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脱走卵と星飾り





「…………どうして、こんな事になってしまったのだろう」



悲しげに呟いた魔物に、ネアも、へなりと眉を下げる。


ウィーム中央では本日、市場周辺で、卵の不当な扱いに抗議して脱走した卵が祟りものになり、卵で追っ手や通行人を攻撃するという、たいへん不可解な脱走卵の騒ぎが起きていた。



かしゃんかしゃんと飛び交い割れる生卵の弾幕の中で、ネア達は今、祟りものの卵に見付からないよう、街路樹の影の、死角になる場所に隠れている。



「おかしいです。卵の待遇改善を主張するくせに、あやつの投げる卵達は、粉々ではないですか……」

「祟りものだから、あまり正気ではないのだろう。けれど、君のことは攻撃しないね」

「私の事は、遠くから崇めるばかりなのですよ。日頃の行いの良さからなのでしょうが、お陰で、近付けない為に捕縛には至りません……」




今回の脱走卵は、実際の鶏卵と同じ大きさなので、物陰に隠れ易く、探す方は一苦労という厄介な敵であった。


市場での買い物を邪魔された見聞の魔物が、周囲を凍りつかせるような表情でその祟りものを探し出してくれたのだが、漸く追い詰めた今も、騎士達は苦戦しているようだ。


後援のネアが崇められてしまうばかりで戦力にならず、おまけに相手は生卵を投げつけてくるちょっと嫌な祟りものなので、事態の収拾までは今暫く時間がかかるかもしれない。



(うっかり本音を言ってしまったせいで、卵の祟りものに崇められるようになるなんて、狩りの女王としては失策だわ………)




この事件は、本日のお昼過ぎにウィーム中央市場で起きた。



理由は分からないのだが、グラストとゼノーシュ達もいた市場で、突然、木箱の中にいた生卵が祟りものになったのだ。


リーエンベルクからの増援部隊として送られたネア達も、既に、市場の入り口で追っ手に卵を投げつけていた卵の祟りものと遭遇し交戦している。

だが、その際に無惨に割れた生卵を惜しんでしまったところ、ネアは、謎に祟りものからの崇拝を得てしまったのだ。


これだけの卵があればどれだけのお菓子やお料理が作れたのだろうと呟いただけなのだが、生卵な祟りものが歓喜に咽び泣いていたところを見ると、やはり大事にして欲しいという主張が根底にあるのだろう。


一応、生卵の側面に顔らしきものはあるのだが、通訳を介さないと意思疎通は出来ない。

ネアとしては、むがむがという謎の鳴き声から通訳出来てしまう街の騎士に、驚きを禁じ得なかった。



「そして生卵さん的には、大事に扱い、美味しく食べて貰えればいいようですが、食材としての扱いで叩き割られたり、茹でられることは問題ないのでしょうか………」

「ご主人様………」

「交渉が決裂したとも聞いていますが、どこをどう決裂したのかも謎めいていますね……」



周囲にいた人達の推理では、今日は配達が多いなとちょっと焦り気味の配達員が卵の箱をがさっと置いていったそうなので、その中で祟りものが生まれたのではないかという事であったが、木箱から現れたという情報しかない為、派生に至った理由を知るのは荒ぶる卵だけだ。



そんな卵の祟りものは今、追いかけてきた騎士達に角地に追い詰められ、包囲網を狭める騎士達に卵を投げつけている。

もはや和解は難しいということで、捕縛の上での排除命令が出ているらしい。

あまりにも生活に近しいものを悪変させたままでいると、他の個体にも影響が出るので対処は早い方がいいのだ。



かしゃん。

また一つ無残な音が響き、ネアは眉を下げる。


ネアハーレイとして暮らしていた日々の貧しさのせいで、ネアは、食べ物や食材が粗雑に扱われるのを見るのがとても苦手なのだ。

まずくても買った物は食べるという信念の人間に対し、この状況はとても有効な精神攻撃にもなっている。



(勿体ないな。ウィームの卵は美味しいのに………)



だが、あちこちに生卵が潰れて落ちている凄惨な光景に胸を痛める乙女を救う者達もまた、ここにはいるのだった。



どこからともなく響くじゅわーっという音は、卵がただでいただけると知り、市場周辺に集まった妖精達の方から聞こえてくる。

そんな音が聞こえてくると、ネアは、強張った胸の奥がふわりと緩むのを感じ、ほうっと溜め息を吐いてしまうのだ。



(良かった。また、割れた卵を使ってくれているのだわ………)



ネア達の近くにいる鼠妖精は、どこからかちびこいフライパンを持ってきて、火の鉱石を巧みに使い、潰れた卵から使えるところを持って来ると、手際良くパンケーキを作っている。

その周囲には、お皿を掲げたちび鼠妖精達がわらわらと集まっているので、ご家族なのかもしれない。



そして、周囲を見回すと、そのような逞しい生き物達があちこちにいて、市場の裏通りは思いがけない活気に包まれていた。



「パンケーキなのだね………」

「フライパンの扱いが、とても上手ですね。あっという間にパンケーキを沢山焼いてしまいました。……あちらの兎さんは、卵焼きを作っているのでしょうか……」

「うん………」



おこぼれに与りに来た生き物達に最も人気なレシピは、フライパン一つで出来るパンケーキと卵焼きに、目玉焼きもどきだが、もっと手の込んだ料理を作っている者達もいる。


ネアは、少し離れた位置にいる栗鼠妖精を見つめ、手元のあれはもしや、茹で卵入りのミートローフではないかと慄いた。

割れた卵から器用に集めた使える部分を、型のようなものに入れてさっと湯煎して固めると、ミートローフのたねの中に上手に入れている。


一般的な茹で卵作りから始められないので大変そうだが、栗鼠妖精の大きさを思えば、普段もこのような卵の使い方なのかもしれない。


明らかに玄人だなという手つきと道具揃えもそうだが、一体どこから小さな薪のオーブンを持ち込んだのだろう。

お料理の進行をじっと見つめてしまいそうになったネアは、仕事中だったことを思い出して、戦いの様子をこっそり覗いてみる。




(ゼノ達は大丈夫だろうか………)



奥の袋小路では、今も祟りものとの戦いが続いていた。


しゅんしゅんと素早く動く卵の祟りものを、ぜいぜいと息を切らしながら卵まみれになった騎士や、そこまでではないがとても暗い目をした騎士達が、引き続きじりじりと追い詰めている。


ネアは、もはや、ぷわんといい匂いがしてきたミートローフの出来上がりにそれどころではない気分になりつつあるが、この祟りものが捕縛されないことには、市場で売られているお目当ての品物が買えないので、ちらちらとミートローフの仕上がり具合を窺いながらになるかもしれないが、引き続き騎士達の戦いの応援をしてゆこう。



「ゼノーシュ達は、捕まえられずにいるようだね」

「ええ。我々はこちらに卵さんが逃げてきた際に、威嚇して奥の袋小路に追い返す役割ですが、あの動きを見ていると、しゅんと逃げられてしまいそうです………」

「排他結界で押し返すようにしようか。この通りそのものを結界で閉ざしてしまうと、土地の魔術が澱んでしまうのが少し厄介だね」



なので、ネア達の背後には、街の騎士が展開したほどほどの密度の結界がある。

ディノやゼノーシュが作る結界では、機密性が高過ぎるのだ。


「とても凄惨な戦いのように見えますが、周囲でちびこい生き物お料理選手権が行われているので、どうしても緊迫感が薄れてしまうのですよね………」

「落ちている卵で、パンケーキを作ってしまうのだね………」

「あら、ディノがしょんぼりなのは、荒ぶる卵さんがいるからではなく、そのようなところなのですね?」

「うん………」



てっきり、生卵が祟りものになったのが怖いのかと思っていたが、ディノ曰く、卵類はこうして祟りものになったり、障りになる事は多いのだそうだ。


なので、ディノも卵の祟りものまでは受け入れられたらしいのだが、石畳に落ちた生卵を使ってお料理を始める者達が集まってきてしまうのがとても怖かったらしい。


なのでネアは、妖精達がフライパンや薪オーブンという見慣れた道具類を駆使しているので、材料が落ちている卵であることが悲しく見えてしまうものの、南瓜祭りで砕いた南瓜を持ち帰る生き物と大差ないのだと、伴侶の魔物に教えてやった。


幸い、祟りものが投げている卵は、どこから取り出しているのかは分からないが、普通の卵であるのは間違いないらしい。


つまり、あちこちで作られているお料理は、ネアが食べても美味しい卵料理達なのである。



「ただ、この場でお料理してしまう方々が多いのは、私もちょっと驚いてしまいました」

「殻の中の、こぼれてしまっていない卵を使う事も多いのだね………」

「ええ。皆さん、より綺麗で食べやすい部分を狙って、賢く卵を調達していますね。………むむ、あちらの毛玉一家は、卵サンドを食べ終え、お菓子作りまで始めましたよ………」

「喜んでいるのかな……………」

「ふふ。喜びに弾んでとても生き生きとしているので、ちびこい生き物達にとっては、ただで卵が手に入った素敵な一日になっているのかもしれません」

「………素敵な一日に………」




そんな中、騎士達の方に大きな動きがあったようだ。



大きく包囲網が狭められたのは、息を合わせて、いよいよ捕縛に入ったからなのだろう。

だが、さっと剣を振るったグラストの間合いからしゅばっと逃げ出し、近くにいた街の騎士に素早く生卵を投げつけた卵の祟りものは、そんな包囲網を見事にすり抜け、ネア達の方に向かって飛び込んでくるではないか。


近付くと卵の祟りものが逃げてしまうからと少し遠巻きにしていたネア達は、姿を隠すように街路樹の影に立っていたせいで、祟りものの卵からは姿が見えないのだろう。

こちらに気付かずに向かってくる今こそ捕縛のチャンスなのだが、か弱い乙女は生卵をぶつけられたくないので、慌てて結界を作れるディノの背中の後ろに隠れた。



(加えて、私の姿を見れば回避してしまいそうだから、隠れていないと。勝負をつける為にはここで動きを止めるしかない………!)



何しろ、ネア達の背後には人通りの多い通りがある。

もし、街の騎士達が展開している結界を破られた場合は、荒れ狂う生卵をウィームの街に解き放つ事になる。



「むむ、ゼノの魔術も躱してしまいましたので、やはり、こちらに来ますね」

「排他結界を展開しておこうか」

「はい、お願いします。私に気付いてあやつが逃げ出さなければ、ここで………ほわ」



軽い靴音が聞こえ、おやっと思った時にはもう、誰かがネア達の前に立ち塞がっていた。

ひらりと翻ったのは、上質なウールの白灰色のコートだ。


その優美さに目を奪われていると、くしゃりと悲しい音が響く。

流れるような優美な動きでネア達の前に出た男性が、大剣を盾のようにして、勢いよく飛び込んできた祟りものを叩き割ったのだ。


相手が高位の魔物だったので、祟りものとはいえ、階位的な差があったのだろうか。

あまりにも呆気なく割れた卵の祟りものを、追いかけてきた騎士達がわあっと囲んで封印術式をかけていた。

既に滅びているように見えるが、障りなどがあるといけないので、残骸の周囲を封じているのだろう。



誰が祟りものを滅ぼしたのかに気付き、こちらを見たグラストが深々と一礼する。

ゼノーシュは、お買い物の邪魔をした祟りものの残骸を徹底的に封印排除しているようだ。



(ゼノのお顔が………!)



愛くるしい見聞の魔物の顔がとても大変な事になっているが、近くにいる市場のご婦人方が、そんなゼノーシュにお菓子をあげようとおろおろしているので、仕事が終わればいつもの可愛いクッキーモンスターに戻ってくれるだろう。


そう思いほっと胸を撫で下ろしていると、大剣をどこからか取り出した布で綺麗に拭うと、そのどちらもしゅわんと消してしまい、グレアムが振り返る。

やっぱり卵と戦うのは少し不安だったのか、ディノがほっとしたように表情をやわらげた。



「グレアム」

「精霊狩りに出ていましたので、少しの間こちらを離れておりました。騒ぎに気付くのが遅れ、ぎりぎりになってしまいましたが、お怪我などはありませんか?」

「うん。この子が一緒にいると、あの祟りものは近付こうとしなかったんだ。君が止めてくれたお陰で、無事に終わったようだ」


ディノの言葉にこちらを見た犠牲の魔物は、夢見るような灰色の瞳を細め、微笑みかけてくれる。


「いえ、シルハーンがご無事で何よりです。………ネアが守ってくれたのか、助かった」

「こちらこそ、グレアムさんのお陰で卵さんを滅ぼせてしまいました。あやつは、なぜか私を崇めていたので、捕縛のお役には立てなかった代わりに、大事な魔物に卵を投げつけられずに済んだのですよ。ただ、追い詰められてディノに生卵を投げたら絶対に許さないと思っていたところだったので、グレアムさんのお陰で長引きそうな戦いが終わり、とてもほっとしています」


ネアが、手に持っている棒を見て、グレアムがくすりと笑う。


腕輪の金庫から取り出してあったのは、先日、森で拾った謎の銀色棒だ。

もしもの時には、これで卵の祟りものを打ち払おうとしていたのが分かったのだろう。



「ネア、それは氷柱の祝福石だ。表層が鉱石化している珍しいものだから、アクスに持ち込めばかなり高く買い取ってくれると思うぞ?」

「な、なぬ!では、バット代わりに使わないようにして、大事にしまっておきますね」

「氷柱の祝福石だったのだね…………」

「ええ。昔から、禁足地の森の北側では、時々見付かるんです。条件が良いのでしょう」



そんな会話をしていると、じゅわーっという音が先程よりも大きく聞こえてきた。

気付けば、周囲にはお料理をしている小さな生き物達がまた増えているような気がする。

ディノがそろりと背中の後ろに隠れたので、やはりまだ苦手なのだろう。


ネアは、差し出された三つ編みをぎゅっと握ってやり、伴侶を安心させるよう体を寄せた。



「………まだ、料理は続くのかな……」

「あらあら、こちらはいっそうに賑やかになりましたね。グレアムさんのお陰で祟りものが滅びたので、安心して割れた卵の回収に乗り出したようです」

「………逞しいな。ここで料理もするのか」



あちこちから、卵料理のいい匂いがしてきてしまい、ネアはくんくんする。

バターと卵の匂いのせいで、お昼はいただいてきたのにお腹が空いてきてしまった。



「グラストさん達の事後処理が終わったら、市場に行けそうですね」

「うん。グレアムは、もう帰るのかい?」

「ご一緒したいところですが、そろそろ仕事でして。またお声がけいただけますと幸いです」

「では、そうしよう」


微笑んで立ち去るグレアムを見送り、ネア達は、ちびちびと荒ぶる生き物達を踏まないようにしながら、グラストやリーエンベルクの騎士達の輪に合流する。

市場のワッフルサンドを食べに来ていたゼノーシュは、やっと心を落ち着かせてくれたらしく、グレアムのお陰だねと素敵な笑顔を見せてくれた。



粉雪が降り始めた市場には、またいつもの穏やかさと活気が戻ってきた。


小さな生き物達が、あちこちに落ちた卵を使い尽くすまでは、この路地の片側を封鎖するそうだ。

一部、仮設厨房を移動させられた生き物達もいたが、落ちた生卵が無情に片付けられてしまわないと知り、皆が大喜びで卵料理を作り続けている。


卵染みの出来た雪を頬張る謎四角や、むしゃむしゃと卵の殻を食べている毛玉もいるので、案外、暫くしたらすっかり綺麗になってしまっているかもしれない。



「さて、市場に行きましょうか」

「星祭り用の布鞄にかける、星飾りを買うのだよね」

「はい。星屑を模した、星結晶のきらきら光る鞄飾りなのです。星祭りの限定品でそんな素敵な物が売っているのを知りませんでしたので、今年は、私の布鞄もお洒落になってしまいますよ!」

「可愛い、弾んでる……」

「そして、おにゃかが空きました……………」

「卵料理がいいのかな……」



そう首を傾げたディノにこくりと頷き、ネアは、現場検証も終え解散となった街の騎士達に手を振った。

リーエンベルクに戻る騎士達と別れ、グラストとゼノーシュと一緒に市場に向かう事になる。


先程のミートローフな栗鼠妖精が手打ちパスタを作り始めたので、また手の込んだ料理を作り始めているようだ。

とは言え残念ながら、何が出来上がるのかまでを見届けることは出来なかった。







明日1/13の更新は、お休みとなります。

TwitterにてSSを書かせていただきますので、もし宜しければご覧下さい!


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