ。あまり偏らせると、同じ方向しか見えない領民ばかりが育つぞ」
対価について切り出そうとしたのだが、続く言葉を遮られて目を瞬いた。
アルテアはこちらを見ていないので、偶然だったのだろうか。
「そういう、……………ものなのだな。知らなかった」
「人間そのものにはさしたる資質はないが、特定の職業や嗜好が束ねられると、集まる祝福で行動経路が狭められる。同じ花壇に同じ花だけを育てるようなものだ」
「……………成る程。そういうことなのだな」
言われてみればその通りなのだが、迂闊にも失念していたことであった。
長く生きる者達だからこその目線でもあるが、領主としては考えておかなければいけなかった問題だ。
少しだけ恥じ入りながら慌てて頷くと、執務机の横に立ったノアがうんうんと頷いている。
「ザルツに動物園なんかが造られたのも、その緩和策の一環なんだろうけどねぇ。とは言え、音楽の才能が土地での優遇に繋がるのはどうしようもないから、新しく産業でも作らない限り、別の資質を育てるのは難しいだろうなぁ。……………アルテア、やらない?」
「食指が動かないな。音楽であれば、ディアニムスの方が余程好ましい」
「ありゃ、ふられたぞ……………」
アルテアの返答を聞き、エーダリアは驚いてしまった。
おかしな言い方になってしまうが、ザルツは、歴史ある豊かな土地である。
頭の痛い問題を抱えてはいるが、身内贔屓だとしても、高位の魔物が好んで手をかける条件は満たしていると思っていたのだが。
だが、アルテアはエーダリアの机の上の薔薇の花束とカードをどこかに放り込んでしまい、この話題は打ち切りとなったようだ。
思わずヒルドの方を見てしまったが、ヒルドは、そちらにお預けしましょうと微笑むばかり。
ヒルドについては、この問題への対処に時間が取られる事を見越してネアとの時間を後日に振り替えざるを得なかったので、その微笑みが冷ややかになるのも当然なのかもしれない。
それについては、このままいけば時間が空く筈なので、今日中で再調整出来ないかどうかネアと話しておいた方が良さそうだ。
(……………私の立場からでは、本来は対処し難いこともあるのは間違いない)
領主という仕事には、どうしてもある程度の権力は入用だが、エーダリアの場合は、王都に睨まれない匙加減でなければならないものだ。
その隙を埋めようがないからこそ、今のザルツの貴族達の対応のように、甘く見られることもある。
自分の立場のせいでグラストにまで無理をさせてしまっているのだと思えば情けない限りだが、今はまだ、問題が領内で済んでいることは幸いと思わねばなるまい。
この問題が領外に波及する前に、適切な手を打っておくべきだ。
その点、アルテアのような魔物であれば、上手く調整してくれるだろう。
薔薇の送り主がどうなってしまうのかが気にならないと言えば嘘になるが、領主という仕事には、どうしても少数を切って大多数を生かすという覚悟が必要となることがある。
(販路の刈り取りというくらいであれば、命まで取るようなことはないだろう……………)
頭の痛い問題に僅かな疲労感を覚えつつ、アルテアが部屋を出てゆくのを見送った。
「お前が呼んでくれたのだな」
「まぁね。ゼノーシュの問題もあるし、早めに話を通しておくのが一番だよ。何事も、遠慮している内に盤面が狂うと、余計な出費になったりするしさ」
「助かった。私から依頼をするのは、不敬にあたるからな」
「対価を支払う必要はないよ。今回は、僕からの相談だからね」
「ああ。気付かずに、申し出てしまうところだった……………」
高位者達の問題に我が物顔で踏み込むのもまた、不敬である。
あの時に、気付いたアルテアが言葉を遮ってくれたのは間違いない。
「それから、僕達が気付いていないところで、エーダリアの立場やウィームだからこそで動きの悪い箇所があったら相談してくれるかい?…………ネアがよく、否定的な意味合いではないけれど、やはり種族が違うからって言うんだ。そういう意味じゃ、僕も、自分が問題視しないことには気付き難いからね」
微笑んでそう言ってくれたノアベルトの手には、先程渡した薔薇がある。
薬薔薇を貰ったのが余程嬉しかったらしく、ヒルドの薔薇と合わせて状態保存をかけ、ずっと部屋に飾っておくのだそうだ。
株を増やせるのであれば、糸を紡ぎたいと言われているので、今後更に育ててゆく予定である。
ノアベルトは、その糸でとっておきのシャツを作るらしい。
(……………ノアベルトの薔薇だと、知っていた訳ではなかったのだが、それでも喜んでくれて良かった)
エーダリアの最初で最後の契約の魔物は、アルテアが部屋にいた時に浮かべていた魔物らしい微笑みを収めてしまい、今は、嬉しそうに薬薔薇を見ている。
急にはっとして薔薇を持ち替えているのでどうしたのだろうかと思えば、リンデルを嵌めている手で持ちたかったようだ。
「よいしょ。まぁ、ザルツの中に妙に強気な連中がいるのも、ある程度は、こちらも一枚岩じゃないぞっていう王都への抑止力になるんだけど、あれって、身内だからこそのただの甘えだよねぇ」
「それ以外の何でもありませんよ。ですので、この辺りでアルテア様にご助力いただけるのは願ってもいないことです。………ネイ、机の上に座らずに、椅子に座るように」
「ありゃ。ヒルドは口煩いなぁ………」
「ネイ?」
「ごめんなさい……………」
叱られたノアベルトが机から離れ、ヒルドが、紅茶を淹れに行ってくれる。
その間に、エーダリアは届いていた他のカードや祝祭の祝辞に目を通してしまい、開封済の手紙類用の木箱に入れた。
ギルドからの薔薇の祝祭のカードや、リノアールからの挨拶状など、エーダリア個人宛のものもあるのだが、ウィーム領主として受け取った物は全て、区分した上で共用の資料庫に収める事にしていた。
現在入室許可を得ているのは、ヒルドとノアベルトに、ダリル、グラストとゼノーシュのみだ。
ゼベルにも権限を与えておきたかったのだが、身内にリーベルがいるのでと本人から辞退された。
思えばあの時のゼベルは、自分の意思ではなく情報を奪われる可能性も視野に入れ警戒していたのだろう。
ネアは可動域の問題で入室出来ないが、ディノにも、必要であれば使ってくれて構わないと申し出てあった。
「さて、これで暫く時間が空くのだが……………」
薔薇の祝祭の祭事を一つ終えたばかりなので、暫く、リーエンベルクでのんびり出来そうだ。
昼食の前ではあるが、ふうっと息を吐いて伸びをしたのは、この後に控えている予定に備えてである。
「うん。じゃあ、昨晩のやり直しだね」
「……………わざわざ、やり直しをする必要があるとは思えませんがね」
「ありゃ。僕にだって、誇りがあるんだよ。あの薔薇は、絶対にちゃんと届けなきゃだからさ」
困ったようにそう微笑み、部屋を出て行ったノアベルトを、ヒルドと共に見送った。
無言のまま視線を持ち上げると、気付いたヒルドが小さく首を振る。
「アルテア様もいらっしゃっておりますし、あまり危ういことはさせたくないのですが」
「ああ。今日気付かれたら、薔薇の祝祭どころではなくなってしまうからな……………」
「それでも、狐姿で薔薇の置物を届けたいとは………」
昨晩、エーダリアの執務室には、塩結晶の薔薇を銀狐が届けに来ていたらしい。
しかし銀狐は、執務室に入ってすぐのところに置かれた新しい銀狐用のクッションの心地よさに負け、恐らくはほんの少しだけ休憩するつもりで籠の中に入り、塩結晶の薔薇を抱えたまますやすやと眠ってしまったのだ。
予定通り扉は開けてあったのに一向に訪れる気配がなく、何かあったのだろうかと心配になって探しに行こうとしたエーダリアが、幸せそうに眠っている銀狐を見付けてどれだけほっとしたことか。
しかし、残念ながら昨晩は何をしても起きず、エーダリアは、すやすや眠る銀狐を抱いて寝台に入ったのだった。
「今朝は、お前が起こしてくれて良かった…………」
「あのような場合は、優しく揺さぶったくらいでは起きませんからね。薔薇の祝祭を控え、連日女性達と出掛けていたようですから、疲れも溜まっていたのでしょう」
「……………刺されてしまった上での回復で、消耗していたのではないといいのだが」
今朝早くに、ヒルドがネアとの約束があるのだろうと揺り起こしてくれて漸く目を覚ました銀狐は、運んでいた筈の塩結晶の薔薇がエーダリアの部屋の机の上に置かれていることに気付き、ムギーと叫び声を上げていた。
その時のけばけばになった姿を思えば何だかくすりと笑ってしまうのだが、部屋までは届けてくれたのでもう充分なのだと言っても、手元まで届けなければ意味がないらしく、やり直しをするといって聞かないまま今に至る。
なのでエーダリアは今、塩結晶の薔薇の再配達を待っているのだ。
(……………ずっと昔に、グラストから、娘の誕生日祝いをこっそりやろうとして、失敗した話を聞いたことがある)
伴侶に贈り物をしようと林檎飴を隠しておいたのだが、何も知らない伴侶に全部食べられてしまっていたというゼベルや、同じような、ちょっとした失敗話や似たような経験を語り合う騎士達の話。
エーダリアは、そのような贈り物を得られる喜びに触れるのが精いっぱいで、おまけに、ヒルドや騎士達が、エーダリアへの贈り物の受け渡しに仕損じるようなこともなかった。
だからこれは、初めての贈り物の失敗という場面なのだ。
そんな風に喜んではいけないと思いつつも、こういうことなのかと、少しだけ胸が弾んでしまう。
残念ながら、ヒルドにはそんな心の動きもお見通しのようで、隣には淡く微笑む気配があった。
たしたしとこちらに歩いてくる銀狐が、誇らしげに塩結晶の薔薇を咥えている姿が見えたのは、そんな時だ。
ふさふさの胸毛を見せつけるように胸を張り、尻尾を揺らした銀狐は、入り口近くでちらりと横を見たが、じりじりと後退りをしてクッションの入った籠を避け、また今度は、遊び散らかして落としたままだったらしいボールを見付けて飛び上がっている。
だが、今度こそは塩結晶の薔薇を届けるのだと心に決めているらしく、尻尾をけばけばにしながらもこちらに来てくれた。
丹念に手入れされた美しい毛並みの銀狐は、野生の狐よりは一回り小さな体で、きらきらと光る塩結晶の薔薇枝を咥えている。
青紫色の瞳はその薔薇の置物のように煌めいていて、目が合うと尻尾をぶんぶんと振ってくれた。
そのまま真っ直ぐに歩いてこようとした結果、執務机の死角に入ってしまってこちらが見えなくなったのか、またしてもムギーと声が上がった。
慌てて立ち上がってそちらに行こうとすれば、すぐさま机を回り込んだらしい銀狐に、ぎゅっと爪先を踏まれてしまう。
どうやら、届け終わるまで動いてはいけないらしい。
(……………ああ、)
びょんと飛び上がった銀狐が、膝の上に着地する振動に、生き物のあたたかな温度。
軽やかに着地したものの、足場が悪いのかたしたしと踏み均され、思わず微笑んでしまった。
幸せだなと思う。
愛情を司る祝祭の日に相応しい、とびきりの贈り物ではないか。
「……………素晴らしい薔薇の置物だ。……………大事な薔薇がまた増えたのだな」
「おや、そのまま受け取らせるのではなく、机の上に置きたいようですよ」
「そ、そうか。だが、その体勢は不安定なのではないか?尻尾が…………」
お礼を言われたことが嬉しかったのか、銀狐姿の契約の魔物は尻尾を振り回しながら、エーダリアの膝を足場にして執務机の上に塩結晶の薔薇を置いてくれた。
だがその代わりに、エーダリアは顔の前で冬毛のままの尻尾をぶんぶんと振られる事になり、慌ててその尻尾を捕まえてしまわねばならなかった。
「……………有難う、ノアベルト」
尻尾の猛攻撃を越え、やっと手にした塩結晶の置物は、ウィームの淡い昼の光でもきらきらと光る。
ヒルドの視線が前を向いているのは、アルテアが戻って来る事を警戒してくれているのだろう。
名残惜しいが、そろそろ終わらせてやった方が安全だ。
「さて。……………もう宜しいですか?」
「ああ。………ノアベルト?!」
しかし、そろそろいいだろうかとヒルドがこちらに声をかけた瞬間、銀狐は慌てて床に飛び降りると、足元で何度も飛び跳ねてはヒルドに体当たりしているではないか。
「もしかすると、お前の分も届けるつもりなのではないか……………?」
「……………そのようですね」
「また、最初からやるのだろうか………」
「やれやれ………」
まだ残した配達の贈り物は待っていてくれないのかと仰向けになってムギャムギャと暴れ始めてしまった銀狐を慌てて宥め、けばけばになった配達人を送り返してやる。
二度目の配達が無事に終わるまで選択の魔物が姿を現さずに済んでくれたことに、心から感謝したのは言うまでもない。