表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
605/880

207. 傘選びで避けます(本編)




かたん。

遥か上の方から、小さな音がした。

おやっと思い見上げたネアは、顔を上げ切る前に動きを止めると、そう言えばディノに言わなければならない事があったのだと考える。



(……………何だったのかしら)



だが、不思議なくらいその部分が空っぽになっていて、何を言うべきなのかが思い出せない。

目を瞬き、ネアは首を傾げた。



だが、それを思い出す迄は、音がした方を見てはいけない気がしたのだ。



「…………ネア?」

「………むむ、何か、」



ことんと音がする。

次の音はもう少し重く、ネアは、なぜだかそちらに視線を向けるのを躊躇わせる奇妙な冷気のような何かの、その裏側にある光景を感じようと目を凝らした。





「ほお、相変わらず執念深いことだ」




ひたひた、さりさりと裸足で石床を歩くような音が響き、滑らかな服裾がさらりと揺れる。

天鵞絨の分厚い長衣は、刺繍の金糸が暗く艶やかな光を帯びてきらりと光った。


石の床は、石組みの大きなウィームとは違い、小さな石をモザイクのように組み合わせてある。

ぷんと漂う蝋の匂いと、熱した湯に香草を浸したような濃密な緑の香り。



「喰えるものなら喰らってみるがいい。それは、私が私の庭で育てた、私の為の可愛い子供達だ。喰らわれるならそれで構わぬが、とは言え、こちらの物が容易くお前の口に入れられるとは思うなよ。……………何しろ、お前が手をかけたのは私の為の聖餐なのだから」



そう呟いたのは誰だろう。

そしてそれは、いつの事だったのか。

なぜ今、その声が蘇るのか。



ぱちり。



瞬きで揺らぐ長い睫毛の影に、ネアはふと、これは自分の視界ではないのだと気付いた。


そこは、葡萄の木と林檎の木でアーチを作った不思議な玉座で、精緻な細工のある石段には真っ青な絨毯が敷かれている。

王座の下には水面が広がっていて、その対岸には黒いコートを着た一人の老人が立っていた。



獅子の鬣のような白髪には豪奢な力強さがあり、口を開けて愉快そうに笑った姿には、したたるような悪意と冷酷さがあった。

胸に手を当てて、わざとらしくお辞儀をされても尚。


髪の毛はざんばらだが、その乱れ方には気品のようなものが感じられて、不思議と目を奪われる。

恐ろしくも魅力的な人だと考えかけ、ネアは、その男性をどこかで見た事があるような気がした。



(ああ、先程の船の上に立っていた人だわ………)



そう思った途端に、ぱちりと意識が音を立てた。


先程まで空っぽだった場所に、砂の箱の中で目にした大きな帆船と、その甲板に立って笑っていた人物の姿がくっきりと浮かぶ。

荒れ狂う風雨の中らしく映像は鮮明ではないが、見たままの記憶が戻されたものには違いない。



けれども、何よりもネアをぞっとさせたのは、そこにあるべき記憶が一瞬でも空っぽになった事だった。



「……………ディノ」

「うん。………何か、思い出そうとしているのだね?」



気遣わしげにそう言ってくれる魔物には、ネアが感じている不安や戸惑いの全てまでが、お見通しなのだろうか。

そっと頬を撫でられ、その温度に強張っていた肩から力が抜ける。



気付けば、もう少し離れた位置に立っていた筈のヒルドが、すぐ近くにいるような気がする。

ノアとエーダリアの位置も確認し、ネアはまるで家族の真ん中に入れて貰って守られているようだと思う。

ふにゅりと頬を緩め、安堵に心が温かくなった。



「なぜだか、先程の砂の箱の中で見た船に乗っていた人の事を忘れかけていたのですが、あの方が手に持っていたのは、傘ではないかと考えたのです」



覗き込んでいた自分の内側から顔を上げたばかりのネアがそう言えば、長い睫毛を揺らした水紺色の瞳が、冷ややかに細められた。

それは勿論、こちらに向けられたのではなく、魔物らしい思考の中で不愉快な可能性に触れての反応だと分かってはいても、やはりその変化にはぞくりとする。


見慣れた美貌に宿る温度がぐっと低くなり、ネアは、伸ばされた腕の中にすっぽりと抱き込まれてしまった。



「傘の色は、分かるかい?」

「むむ、黒だと思いましたが、ぼんやりしていたので確かではないのです。傘だとすれば、黒っぽい傘なのは間違いないと思うのですが………」

「ノアベルト」

「………うん。暗い色の傘は避けよう。ヒルドの傘は履歴がしっかりしているし、その傘の系譜だと海には向かないから大丈夫だね。………エーダリア、今年は、暗い色の傘と海の系譜の傘は避けて選んでくれるかい?僕も一緒に選ぶからさ」

「ああ。先程話していた、異国の死者達に縁のある物が、紛れているかもしれないのだな」

「…………あくまでも、可能性だけれどね」

「ふむふむ。これが噂に聞く厄除けとやらですか。………であれば、それは避けねばなりますまい。ウィームで生まれ育った傘達はこちらになります。また、海の魔術の気配のある物はウィームの傘達とは相性が悪いので、こちらの部屋には入れておりませんよ」



こんな時、優秀な魔術師の対応は早い。

封印庫の魔術師が、すぐにネア達が選べる傘の収められた封印棚に案内してくれるではないか。



ネアが展開の速さに目を丸くしている間に、今回ばかりは懸念のある傘を手に取らない方向にするべしと、ネアが見た船の上の人物が持っていたと思われるような、黒に見えるような色相の傘は避ける事となった。



(でも、それでいいのだろうか…………?)



今回、ネア達が、わざわざ砂の箱を通されてこの部屋にやって来たのは、問題の傘を避ける為ではなく、無事にその傘の下に行き着けるようにするためだ。


それでも難しいだろうという見解はあったものの、可能であればやはり、問題のある傘はこちらで引き受けるべきだと考えられていたのは間違いない。



これが私用ならいざ知らず、傘祭りへの参加は仕事である。

そこに責任が伴う以上、危険を回避すればいいというものではないような気もした。




「………この場合、敢えて手に取るのではなく、避けておいた方がいいのですか?」


心配になったネアがそう尋ねると、こちらを見たディノが微笑んで頷く。


「気付きとして結んで対処してもいいものと、結ばない方がいいものがあるんだ。今回君は、砂の箱の中で見たものを思い出せなくなっていたのだろう?」

「はい。ほんの少し前までは覚えていて、それをディノに言おうとして、うっかり爪先を踏んでしまったのですよ」

「うん。であれば、それは君に良くない働きかけをするものだということだね。そして多分、………君との相性はあまり良くないのだろう。この祝祭の意味合いを踏まえても、そのような物を君の近くには持ち込めないからね」

「………まぁ。となると、問題のある傘が、我々ではないどなたかの手に渡るようになるのでしょうか?」

「かもしれない。けれども、君ももう、魔術は階位の如何ではなく、相性で成るものだという事も知っているね?今回の物は、私達との相性が悪いけれど、他の者達との相性が悪いとは限らない」

「………むぐ」



ネアは、それでもと、心の端がもしゃもしゃしたが、ここで我が儘を言うほどに愚かではない。

綺麗事を振り翳して大切な人を傷付ける程、愚かしいことはないと考えているからだ。

とは言えこの残念な人間が振り翳したのは、綺麗事に縁取られた慈悲深さではなく、大人としての仕事への責任感でしかなかったのだが。



「………ごめんね、ネア」

「むむ!少しだけくしゅんとしたのは、いつものようにくしゃりとやって活躍できないという、利己的な人間の我が儘ですので、どうか気にしないで下さいね。これは勿論、私のせいで家族に何かがあったら嫌なので、ディノの提案に賛成です」

「ネア………」

「お前だけではないのだろう。お前の身に持つ守護で侵食が防げなかったとなれば、それは、守護を与えた者達の持つ魔術もまた、今回の異変とは相性が良くないという事になる。私も含め、そうなのだろうな」

「まぁ、エーダリア様もなのです?」



ネアが、それなら厄介な選択肢の一つを遠慮なくぽいしてもいいのだろうかと、へにゃんと眉を下げると、微笑んで頷いたノアとヒルドが見えた。

ほっとしたネアは、この土地を守らなければならない人達の足を引っ張っていなかったようだと胸を撫で下ろす。


傘祭りは、普通の傘さえ、毎年、特等の魔術を持つというイアンを刺すくらいなのだ。

本当なら、出来るだけこちらでも厄介な傘を引き受けたかったのだけれど。


(いや、イアンさんについては、もはや傘祭りで必ず刺されるという呪いすら持ち得ているのかもしれないけれど………!)




「………多分、砂の箱の中で、僕にはそいつが見えなかったって事は、海周りだから僕っていう案件でもなさそうだね。あの船の伝承を調べた方がいいのかな」

「は!話が途中になってしまいましたが、あの船に乗っていたのは、………私が、バケツの中でお顔を激辛香辛料油漬けにしたことがある、魔物さんかもしれないのです」



伝えるべき情報を取りこぼさないようにと、言わなければいけないことの数だけ指折っていたネアは、そう報告しながら、折り曲げていた指をぴょこんと伸ばした。



「……………え」

「………ありゃ。あいつか」


これ迄の事件は全て共有しているので、ネアが名前を出さないように示した魔物が誰なのかは、皆にすぐ伝わったのだろう。


特に魔物達の反応は劇的で、ディノは腕の中のネアをさっと持ち上げてしまい、更には三つ編みを持たせてくる。

ノアは、慌ててエーダリアの手を取っていて、その様子に気付いたヒルドが、エーダリアのもう片方の手も押さえてしまった。


両手を封じられたエーダリアは途方に暮れているが、もし、この部屋のどこかに問題の傘があるのなら、少しでも守りは厚い方がいい。




「恐らく、彼の道具……ではない筈だ。たまたまその魔術に隣り合った物や、彼が手を触れた物、もしくは、彼が手放した後に他の者の銘がついた物かもしれない」

「………うん。今回は直接的な物じゃなくて、そっちの、彼と間接的に関わった品物の方だろうね。そりゃ、僕の妹とは相性が悪いよ!………うわ、ひやっとした……」

「なぜそう思ったのかを、お話ししたいのですが、それはここではない方がいいですか?」

「そうだね。言葉から繋ぎが生まれても困るから、帰ってからにしよう。あいつかぁ………」



眉を寄せ、珍しいくらいに顔を顰めたノアは、ふるふると首を横に振ってみせた。


こちらは、ネア達の示す人物は分からないが、何やら厄介な傘が混ざり込んでいるに違いないぞと頷いた封印庫の魔術師が開いた扉の中には、薄青から薄紫までの淡い色彩の傘が並んでいた。


観音開きの扉のもう一方を開くと、檸檬色からピンク色までのこちらも淡い色彩の傘が並んでいる。


ひょいひょいと移動して隣の棚の扉を開けば、そこには傘かけに持ち手をかけた収納方法ではなく、石突の部分を台座に刺して立てた、淡い緑の並びの傘が収められていた。

こちらは、植物の系譜の傘なので、吊り下げるのではなく立てておくのだそうだ。



「このあたりでしょうかね。植物の系譜な物は、……………おや、」

「ありゃ。僕はこれかな?」

「……………私はこの傘のようだな」

「まぁ。傘さんが転がり落ちてきました」

「…………落ちてしまうのだね」



ここで、封印庫の魔術師の言葉半ばで、ごろんと音がして、一本のラベンダー色の傘がノアの手の中に落ちてきた。

そして同時に、近くの棚からぴょいとエーダリアの体に体当たりをしかけ、まんまと受け止めて貰ったのは、綺麗な水色の傘ではないか。



「ラベンダーの傘と、紫陽花の傘ですか。確かに、お二人とは相性が宜しいでしょう」

「ご主人様………」

「まぁ。ディノにも、傘さんからの立候補があったのですね?」

「おやおや、パン屋の傘とは。これは、職人時代のジッタの傘ですな」

「あら、ジッタさんの傘なのですね。であれば、ディノにぴったりではないですか」

「…………自分で持たなくて良いのかな………」

「ジッタは、傘の代替わりが多いのですよ。配達の途中で、パンの匂いに誘われた竜や精霊に襲われる事が多いらしく、本人とパンは無事でも傘が壊される事もあるのでしょう」



(……………は!)



ここで、綺麗なオパールグリーンの傘を手にしたディノに微笑みかけてやっていたネアは、ぎくりとした。

という事はつまり、ネア以外の皆の傘は、もう決まってしまったのだ。


いつもならネアが真っ先に傘を決めているところなのだが、今年は未だに決められていない。


慌てた人間は棚に収められた傘達を凝視したが、今回はたまたま目を覚ました傘達からの立候補があっただけのようで、大半の傘はすやすやと眠っているようだ。


邪悪な人間は、躓いたふりをして棚に体当たりをして傘達を一度起こせば、こちらに気付いた傘が魅力的な乙女の手を求めて押し寄せる筈だと考える。

しかしながら、その為にはまず、魔物な乗り物から降りなければなるまい。



「………わ、私の傘は………」



魔物の腕の中からだが、ネアは、どうにかして素敵な傘と出会ってみせると思い、一本の傘に手を伸ばした。



その瞬間のことだ。



ずがんと音がして、一本の傘が飛び込んでくるではないか。


ネアが触れようとした綺麗な檸檬色の傘の前に割り込んで、すやすや眠っていたその棚の傘達がぎゃっとなる程の勢いで激突したのは、どこからともなく現れたこっくりとした赤紫色の傘だ。


色相が暗いので封印庫の魔術師は避けたのだろうが、鮮やかな色合いながらも紳士物だという洒落た傘で、いきなりの登場でネアの心臓を止めそうになった以外に、気になるような気配はない。



思わず触れてしまったというよりも、手のひらの中に体を捻じ込んでこられたので手にしてしまったその傘は、ご機嫌で尻尾を振る犬のように見えた。



「アルテアの傘だね」

「な、なぬ。またしても、使い魔さんの傘なのです?」

「わーお。執念深いぞ………」

「………天候などの色相によっては暗い色に見えなくはないけれど、これなら大丈夫ではないのかな。ネア、この傘はどうだい?」

「はい!アルテアさんの傘なら安心です!この傘さんにしますね。…………まぁ。その棚の傘さん達は、すやすや眠っていただけなので虐めてはいけませんよ?」



べしりと体を捻って飛び込んだ棚の傘達を払い除けていた赤紫色の傘は、ネアがそう言うと、ぴしりと体を伸ばし澄ましてみせた。

そっと手を伸ばして触れると、手の中で小さく震え、大人しくなる。

とてもお利口だ。



「うん。色々複雑だけど、今年は、アルテアの傘があって良かったんだろうね。………アルテア本人じゃないのに、何で毎回ネアを選ぶのかは謎だけど……」

「アルテアなんて………」



だが、アルテアの傘と言っても、こうしてウィームの傘祭りに流れてきた品物なので、魔物として愛用していたような道具ではない。

それでも、普通の人間であれば手に入らないような材料を使っている贅沢な物もあるし、尚且つ、一度は選択の魔物が手に取った道具としてある程度の力を持つ。



(という事は、アルテアさんの傘がそうして残るように、クライメルという魔物が手にした道具が、どこかに残っていても不思議ではないのだわ)




無事に傘の選定を終えて部屋を出たネア達は、扉の外で待っていてくれたウィリアムと共に封印庫を出ると、外まで見送ってくれた封印庫の魔術師と別れた。


ノアは封印庫に残り、封印庫の魔術師達の立ち合いで、陶器の船の置物を調べてくるのだそうだ。



リーエンベルクに戻ってから、ネアが手にしたのが二本目のアルテアの傘だと知ると、終焉の魔物は少し複雑そうにしていたが、ネアが見たものについて聞くと、口元に手を当てて考え込む様子を見せる。




「そう言えば、…………クライメルは、ヴェルリア近海で悪さをしていた事があったな」

「船と白夜を揃えるのなら、そのあたりが妥当だろうな。元々、あの伝承は、南方の島国から入ってきたものだ。…………だが、船の置物を作ったのが、かつてクライメルの呪いを引き受けた、ウィーム王家の王子だった事が気になるな」



そう言ったのはグレアムで、今回の問題が傘祭り全体に波及しかねないことと、古い時代のウィームについて知っている者であることを踏まえ、急遽リーエンベルクに招かれている。


幸いにもウィームに滞在している日だったので快く応じてくれたが、アルテアが不在にしている時に、魔術の扱いに長けたグレアムの知恵を借りられるのはとても心強い。




「………その王子は、どうなったんだい?」


静かな声で尋ねたディノに、グレアムは少しだけ厳しい表情になった。


「例の、リーエンベルクの外周にいた、箱馬車の呪いの関係者ですよ。俺自身も不在にしていた期間があるので、この地を離れた彼の顛末までは追い切れていませんが、長らくあの呪いが現れていなかったことからすると、彼自身は呪いの退け方を見付けたと考えるべきでしょう」

「…………あの箱馬車の呪いは、再派生も含めて潰してある。となると、あの船の置物が、何らかの因果を帯びたのかな」

「加えて、ネアが、遠方地からの迷い子であることも関係しているのでは?あの船に呼ばれるのは、異郷の地で命を落とした死者達です。そのような死者達をいたずらに彷徨わせるよりは、執着を断つ役に立つと思っていましたが、残しておかない方が良かったのかもしれません」



グレアムはそう考えたようだが、ディノは短く首を横に振った。



「いや、それはそれで良かったのだと思うよ。文化に大きな差異のある土地の死者達が残ると、あらざるもの達を呼び込み易くなる。定期的にそれらを回収出来ていたことで、ウィームが守られていた面もある筈だ」

「でしょうね。ウィームには、あまり異教の凝りがない。土地の魔術が安定していることもありますが、幾つかの機能が偶然にでも整い、上手く浄化を続けているということもあるんだと思いますよ」



ウィリアムも頷き、ちょうどヒルドが淹れてくれた紅茶を飲もうとしていたエーダリアが、目を瞠っている。



「死者の日などに、毎年の死者の内訳を反映して道を作ってはいるのだが、そうして残された道具類が、循環を助けている部分もあるのだな」

「ああ。なので、その部品となっているような品物は、一概に壊して済むというものでもないことがある。あの船は、数年に一度は封印をかけ直していたということだから、かなり大きな役割を果たしているんだろう。………俺の推測だが、…………集めた物の中に問題になる傘に纏わる記憶があったのではないか?」 


ウィリアムの問いかけに、ふうっと息を吐いたグレアムは、夢見るような灰色の瞳を細め、思考を巡らせているようだ。

こうした時間に魔物達の記憶と叡智の中で、どれだけの可能性が挙げられては潰されているのか、ネアには想像もつかない。


「そうだな。俺も、そのようなことだと思う。どこかで、今回の傘祭りに出てくるであろう傘に由縁があり、ウィーム近くで斃れたものがあったんだろう」

「………そのような物を、あの船が取り込んでしまったのですね………」



ネアの言葉に、グレアムはゆっくりと頷いた。

可能性を議論し一つずつ潰してゆき、徐々に道幅が狭まってきたからか、表情が柔らかくなったようだ。



「よく、水辺には、良くない魔術が凝る事があると言われるだろう?今回のことも、浄化装置となった船の置物に、たまたま問題のある魔術の履歴が集められたのだと思う。ネアとウィリアムにだけ船の上の影が見えたのは、それぞれの立場が、船の役割と結んだからだろうな」

「それが、クライメルさんのものだからこそという部分は、お話しされていたウィームの王子様に関わるのです?」

「その王子は、ウィームを守る為に、一つの呪いを引き受けた。受け皿として、双方を紐付ける為の魔術を敷いたことで、あの船の中でクライメルの要素が浮き上がりやすくなっているのかもしれない。………これがクライメルの術具なら、他の感知魔術に引っ掛かるんだが、今回は反応が弱すぎたことで、可能性の裾が広がりすぎたな」

「………そして、傘見舞いさんが現れた事で、隠れていた線が浮かび上がったものの、それは傘祭り当日までは捕捉出来ない可能性が高いと運命付けられてしまったのですね」



ネアの言葉に、エーダリアがこくりと頷いた。



「今回、傘見舞いを受けた子供は、可動域が低い子供でな。元々傘祭りには参加出来なかったそうなので、母親も家からは出さないと話している。念の為に、傘祭りの当日は街の騎士達にも交代で見回りを頼んであるので、そちらで被害が出る事はないだろう」

「ええ。となるとやはり、………街に出る傘の方に、ネア様の見た、白夜の魔物との由縁のある傘が紛れていると考えるべきでしょう。魔術感知に届かない程度の品物とは言え、その魔物に結ぶとなれば、ある程度の履歴と経路は特定出来そうですね」

「うん。出来るのではないかな。その船の置物に寄せられたということは、船を使って異国からやって来た品物なのは間違いないだろう。伝承のある土地からの訪問者や死者は、絞り込めたかい?」

「ダリルが二人の商人の名前を挙げてきました。ただ、記録にない事件や事故もあり得ますから、そちらを引き続き追っているそうです」




(…………良かった)



安堵というのが、正しい表現だろう。

今回はまるで役に立てないのかなとしょんぼりしていたが、ネアが触れる事が出来た情報が、問題となる傘を特定するのに役立てば、少しでも力になれている気がする。



そう考えていると、扉が開いてノアが入ってきた。

目が合うとひらりと手を振ってくれたので、懸念していたようなことはなかったのではないだろうか。


また一つ安堵を積み重ねて、ネアは、そろそろいいだろうかとお皿の上の焼き菓子に手を伸ばした。



「よいしょ。戻ったよ!」

「有難う、ノアベルト」

「うん。封印庫の魔術師達は、凄いよね。あれだけの封印をするとなったら、僕でも時間がかかるのに」

「調べてみて、あの船はどうでしたか?」

「うん。あの船の置物自体は問題なさそうだね。寧ろ、管理は封印庫に任されていて、厄介な死者を集めているのなら、かなりいい機能を果たしている道具だと思うよ。そっちに驚いたくらいかな」

「…………そうか。良かった」

「ありゃ、エーダリアが………」



へなへなとなってしまったエーダリアは、封印庫の魔術師達が、知らずに障りを受けていることを懸念していたらしい。



「うん。あそこの魔術師達に何かがあると、大惨事になりかねないからね。……………でもまぁ、傘見舞いは、多分、傘祭りにしか結ばない悪意なんだと思うよ。とは言え、可能性は全部潰しておかないとだからね」

「ああ。俺がウィームにいた時も、そう認識していた。今回はまさかのクライメル絡みだが、何とかその範疇で収められるだろう」

「問題の傘を、早めに見付けられるといいのだけれど、それは難しいのだろうね」

「ええ。あれは傘見舞いの伝承に触れた者がいることで現れるのですが、出現と同時に前兆として成立しますからね。…………前回は、どうなったんだ?」



グレアムの問いかけに、答えたエーダリアによると、前回、傘見舞いが現れた時は、エーダリアも初めてのことだったので、ウィーム中央の人々があれこれと協力してくれたのだとか。



「………ほわ。紅茶屋さんのおかみさんが、叩き折ったのです?」

「ああ。私やグラストよりも、早くに問題の傘を見付けてしまってな。カルウィ由縁の黎明系譜の傘だったのだが、あのご婦人は当時、紅茶の仕入れでカルウィについて思うところがあったようでな………」

「わーお。私怨で戦ったっぽいぞ………」

「どうして、素手で折ってしまえたのだろう………」

「ふふ、ウィームに暮らす皆さんが頼もしいというお話なので、ちょっとほっとしてしまいますね」



かたかたことん。

窓の方で音がしたので見てみると、淡い水色の毛玉妖精が、何やら球根のようなものを束ねた塊を引き摺って歩いていた。


無言で勢い良く立ち上がったヒルドが部屋を出て行ってしまったので、あの球根はきっと、持ち去られてはならないものなのだろう。



そんな事を考えながら微笑んだネアは、ふと、もう一つ大事な事があったような気がしたが、話すべき事は全て話してしまったので大丈夫だろう。



(多分………)



様々な懸念と可能性を煮詰め、やれるべき事はやってしまえばもう、当日に如何に安全な傘祭りを開催するかのみとなる。


その為には力をつけておかねばなるまいと、ネアは、ふんすと胸を張り、二個目の焼き菓子を頬張ったのだった。
















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ