蝋燭と宝石と円柱
送り火の魔物がウィームの大聖堂に戻り、祝祭の運行が回復しつつあるその日、ネア達はリノアールの向かいの通りにある小さなお店に来ていた。
瀟洒な店構えはウィームに昔からあるものだが、店名の表記しかない外観からは何の店だか分からないので、観光客にはいささか難易度が高い。
そんな外容でお客を選別し、その店は古くからの常連さん達とそんなお客が連れてくる新しいお客を迎え入れる。
店の前に置かれた飾り木には、きらきらと光る細やかな星屑だけが吊るされている上品さで、扉には、街を飾るリノアールの新商品と同じ色相に揃えた、灰色のリボンを飾ったリースがかけられている。
こちらの緑と灰色だけのリースにも、きらきらと光る星屑が飾られていた。
こんなに優雅で繊細な外観の店の中で、眉を顰めるような饗宴が行われていると思う人はどれだけいるだろう。
任務としての訪れであったが、少なくとも扉を開くまではこれほどの惨状だとは予想だにしていなかったネアは、己の目に映る物が信じられずにわなわなするしかない、清らかで可憐な乙女であった。
「…………酔っ払いがいます。こちらで試飲出来るお酒は、そんなに強くなかった筈なのですが」
「ほら、僕の家族が迎えにきてくれた。君との賭けは、僕の勝ちだからね」
「ふん。本当の家族かどうか怪しいものだな。おまけに、灰色の髪をくしゃくしゃにした、なんともぱっとしない女ではないか。……………おまけに人間だぞ?」
「でも、僕の一番大事な女の子なんだよ。君のお勧めの女の子なんかよりずっと可愛いのに、君は分からないのかなぁ」
「………取り敢えず、あの失礼な方は殺せばいいのですね」
「ご主人様………」
「お酒に過ちは付き物です。ただし、その過ちは時として己を滅ぼしかねないものだということを、多くの人は忘れてしまうのでしょう」
「そうなのだね………」
このお店は、手作りの蝋燭と宝石リキュールの専門店である。
不思議な組み合わせに思えるが、魔術的には相性が良く、ウィームに古くからある名店だ。
店主である宝石継ぎの魔物の作る蝋燭は、小さなクリスタルのグラスに入っていて、色違いや香り違いで千種類近くはあるというのだから、好事家には堪らないお店なのは言うまでもないだろう。
黒檀色の木材で出来た商品棚に陳列された蝋燭は、印象派の絵画のように儚く淡く店内を色付けている。
そんな淡く繊細な色合いが、夜結晶と冬樫の結晶で出来たカウンターの奥にある宝石リキュールの様々な色と組み合わさり、見ているだけでも楽しいお店であった。
黒っぽい色合いで統一したシックな趣きの店内に、丁寧に色合いごとのグラデーションで並べた小さな色が花びらのように重なり、カウンターの席でくしゃりとなった魔物がいなければ、さぞかし美しい眺めだろう。
だがネアは、ゼベルから知らせを受け、酔い潰れた義兄を回収にきており、店主の拘りが随所に見られる店内には、ちょっぴり半裸な酔っ払いの魔物達と、小粋な雰囲気で椅子に腰かけたマシュマロとしか思えない謎の生き物がいた。
「ディノ、……………あの方は、マシュマロでしょうか?」
「……………ご主人様」
「さては、知らない生き物ですね」
「……………生き物なのかな」
「で、でも、手だか線だかわからない何かで、試飲用のちびグラスを傾けています」
「……………生きているのだね」
万象の魔物をすっかり困惑させたマシュマロ生物は、ネアの世界で見慣れた白いマシュマロではない。
パステルカラーの水色とピンクの混ざったような独特な色合いで、頭の上には浮かれたパーティ用の帽子をかぶっている。
それをなぜマシュマロだと考えたのかと言えば、その質感のせいである。
ネアの貧弱な想像力では、マシュマロ以外のものが思いつかなかったのだ。
ネアはたいへん普通の人間であるので、既にこのあたりで心が限界であるのだが、もっとどうすればいいのか分からない生き物達が床にも転がっていた。
こちらは薄っすら毛の生えた薄茶色の円柱に、虚無といっていいくらいの表情の、ファンシーな栗鼠のようなお顔が付いている。
三本というべきか三匹というべきかは謎に包まれているが、仲良く転がり、同じような虚無の目をしていた。
見ようによってはたいへん可愛らしい姿でもあるが、瞳に浮かぶ虚無の深さに気付いてしまうととても近付きたくないし、何なら見ているのも辛いのでそっと視線を外す。
そんな凄惨な店内に、わあっと、酔っ払い達の声が響いた。
なぜだかお店の店主は男泣きしながらシャツを脱いでいて、ノアはお腹を抱えて笑っている。
まともに喋っていたのでそこまで酔っ払っていないのかなと思えば、義兄を当てにしてはならないなと分かる場面であった。
「……………ぎゅわ。アルテアさんを呼びましょう」
「ネア、アルテアは今日は舞踏会に出ているのだろう?」
「ぐ、ぐぬ!そうでした。恋人さんが一緒だったりするかもしれませんので、床に転がる円柱への対応策を教えて貰う為に呼び出してはいけませんよね……………」
「ゼベルは、何と言っていたんだい?」
「ノアが、ご店主な宝石継ぎの魔物さんと飲み比べを始めてしまい、一緒に飲み比べに参加したお客が呪われたとしか……………」
「……………呪われているのかな」
「は!呪われてしまい、あのご様子なのです?であれば………」
ネアは、そうかここにいるおかしな生き物達は呪いの被害者なのだと漸く腑に落ちた気持ちでほっとしかけ、だが、これが呪いだとすればあまりにも残忍ではないかと慄いた。
床に転がる者達は、円柱要素と栗鼠要素が強過ぎて元が誰なのかはもはや分からないし、世界の深淵を感じるような虚無の眼差しがとても怖いので、例え被害者だとしても話しかけていいのかどうかも分からない。
その上、事なかれ主義の人間は、床に転がる薄毛で薄茶な円柱に話しかけるのは絶対に嫌だった。
多分だが、あの円柱が喋ったりしたらこのお店から逃げ出す自信がある。
(………み、見なかった事にしよう!)
ネアはあっさりそう決め、虚無の眼差しに至るまでに沢山の悲劇があったに違いない誰かを見捨てた。
とは言え、本日は家族を回収に来ただけなので、円柱のお世話は許容範囲外である。
ここにいる人間は、たいそう身勝手なのだ。
「ノアを回収して、ささっと帰りましょう」
「……………うん」
「このまま、……………なぬ。あの円柱もどきを跨がないと、ノアの方へ行けません」
「………空中に足場を作ろうか。人間だと思うから、踏まないようにした方がいいのではないかな」
「ほわ、領民の方でした……………。その、えいっと呪いを解いて差し上げる事は出来ないのですか?」
「店主との魔術的なやり取りの結果だから、難しいだろうね。恐らく、一定の時間が経過すれば元に戻るのだろう。何か単純な規則性がある呪いのようなのだけれど、かけた本人でなければ分からないのかな。……………何で、あの形なのだろう………」
ディノが、悲しそうにそう呟いた時のことだった。
「……………おお、相変わらず荒んでやがるな」
「………っ、……………まぁ、バンルさんです!」
扉の開く音はしなかったのに、背後から声が聞こえたのでぎくりとしたが、こちらを見て淡く微笑んだのは、赤い髪の船火の魔物な元夏闇の竜の王子だ。
ひらりと翻した黒いコートには雪片がついていて、聞けば、商業ギルドの緊急魔術通路を使って駆け付けたようだ。
これは、火事になったり強盗などに襲われた際に使うのでと、ウィームでは設置が義務付けられている脱出路なのだが、ごく稀に、騒ぎを起こしたお店にギルドの役員が駆け付けて事態を収拾するのにも使われているらしい。
そんな説明を受けた後、バンルはカウンターで塩の魔物と飲んでいる男性を暗い目で見据え、はあと、深い溜め息を吐いた。
「……………あの方は、荒んでいらっしゃるのです?」
「長らく愛読していた物語本の中で、一番気に入っていた登場人物が、昨日の新刊で死んだようでしてね」
「……………まぁ」
「本の中で、誰かが死んでしまったのかい?」
不思議そうに首を傾げたディノに、ネアは、物語の中の登場人物に心を寄せてしまい、そんなお気に入りが物語の展開上死んでしまったことに絶望する読書家達は、一定数いるのだと教えてやった。
ディノには分からない感覚なのか引き続き困惑していたものの、怯えたようにネアの背中の後ろに隠れた魔物は、そんなこともあるのだねとこくりと頷く。
「あいつは読書家なんですが、物語本の中で望まない展開があったり、気に入っている登場人物が死んだり、謎解き本の顛末が気に入らないとああして荒れる事が多いんです。いささか、本の中の出来事に心を入れ過ぎるんですね。………その結果、店を訪れた客に小さな賭けを持ち掛け、愛用している古びた砂鼠のクッションに変える手口もいつもの事ですよ。………まともな時は、いい男なんですが」
つまり、この状況は珍しくはない事なのだろう。
ゼベルがあまり大事にしていなかったのは、そのような経緯を知っていたからだろう。
「何という迷惑な荒ぶり方なのでしょう。そのような事件が初めてではないとなると、もはや、本当にいい男なのかどうかにも疑問を感じずにはいられません。………そして、犠牲者方のあの状態はクッションに姿を変えられていて、尚且つ、ご店主の方が愛用している物を模しているのですね…………?」
因みに、この店の店主である魔物は、すらりとした体格のなかなかの美丈夫である。
ネアの知る魔物達の中では珍しい、若干無骨めな雰囲気の、雨に打たれて逃亡生活を続ける系一匹狼的な容貌なので、恐らく元々はファンシー寄りの可愛い感じだったに違いない、円柱型砂鼠のクッションを愛用しているのは衝撃であった。
(栗鼠ではなくて鼠だったのだわ。………砂鼠クッションということは、元々顔もついているクッションなのかな………)
円柱の毛並みがとてもしょんぼりしているのは、クッションが使い込まれているからだとは理解出来たが、であれば安心出来るという訳ではない。
クッションについて考えてまたしても混乱してきてしまったネアは、何とか気を取り直し、バンルに、もう一人のお客はどんな呪いをかけられたのだろうと尋ねてみる。
落ち着いてお酒を飲んでいるくらいなので、こちらの被害者の呪いの状態の方が、症状としては軽微なのかもしれない。
「……………彼は、元々あの姿ですよ。クッション綿の精霊です」
「くっしょんわたのせいれい……………。またクッション絡みです…………」
「先に現場に駆け付けたんでしょうが、傍観を決め込んでやがる。……………おい、さっさとサミッシュを止めろ」
「バンルよ、この様子を見てみろ。どう考えても俺には荷が重い。物語の展開が気に入らないならともかく、今回は物語の中で惚れた女の死だ。せめて、もう少し俺たちの前で泣けたなら、楽になるんだろうがな」
「お前なら出来ただろ。寧ろ、ここまでくると、お前くらいにしか止められんぞ……」
(……………クッション綿なのに?!)
ネアは、乙女の手のひらくらいの体長のクッション綿を見つめ、いやいやこちらの生き物には荷が重過ぎるだろうとふるふると首を横に振った。
そもそも、クッション綿ということはなかなかにふわふわしている筈なので、竜程ではないにせよ、ノアより背の高い魔物の相手は難しいだろう。
きっと、ふわふわくしゅんとお尻の下に敷かれておしまいである。
それに加えて、マシュマロ改めクッション綿の精霊の言い分は、その実、ただ何もしていなかったという事なので、たいへんな役立たずでもあった。
どれだけ読んだ本の展開が気に入らなくても、店のお客をおかしな円柱にしてはならない。
被害者が出ているのだから、知り合いならどうか止めて欲しい。
「ご主人様……………」
「むぅ。ディノが弱り始めましたので、急ぎノアを回収してしまいましょうね。獲物を連れ帰ってしまえば、あちらで荒ぶるご主人も少しは落ち着くでしょう」
「少し待っていて下さい。何とか、サミッシュの気を逸らします」
「はい。バンルさん、お願いします」
まるで死線に向かう兵士のような目をしたバンルに、ネアは、胸を押さえて頷いた。
あのクッション綿の精霊とは違い、真剣にあの酔っ払いをどうにかしようとしてくれている。
ここで忘れてはならないのは、カウンター席に座っている魔物二人が、何をどういう経緯で脱いでしまったのか半裸だという事だ。
今度は何を話しているのか、声を潜めてひそひそと真剣に語り合っていた。
足元に転がる薄毛円柱を跨いで店の奥に向かうだけでも、充分な責め苦なのは間違いない。
おまけに道中には、謎のクッション綿の精霊の横を通るという難関も待ち受けていて、半裸の男性を説得しなければならないバンルは、最近失恋したばかりのこちらもそれなりに傷心の御仁である。
(……………と言うか、この店内に異常な状態のものが多過ぎて、何をどう正せばいいのか混乱してきた)
感情の忙しさに疲れ果てたネアは、もういっそ、ここにいる全員を眠りのベルで眠らせてしまおうかとも思ったが、眠らせたところで難易度はさして変わらないので、ここはバンルに命運を託すのが一番だろう。
寧ろ、足元の円柱型のクッションをどかしてくれれば義兄を連れ戻しに行けるのだが、バンルは店主の説得に向かったようだ。
あまり刺激しない方が良さそうなので、どうにか説得が上手くいけばいいのだが。
そう考えた時の事だ。
かちゃりと扉が開く音がして、ネアは戦慄した。
よりにもよって、ここで新しいお客様である。
「うわ、………おかしな事になっているな。…………シルハーン?………ネア?!」
「むぐ。ウィリアムさんとグレアムさんです………」
「グレアム………?」
「シルハーン、………これは………?」
この瞬間程、万象を司る魔物が安堵の眼差しを見せた事はなかっただろう。
ネアも、入ってきた二人連れの姿を見た途端、喜びに弾んでしまった。
本人達にとってはよりにもよっての来店だが、こちらからするとたいへん有難いところで店を訪れてくれた終焉と犠牲の魔物に、ネアは心より感謝する。
店内の惨状に呆然としている二人に、ネアは、何が起きているのかをざっと説明してしまい、ウィームで働いているからには噂を聞いていたのか、とても遠い目をしているグレアムと、足元の薄毛円柱をまだ受け止めきれていないウィリアムに頷きかけた。
「………気のせいでなければ、ここで横たわっている………クッションのどれかは、俺とウィリアムも顔見知りの魔物だろう」
「ほわ、ウィリアムさんとグレアムさんのお知り合いとなると、私も存じ上げている方なのでしょうか………?」
「ネアは、ローンと会った事はあるか?」
「…………ローンさんなのです?」
「ローンが………」
神妙な面持ちでそう問いかけたグレアムに、ネアは途方に暮れて床の上に並んだ円柱を見つめた。
あまり視覚情報として記憶しておきたくないのだが、そんな名前を出されると思わず見てしまうではないか。
「にゃんこを鼠に変えるだなんて、あまりにも残酷な仕打ちです……。どうしてそんな酷いことを………」
「うわ、ローンが混ざっているのか………。宝石継ぎの魔物は、器用で繊細なんだ。こういう状況下では、最低の相手だな」
「最悪ではなく、最低なのです………?」
「ローンがいるとなると、見過ごすことも出来ない。だが、剣で鎮圧する訳にもいかないだろう?おまけに、………ああ、やっぱりな」
ウィリアムのうんざりとしたような声音に視線を上げると、カウンターの方では、宝石継ぎの魔物に泣かれてしまったバンルが頭を抱えている。
どうやら、たいへん不安定な状態であるらしく、説得には失敗したらしい。
この店の常連とも思えないウィリアムがやっぱりと言うからには、このようになるとなかなか手に負えない魔物だと有名なのかもしれない。
「……バンルの手伝いをした方が良さそうだな。だがその前に………ウィリアム、まずは、このクッションを壁に立てかけるのを一緒に手伝ってくれないか?…………ウィリアム、そうすると呪いが解けるんだ。頼むからそんな目でこちらを見ないでくれ。俺だって辛いが、この形状だから立て掛けるのが意外に面倒なんだ」
「………ああ。手伝おう」
ウィリアムがとても辛そうだったので、背中の後ろに隠れた魔物にも手伝えるかなと振り返ると、ディノは涙目で首を横に振っている。
とても怖がってしまっているが、犠牲者の一人は顔見知りの魔物なので、本人的にはこの反応はどうなのだろう。
だが、ネアがそんな事で悩んでいる内に、犠牲者達は無事に壁に立てかけられ、ぽふんと元の姿に戻った。
その中には涙目で床に座り込んでいるローンもいて、たいへんお労しい。
後の二人は、街の騎士と、時々街中で見かける男性だったようだ。
女性の被害者が床に転がされた可能性もあったのだと気付き、ネアは、あらためてこれはないなと眉を寄せた。
ローンを除く二人は、グレアムから後遺症などは出ない筈だと説明され慌てて店から出て行ったが、幸いにも常連さんで何度目かの被害だという。
何度もこんな目に遭っていても引き続きお店に通えているのも凄いが、とても疲れた顔をしていただけなのでよくある事という認識のようだ。
「となると、砂鼠のクッションにされるのが初めてなのは、ローンさんだけなのですね………」
「ローンは、大丈夫かな………」
「ローン、大丈夫か?その、……大変だったな」
「ウィリアム様………。噂には聞いていましたが、…………まさかこんな目に遭うとは………」
ぺたんと床に座り込んでいる疫病の魔物は、にゃんこ尻尾をけばけばにしている。
フードが外れ耳も見えていたが、ネアが凝視していると、グレアムがさっとフードを被せてしまった。
「ローン、ここは俺達でどうにかするから、店を出た方がいい。賭けで負けた要素をもう一度引き出されるとまずいだろう」
「………ああ。すまない。だが、この店の蜂蜜パンケーキの蝋燭がないと、よく眠れないんだ」
「ほわ、蜂蜜パンケーキ…………」
「……………代金を置いて、商品を持って帰ってはどうだ?勝手に買ってゆく事になるが、支払いはしている訳だし、彼も自己責任だろう。幸いにもギルド長のバンルもいる」
「ああ、そうする。…………君も、アルテアのようにウィームに住んでいたんだな」
「…………はは、ばれてしまったか」
会話からうっかりそんな事が知られてしまったようだが、対価の支払いには支障がなかったらしく、グレアムは苦笑している。
ローンも、グラフィーツやオフェトリウスもいるし、ウィームに暮らしている者は多いなと少し聞き捨てならない言葉を残してはいたものの、お目当ての蝋燭を買うとそそくさと帰って行った。
「ローンさんは、蜂蜜パンケーキの蝋燭が安眠の秘訣なのですね………」
「ネアも、この店の蝋燭が欲しいのだったよね……」
「はい。ですがこの様子を見ると、お買い物に来る時には、細心の注意を払う必要がありそうですね………」
「うん………」
店の奥では、グレアムがバンルと共に店主を落ち着かせていた。
裸のノアはちょっぴり眠たくなったようで、うとうとしている。
「…………切らしていた宝石リキュールを買いたいと話していたが、グレアムも大変だな」
「まぁ。それでお二人はこちらのお店に来たのですね?」
「ああ。カルウィで小さな戦乱があってな、王族間の厄介な取り引きがあったようだから、グレアムに伝えておこうと思ってウィームに来たんだ。出かけるところだと聞いて、買い物に付き合いながら話をしていたんだが…………」
その結果、ウィリアムはこの凄惨な現場に足を踏み入れてしまったらしい。
「お二人にとっては不幸な偶然でしたが、私は、ウィリアムさんとグレアムさんのお陰で、円柱達の呪いが解けてほっとしました。これなら、ささっとノアを連れて帰れそうです………」
「ああ。グレアムが宝石継ぎと話をしている内に、こちらに連れて来た方がいいだろう。………ところで、何でノアベルトは裸なんだ?」
「……………どうして脱いでしまうのかな」
「今回については、あちらの魔物さんも脱いでいましたので、状況的に互いの着ている物を脱ぐ的な賭けをしていたようです」
「そう考えると、ローン達がその手法で呪いをかけられていなくて良かったと思うべきなのか………」
「ぎゅわ………」
円柱がいなくなった事で動き易くなったものか、途中でウィリアムも加勢してくれ、心の荒んだ宝石継ぎの魔物の話し相手には、バンルが、椅子に腰掛けていたクッション綿の精霊を持ってきた。
掴んで店主の目の前に置くという、生き物というよりは物品的な扱いだが、どうやらこちらの精霊は聞き上手らしい。
「ノアベルトが呪われていなかったのも、話が上手いからというのもあったんだろうな。バンルは危なかった」
「………面目ない。いつもは封印庫の魔術師達が説得してくれるんだが、まさか、あそこまで不安定になっているとは思わなかった」
「まぁ。いつもは、あの方達が宥めて下さるのですね。確かにそのようなやり取りは得意そうな印象の方々です!」
宝石継ぎの魔物は、飲んだくれて笑ってはしゃいで、飲み相手と魔術の賭けなどを楽しみながら、心の傷を洗い流そうとしているようだ。
それが上手くいかなくなると荒ぶり、飲み相手を賭けで負かして円柱型のクッションに変えてしまうらしい。
ノアが脱ぐだけで済んでいたのは楽しく飲めていたからだが、賭けの対価を服を脱ぐ事にしたのは、塩の魔物がルールを変えたからなのかもしれないと、グレアムが説明してくれる。
「………今日は、イブメリア気分の素敵な一日になる予定でしたが、たいへんなものを見てしまいました」
「あのクッションは、俺も夢に見そうだ。おまけに触感が………、い、いや、思い出すのはやめておこう」
「ウィリアムさんが、しょんぼりしてしまいました………」
「これから戻って昼食なのだけれど、君達もリーエンベルクに寄ってゆくかい?」
「いえ、この後はグレアムと彼の働いている店で昼食を摂る予定ですので………。ですが、その後で仕事が入らないようであれば、立ち寄らせていただいても?」
「うん。そうするといい。私からエーダリアにも話しておくよ」
グレアムは、買いにきた宝石リキュールを、ローンと同じ代金を置いてゆく方式で手に入れたようだ。
クッション綿の精霊は、前情報に違わぬ聞き上手らしく、穏やかな相槌が聞こえてくる。
宝石継ぎの魔物もそんな話し相手に心が落ち着いてきたのか、さめざめと泣いて悲しみを打ち明けていた。
「ありゃ。何でみんながいるの?」
「ノアベルト、酔い覚ましが効いたのなら、まずは服を着ようか」
「シル?…………わーお、裸だぞ。ネアが迎えに来てくれたところ迄は覚えていたんだけど、…………うーん、また酩酊石のリキュールを混ぜられたのかな」
「もしや、ノアはこちらのご店主と飲むのは、初めてではないのですか?」
「うん。三回目だよ。………彼はさ、継ぎ直しや修復、抽出なんかの魔術の天才だからね。話していると思いがけない閃きが貰えるんだ。でも、今回はちょっと悪酔い気味だったかな………」
「むぅ。慣れているのなら、助けに来なくても良かったのですね………」
「ありゃ、僕の妹が冷たいぞ………。家族が迎えに来てくれるかどうかって賭けをしたんだ。だから、買い物に来たゼベルに、伝言を頼んだんだよ」
ごそごそと着替えながらそう教えてくれたノアは、まだ酔いが残っているのか、途中で魔術を使って服を着れば一瞬だったと気付き、項垂れていた。
グレアムは、宝石リキュールと一緒に、ネアとディノに雪の夜と林檎のお酒の香り蝋燭も買ってくれて、これで記憶の上書きをした方がいいと渡してくれる。
「まぁ、いいのですか?」
「ああ。ローンの蜂蜜パンケーキもいいが、俺のお勧めの香りなんだ。この一件の後だと、次に蝋燭を買いに来るのも勇気がいるだろう。店への記憶が取り返しのつかない事になる前に、これを試してみてくれ」
「はい!箱に入っていても少し匂いがしますが、ディノも好きそうな、果実の爽やかな香りにお酒のような奥行きがあって、とてもいい匂いですね」
「………うん。……有難う、グレアム」
店を出ると、バンルが定休日の木札を店の扉の持ち手にかけた。
店の中にあったものを見付け、持ってきたらしい。
「さて、俺も店に戻るか………。こんな日に限って、封印庫の爺さん達が懇親会とはなぁ。………アレクシスの店のスープでも買って帰るか」
「シルハーン、では俺達はこれで」
「うん。ノアベルトを持ってきてくれて、有難う」
「ありゃ………。僕を連れて来てくれたの、シルとネアじゃないの?」
「あまり皆で近付いて刺激してもいけないからと、ウィリアムさんとグレアムさんが、宝石継ぎの魔物さんの前の席から救出してきてくれたのですよ」
「わーお………」
ウィリアム達やバンルと別れて通りを歩けば、はらはらと雪が降り始めていた。
リノアール側の歩道に渡り、折角なのでと玄関ホールの飾り木を眺めたり、他の商店のイブメリアの飾り付けを見ながら帰路に着く事にする。
祝祭の煌めきの宿る美しい街並みに、少しずつ、強烈な円柱型のクッションの記憶も薄らいでゆき、ネアは安堵の溜め息を吐く。
(……………でも、宝石継ぎの魔物さんが読んでいた本は、どんなものなのか気になるな………)
一緒に飲んでいたノアなら、どんな本があの魔物の心をそんなにも揺さぶったのかを知っているだろうか。
「ノア、あの魔物さんが、どんな物語本を読んであそこまで荒んでしまったのかを知っていますか?」
「森鼠の冒険っていう、児童書だよ。主人公の森鼠の勇者の幼馴染の女の子が、最新刊で主人公を庇って死んだんだってさ」
「…………森鼠の冒険」
「物語本っていうか、絵本だよね」
「それはそれで気になりますが、あの魔物さんとの組み合わせとなると、とても複雑な気持ちになる本でした………」
「ご主人様…………」
色々と情報を処理出来ない事が多かったのか、またしてもぺそりと項垂れてしまった伴侶に羽織り物になられつつ、ネアはよろよろとリーエンベルクに帰った。
その後、偶然書庫で噂の絵本を見付けたので読んでみたところ、森鼠の勇者が、生まれた村を石化してしまったボラボラの悪の魔術師と戦うという、四百年程前からある人気のシリーズらしい。
だが、森鼠の勇者が実は精霊の血を引いており、伝説の武器がフォークとナイフだったところでネアは読み進められなくなってしまい、ぱたんと閉じて書架に戻しておいた。
系譜の王様にも教えておいてあげようかなとアルテアにその話をしたところ、とても嫌そうな顔をしていたので、系譜の生き物が悪役にされる展開はお気に召さなかったのかもしれない。
森鼠の勇者のお好みは、鍋ではなくてボラボラ香辛料煮込みだったようだ。




