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桃のタルトと医師会の教本




その日、ネアが午前中の薬作りを終えてエーダリアの執務室に向かうと、くしゃくしゃになったウィーム領主が机に突っ伏していた。



何があったのだろうと首を傾げていると、香草茶を淹れて戻って来たヒルドが、アルバンの西部にあるトウフェムで行われる、人形飾りの祝祭というネアにとってはなかなかの禁句を出してきた。


香草茶の爽やかな香りに、エーダリアがそっと体を起こす。



「ああ、トウフェムの桃でな、……………事件が起こったのだ」

「ぐるる……………」

「その祝祭で起きた騒ぎという訳ではないのですが、ネア様もご存知のあの桃を使って、問題を起こした者がいたようでして」

「むぅ。大人達がちびころにされ、全力で人形遊びをするというだけでも充分な騒ぎとも言えるのですが、他に何が引き起こされてしまったのでしょう」

「……………小さな子供が好きな、流しの妖精がいたのだ」

「その前置きからして、たいへん危険な事件の予感がします………」



ヒルドの説明によると、事件を起こしたのは一人の妖精だったのだという。



トウフェムで行われる人形飾りの祝祭を知ったその妖精は、桃の精霊の了承を得た上で、人間の大人を一定時間だけ幼児化させる恐ろしい桃を譲り受けたらしい。


桃の精霊達がなぜにそんな恐ろしいものを簡単に外部に流出させるのかと思わないでもなかったが、子供達が捥いで持って来てしまえるくらいなので、管理は左程厳しくないのだろう。



「その妖精は、持ち帰った桃で菓子を作り、目を付けている人間に食べさせようとしていたのだが……………」



話を引き取ってそう説明してくれたのは、お茶を飲んで少しだけ元気が出たらしいエーダリアだ。

執務室の机に突っ伏していたので、髪の毛が僅かに乱れている。


そんな髪の毛を自然に手櫛で直してしまうヒルドに、こちらを見たエーダリアが目元を染めたので、ネアは、もっとやられてしまうがよいとにんまりと微笑んでおいた。



「色々な意味でやってはならない行為ですが、その標的にされた方も、見ず知らずの妖精さんからの贈り物は、そう簡単に食べないのではないでしょうか?」

「頭のいい妖精でして、違法併設空間を使って菓子店があるように見せかけ、狙っていた人間達が疑念を抱く事なく桃を口にするように仕向けたようです」

「まぁ。なかなかに狡猾なのですね……………。………達?」

「ああ。刺繍工房の職人達を狙ったのだ」

「どういうことなのだ……………」



その妖精は、とある刺繍工房の制服が、とてもお気に入りであったらしい。

刺繍の入った白い丸襟に、くすんだ水色のワンピース型の制服に、黒いベロア地に刺繍の入った色鮮やかな布の柔らかな靴を履くのが、職人達の装いであった。


そんなお気に入りの制服姿の職人達がいっせいにちびころになったら、さぞかし愛くるしいだろうと考えて犯行に及んだようで、大事な職人達にそんな罠を仕掛けられた刺繍工房が、とんでもない大騒ぎになってしまったのだ。



幸いというか、不運にもというべきか、桃のお菓子を食べてしまったのは職人の内の三分の二ほどだったのだが、残りの者達は、ちびころ化を逃れた代わりに、刺繍どころではなくなった同僚の分の業務が集中するという悲惨な目に遭ったらしい。


また、刺繍などの嗜好品を作る職人は妖精に人気があり、共に仕事をする相棒がいるのが殆どなので、その妖精達が問題となった妖精をばらばらにしてくれると荒れ狂う事件に発展したという。



「エーダリア様は、主に、そちらの妖精達の対応に追われまして……………」

「犯人は、どうなってしまったのですか?」

「流しの妖精だったようなのだ。………目的を達し、幼い子供になった職人達を抱き上げてあやした後で、すっかり満足して旅に出たそうだ……………」

「もはやそれは、襲撃の一種なのでは……」



今回、エーダリアが疲弊しきっているのは、そんな流しの妖精に復讐に出た者達が、てんでばらばらに動いたからでもあった。


何しろ、職人達の相棒だった妖精は、人間とは違う価値観や心を持つ生き物なので、一度に並んで復讐に出るようにと宥める事は出来ない。


ある者はぎゃん泣きで荒れ狂い、ある者は静かに犯人を狩りに出かけ、ある者は、大事な相棒の為の魔術洗浄の薬を求めて近くにあった騎士団に突撃する。


おまけに、そんな妖精達が刺繍工房の被害者の数の十八名分いると聞けば、どれだけ凄惨な現場だったのかの想像は難くないだろう。


現場に出た騎士達も泣きたかっただろうが、その指揮を取ったエーダリアも泣きたくて当たり前なのだ。



だが、ここで一つの疑問が生まれる。



「……………どうして、エーダリア様は、ちびころになってしまったのでしょう?」

「……………聞かないでくれ」

「むぅ。黙秘権を行使されました」

「簡単な事故ですよ。騎士達が証拠品として持ち帰った桃のタルトを、よく見ずに食べてしまわれたようです」

「……………まぁ」



静かな声で説明したヒルドに、エーダリアはもう一度机に突っ伏してしまう。


美味しそうなタルトがまさか証拠品だとは思わず、今日はこんなお茶菓子なのだなと疑いもせずに食べてしまったウィーム領主は、隣にいた契約の魔物が異変に気付き、慌てて諸々の展開魔術の維持を行わなければ、ダリルに絞られるどころでは済まない騒ぎを引き起こすところであったという。


今もその対応に追われているノアは、ディノと一緒にエーダリアの展開していた魔術領域に問題がないのかを確認しに行ってくれている。

なのでネアは、この部屋に預けられているのだ。



「なお、アルテアさんからカードに、今日は勝手に何も食べるなという無茶なメッセージが届きました。さすがの私も、この話を聞いておいて桃は食べないのですよ」

「お前がこうなったのであれば、大きな問題にはならなかったのだが……………」

「さりげなく私を生贄にしようとするのはやめるのだ……」



ゆっくりと顔を上げると、またしても銀色の髪がくしゃりとなった。

そんなエーダリアに、ヒルドは迂闊さが招いた事故を叱りたいのだが、どうしても可愛さに負けてお世話してしまうという悪循環に陥っているらしい。


甲斐甲斐しく世話を焼いてしまってから、ふっと艶やかな瑠璃色の瞳を揺らし、確認を怠ったことを叱ったりもしているのだが、羽に宿る淡い煌めきのせいでとても幸せそうに見える。


当然だが、エーダリアの執務机は成人男性用のものなので、ちびころが使うには色々と工夫が必要だ。

机に突っ伏すと髪の毛が乱れてしまうのは、机の上に乗り上げるようになってしまうからだろう。


また、椅子の高さを調整する為に、たっぷりのクッションを敷いている。



「もし、まだ解決していないことや、終わっていない仕事があるのなら、ここでという形になってしまいますが、お手伝いしましょうか?」

「いや、そちらについては大丈夫だ。やっと終わったという気の緩みで、タルトを食べてしまったのだからな………」

「むぅ。ご自身で説明してご自身で落ち込みました………」



ここでネアは、気になった事を頭の中で並べ直し、エーダリアに尋ねてみた。



「犯人は、捕縛されたのですか?」

「……………いや。今回は階位の上で街の騎士達には難しいと判断し、グラストとゼノーシュに任せてある」

「ふむ。探索には、ゼノがいれば頼もしいですよね。グラストさんが、がっしり捕まえてくれそうです。もし、野放しになった上にまだ桃を持っていたりした場合は、次なる惨事が起きてしまうかもですから」

「……………やめてくれ」 



ちびこい手で頭を抱えたエーダリアに、ネアは、くすりと微笑む。


ヒルド程ではないが、ちびころな上司の愛くるしさは、ネアだって愛でられるのだ。

膝の上に抱っこして絵本でも読んであげたいところだが、それはヒルドの楽しみなので控えておこう。



「……………むぐ」

「ネア………?」

「いえ。証拠品は食べませんが、桃のタルトは素敵だなと思ったので、アルテアさんのカードに次なる注文として桃のタルトの絵を描くことにしました」

「そ、そうか。…………あまり無理をさせてやるなよ。確か、月ごとに予定を立てていたのではなかったのか?」

「手帳にみっしり書いてありましたものね。ですが、二個ある分には困らないので……」

「………どちらも食べるつもりだったのか」



そう言えばと、ネアは、エーダリアの執務室の飾り棚の上の花瓶に目をやる。

生けてある小枝には細やかな花が咲き、聞けば、桃の花なのだそうだ。


今回の事件で反省した桃の精霊達が、自分達の城にある桃の木の花枝を沢山分けてくれたのだ。

収穫と結実の祝福があるので、このようなものを貰えるのはいいのだが、ネアは少しだけ気になることがある。



「………いつも思うのですが、植物の系譜の方々は、自分の司る植物を手折ってしまうのは、気にならないのでしょうか」

「おや、こちらの桃の花枝ですか?」

「ええ。立派な花は何となくですがその植物の渾身の一輪という感じがしますし、このお花に至っては、枝ごとこちらに来てしまっています……………」

「植物の系譜の妖精や精霊の場合は、派生した植物と本体は共有しておりません。鑑賞や収穫に向いたものである場合は、そのような役目を果たした方が階位としては安定するようですよ。……………そうですね、桃の精霊達は、桃の庭園や桃の果樹園の管理者のようなものだと言えば、想像しやすいでしょうか」

「むむ!その表現だと、一気に、自分の体を削ぎ落すような怖い印象がなくなりました……………」

「……………お前は、そんな風に考えてしまっていたのか」

「そうなりますと、ネア様は元々こちらで生まれた方ではないのですから、配慮や教育が足りていないということになりますが?」

「そ、そうだな………」



師の顔になってしまったヒルドにちくりとやられ、エーダリアが視線を彷徨わせている。

そう言えば、以前はこんな風に目を逸らしてしまうことが多かったなと思い、ネアは遠い目をした。



「昔のエーダリア様は、何か困った事があると遠くを熱心に見ておいででした」

「……………ネア?!」

「ですが、ディノが初めて怪我をしたとき…………これは、ディノがわざと治さなかったことに私が気付けていなかったのですが、……………その時にはすぐに駆け付けてくれましたし、真夜中に私の相談に乗ってくれたりもしたのですよ」

「おや、そのような事があったのですか?」



目を瞠ったヒルドに、ネアはこくりと頷く。


今となってみれば、しょうもないことで大騒ぎしてしまったのだが、あの頃にネアにとっては、誰かに頼れるということが得難い恩寵だったのだろう。

相談に行くという行為そのものに、少しはしゃいでいた部分もあったのだ。



「ディノが、封筒に私の抜け毛を集めていたのです。これはもう呪いの儀式に違いないと思い、エーダリア様に相談しに行ってしまいました。あの時のことは、それから何度かディノと話し合った結果、髪の毛も私の体の一部だと考えていたようなので、何よりも、私が少しずつ減ってゆくようで怖くて仕方がなかったようだと判明しました。あの頃のディノには、上手に説明出来なかったのかもしれませんね」

「人間と我々の、剥離物や廃棄物の扱いは少しずつ違っておりますからね」

「魔物さんにはあまり抜け毛という概念はないようですが、妖精さんはどうなのですか?」

「我々もあまりないですね。魔術を通す人間にとって、肉体の中でも抜け落ちたり剥がれ落ちたりする部位は、入れ物の循環という認識になります。植物の系譜の者達の落葉に近いのでしょう。ですが、我々にとっては、不要になれば切り捨てることが可能ではあるが、自身の魔術の一部として、体に戻す事が出来る部位という認識ですから」



分かりやすいヒルドの説明に、ネアは、ふんふんと頷いた。


ちびエーダリアがこくりと頷くと、真剣な表情のせいか、頬っぺたをぎゅっとしたくなるのだが、ここは堪えて話に集中しよう。



(そうか。だから、妖精さんが落とした羽は、きらきらと細かな光の粒子になって消えてしまったりするのだわ……………)



しかしそれは、自然な剥離や本人の意思によるものの場合である。



「奪われるという行為に対しては、どの種族も慎重でしょう。循環の中での剥離でありながら、その後も管理が必要となるのは、竜種ですね」

「ああ。彼等は、鱗や爪、牙や角などに大きな魔術を宿すからな。よって、高位の竜達は、自分の承認を受けたものにしか魔術を宿さないよう、予め身を守る為の術式を持っている事が多い。そうしなければ、剥離させた鱗一枚にも、大きな魔術が宿る事になる」

「ふむふむ。なので、奪われた鱗と、生え変わった……………生え変わった?鱗は違うのですね…………」

「そのようなものだろう。移ったり与えたりした段階から、意図的に祝福や災いなどを付与しなければ効果をなさなくなる組織もあるが……………いや、……………これは気にしないでいい」

「ものすごく気になる言い方です………」



ネアが、それは何だろうとぐいっと距離を詰めると、なぜかエーダリアは、真っ赤になって顔を覆ってしまった。

しかし、ちびころ姿なので可愛さしかない。



「……………すまない。今のは私の配慮不足だ。お前にこのような形で伝えるものではなかった」

「エーダリア様が、……………その、言い難いようなものなのです?………む!お食事の席だとまずい話題とか、そのような形でしょうか」



ネアは、胃の中のものの循環について思いを巡らせていたのだが、なんとも言えない表情で顔を見合わせたエーダリアとヒルドの様子を見ていると、どうも違うものらしい。


確かに、摂取したものを魔術要素としてじゅんわり溶かして体に受け入れる方式の人外者達は、あまりその手の心配をしたことはなさそうだ。


とは言え人間もそのような剥離物は気にせずとも構わないので、こちらも、不要なものとして体から離れた段階で、持ち主から離れて効果を失くすものの一つと考えていい。



(不用なものという認識にあたると、魔術的な繋がりはなくなってしまうのだろう)



鼻をかんだティッシュだって容赦なく捨てていいのだから、そのような意味では少し安心出来る。


だが、血や涙については、多くの魔術が宿るという人外者の血や涙に向けた認識の魔術が世界に浸透しているせいで、人間であっても容易に落とせなくなっている。

そう在るべきものとされた世界認識が効果を定めた例だが、定まってしまった以上は、今後も扱いには注意せねばならない。


だがこちらも、不用意な一滴は問題になるが、わんわん泣いた時に使ったハンカチは問題なく洗えてしまうし、怪我などの際に使った包帯やガーゼは、その辺りに放置せずに適切に廃棄すれば問題ない。


血や涙に自身の魔術を宿さない人間は、血や涙を奪う存在があってこそ、奪われるということが問題になるのだった。



ことんと机の上に置くカップの影に、そっと手のひらを当ててみる。

この机一つを取っても、様々な魔術効果を宿すものなのだと思えば、やはり不思議だという思いの方が大きい。



(でも、この世界なりの基準で、色々な事を考えてゆけるようになった気がする……………)



「そう言えば、医師会からの、新しい基準での改訂の入った子供用の教本の見本が届いていたな」

「ああ、それがありましたね。…………あの指導書に目を通していただくのが、一番かと」

「まぁ。そのようなものがあるのですね」

「……………確か、あちらの書棚に」




がたん、ぽすんと音がした。


ネアとヒルドは、ちびころになったエーダリアが苦労して椅子から下り、とてとてと書棚に向かう様子を思わず無言で見守ってしまう。


むちむちとした短い手足の無防備さは勿論だが、中身は年相応のエーダリアなので、その姿で領主然とした振舞いをするのがいいのだ。


ふかふかの絨毯に残る軽い子供の靴跡も可愛いので、ネアは、ヒルドはまだ生きているだろうかとそっと振り返った。



(……………ほわ)

 


幸いにも、口元を片手で覆ってはいたものの、ヒルドの眼差しは冷静だ。

しかし、羽がとても光っているので、これはもうしっかりとちびころを堪能しているに違いない。


何しろこちらの森と湖のシーは、ネアがちびころにされた時にも、容赦なくふりふりの子供のドレスを着せてきたくらいではないか。



「……………っ、すまない、ヒルド。この書棚なのだが」

「届きませんでしたか。では、お取りしましょう」

「……………ヒルド?!私を抱き上げずとも、お前が取ってくれればいいのだからな?!」

「おや、このようなことではなかったのですか?」



ネアが、家族のそんなやり取りを微笑ましく眺めていると、開いたままだったカードにぺかりと文字が光った。


おやっと覗き込んだネアは、椅子の上で小さく弾むと、立ち上がってエーダリア達のところへ向かう。



「エーダリア様、アルテアさんがこちらに来るそうです」


そう言えば、ヒルドに抱っこされたままお目当ての教本を手にしたエーダリアが、心配そうに眉を寄せる。


「……………アルテアは、忙しい魔物なのではないのか?」

「むぐ………」

「ノアベルトからも、高位の魔物の中でも、特別に忙しい魔物の一人だと聞いている。終焉の魔物とは違うだろうが、それでもやるべきことを多く持っている魔物なのだろう。あまり無理をさせないようにするのだぞ」

「……………ふぁい。今日は、桃のタルトを持って来てくれるようなので、今月はもうあまり負担をかけないようにしますね」



へにゃりと眉を下げたネアがそう言えば、もう隠さずに、エーダリアをしっかり抱き直してしまったヒルドが、子煩悩な父親のような姿で首を傾げる。

エーダリアは下ろして欲しいのだろうが、その主張は却下されたらしい。


「しかし、あの方々は、基本的に望まない事はしませんからね。特にアルテア様は、そのあたりの線引きはしっかりなされそうですが……………」

「だが、桃の絵を描いて送れば、作ってやらねばと思うかもしれないだろう。お前を気に入っていてこそであるし、使い魔でもあるのだからな」

「むむぐ……………」




かくしてネアは、リーエンベルクに到着し、ちびころエーダリアがノアの膝の上にいるのを見て呆れた顔をした選択の魔物に、今後の運用について申し出てみたのだった。



「アルテアさん、お忙しい中で負担をかけてしまったので、この桃のタルトを受け取った後暫くは、ケーキなどは自粛しますね」

「……………は?」

「も、勿論、作り置きのあるものは、受け取ります!それは私の物なので、絶対になのですよ。……………なぜにおでこに手を当てて熱を測る風なのだ……………」

「お前に、それ以外の理由があると思うか?」

「まぁ。私は、配慮の出来る淑女として、お年を召した使い魔さんには、ご自身の時間をたっぷり取ることが欠かせないのだと知っているだけなのですよ!……………むが!鼻を摘まむなど許すまじ!!」


すっと瞳を細めたアルテアに鼻を摘ままれたネアがじたばたすると、そんなご主人様に三つ編みを持たせているディノが、心配そうに首を傾げている。


「……アルテアには、好きなだけケーキを作らせてあげた方が、いいのではないかい?」

「むぅ。……………ご負担になりませんか?」

「君が頼んだ物とは別に、週に一度届くケーキやタルトもあるのだから、楽しいのではないかな」

「……………シルハーン」



しかし、そう言われたアルテアが暗い目をしていたので、ネアが、それは都合よく考え過ぎで、やはりちょっと負担に思っているのだろうと眉を下げると、こちらを見た選択の魔物が僅かに顔を顰める。


背後でどういう訳かエーダリアをヒルドに預け、背中を丸めて笑っているノアがいるが、なぜ突然笑い出したのかは謎のままだ。



「減らしまふ………」

「それで、お前は我慢出来るのか?」

「……………ぎゅむ。アルテアさんの仕事の邪魔になっても嫌ですし、パイであれば、ご近所にいいお店が出来たので我慢出来ると思います」

「ほお………」

「なぬ。なぜにご機嫌斜めなのだ………」

「いいか。これまで通りだ。その代わりお前は、余計なものを外で拾ってくるな」

「拾い食いはしません……………」

「そもそも、今だってお前の全部の注文なんぞ、聞き入れてはいないだろうが」


ふうっと溜め息を吐き、クラヴァットを緩める魔物は、今日はリーエンベルクにお泊りなのだろうか。


やはりこうなりましたねと苦笑しているヒルドが、お茶の準備を整えてくれ、エーダリアの為には、普段は銀狐が使っている子供用の椅子が設置された。



「桃のタルト様です!!」

「良かったね、ネア」

「はい。桃がぎゅむっと重なって乗っていて、美味しさがたっぷりなのですよ。タルトは、下の生地がもそもそすると苦手なのですが、アルテアさんのタルトはいつも一体型なので……………あぐ!」

「ったく。急な注文がいつでも通ると思うなよ。今回は、お前を野放しにしておくと、証拠品のタルトを食べかねないからだぞ」

「むぐ。…………私とはいえ、ちびころはとても警戒しているのですよ。立派な淑女があんなむちむちちびちびにされるのは、たいへんな屈辱なのです……………」

「おや、あのネア様も、たいへん可愛らしいお姿でしたが」

「……………ぐるる」

「私は、いつになったら元の姿に戻れるのだろうか……………」

「ええと、エーダリアがタルトを食べた時間的に、晩餐の前くらいの時間じゃないかな」



その時まで、会食堂の空気はいたって和やかなものであった。


アルテアが少しつんつんしていたが、タルトのお代わりを所望すると、やはり美味しく出来たものを誰かに食べて貰えるのは嬉しいのか、機嫌が持ち直したようだ。



しかし、そんな美味しく和やかな時間の最後に待っていたのは、とある妖精からの連絡であった。



「……………ヒルド、……………ダリルから、ギルドへの支援金の運用について、話を詰めたいという連絡が入った」

「……………よりにもよって、この時間にですか。今すぐにと?」

「ああ。…………別件の処理を急ぎ終わらせたので、時間が空いたらしい。本来なら午前中に行うべきものだったのだが、私が桃の事件にかかりきりになってしまい、日程をずらしていたのだが……………」

「であれば、そちらの事件の被害者対応が解決したことは知っているでしょう。断るのは難しいでしょうね」

「そうだな………」




ネアは、がくりと肩を落としたちびころのエーダリアが、ヒルドと共にしょんぼりと執務室に帰ってゆくのを、震え慄きながら見送った。


何の影響もない上でのちびころ化であればいいが、今回は、ディノやノアもあちこちの確認に出向いたりと、なかなかの大惨事だったので、見付かってしまえばその影響についても黙ってはいられなくなる。



「……………えーと、今夜の晩餐では、何かいい魔術書の話でもしようかな。アルテア、何か知らない?」

「さあな。お前がどうにかしろ」

「叱られてしまうのかな……………」

「無事に、一緒の晩餐がいただけるといいのですが……………」



テーブルの上には、こちらの部屋に移した満開の花を咲かせた桃の花枝の花瓶があった。

ウィームの春はまだまだ先だが、淡い色の花に心を和ませ、ネアは、運用が元通りであれば桃のタルトをもう一度発注してもいいのだろうかという、高尚な思索に戻ったのであった。




なお、エーダリアから借りた教本のあるページを読んでいたところ、アルテアに見付かってたいそう叱られた。


ネアとしては、教育と情緒は関係ないのだと、強く訴えていきたいところである。








繁忙期のため、明日3/4の更新はお休みとなります。

Twitterで、少しですがSSを書かせていただきますので、もし宜しければご覧下さい!

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