怪物のおとぎ話と真夜中のケーキ
その小さな怪物は、夜になるとそっと窓を開けて庭に出て来る。
きらきら光るおとぎ話の中で踊り、ピアノの鍵盤に指先をのせて小さく歌う。
裸足で踏む芝生の柔らかさに、ふくよかな薔薇の香り。
ぱらぱらと頬に当たる雨の感触に、たなびく霧の中で虹色に光る満月。
吸い込んだ夜気には馨しい魔法の匂いがして、いつかここではないどこかでなら、きっと一人ではなくなるのだと考える。
ここではないどこか。
そこでなら上手くやれると考えるのは、何も、想像の中の向こう側の自分が特別だからではない。
寧ろ、凡庸でいい。
何も持たずに空っぽからでもいい。
ただこの記憶さえ持ってゆければ、もう一度の全てを、今度こそ正しくやり直してみせるだろう。
明るい陽光の下で誰かの手を掴み、誰かとお喋りをしておはようとおやすみの挨拶をする。
当たり前のことばかりで、ここでは手の届かない贅沢ばかりであることに身震いする。
そのいつかは、いつだろう。
いつかと願いながら、毎日を一人きりで歩く。
どこまでも、どこまでも。
一人きりで歩く。
風に揺れる青々とした夏草の色に、雨の中に滲む紫陽花の彩りと、街に開く色とりどりの傘。
真っ赤な秋の果実に、誰もいない金色の森の中で、特に食べられる訳でもないけれど、可愛い団栗を拾う。
ああ、ここは、なんて美しくて寂しくて、呪わしい世界だろうか。
だからその怪物はいつも、夜になると安全な家の中から這い出してきては、おとぎ話に書いてある秘密がどこかに隠れて落ちていないかと、一人ぼっちで探していたのだ。
小さな茂みの中や、月影の揺れる川の中を覗き込み、そこにかつてはかかっていた小さな橋の名残の石積みを踏む。
薔薇のガゼボにはもう見事な薔薇は咲かなくなり、病に蝕まれた胸と肺と足とでは、肥料の代わりに埋めるものは探せなくなった。
それでも、まだまだ行きたいところは沢山あった。
この世界は広くて美しいのだから、そのどこかに、ずっと探しているおとぎ話の魔法が隠れているかもしれない。
あの国のお城やその国の森を見てみたいし、古くて広大な美術館や、壮麗な街並みに降り積もる雪の中を歩き、異国の風の中で訳知り顔で飲み物を飲んだり、川沿いの街の夜景をわくわくしながら眺められたなら。
どこにだって行きたいのに、どこにも行けない。
だから、その小さな怪物が旅するのは、いつだっておとぎ話の中だけだった。
夜になるとまた、扉を開く。
花の香りに木々の匂い。
どこかの幸せな家から聞こえてくる笑い声に、腹ペコの怪物を惨めにする、クリスマスクッキーの甘い香り。
野生の草花で編み込むリースだけはいつも、この手に得られる僅かな喜びで、本当は綺麗な色に塗った松ぼっくりや、瑞々しい薔薇の花が欲しいけれど、それはさすがに手が出ない。
出来るものを出来るだけ。
けれども、心は少しずつ削り落とされてゆく。
真夜中の散歩で寝静まった街を歩き、幸せな人達の暮らす家々の扉に飾られたリースを眺めて歩くのは、それでも楽しかった。
そんな小さな飾りに込められた願いと祝祭の気配に、探し続けている幸せな魔法の気配を感じられたから。
そうして天鵞絨のように美しい夜がまた明けると、朝日の一筋の光に、柔らかで愚かな心をしっかりとした繭の中に押し込める。
夜が明けると、どこにも行けないまま、切り貼りするような一日が始まるのだ。
誰かと手を繋いで、雨上がりに空にかかった虹の話をしてみたい。
あの、ショーウィンドウの中のケーキは、どんな味がするのだろう。
艶々とした薔薇色の靴はどんな履き心地で、柔らかなカシミヤのコートは、本当に想像するくらいに温かいのだろうか。
音楽の中に歌われる歌詞はどれも見知らぬ物語のようで、少しも心に響かない。
みんなが日常を積み重ねてゆく先で手に入れる当たり前のことが、そこに辿り着けなかったこの手の中には与えられないまま。
こうして歩いている場所にだって陽光は当たっていて、他のみんなと同じ道を歩いている筈なのに、どうしてこの怪物は誰にも見付けて貰えないのだろう。
どこにも行けないままでまた一日がゆっくりと暮れてゆけば、頬に手を当てて物思いに耽り、その日の唯一の贅沢だったミルクティーを飲んで涙を洗い流した。
ひたひたと、暗い湖面を踏んで。
白い花びらの舞い落ちるこの円環の中から、あの深い森の中から抜け出したなら、そこには何があるのだろう。
わぁっと声を上げて泣いても、夜明けまでには泣き止まねばならないし、腫れた目を冷やして、自分の面倒は自分一人で見てゆかなければならない。
どうして、こんなに恐ろしく悍ましい明日が、また来てしまうのかは、長らく謎のままだ。
こんな世界。
ああ、こんな世界なんて。
でも、胸の中で吹き荒れる憎悪はいつも、言葉にならずにくしゃりと壊れた。
誰かの気紛れで、たまたまその時だけ、口にした願いが叶ってしまうような特別な魔法が授けられていたなら、幸せに生きる他の誰かの日々を壊すような呪いを吐くことになる。
そう考えると怖気付いてしまうネアハーレイは、ずっと魔法を探しているからというしょうもない理由で、世界を呪う事すら出来なくなった愚かな人間だった。
「………だから、呪われるのは私一人で充分だわ」
自分のことは幸せにしてあげたいのだけれど、こんなにもあちこちの壊れた自分を楽にしてやるには、どうすればいいのだろう。
せめて少しでも早く終われますようにとかける呪いの形をした願い事がこの息を止めれば、きっと、ゆっくりと眠れる朝が来るような気がする。
それなのになぜ、子供染みた願い事を腕の中に沢山抱えたまま、まだ捨てられずにいるのだろう。
暖房を惜しみなく使った温かな部屋でぬくぬくと眠って、食べたい物を好きなだけ食べてみたかった。
滑らかで上質な生地の服を、それも新品の服を買ってしまえたなら、どんなに素敵だろう。
けれども、ずっと欲しかった家族を得られたなら、それはきっと、もう綺麗な花や美しい夜の色にすら見向きもしなくなるくらいの、一番の贅沢さだろう。
何か一つと言われたなら、それが欲しい。
だから、いつも最後に一度だけと言い訳をして、瞼の裏側でそんな自分を思い描いてみる。
「おいでおいで、優しい子」
いつかの父の声を辿ってそう願えば、目には見えないきらきらとした光が、舞台に降り注ぐ花びらのように舞い落ちてきているような気がした。
きっと、そんなものはどこにもないのだけれど、それでもずっと魔法を信じて生きてゆくしかないから。
手の施しようのない人生の全てを見捨ててどこかに出かけるには、もう魔法くらいしかないから。
目を閉じて、もう一度だけ願っておこう。
何百回目、何千回目、何万回目で願いが叶うかどうかは、誰にも分からない。
もう一度の次のもう一度で、とうとう実を結ぶこともあり得るのだ。
それは例えば、こんな月の明るい夜かもしれないし、何でもない、雨の日の朝かもしれない。
どこにも行けないネアハーレイの、ここではないどこかになら、とっておきの魔法が隠れているかもしれないから。
「ディノ」
その名前を呼べば、見つめた先で微笑む美しい魔物がいる。
ばらばらと降り注ぐ花びらの中でくるりと回ると、薔薇色の靴は柔らかく足に馴染み、足首で結んだリボンは花びらのような美しさだ。
艶々するばかりのしゃきんとしたシルクではなく、生花の花びらのように細かな皴加工の施された繊細なドレスのスカートの生地が、夢のようにふわりと広がった。
大広間の天井からきらきらと細やかに光るのは祝福の光で、大事な家族とぎゅっと手を繋ぐ。
もう二度と、この手を離すつもりはないから。
「ふふ。窓の外のお空に、綺麗な虹がかかっていますよ」
「うん。ネアが、虐待するからではないかな」
「むぅ。せっかく、ディノと何でもない日のダンスをしているので、とても張り切っているだけなのですよ?」
「………元気が出たかい?」
ふいにそんな事を尋ねられて首を傾げると、こちらを見ていた美しい魔物が、はっとするほどに澄明な瞳を柔らかく揺らした。
胸が潰れそうになるくらいに優しい眼差しに、途方に暮れたネアは、ディノの手をぎゅっと握る。
「ディノ?」
「今朝の君は、悲しそうだったから」
(……………ああ、)
ああ、気付いてくれていたのだなと思うと、なぜだか泣きたくなった。
同じ明るい場所を歩いている筈なのに、誰の目にも映して貰えなかった怪物は、今はもう、こんなにも簡単に見付けてもらえるようになったらしい。
「……………前の世界にいた頃の、夢を見たのです。ディノがいないのは、とても駄目なのですよ」
「怖い夢を見たのだね。ずっとここにいるから、安心して眠れるようになるといいのだけれど……」
「ええ。目を覚ましたら隣にディノがいて、とても安心してしまいました。…………なので今はもう、あの頃の夢を見ることはあまりないのですが、………今回は、なぜでしょうね。今日はディノとダンスをするのだと決めていて、この、ずっと昔に欲しかった靴によく似たこの靴を昨晩の内にうきうきと並べていたりしたので、あの頃の、とても強欲で愚かな私の夢を見たのかもしれません」
「他に、欲しい物はないかい?」
「欲しいもの、ですか?」
「うん。怖い夢を見たのなら、君が怖いと思うものが、もう何もないようにしよう。したいことや、欲しいものはあるかい?」
つんと痛んだ目を瞬き、ネアは、くしゅんと頷く。
本当はもう、こうしてお喋りを出来る魔物がいるだけで充分なのだけれど、ネアはたいそう強欲な人間なので、その他のものだって手に出来るだけ欲しいのだ。
それは、あの時のネアハーレイの手の中に何もなかった反動なのだと言い訳をしてしまうけれど、本当は、ネアより不幸な人間は幾らでもいる。
それでもかつての哀れな怪物は、他の人達など知った事ではないと、やっとありつけた目の前のご馳走をがつがつ食べてしまう強欲な生き物なのだった。
「みんなのお茶の時間に合わせて、会食堂で新作の苺のケーキを食べるのをとても楽しみにしているので、絶対にいただきましょうね」
「……………それだけでいいのかい?」
「むぅ。で、では、その後にお庭を一緒に散歩してくれますか?雪が降っているのにお散歩に出たい我が儘さですが、素敵な傘を持っている私は、もはやそれを我慢しないたいそう身勝手な人間なのです!」
「うん。では一緒に散歩しようか。……我が儘、なのかな………」
「はい!………そして、今夜こちらに来る使い魔さんに、アクテーのバタークッキーを買いに行く機会はありますかと尋ね、さり気なくその美味しさを思い出させてしまい、クッキーを買いに行きたくなるよう促します」
「促す、のだね……………」
「ふふ。私はとても狡猾なのですよ!」
「……………おい、聞こえているぞ」
「ぎゃ!なぜにここにいるのだ?!」
振り返った戸口にはアルテアが立っていて、ネアは、秘密の作戦を聞かれてしまったことにわなわなした。
しかし、その手に持たれた紙袋に目敏く気付くと、目をきらきらさせて凝視する。
外から来たばかりなのか、漆黒の手触りの良さそうなコートを着たアルテアは、今日は前髪を上げているようだ。
華奢な銀縁の眼鏡をかけた姿からすると、書類や魔術書などを扱うような用事の後なのだろう。
「シルハーンに頼まれていたものだ。言っておくが、食べ物じゃないからな」
「……………むぐぅ」
「おや、もう手入れが終わってしまったのかい?随分早く終わったのだね」
「たまたま、職人の手が空いていたからな。靴は、魔術の渡しになる。磨きに出したのは正解だろう」
「うん。私も魔術洗浄をかけたから気に掛ける程ではないのだろうけれど、人間の作法の中でも念の為に手をかけておきたかったんだ。有難う、アルテア」
何の話だろうと様子を窺っていると、こちらを見たディノが、ネアのスケート靴を手入れに出していたのだと教えてくれた。
いつの間にそんな事をしてくれていたのだろう。
驚いて目を瞠ると、スケート靴は、いつもとは違う靴で、違う領域に足を乗せるものだからねと、微笑んで教えてくれる。
「足引きの一件があっただろう?あのような場合、人間は、その場に触れた道具を手入れするのだとエーダリアが教えてくれたんだ。私達が使う物であればそのような調整はいらないのだけれど、人間は、外部の魔術を身の内に通してしまうものだからなのだそうだよ」
(……………だから、すぐにスケートの刃の部分を磨き直しに出してくれたのだわ)
あまり他者との関わりを密にしてこなかったネアの勝手な思い込みかもしれないが、こんな風に手をかけて貰う贅沢さは、やはり、一緒に暮らしているような人がいてこそではないだろうか。
毎日の挨拶や、日々の生活の中で育む約束と同じように、共に暮らしているからこそ気付けるような事の多くは、家の外側からでは補いきれないものも多い。
ぽつり。
ぽつりと、あの日の言葉が落ちてくる。
二階の寝室の天井に雨染みが出来ていて、今日は雨樋から落ちる雨音が大きかった。
風の強い日になると、玄関のポーチに通りの並木道からの落ち葉が沢山舞い込んでしまっていて困るし、あの白い大きなお皿は、一体どこにしまったのだろう。
少しずつ降り積もり、すっかり足元を埋め尽くしてしまった誰にも届かない日々の呟きは、多分もう二度と報われる事はないのだろう。
けれどもここでは、いつだってネアの隣に大事な家族がいてくれて、ネアが言葉にしないようなことまでを拾い上げて大事に慈しんでくれる。
「ディノ、スケート靴をお手入れに出してくれて、有難うございます。アルテアさん、職人さんに持ち込んで下さって、有難うございました」
「うん。専門の者が見た方が良いそうだから、アルテアが手入れの出来る職人を知っていて良かった」
「……………不思議ですね。私はずっと、もしまた家族を手に入れる事が出来たのなら、きっとその新しい家族に夢中になってしまい、他の事はどうでもよくなるのだとばかり思っていました。ですが、こんなに大事な魔物がいるのに、まだ、クッキーにも興味津々ですし、お庭のお散歩も楽しみなのですよ」
「……………クッキーなんて」
「あら、クッキーに荒ぶってしまうのです?」
そう尋ねるとディノは少しだけ悲しそうにおろおろし、ネアの手にそっと三つ編みを持たせてきた。
「………君が欲しがるものは、何だって手に入れてあげたいのに、……………アクテーのクッキーは、階段におかしなものがいるからね」
「まぁ。もしかして、買いに行ってくれようとしたのですか?」
「…………うん。でも、あの階段は…………」
どうやらこの魔物は、アクテーの修道院に続く階段に現れる生き物が怖いようだ。
確かに、弾んで威嚇するブロッコリー生物は苦手だろうなと苦笑し、ネアは、しょんぼりしている魔物を丁寧に撫でてやった。
先程までダンスを踊ってくれていた魔物らしい眼差しの酷薄さや美しさは影を潜め、今は、ふるふると悲しそうに震える幼気な生き物に見える。
そんな魔物が大切なあまり愛おしさで胸がいっぱいになってしまい、ネアは、この素敵な伴侶を全世界に自慢するべく、ふんすと胸を張った。
スケート靴を手入れに出してくれたアルテアにもお礼をしなければならないので、すっと首飾りの金庫から、ちびふわお気に入りのお酒の風味のあるフルーツケーキの箱を取り出す。
アルテアはなぜか顔を顰めてみせたが、無言で受け取ったので満更でもないのだろう。
ネアは、以前にお宅訪問した日に、この魔物のお家にも同じフルーツケーキが常備されていたのをちゃんと見ているのだ。
「アルテアさん、今回のフルーツケーキは、期間限定のお味なのですよ。使われているお酒がエシュカルに変わっているので、お口がしゅんとするお酒に相応しく、香りが涼やかになっていてとても美味しかったです」
「……………いつからだ」
「むむ。販売期間という事であれば、先週からでしょうか。売れ残ったエシュカルを加工して、大晦日の祝福を削ぎ落す代わりに、雪夜の祝福を与えてあるのだそうです」
そう言えば、スケート靴を納品した魔物は、いそいそとフルーツケーキの味の確認に入るではないか。
ネアは、ディノと顔を見合わせ、これはかなり気に入っているぞと頷き合っておく。
アルテアがどこかに通信をかけ、フルーツケーキの備蓄を買い占めている間に、ネアは大事なスケート靴を紙袋の中の箱から取り出し、ぴかぴかになった刃の部分を満足気に見つめた。
「今日は、白けものさんを抱っこして眠る日ですが、また夜間スケートに行きましょうね」
「アルテアなんて……………」
「これは正当な報酬なので、きちんといただくのですよ。……………そう言えば、ノアと会議に出たエーダリア様が、ボラボラ鍋は食べられなかったものの、とても美味しそうに見えたと話していましたね」
「………ボラボラは、食べない方がいいと思うよ」
「あら、私が食べてしまうと思ったのです?」
「何でも食べさせてあげたいけれど、ボラボラはやめようか………」
「さすがの私も、ボラボラは食べません!…………あの見事な刺繍の巾着を作り、凱旋パレードに駆け付けてくれた姿を見ると、食材としてはちょっと………」
不安そうにしているので、絶対にいただかない食材なのだと説明すれば、ディノはほっとしたようだ。
聞けば、魔物は竜のようにアレルギーは出ないものの、どうしても自分で食べようという気持ちにはならないらしい。
ただ、狩りをするという事に対する抵抗感はないそうなので、ネアとは違い、擬人化出来てしまう暮らしぶりへの配慮ではなく、単純に苦手食材という感じなのだろう。
食材としての加工の幅が広過ぎるせいで、精霊の伴侶にボラボラふりかけな自家製調味料を食べさせられてしまい、ひと月程、悲しみのあまりに寝込んだ魔物もいるそうだ。
精霊側は良かれと思って食べさせてくれるので、防ぎきれない事故が起こるらしい。
「まぁ。となると、精霊さんを経由した食べ物は、この時期は要注意なのですね………」
「安心しろ。真夜中の座からの持ち込みは、こちらで全部調べてある」
「………持ち込み?」
「聞いてなかったのか?真夜中の座からお前への土産があった筈だぞ」
「ネアが食べられない物だといけないから、確認が終わるまでは伏せていたんだ。………ネア、今日のお茶の時間に、エーダリア達が、真夜中の座のケーキやタルトを渡してくれる筈だよ」
「まよなかのざの!!」
何を食べても美味しかったファンデルツの夜会を思い出したネアが弾むと、なぜか、ディノとアルテアが顔を見合わせた。
「一日、一つまでだ」
「あまりに一度に食べ過ぎないようにしようか」
「なぬ。なぜに、突然の規制がかかったのだ」
「その代わり、今夜はアルテアを………あの獣と、一緒に眠るのだろう?」
「ったく。妙な約定を結びやがって………」
「こうみょうにわだいがすりかえられていますが、ものによってはふたつみっついただけるのでは………?」
足踏みをしてそう伝えると、ここで今更にネアが夜会服である事に気付いたらしい使い魔から、足踏み禁止令が出た。
「他にも、君が好きそうなものは沢山あるよ。アクテーのクッキーも、アルテアが買ってきてくれるかもしれないからね」
「やれやれだな。後からにするつもりだったが、一箱出してやる」
「なぬ」
「それに、明日は星浴びの劇場に行くのだろう?」
「はい。ずっと楽しみにしていました。今度はどんな星空なのでしょうね!」
なぜ、真夜中の座のお土産が一日に一つまでと決められたのかは、一緒に星浴びの劇場に行ってくれたノアが教えてくれた。
真夜中に作られる物の中には、人間にとっては中毒性の高い物が多く含まれるので、あまり過剰に摂取すると、離れられなくなる事もあるという。
食べ物の贈り物という事も踏まえ、ゆっくりといただいてゆくことになった。
(でも、もう私の手の中には、沢山の物があるから)
お気に入りになったケーキが一日に一切れまでと言われても、ネアのおやつ戸棚には、アクテーのバタークッキーもある。
だからもう、この怪物は、願い事の代わりに宝物で手の中をいっぱいにして、大事な家族といつだってご機嫌で暮らしてゆけるのだ。
ずっと昔に、一人ぼっちの怪物が物語の中を旅したのは真夜中で、その時間には既に特別な思い入れがあるということは、ネアだけの秘密なのである。
本日の更新は、通常のボリューム寄りのお話となりましたが、引き続き、明日の更新は短めとなりそうです。




