影の庭と黒スグリ 3
何だか知らぬ間に巻き込まれた感が凄い事件が一つ解決し、ネア達は、あらためて影の庭からの出口を探す事になった。
ジルクが出口を知っている可能性も高いのだが、擬態を解いたノアでもおおよその位置が掴めそうだというので、山猫商会の長については、悪さをしないよう地上に戻るまでは金庫預かりとさせていただこう。
何しろここには、苦手なボラボラの集落に投げ込まれ、健気に頑張っていた魔物が一人いる。
そろそろ、元の姿に戻って思うがままに慄くがいいと、ネアは、身内贔屓に使い魔の解放を優先したのであった。
「でもさ、何度か匂わせていたけど、ジルクの本来の派遣元はネアの会だと思うなぁ」
「かいなどないのですよ?」
「何しろアルビクロムは、工業と生産にかけては一大販路を持っている訳だから、商人連中からしたら、ロルロ派なんかに事を起こされて、各領間の行き来を遮られたら堪らないだろうしね。手入れでの参加だったのかもしれないよ」
「むむ。……………という事は、ジルクさんは元々、ロルロ派に手を貸すつもりはなかったのでしょうか?」
「うん。巻き込まれたのがネアじゃなくても、あちらの思い通りに動くつもりはなかったんじゃないかなぁ。それにほら、今回は、アクスか山猫か、或いはどこかの過保護な魔物が内部情報を落としたのかもしれないけれど、会絡みでの内偵だったって気がするしね」
そう言われたネアは、腕輪の金庫をこしこしと撫でた。
この中に拘束されて転がされている精霊は、売却用に紙紐で束ねた王様カワセミと並んで横たわっている筈だ。
「……………かいなどはないのですが、金庫から出して差し上げますか?」
「放っておけ。最初からそれを明かさずに、お前がどう振舞うのかを楽しんでいたのは、あいつだろうが」
「それさ、アルテアも他人のこと言えないよね?」
ネアは、そんな会話の中で、アルテアの足元で系譜の王様をじっと見上げているちびボラボラ達に気付き、とても沢山いると指摘してあげるべきかと思い悩んだ。
しかし、顔色はさすがに整えたものの、光の入らない暗い眼差しにどこか悩まし気にさえ見える選択の魔物を見ていると、それはもう、気付かないままにさせてあげるべきだという気もした。
「……………アルテアさん」
「いいか、何も言うな。ノアベルト、さっさと出口を探せ」
「ええと、あまり言いたくないんだけど、ボラボラの集落の向こう側だから、ここからかなり遠いよ。影の庭の特性で転移は出来ないしね」
「……………アルテアさんその、」
「下は見るな。放っておけ」
「いえ、そうではなく、……………手を繋ぎます?」
「……………やめろ」
心細いのかなと思い、ネアがそっと手を差し出すと、アルテアは露骨に顔を顰めた。
とは言え、一瞬切なげに揺れた眼差しを見てしまったネアは、その手を持ち上げてそっと頭を撫でてみる。
不愉快だと言わんばかりに眉を顰められたが、とは言え、手を振り払いはしないではないか。
「ふと思ったのですが、ちびふわにして抱っこしていてあげましょうか?」
「いらん。……………それと、妙な撫で方をするな」
「……………む?」
ここでネアは、既に引っ込めてノアの肩にかけている自分の両手をじっと見た。
ノアもアルテアの指摘の奇妙さに気付いたのか、そろりとアルテアの背後を見て眉を寄せ、そのまま視線をゆっくりと頭上に持ち上げる。
「……………わーお」
「上に何かいるのですか?……………ぎゃ!」
うっかりノアの視線を辿って頭上を見てしまったネアは、そこで見たもののことを生涯忘れないだろう。
先程までは見上げていても何事もなく、木々の枝葉であったそこには、黒毛皮エリンギがみっしり逆さ吊りになってこちらを見ていたのだ。
通常のボラボラよりは細身で、個体差はあまり分からないが、毛糸で作った髪飾りや、可愛らしいフリルの付け襟をしているものもいるので、亜種ボラボラも裁縫は得意であるらしい。
そして、にゅいんと長く伸びる手で、具合の悪そうな系譜の王様の背中をさすっていたようだ。
(て、手が伸びた……………!!)
その手がにゅんと伸びた瞬間、ネアは震え上がりかけてから、すんと心が穏やかになった。
くしゃくしゃのバスタオルが、空を飛ぶ世界なのだ。
手が伸びる生き物くらいいるだろう。
何を驚いているのだと、自分に言い聞かせる。
「ふむ。手ぐらい伸びますよね。アルテアさん、撫でて貰えて良かったですね」
「……………背中を、………」
「む、…………アルテアさん?」
「あ、こりゃ重症だな。ネア、アルテアの持ち上げに変えてもいいかい?」
「ごめんなさい、疲れてしまいましたか?であれば、自分の足で動きますので……」
ノアの持ち上げにすっかりと安心していたが、片手を塞いでしまっているのは確かだ。
慌ててそう申し出ると、こちらを見た青紫色の瞳がふわりと笑う。
「そうじゃなくてさ、ほら、アルテアはもう何も喋らなくなっちゃったから、せめてネアを持たせておかないと危ないからね」
「…………ここでアルテアさんに受け渡されると、我々だけ事故に巻き込まれるという、最悪の展開が訪れたりはしませんか?」
「……………え、ありそう」
「や、やっぱりではないですか!それは嫌です!私だって、ボラボラは苦手なのですよ?!」
「くそ、そいつをさっさと寄越せ」
「ぎゃふ?!安全地帯から引き離すのはやめるのだ!!私はお守りではないのですよ?!」
しかし、怒り狂ってじたばたしたネアは、あえなくアルテアの手に奪われてしまい、じっとりとした暗い目で自分を手放してしまった義兄を見つめる事になる。
ノアはとても謝ってくれたが、アルテアが崩壊したらいけないのでと、意図的に手を緩めた事を告白した。
「ぐるるる!」
「その代わりにほら、ネアはこれを持っていようか」
「……………にゃわ」
「この端を僕が持つから、これではぐれないよ。ほら、安心だ」
「にゃわ……………」
「うん。これで繋がってるからね」
「頭上にぶら下がる何百もの黒ボラボラだけでも情報が多いのに、なぜここで、にゃわなるものまでを登場させてしまったのでしょう。………しかもこのにゃわは、とても専門的なやつだと思います………」
「わーお。僕の妹は、これを見ただけで分かっちゃうんだ………」
「この前、リノアールの売り場で見たにゃわと、色違いの同じ商品です………」
おまけに、ノアが、絶対にはぐれないようにと自分の手首にその縄の端を結んでくれたので、ネアが、塩の魔物を縄で縛りお散歩させているような構図になってしまった。
こちらの魔物に首輪とリードをつけてお散歩させた事はあるのだが、人型でのこの状態はとても危険ではないだろうか。
ぎりりと眉を寄せたネアはしかし、どんどん口数が少なくなってゆくアルテアの事を考え、今はこのような事で議論している場合ではないと判断した。
(………と言うか、もしやこれは、アルテアさんが擬態を解いた事で、ボラボラ達が集まってきているのではないだろうか……………)
そんなとてつもない嫌な予感に襲われ、ネアは、周囲を見回した。
「ぎゃふ!!」
「ありゃ。どうしたの?」
「た、沢山集まってきました!!」
「………やっぱり、アルテアが擬態を解いたからかなぁ。でも、解いて貰わないと、祟りボラボラが来ちゃうし」
「……とても悲しい話になりました」
ネアは、自分を持ち上げているアルテアを怯えさせないようにしつつも、震える指先を握り込んだ。
うっかり見回してしまった森の木々の間や茂みの向こうという、ありとあらゆるところに黒ボラボラが詰まっていて、系譜の王様の訪問を喜ぶように自慢の手芸品などをはたはた振っているではないか。
ネアは感じ良くしておこうと微笑みを表情に貼り付け、けれども、絶対に振り落とされないよう、持ち上げ係の魔物にしっかりと掴まった。
「……………その、ご機嫌は如何ですか?」
「俺に聞くな。……………いいか、絶対にあいつらの気を引くような真似をするなよ」
「あまり言いたくはないのですが、アルテアさんの存在以上に、ここで皆さんの注目を集めるものはないのかなと思います」
「うわ、凄い集まってきたね。………あのさ、祟りボラボラが上から覗いているんだけど……」
「……………ふぁぎゅ。これは、今後ずっと夢に出て来る光景になるのでは……………」
「しかもさ、よく考えると、地上に戻ってもボラボラ祭りではあるんだよね」
「……………黙れ」
「アルテアさんが荒み始めたので、ノア、急いで帰りましょう!」
「えーっと、ボラボラ商店街は寄らなくていいね?」
「……………ボラボラ商店街?」
突然、予想もしなかった単語が飛び出し、ネアは首を傾げた。
ちょうど、使い魔の乗り物の上で、カードからディノに帰宅予定について報告していたところだ。
祟りボラボラがとても大きいと書いたところ、ディノは、ご主人様が襲われないか心配してくれているので、早く帰って撫でてやらねばならない。
(この森に、………ボラボラの商店街があるのだろうか…………)
こちらを見たノアは、これだけボラボラが集まってきていても、怯えてしまう事はないらしい。
そう言えば、単身でボラボラの集落を訪れていたりしたくらいの魔物ではないかと思い出し、ネアは、この上なく頼もしい同行者の存在にあらためて感謝した。
「影の庭って幾つもあるんだけど、この黒毛長ボラボラって、料理上手なんだよね。商店街に行くと、結構美味しいものが売っていたりするって、前にゼノーシュに聞いた事があるんだけど」
「ふざけるな、絶対に行かないぞ!」
「……………じゅるり」
「いいか、帰ったら、お前が食べたいものを好きなだけ作ってやる。その代わりに商店街はなしだ」
「あ、ほら、看板があった。黒スグリのパイかぁ」
「黒スグリのパイ!」
「おい?!」
食欲に忠実な人間が目を輝かせてお店の方を見てしまった事で、集まったボラボラ達の視線も、黒スグリのパイのお店に向かう。
「ムッフォウ」
「ムフォ!!」
その途端、すぐさま指令役のボラボラが鋭い鳴き声を上げ、木の上にいたボラボラの一匹が、目を瞠るような華麗な着地を見せてパイのお店に走ってゆくと、呆然と見守っていたネア達の元へ、可愛らしいお店のロゴのスタンプのある紙袋を持って駆け寄ってきてくれた。
「まぁ。パイのお土産を貰えるようですよ?」
「……………ふざけるな。絶対に受け取らないぞ」
「困った使い魔さんですねぇ。折角お店にまで走っていってくれたのですから、ここはそのご厚意に感謝せねばなりません。ノア、これはどうすれば受け取って差し上げられるのでしょう」
「アルテアから凄い睨まれてるけど、ゼノーシュが通うくらいだから、問題はないんじゃないかなぁ。どれどれ………ああ、魔術の繋ぎも切ってあるね。それじゃ、僕が受け取っておくよ」
ボラボラへの耐性が強めなノアが、そっと差し出された紙袋を受け取ってくれ、直後、森は歓喜の鳴き声に包まれた。
「ムッフォウ!!」
「ムホムホ!!」
「ムフォ!!!」
通常のボラボラより低い声なので、まるで森のさざめきのようだと思い、ネアは、ここに暮らしているのは、黒スグリのパイをくれる優しい生き物達ではないかと考えかけた。
しかし、頭上を見るとやはり沢山集まり過ぎていて怖いし、祟りボラボラは、木々の隙間から片目だけでこちらを凝視しないで欲しい。
ぶるりと身震いしたネアの背中を撫でたアルテアは、世界の裏切りに抗うかのような厳しい面持ちでいる。
「もういいな。商店街は諦めろ」
「むぅ。さすがにアルテアさんがとても苦しげですので、残念ですが、ここ迄としましょう。戻ったら、おかずサレやおかずパイを焼いて欲しいです」
「何でも作ってやる………」
「またお家にも遊びに行きたいですし、白けものさんを抱っこして寝てもいいですか?」
「好きにしろ。その代わり、ノアベルトを急がせろ」
「うむ!ノア、急いでお家に帰りましょうね。今日のおやつは、紅茶のクリームたっぷりの、オレンジのケーキなのですよ!」
「ありゃ。色々約束させられているけど、アルテア大丈夫………?」
動揺している隙を突かれて邪悪な人間に沢山の約束をさせられてしまったが、商店街への道近くのボラボラ達がみっしり詰まって低く鳴いている場所を抜けると、アルテアは見るからにほっとしていた。
震えるような深い息を吐き、クラヴァットを緩めている姿は、何やら痛ましいだけでなく色めいて見える。
ネアは、今夜はちびふわお泊りコースかなとも思ったが、アルビクロムの一件での後始末がある場合は、そうも言っていられないかもしれない。
「アルテアさん、今夜はゆっくり出来そうなのですか?」
「………アルビクロムでの、事後処理を終える迄は無理だろうな。………なんだ、パイは受け取っておいて、今更怖くなったのか?」
詰るような目でこちらを見たアルテアの瞳は、その実、この暗く色鮮やかな森にとてもよく似合う。
けれどもそんな事を指摘したらもっと弱ってしまいそうなので、ネアは曖昧に微笑んでおいた。
「今日は既に沢山のボラボラに出会ってしまいましたし、あちらの村外れ的な場所には、最後のお見送り団体がいるようです。またとても弱ってしまいそうですので、出来るだけ無理をしないよう、今夜のお仕事は早めに切り上げて下さいね」
「……………は?」
「そっか。あの場所までが、このボラボラの集落なんだね。ってことは僕達は、ボラボラの村の一番大きな通りを、端から端まで歩いたのかぁ………」
「あらあら、まるで王様の凱旋パレードのようですね」
「やめろ…………」
どこか遠くから、ボラボラ達の歌声が聞こえてくる。
いつもの鳴き声のままなのだが、悔しいくらいにいい曲がつけられていて、最後は王様を歌で見送ってくれるようだ。
村外れに向かう道中は、沿道に立つのが大人のボラボラ達からちびボラボラの大群になり、ネアは、あまりの数にぞわっとするので、じっと見ないようにした。
幼体に違いないちびボラボラ達は、王様の姿を見ることができて、感動のあまりにさざ波のように揺れている。
かなりの数がいるのか、そんな黒い毛皮の波がどこまでも続いている様子は、こちらもまた夢に出てきそうだ。
周囲の様子が変わった事に気付いて視線を巡らせたアルテアが、くらりとしたのか頭を振っていた。
一度、首元に、力なく伏せた顔を埋められ、ネアはまた頭を撫でてやる。
とても弱っているので、本当なら、帰った後はリーエンベルクでゆっくり休ませておきたいところだ。
「………アルテアさんを囮にした方々に、逃げ沼を送りつけておきましょうか?」
「………いらん。あちらの領域には、くれぐれも踏み込むなよ。ロルロの問題が落ち着くまでは、アルビクロムにも近付くな」
「気になっていたのですが、一緒にいたお嬢さんは、どうなってしまったのですか?」
「ある程度こちらの様子を見せた後で、気を失った体にして、魔術隔離庫に保管してある。持ち帰った後は、アクスの扱い次第だな」
「むむ。アクス商会に預けられてしまうのです?良さげなお嬢さんでしたのに」
ネアの声の響きの何かに、アルテアが眉を顰める。
あまりいい反応ではなかったが、ネアは、あの少女が嫌いではなかったのだ。
決して、軍服姿が可愛かったというだけではない。
「ロルロはアクスとの専属契約を結んでおきながら、足が付かないように山猫商会を使った。明確な契約違反がある以上、血族を取られるのは避けようがないだろうな。他の連中も担保には入っているが、そちらは引き取りより廃棄だろう」
「………でもあの方は、中立派に傾きかけているのでしょう?人間の目線から見ると、清潔感と凛々しさのある、目を引く綺麗なお嬢さんでした。存在感に於ける華のあるなしは、望んで得られる資質ではないので、貴重だと思います。そちらで使って差し上げては?」
「さてな。それもアクス次第だろう。俺は、あちらでは一介の議員に過ぎん。お前の執着や気紛れの為に、使われてやるつもりはないからな」
それは当然のことなので、ネアは、淡い淡い金糸の髪の毛に夜明けの湖のような青い瞳が、亡くした家族に似ているとは言わなかった。
この冷酷な人間にも、ごく稀に、こんな身勝手な執着が生まれる事がある。
それも結局は自分の為のものだが、あの少女が無残な目に遭うのではと思えば、少しだけ心がざわりとしたのだ。
「とか言って、丁寧に梱包してあるってことは、どこかで入り用とされているんじゃない?狩り上手な僕の妹が目を留めるって事からしても、あの人間に目を付けている奴が既にいても不思議はないんじゃないかな」
「……………そのような可能性もあるのです?」
「うん。アルテアが、この状況下で、意識を奪うだけで何の手も加えずに、尚且つ壊れないように梱包して持ち帰るってことは、引き取り手にはそれなりの執着があるって事だからね」
「むむ!」
人間は無機物ではないので、梱包という表現は多少気になったが、ネアの金庫にも精霊が一人入っているので、このようなものなのだろうか。
目をきらりと輝かせ、アルテアの肩にぎゅうと掴まったネアに、選択の魔物はふうっと息を吐いた。
「お前が、二度とこの人間に関わらないと約束するのなら、教えてやってもいいぞ」
「……………むぅ。では、偶然の出会いなどの私の意思ではない出会いは考慮していただけるのなら、もう関わらないと約束するので、あの方がどうなるのかを教えて欲しいです!」
「アイザックの伴侶になった事のあるアクスの職員が、事務員として欲しがっているらしいな。どの道、ロルロ家は、議員の一人を謀殺しようとした一件で取り潰しだ。そちらに引き取られた方がいいだろう」
「その方は、あの子を知っているのですね」
「ロルロとの取り引きの際に、仕入れの監察で同行したことがあるようだな。ジルクがこの場を設定した以上、ロルロを潰すのは山猫の仕事なんだろう。少なくとも、山猫の嗜好ではないと思えば、アクスの職員なんぞ入りたくても入れない奴等もいるくらいだ」
「………むむ。ジルクさんは、そろそろ金庫から出してあげます?」
「上に戻るまでは、大人しくさせておけ。その筋書きを無視してまで、自分の欲求の為にこちらの領域に手をかけたんだ」
(………ああ。そうか)
アルテアやノアはこちら側で、ジルクは向こう側。
それはつまり、人外者の理に於いては、ネアと契約した魔物達の領域を犯したということになる。
金庫に詰められたくらいで済ませてあるだけ、良かったということなのだろう。
あの軍服の少女の先行きも含め、人外者達との取引や関わりにはそれぞれの作法が伴う。
軽視してはいけないし、力のない者がその枷を外すのは難しい。
ネアはただ、懐かしい人によく似た色彩を持つ少女に、事務員として頑張るのだぞと心の中で思うばかりだ。
その行き先を知る為に結んだ契約がある限り、きっともう出会う事はないのだと思えば、この場で、彼女がどうなるのかを知りたいという欲を抑えられなかった人間の好奇心というものも、古来より変わらない人間の強欲さなのだろうか。
「さてと。アルテアがいい対価を取ったから、これで今後の心配もないかな。なんか、僕の妹と相性が良さそうな子だったし…………」
「………ノア?」
「あ、ええと、……ボラボラ!ボラボラのことだからね!………よーし。ほら、あともう一息だね。最後の出口まで見送ってくれるみたいだし、花束と手芸品の贈呈もあるみたいだよ。……………あ、踊りと歌もあるんだ」
ネアは、とても聞き流してはならない発言があったような気がしてぐるると唸ったが、村の出口に待ち構えていたボラボラの集団に気付き、目を丸くしてしまう。
「………ほわ。お花の首飾りをしたボラボラの踊り子さんたちが、華麗に舞い踊っていますよ………」
「やめろ。気付かせるな……………」
「あちらでは、祭壇のようなものを設けて、沢山のボラボラさんがアルテアさんを崇めています。こちらに来たばかりの時は、がらんどうのような森でしたが、実際には、こんなにも沢山のボラボラさんが住んでいたのですねぇ」
「………おい、迂回路はないのか」
「うん。無理だろうね。ほら、道を外れると森の中にもボラボラが沢山いるからさ、通り道がないだけ、もっと悲惨な目に遭うんじゃないかな」
「…………俺は手が塞がっているからな。押し付けられる物の受け取りは、お前がやれ。くれぐれも騒ぎは起こすなよ」
「まぁ。私も片手はにゃわを持っているので、あまり自由にはならないのですが」
「えっと、………この、アルテアへの思いを綴った看板みたいなの、受け取ってもいいのかな………?」
「ぎゅ。既にノアが、ボラボラさんの寄せ書き看板を持たされました…………」
「おい、妙な物を受け取るな!」
そこから先は、更なる密集地であった。
ウィームでのボラボラ祭りと大差ない詰め込まれ具合で、ムフォムフォ鳴く黒毛皮のボラボラにぎゅうぎゅうと囲まれ、尚且つ、頭上の木の枝から、にゅいんと体を伸ばして顔を覗き込んでくる系の好奇心旺盛なボラボラもいる。
ネアは、この集落のボラボラは黒一色なので、巧妙に目の焦点をぼんやりさせればそこまで怖くはないという秘伝の技を編み出したが、系譜の王様の代わりにお預かりしますという事にした結果、手の中に次々と放り込まれてゆく刺繍のハンカチやアップリケのあるポーチ、フェルトを使った小さなボラボラ人形を受け取り続けなければならなかった。
ノアは、あちこちから品物を持たされてわたわたしているだけだったが、アルテアは、途中からとても気配が薄まってしまっているではないか。
ああ、心を遠くに逃しているのだなと考えたネアは、頭に花輪を載せられ、フリルポケット付きの毛糸のマフラーを首からかけられてしまった艶麗な魔物の勇姿を見守った。
「まぁ。アルテアさんは何だか、イブメリアの飾り木のようですよ?」
「…………出口はまだなのか。さっさとしろ」
「むむ!これは何でしょう?甘い匂いのする、素敵な小箱が載せられました!!」
「おい、振り返るな!」
最後に、ばぁんと花火が打ち上げられ、ばらばらと花びらが降ってきた。
村の境界から向こうにはボラボラ達は進めないのか、村を出たネア達に、境界の内側からみんなで手を振ってくれる。
とてもほっこりする景色のようで、細部を認識すると若干ホラーなその姿からさっと目を逸らし、ネアは、やっと村を出たと言う安堵のままに、既にこんなに弱っているアルテアを、ボラボラ祭りの続く地上に出してしまっていいのだろうかと首を傾げた。
「あ、やっぱりだ。この村の出口がそのまま、影の庭からの出口になっているんだね」
「アルテアさん、出口ですよ!………ただ、お外もボラボラ祭りなので、また少しだけ我慢して下さいね」
「…………ウィームに帰る必要はあるのか?」
「むむ。こちらには、定められたおやつの時間があるので、リーエンベルクに帰るのは絶対なのですよ。ただし、私やノアの権限があるので、転移の間を開けてもらい、直接屋内に入れるようにしましょうか」
「それだな。さっさとしろ」
「………ずっと疑問なんだけど、………ボラボラって、アルテアの系譜の生き物だよね?何でこんなに天敵な訳?」
ノアのそんな問いかけは聞かなかった事にしたのか、アルテアは真っ直ぐに前だけを向いている。
顔を見合わせたネア達は、リーエンベルクの家族に連絡を取り、転移の間を開けて貰って無事に家に帰る事が出来た。
「ネア!」
「ディノ、無事に戻ってこられました!」
「……………アルテアは、どうしたんだい?」
「まぁ。………ディノが困惑する程の様子ですが、これは、ボラボラさん達による歓迎の贈り物を装着されただけですので、急に、ご機嫌で色鮮やかな装飾品のご趣味になった訳ではありませんからね」
「うん……………」
ネアの説明に、ディノはこくりと頷いた。
色鮮やかで可愛らしい手芸品で飾られてしまっているが、それを外す力もないのか、アルテアはネアを抱えたまま立ち尽くしている。
「………ええと、持っている荷物を置いたら、僕も手伝おうか」
「心の傷が、思ったより深そうなので、ディノも、アルテアさんから贈り物を外すのを手伝って下さいね」
「うん………。怖かったのかな………」
「その前に、この看板と花輪、どうすればいいと思う?」
「アルテアさんのお宅に、転移か何かで送っておきますか?」
「…………やめろ」
なお、後にその看板から、ボラボラ文字の研究が進む事になるのだが、それは未来の話だ。
ボラボラの手芸品だけではなく、ボラボラの亜種が暮らす影の庭で摘まれた花を使った花輪はエーダリアをとても喜ばせ、アルビクロムでの一悶着の情報はダリルをとても喜ばせた。
また、ネアはいい匂いのする小箱をこっそり開けてしまい、中に入っているのが黒スグリのギモーブだと知ると、それを譲って貰った。
なお、よれよれの選択の魔物を仕事に送り出すので疲労困憊したネアは、金庫の中に入れたジルクの事をうっかり失念してしまい、自室で引っ張り出してディノをたいへんに荒ぶらせることになる。
なぜかジルクの迎えには、グレアムとベージが引き取りに来てくれたので、ネアは、この二人は、成る程、社交性が高そうなだけあって、友人の輪が広いのだなと感心したのだった。




