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213. スコーンは朝の儀式です(本編)




会食堂に戻ると、すかさず羽織ものになってきた伴侶を撫でてやり、ネアは、自慢の薔薇の花束をふんすと見せつける。


既に儀式用の盛装姿に着替えているエーダリアは、あまり見かけない深い青紫色の鮮やかなサッシュを巻いた装いであった。


細かな刺繍の入ったサッシュは美しく、魔術の心得のないネアにも強力な守護なのだろうと一目で分かる。

しっとりとした冬らしい生地の装いは、同じ色味の影を湛えた白灰色がかった水色だ。

僅かに銀白色がかったシャツの襟元を飾る同色のクラヴァットには、はっとする程に艶やかな青紫色の宝石の飾りがあった。



「……………ほわ、エーダリア様が、ヒルドさんとノアにこれでもかと守られています」

「ありゃ、やっぱり分かる?」

「何か、これだけの防御を整えなければいけない事が、起こったのですか?」

「……………ザルツで、伴侶候補として有力とされていた子爵家の長女の婚約が纏まりまして。あちらの貴族はいささか、……………考えが足りないという資質があるようですから、念の為にこのように」


首を傾げたネアにそう教えてくれたヒルドはにっこり微笑んでいたが、ネアは、どこか遠い目をしているエーダリアと素早く視線を交わしこくりと頷いた。


ザルツの貴族になど煩わされてなるものかという、強い強い意志を感じるし、場合によっては、そちらのご令嬢が空気を読まずにエーダリアに薔薇でも贈ろうものなら、影でこっそり不慮の事故に巻き込まれかねない。



(ウィーム中央では、そのようなことをする人はいないそうだけれど……………なぁ)



とは言え、エーダリアは未婚の見目麗しい男性だ。

性格にも問題はなく、ガレンの長でもある。


適年齢期の女性達からしてみればこの上ないお相手なのは間違いないのだし、実際には密かに思いを寄せているようなご婦人やご令嬢もいる筈なのだ。


だが、それでもエーダリアには、目立って婚約の打診などが届くことはない。


それは勿論、窓口となるダリルが、こっそり捌き捨てているものもあるだろう。

しかし、それ以前の問題として、ウィーム領民は一般的な幸福論を押し付けたりしないくらいに、エーダリアの事が大好きなのだ。



恋愛と婚約などの打診は別物だ。

公式な場で然るべき立場のご令嬢が動きを見せれば、それは懸案事項として王都にもいずれ伝わる。


聡明で団結力の強いウィーム領民達の多くは、エーダリアにとってのそのような問題がどれだけ危うい毒になるのかをよく理解しているし、また、それが叶うとしたら、現王が退位してからだということも承知しているのだ。



(ヴェンツェル様が王太子として指名され、その後に即位されて初めて、エーダリア様にも公に伴侶を娶り子孫を残すという選択肢が与えられるようになる)



王になったヴェンツェルに子供が出来れば、男女を問わずにその子供達が継承権の上位を占め、エーダリア元第二王子という肩書きの王位継承における影響力は大きく下がるだろう。

だが、現王が壮健であり、ヴェンツェルしか確実な継承者が見えない現状ではまだ、エーダリアの子供にも政治的な利用価値が見出されかねない。


また、第一王子派の正妃達がヴェンツェルの即位までは他の王子達よりも足元の盤石なウィームの動向をより注視しているのは間違いないので、その間、ウィームは、決して野心と捉えられかねない動きは取れない期間とも言えよう。


エーダリアにはネアとの婚約もあったが、それが一時的な物なのは言うまでもない。

本来であれば、優秀な歌乞いであればある程、数年で死んでしまうのは間違いないので、その間だけの婚約であることは誰の目にも明白であった。



(なので、そのような便宜上の婚約ではなく、本当にエーダリア様が思いを寄せる方を娶られるのであれば、……………ああ、でもその前に、幼い頃に手のひらに落ちてこなかった安堵や喜びを、この方なりに取り戻してからということなのかしら……………)



戻ってきたノアを交え、ヒルド達と何かを話して安心しきったように微笑んでいるエーダリアを見ていると、不意にネアは、そんな事を考えてしまった。


ヒルドが話していた、ノアの心が落ち着くまでの時間は、エーダリアにとっても同等のものなのかもしれない。


今のエーダリアに必要なのは伴侶ではなく、幼少期から青年期までの、家族や信頼の置ける仲間と過ごす伸びやかな時間こそなのかもしれないではないか。




「ふむ」

「ネアが浮気する………」

「ふふ。私の家族は仲良しだなぁと考えて、じっくり見てしまいました。私は既に伴侶を得た大人の女性なので、時として、慈愛に満ちた心で家族を愛でたくもなるのですよ」

「そうなのかい………?」

「……………可動域では、永遠の子供なのだがな」

「あら、エーダリア様は、何か仰いました?紅茶に、お砂糖を入れて差し上げましょうか?」

「や、やめろ。お前がそれをやると、飲み物ではなくなるではないか!」

「浮気……………」

「むぅ。仕方がありませんねぇ。ディノは、甘くし過ぎるのは嫌いなので、お砂糖はちょっとだけですよ?」



伴侶に紅茶の中にお砂糖を入れて貰い、目元を染めて頷いたディノは、無事に朝食を食べ終えてくれていたようだ。


幸せそうに、ネアの愛情たっぷりの手料理があったと報告してきたので、薔薇の形に絞り出したムースクリームは良い仕事をしたらしい。



「……………グラストだって渡さないんだ」

「ほわ、ゼノのお顔が……………」


しかし、薔薇の祝祭の朝食の席には、もう一人、大事な契約の人間を死守すると誓った魔物がいたようだ。


きれいにぱかりと割ったスコーンに薔薇ジャムを塗りながら、全てを滅ぼす災厄の目をしたゼノーシュが、暗い声でそう呟いている。


美味しい薔薇ジャムとクロテッドクリームでも鎮められないとなると、なかなかの怨嗟とも言えよう。



「ほら、グラストのところは、内々に薔薇の祝祭のお誘いが来ちゃっていたみたいだからね………」

「むぅ。エーダリア様と違い、グラストさんには、お誘いのお手紙を直接送れてしまうのですね………」

「とは言え、グラストは歌乞いなのだ。なぜ、そのようなことをしようと思えたのかが、正直分からない……………」



途方に暮れたようにそう言うエーダリアの声には疲弊が滲んでいたので、そちらの問題でも頭を抱えていたりしたのだろう。


確かに、歌乞いの魔物が狭量なのは周知の事実である筈なので、歌乞いのグラストを誘い出すような手紙を送っただけでくしゃりとやられても不思議はないくらいなのだ。


とは言え、煩わしいのでと単純にザルツ貴族達を切り捨てるという訳にもいかず、領主であるエーダリアの周囲の者達がその立場故に動きが鈍るのも致し方ない。


どうしたものかなと首を傾げていると、ディノがぽそりと口を開いた。



「アルテアに、統括の魔物として忠告させておけばいいのではないかい?彼も、この場所への浸食は好まないだろうし、統括の魔物としての働きかけであれば、ザルツにも大きな枷となるだろう。何か、彼と交渉を持てるような材料があるだろうか」

「……………そっか。アルテアに頼めばいいんだね。グラストはウィームの騎士だからどうしても強く出られないんだけど、アルテアは人間との間に契約を持っていないってことになってるから、言うことをきいてくれるかな。僕、氷河のお酒の樽を持ってるから、話してみる!」

「ひょ、氷河のお酒……………」

「うん。ネアの大好きなお酒だから、きっと大丈夫だよ」



ネアは、思いがけない近さにお気に入りのお酒の大量所持者がいたことに愕然としたが、それが、使い魔経由でこちらに入ってくるかもしれないと思えば、吉報なのかもしれないぞと思い直した。


一瞬、カードからアルテアに氷河のお酒の素晴らしさを伝えておこうかとも思ったが、その流れの後にゼノーシュからの打診があると、とても仕掛けられた感があるので、ここは使い魔のご主人様愛を信じて待つこととしよう。



(良かった。雪は降りそうにもないから一安心かな…………)



今年の薔薇の祝祭は、快晴とはいかなかったものの、薄い雲間から青空も見えるような天気であった。


まだ、この季節の雲の色なので、雪雲かもしれぬというくらいだが、さりとて今日は降るまいというくらいの雲である。

これなら、街中に振り撒く薔薇の花びらが降ってきた雪で覆われてしまうこともないので、人々は、美しい薔薇の絨毯を踏み締め、薔薇の祝祭の魔術を高めてゆくことが出来る。



ダンスや儀式行列もそうだが、魔術の場は、大勢の人々がその作法の上を行き交い踏み固める事で成就するものだ。


だからこそ、扉や橋は重要な意味を持ち、人々が多く行き交う道や道の周辺には要所が設けられる。

花びらで魔術の道を作り、その上に祝祭を祝う人々を歩かせて祝祭を潤沢にする手法は、ウィームの土地の魔術が常に安定しているからこそでもあるが、そんな祝祭のお盆の上では、幸せな恋人達も悲恋の積み残しの者達も、その全てが魔術の糧になる。



(……………そうか。積み残しというあまりにも露骨な名称は、それが、魔術の儀式の上での材料でもあるからなのかもしれない)



それは例えば、料理のレシピに記される、材料のように。



「……………むぐ」


しかしネアは、そんな事を考えながらも、今はもう積み残される側ではないことに安堵して、ほかほかと湯気を立てる美味しいスコーンを頬張ってしまう冷淡な人間であった。

ぱかりとスコーンを割ってから、今回は綺麗に真ん中で割れなかったことにぎりりと眉を寄せはしても、この先はもう、どのようなクロテッドクリームと薔薇ジャムの配分で進めるかという悩みしかない。


せいぜいが、あの配達人の青年が無事に保護されたと聞いて微かに安堵するくらいの、とても身勝手な人間なのである。


配達人の青年は、想い人の幸せな姿が見えてしまうウィーム中央にいるのが悲しくなり、衝動的に、列車でブナの森駅まで行ってしまっていたそうだ。

あまりにも落胆しているそうなので、ひと月程休暇を貰ってこちらを離れることが決まっており、その後相談の上で、今後の身の振り方を決めてゆくらしい。


ダリルが、ちょっと意地悪な顔をして、バンルの手袋店に転職すればいいのにと話していたのだとか。



「可愛い。沢山動いてる……………」

「ふぁぐ!…………このクリームたっぷりで作られたふかりとしたスコーンが、私は大好きなのです。さくさくとした硬めのスコーンもある中、リーエンベルクのスコーンがこのレシピであることに、感謝しかありません」

「…………ウィームではな、あまり硬めのスコーンは好まれないのだ」

「む。そうなのですか?」

「ああ。スコーンも、薔薇の祝祭といえばの菓子でよく食べられるからな。もし、食べ残された祟りスコーンが派生し、クッキー祭りのような祝祭が設けられた場合、……………せめてスコーンはこのくらいの硬さがいいのだろう」

「思っていたよりも、生死に関わる切実な理由でした……………」

「わーお。そんな理由なんだ……………」


まさかそんな理由でこちらのレシピが好まれたとは知らず、ネアは、きりりと背筋を伸ばし神妙な面持ちで頷く。

勿論、目の前のスコーンは残さない善良な人間なので、スコーンの祝福を受け、生涯スコーンに困らないようになってもいいくらいなのだが、カッサーノのように呪いに転じる祝福となっても怖いので、このままでいいだろう。


「むむ。初めましての薔薇ジャムがあります!」

「ええ、こちらは薔薇と苺シュプリのジャムなのだそうですよ。薔薇のスコーンを食べる際に、最も相性のいい味をと考案されたものですが、今年はまだ試作品なのだとか」

「美味しそうでしかありません!い、挑みますね……………」


ネアが目を留めたのは、可愛らしい薔薇色のジャムであった。

紅薔薇を使っても、薔薇ジャムはどうしても出来上がると琥珀色寄りになってしまうので、ここまで鮮やかな色になるのはなぜだろうと思っていたのだが、苺が入っているからであったらしい。


一口大の薔薇のスコーンは、生地に薔薇を練り込みふんわりと薔薇の香りのする祝祭限定のスコーンだ。

ネアなどはそんな薔薇の香りも美味しくいただいてしまうのだが、男性となると、あまり薔薇推しをされるとちょっと苦手になる者も多く、今回のように苺も入ったジャムを合わせた方が食べ易いかもしれない。



「ネア?」

「……………ご、ごろごろ苺です!シュプリの香りがあるので、甘ったるいというよりは大人の味わいで、尚且つ、果物感たっぷりのごろごろ苺が入っているので、食べるジャムという感じなのですよ!」


新しいジャムをいただいた伴侶がかっと目を見開いたので、ディノは心配になったのだろう。

不安そうに顔を覗き込まれたが、伴侶は美味しさに打ち震えていただけだったのでほっとしたようだ。



(ああ、薔薇のジャムが沢山あって楽しいな……………)



引き続き楽しめる、真夜中の溜め息のジャムに、ウィームでは家庭の味となる甘さの強めの琥珀色の薔薇ジャム。

赤みがかった琥珀色のジャムはお酒のような独特の風味があるが、酸味が前面に出るシュプリと苺の新作ジャムよりもぐっと深くまろやかな大人の味わいだ。


ネアとしても、もはや例え方がよく分からないが、味わい的に前者が真夜中のジャムであれば、後者は夜明けのジャムといったところだろうか。


因みに、クロテッドクリームは全てのスコーンに与えられるべき、大事な相棒である。

どれだけジャムやスコーンが美味しくとも、やはりこれなくしては完成しないのがスコーンなのだ。



「うむ。私の推理に間違いはありません!」

「可愛い、沢山食べてる……………」

「ありゃ、何か推理しているぞ……………」


ここでネアは、ゼノーシュがそわそわぴょこんとこちらを見た事に気付き、あまりの愛くるしさに胸が張り裂けそうになってしまった。


しかし、伝えんとしたメッセージはしっかりと受け取ったので、さてそろそろ薔薇の受け渡しかなと、四個目のスコーンの残りをお口に入れてしまう。



「……………では、今年も私からだな」


そう微笑んだエーダリアが取り出した薔薇は、ローゼンガルテンで育てられているお馴染みのころんとした白薔薇と、ぎっしりと花びらを詰め込んだカップ咲きの見事な白薔薇であった。


ローゼンガルテンで育てられている小さく可憐な白薔薇は、ぽひゅんとした丸っこい花をつける品種で、リーエンベルクから株分けされたものである。

リーエンベルクで咲く同種の薔薇が冴え冴えとした白薔薇であるのに対し、ローゼンガルテン産のものは僅かに水色がかった白となるのが、それぞれの見分け方だ。


エーダリアは、その薔薇を今年は蕾で揃え、もう一種の白薔薇の方を、咲いたもので合わせたようだ。

こちらも見事な白薔薇だが、白を最高位とするこの世界に於いてあんまりな評価かもしれないが、少しひっそりとした美しさという感じもした。


「おや、その薔薇が間に合いましたか」

「ああ。あまり観賞用の薔薇としては注目を浴びることのない、階位の低い白薔薇なのだが、この通り大輪の美しい花を咲かせるものなのだ。日々、領民達の暮らしを助ける働き者の薔薇でもある」

「働き者の薔薇さん……………」


まずはグラストに渡され、次に受け取るのはネアだ。

受け取った薔薇にむふんと微笑みを深めたネアに、エーダリアが働き者の白薔薇の説明をしてくれる。


「これは、薬薔薇と呼ばれる、階位に紐付かない白を持つ薔薇でな。茎には細く鋭い棘が多いのだが、花びらも花蜜も、葉や実の全てまでが薬になる。熱冷ましや鎮痛剤など、魔術薬の中では一般的なものばかりだ」

「まぁ。だからこそ、働き者の薔薇さんなのですね」

「薬にされてしまうので、観賞用としてはあまり出回らないのだが、一度このような形で扱ってみたかった。棘をどうするのかが問題だったのだが、ヒルドの協力で棘のない株を育てることが出来てな」

「むむ。となると、この薔薇は、ヒルドさんとエーダリア様で品種改良したのですか?」

「ああ。お前もヒルドとやっていただろう。ヒルドがいれば、そのような知恵が借りられるのだと思い、私も頼んでみたのだが、何とか間に合ってくれた」


棘をなくした働き者の薔薇は、薬効などは成分が弱まってしまうらしい。

だがエーダリアは、折角こんなに美しい花が咲くのだから、それを愛でられる側に回ることがあってもいいだろうと言って嬉しそうに渡してくれるではないか。

ネアは、このエピソードはそちらの会に高値で売れるのではないかなと思ったが、ネアが情報を持ち込まずとも、騎士達あたりから伝わるだろう。



「……………ありゃ。これ、僕の系譜の薔薇だ。まだ残っていたのは意外だなぁ………」

「そうなのか……………?!」

「うん。薬薔薇は他に三種あるんだけど、この薔薇は魔術と命の系譜だからね。……………」


同じように薔薇を貰ったノアがそう言えば、思わぬ事実の発覚にエーダリアが目を瞠っている。

ヒルドも驚いているので、知らなかったようだ。


「おや、確かにそうだね。……………君が薔薇を渡したのは、ウィームだったのかな」

「……………もう、どこで授けたか忘れちゃったなぁ。たっぷりの薬の魔術を宿らせたのに、薔薇だけ持ち帰って僕を置いていったから、棘だらけにしたんだ」

「す、すまない。そのような理由があったのだな。棘を排除してしまった……………」

「というより、エーダリアとヒルドだから、棘のない薔薇が咲いたんだろうね。君達はさ、……………あの村人たちとは違って、僕をちゃんと傍に置いてくれる家族だから、僕が呪いとして授けた棘をなくせたんだと思うよ。……………うん」

「あら、ノアはまた泣いてしまうのです?」

「……………え、家族って、こんなに泣かしてくるものなのかな」


じわりと涙目になってしまったノアに、エーダリアは胸を撫で下ろしたようだ。

ヒルドもやれやれと微笑み、ぐしゅぐしゅしているノアの肩をぽんと叩いてる。


「こういうの、虐待っていうんだと思う……………」

「わ、私だって負けないのですよ!きっと、棘のない薔薇を育ててみせるのです!」

「魔術的な改良は難しいのではないかな……………」

「ぎゅわ……………」



虐待されて弱ってしまったノアが長椅子の方に避難してめそめそしていると、今度はグラストからの薔薇が渡される。


「ネア殿、今年も宜しくお願いします」

「はい。こちらこそ、宜しくお願いします。……………は、この薔薇は!!」


今年はグラストの色ともいえる淡い琥珀色を思わせる、色味の落ち着いたアプリコット色の薔薇と、ゼノーシュを思わせる水色の薔薇が組み合わせてあった。

綺麗だなと目を付けていた薔薇だったので、ネアは慌てて伴侶に報告してしまう。


「ディノ、私が、いつか小粋に使いこなしてみせると思っていたアプリコット色の薔薇が、こんなに素敵な装いでやってきました…………!」

「うん。君が見ていた薔薇の一つだね」

「今年もね、僕とグラストの色なんだよ。同じ品種の色違いなんだって」

「まぁ。では、今年の薔薇は、ゼノとグラストさんがとびきり仲良しだという薔薇なのですね?」

「うん!」

「ふふ。お二人が仲良しなお陰で、また一つ、私の憧れの薔薇が届いてしまいました。グラストさん、ゼノ、有難うございます」



ネアがそう微笑めば、ゼノーシュは、嬉しそうにグラストを見上げて目を輝かせる。

毎年こちらの二人からの薔薇は、幸せそうなクッキーモンスターを拝見出来るという素晴らしいおまけがついてくるので、とても満ち足りた人間は、個包装のクッキーをゼノーシュに献上しておいた。



(それに、この薔薇を貰えたことも勿論だけれど……………)


グラストが、今年も宜しくお願いしますという挨拶を選んでくれたことが、ネアは何よりも嬉しかった。

無意識の変化かもしれないのでひっそり胸に収めておくが、いっそうに仲間の輪にしっかり組み込まれたようで、これからもずっと仲間だと言って貰えたような贅沢さではないか。


ネアより先に薔薇を受け取ったエーダリアには、グラストの選んだ薔薇に別の感慨があるものか、お前が大事なものを得られて良かったと言われたグラストが僅かに声を詰まらせる場面もあった。



「グラストは、もう大丈夫なんだよ。だって、僕がずっと一緒にいるから」

「……………ああ。…………そうだな」

「だから、ザルツから来た人間が近付いてきたら、僕に教えてね。グラストは、絶対に渡さないんだ……………」



(とは言え、そこそこ若返ったグラストさんは、まだまだ男ざかりという感じがするけれど、ご本人的にそれはいいのだろうか……………)


ネアには少しだけそんな懸念があったが、愛くるしいの極みである見聞の魔物を抱き上げて、完全に溺愛の目をしてしまっているリーエンベルクの筆頭騎士にとっては、今は、腕の中で誇らしげに微笑んだ可愛い魔物こそが全てなのだろう。

ネアやエーダリアよりも、自分より先に喪われないものを求めるという意味では、妻子を亡くしたグラストの抱える願いこそが切実だったのかもしれなかった。



「では、次は私からの薔薇を」


次に薔薇を渡してくれたのは、しっとりとした天鵞絨のような手触りの花びらを持つ薔薇を用意してくれたヒルドであった。


今年は深紅にも見えるが、光の角度では艶やかなローズピンクにも見える素晴らしい薔薇で、はっと息を呑んだネアは、早く受け取りたくてそわそわしてしまったくらいだ。


「宝石の系譜の薔薇なのだな……………。まさか、」

「ええ。今年はエーダリア様もご自身で育てた薔薇を選ばれましたので、私もそのようにさせていただきました。昨年の薔薇の祝祭の魔術を借り、薔薇の祝祭の祝福から芽吹かせた薔薇です」

「……………ありゃ。祝祭の固有種を作っちゃったぞ……………」


これにはノアも驚いたようで、もそもそと長椅子の上から戻ってくると、そんな薔薇を自分も貰ってしまって、もう一度ぴゃっとなってしまう。

エーダリアが、祝祭の固有種という言葉に目をきらきらにしてしまったのに対し、ノアは、愛情を司る祝祭の薔薇を貰えたことに感動してしまったようだ。



「ご主人様……………」

「まぁ。ディノにもヒルドさんの薔薇が!ふふ。これで私とお揃いですね。この素敵な薔薇は、どこに飾りましょうか」

「雪陶器の花瓶以外のところかな……………」

「あらあら、あの花瓶はディノから貰う薔薇専用なので、荒ぶってはいけませんよ?」

「うん……………」


また今年も不安になってしまったのかなと思ったが、目元を染めてもじもじしているので、雪陶器の花瓶の使用先確認作業だったらしい。


ネアはヒルドから貰った薔薇に顔を寄せ、ふくよかで馨しい薔薇の香りにうっとりとした。

エーダリアやグラストが清しい香りのものを選びがちなのに対し、ヒルドの薔薇は毎年ふくよかな薔薇らしい香りがするので、それも楽しみだったのだ。



「ヒルドさん、こんなに素敵な薔薇を有難うございます。薔薇の祝祭の薔薇を貰ったのは初めてなので、今日はいっぱいくんくんしてしまいますね」

「他の薔薇との相性が分かりませんでしたので、同じ品種で蕾を添えることになってしまいましたが、喜んでいただけて何よりです」


にっこり微笑んだヒルドの美しさに、ネアは、妖精の王様から祝祭の薔薇を貰ったのだと、あらためて喜びを噛み締めてしまう。


魔法のない四角い世界でお伽話に憧れた小さな子供の記憶がある限り、はっとする程に美しい妖精から薔薇を貰ってご機嫌にならない筈がない。

どこか無防備にヒルドからの薔薇を持ったまま固まっているディノにも、何だかにこにこしてしまった。



「では、私の薔薇をお渡ししますね」


ネアは、ディノに持って来て貰っていた籠からそれぞれの薔薇を取り出した。

今年の薔薇は、生花というよりも宝飾品のような佇まいなので、どちらかといえばヒルド寄りの薔薇だ。

しっとりした菫色の花びらはこの会食堂の中だと白がかって見えるが、それで色合いがぼやけて見えるということもない。


その薔薇に合わせたのは、僅かにピンクがかった同じ色相の薔薇で、主となる一輪の印象が強いので、二輪での組み合わせの今回は、他の個性を加えてちぐはぐな組み合わせにならないようにした。



「おや、これは美しいですね。新種か新色の薔薇でしょうか。香りもいい」

「新色なのだそうです。お花の最後に花芯の黄色が加わると、いっそうに雰囲気が出るので楽しみにしていて下さいね」

「ネア殿、有難うございます。目を引く美しい薔薇ですね」

「あ、ここ、僕の色があるよ!」

「ああ。ゼノーシュの色もあるな」

「同じように女性らしい色彩だが、昨年の薔薇とは雰囲気ががらりと変わるのだな。どれだけの品種があるのかをあらためて感じさせられる。有難う」


それぞれにお礼を言って貰い、次に渡すのは、花束だと最後になってしまうディノである。

目をきらきらさせてこちらを見ている魔物には、三輪のちび花束にした薔薇をそっと手渡した。


「……………くれるのだね」

「ふふ。昨年から、二段階運用に入りましたからね。大事な魔物には、朝から薔薇の祝祭を楽しんでいて欲しいので、この花束を貰ってくれますか?」

「ずるい……………」

「二個なのは、ディノだけなので…………、むぅ。逃げました」


そんな事を言われてしまった魔物が、ぴゃっと窓際の長椅子の方へ逃げていってしまい、ネアは、であればこの隙にスコーンはもう一個食べられる筈だと、テーブルの上を一瞥した。

既にスコーンに戻っているゼノーシュは、幸せそうにクロテッドクリームを塗っているではないか。



「ふむ……………」

「ま、待て。お前は次で五個目なのだからな……………?」

「薔薇のスコーンは一口大ですので、正確には二個ちょっとなのですよ?」

「エーダリア様、ご婦人の食事に口を挟むのは、無粋というものですよ」

「だが、大丈夫なのか……………?」



沢山虐待されたらしい魔物達が長椅子に並んで座って仲良く震えているので、ネアは、よいしょと席に座り直してまだほかほかのスコーンを手に取る。

貰った薔薇の事を考えながら食べるスコーンは、とびきり美味しいので致し方あるまい。










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