3. 人形劇の後には惨劇が起きます
「むぐふ。ドーナツを食べ尽くし、串焼きハムにハニーマスタードソースをかけていただき、白アスパラのタルタルソースがけと、一口チーズパイで大満足でふ…………」
ヴァロッシュの祝祭もお昼時を過ぎ、ネア達は無事に下調べしておいた屋台を攻略し終え、大満足でベンチに腰掛けていた。
伴侶な魔物は、初めて食べた白アスパラのタルタルソースがけは、緑のアスパラの方が好きだと告白するまでにだいぶおろおろしてしまい、今は、魔物なりの懺悔であるらしく、ネアの膝の上に三つ編みを奉納してある。
「ふふ、そんな風に悲しい目をしなくても、シュパーゲルはあまり得意ではなかったのなら、他のものを食べればいいんですよ」
「うん…………」
「でも、串焼きハムのソースはとても気に入ったようなので、美味しいものも見付けてくれて嬉しかったです」
「…………私があの野菜を食べられなくても、君はがっかりしないのだね?」
慎重な声でそう尋ねた魔物に、ネアは微笑んで頷いた。
ウィームの雪景色に、宝石質な真珠色の髪を持つ魔物はたいへんよく映えた。
目元に落ちる睫毛の影に、内側から光を孕むような水紺色の瞳。
そんな魔物のはっとする程に美しい物憂げな眼差しが、苦手な食べ物を見付けたからだと思えば、何だかにっこりしてしまうではないか。
出会った頃のディノは、あまり食事に喜びを感じていなかったように思う。
けれどもそこから好きな食べ物を見付けてゆき、更には以前は出来なかった食べ物の好みの自己主張を出来るようになり、そうすることでまた新しい疑問も出てきたようだ。
ネア自身は、元の世界で以前食べたことのある瓶詰めのシュパーゲルが激しく美味しくなかったので若干苦手だったのだが、こちらでえいやっと食べてみたところ新鮮で美味しくて気に入ってしまい、この季節になると一度は食べるようになったところだ。
ネアの場合、山菜類やブルスカンドリも好きなので、ちょっと珍しい季節のお野菜はどれも問題なさそうである。
なお、あざみ玉はこちらでは一般的なお野菜なので、季節になると当たり前のように食卓に上がるばかりか、瓶詰めにされたあざみ玉の酢漬けなどは通年販売されていた。
(そう言えば、アルテアさんは元気かしら………)
ネアがあざみ玉で思い出したのは、バルバというこの世界のバーベキューで、ネアに美味しいあざみ玉の食べ方を教えてくれた、選択の魔物な使い魔のことだ。
多くの人間達にとっては、決して遭遇したくない部類の残忍さを持つ艶麗なスリーピース姿の魔物であるが、ネアにはとてもよく懐いているので、パイなどを捧げてくれる健気な一面を見せてくれる。
過保護な気質も強く、最近はよくリーエンベルクに来ていたが、今週に入ってからは姿を見かけていない。
一月くらいふらりと姿を消していても勿論不思議はないのだが、最近見かけないのは、このヴァロッシュの祝祭があったからかなと考えた。
(その準備もあって、あまりリーエンベルクから離れずにいたし、今日はウィーム各地から集まった沢山の騎士さん達があちこちにいるのだから、これ程頼もしいこともないもの)
今日であれば多少怖いものが現れても、騎士達があっという間に討伐してしまうだろう。
そんな事を考えながら、円形劇場風の試合会場に向かえば、わぁぁと大きな歓声が聞こえてきた。
これはもう、決勝戦の入場が行われたに違いなく、その証拠に、それぞれの騎士に思い入れのあるご婦人方は、会場内を覗ける鉱石の柵の部分にへばりついているではないか。
「…………あの柵の部分は、入場券を買えない小さな生き物さん達の為の観覧席だったのでは…………」
「……………ご主人様」
「の、登ってしまう猛者もいるのですね………」
ふりふりっとした可憐な檸檬色のドレスのご婦人は、男前にも壁をよじ登り、その上に足をかけてグラスト様負けないでと声を張り上げている。
あまりの熱意に圧倒されてしまい、ネアは震えながらへばりついてくる魔物と、共に慄きながら体を寄せ合った。
周囲を歩く男性達も、青い顔をしてそっと目を逸らしているので、見なかったことにして己の心を守っているのだろう。
「………そう言えば、グラストさんと決勝戦で戦うのは、ヴェルリアとの国境域を守る騎士さんなのだそうですよ。ガーウィンも近いのでなかなかに難しい土地らしく、その辺りの国境域には、かなり手練れの騎士さん達がいるのだとか…………」
「ヴェルリアとガーウィンの土地の気質が違うからね。ヴェルリアはやはり火の魔術が強く、土地の生き物達は目で見てわかりやすい類の大きな力を持つ。ガーウィンは信仰の系譜が強いので、目に見えず心や魂に作用する類の魔術に長けている」
余談だが、会場周辺の雪は綺麗に踏み固められており、ざくざくといつもより硬い足音がする。
凍ってしまってつるりと転ばないように、一定間隔で雪ヤマネと呼ばれる愛くるしい鼠系もふもふが、雪が固まり過ぎると適度にほぐしてゆくのでとても歩きやすい。
雪ヤマネ達は雪道の妖精の一種で、住処のある木の上からぶーんと飛んで来て固まった雪をほぐすのだが、本来は氷の系譜の妖精達と仲が悪くて、氷の系譜に覇権を取らせない為に身につけた習性なのだとか。
今回は、会場周辺の雪道の手入れの為に三百あまりの雪ヤマネが雇われており、祝祭が終わる頃には真っ赤な美味しい林檎を一つと、ふかふかの麦藁をひと束貰えるので、応募者殺到の人気のお仕事だったと聞いている。
「アンゲリカさんも、特別な騎士さんの一人だと聞いていますが、やはりガーウィンの国境域のお仕事ですものね」
「ガーウィンは固有魔術を持つ者達が多い。魔術的な規制を受けない星の槍は、そのような者達を退けるのには有用だろう」
「きっと、そのような相性も、駐在する土地選びに生かされているのでしょうね。決勝戦に出る騎士さんは、雨降りの剣を持っているそうなので、後でノアにどんな試合だったのか教えて貰う予定なんです!」
ノアは、領主席で観覧しているエーダリアの隣に席を貰っているので、本日は銀狐参加ではなくエーダリアの護衛の一人としてきちんと人型でヴァロッシュの祝祭に参加している。
髪色は擬態しているものの、エーダリア派の者が多い騎士達の殆どは、そこにいるのがウィームとは縁深い塩の魔物であり、リーエンベルクを訪れるとボールを咥えて走ってくる銀狐であることを知っている筈だ。
それどころか寧ろ、領民の多くが暗黙の了解として知っているような気もする。
(でなければ、銀狐グッズのお店に、狐印の塩が売っている筈がないもの………)
享楽的で奔放に振る舞い、近年は人間を憎んでさえいたノアが、そんな風にこのウィームの地に身を落ち着けたことを、ネアはとても素敵なことだと思っている。
唯一の懸念は、ネアの使い魔が、銀狐をかなり気に入っている様子なのに、正体が塩の魔物であることに気付いていないことぐらいだろうか。
ここは、大変に繊細な問題なので、今後の注視が必要となる。
「…………雨の剣という銘は、少し妙だね。動いている魔術は雨の系譜ではないようだ」
試合が始まったのだろう。
会場の方を見ていたディノが、ふと、そんなことを言った。
「…………そうなのですか?さあっと雨が降って周囲が暗くなるので、知らずに戦うと驚かされると、屋台の前で会ったアメリアさんに聞いたのですが…………」
アメリアもリーエンベルクの騎士だが、今回はあえて剣技や騎馬戦に出場はしておらず、代わりに出たウィームの歴史部門でさらりと優勝していて驚いた。
優勝のお祝いを伝えたネアに、お仕事中の雪ヤマネを愛でていたアメリアは、少し難しい顔をして今年は隊長が負けるかもしれないと教えてくれた。
決勝戦で争う騎士は、昨年の騎馬戦で優勝したそうだが、その際に、二位の騎士は全く歯が立たなかったくらいの力の差があったのだとか。
(つまり、それだけ強い騎士さんなのだわ…………)
雨の系譜ではないのに雨を降らせるとはどういうことなのだろうと首を傾げていると、すっと魔物らしく水紺色の瞳を眇めたディノが、ややあって小さく頷いた。
「…………うん。やはり、氷雪の系譜だね。………恐らくは、ダイヤモンドダストに近いものを大気中に膨大に錬成しておき、雨が必要な時には時間差で溶かして降らせるのだろう。剣の銘を聞く限りは、水や雨の系譜の魔術を扱うと相手に思わせることも、その騎士にとっては大切なことなのかもしれないよ」
「……………そんなことが出来てしまうのですね…………!」
ネアは頭の中でその光景を思い描いてみたが、もくもくと雲が浮かんで、ダイヤモンドダストのような細かい氷を作ったり、雨を降らせる想像しか出来ずに、へにょりと眉を下げて首を傾げてしまった。
魔術を扱えないネアにとっては、実際に見ないと想像力で補うにも限界がある。
「…………そうなると、雲の系譜の魔術を扱う魔術師さんや騎士さんがいたら、とても強いのでしょうか?」
「雲を司るヨシュアが高位の魔物なのは、複数の気象属性を統括出来る魔物だからなんだ。複数の天候を司るからこそ、雲は系譜の生き物が多いし、雲の系譜の守護というものも確かにある。けれども、そのようなものを持っていても、要素の中のどれか一つしか扱えない筈だよ」
その説明をふむふむと聞いてみたものの、記憶の中の、お風呂のアヒルの玩具がお気に入りの魔物からは、いかにも複数属性を統べる者という偉大さはあまり感じられなかった。
と言うか、ネアの記憶の中のヨシュアは、大抵何かに怯えてぎゃん泣きしている。
(でも、複数属性を跨ぐからこそ、ヨシュアさんのような気紛れな気質がいいのかもしれない……………)
人間の社会のみならず多くの人外者にとっても、雲の魔物は気紛れで残忍な魔物だという共通認識がある。
しかし実際のヨシュアは、どこか好奇心旺盛な子供のような要素と、自分にとって大切なひとだと決めた相手に対する深い愛情を持つ不思議な魔物だ。
特に相談役で友人の霧雨のシーのイーザが大好きで、彼の為には、周囲がはっとする程の気遣いや庇護を見せたりもする。
このヴェルクレア国の王都では、かつて大きな船を沈め大きな犠牲を出した残忍な魔物としての逸話が残されていて、倦厭する者の方が多そうだ。
わぁっと、一際大きな歓声が上がった。
会場近くにゆき、少しだけ試合の雰囲気を感じようとしていたネア達の元にも、勝者を讃える観客の声や拍手が聞こえてきた。
(あ、…………グラストさんの名前じゃない…………)
「……………セルカさんということは、その方が雨の剣の騎士さんのようです。むぐぐ…………。グラストさんが負けてしまってちょっぴり悔しいですが、セルカさんもウィームの騎士さんなので、結局頼もしいのが不思議ですね………」
「グラストが負けてしまったのだね…………」
「グラストさんがまた鍛錬の時間を増やしてしまうと、ゼノが心配です…………」
以前、この剣技で負けてしまったグラストは、次こそはと鍛錬の時間を増やしてしまい、契約の魔物であるゼノーシュはとても寂しかったようだ。
そんなことにならない為にと、頑張って応援していたので、きっとがっかりしていることだろう。
やがて、会場からわらわらとお客達が出てくると、興奮した様子でお喋りをしていたり、応援していたグラストの敗戦にまた来年だと拳を振り上げていたりと、周囲はあっという間に賑やかになった。
子供達が二人の騎士の真似をして手を振り回し、柵の上では、同じように騎士の真似をして小枝を振り回している、水色のもふもふとした栗鼠妖精がいる。
「おや、ネア様ご無沙汰しております」
「まぁ、イーザさん!」
次はいよいよ人形劇だと、ネアが良い場所を求めてうろうろしていると、つい先程、その名前を思い浮かべたばかりのヨシュアの相談役のイーザに出会った。
こちらを見て丁寧におじぎをしてくれたのは、青みがかった灰色に雨だれ色の筋の入った長い髪に、灰色の瞳に水色の虹彩を持つ美しい男性だ。
大きな水色の羽にも雨だれ色の筋があり、とても目を引く美しい妖精である。
とは言え、ウィームは人外者が多いので特に擬態はしておらず、美しいシーの姿に頬を染めてちらちらとこちらを見ているご婦人方もいた。
イーザは霧雨のシーで、ネアが飛び抜けて美しいと思う妖精の一人だ。
そしてその隣には、ターバンの代わりにもこもことした毛皮の帽子を被った雲の魔物がへばりついている。
そんなヨシュアは、銀灰色の瞳をネアに向けると、なぜかとても生真面目な表情になった。
「僕を君の家に案内するといいよ」
「これからは人形劇を楽しむ予定なので、ごめんなさい」
「……………ほぇ。僕はまだこの雪の中にいなければいけないのかい?」
「それは、イーザさんと相談して決めて下さいね」
「申し訳ありません、ネア様。…………ヨシュア。ですから、寒さが耐えられないのなら、帰るようにと言いませんでしたか?」
「イーザは、もっと僕を大事にするべきだと思うよ!今日だって、出掛けると言うから一緒に来てあげたんだ」
ふんすと胸を張ってそう言うヨシュアは、ディノやノアと同じように、本来は怜悧な程の美貌を持つ魔物だ。
顔の半分には複雑で美しい白い模様があり、ターバン姿の魔物だが、今日は顔の模様は擬態で隠しており、毛皮の帽子とコートでしっかりと防寒している。
細くて長い三つ編みも、恐らく帽子の中にしまってあるのだろう。
雪靴にも毛皮がたっぷり使われていて、とても暖かそうだ。
イーザは、小さく溜め息を吐いて首を横に振ると、ネア達に事情を説明してくれた。
「今日はエイミンハーヌの誘いで、ヴァロッシュの祝祭を見に来たのですが、この通りヨシュアが付いてきてしまいまして」
「まぁ、ヨシュアさんはイーザさんから離れたくなかったのですね?」
「僕は偉大だから、友達を一人にはしないんだよ!」
「ふふ、頼もしい護衛なのですね?」
「だからイーザも、そろそろ屋内に入るべきだ。ウィームは寒いんだよ…………」
もそもそと悲しげに呟くヨシュアに、イーザは困ったような、けれどもどこか温かい微笑みを浮かべる。
勿論イーザにだって、ヨシュアがなぜついて来てしまったのかは分るだろう。
「ネア……………」
そこにやって来たのは、悲しげに項垂れたゼノーシュだった。
名前を呼ばれて振り返ったネアは、力なくかくりと項垂れたゼノーシュの姿に、慌ててポケットに準備しておいたものを取り出す。
出会ったばかりの頃、ネアがゼノーシュにクッキーモンスターという通り名を授けてしまうくらい、ゼノーシュの大好きなお菓子があるのだ。
「ゼノ、応援お疲れ様でした。クッキーを食べますか?」
「……………食べる」
「これはね、苺ジャムのクッキーで、これは檸檬風味です。こちらは紅茶のクッキーですよ」
「………………うん」
「つ、次は人形劇ですね!グラストさんは、毛玉の役なのですよね?」
「……………抽選がどこかまずいんだと思う。毛玉なのに、台詞が多いんだ…………」
そう呟き、ゼノーシュは悲しげな溜め息を吐いた。
ご婦人方から逃れる為か本来の少年姿に戻り、蜂蜜色の髪に擬態しているので、何とも痛ましい。
ネアは、どうして見聞の魔物がこんなに落ち込んでいるのだろうと首を傾げているイーザ達に、剣技の御前試合でグラストが二位だったのだと説明しておいた。
「優勝ではないと、その…………」
「…………あのね、グラストの鍛錬の時間が増えるんだ…………」
「成る程…………。であれば、その鍛錬に参加出来るような方策を考えるしかないのですね」
柔らかな大人の微笑みでそう答えたイーザに、ゼノーシュは綺麗な檸檬色の瞳を丸くした。
きゅっと抱き締めたくなる可愛さに、ネアはむずむずする手を握り締める。
「……………僕も、参加出来るの?鍛錬なんだよ?」
「鍛錬の補助であれば出来ると思いますよ。他の騎士達に、どのような助けが有用か尋ねてみられては如何でしょうか?」
「……………そうしてみる!」
漸く希望が見えたのか、こくりと頷いたゼノーシュには、ネアから追加のクッキーを捧げておいた。
受け取るなり個別包装の袋を破って、すかさずもすもすと食べているので、鍛錬が増えるかもしれない問題は、余程の心労だったのだろう。
ネアは、イーザの頼もしさにほっとしつつ、ぺこりと頭を下げてお礼をしておいた。
「さて、人形劇もそろそろですね。イーザさん達は、エイミンハーヌさんと合流されるのでしょうか?」
「いえ、共に剣舞と騎馬の試合を見ましたからね。後はヨシュアに屋台の食べ物を買ってやり、帰るところだったのですが…………」
「……………人形劇は、楽しいのかい?」
さっきまで寒いのでどこかに入りたいと言っていたヨシュアだが、人形劇の開始が近くなり、周囲がそわそわし始めた空気を感じ取ったのだろう。
楽しみを逃すのは嫌なのか、きょろきょろと周囲を見回し、どこか頑固な目でイーザを見上げている。
これはもう、絶対に人形劇を観るのだという眼差しだ。
「…………あなたが、大人しく観られるのであれば、構いませんが…………」
「じゃあ、僕も人形劇を見るよ!ネアもいるからね!」
「なぬ。一緒に観る気満々ですね…………」
「ヨシュアはいらないんじゃないかな………」
「ふぇ…………」
「ディノ、人形劇はみなさんのものですからね?」
ゼノーシュも、グラストが毛玉役で出る人形劇なので、観客の中に雲の魔物が混ざっていても騎士達は大丈夫だろうかと首を傾げていたが、こうなるともう、連れて行くより他にない。
イーザは一緒に行動するとなるとご迷惑だと説得しようとしていたが、するとヨシュアがネアの背中に隠れてしまうので、渋々諦めることにしたようだ。
「重ね重ね、ヨシュアがご迷惑をおかけして申し訳ありません…………」
「いえ、こういうものは、みんなで観た方が楽しいですからね」
「イーザ、僕はあの揚げ菓子でいいよ」
「む。ドーナツですね…………」
「うん。そのドーナツだよ!」
「……………ヨシュア」
結局、ヨシュアは開演前にドーナツも買って貰い、はぐはぐ食べてその美味しさに目をきらきらさせながら、ネア達の隣で人形劇を観ることとなった。
ヴァロッシュの祝祭の最後を彩るのは、騎士達による自作の人形を使った人形劇である。
人形劇は、一応は子供達が主役の時間であった。
一応と言わざるを得ないのは、将来の伴侶候補を見定める鋭い視線の乙女達が子供達の背後に陣取り、只ならぬ雰囲気を醸し出すからで、何人たりともその視線を遮ってはならないという不穏な空気が辺り一帯に漂っていた。
勿論、その周囲には普通に人形劇を楽しむ領民達も集まるし、一段高くなった位置に設置される領主席には、護衛を付き従えたエーダリアも座る。
(ノアは別行動なのかな…………?)
姿の見えない義兄を探せば、エーダリアの隣にはヒルドが控えているからか、ノアは、先程までの擬態を変えてまた別の擬態をし、観衆に混ざって警備をすることにしたようだ。
思いがけずすぐ近くに立っていたノアは、こちらに気付いておやっと眉を持ち上げ、続けてヨシュアを発見すると眉を顰めている。
上手に人波をすり抜けると、不服そうにネアに耳打ちした。
「…………何でヨシュアがいるのさ」
「ノア。ヨシュアさんは、人形劇に興味津々なんですよ。…………むむ、始まりますね………」
「ネア、もう少しこちらにおいで。危ないといけないからね」
「ディノが羽織ものになるのは、揚げ鶏さんが怖いからでは…………」
「ご主人様……………」
そうこうしている内に周囲を照らしていた篝火が消され、辺りが暗くなった。
設営された立派な舞台がぺかりと明るくなったので、ノアはまた後でねと囁き、警護の仕事に戻ってゆく。
「ほぇ……………」
人形達が登場すると、ヨシュアが呆然とするのが分った。
この人形劇は可愛らしい小さな人形ではなく、成人男性の身長をゆうに超える大きなものが出現するのだ。
おまけにその人形達は、魔術操作で複雑に動くので、こうして魔術の火に照らされた舞台の人形達には何とも言えない迫力がある。
木や布、鉱石や花などを飾られた人形が多いのは、そのような素材をふんだんに使うことで魔術の操作を楽にしているからだという。
ネアは、一度人形の内側を見せて貰ったことがあるが、術符をみっしりと貼り付けられており、さながら呪いの人形のようで震え上がってしまった。
「今年のお姫様役は誰でしょう…………」
「その役で良かったのかな……………」
なお、今年の人形劇では、大きな波乱が起きていた。
残念ながら、お姫様役の騎士があまりにも役に入り込み過ぎており、異様な迫力の低音ボイスで演じられるお姫様は、どう考えても悪役めいて見えてしまう。
凶悪な祟りものに狙われている被害者ではなく、背後で祟りものを操る黒幕にしか見えないのだ。
子供達の中にも恐怖で顔を引き攣らせている子がいるので、近くで見ていると、あの地の底から響くような声と、なぜそうしてしまったのかが謎な真っ黒なドレス姿のお姫様人形は、いっそうの迫力なのかもしれない。
その代わり、恐らくは昨年のお姫様役に違いないという可憐な人形と声音は、今年は女中頭役に引き継がれていた。
うっとりするような美しいメイド服の聡明で朗らかな女中頭の人形が登場すると、子供達がほっとしたように笑顔になる。
今年は、そんな女中頭と、お姫様を支える庭師役と年老いた前騎士団長のマルケス、無名の酒場のお客一と二がたいそう上手で、彼等が登場するとあっという間に物語に引き込まれてしまう。
前回グラストが演じた酒場のおかみさんについては、かなりのお色気なので、こちらも新しい解釈で楽しい演技だった。
動かす人形に声を当てながら、繊細な魔術操作をするのがこの人形劇だ。
動作の一つ一つにその騎士の魔術の力量が現われてしまい、この人形はイマイチだぞと判断させられてしまうと、子供達の眼差しが露骨に冷やかになる。
騎士達が必死になるのも頷ける、なんとも残酷な舞台でもあった。
「…………ふぇ。揚げた鶏が喋った」
「やはり南瓜は割れるんだね…………………」
そんな中、魔物達を震え上がらせる一幕が訪れた。
酒場でお客に出された揚げ鶏は、今年はゼベルが演じているようだ。
かりかりじゅわっとした質感も見事で、どこからともなくいい匂いまでする美味しそうな揚げ鶏人形は、揚げたてで衣をぱちぱちさせながら、食べられてしまう恨みと悲しみを込めて、町人達に毒づく。
お前達も祟りものに食べられてしまえと叫ぶのだが、怒った酒場のお客にさくさくと食べられてしまい、舞台はしんとした。
(ど、どうしよう…………。悲し過ぎる!)
ネアは、これはまずいぞと慌てて周囲を見回したが、案の定、揚げ鶏の演技があまりにも迫真過ぎて、子供達は真っ青ではないか。
そんな揚げ鶏を笑った南瓜が落ちて粉々になるシーンも妙に迫真の演技で続き、ばらばらになって動かなくなった南瓜の無残さに、わっと泣き出してしまう子供もいたくらいだ。
幸い、その後の劇は恙なく進み、主人公の騎士団長もなかなかの出来栄えで、戦いの場面などでは、子供達からわぁっと拍手が上がるようになる。
ネアがほっとしたのは、前回は話題を攫った主人公の飼い犬ミルキー役が、今回は可もなく不可もなくというところで、上手に主人公役の演技を殺すことなく補佐していたあたりだろうか。
そして、人形劇のクライマックスで、その悲劇は起こった。
クライマックスでは、とうとう黒幕の祟りものが現われ、愛するお姫様を守るべく主人公が勇ましく戦うのだが、その祟りもの役の騎士がすさまじかった。
ただ、すさまじいと言っても、残念ながら、演技が上手だった訳ではない。
あまりにも棒読みの台詞と、ヘドロの精が布に転職したかのようなおどろおどろしい祟りもの人形が妙な調和を見せ、劇を見守る領民達に大きな衝撃を与えたのだ。
効果として施したのか、うっかりで絵具か何かを零したのか、べったりと赤黒くなっている部分が惨劇の跡のようで、上手く縫えていない布の間から見える動作用の術符が何とも悍ましい。
おまけに人形にあれこれ工夫しようと奮闘したものか、枯れた草やおかしな模様のキノコ、さらには引っかかったような毛皮まで吊り下がっており、本物の祟りものより恐ろしい祟りもの人形がそこにあった。
怖がって悲鳴を上げたりする余裕すらなく、子供達はぴしりと凍りつく。
領民達もうっと息を飲み、ざわざわと恐怖の囁きが揺れた。
「……………むぐ?!」
ネアは、これは凄い作品が出来上がってしまったなと眺めていたところで、怯えた魔物達に左右からへばりつかれ、押し潰されそうになってしまう。
合成獣などの歪な生き物が苦手な魔物達にとって、この祟りものの人形は余程恐ろしかったようで、ぶるぶる震える魔物達にサンドイッチにされて遠い目をしていると、イーザが慌ててヨシュアを引き剥がし、回収していってくれた。
「…………申し訳ありません!」
「ふ、ふぇぇ!」
「ヨシュア、子供達もまだ、誰も泣いていないでしょう……………」
「ふぇぇぇ!あの布が嫌だ!!」
ネアは心の中で、きっと子供達は怖くて泣く余裕すらないのではと思いはしたものの、その後ろに立っている乙女達は元気に舞台を応援しているので、何とか劇は続いていた。
乙女達は恐らく、人形の向こうに心の目でお目当ての騎士を透かし見ているのかもしれない。
震える伴侶の魔物を男前に抱き締めてやりつつ、そんなことを考えながらネアは観劇を続けていた。
いよいよ、最後の場面である主人公が祟りものを滅ぼす場面になり、大きな声を上げて悶え苦しむ祟りもの人形の迫力におおっと感心していたところ、広場の周囲を飛んでいた毛玉妖精が、うっかりその祟りもの人形を目にしてしまったものか、空中でびゃっと飛び上がってけばけばになる姿が暗がりに見える。
「ぎゃ?!」
直後、恐ろしい人形から逃げようとして焦ってしまったのか、もの凄い勢いで飛来した毛玉妖精がネアの顔面に直撃した。
ごわごわした石のようなものが鼻の付け根あたりにがつんと当たった後、目の前が真っ暗になり、ネアはそのまま意識を失ってしまう。
そして、ネアがそのままぱたりと倒れた後、辺りはたいへんな大騒ぎになったらしい。
祟りもの人形の呪いで、リーエンベルクの歌乞いが死んでしまったと子供達が大騒ぎし、その悲鳴や泣き声を聞いた騎士達が真っ青になって舞台袖から顔を出す。
ディノまで、倒れたネアを抱えてさめざめと泣いていたそうで、慌てて領主席を降りたエーダリアが場を鎮めてくれなければ、大変な騒ぎになるところだったのだとか。
なお、ネアの顔面に直撃したのは、石たわしの妖精だったと後に判明した。
ノアが捕まえてくれたのだが、使い古されてその辺にぽいっとされた薬草茶水筒用のたわしが石化して妖精になっていたので、輪郭的にうっかり毛玉に見えただけで、実際にはかなり固い妖精だったらしい。
子供の顔面になど当ろうものなら、死者が出たかも知れないということが判明したことで、ネアは後日、何とも言えない目をしたエーダリアから厄を引き受けてくれて助かったとお礼を言われた。
ヴァロッシュの祝祭での人形劇の公演は、全三回である。
最初の回でそんな騒ぎが起きてしまった為、噂が噂を呼び、世にも恐ろしい祟りものを一目見たいという者達が集まった結果、人形劇は思いがけない大盛況で幕を閉じた。
祟りものを演じていた騎士はアンゲリカだったそうで、後日、ネアには美味しい果物の詰め合わせのお詫びの品が届いた。