紙容器の精霊と領主と雪鼠
ウィームでは、星祭りの翌日になると現れる、迷惑な生き物がいる。
それは、この地に戻るより前から聞いていた噂で、ガレンの中には、その生き物を是非に研究したいが、触れられると堪らない悪臭がついてしまうのでと、家族に反対されて諦めたのだと話してくれた魔術師もいた。
そんな生き物に、星祭りの翌日に出会うのが当たり前になったのは、いつからだっただろう。
最初に遭遇した時には、驚いて近付いてくるのをじっと見つめてしまい、悪態を吐いたダリルにその場から離脱させられたものだ。
(そう言えば、ダリルに抱え上げられたのは、あの時が初めてだったのだろうか………)
そんな事を思い出しながら、真夜中から夜明けにかけての警備にあたってくれた騎士達の報告や、ウィーム中央各所からの報告書に目を通す。
「だが、今年は少ないのだな」
「ええ。昨日のスナック菓子の事件がありましたからね。残された星屑の争奪戦が激しく、紙容器の精霊達にまで行き渡らなかったのでしょう」
「となると、問題は門の外側か………」
「私は、こちらに来てからの遭遇が殆どですので、このような状態を見るのは初めてなのですが、やはり、相当酷い事になるのですか?」
珍しく困惑したような面持ちでそう尋ねたヒルドに、エーダリアは小さく頷いた。
過去に三回、星祭りで得られた星屑が、極端に少なかった年があった。
その時も、星屑が紙容器の精霊達には行き渡らず、彼等が怒り狂う事態に発展している。
星屑が欲しいというよりは、彼等はそれを使って観光がしたいのだ。
他の観光地を見付ければそちらに向かってくれるのだが、リーエンベルクはそうもいかない。
周辺に他の観光地がないので、中に入らせろと門の外側で暴れ出した時の事を思い出し、エーダリアは遠い目になった。
「とは言え今年は、ギルドや街の騎士団も、翌日の騒ぎを軽減する為に奔走してくれたからな。紙容器の精霊の派生自体も少ないとは思うのだが……………」
昨日の星祭りでは、星の系譜の者達が、星屑の代わりに激辛スナックの紙袋を降らせるという事件があった。
王都の調査団が原因の究明にあたっているが、今問題なのは、その理由ではない。
齎された激辛スナックを食べてしまった生き物達の救護活動と、まだ回収されていないスナック袋の回収が必要なのは言うまでもないだろう。
加えて、スナックを降らせていた時間は星屑が落ちなかったので、結果として今年は、こちらに落ちてくる星屑が少なかった。
その奪い合いが激化したことによる影響があちこちで現れてきており、スナックの被害者への対応と合わせて急務とされている。
「今日の混乱は、ある程度予測出来ましたからね。紙容器の精霊の派生を抑える為の措置がなされていたのが、せめてもの幸いでしょうか」
「ああ。………やはりまずは、門の外を確認した方がいいな」
「あ、それは待った方がいいと思うよ」
かたんと音がして、扉が閉じた。
コートを羽織りながら席を立とうとしていたエーダリアは、またしてもいつの間にか執務室に入ってきたノアベルトから、そんな事を言われて首を傾げる。
万象の魔物と同じ多色性の白い髪を持つ唯一の魔物は、欠伸をしながら部屋に入ってきたので、まだ眠たいのかもしれない。
であれば、もう少し休んでいてくれても構わないのだと言ってしまいたくなったが、この魔物は、そうして線を引かれる事を好まないのだ。
「ネイ、騎士達と何か話しましたか?」
「うん。ちょっと気になる気配もあったから、夜明け前から、アルテアとリーエンベルクの周辺を見てきたんだよね。ゼベル曰く、紙容器の精霊達は、リーエンベルクの中に入れなかった事で、せめて領主に触れたいって暴れてるみたいだから、今は姿を見せない方がいいかな」
「……………そ、そうなのか」
「それと、禁足地の森や並木道で、あのスナック菓子を食べて死んだ生き物の障りが少し出ていたから、それはアルテアと掃除済だよ。前例がない事故だからさ、変な物が残らないようにしてあるからね」
そんなことを、何でもない事のように言ってのけた契約の魔物に、エーダリアは目を瞠った。
ほんの少し前の自分であれば、高位の魔物がこんな風に対価なく力を貸してくれると言われても信じられなかっただろう。
(だが、…………ここは、ノアベルトにとっても家になったのだ)
だから、エーダリアはもう、早起きをしてリーエンベルクの周囲で露払いをしてくれた魔物に対し、微笑んで有難うと言うばかりでいい。
そうするとほら、この魔物はとても嬉しそうに青紫色の瞳を細めてくしゃりと笑うのだ。
「やっぱり僕は、頼もしい家族だよね!」
「ああ。とても助かった。今回のような現象は私にとっても初めての事なので、障りや怨嗟の兆候があればどう対処するべきか、お前の意見を聞こうと思っていたのだ」
「うんうん。他にも何かあったら、全部僕が対処するよ。アルテアもさ、その為に残ってくれたんだと思うから、そっちもこき使っていいんじゃないかなぁ」
「さすがにそれは……………」
「ほら、アルテアにとって一番大事な時期が近いから、ネアが事故るのが嫌なんだと思うよ」
「誕生日の贈り物を、まだ渡せていないからだろうか………」
「あ、そっちじゃなくて、ボラボラの方。そろそろだから、万が一にでもネアが不在になるような事にはしたくないんじゃないかな」
「……………そちらだったか」
系譜の祟りものであるそうなのだが、選択の魔物は、ボラボラをかなり不得手としているらしい。
害を加えられるということではなく、崇拝されているだけであれば、系譜の王としては相応しい関係性だと思うのだが、どうしても苦手なのであれば、出来るだけ接触は控えたいだろう。
それでも不思議と縁があるのは、系譜の王に拝謁したいという、ボラボラ達の願いの強さ故かもしれない。
そう考えると、いささか不憫なような気がした。
かたんと、魔術通信端末を置く音がした。
ヒルドが使っていたのは、王都の第一王子派との専用回線の物で、この通信端末もかつてより随分と使われるようになっている。
(昨晩も、兄上から、リーエンベルクは大丈夫だったのかと連絡が入ったくらいなのだ………)
内容としては、ネアあたりがあのスナックを食べたのではという懸念からの連絡だったが、それでも、以前はここまで密なやり取りはなかった。
「何か判明したのだな」
「………ええ。どうやら、ガーウィンの菓子店の者達が、あの商品が売れるようにと昨年の星祭りで願ったことが発端だったようですね」
エーダリアがノアベルトと話している間に、王都からの連絡を受けていたヒルドが、苦々しい表情でそう報告してくれる。
エルゼという名前が会話に上がっていたので、通信の相手はあの代理妖精だったのだろう。
「ああ、そんな感じだったんだ。願い事っていうのはさ、無対価でも跳ね返りがある場合も少なくないから、考えて願わないと」
「であればあなたも、どこかへ隠してある盗品が取り返されないようにと星屑に願うよりも、早めに返却しておいた方が、跳ね返りが少ないかもしれませんね」
「……………え、何で僕の願い事を知ってるんだろう」
魔物らしい眼差しで微笑んでいたノアベルトは、いとも簡単にヒルドにやり込められている。
きっと、星屑に、銀狐があちこちから持ち去ってきた品物の隠し場所が、ヒルドに見付からないようにと願ったのだろう。
どうして人型の時にもそう願ってしまうのだろうと思わずにはいられなかったが、ついつい、くすりと笑ってしまった。
「さて、本日の予定をおさらいしましょう。今は、街の見回りに出る騎士達の報告を取り纏めておりますが、被害の大きな場所へは、視察に出られますか?」
「ああ。近くだけでもいいので、出来れば直接見ておきたい。このような事はもう二度と起きて欲しくないが、二度目がないとは言えないからな」
それでも、エーダリアが現場を見るのは、リーエンベルクの騎士達や街の騎士達が、危険を取り払った後なのだ。
だとしても、現場を自分の目で見て知見を増やしておかなければ、今後に生かせる範囲は狭くなる。
これは単純に想像力の問題で、報告書だけで判断するには足らない情報というのは、必ずあるだろう。
なのでエーダリアは、初めて起きた事件については、出来る限り、自分の目でも現場や被害を確認するようにしていた。
「それと、グラスト達は少し休ませました。昨晩から、ゼノーシュの目を、頼り過ぎてしまいましたからね」
「ああ。厨房からも報告を受けている。朝食には、好きな物を頼んでくれと伝えておいた」
「あ、だからさっき、生クリームたっぷりのパンケーキって呪文みたいに言い続けているゼノーシュと擦れ違ったんだ……………」
「ですので、ネイとアルテア様に見回っていただけたのなら、この時間の禁足地の見回りは取り止め、代わりに街の騎士達では対処しきれない現場へ………やれやれ、ダリルからですね」
「私が出よう。お前は、そちらの報告書を見ておきたいだろう」
「では、お願いします」
そう言って通信端末を手に取ると、不機嫌そうなダリルの声が聞こえてきた。
「なんだ、エーダリアか」
「ヒルドは、騎士達からの報告書の整理をしてくれているのだが、代わった方がいいだろうか」
蝕や武器狩りのような大きな事件については、文句も言わずに丁寧に策を巡らせてくれるこの代理妖精は、昨晩のような単純だが面倒な事件はあまり好まないのだ。
この通信の向こうでどんな顔をしているのかが簡単に思い描けてしまい、エーダリアはふうっと息を吐く。
こんな時こそ、こちらが気を緩めてしまうと手厳しく叱られる事になるので、注意しよう。
(ダリルが好まない問題だからこそ、私がそれを知っているのであれば、ダリルの分迄もしっかり手を打っておくべきなのだ)
「いんや、このままで構わないさ。それと、門の前の片付けが終わる前に、外に出るんじゃないよ」
「………ああ。先程、ノアベルトからも忠告して貰った。そちらは大丈夫なのか?」
「あんまり良くないね。星屑を使えなかった分、街中で派生した連中は、近場の観光地を探し始めたようだ。派生数自体は例年より数は少ないけれど、一体でも見逃すと厄介な事になる。こっちで管理しているのは、泥染みに弱いものばかりだからね」
「そうだったな……。こちらでは、禁足地をノアベルトとアルテアが見てきてくれたところなのだ。今なら少し余裕があるので、人手が足りなければ、騎士を向かわせるが」
「………へぇ。禁足地の森の障りの確認はやっておいた方がいいよって言うつもりだったんだけど、もう対処済か。その二人なら、この上なく安心だね。………こちらの応援はいらないよ。まぁ、これも経験だから、弟子達には紙容器の精霊への対処を学ばせるさ。それから、ガーウィン領主から賠償にかかわる交渉や探りが入った場合は、私を通すように。今回の件は、正直なところ、まだこちらの被害の概算を出すのも難しい。連中からは、出来る限りの補償を毟り取っておきたいからね」
これが連絡の理由なのだろう。
公式なルートは代理妖精であるダリルの契約だが、こちらに直接連絡を入れてくる可能性もあったのだと気付き、エーダリアは額に手を当てた。
「だが、彼等にも被害者としての側面があるだろう。程々にな………」
「甘い事を言うんじゃないよ。回収費に保管費と移動費。今回の事は、必ず予算的な損失が出るとわかっている事態だ。とは言え、人間の領域にいない星の系譜の連中に、かかった予算分の請求する訳にもいかないだろう。この前ネアちゃんが倒した獲物を財源に充てるとしても、そちらだって本来ならウィームの財布の金なんだ。本来なら、かかった分だけ全部ガーウィンに請求したいぐらいだよ」
「ダリル………」
「いいかい、ウィームは豊かだが、その豊かさで足を掬われる事も多くあるだろう。魔術基盤が頑強で、高位者が多いからこその出費もある。特に今年は、漂流物にかける予算も必要なんだからね」
ちくりとやられ、エーダリアはその忠告を受け流してしまわないよう、真摯に聞くように努めた。
(………幸いにも、漂流物についてはウィームが最も危ういということはないのだが、魔術的な領域では、ウィームだからこその問題が他領に比べて多いのは確かだ。漂流物の影響を受け、そのような事が起こらないとも限らない)
魔術に於ける最大の防御は、遮蔽と隔離である。
ウィーム領主としてそれを命じるのは簡単だが、領民の生活を守る為の補償がなければ、重ねての負担となってしまう。
つまり、魔術的な備えがどれだけ潤沢でも、人々の生活には他にも沢山の物が必要なのだ。
(ダリルの運用も見事だったが、ネアが来てから、ウィームの財政はいっそうに整いつつある。………それはつまり、まとまった収入源というものが、どれだけのより多くを可能とさせるのかという事でもあるのだ)
より多くというその一つが増えれば、増えた一つに救われるものがある。
そうして増やしてきたところであるからこそ、安易に予算を切り崩してはならないのである。
エーダリアが、領主という立場である限り、誠実さや勤勉さだけでは、守るべき者達のより良い生活を維持するのは難しい。
(維持だけを見込めば、想定外の事態で立ち行かなくなってしまう。ネアはよく、仕事の時間内で手に入れた獲物はこちらに預けてくれるのだが、だからこそ私も、その働きに恥じない領主であらねばならないな………)
自分を戒め、ダリルの言葉を噛み締めた。
その後も幾つか情報の共有をしてから、ふうっと息を吐いて、ダリルとの通信を切る。
その間に、ヒルドは騎士達からの報告書を読み終えており、こちらの会話と合わせて本日の予定などをあらためて練り直す事になった。
その頃には、まだ眠たい目をしたノアベルトが、ディノから入った連絡として、午後には終焉の魔物がこちらに来るという情報も共有してくれる。
忙しく議論を交わす朝はいつもとは違うのだが、実は、三人でそれぞれの情報を擦り合わせてゆくこんな瞬間が、エーダリアは大好きだった。
「……………ってことだから、アルテアがそろそろ帰るにしても、ウィリアムがリーエンベルクに入るから問題ないよ。領内の視察で、僕達がここを空けても大丈夫だから、何度か分けて視察に出るなら僕とヒルドで交代でもいいね」
「それは助かりますね。グラスト達が戻る迄は、三人でリーエンベルクを空けるのは望ましくないでしょう」
「どうしてウィリアムまで駆け付けたのかは分からないけれど、あの菓子を食べた連中の怨嗟が、終焉の予兆として出ていたのかもしれないなぁ」
「森には、そこまでのものもありましたか………」
ふうっと深い息を吐いたヒルドに、ノアベルトが肩を竦める。
よく見ると、自分で結んだのであろう髪の毛は、今日も少しくしゃりとしていたが、何やらもうこれがノアベルトであるというくらいに見慣れてしまった。
こちらも最近は見慣れて来たリンデルが、指できらりと光れば、エーダリアはついつい自分の物にも触れてしまう。
「うん。高位の精霊が一人、あのスナックを食べて死んでいたからね。怨嗟を残す時間はあったみたいで、気付かずに放置していたら、ちょっと面倒な事になるところだったよ」
「となると、こちらでの回収が間に合っていない物が残っている可能性を踏まえ、用心しておいた方がいいのかもしれませんね。念の為に、午後までは、騎士達以外の者の禁足地の森への立ち入りを禁止としておきましょう」
「では、ギルドにも話を通しておこう。禁足地の森であれば、元々、領民が入り込むことは少ない場所だろう。川沿いの森林地帯には降らず、こちらで良かったのかもしれない」
頷いたヒルドが、手早くギルドに連絡を取る様子に驚きながら、エーダリアは、そう言えばと切り出したノアベルトの方を振り返る。
「森に、スープの魔術師がいたんだよね。香辛料の風味のついた素材の収穫が出来るからって言ってたけど、………それってもしかして、あのスナックを食べた生き物を狩るって事なのかな……………」
「やれやれ、彼も、相変わらずですね。ですが、幸いにもネア様達の事を親身に考えておられるようですので、もし森の中で異変などがあれば、そのまま放置する事もないでしょう」
「あのスナックを食べた生き物を、……………スープにするのだろうか」
「わーお。僕の妹にはふるまわないで欲しいなぁ…………」
お茶を飲みながらあれこれと仕事の話をし、その話題の中には家族の話も混ざり込む。
窓の外は今日も珍しく晴れていて、陽光の煌めきを透かした氷がきらりと光った。
木の下でせっせと雪を掘っているムグリスは、星屑を探しているのだろう。
(……………不思議だ。厄介な対応を強いられる事件があり、これからもまだまだやらなければいけない事がある筈なのに、どうして今日もこんなに穏やかなのだろう)
そんな事を考え、視察に行くべき場所を絞ってくれているヒルドとノアベルトを見た。
その二人を見ているだけで、どこかぬくぬくとした不思議な安堵感に包まれる。
この穏やかさは、二人の声を聞いていられる朝だからなのだろうかと思えば、エーダリアは唇の端を持ち上げて小さく微笑んでいた。
「ありゃ、エーダリア?」
「い、いや。こうしてお前達と仕事の話をしている毎日というのは、……酷く安堵するものだなと思ってしまった」
「え、何で隙あらば僕を泣かせようとするんだろう………」
「……………何か、ありましたか?」
さすがに勘のいいヒルドにそう問いかけられ、前回の星の量が少なかった星祭りのことを思い出したのかもしれないと言えば、淡く微笑んだヒルドに伸ばした手でふわりと頭を撫でられ、エーダリアはびっくりしてしまった。
「……………ヒルド?!」
「……………失礼。思わず手が出ました」
「あはは、思わず手が出るって言い方の使用例としては珍しい感じだなぁ。でも、家族は大事にしないとだよね!僕もさ、星祭りを一緒に過ごさないかって言ってきた女の子に、家族と過ごすんだって答えたら力いっぱい蹴られたんだよ。慰めて欲しいな!」
「やれやれ、あなたはまたですか……………」
「蹴られたところは、もういいのか?」
「骨が折れるかなって思ったけど、もう大丈夫。それに僕だって、何百年間も、同じような理由をあちこちで聞かされ続けてきたんだ。これから、同じくらいは自慢しなきゃだよ」
「自慢、なのだな……………」
こちらを見たノアベルトが、にんまり微笑む。
髪の毛のくしゃりとした部分に気付き、ヒルドが直してやっているのがまた、いつもの朝という感じがした。
「勿論だよ。ほら、家族って、こんな風に髪の毛も直してくれるし、…………って、痛い痛い!」
「領内の見回りに出るので、このままにはしておけないでしょう。いい加減に、このくらいの事は出来るようになっていただきませんと」
「引っ張るのはやめて…………」
(……世界が、少しずつ広がってゆくようだ)
知らなかった形を知り、そのしなやかさに今日もまた驚かされる。
自分を取り巻く環境がこんなにも変わったのだと驚くのは、何も一度きりではない。
毎日どこかでその小さな驚きを得て、その度にどこか細やかな祝福の煌めきのような、美しい喜びを得るのだ。
誰彼構わずに自慢してしまいたいノアベルトの気持ちもわかるような気がして、そんな発見に少しばかり浮かれていたのだろうか。
ついつい周囲の警戒が疎かになってしまったのは、朝食を摂り、最初の視察地であるウィーム中央市場に向かうべく、馬車に乗り込もうとしたときの事だった。
「エーダリア様?!」
ぎょっとしたようなロマックの声にはっと息を呑み、慌てて周囲に排他結界を展開した。
だが、襲撃を防いだのは、それよりも早く展開されたノアベルトの物だったようだ。
ふうっと安堵の息を吐いたエーダリアの向こうで、透明な壁にぶつかってずるりと落ちてゆく砂色のべったりとしたものを見て、思わず眉を寄せてしまう。
「………紙容器の精霊が、落ちてきたのだな」
「いや、木の上からって感じじゃなかったね。ヒルドにも来て貰えば良かったかな」
べしゃりと地面に落ちたのは、明らかに紙容器の精霊である。
死んでしまったりはしていないようで、何とかこちらに近付こうと、諦めずに結界の表面をぺたぺたと触っては、げへへと笑う。
思わずノアベルトと顔を見合わせてヒルドの不在を憂いてしまったのは、遠方からの襲撃などについては、ヒルドの方が察知に長けているからだ。
何しろ彼は、森の系譜の高位妖精でもあるので、とても目がいい。
一方で騎士達には、一体どこから紙容器の精霊が飛び込んできたのだろうと緊張が走っている。
そんなぴりっとした空気を和らげたのは、たまたま外回廊を通った見聞の魔物であった。
「あのね、向こうの木から、小さい投石器を使って打ち出されたみたいだよ」
そう教えてくれたゼノーシュは、騎士棟にある部屋に帰るところなのだろう。
手には、部屋への持ち帰り用に焼いて貰ったのか、大きなシフォンケーキの載った皿を持っている。
グラストの姿はないので、珍しく別行動であるらしい。
一人の騎士に、お代わりですかと聞かれて頷いているので、一度部屋に戻ってから食べ足りない分を頼み、厨房に取りに行っていたようだ。
いつもなら部屋に届けられるものなのだが、今朝は星祭りの翌日とあって、家事妖精や掃除妖精達の多くが、紙容器の精霊の汚した外門などの清掃に出てしまっている。
屋内に残った者達が少ないのでと、自分で取りに行ってくれたらしい。
「わーお。投石器?…………あ、ゼノーシュの言う通りだ。あの木の枝の上に、何か道具を作り付けてるね。元気だなぁ………」
「僕のシフォンケーキを狙ったら、絶対に許さないんだ……………」
「ありゃ、凄い警戒してるぞ………」
「これはね、ちょっと寝てから、起きたら食べるんだよ」
生真面目な表情でそう宣言すると、見聞の魔物は、騎士棟に戻っていった。
起き抜けにもあれだけ食べるのだなと思い驚いたが、小さな子供姿の魔物とリーエンベルクの歌乞いに料理を作るのが何よりもの楽しみだという厨房の料理人たちは、直接ケーキを取りに来た魔物にさぞかし喜んだだろう。
人外者にはそれぞれの資質があるが、彼等の喜びは、作った料理を喜ばれる事なのだ。
生活圏に高位の人外者が増え、土地の魔術基盤が豊かだという事もあるが、ここ数年は仕事がいっそうに楽しくなったそうで、一人の料理人は階位を上げてしまったくらいなのだから。
「紙容器の精霊が、作ったものなのだろうか。これまで、道具作りの報告はなかった種族なのだが……………」
「あ、駄目だからね?!珍しい行動かもしれないけど、近付くのは禁止!」
「……そ、そうだったな。すまない。ここで何かあれば、視察の行程に支障をきたすところだった」
そんな話をしていると、今度はどこからか、むぎゃーという悲鳴が聞こえてきた。
いつもなら銀狐の声に違いないのだが、そんな塩の魔物はこうして隣にいる。
「……………わーお。また叶わなかったのかな」
「ネアか…………。昨晩は忙しかったからな。収穫した星屑に、今日になって願いをかけ始めたのだな…………」
「シルやヒルドだけじゃなくて、僕やアルテアも反対の願い事を叶えちゃっているから、女友達は難しいと思うんだよなぁ……………」
「……………やはりそうなのだな。……いつか、叶えばいいのだが」
あのような悲鳴が聞こえてきたということは、叶わなかったのは、最初の一つではないのだろう。
幾つもの星屑に願いをかけ、それでも叶わなかったからこその怨嗟の悲鳴に違いない。
どうにかしてその長年の願いを叶えてやりたかったが、現在のリーエンベルクの環境下に於いては、なかなかに難しい願い事であるのも承知している。
エーダリアにも、積極的に手助けしてやることは出来ないので、申し訳ない気持ちで先程の悲鳴の余韻に耳を澄ますしかなかった。
そうこうしていると、またしても、むぎゃーという悲鳴が聞こえてくる。
「ええと、……………行こうか!」
「ああ。そ、そうだな。出発しよう」
視察の為に呼び寄せた馬車に乗り、ばたんと扉を閉めた。
ふっくらとしたクッション張りの椅子に腰を下ろし、少し薄暗くなる馬車の中で、切り取られた額縁のような窓の向こうの景色に目をやる。
「………ああ、雪鼠たちだ。砕けた星屑の欠片を持ち帰るのだろう。冬場の彼等の生活では、大事な地下室の明かり代わりだからな」
「どれどれ。……………あ、本当だ。へぇ。あんな風にして籠に入れて持ち帰るんだね」
「ああ。……以前の、星の降る量が少なかった年の星祭り明けにも、あのような光景を見たものだ。いつもであれば巣穴の近くで星屑の欠片を手に入れられるのだろうが、見付からないと、こうして森の外にも探しに来るのだろう」
そうして話すのは、誰かを呼び止めて話すまでもなかった、とても些細なこと。
けれどもエーダリアは、いつかこんな風に、何でもない風景の話を誰かとしてみたかった。
がたんと馬車が揺れ、街に向かって走り出す。
転移でもいいのだが、この方が道中でも窓から街の様子が見られるので、視察に出向く際は、出来る限り馬車を使うようにしている。
(……………あの鼠たちを見るのは、何年ぶりだろう)
小さなお喋り一つであれ、話しかける相手が隣にいる贅沢さに小さく微笑む。
それは、手のひらの中でぼうっと輝く星屑のように、不思議とエーダリアの心を温かくしたのであった。




