模様替えとお茶会
リーエンベルクの西棟には、万象の魔物と塩の魔物が住んでいる。
そう言ってしまえばそれだけで、勘のいい魔術師は何が起こるか察せてしまうだろう。
そもそも、ディノ一人でも過分な程の階位上げをしかねない魔物である。
それなのに、限定された土地に二人の魔物が伸び伸びと暮らしているのだ。
おまけにこの魔物達は、はしゃいだり喜んでもじもじしたり、その日のお散歩やボール遊びを楽しみにわくわくしていたりもする。
その結果、西棟は、とても魔術的な変化や負荷がかかりやすい場所なのだった。
「なので、今日は少しばかりの模様替えを行います」
「模様替え……………」
初めて聞く単語ではないのだが、ご主人様にそう言われた魔物は少しだけ落ち着かない様子で、不安げに周囲を見回している。
何しろここは、ネア達の部屋の中にある仕事部屋であるので、ディノにとっては、薬の魔物としての日々を支えたお馴染みの部屋なのだ。
「模様替えと言っても、お部屋のシャンデリアの光源を変えるだけですからね」
「……………そうなのだね」
「ふふ、ほっとしていますね?」
「ご主人様……………」
思い出の部屋が改築されてしまわないと知り、ディノはほっとしたようだ。
神経質に触っていた三つ編みのリボンから手を離し、安心したように瞳を和らげる。
「今の壁色は菫青ですが、最近はよく壁に鉱石の花が咲いてしまうので、そうすると、お花の煌めきと壁色の組み合わせがとても夜空感を出してくるのです」
「夜空感……………」
「はい。この通り素敵に居心地のいい椅子が用意されてしまいましたので、お仕事の場を取り巻く壁がそのような色合いだと、私は時々、居眠りをしてしまう危険さなのですよ」
「ネアは、眠っていても可愛いよ?」
「お仕事中なので、それはいけません!今日こそは、お部屋の色合いをもう少し明るくしましょう!」
かくしてネアが取り出したのは、雪明かりの結晶石だ。
シャンデリアに使う光源は季節によって変えることもあるのだが、今は星明りの結晶石を使っているので、少しでも壁色と結晶の花から導き出される夜空の感じを払拭するべく、雪が降る日の朝に採取された雪明りの結晶石を貰ってきた。
「この結晶石は、備品なのだね」
「ええ。リーエンベルクでは、お部屋の用途に合わせて、シャンデリアの光源を変える事は珍しくないのだそうです。魔物のお薬だけでなく、このお部屋に集めた他のお薬の保存状態を劣化させかねないので、いきなり煌々と輝くような明かりには出来ませんが、この結晶石を使うことで少しお部屋が明るくなりますよ」
「……………確かに、この季節は少し部屋が暗いのかな」
ネアの説明に頷いた魔物は、冬場の照度との相性を考えたのだろう。
小さく頷くと、ネアが貰って来た魔術のランタンの中の結晶石を、シャンデリアに入れ替える作業を手伝ってくれることになった。
なおこの作業は、定型の術式を定めてあるリーエンベルクでは、本来はとても簡単なものだ。
しかし、必要な可動域が七十からなので、残念ながらネアには出来ない。
しゃりりと音を立てたのは、結晶石を入れたランタンだ。
保管時も照明器具として分類される入れ物に入れておかないと、この手の結晶石達はすやすやと眠ってしまい、光らなくなることがあるらしい。
一度光らなくなるとそのまま石礫になってしまうので、リーエンベルクのような大量保管がある施設では、慎重に管理しているのだという。
きらきら、しゃりん。
持ち上げて見てみた雪明かりの結晶石は、幸い、綺麗に光ってくれていた。
このままランタンの中に入れておいても可愛いぞと思い始めてしまった人間は、ふるふると首を振って、光源の入れ替えに取り掛かることにした。
「いいですか、こう言うのですよ。眠れ、眠れ古い灯り、お前のお家はここにある。登れ登れ、新しい灯り。お前のお家はシャンデリア」
「……………動かないね」
「ぐむ…………。わ、私の上品さでは、物足りないのでしょう。ディノ、お願い出来ますか?」
「うん。やってみよう」
貰って来た結晶石の入っているランタンの蓋を開き、ディノがその言葉を唱えると、シャンデリアで輝いていた星明かりの結晶石がしゅんとランタンの中に飛び込んできた。
代わりに出てゆく雪明りの結晶石は、ちゃりんと音を立ててシャンデリアに収まってくれる。
ほんの一瞬の事だったが、物語の一場面のようなわくわくする光景に、ネアは拳を握り締めてびょんと飛び跳ねてしまった。
「ディノ、見て下さい!!」
「ネアが、沢山動いていて、可愛い………」
「わ、私ではないのですよ!お部屋の壁の色です!しっかり渋めの濃いめだった壁色が、少し淡い白混じりのような色合いになりました!!」
「ああ、明かりの色を映した色彩に、壁石そのものが色を変えるのだね」
「壁色一つで、お部屋の印象ががらりと変わりました。……………ふむ。これでもう、眠たくはならない筈です」
ネアはすっかり大満足で頷くと、この世界の素晴らしい模様替えアイテムに感謝する。
元々の色が明度や僅かな色相を変えるだけなので、部屋の色合わせそのものには、大きな影響を及ぼさないのもまた優秀ではないか。
ゆったりふかふかな、仕事用の椅子に張られた布にもよく似合う。
読書用の特別な椅子とは違い、こちらの椅子は、季節に応じて家事妖精が布を張り替えてくれるものだ。
ネアの生まれた世界では、椅子の生地の張り替えは大仕事であったが、こちらの世界では、元々張り替えを見越して椅子を作っておけばさして難しくはないのだそうだ。
ネアには仕組みが謎だが、魔術でえいっとやるだけなのである。
冬場の今は、濃い青緑色に白や色相を変えた青みの緑で繊細な花柄の入った布地が使われている。
木蓮に見える花は、雪灯籠というお酒の系譜の花なのだそうだ。
甘い香りが好まれ、慶事の席に飾られることも多く、新年のお祝いにも喜ばれる花である。
(季節ごとの張り替えがあるけれど、他の季節の布柄も素敵だから、また次のものも楽しみだな……)
夏場に使う、麻のような質感の淡い水色の生地に、繊細なパステルカラーで草花や鳥姿の妖精の絵の入ったものも、ネアは大好きだ。
春先には、天鵞絨の質感で表面が白がかったミントグリーンと、淡い薔薇色の組み合わせのものになる。
なお、その頃には窓からの陽光で部屋の壁色はぐっと明るく見えるようになり、日中の壁色は淡い青みの緑色に見えなくもない。
様々な資質を孕んだ鉱石を使っている内装だからこそ、複雑に表情を変えてくれるのだった。
この椅子の布の張り替えは、時々、新作の色合わせが出現するので少しも油断がならない。
一度だけ現れたアメジスト色の布も素敵だったが、その布を使うような季節は壁色が暗くなるので、部屋の色相が沈んでしまうと、その後は使われていない。
だが、ネアはあの布もとても好きだったのだ。
(今は、別のお部屋で使われていて、そちらの部屋の水色の壁にはとっても鮮やかで素敵なのだわ)
ちょっぴり惜しさもあるが、やはり映える場所に使われるのが生地としても本望であろう。
なのでネアは、時折その部屋に遊びに行くことで、美しい椅子色を堪能している。
カーテンも、絨毯も。
花を生ける鉢や花瓶に、カーテンを留めるタッセル飾りまで。
リーエンベルクでは、季節ごとに装いを変えるものが沢山あり、住人達の目を楽しませてくれる。
消耗品ではなく、丁寧に手入れされながら、蓄えられた物を使い回してゆくのである。
ごく稀に、擦り切れたりして使えなくなったものだけ、解体されて端切れになったり、小さな欠片になって森の住人達に配布されたりもする。
孤児院のようなところに使い回されてゆく品物もあるが、実はそちらは最近、血縁者がいなくなって分割された貴族の私財があり、とても潤っているのだとか。
使い古されて回される品物ではなく、大事に管理されてまだまだ使える服や小物、カーテンや絨毯類は、あちこちの施設を狂喜乱舞させたらしい。
何しろその一族は、衣装道楽と言われた二代前の伯爵夫人が、仕立て工房を作らせた程だったので、素敵で質の良い物が沢山蓄えられていたのだ。
歴史的な価値のある品物はそれぞれの専門分野の者達にオークション形式で引き取られ、収益は、土地を管理する貴族を失った近隣の組合に寄付される。
屋敷は、新しくその土地の守り手を任された貴族が使う事となり、既にもう荷物を運び入れ終えたと聞く。
その顛末を聞いたネアは、少しだけ、ネアハーレイの暮らしていた古い屋敷を思った。
あの屋敷にはもう、困窮していた時に失われた物ばかりで屋敷以外の宝物はあまり残っていなかったけれど、どうなったのだろうと思うと僅かに胸が痛む。
とは言え、そちら側に全てを置いてきたからこそ、ネアの新しい人生がこちら側で健やかに育まれているのだろう。
執着や由縁に引き摺られる魔術の恐ろしさはよく知っているので、手放した物を心から惜しいと思うことはもうなかった。
それは多分、ネアハーレイという名前も同じように。
「最近、寝室のカバーも、お気に入りのものが戻ってきましたので、何だか新鮮な毎日になりそうですね」
「ずっと、あのカバーでいいのではないかな」
「ふふ。私がこちらに来たばかりの頃に使っていたものなので、ディノはお気に入りですものね」
「ずっと、あれでいいと思うよ……………」
最近、揃えのセットをひと巡りして戻ってきた寝具カバーは、花枝の絵のあるものだ。
オイスターホワイトのような僅かに温かみのある白に、白とラベンダーとローズグレイの複雑な色味の花枝の絵がある布地がはっとする程に美しい。
花の部分の差し色にほんの僅かな赤紫色が入り、下地の白と葉の部分の緑が目立つので、全体の印象に華美になり過ぎない清涼さを与えてくれる。
更に素晴らしいのは、その揃えの中に、紫がかったくすんだ灰色で、同じ絵柄の枕が一つだけ投入される事である。
それが加わるだけでもう、この上なく優雅で物語的な色合わせになってしまう、ネアにとってもお気に入りのシリーズでもあった。
寝台の天蓋のカーテンをめくってその絵柄が見えると、秘密の花園のようで、うっとりしてしまう。
こちらの世界に来たばかりの時、どれだけ嬉しくて、どれだけ寝台でごろごろしただろう。
けれど、ネアは、毛皮や天鵞絨などと質感を変え、色味を変えた白灰色と青灰色だけで揃えた無地の寝具も好きだったし、水彩画のような花の絵があるくすんだ青色で揃えた物も大好きだったが、ディノにとってはやはり、今回のものが特別なのだろう。
天蓋のカーテンを下ろしてしまうと部屋の印象そのものは変わらず、カーテンを持ち上げると、部屋の印象をがらりと変えてくれるので、そんな変化を楽しむことも出来る。
色々と考えるだけでも、心の中がたたんと弾んだ。
むにゅりと緩んだ口元に、ネアは幸せな溜め息を吐く。
「……………は!気付きました。私はきっと、リーエンベルクの布類にも恋をしているのですね」
「浮気……………」
「浴室も、ふかふかのバスタオルは白一色ですが、お顔用のタオルは時々色が変わるのですよ。そうすると、ふわっと浴室の雰囲気が変わるので、嬉しくなってしまうのです」
「ネアが、タオルに浮気する……………?」
「ふふ。疑問形になってしまっていますし、これは浮気ではなく、日用品やお部屋の嗜好の問題ですからね。なお、冬場だけ寝台の上にかける天鵞絨や毛皮、ニット地などの上掛けの色合わせも大好きなのです。以前に今の寝具カバーだったときにはライラック色と菫色のものでしたが、今回は、綺麗な白灰色なのですよ」
荒ぶる好きの思いにふんすと胸を張ったご主人様を見て、ディノはこくりと頷いた。
浮気ではないのなら、ここは同意しておこうと思ったのかもしれない。
なお、何種類かの色合わせのあるネアの寝台に対し、本来だったらディノが使う筈だった部屋の寝台のカバーや枕などは、男性でも使いやすいような色が多いような気がする。
こちらの寝具類は、時々、アルテア達が使うくらいなので、年に二度くらいしか変更されないようだ。
「……………私がこの世界に来たばかりの頃、あの寝台の上に座っているディノは、花影に浮かび上がるような綺麗さで、大好きだったのを思い出しました」
「また、座るかい?」
「あらあら、夜には一緒にあの寝台で眠るのですから、その時にたっぷり堪能してしまうのですよ?」
「かわいい……………」
「……………こうして様々な美しい色の合わせを楽しめてしまうのは、リーエンベルクに暮らすようになってからの贅沢の一つなのです。庭園に、次はどんなお花が咲くだろうと考えるようで、こんな変化だけでも充分にわくわくしてしまうのですね……………」
ふっと、頭の上に手のひらがのせられた。
首を傾げたネアに、ディノはどきりとするような優しい目で微笑む。
壁色が明るくなったとはいえ、仕事部屋の中には、朝から雪が降り続く窓の外からの暗い灰色の光が薄く引き伸ばされて落ちる。
その中でこちらを見ている魔物の瞳は、息を呑む程に鮮やかであった。
「なので、巣を洗いに出すことにも、同意して下さいね?」
「……………虐待する」
「大事に大事に、揃えた宝物を長く使ってゆくようにしましょう。さて、ノアのお部屋の様子を見に行きますよ!」
「また叱られてしまうのかな………」
「カーテンに悪さをした魔物さんですが、今回は、自分でも何かしでかすと分かっていて、予め状態復元の魔術をかけてあったのだとか。なので、無事にやり過ごせたようです」
「うん。………損なわれないように、状態保存の魔術をかけておくのでは、駄目なのだね………」
「それでは、爪でばりばりした感じがしないのだそうですよ」
「ノアベルトが………」
そんな話をしながら、星明かりの結晶石が戻されたランタンを手に、部屋を出る。
廊下沿いにある義兄の部屋に向かうと、ちょうど家事妖精がリネン類の入れ替えに来ていたので、ランタンの返却場所を尋ねた。
「持っていってくれてしまいました。あの方の担当ではないお仕事だとしたら、負担をかけていなければいいのですが………」
「大丈夫じゃないかな。ネア達の部屋に使われた物って、祝福の付与が濃いらしくて、掃除や洗濯も含めて家事妖精に大人気らしいからね。あの子達はさ、大事に使われる品物の手入れが好きなんだ。だから、タオル一枚を洗濯する時にだって、そういう物がいいんだよ」
「となると、ノアのお部屋は不人気なのです………?」
「ありゃ。僕が悪さをするのは、カーテンと絨毯だけだよ。他のものは大事にしているからね?」
「むぅ…………」
「わーお。疑われてるぞ………。シル、どう?僕の新しい部屋!」
苦笑したノアは、ディノが部屋の中を見ている事に気付き、そう言って両手を広げてみせる。
いくら魔術で復元されるとは言え、虐げられたカーテンと絨毯を入れ替える為に、今日はノアの部屋も模様替えだ。
なお、こちらの場合は、カーテンと絨毯を変え、長椅子の布も張り替える本格的なもので、朝から家事妖精達が忙しなく出入りしていたらしい。
その間、部屋の主人は、騎士棟でアメリアにボール投げをして貰っていた。
「色味が変わったのだね………」
「うん。僕の色じゃなくて、ぐっと柔らかくなったよね。ネア達の部屋の白みの強い青緑色みたいな壁色がいいなって思っていたんだけど、雪の祝福石と花明かりの結晶石をシャンデリアに入れると、こんな感じになったんだ。今回は、白と紫がかった青色の提案もあったけど、カーテンの色は壁色に合わせて貰って、長椅子のクッションで色味を入れたんだよ」
そう教えてくれたノアは、きゅっと唇の端を持ち上げ、ご機嫌の時の顔をしている。
「ふぁ、素敵ですねぇ。清しいけれどちょっぴり詩的で、クッションのふくよかな菫色がぴったりです!」
「うん。ちょっとラベンダー畑っぽさもあるよね。凄く気に入ってるんだ」
壁色は、柔らかな白がかった青緑色だろうか。
確かにネア達の部屋の居間の壁色に似ているが、ワントーン明るい色調である。
そして、カーテンをオパールグリーンにしたことで、部屋全体の色を揃えてあった。
深みのあるマホガニー色の家具に、カーテンの織り模様に入る、僅かな水色がなんとも繊細である。
布を張り替えて明るい白灰色の天鵞絨にした長椅子には、深みのある菫色のクッションが並んでいた。
ノアの瞳の色よりは赤みの菫色だが、ここで添えられる色が、部屋全体を柔らかな色調に纏め上げている。
床石に映ったカーテンの色は、まるで、湖畔のラベンダー畑を映した湖のようであった。
「ノアの部屋は、一度家具を入れ替えたのですよね」
「うん。最初は狐部屋だったからさ、僕が使っていくと結晶化が進み過ぎる物も多かったんだ。そのままだと、駄目にしちゃうからね。………ほら、この家具に入れ替えてからは落ち着いているよ。それに、今回の部屋の色と合っていて、凄く好きだな」
「ふふ、すっかり自慢げなノアです!」
「……………私達の部屋も、寝台の布が変わったんだ」
「あらあら、ディノも自慢したくなってしまうのです?」
ちょっとだけ張り合ってしまった魔物は、その感情をどうすればいいのかが分からなかったのか、ぴゃっとなると、ネアの羽織りものになってしまう。
ネアは、そんな伴侶の三つ編みを持たされ、くすりと微笑んだ。
「よーし。模様替え記念に、僕の部屋に、エーダリアとヒルドを招待するぞ!」
「むむ、そのお祝いの席には、どんな食べ物が並ぶのでしょう?」
「勿論、僕の妹が大好きなものかな。今日は、お茶の時間に出されるのが、木苺のタルトだった筈なんだ。みんなで、僕の部屋でお茶会しようよ」
「タルト様!」
目をきらきらさせたノアは、すぐにエーダリアたちに連絡を入れ、了承が取れると、厨房で用意してくれているタルトをこちらの部屋に運ぶ手筈を整えた。
こんな突発的な我が儘があっても、手配を引き取ったノアは公爵位の魔物である。
厨房から、紅茶のポットやカップ、タルトを載せたお皿をこちらに転移させる事が出来るので、給仕妖精にも負担がかからない。
余分な仕事を増やす我が儘とならず、速やかな会場設営が完了した。
「おや、この花はどうされたのですか?」
「庭で貰ってきたんだ。模様替えをしたんだよって話したら、庭師の妖精が切ってくれたんだけど、僕の部屋にぴったりだと思わない?」
「雪紫陽花か。とても美しいな」
「うん。だけどもう、このまま咲かせておくと枯れちゃう頃合いなんだってさ。僕の部屋だと、僕が状態保存の魔術で暫く取っておくから、より長く咲いていられるからいいだろうって」
「ふぁふ。綺麗な紫陽花ですねぇ。ミルクブルーの色合いの中央に、ふわっと青紫色が入るのです」
「…………元より庭園にある雪紫陽花の色ではありませんので、階位を上げた株なのかもしれませんね。ここまで白に近しくなったとすると、土壌の魔術が豊かなのでしょう」
顎先に手を当てて首を傾げたヒルドによると、雪紫陽花の花壇がある場所は、西棟から離れた場所なのだそうだ。
どちらかと言えば騎士棟に近い位置なので、なぜそんなに土壌の階位が上がったのだろうと考えているらしい。
「となるとやはり、いつも狐さんがボール投げをして貰う場所だからでしょうか?」
「…………ああ、成る程。アメリアとボールで遊んでいるのは、あの辺りだったな」
「それででしたか。であれば、土地の魔術が豊かになるのも納得かもしれませんね」
「………え、その時の僕、狐なんだけど………」
「まぁ、ノアは気付いていなかったのですか?狐さんの時に楽しく遊んだ場所を歩くと、ノアはにこにこしてしまうのですよ?」
「……………わーお。それ、アルテアの前で気を付けないといけないね」
「狐の時に、楽しく遊んだ場所なのだね……」
「あ、シル、落ち込まないで………」
ほかほかと湯気の立つカップが並び、温めた牛乳を入れたポットと、花蜜を使ったお砂糖もある。
仕事の合間に休憩に来たエーダリア達と、午前の仕事とシャンデリアの光源の入れ替えを終え、本日の仕事は終了なネア達とで、塩の魔物の暮らす部屋でのお茶会となっていた。
(ここが、ノアにとっての自慢のお部屋だと聞けば、どうしてお城じゃないのと考えるひともいるだろう………)
豪華絢爛な客間という訳でもなく、リーエンベルクの居住棟の内装は、美しくも優しい風合いのものが多い。
勿論、繊細な手仕事のある品々はとても希少な物だが、それよりも生活に根差した温かさが際立つ物ばかりなのだ。
だからこそここは、ノアにとっての宝物のような部屋で、ネア達の部屋にも同じような寛ぎと優しさがある。
使い込まれ、少しだけ雑多な空間には、これまでの日々のおはようとおやすみの歴史が降り積もっているのだ。
「そう言えば、お庭にある小屋も、少し模様替えをしたのですね。雪除けのカーテンが可愛らしいチェック柄になっていて、ウィームでは珍しいなと思っていたのです」
「ああ、あの雪除けのカーテンは、リノアールの専門店で作られた物なのだが、ウィームではあまり人気の出なかった柄らしくてな。品物が売れ残ってしまっていると、悩んでいたらしい。ただ、小さな妖精達は新しい物が好きだろう?その話を聞いて、リーエンベルクの庭園の休憩小屋で使えるかもしれないと、試しに買い上げた一つなのだ」
「むむ、だからチェックのカーテン鑑賞をしている、毛玉妖精さん達がいるのですね?」
「彼等には、長らく変わらない景色を好む習性もありますから、長期間となると難しいかもしれませんが、一時的に気分を変えてやるのはいいでしょうね」
そう教えてくれたヒルドによると、ひと月くらいであれば、こうやってあまり使われない柄のカーテンをかけるのも効果的なのだそうだ。
ただし、一部の妖精達が気に入らない可能性もあるので、長期間使うのであればやはり、無地などが好ましいのだとか。
「赤紫色が入ったチェック柄ですが、お庭に合った緑と水色の色味もあって、ぱっと風景が明るくなりますね。期間限定のカーテンならば、これは是非に、あの小屋での雪見お茶会もせねばなりません!」
「可愛い、弾んでる………」
「ずっと昔に、お部屋の模様替えをしたくて、布を買うかペンキを買うか、………それとも食料を買うか迷い、結局食料にした事がありました。今日は、たくさんの模様替えを見てしまい、あの頃の私が憤死するような幸せな一日です………!」
「何度でも、頼んであげるよ?」
こちらを見てそう言ってくれた優しい魔物に、ネアは微笑んで首を振った。
「せっかく、私とディノのお気に入りの寝具カバーが戻ってきたので、暫くはあの揃えを堪能するのですよ!」
「うん………」
目元を染めて頷いた魔物に、エーダリアとヒルドにクッションの色味がぴったりだと自慢している魔物がいる。
ネアは、ぽこんと咲いてしまったキャビネの端の鉱石の花に気付いたが、それもまた味わいなのだと微笑んでおいた。
本日のお話で、600話目となりました!
これまでに質問の多かった、ネア達の部屋やノアの部屋の内装などのお話とさせていただいております。
庭の小屋は、扉部分がカーテンで仕切られたもので、暖かな季節になると見回りの騎士達が野外ランチをしていたりします。
荒天時限定ですが、庭園の生き物達の避難所としても解放されるので、妖精達にとっては大事な小屋なのだとか。
引き続き、薬の魔物を宜しくお願いします。




