ほこりのお誕生日とつやつやグラス
「ピ!」
その日、リーエンベルクを訪れたのは、艶々美雛玉に成長した、星鳥のほこりである。
人型になれば当代の白夜の魔物すら篭絡してしまう美少年であるほこりは、こうしてリーエンベルクに戻って来る日はいつも、たっぷり甘える為に、ふかふか真ん丸の雛玉姿になっていた。
どすばすと弾む姿はどれだけ大きくなっても可愛いばかりで、ネアはつぶらな瞳で見上げる雛玉を丁寧に撫でてやった。
「可愛い可愛い、ほこりですね」
「ピィ」
誕生日のお祝いの開始前に、ネアはちくちくセーターのお話を二回してやったばかりだ。
撫でられて喜びにどすばす弾んだほこりが、部屋の向こう側まで転がる様を微笑ましく眺め、隣に立っていてくれたディノを見上げる。
「ほこりは可愛いですね」
「去年よりも転がってしまうのかい?」
「むむ。転がり距離を上げるとは、さすがのほこりです!」
「アルテアが止めるのかな………」
どれだけ大きくなっても、精霊王をおやつにしていても、この雛玉はネアの可愛い名付け子なのである。
転がる雛玉をがしっと靴裏で止めたのは、そんなほこりの後見人だ。
今日ばかりは、選択の魔物はほこりの為にリーエンベルクに来ている。
森に帰ると悪さをしてしまう魔物だが、こうして誕生日には必ず来てくれるのだから、後見人としての役割りは満更でもないのかもしれない。
例えば、おや悪い魔物が現れたぞというくらいに顔を顰めていてもだ。
「おい、もういいだろうが」
「ふふ。今日のほこりは、二回聞きたい気分だったのですよね」
「ピ」
「お陰で私も、可愛いほこりを沢山甘やかせてしまいました。…………むむ!もしやほこりは、また綺麗で可愛くなってしまいました?」
「ピ!」
「さすが、私の可愛いほこりですね。きっと今年も、沢山の方に大事にされてしまうに違いありません」
「ピ!ピ!」
またしても大喜びで反対側に転がってゆく雛玉を呆れた目で見守っていたアルテアは、完全なる休日の装いをしている。
よく見ると、複雑に青やセージグリーンの毛が混ざっている砂色のセーターは、はっとするような鮮やかな赤紫色の瞳を引き立てており、セーターに灰色のウール地のパンツ姿ともなると、休日のお洒落な魔物さんといった風情であった。
「また転がってしまうのだね……………」
「今年のほこりのお誕生日も、こうして元気に遊びに来てくれて良かったです。お土産の祟りものの準備も出来ていますし、エーダリア様がほこりの大好きな真珠の祟りものを、七個も確保してくれたのですよ」
「ピギャ!」
「気に入っているのかな。良かったね」
ほこりが美雛玉に成長したように、ディノも、昨年よりはずっと言葉が柔らかくなったのだろう。
ふわりと微笑んだ真珠色の髪の美しい魔物の王様から、穏やかな声で褒めて貰ったほこりは、ぼふんとけばけばになってしまい、更なる大興奮で床を転がっている。
「わーお。元気だなぁ」
「……………な、何かあったのか?」
そこにやって来たのは、執務を片付けてきたエーダリア達だ。
扉を開けた瞬間に目の前をほこりが転がっていたので、ノアが目を丸くしている。
「真珠の祟りものが食べられると分かって大喜びのところを、更にディノに良かったねと言って貰えて、大興奮なのですよ。今年も沢山のお料理を用意して貰えて、こうして皆さんが集まってくれて、ほこりは幸せものですねぇ」
「ピ!」
「むむ、ゼノ達も来てくれましたよ」
「ピ!」
ここに、仕事で参加が遅れたゼノーシュとグラストがやって来て、いよいよ本格的なお祝いの開始となる。
今年もほこりをリーエンベルクまで送り届けてくれたジョーイは、ウィームに暮らす友人達と、久し振りの食事会をするのだそうだ。
白百合の魔物はウィームの守護に関わってはいないのだが、そうして高位の人外者が心を砕く者が暮らす事で、土地の祝福はより豊かになってゆくのだという。
ネアは、ほこりを優雅にエスコートしてお辞儀をしてくれた美麗な魔物が、このウィームのどこかで友人達と気の置けない時間を過ごしているのかなと思うと、何だか嬉しかった。
不思議なことだが、そうして遠くに見える幸福な輪の中に大事な名付け子がいるのだと思えるのは、かつて一人きりで暮らしたネアハーレイにとってこの上ない安堵なのだ。
「ところで、ほこり、白夜さんとは仲良くしていますか?」
きりりとしたネアが尋ねたのは、白夜の魔物との関係である。
リーエンベルクを訪れた時のほこりが、ちょっとだけもそもそしていたので、喧嘩でもしたのかなと考えたのだ。
ほこりの大好きな相手はジョーイなのだが、白夜のルドルフもいなくてはならないらしい。
そこに、伴侶はシャンデリアという要素も加わるともはや常人には正確な把握が難しい領域だが、それでも、ネアにもほこりの大事なものの配分が分かるようになってきた。
「……………ピ」
「今日、送っていきたいって我が儘を言ったんだって」
「あらあら、可愛いほこりと少しでも一緒に居たかったのでは?」
「ピ」
「毎日会うから、我慢させるって」
「まぁ。ほこりは、すっかり白夜さんを手玉に取ってしまう、魅惑の雛玉なのですね?なんて頼もしいのでしょう」
「ピ!」
こちらに転がってきたところをまた撫でて貰ったほこりは、どすばすと弾むとちらりと料理のお皿の方を見た。
くすりと微笑んだネアは、さて、乾杯に入ろうかなと周囲を見回し、エーダリアに頷いて貰う。
「ほこり、お祝いを始めましょうか?」
「ピ!ピ!」
かくして、ほこりのお誕生日が始まった。
本日のご馳走は、お馴染みの貝を使った大皿に盛られており、あつあつの揚げたてシュニッツェルや、美味しそうなパテに、丸鶏の香草焼きなどもある。
仲良しのゼノーシュによると、ほこりは、ちまちま食べるよりはむぐむぐ食べたいらしく、むっちりと身の詰まった料理が好きらしい。
これは、昨年あたりからの食嗜好で、がりがりした物が好きな時期もあったのだとか。
ネアとしては、最近の食嗜好の方が安心出来るので、是非にこのままでいて欲しい。
「……………こ、これはどうしたのだ?」
「それは、ちくちくセーターのお話ではしゃいだほこりが吐いた、大歓喜の宝石なのですよ」
「白くないだろうか………」
「ふふ、ほこりの綺麗な羽を誉めたところ、この色になったようです。なお、ここにある茶色い石は、ちくちくのセーターに見立てた宝石なのだとか」
「………最上位の土の祝福と豊穣の金水晶が混ざった、珍しい宝石なのでは………」
「ピ!」
「ちくちくのセーターはいらないから、その宝石は捨てるんだって」
「い、いや、捨てるのであれば……」
「ピ!」
是非にとちくちくセーターの宝石を引き取ったエーダリアに、シュニッツェルをお皿ごといただいていたほこりは、良くないものを自分から遠ざけてくれたのだと感じたらしく、淡い金色が朝日に光る麦畑のような豊穣の祝福を宿した宝石をけぷりと吐き出し、足でずずいと押し出している。
引き取り謝礼の宝石まで追加されてしまい呆然としていたエーダリアが、ヒルドに促されて優しく撫でてやると、喜びのあまりに星のように煌めく銀色の宝石も追加された。
鳶色の瞳を瞠っておろおろしているエーダリアに、ノアが小さく笑う。
「ピィ………」
「あら、どうしたのですか?」
「それでいいと思うよ?………あのね、この宝石も出したけど、エーダリアの髪の銀色の方が綺麗だから、ちょっと失敗したと思っているんだって」
「あらあら、なんて健気な雛玉なのでしょう。でも、あの通りエーダリア様は喜んでいるので、きっと気に入ってくれたのだと思いますよ」
「ピ!」
「………おい、皿は兎も角、ソースを後から食うな」
「ピ?」
誕生日会場に用意されたのは、ほこりの料理ばかりではない。
ネア達用の料理も並んでいるので、ネアは、早速さくさくシュニッツェルや、この季節だけ楽しめる野菜などのゼリー寄せや、海老のクリームムースを添えた蒸し野菜などを美味しくいただいた。
ほこりのご馳走が主役なので、特別に豪勢なものではないが、それでもどの料理もとても美味しい。
「ふむ。ほこりは、やはり貝類が好きなのですね」
「ってことは、海の上に輝く星から落ちたのかもね。………ありゃ、魚はそんな好きじゃないのか」
「この前、沢山食べたから、飽きちゃったみたいだよ」
「ピ!」
後見人の嗜好に対し、ほこりは、海老はあまり食べないらしい。
海の食材の中では、後方に進む海老よりも、殻ごと美味しい貝が一番なのだそうだ。
嗜好の理由が、やや名付け親の理解を越えてしまうが、嬉しそうに教えてくれたほこりには、今度、貝の祟りものなどを見付けたら送ってあげるという約束をしておく。
「今年は、乾杯の葡萄酒はいいのかい?」
「ピギャ」
「いっぱい貰うから飽きたみたい。今はね、オレンジと梨のジュースが好きなんだよね」
「あ、そっか。そっちは公式の信奉者が多いからなぁ……………」
「ふふ。ゼノにその情報を教えて貰い、ちゃんと準備してあるのですよ!」
「ピ!」
むぐむぐごくん。
帆立のバター焼きを殻ごと頬張り、美味しさに弾むほこりは幸せそうだ。
どすばす弾んでいるところで、ヒルドにまた帆立を取って貰い、青緑色の宝石をお返ししている。
頭を優しく撫でて貰い、またどすばすと弾むと、こちらにヒルドに褒めて貰ったと報告に来てくれた。
「ピ」
「良かったですね、ほこり」
「ピ!ピィ」
「あのね、最近は、石っぽいのはあんまり食べなくなったんだって」
「ふむ。大事なほこりの胃が心配なので、良い食事改善なのではないでしょうか」
「ピ!ピ!」
「それなのにルドルフが、この前、翡翠を持ってきちゃったんだって」
「あらあら、さてはルドルフさんは、翡翠をほこりにあげようと一生懸命で、ほこりが今も美味しく食べられるかどうかを忘れてしまったのですね?」
「ピ」
「食事の好みが変わるという事はありますから、私も、ディノはずっとグヤーシュが好きだと思わずに、時々確認しなければいけませんね」
「ご主人様……………」
ここで、もうグヤーシュを作って貰えなくなるかもしれないと思った魔物が慌てて羽織ものになってきてしまい、ネアは、まだまだグヤーシュは大好きであるという確認を終えた。
フレンチトーストもパンケーキも続けて大好きなので、運用の見直しは必要ないらしい。
不思議そうにこちらを見ているほこりに、ネアは、好きな食べ物が変わらないということも勿論あるのだと教えてやった。
(でも、ほこりの好物に変化があったのは、何だか成長を見るみたいで嬉しいな……………)
お気に入りの食べ物もあるが、あるだけのものを沢山という趣きが強かった昨年に比べ、今年のほこりには、はまっている食べ物や飲み物という選択肢が生まれたようだ。
シュニッツェルには酸味のあるソースをかけるよりも、濃厚なグレービーソースのようなものか、チーズが好ましいらしく、お皿はやはり貝がいいらしい。
ただし、ソースを後から入れ物ごと食べるのがほこり流だ。
アルテアはとても遠い目をしているが、ほこりが幸せそうならネアも幸せなので、ディノには、礼儀作法などの問題を気にかけなくてもいい場では、好きなように食べさせてあげるのだと説明しておく。
「なので、リーエンベルクの食事では、私も、ディノと交換や分け合いっこをしますものね」
「ネアはいつも可愛い………」
「ピィ」
「真珠が食べたいんだね。エーダリアに出して貰う?」
「ああ、そろそろ出そう。………一度に全部出してしまってもいいのだろうか?」
「ピ!」
「うん。全部食べたいって」
「では、封印の箱から出すので、少し待っていてくれ」
「よいしょ。僕がほこりとエーダリアの為に、封印魔術の足場を作るから、この上で食べるようにね」
「ピ!」
「ありゃ、何か貰ったぞ。………わーお。僕の瞳の色の宝石だ」
「ピ!ピ!」
真珠の祟りものは、頑張って育てた真珠を誰にも受け取って貰えなかった真珠貝から、産み落とされると言われている。
そんな時には、真珠を捨てた真珠貝も祟りものになっている可能性が高いので、周辺はなかなかの大惨事になるらしい。
今年は七個も捕縛されたと聞くと生産地では何があったのかとぞっとしてしまうが、村長の再婚というお祝いがあって、飲んだくれた住人達が三日の安息日を取ったところ、その間に真珠を受け取って貰いたくて荒ぶった真珠貝がいたということのようだ。
討伐に駆り出された騎士達は大変だったが、ダリルの弟子であるエメルがたまたま近くにいた為に、犠牲者などは出さずに済んだと言う。
(……………という事は、淡水真珠なのだろうか)
びちびち跳ねる大きな真珠の粒を美味しそうに齧るほこりを眺めながら、ネアは、真っ白な愛くるしい雛玉が、白く丸い真珠を齧る様子は絵のような光景だなと考えていた。
一番大きな真珠の祟りものはとても甘くて瑞々しかったようで、美味しさのあまりに転がるほこりがノアの足場から出ないように、シュプリグラスを持ったアルテアが、顔を顰めて足で押さえている。
「そう言えばさ、そっちの統括地は、漂流物の準備はしてるのかい?」
「ピ!ピギャ!」
「うん。まぁ、ルドルフがいるなら手堅いかもしれないね。昔とは随分な変わりようだけど、手先が器用なのは相変わらずだし」
「備えという意味では、大丈夫ではないかな。ほこりの資質は、そのようなものに損なわれ難いしね」
「ピ!」
「とは言え、ジョーイは、漂流物との相性が悪いからな。くれぐれも、漂流物への対処はさせるなよ」
「ピ?!」
「あのね、植物の系譜の魔物は、漂流物が苦手な事が多いんだよ。僕もあんまり好きじゃないけど、百合の系譜は特に苦手だから、アルテアの言う通りにした方がいいと思う」
「ピギャ!」
「うん。ほこりが守ってあげるといいよ。僕も、グラストは絶対に守るんだ」
そう宣言したゼノーシュに、ヒルドと話していたグラストが振り返り、はっとするような愛おしげな表情を浮かべる。
試行錯誤をしながら深めてきた日々の中で、こちらの二人は、出会った頃からすれば考えられないくらいに仲良くなったと思う。
あまり喧嘩はしないネア達とは違い、ゼノーシュとグラストは、時々大きな喧嘩をすることもあるのだが、お互いがお互いを大好きだという前提があるので、その度に丁寧に話し合って解決しているようだ。
先日は、グラストが求婚しに来たちび竜を撫でてしまい、ゼノーシュは家出をしていた。
謝りに来たグラストに抱っこされてぷりぷりしていたゼノーシュは例えようもない可愛さだったので、ネアは、家出先担当というお役目は今後も継続していきたい所存である。
「ピ」
「あら、真珠はもう食べてしまったのですか?」
「ピ!」
「ふふ。その様子だと、大満足なのですね?」
「ピィ」
「今年は、アルテアさんのケーキがないので、少し寂しいですが、その分、真珠が見付かって良かったです」
「ピギ」
「おい、足を踏むな。気付かないふりをするのもやめろ」
今年のお誕生日会場には、後見人特製のケーキは用意されていない。
ほこりの階位が安定期に入ったので、本来ならとびきりのケーキを作って貰えた筈なのだが、漂流物の現れる年に保有する魔術の質を変えるような事があってはいけないのでと、僅かな体の変化にも配慮して、安全策となったのだそうだ。
すっかり立派になったほこりは、状態のいいときであれば十五席から十六席相当なのだが、悪食だからこそ食事にかけてはより頑強であったりもするし、食事以外の分野で測るとぐっと階位が下がったりもする。
その差があまりにも大きいので階位に数字を振るのは難しいようだが、漸く食事による階位の上昇も止まり、状態としてはほぼ安定したようだ。
特異体とは言えどもその体にも限界があるので、今後、ほこりは、特別なご馳走を食べても大きく成長することはなくなる。
その代わり、食べるものによっては魔術の資質などに変化が起こる可能性はあるのだとか。
今回アルテアのケーキを避けたのは、アルテアがその影響を及ぼせるだけの階位にあるからだ。
「ピィ!」
「ほこり?……………まぁ。グラス、なのです?」
「ピ!」
用意されたご馳走のお皿が綺麗になくなってしまうと、オレンジジュースをごくごく飲んだほこりが、何かを足でそっと押し出してくれた。
宝石をくれるのかなとしゃがんだネアは、差し出されたのが、つやつやした綺麗な水色のちびグラスであると気付き、目を瞠る。
「宝石で作ったんだよ。ほこりが、ジョーイに頼んで加工して貰ったんだよね」
「ピ!ピ…………」
「という事は、この綺麗なグラスは、ほこりの宝石から出来ているのですね」
「ピ!」
「ネアへの、誕生日の贈り物なんだよ」
「まぁ!」
ゼノーシュの通訳で、ネアは、遅れて受け取った贈り物を手に取り、きらきらつやつやとしたウィームの冬の色のような美しいグラスに目を輝かせた。
いつもであれば宝石のまま贈ってくれるのだが、今年は本来の誕生日から時間が空いたので、ネアの誕生日の日に吐いた宝石を使って、魔物の宝石工房で加工してくれたらしい。
工房への持ち込みや手配はジョーイが行ってくれたそうだが、彫られている模様は、ほこりの拘りなのだそうだ。
「流れ星の模様ですね。きっと、この模様を見る度に、可愛いほこりの事を思い出せてしまいますね」
「おや、この宝石自体にも、流星の祝福があるのだね」
「ピ!」
「むむぅ!ほこりのお誕生日なのに、こんな綺麗な贈り物を、貰ってしまっていいのですか?」
「ピ!」
「有難うございます、ほこり。可愛いほこりからの贈り物は全てが宝物ですが、このグラスは、とっても綺麗なので沢山使ってしまうに違いありません。大事にしますね」
「ピギャ!」
透明な透明な水色の宝石は、うっすらとネオンがかった水色を孕み、流氷の断面のような不思議な強さと清廉さを備えた水色がなんとも美しい。
流星の彫り物の部分にはよく光が入り、きらきらと本物の星のように輝くのだ。
小さなグラスなので、食前酒や強めのお酒などをきゅっといただくときに使えそうではないか。
ネアは、買い占め分が残っているエシュカルをこのグラスで飲んでみるのだと、うきうきして唇の端を持ち上げた。
「良かったね」
「はい!今夜、このグラスでエシュカルを飲んでみますね。きっと、ほこりからの贈り物だと思うと、いっそうに美味しく感じられるに違いありません。飾っておきたいくらいに綺麗なグラスですが、ほこりは美味しいものが好きなので、ほこりから貰ったこのグラスも、美味しいお酒などを沢山いただく為に使おうと思います」
ネアが、きらきら光る流星の模様を窓からの光に透かして飽きなく眺めていると、微笑んだディノが、一緒に綺麗なグラスを覗き込んでくれた。
誕生日の贈り物を褒めて貰ったほこりは、部屋の反対側に転がってゆくと、どすばす弾みながらこちらに戻ってくる。
「……………そろそろだな」
「まぁ。もう時間なのですか?」
「……………ピ」
ネアが、そんなほこりを撫でていると、何かを確かめるように指先で虚空をなぞったアルテアが、楽しい時間の終わりを告げる。
朝から来てくれているのでもうそれなりの時間なのだが、まだまだ一緒にいたいと思ってしまうではないか。
(ほこりは、立派に育ってくれたけれど、元々が星鳥なので、あまり器用な魔物さんではないから………)
ほこりには、己の持つ魔術を土地への影響がないように調整したり、人間への擬態をしたりということは出来ない。
階位や身に持つ魔術が安定してきた以上、立派な成鳥として固有の魔術領域を持つようになるのだが、そうなると、ディノ達の補助があっても、長時間リーエンベルクに滞在したり、悪食としての欲求を抑えたりということには向かないのだった。
(ディノに、ほこりの状態を調整して貰った上で一緒にいることは出来るけれど、それは、擬態の状態があまり得意ではないほこりにも、負担をかけてしまう。有事の際に手がないという訳ではないけれど、大人になってしまったほこりとは、もう、好きなだけ一緒にはいられなくなってしまったのだわ)
「…………でも、こうしていつだって会えるので、また遊びに来て下さいね」
「ピィ」
「ほこりは、私のポケットの中で眠っていたちびほこりの頃から、綺麗で可愛い魅惑の雛玉になった今でも、ずっとずっと、可愛いほこりなのです。もし、誰かに虐められたら私が滅ぼしに行くので、怖い事や悲しい事があったら、こちらも頼って下さいね」
「ピ!」
「ふふ、甘えたなのですか?」
「ピ」
「ネアが大好きだって」
「私もほこりが大好きなので、負けませんよ?」
「ピギャ!」
背後でディノが、小さな声で浮気と呟いているので、そちらは爪先を踏んでやりつつ、ぎゅっと体を寄せたほこりをたっぷりと撫でてやる。
この後で、ほこりを白百合の魔物に送り届けてくれるアルテアは、白い箱をヒルドに渡していたので、この場では出さなかったケーキ的なお土産があるのだろう。
ディノやエーダリアにも沢山撫でて貰い、どすばす弾んだほこりは、また、けぷりと宝石を吐くとアルテアに連れられ帰っていった。
(帰ってしまった。お泊まりが出来れば良かったのにな………)
賑やかな雛玉がいなくなると、急に寂しくなった気がして、ネアは、ふすんと息を吐く。
手紙のやり取りはずっと続けているのだが、それでもやはり、可愛い名付け子はいつだって抱っこしたいのだ。
「………こうして、大きくなって手が離れてゆくのは寂しくもありますが、ほこりの側にはもう、ほこりが自分で見付けた頼もしい方々がいるのだと思えば、ちょっぴり誇らしくもありますね」
「うん。特にジョーイは熱心に面倒を見ているようだし、ゼノーシュもよく会っていてくれるからね。ルドルフは何だろう……………良く齧られているけど、いいのかな…………」
「ふふ、ゼノが仲良しでいてくれるので、ほこりの元気そうな様子を教えて貰えますものね」
「うん。僕、ほこりと仲良しだよ!」
その後は、何だか少しだけしんみりした空気になり、ほこりの幼い頃の話などで盛り上がった。
小さな雛玉が一生懸命に伴侶を探していた頃の思い出は、もうずっと昔のことのようだが、未だに鮮明な記憶でもある。
そして、そんな思い出話が落ち着いた頃に登場したのが、アルテアが置いていった白い箱の中から現れた、宝石のような美しいケーキであった。
艶々とした真っ赤な苺の並びにぴょんと飛んだネアの隣で、あらためてほこりの宝石をじっと観察しているエーダリアは、受け取った時には気付かなかったが、他にも稀有な祝福が入っていたとふるふるしている。
「苺のケーキです………。じゅるり!」
「そろそろ、一番の食べ時が終わるからな。冬苺と雪雨のクリームチーズムースのケーキだ」
「ほわ、アルテアさんが戻ってきました。…………冬苺と、初めてのクリームチーズのケーキなのですね」
「アルバンの新作だぞ。まだこちらには卸されてないのか?」
「なぬ……」
「新しい商品ということで、リーエンベルクにも納められておりますよ。ただ、まだ食卓には上がっていないようですね」
「ああ。初めて扱うものなので、試作品を作ってみてから出すと話していた。少し温度変化に弱いようだが、代わりに、他のクリームチーズにはない青い果実のような爽やかな香りと雪の祝福があるらしい」
「た、食べまふ………!」
「可愛い、弾んでる……」
「ありゃ、ほこりが弾むのは、ネアの影響かなぁ」
どうせすぐに食べるだろうとアルテアが既にカットしてくれていたので、ヒルドがお皿に取り分けてくれ、艶々苺と初めましてのクリームチーズのケーキがやって来た。
ゼノーシュも目をきらきらにしているし、グラストは、少し恐縮しながら受け取っている。
エーダリアは、宝石を一度置くようにヒルドに叱られ、はっとしてからケーキ皿を受け取ると、アルテアにお礼を言っていた。
可愛い雛玉は帰ってしまったが、ここからはネア達だけのお茶会だ。
「あぐ!」
「アルテア、ジョーイとは会えたのかい?」
「ああ。ザルツの問題は、妖精のようだな。いい加減、ウィーム中央より障りが多いのもどうなんだ?」
「新しいザルツ伯になってから、ちょっと増えたよね。あれはあれで意外に周囲の人外者には人気があるんだけど、気に入られている要素が不安定さだからなぁ………」
「音楽の栄える土地には、その嗜好を持つ人外者も多いからな。それでだろうが……」
「…………むぐ。………ザルツで何かあったのですか?」
首を傾げたネアに、エーダリアが、先日の会議の後にザルツから報告を受けたばかりの、白百合だと思われる花の障りがあったのだと教えてくれる。
古い楽器の弦を張り替えたことで始まった障りのようなので、暫定的な封印を行い、これから原因調査を進めていくそうだ。
「音楽などの嗜好は、祝福や守護を得やすい反面、損なわれると障りや呪いを得やすい分野だからな。もう少し、大きな変化を齎す作業に慎重になってくれるといいのだが」
「当代のザルツ伯は、良く言えば柔軟で革新的ですが、やや判断が雑な部分がありますからね」
「…………それを補うような方を、是非とも傍に置くべきなのでは」
「ええ、そうあるべきですね。ですがあの方は、ご自身で決めるのがお好きなのでしょう。皺寄せがこちらにくると、どうも理解されていない節があります」
冷ややかな声音でそう評価したヒルドに、エーダリアが小さく苦笑している。
ネアは、甘酸っぱくて美味しいケーキを頬張りながら、けれども、そんなウィームの問題の確認の為に、アルテアが白百合の魔物に会ってくれたのだなと、密かににっこりしてしまった。
「……………むふぅ。ムースのクリームチーズが瑞々しくて、じゅわっと甘酸っぱい美味しさのケーキです」
「美味しいね」
「あ、僕もこれ好きだな。…………このクリームチーズ、風味がいいね。また僕の妹に作ってあげてよ」
「何でお前が指図するんだよ」
「え、お兄ちゃんだからかな………?」
わいわいし始めたノアとアルテアのやり取りを聞きながら、大事に頬張るケーキをまたお口に入れたネアは、次にほこりに出す手紙には、どんな便箋やカードを使おうかなと考える。
おやつの好みが変わっていなければ、小さめの祟りものなども同封しておこう。
悪食のほこりにはネアから贈り物をする事は出来ないが、綺麗な水色のつやつやグラスを使った感想を、たっぷり書く予定である。
そうしてまた、会える日がきたら、ちくちくするセーターの話をするのだろう。




