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イアン




イアンは、傘職人の家に生まれた。



まだ小さな子供の頃に、傘食いの魔物から父親を庇い、物作りには向かない障りを得てしまったが、歴代最高の職人と言われた父の手を守るという役目を果たせて、あの日は幸福だったのだ。



父は寡黙な人だった。

口下手だと言ってもいい。


その寡黙さ故に不器用な生き方をしている父が、思っている以上に愛情深く、繊細な人だと知っているのは、幼いイアンの秘密だった。

今思えば母や周りの大人達はそんな父の不器用さをよく知っているのだろうが、小さなイアンは本気でそう考えていた。



まだ幼い息子には分かるまいと思って溺愛している父は、叔父や、工房の職人たちの前では澄ました顔をしている。

その直前まで幼い息子を抱っこして顔をへなへなにしていたのに、なぜだか、それ以外のところではむっつりと黙り込んでしまうのだ。



「父さん、僕も立派な傘職人になるからね」



だからイアンは、お喋りが出来るようになり、職人などの後継問題が僅かにでも理解できるようになった幼い頃から、自分は父を慕っているのだと周囲に示すように、そんな事ばかり言っていた。


そう言っても父は表情も変えずに生真面目に頷くだけだったが、綺麗な水色の瞳が僅かに柔らかくなるのを、イアンはいつだって見過ごさなかった。




大好きな、大好きな父だったのだ。

そして、ウィーム一の傘を作る、家族自慢の父でもあった。




(青い布、水色の布、灰色の布に、黄色い布……………)



傘工房にはいつも、傘の材料が沢山置かれていて、イアンはそれらを見るのが大好きだった。


自分だったらどんな傘を作るだろう。

どんな色や素材を合わせ、どうしたら父を唸らせる事が出来るだろう。

そんな事ばかりを考え、目をきらきらさせて、今日も工房で職人達の仕事を眺める。


淡い色合いの作業着を着るのは魔術階位を持つ職人達で、時折素材などを搬入に来る袖口だけが黒い装いの職人達は所謂、下請け工房の見習いだ。

袖口の黒で、未熟さ故の魔術汚染を避けるらしい。

そんな事を見て知ってゆくのが、日々楽しくて堪らない。


母からは、外で他の子供達と遊んでくればいいのにと言われるのだが、イアンはいつだって、父の仕事の様子を見ているのが何よりも大好きだった。



ぱりっと傘骨に張られる布が、花びらのような艶を帯びる。

父の作った傘が街で使われている様子を見て、魔術防壁のように雨を弾く光景に笑顔になる。


多分、傘はイアンにとって自慢の父そのもののようで、いつの間にか大好きになった特別な道具だ。


雨の日に父の作ってくれた傘をさすのが大好きだったし、夜寝る前には、その日に仕上がった傘のことを思い、あの美しい作品がどんなふうに使われるのだろうとわくわくして目を閉じた。



特別な魔術道具を使う、工房の香り。

職人達のたわいのないお喋りや、工房に住む妖精達の煌めき。

上等な竜の骨を仕入れてきた日の夜には、工房の中に知らない森の香りがした。



「生地は紫だな。……………ほお、この布の揃えがあるのか。であればこれだ。後は任せる。この工房の傘は気に入っているからな。好きに作って構わない」


そんな風に注文をしに来たのは、恐らくは高位の魔物。


イアンは幼い頃から目が良くて、お客が擬態していても、だいたいの種族などは分かってしまった。

どうやらそれは父親も同じようで、腕のいい職人達にもそのような者がいる。


毎日素材に目を凝らし、出来上がってゆく傘を大事に愛でている内に、磨き抜かれてゆく感覚なのかもしれない。



「ああ。遠征用の傘は、やはりこの工房でなければな。エーダリア様も、既にこの工房の傘を使っているそうだ。魔術付与や祝福の相性など、何種類か備えてはいるそうだが、普段はこちらの傘を使っている姿をよく見る」

「ああ、あの水色の傘ですよね。僕も、いい傘だなぁってずっと思っていたんですよ。そろそろいい傘を作りたいんですが、狼たちに飴を買わないといけないからなぁ……………」

「私は、この工房の傘は二本目なのだ。傘を開いた時の音がいい。我が家は、前の工房主の時代からここの傘を愛用していたので、もう他の工房では買えないだろうな」



リーエンベルクの騎士達の会話に、そうだろうと得意げに頷きながら、イアンは頬を上気させる。


特にイアンの父が作った傘は、ばさりと開いた時に落ちる傘の影にも淡い色が付く。

その、花影や雪影のような色の美しさに、まだ子供だと言われるイアンですら魅せられるのだ。



(ああ、父さんの傘が大好きだ……………)




だから、この選択に後悔はない。



どれだけの犠牲を払うのだとしても、イアンの宝物はイアンの未来ではなく、世界一大好きな父と父の作る傘の世界にこそあった。


そんな宝物を奪われるくらいなら、自分の未来など、この祟りものに差し出してやろう。




「駄目だイアン!!やめてくれ!!」


後ろで叫んでいる父の声には涙が混じり、けれども、足を砕かれた父の方からは血の匂いがした。


近所の子供達を襲った祟りものに一人で向かった父は、子供達を無事に逃がしたものの、この袋小路で祟りものに追いつかれてしまった。


言葉が少ないから、逃がした子供達に騎士を呼ぶようにと言いそびれた父の代わりに、イアンは騎士への応援を近所の老婦人に頼み、父を守ろうとして駆け付けたのだった。



(父さんが泣いている……………)



現れた祟りものは、職人街に数年に一度現れる才能食いと呼ばれるものだ。

この地で挫折した者達の涙や苦悩から生まれる魔物だと言われているが、いつもであればこんなに大きくなることはない。


だが、前の領主が流通させた専用の魔術薬の質が悪かったせいで、駆除しようとした際に悪変して祟りものになってしまったのだ。


この薬に使う雪菓子は、質のいい、甘い雪菓子でなければならないらしい。

だが、前の領主は予算を削減したいと言い出し、支給される薬に使われたのは、屑雪菓子と呼ばれる、透明度の低い味も鈍いものだった。


エーダリア様が領主になって三年余り。


問題のある施設や運用の見直しは着々と進んでいるが、あまりにも失われた物や基準を下げられた物が多く、このような所まではまだ手が回っていなかった。

そして、そんな事をうっかり忘れている者達ばかりなのが、この職人街である。


皆、自分の仕事に夢中で、あの魔術薬はどうにかしなければいけないと話していたのを、すっかり忘れていたらしい。


そして、うっかり現れた魔物に質の悪い薬を使ってしまい、その怒りを買ったのだ。



魔物を鎮める薬には、幾つか種類がある。

魔物を弱らせる物に、喜ばせる物。

そして、その時に使われたのは、贄となる物だった。


取り込ませて宥める薬だった為に、粗悪な魔術薬は魔物を悪変させてしまったのだろう。




「イアン駄目だ!戻ってこい!!父さんが、父さんが守ってやるから!!」


その叫びに答えてしまったら、父は大人の話術でイアンを説得してしまうだろう。

イアンは父があまりにも大好き過ぎてそう信じており、絶対に振り向かないのだと決めていた。



がしゃんと硬質な音がする。

舌なめずりする獣は、現れたイアンを気にしていたが、やはり父こそを獲物として見定めているようだ。

だからこそイアンは、何とかしてその気を引こうと、自分を喰らえとその獣に訴えたのだった。



ずるずる、したん。

祟り物が体を動かす際に聞こえてくる、悍しい音。


大きな木製の獣の人形のような姿をしたこの祟りものは、才能や未来のある職人の職人としての人生を餌にと望んでいる。


それを差し出すと誓えば、奪われるのは何だろう。

形のあるものは奪われないのかもしれないし、目や手、もしくは命を取られるのかもしれない。


それでもやはり、イアンにとっての一番怖い事は、大好きな父や、大好きな父の手から傘作りが奪われてしまう事だった。



父は何とかしてこちらに来るために体を動かそうとしていたが、折られたのではなく砕かれた足が思うように引き摺ることすら出来ないのだろう。

苦痛の声が聞こえてきて、その声に視線を戻してしまった祟りものに、イアンは唇を噛み締める。



「僕の職人としての未来をあげるよ。しょうらい、ゆうぼうだって、みんなが言うんだ。これから優秀な職人になる僕から才能を取った方が、きっと大きな損失だよ」


それでも震えてしまう声でそう告げると、父を見据えていた祟りものが、ゆっくりとこちらを見る。

わぁっと声を上げて父が何かを叫んでいたが、イアンを見据えた、まるで人間の物のようなじっとりとした暗い瞳は、こちらを見たままでいた。



「……………イイダロウ」

「イアン!!!」



目の前の生き物は、この職人街で生まれた魔物なので、最初から、ここで暮らす者たちの名前を知っている。

それはつまり、獲物として定められた土地の者達が、何としてでも斃さねばならないという事でもあったのだが、このような時に名前を呼べるのは有難いのかもしれない。


だからこそ、躊躇う事なくこの名前を叫んだ父に、イアンは、怖さに竦んだ体のまま、小さな手を握り締めたまま、けれども誇らしさでいっぱいになって涙を零しながら微笑んだ。



(だって、もしかしたら、父さんに名前を呼んで貰えるのは、これが最後かもしれない………)



大好きな父だ。

大好きで、ずっと幸せでいて欲しい。


まだ子供のイアンにだって、親より先に子供が損なわれることの惨さは分かっているつもりだけれど、子供にだって、子供なりに譲れない意地や愛情があるのだから。

だからこれは、父の為にとは言えない、イアンの子供じみた我が儘でしかないのだけれど。



ひゅっと風のようなものが肌に触れた。



(……………あ、)



体の内側から、きらきら光る素敵な物が持ち去られ、指先が黒くなる。

実際に視線を下げれば、肌は変わらない色だったけれど、もう、この指先が何か素晴らしいものを作る事はないのだろうなと分かってしまった。


それは、凄まじい落胆と喪失感であったが、そろりと振り返った先で、子供達を逃がそうとして祟りものをわざと怒らせ、囮になろうとしたせいで足まで潰され、涙でぐしゃぐしゃになった顔でこちらを見ている父を見た時、ああ、この優しい父を守れて良かったと思ったものだ。



その後、街の騎士達が駆け付けるより早く、怒り狂った母が駆け付け、その祟りものを粉々にした。


父もイアンも、震える程に恐ろしい母を見たのは、あの時が最初で最後だろう。

おっとりと柔らかく微笑み、少女のような可憐な母が、助けを求めて泣き叫ぶ祟りものの息の根を止める迄の姿は、今でも時々夢に見る。



「……………イアン、取引をしてしまったのね?」



振り返った母が恐ろしくてがくがくと頷いたが、幸いにもこちらを見た母は、いつもの優しい目をしていた。


けれど、母も泣いていたのだろう。

掠れたような湿った声に、わぁっと声を上げて泣きたかったけれど、それでもと胸を張って頷いた。



自分は、自分にとって正しいことをしたのだと、どれだけ怒られてもそれだけは伝えたかった。

犠牲になったのではない。

イアンは、大好きな父を選んだのだ。



「父さんが大好きなんだ。父さんの作る傘も大好き。僕の、宝物なんだよ」

「でも、……………お父さんは、イアンを守りたかった筈よ。立ち上がる事が出来れば、絶対にイアンをあんな祟りものなんかに近付けなかった」

「……………うん。でも、僕も父さんが大好きなんだ。父さんを悲しませてしまったけれど、父さんだけは絶対に渡せなかったんだ」

「……………困った子ねぇ」



くしゃりとそう微笑み、母はイアンを抱き締めてくれた。


漸く駆け付けた騎士達の声が聞こえる中、イアンは理由を告げてしまった安堵からやっとわんわん泣く事が出来て、母の腕の中で泣きじゃくった。


街の騎士に応急手当を受け、運ばれてきた父が、震える手でイアンと母を抱き締め、声もなくすすり泣くのを聞きながら、イアンはふと、騎士になろうと思った。



そうだ。

街の騎士になればいい。


こうして父を守れたのはイアンの誇りであるし、何しろイアンは目がいい。

それは、職人としての未来を奪われても、イアンに残された、工房で学び得た最後のものであった。

きっと、生涯イアンが触れる事のない傘作りの仕事の中で得られた最後の財産として、この力を生かし、父の仕事や、この地で働く人々を守るような仕事がしたい。



何もかもを失くしたと誰も思わないよう、それを証明する為にも、この目と、この日の記憶を持って騎士になろう。




からりと、ガラスの中の氷が鳴る。

傘祭りの打ち上げに初めて参加し、イアンはほろ酔いで家に帰って来た。


「でも、毎年傘には刺されるんだよなぁ………」

「どうだろうなぁ。あれは、傘達なりに、お前とであれば、全力で戦えるという意気込みな気がするが」

「………うん。だから、本当は嫌じゃないんだよね。そう言えば、父さんも毎年どこか刺されているし」

「お前程に大きな怪我にはならないぞ。ちくりとやられるくらいだ。……………今年は、祝祭の廃棄場に落ちたのだろう?……………イアン、……騎士の仕事が、嫌になったりはしないか?」



思いつめた顔でそんなことを聞いてきた父に、イアンは目を丸くした。


テーブルの上には薄く切ったサラミと雪菓子があり、父と二人で飲む酒は、何だか温かい。

あの日以降、父は少しずつ努力し、大事な事はしっかりと言葉で示せるようになってゆき、今では、こんな風に一緒に酒を飲んで語れるようにもなっている。



あの日、泣きじゃくる子供達が可哀そうで、どうしても騎士を呼んできてくれと言えなかった父は、その僅かな躊躇いが、自分の息子の将来を壊してしまったと、今でも思っているのだろうか。



「……………父さん。もう一度言うけど、あの時の祟りものは、今の僕が考えてもかなりの階位だった。遮蔽結界まで展開していたんだから、騎士を呼んでもあの時の結果は変わらなかったと思うよ」

「………だが、変わったかもしれない。……なぁ、イアン。もし、騎士でいる事が辛くなったら、いつでも言うんだぞ。父さんの稼ぎで、お前一人、死ぬ迄好きなことをさせてやれるくらいの余裕はある。お前があの日の事を乗り越える為に騎士を続けているのならと思うと、………心配になるんだ」

「あのねぇ、父さん。僕は、騎士の仕事は好きだよ。それに、あの遮蔽空間を乗り越えられたのは、僕や母さんくらいだから、あの日の事は後悔しないでって言っているのに」



その言葉に、父が困惑したような表情になる。

それもそうだろう。

イアンだってまだ、うまく受け止められないのだ。



「…………母さんは、どうしてあんなに強いんだろうな……………」

「……………凄かったよね。手も足もあんなに細いのに、大きな硬い祟りものを、素手で粉々にした」

「……………父さんは、未だにあの日の夢を見るんだ。お前を失ってしまうかもしれないと思った瞬間の夢も見るが、……………母さんが戦っている姿もよく見る」

「うん。僕もだ…………」



イアンは、そんな母親は、恐らくネア様と同じ区分の人間なのだろうと考えている。


廃棄場の中で彷徨う傘を、ハンマーでいとも簡単に破壊したリーエンベルクの歌乞いは、あの日の母にどこか似ていた。

市場の女性達の中にも、何人かの友人達にも、ウィームには時々そのようなことを造作もなくやってのける人間がいる。


あの日の父やイアンに反省するべき事があるのだとしたら、それはきっと、母の強さを正しく知らなかった事だろう。


母はよく、お母さんは街の騎士よりも強いと言っていたのだが、おっとりとした口調で刺繍をしながら言うばかりだったので、父もイアンもその言葉を信じていなかった。


あの日は、街の騎士達が別の祟りものの討伐に当たっていたので救援が遅れ、尚且つ、たまたま職人会議があった為に、近くに戦える程の魔術の腕を持っていた男手が、体調を崩して家にいた父しかいなかった。

だが、その時に母があれだけ強いと知っていたら、近くの薬屋に向かった母にこそ、伝令を向けるべきだったのだろう。



でもそれも、今更取り返しはつかないこと。

そして、イアンはあの日の事を後悔はしていないのだから、既に終わった事を考えていても仕方がない。




「………父さん。廃棄場には、沢山の傘がいたよ」

「そうか……………」

「どの傘も、苦しそうで狂っていて、けれども泣いているような気がした。でも、僕が言うのだから間違いないけれど、あの中に、うちの工房の傘はいなかったと思う」

「……………そうか。……………良かった」

「……………うん。それをね、父さんに言いたかったんだ。………あの中に、父さんの作った傘がいなくて本当に良かった」



廃棄場に落ちたイアンは、ずっとそのことを父に言いたかった。


職人気質な父は、人外者の客も、可能な限りよく選んでいる。

とは言え、あまりにも高位だと断る自由すらないが、そのような時には、傘達がいずれ綺麗に昇華出来るようにと、その運命が歪まないような素材を使うのだ。



(だから、大丈夫だったと、父さんに言いたかった)



今も昔も、イアンの父は、自慢の傘職人だ。

ネア様の傘も父が作ったし、以前の傘祭りでネア様が散歩させていた美しい傘は、父が、かつて高位の魔物の為に作った傘だった。





きらきらと、きらきらと。

輝き落ちる、美しい色。



傘祭りに出ると、昇華の瞬間にいつもその光の色に胸が潰れそうになる。

そこに広がるのは、かつて傘作りに憧れた子供が工房で広げた布の色をしていて、確かにイアンは、そこに潰えた夢を見た。



けれども、人間にはいつだって線引きがある。



イアンの線引きは、父を残し自分を差し出すこと。

そしてそれは、イアンの望みのただその為に。



ああ、なんて美しいのだろうと胸を押さえ、傘達の昇華に伴う魔術の大波に、イアンは目元を押さえて嗚咽を飲み込んだ。




「…………ああ。あの日に、この手の未来を差し出して良かった」




それは、あの日に幼いイアンが選び取った未来。

世界で一番美しいと思える傘を生み出す指先を守り、今もこうして大事な傘を憂いなく見つめている事が出来る。


あの日、願いを定めてその為に手段を選ばず動かなければ、イアンは、大好きな傘をただ美しいと眺められなくなっただろう。


自分の未来は自分の物だから、その中の一つの輝きを奪われても、作り直して思い定める事が出来る。

けれども自分以外のものは、どれだけ願っても自分の努力だけでは作り直せない。





「だから、父さん。僕はあの日、父さんを守れて良かった。それに、傘祭りにはいつも傘達が僕に体当たりしてくるんだ。本当はお前も傘を作る筈だったんだぞって。………情熱的で凄く可愛い。あの姿を見てると、どうしても人間の女の子には気持ちが向かないんだよなぁ。傘の方が綺麗だし」

「……………イアン、お前をそんな風に拗らせてしまったのは、私の責任だ。息子に、変な嗜好を育ててしまった………!!」

「刺してくるのとか、こちらを見てって言われているようで堪らないよね。でも、刺されると打ち上げに出られなくなるから、今度こそ、父さんぐらいの刺され方にして欲しいけれど。………うーん、でもそうなると、情熱を感じるという意味では物足りなくなるのかな………」

「すまない、イアン………!!」

「え、………父さん、何で泣くの?」





朝になると工房には、傘布を張り、雨除けの詠唱を重ねる父の姿がある。

この作業をひと月重ねてゆくと、丈夫な布になるのだ。



イアンは毎朝その姿を眺め、ご機嫌で職場に向かう。

今はもう、職人街のあちこちに置かれている魔術薬は上質なものに変わったし、あのような事件が起こらないようにと、エーダリア様主導で、幾つかの魔術結界が作られた。



イアンには、ダリル様から直々に、リーエンベルクから騎士への誘いが何回か来ている。

年齢的にもリーエンベルクの騎士採用試験を受けられる年になったので、そろそろどうだろうという訳だ。


しかしイアンは、街の騎士になるのが夢だったのだと、その誘いは断らせて貰った。

騎士棟に住み、傘工房の匂いを嗅げずに暮らすのは辛かったし、いつだって、自慢の父の新作の傘を真っ先に見たい。


リーエンベルクで使われる特注の傘を配布される身分には憧れたが、ここで暮らしてゆく日々の幸福とは引き換えに出来なかった。




「……………はぁ。傘の妖精とか生まれないですかね。そうしたら、お嫁さんが貰えるかもしれないのに」

「イアン、………お前は街の騎士団の中でも、一二を競う程にもてるくせに、その言動のせいで、未だに恋人が出来たこともないんだからな?」

「いや、普通の女性は難しいですよ?傘じゃないので、どうにも魅力的に思えませんし………」

「お前な………。騎士らしく振る舞う時には、一人称まで変えて完璧な騎士ぶりのくせに、怪訝そうな顔でなんて酷い事を言うんだ………」

「騎士ですからね。騎士らしく振る舞うのは当然です。傘と同じで、どれだけ有能でもその形を変えたら損なわれる美しさが…」

「ま、待て!!お前が傘の話を始めると終わらなくなるだろう?!」




青い顔をした団長に見回りに出され、イアンは今日もウィームの街を歩く。

新しい魔術の習得方法を考えつつ、傘達が昇華した空を見上げた。



今日は雪空だ。

こんな日はきっと、鮮やかな薔薇色の花惑いの傘か、清楚な雪ライラックの薄紫の傘がいいだろう。


幸いにして、このウィームには最高の職人がいる。

素晴らしい傘が、今日も作り出されている筈だ。







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