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201. 新年は沢山滅ぼします(本編)




新しい年になった。



ネアはぱちりと目を開き、くしゅむと小さなくしゃみをする。

その途端、びゃんと飛び上がって起きたのは、隣に眠っていた魔物で、水紺色の瞳を揺らしてふるふるしている。



「……………ネアが減った」

「……………む。……………むぐ、減りませむ。……………ぐぅ」

「ネア、どこも痛くないかい?……………具合が悪いのかな……………」


おろおろする声にもう一度目を開き、ネアは大事な魔物が怖がらないように、説明してやった。


「恐らく、眠っている間に毛布のかけ具合がまずくて冷えただけですので、もう一度ほかほかにして眠れば元気になりますからね。きっと、まだ暗いので二度寝などが出来る時間の筈なのです」

「うん。まだゆっくりと眠っていられるよ。……………ネア?」

「………この手は、ディノの手ではありません」

「アルテアかな……………」

「なぬ?」



ここでネアは眉を寄せ、眠気に挫けそうな目をゆっくりと開いた。


するとどうだろう。

ネアが眠っているのはいつもの寝台ではなく、見た事もない花びらと毛布の敷き詰められた円形の大きな寝台ではないか。


おかしな言い回しだが、そう言うしかないくらい、寝台の上には花びらが降り積もっていた。



「……………まぁ。ここは、お部屋ではないのですか?」


小さな声でそう尋ねると、ディノが頷いた。

こんな時に、もしやどこかに迷い込んでしまったのだろうかと不安になるのが常なのだが、昨今のネアの、なかなかに刺激の多い人生を反映していると言えよう。


だが、伴侶の魔物の表情を見ている限り、意図せざる場所にいるという感じではないらしい。

隣に眠っているアルテアの手をよいしょとどかし、ネアは体を起こしてみた。



(……………ふぁ、)



想像していたよりずっと高い天井が夜空を映していた。

この世界の魔術の無尽蔵さを思えば室内かもしれないが、少なくとも普通の部屋ではない。



「ありゃ、ネアはもう目が覚めちゃった?」

「む。ノアもいます。……………そして、ヒルドさんもいるのです?」

「……………ええ。不本意ですがね」

「不本意………?」



たぷんと、水が揺れる音がした。


ネア達のいる花びらの寝台は、不思議な青い景色の中に揺蕩っていて、どこにもその気配はないのに、なぜか船のように思えた。


周囲をひたひたと満たしているのは、澄明な湖の青い水のようにも、星屑を敷き詰めた銀色の床のようにも思える。


まだ目がしっかり開いていないのかなと思い、こしこしと目を擦れば、ゆらりゆらりと、周囲の景色が変化していっているようだ。

静かな湖面に広がる波紋が揺らぐように、しゃわん、しゃわんと寝台の外側の風景が切り替わる様は、忙しなさよりも静謐さを思わせる。



見上げた空は美しい星空で、けれども深い森の木漏れ日でもあった。

そんな中を、はらはらと舞い落ちるのは、真っ白な花びらだ。



「ここは、どこなのでしょう?」


ご主人様が減ってしまうと、一生懸命毛布を巻き付けてくる魔物にそう尋ねると、ディノは少しだけ困ったような目をして首を傾げる。



「夢の船と呼ばれる、大きなあわいの日に行える魔術調整の基盤だよ」

「夢の、中なのです……………?」

「君達は生身で訪れているのだけれど、普段過ごす世界の表層でもない。リーエンベルクで言う、魔術基盤の部屋のような場所なんだ」



周囲を見回すと、大きな円形の寝台の上には、ウィリアムとアルテアがくしゃくしゃになって眠っている。

どうしたのだろうと思いへにゃりと眉を下げると、少し離れた場所で、眠そうな目をして両手で持ったグラスから水かなというものを飲んでいたエーダリアが、お前がやったのだと教えてくれた。


起きていたエーダリアやヒルドの前には、寝台の上で使うようなテーブルがあって、大きなクッションなどで体を支えている。

その様子を見ると、ランシーンでお世話になったルドヴィークの家族のテントにも似ているのではないだろうか。



「……………私が、お二人を殺してしまったのですか?」

「エシュカルで酩酊したお前が、狼の耳と尾を見られなかったのは不平等だと、この二人をちびふわにしてしまったのだ。撫でられ過ぎて、このようになってしまっているのだからな」

「……………まぁ。撫でた記憶もないので、とても損をした気分です」

「ウィリアムがこんなに無防備な姿を見せるのは、とても珍しい」


その声に慌てて振り向けば、この大きな寝台の縁に腰かけるギードの姿があった。


絶望のあまりギードを呼んでしまった記憶はあるので、ネアは、まだ居てくれたのだなと目を瞬き、その隣に座っているグレアムはどうしたのだろうと首を傾げた。


「……………この船は、……いえ、この寝台には、沢山の方がいるのです?」

「おや、君には船や寝台のように思えるのだね。私とノアベルトには、羅針盤のように感じられる。ギードやエーダリア達は、舞台のように感じるそうだよ。……………ウィリアムとアルテアは、眠ってしまっているけれどね」

「ふむ。人によって、どのようなものに感じるのかが違うのですね。……………ディノ、何かがあったのですか?」



ネアがそう尋ねたのは、昨年の新年にあった再派生の魔術の訪問を覚えているからだ。


これまでに他にも怖い事は沢山あったが、あのひやりとするような悍ましさを覚えているだけに、こうして皆が集まっていると不安になってしまう。


だがこちらを見て微笑んだディノは、そのような事ではないのだとそっと頬に口付けを落としてくれた。



「これは、時間の座が境界に傾いている間に、夢の土台の魔術調整を行っているだけだから、心配しなくていい。魔術的な手入れのようなものかな」

「夢の土台の、調整をしているのですか?」

「うん。一年の終わりから始まりにかけてのあわいは、最も深いあわいの境界の一つになるからね。怪物達が現れるのも、その境界からなんだ」

「このような日でなければ、調整出来ないものがあるのですね?」

「うん。なので、こうして皆を繋げて、ノアベルトと共に基盤を添わせる調整を行っているんだ。数ある無意識の領域の中でも、夢程、外側からの要因を持ち込むものはない。…………今年は、漂流物が現れるから、念入りに調整しておかないとね」



漂流物という言葉に、ネアはこくりと頷く。

これ迄はずっと、いつか来る怖いものという認識だったのだが、いよいよ現実味を帯びてきた。

年が明け、とうとうその領域に入ってしまった。


「その為に、このように準備をしてくれているのですね?」

「離れた土地にいる者達は、夢の領域のあわいの裏側から繋いでいるんだ。………ほら、ダナエ達の姿もあるだろう?」

「むむ!」



ディノに示された先には、何かボウルのようなものを抱えて眠っているダナエと、そんなダナエに寄り添うように眠っているバーレンの姿があった。


おやつを食べている内に眠ってしまったのかなというダナエに対し、バーレンが体を丸めてお行儀よく眠っているのが何だか可愛らしい。



「お二人は、こうして繋がっている事をご存知ないのですか?」

「事前に話をしてあるよ。ただ、この場にいない者達は、夢の魔術基盤の裏側から繋ぐので、あのような就寝姿での現れ方になってしまうんだ。先程のグレアムも、眠っているように見えるだろう?」

「………ええ。グレアムさんも、………む。もう消えています。………ここにはいないのですね」



振り返ってみると、ギードの隣にいたグレアムは、もういなくなっていた。

あの瞬間だけこちらに繋がっていて、今はもう戻されたのかもしれない。



「今夜は、ニエークの城にいるようだね。この時期に参加しなければいけない統括地の儀式や宴が今年は行われないので、そうしてウィームで過ごせているらしい。カルウィは、古い世界層の土地を有しているから、昨日から今日にかけては、その地を鎮める為の儀式などを執り行っているようだ」

「それも、……………漂流物に備えてという事なのですか?」

「うん。大陸のこちら側よりも、本来は、あちら側の方が影響が大きくなる。カルウィに比べると、ヴェルクレアは比較的安全な土地とも言えるくらいだね」



はらはらと、どこからか白い花びらが降る。



ネアは、その向こうに腰かけて眠っているように体を傾けているグラフィーツの姿を見たような気がしたけれど、その後ろ姿はすぐに見えなくなってしまった。


その代わりに現れたのはアレクシスで、どこかで野営でもしているかのような姿勢で、胡坐をかいて腕を組んだまま眠っている。



(……………そうか。ここにいない人達が眠っている姿で現れるのだわ。その人が今どこでどうしているのかとは関係なく、無意識下で繋がっているという意味なのかな……………)



「むむ、今度はドリーさんです!こんなに沢山の方を、繋いでいるのですね」

「漂流物が現れ始めると、あちこちで境界の揺らぎが出る。その際に、夢の内側で崩れた境界が、見知らぬどこかに繋がってしまうような事例が過去に確認されているんだ」

「………やめて欲しいです」

「うん。なので今は、そのような事が起きた場合に、予め印を付けた場所に繋がるように、夢の四方を埋める為の調整をしていると言えばいいのかな」

「………きっと、詳しい事はさっぱり分かっていませんが、ぼんやり分かったような気がします!…………もし、漂流物が現れた際に私の夢の境界が揺らぐような事があれば、今、ディノ達が繋いでくれている方々の夢に繋がるようにしてくれているのですね?」

「うん。君とエーダリアと、ヒルドの調整をしているところだ」

「まぁ。ヒルドさんもなのですね」



ネアはそこで、だからこそヒルドが不本意だと言っていたのかと得心した。


どうやらこの場所の維持と協力者達との接触はディノが行っていて、魔術基盤に彼等との接触を記憶させているのは、ノアであるらしい。



「ヒルドの場合は、念の為にって感じなんだけれどね」


そう教えてくれたのはノアで、何か難しい作業を終えたのか、ふぅっと息を吐いている。


ネアは、ヨシュアはどうしたのだろうと周囲を見回し、エーダリアの近くで毛布に包まって丸まっている姿を発見した。

あまりにもすやすや眠っているので、そこにいる事に気付かなかったのだ。



「相性が悪いから、なのだそうですよ。このような手間をかけさせるのは不本意なのですが、私を起点として問題が起きても嫌ですからね」

「元々、漂流物が及ぼす影響への耐性は、事象を司る高位の魔物が高いんだけど、前世界の魔術に近しい者達や、生育環境からあちら側の魔術への抵抗値が高くなる海の系譜みたいに、特別に相性がいい連中もいる。………で、特別に相性が悪いのが、滅びた種族や氏族の最後の一人なんだよ」



そう教えてくれたノアの横顔には、はっきりとした不安が浮かんでいた。

薄く苦笑したヒルドがそんな友人の腕に手を添えると、はっとしたようにへにゃりと眉を下げる。



「……………だから、ヒルドさんは相性が悪いのですね。ですが、そうなるとバーレンさんもやっておいた方がいいのではありませんか?」

「ところが、バーレンは耐性持ちなんだ。ほら、光竜の資質は、あるべきものをあるべき形にってものだったでしょ?この世界以外の要素に揺れないんだよねぇ。同じように、因果の成就の系譜やその祝福持ちも強い。だから、グラストにはこの儀式は必要ないんだよ」

「むむぅ。羨ましいですね………」

「そりゃ、漂流物に実際に触れるとそれなりに影響は出るけど、今の僕達が調整しているのは、あくまでも漂流物が現れた際に起こる波紋でしかないからね。だから、バーレンが印付けに協力してくれたのは、実はかなり大きい。………こっちはネアだけって言われちゃったけど、グラフィーツやオフェトリウスもね」

「………ディノとノアは、こうして、これから起こる事件を見越して、丁寧に調整をしてくれているのですね」



ネアがそう言えば、ノアは少し微笑んだようだ。

そんな友人の表情を見てくすりと笑ったヒルドは、けれども、眠気を払うように目頭を片手の指先で揉んでいる。



(……………今は、どれくらいの時間なのかな)



忙しい一日だったので、ヒルドはもう眠たいのだろう。

ネアだって先程まで眠っていたくらいなので、行われる調整は寝ていても出来るのだろうが、自分の為の調整でもあるのでと、ヒルド達は無理に起きている状態な気がする。


奥にいるエーダリアも、目がしょぼしょぼしているではないか。

ああ、だから水を飲んでいたのだなと思い、ネアはしょんぼりと項垂れた。



「今日にしか出来ない準備だから、大袈裟でも、出来る事はしておかないとね」

「そんな風に大事にしてくれていたのに、私は、すっかり眠ってしまっていました………」


エーダリアとヒルドが頑張って起きていたのにと思えば、ネアは呑気に寝ていた自分が恥ずかしくなる。

だが、そんな伴侶をそっと抱き締めると、ディノが、それで良かったのだと教えてくれた。


「大晦日に於けるエシュカルの酩酊は、ウィームでは祝福でもあるそうだ。であれば、私達はその祝福も利用出来るから、眠れるだけ眠っておくといい。調整を終えて場を閉じた後は、部屋に運んであげるよ」

「……………しかし、この様子だと、ウィリアムさんにアルテアさん、おまけにヨシュアさんも、どこかの寝台に運ばなければいけないのでは……………」



ネアの指摘に目を瞬き、ディノは、運搬を必要としているのが伴侶だけではない事に気付いたようだ。



「ヨシュアは、眠ったままなのかな……………」

「まったく、手間がかかるなぁ。ウィリアムとアルテアは、半ば気絶してるみたいな感じだけどさ」

「……………わ、わたしはむじつです!」

「ありゃ、この二人を、かなりいけない感じに撫でまわして気絶させてたのって、僕の妹だったような……………」

「記憶にございません……………」




はらりと降る白い花びらは、この外側で降り続けているウィームの雪なのだという。


外側の吹雪は、とても困った感じになってしまってはいるものの、祝福を過分に含んだ雪である。

それすらも利用せんと取り込んでいる事で、雪の祝福を示す花びらがこちらにも降り続けているのだ。



(寝台が円形なのは、円環の魔術を使っているからなのかな……………)



そう思えば、昨年の色々な出来事の中で触れた、その魔術の形を思い出した。


ふと、何度も感じた異質な何者かの気配を思い出しひやりとしたが、不思議な事に、その気配はあの時よりもずっと遠くにあるような気がする。


イブメリア迄は口にするのが怖いような気がした、クリスマスという言葉も、その響きに感じた不穏さは既に剥がれ落ち、ネアの良く知る思い出の中の音に戻っていた。



(これはつまり、………こちらでのイブメリアが過ぎた事で、私の認識やこの世界での配分として、クリスマスの要素も今が一番力を無くしている時期なのかもしれない……………)



であれば、漂流物の訪れは、イブメリアが近くなってからではない方がいいような気がした。


上手く言えないが、クリスマス近くになってからの漂流物の到着となると、あの霊廟のような石造りの天蓋の下で笑っていた誰かに出来る事が、増えてしまいそうだと思ったのだ。



そしてそれは、とても良くない事のような気がした。




「……………よーし。終わったぞ」

「うん。良さそうだね。これで、影響を受けかねない要素を一つ塞げたようだ」

「シル、大変だったでしょ。もう場を閉じていいよ」

「では、そうしよう」



そんなディノの言葉が聞こえた直後、天井の上から吊るしてあったカーテンを一気に落とすように、周囲の風景がすとんと変わった。



そこは、大晦日を皆で過ごした広間で、いきなりの変化に驚いたネアは慌てて立ち上がろうとしたが、残念ながら、こちらは実際に手元にあったらしい毛布でしっかりぐるぐる巻きにされている。

ほこほこして風邪の危険から遠ざけてくれる装備だが、立ったり動いたりするのには向いていないようだ。



「むぐ!体がごろんとなってしまうので、もう少し軽装備にして下さい」

「ありゃ。魔術を読んでいてちゃんと見ていなかったけど、僕の妹は、何で毛布でぐるぐる巻きになってるの?!」

「目を覚ましたばかりの時に、くしゃみをしてしまったからだと思います。ディノが、寒くないようにと巻き付けてくれたのですが、環境が変化したのでそろそろ羽化してもいいのでは………」

「ネア、減ってしまったら困るだろう?」

「くしゃみでは減らぬのだ」



ネアが毛布からの解放作業を行なっていると、立ち上がったヒルドが、ぐいんと背中を伸ばしているのが見えた。

僅かに広がった羽がはっとする程に綺麗で、ネアは、良いものを見たぞとほくほくしながら毛布の中でもぞもぞと手を伸ばす。


エーダリアは丁寧にグラスを置き、指先を動かして、魔術で窓際近くの壁灯にぼうっと明かりを灯していた。



「雪の勢いは収まってきたようだな。明日の朝には、……………もう、今日の朝になるのか。

……その時には、騎士達の見回りに適したくらいに落ち着いているといいのだが」

「この様子ですと、大丈夫でしょう。………さぁ、あなたもそろそろ寝ませんと」

「ああ。………エシュカルは、全て飲み切ったのか」

「ええ。ネア様から備蓄用にと一箱いただいておりますから、気に入ったのであれば、そちらから飲まれるといいでしょう」

「そうだな。ネア、こちらにまですまないな」

「ふふ。昨年の大晦日は、大変でしたものね。私はお外に出して貰えたので、家族の分も買い付けてきました」

「もう、昨年になるのだな。不思議な感覚だ………」



そう呟いたエーダリアの鳶色の瞳は柔らかく、家族の前だけで見せる寛いだ微笑みを浮かべていた。

ネアも釣られてほんわかしてしまい、目を離してはいけない一人の魔物の覚醒の兆候を見逃してしまったのだ。



「ほぇ、…………これ何だっけ。もういらないよ」


そんな声に、ネアは長椅子の方を見た。

どうやらヨシュアも目を覚ましたらしい。

そして、何やら不穏な言葉が聞こえなかっただろうか。


「…………ヨシュア?」

「シルハーン、もう僕は帰ろうと思うよ。雪の系譜の魔術が緩んだから、イーザも帰れると思うしね」

「うん。それは構わないけれど、………何か床に落としたかい?」

「ポケットに、捕まえた泡の妖精を入れてあったんだ。もういらないんだよ」

「泡の妖精?」



そんなものを広間に捨てないで欲しかったが、顔を見合わせたディノとノアには、泡の妖精という名前に覚えがないようだった。

だが、ノアは素早く魔術で広間の扉を閉じ、ヒルドはすぐにエーダリアに駆け寄る。


「どこかの国で、洗濯の儀式に使う道具から派生したんだよ。服を脱がせてくるから土地の人間達に滅ぼされたみたいだけれど、少し残っていたから、一つだけ捕まえたんだ。着替えなきゃいけないなら使うかなと思ったけれど、僕はもう帰るからね」

「………ほわ、アルテアさんの系譜の儀式に使われる、服を脱がせてくるだけの妖精さんなのです?」

「ありゃ。そうなると凄い儀式になっちゃうけど、多分、服を洗う為に脱がせるんじゃないかなぁ」

「服を脱がせるのだね………」

「人間の服は、何度も洗濯に出すものなのだろう。自由に使っていいから、僕を敬うといいよ」

「ぎゃ!帰ってしまいました!!間違いなく、とても厄介なものを置いていっています!!」

「…………洗濯をする為に、服を脱がせてしまうのだね」



ディノが、ヨシュアをすぐに捕縛出来なかったのは、そんな妖精の役割にとても困惑していたからのようだ。


だが、すぐに泡妖精の脅威に晒される事になったネア達は、思いがけなく獰猛な生き物と全力で戦う羽目になってしまう。




「ヒルドさん!」

「…………っ」

「ヒルド?!」


最初の犠牲者は、よりにもよってのヒルドで、泡妖精はかなりの手練れだったようだ。

警戒していたにも拘わらず、襟元を寛げられ、上に着ているものの前をはだけられてしまったヒルドが、ぎょっとしたように目を瞠る。


ネアは、とてもいけないものを見てしまった思いで慌てて目を逸らし、この犯人は、絶対に捕まえて窓から放り出してやると決意した。



「絶対に見付け………ぎゃふ!!ウィリアムさんがもう脱がされています!!」

「わーお。…………え、魔術構築してる衣服まで、全部脱がせてくる訳?!」

「……………くそ、……………何だ。騒がしいぞ」


ここで、ネア達の声で意識が戻ったのか、アルテアが体を起こした。

残念ながら寝ていたのは床の上だが、下には体を痛めないように毛布が敷いてあるので、ディノかノアが用意してくれたのだろう。


ネアは戦い易いようにと、先程までヨシュアが寝ていた長椅子に引き剥がした毛布をかけておき、鋭い目で周囲を見回す。


しかし、そんな乙女を嘲笑うかのように、しゅんと飛び付いてきた、謎のもわもわ毛玉のようなものがいる。



「…………ぎゃん!」

「ネア?!」

「上下が繋がっているドレス仕様なのに、スカート部分をぐいっとされました。………まさか、ここで乙女の衣服も脱がそうとしているのです?」

「ご主人様………」

「シル、絶対に僕の妹を守って!…………あれ、もしかして、守らなくてもいいのかな?」

「ネイ?」

「う、うん。一瞬負けそうだったけれど、守ってあげて!!」

「…………まさかとは思うが、泡妖精か?」



訝しげに尋ねたアルテアに、ディノがこくりと頷く。

その途端に頭を抱えてしまった選択の魔物によると、こちらの妖精はとても素早く動く生き物で、尚且つとても増えるらしい。

派生した国でも害獣と見做され、数年前に国を挙げての駆除が行われたのだとか。



「ほわ、………増える」

「洗浄儀式の中で、司祭が指先についた特殊な魔術洗浄の石鹸の泡を吹き、妖精に変えたと言われているからな。派生の成り立ち上、条件を満たすと簡単に増えるぞ」

「条件とは………」

「獲物の数が二人以上の場合だ」

「ぎゃ!満たしている!!」



儀式上の祝福とお手伝いをする妖精なので、とても任務に忠実で容赦ないと聞き、広間を見回し、そこかしこに、獰猛な目をしたふわふわした水色の毛玉がいる事に気付いたネアは、もう戦うしかないと結論付けた。



既に被害者が出ているので、互いに歩み寄り、和解出来ないかという状態はとうに過ぎている。


尚且つ、逃げ出した泡妖精がリーエンベルク内に広がらないよう、広間の扉を開ける事は出来ないのだから、ここで互いの存亡を賭けて戦うしかない。



「…………っ?!………う、後ろにいたのか………」

「エーダリア、大丈夫かい?………上着とクラヴァットは取られたけど、ここで間に合って良かったよ」

「にぎゃ?!またしてもスカートを引っ張りましたね!乙女のスカートを脱がせる系の悪い妖精など、絶対に許すまじ!」



なぜ、エーダリア達には上着からの気遣いをしておいて、こちらは頑なにスカートからなのだと怒り狂った人間は、乙女への心遣いの出来ない妖精を滅ぼすべく、広間の中を走り回った。


きゃっと声がして振り返れば、上着を脱がされてしまったディノが、いつの間にか半裸になっているノアと手を取り合って震えている。


エーダリアには何があったものか、ネアが引き剥がして長椅子の上にかけてあった毛布で包まれ、ヒルドにしっかりと抱き上げられていた。

恥じらいのあまり顔を覆ってしまっているエーダリアは、とても落ち込んでいるようだ。



「くっ、敵の仕事が早いですね。家族を狙われ、このまま負けてはいられません!」

「…………おかしいだろ。何でお前だけ無事なんだよ」

「む。………アルテアさんも既に、上に着ていた物がどこかにいってしまっているのです?まぁ、ベルトも取られてしまったのですね………」



ディノとノアはすっかり怯えてしまっているので、ネアは一人で全ての敵を滅ぼすべく、だっしんだっしんと床を踏みつけながら広間の中を駆け回った。


勿論、敵も簡単に滅ぼされる筈もなく、最後の戦いはとても厳しいものになってしまったが、最終的に勝つのはやはり狩りの女王なのだ。



「勝ちました!!もう安心ですからね!!」

「っ、お前の情緒はどうなっているんだ?!弾むな!!」

「むぐ。アンダードレスにされたくらいでは、夏のお洒落着と変わらないのですよ?」

「これを羽織ってろ。………いや、こっちに来い」

「むぐ。なぜに捕獲するのだ。そして、またしても毛布でぐるぐる巻きにされました………」

「あんな妖精なんて………」



幸い、ディノは上に着ていたジレやシャツの前を開けられてしまうだけで済んだし、呆然としているノアも、下着は残して貰えたようだ。


ちょっぴり襲われたようないけない感じに乱れているヒルドも、衣服を奪われる迄には至らなかったらしい。

その代わり、毛布の中のエーダリアがどうなってしまっているのかは、ネアにも分からない。



ふすふすと鼻息も荒く遺憾の意を示しつつ、ネアは、敵の殲滅を誇らしく思いながら、自分を抱えている選択の魔物を見上げる。



「………アルテアさん、新年早々から、一緒に戦ってくれて有難うございます」

「…………っ、妙なところを撫でるな!」

「むぅ。お腹を撫でただけではないですか」

「それと、言っておくが、ウィリアムは運ばないぞ。あいつは、お前達がどうにかしろよ」

「では、ディノかノアにお願いしますね。………むぅ。二人とも泣いてしまっていますが、戦いは終わったので、少しでも眠れるように、素早くお部屋に戻りますよ!」

「ご主人様………」

「え、僕の服………。長椅子の上に、全部畳まれて置かれてるんだけど…………」

「くそ、俺の服もそこか………」



ノア曰く、ウィリアムは元々何も着ないで眠る派の魔物なので、服を脱がされた事は気にならないようだ。

すっかりぐっすりなので、そのままの状態で部屋の寝台に入れて貰い、ネア達も何とか部屋に戻る運びとなる。




「ふむ。今年は、狩りの多い年になるのかもしれませんね」

「あんな妖精なんて………」

「ゼノに来て貰って、泡妖精めは残っていないと確認出来たので、もう安心して下さいね」

「うん………」



聞けば、今回持ち込まれた泡妖精は、ただ服を脱がせて洗濯に向かわせるだけであれば良かったのだが、着衣を許さないくらいに延々と脱がし続けてくるので、派生した土地でも滅ぼされたのだそうだ。


ネアは、お役目を果たしただけで滅ぼされてしまう妖精に少しだけ切ない気持ちにもなったが、とは言え、家族をしどけない姿にしてしまうのは許せないので、この世界には相容れないものもあるのだと凛々しく頷いたのであった。





明日から1/10迄(予定です)は、新作の更新となりまして、薬の魔物の更新は暫くお休みとなります。

新作の完結後、薬の魔物の更新に戻らせていただきますね。


余裕があれば、こちらやTwitterで薬の魔物のSSを更新いたしますので、Twitterのお知らせをご覧下さい。


本年も、薬の魔物を宜しくお願いいたします!

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