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189. その悲劇は許容します(本編)



「ほぇ……………」

「……………ヨシュアさんも、ローストチキンを買いに来たのですか?」

「うん。ここのチキンは美味しいんだよ。きっと……」



何かを言いかけ、背後を振り返ったヨシュアは、なぜかじりりと後退するではないか。

ネアは、なぜだか分からないが捕獲しておいた方がいいのかなと、むんずとその手を捕まえてしまう。


「ぎゃあ!つ、掴んだ!!掴んだよ!!」

「まぁ。手を掴んだだけではないですか。何かを言いかけて口を噤んだので、とても怪しいです!」

「ふぇ。ふえええ!」

「…………早速泣いてしまいましたが、私が泣かしたのではないのです」

「手を繋いでる………」

「ディノ。これは捕獲なので、浮気ではありませんからね?」

「そうなのかい?」

「そして、なぜにこれだけで泣いてしまうのだ………」



困惑してそう首を傾げたネアに、前に進み出て一礼したのはイーザだ。

銀色の筋の入った美しい羽がふわりと揺れ、ネアはふと、マイロの羽が見えていない事に気付いた。



(…………なぜ気付かなかったのかしら)



そんな事は、さすがに今迄見落としてこなかった。

それなのになぜ、今回は気にも留めなかったのだろう。

微かにひやりとしたが、幸いにもマイロはまだ戻っていない。



「ご無沙汰しております。これはもう仕様ですので、どうぞお気になさらず。送り火の魔物のご捜索でしょうか?」

「お久し振りです、イーザさん。はい。グレイシアさんを探しに来たのですが、なかなか情報が集まらずに作戦を考えているところなのです。もし、こちらに滞在している間にどこかでグレイシアさんのお話などを耳にされていたら、教えていただけると助かります」

「我々も総力を挙げているのですが、何分、こちらは別の会の管轄地でして………」

「かい……………?そうりょく?」

「ああ、………いえ、こちらの話ですのでどうぞお気になさらず。残念ながら、昨日から滞在していますものの、送り火の魔物の話は耳にしておりません。お力になれず、申し訳ない」



そう肩を落としたイーザに、ネアは慌てて首を振った。


何やらイーザの方にもグレイシアを探している事情があるようだが、こちらとしては念の為に訊いただけであるので、落ち込ませてしまうのは本意ではない。



(でも、……………今の言い方だと、グレイシアさんを隠しているのは、個人ではなく組織のような気がする…………)



出来れば背後に何があるのかを教えて欲しいが、口を濁したという事は、イーザには言えない事情があるのかもしれない。


言えるような事であればここで教えてくれる筈だというくらいには知っている妖精であるので、ネアは、一つ情報が得られただけでも有難いと思う事にし、美しい霧雨のシーにお礼を言った。


だが、ぺこりと頭を下げたネアに、イーザは何かを考え込むような様子を見せる。

その様子にまた一つ、微かな違和感が心の中にぴしゃんと落ちてきた。



「ネア様。万象の君が宜しければ、ヨシュアを連れていかれては?こちらは、歩き慣れた場所ではありませんので、不慣れな事も多いでしょう」

「ほぇ………」

「なぬ。何かとても大きな含みを持たせていますが、この街で、良くないことが起きているのでしょうか?」

「それは………」



イーザが、何かを言いかけた時の事だった。

ふっと影が落ち、上等なコートの裾がふわりと揺れる。


転移を踏んでこちらに戻った人影に、イーザが小さく息を吐くのが見えた。



「申し訳ない、遅くなりました。貪食の魔物が暴れるので、説得が長引いてしまいましてね。……………おや、イーザ」

「…………久し振りですね、マイロ。夏の会合以来ですが、相変わらずのようで」

「ああ。君も元気にしているようだな。昨晩からこちらに泊まっていると聞いていたので、どこかで会えるだろうかとは思っていたんだ。……………雲の方もご一緒でしたか。ご無沙汰しております」

「そうだね。僕には相応しい敬意を払うといいよ」



胸元に手を当てて深くお辞儀をしたマイロに、ネアは、この仕草はディノの時にはなかったぞと内心首を傾げる。


という事は、ディノへの丁寧な挨拶は省けるくらいの知り合いであったか、何か他に含みがあるかのどちらかなのだろう。



(………イーザさんが来て、マイロさんの言動に違和感を覚えるようになった)



その小さな変化を見逃さず、ネアは、心の片隅に重石を載せて保持しておく。

また後で取り出してじっくり考えなければならないが、今は、これからの捜索をどうするべきかを考えよう。



「それと、僕はイーザと一緒にいるよ」

「ヨシュア…………!」

「イーザは心配し過ぎなんだ。ネアは、………僕だって狩るんだよ」

「ふむ。悪さをした場合は容赦はしませんからね」

「………ふぇ。なんだって狩るから、変な妖精なんてすぐに捕まえるんだ」


きっぱりとそう言ったヨシュアがこちらを見る眼差しが魔物らしい酷薄さに澄んでいたので、ネアは、凛々しく頷いてイーザに微笑みかけた。



「不慣れな土地で仕事をしているのでとお気遣いいただきましたが、この通り、ディノもいるので大丈夫だと思います。イーザさん、心配して下さって有難うございました」

「…………いえ。我々は明日までリンツェにおりますので、何かありましたら声をかけて下さい」

「はい。ではそうしますね」

「……………成る程。噂に違わぬ様子だな」



くすりと笑ったマイロに、イーザはどこか苦々しい様子で首を横に振った。

イーザのコートは黒で、冴え冴えとした配色を持つ妖精にとてもよく似合う。

対するヨシュアが、階位を隠すつもりもない真っ白な毛皮のコートなのは、この街では大きな騒ぎにならないと踏んでの事だろうか。


ネアは、イーザのどこかすっきりとしない様子も脳内のメモに書き留めておき、こちらを振り返って微笑んだ真夜中の座の妖精に、残念ながらこの通りでは目撃情報は得られなかったと話しておく。



「そうでしたか。…………やはり、そう簡単には尻尾を掴ませてくれませんね。ですが、あなた方が捜索を始めた事を知れば、徐々に情報が入って来るのではないでしょうか。そちらについては、僕の方でも部下達に情報の収集を命じております」

「それはやはり、この季節ともなると、外で過ごすような方が少ないからでしょうか」

「ええ。この季節の住人達の会話は、対面してのものが少なくなりますからね。ですが、僕や部下達が捜索依頼をかけるよりも、リーエンベルクからの捜索の手が入ったという情報の方が拡散力が高い。ですので、こちらの力不足は承知の上で、あなた方の訪問で事態が動く事を期待してしまうのでしょう」



(マイロさんの説明は、尤もな内容ばかりだ。でも、………この捜索方法を続けながら、秘密を伏せられたまま表向きの仕事をするとなると、我々には不利だろう)



そう考えれば、ネアも決心が付いた。

無駄をよしとする場合もあるが、今回は否だ。

イーザが見せてくれた懸念をそのままにだらだら捜索を続けて、ディノに嫌な思いをさせたくはない。



「私は、言葉を潜めるのが苦手なので率直にお聞きしてしまいますが、マイロさんは、グレイシアさんの居場所について、何かご存知なのではありませんか?」


この場で行われた密やかなやり取りについて、何一つ、聞かなかった事にはしなかった人間がそう問いかけてしまうと、真夜中の座の妖精は水色がかった緑の瞳を瞠ってから、小さく笑った。


「いやはや、手厳しい方だ。ええ、ある程度の予測は立てています。ですが、この街に暮らすのが妖精だけではない以上、確証がない事に関しては、僕の口からは何も言えません。その代わり、送り火の魔物を匿っているのが僕ではない事はお約束いたしましょう」

「やはり、あなたは何かご存知だったのですね。イーザさんとのやり取りがなければ、全く気付けませんでした」


ぎりりと眉を寄せたネアがそう告白すれば、ディノが短く頷いた。


そう言えば、この魔物はそれでもマイロを警戒する素振りはないのだなと不思議に思っていると、こちらを見たディノが、困ったように微笑む。



「……………真夜中の座の妖精達は、同族同士でも互いの距離感を踏み越えない。それに、他者との会話では、このようなやり取りを好む傾向があるんだ。彼には何か思惑があるのだろうけれど、君には真夜中の座の祝福があるから、こちらに害を為すような事は出来ないと思うよ」

「ディノは、最初からマイロさんの秘密に気付いていたのですね?」

「うん。真夜中の座には、思索の資質と秘密の資質がある。司る夜の範囲の広いマノイロージュにも、その魔術領域があるから、あの場では、君に私が感じた事までは伝えられなかったんだ」


その夜の資質は、秘密に気付いた者でなければ触れられない。

夜は帷を下ろして秘密を作り、思索に耽る者達がその在り処に気付いた時にだけ、秘密の存在を明かす。


この話も、ネアが違和感に気付いて問いかけなければ、明かされる事はなかったのだという。



「まぁ。とても面倒………込み入った決まりがあるのですね」

「面倒と言って下さって構いませんよ。今回ばかりは僕も目隠しをされているので、これは面倒だなぁと頭を抱えていますから」

「彼を秘密から引き摺り出す事も出来たけれど、恐らくは仲間達との約定があるのではないかな。そのような場合は、無理をさせない方がいいのだろう?」

「ふふ。ディノは、それで様子を見ていてくれたのですね?」

「うん」



ディノがこくりと頷くと、マイロは申し訳なさそうに眉を下げて微笑んだ。

相変わらずその眼差しは穏やかで、正面から切先を向けるように秘密の開示を要求していても、ネアはまだこの妖精が好きだった。


「………そこまでご配慮いただいていましたか。重ね重ね、お手間をおかけしております」

「君の様子から、何かあるのかなとは思っていた。でもそれは恐らく、君にも御し難いもので、この子やリーエンベルクに害を及ぼすような理由ではないのだろう?」



その問いかけに、マイロは驚いたようだった。

だが、小さく息を呑んだ後、微笑んでゆっくりと頷く。


「ええ。全ての秘密を明かす約定にもなるからと、我々の正式なご挨拶も出来ずにおりましたから、あなたにはお見通しだろうと思っておりました。………お叱りを受ける覚悟でしたが、そのような言葉をいただけるとは思っておりませんでした」

「何か、ここで話してしまえることはあるかい?」



ディノの言葉は穏やかなままで、ネアは、自分でもこんな風に好ましく感じられるのだから、きっとディノもこの妖精が好きなのではないかなと考えた。


大事な魔物が、誰かをそんな風に思えるのはとても素敵な事だ。

だからネアは、どうかこの妖精がその思いを傷付けないでくれればいいと思う。



「今回は、僕もまた、夜の系譜の誓約の上に立っています。送り火の魔物がこの街にいる事までは知っていますが、そこで行われている秘密と、それを暴く権利を持たないというのが今回の僕の役どころでした。ただ、目隠しをされていても街のご案内と捜査の協力には支障がありませんし、こうして僕が同行させていただくのは、この街に一つの秘密があると知った上で、もしもの時の為にあなた方をお守りする意味も兼ねています」

「……………成る程。そちらの会員達は、敢えてあなたを外したという訳ですか」

「イーザ、そう睨まないでくれ。これでも僕は、今回はなかなかに難しい立場なんだ。それに、君達だってさほど目的は変わらないのではないかな」

「こちらは、捜索に入られたという事実が全てですからね」

「………ああそうか。その段階で、君達も段階を切り替えて捜索に特化する訳か………」



先程から謎の組織同士の話が続くなとネアが困惑していると、なぜか、慌てたような目をしたヨシュアが、ネアの袖を掴んで引っ張る。



「む……………。どうしたのですか?」

「ほぇ、ここを離れた方がいいと思うよ。イーザは、何も隠してないからね」

「怪しさを百倍にする表現ですが、私は、あまり聞かない方がいいことなのです?」

「……………ふぇ」



ネアは、魔術的に、知るという事の定義に引っかかるのかなと思いそう問いかけたのだが、なぜかヨシュアは真っ青になって絶句してしまう。

気付いたイーザが慌てて回収に来たが、とても気になるので、どうかあまり思わせぶりな態度は取らないで欲しい。



「マイロさん、あなたは、我々がどのようにグレイシアさんを探すべきだと思いますか?」


この質問は、またしてもマイロにとって予想外なものだったらしい。

複雑な色合いの瞳を揺らし、ややあってから、とても優しい微笑みを浮かべる。



「これはなかなか、………成る程。あの方も含めて、多くの者達に好まれるのも頷ける」

「む。褒められている気配なので、吝かではありません」

「イーザ、そう不機嫌そうな顔でこちらを見ないでくれ。これでも僕は、エーダリア様一筋だ。残念ながらね」

「…………おかしいです。なぜか、エーダリア様に負けて振られたみたいになりました」

「ご主人様………」



くすりと笑ったマイロは、そうですねと呟き、また雪の降り出した空を見上げた。


ネアのよく知る美しい妖精達ほどに匂い立つような美貌ではなく、この妖精の美しさは、古く立派な木の美しさに似ている。

目を止めて静謐な佇まいに目を凝らすと、思いがけない程の美しさに目を奪われるのだ。



「………ゆっくりと街中を捜索しながら、お目当てのシュニッツェルなどを楽しんでいただきたい。街で情報が得られなければ、チョコレート工房の術師達にも話を聞いてみましょう。それでも送り火の魔物の居場所が分からなければ、今夜はどうぞ僕の屋敷にお泊まり下さい。………この街の夜はとても静かで、ゆっくりと過ぎてゆきます。夜が明ける頃にはきっと、秘密を宿した蕾も開くでしょう。………ふと思うのです。開かない蕾には相当の理由があり、時として、無理にそれを開こうとすれば、花を散らせてしまうのだと」

「…………マノイロージュ?」


思わずといった様子でその名前を呼んだイーザに、真夜中の座の妖精は淡く微笑む。


その背中に大きな翼のような羽が見えた気がして、ネアはこしこしと目を擦ったが、何も明瞭にはならなかった。



「秘密は秘密だ。今回は僕も仲間外れだが、秘密を宿す夜の系譜の者として、ぼんやりと感じる、何かを退けなければならないのであろう不穏な予兆のようなものがある。…………シルハーン、エーダリア様はリーエンベルクにおられますよね?」

「………その筈だよ。私の友人が近くにいる。彼と、話をしておきたいかい?」

「さて、どうするのがいいのか。あの方の近くにも、僕達の仲間がいる筈なので、何かがあるのなら、そちらも動くでしょう」



(……………あ、)



その時になって、ネアは、ダリルの言葉をもう一度思い出した。


こちらを真っ直ぐに見てどこか秘密めいた微笑みを浮かべた美しい書架妖精は、茶化すような言い方ではなく、呆れるような笑い方もしていなかった。


ただ、静かな声と微笑みで、案内をする妖精は、エーダリアの会の会員だからねと教えてくれたのだ。



「その秘密がどのようなものなのかは、私には想像もつきません。ですがもしかすると、ダリルさんは何かをご存知なのかもしれませんね」

「…………ああ、彼であれば大丈夫でしょう。ですがやはり、シルハーンのご友人と話をさせていただいても?あなたがその提案をして下さり、僕がここに何も知らされずにいるという事にこそ意味があったのなら、ここで大切な選択を誤りたくはない」



(…………魔術には、時折、知られてはならないという対価や呪いがある。私にもそのような条件を課せられた経験があるし、グレアムさんの対価の支払いも、知らしめる目的でその秘密を暴いてはいけないものだった………)



そしてマイロが慮り、懸念する秘密のテーブルには、どうやらエーダリアの名前があるようだ。


ネアの大事な家族の一人なので、その関与が判明した以上は、こちらも絶対に間違えたりは出来ない。



一つ頷いたディノに、ネアは、最近分け合ったばかりのノアとのカードを手渡そうとしたが、どうやらディノはディノで持っていたようだ。

おやっと目を瞠ったネアに、幾つも橋はかけておかないとねと微笑んでくれる。

ディノだけなら謎の意識通信のようなものも可能な様子だが、それが叶わない時の為に様々な手段を備えておいてくれたようだ。



(エーダリア様に、何かが起きているのだろうか………)



カードにはすぐにノアからの返事があり、ディノが事情を説明した後に、マイロが伝えておきたい事を書いてゆく。


秘密会議に相応しいとは言えないとても鶏料理専門店のお店の裏手な場所だが、幸いにも、買い物客が行き交って営業の邪魔になるという事はなかった。


引き篭もりがちというリンツェの住人なだけに、雪が降り始めているのにお買い物に出かけたりはしないのだろうか。

周囲には人影一つない。

或いはこれも、誰かの魔術で目隠しされているのだろうか。



(マイロさんが一概に全てを明かせと言えないのは、今回の件にはリンツェに暮らす人間も関わっていて、妖精達にそうするように命じたりは出来ないから………なのかな。それに加えて、知るという事で制限される何かを回避させる為に、お仲間の人達が敢えてマイロさんに何も知らせていない可能性もある………)



だからネアは、イーザ達とその場で別れてから、マイロの提案に添って街の探索を行い、やはりグレイシアの消息はさっぱりであるという結論を出した。


昼食は噂に聞いていた美味しいシュニッツェルのお店に出かけ、ネアは、チーズとローズマリーのシュニッツェルを、ディノはグレービーソースのシュニッツェルを注文し、さくさくジューシーなお肉を頬張る昼食を満喫する。


チョコレート工房では、試食をいただけたばかりか、お試し配布用だというチョコレートを紙袋にたっぷり貰ってしまい、賄賂かななどとは思わず素直に魔術金庫に押し込んだ人間は大満足でほくほくとした思いを噛み締める。




「エーダリア様には、今夜は泊まると連絡を入れました。心配して下さっていましたが、宵っ張りの街なので、泊まりがけで探した方がいいという認識は持たれているようです」

「うん。私もノアベルトと話をしたよ。…………どうやら今回の一件は、何かの思惑を巡る対処と解除の動きのようだね」

「…………もしや、ジュリアン王子からの手紙の件なのでしょうか?シナモンロールのあわいではないと思うのです」

「そのどちらでもないようだ。外周からの気付きとなると、罠や陰謀の仕掛けだったのではないかな。となると、ここまで緻密な対処が出来る組織はあまりない。エーダリアは良い支持者を持っているようだね」

「…………エーダリア様は、大丈夫でしょうか?」

「うん。大丈夫だと思うよ。懸念材料があれば、ダリルから我々にもう少し接触があるだろう。順調に対策が進んでいて、私達はその中の一つの歯車なのだろう。グレイシアが出てこないのは、彼も何かを知っているからかもしれないね」



ネア達がそんなやり取りをしているのは、マイロの屋敷だ。

水色がかった緑の瞳をした妖精は、イーザ達も泊められると良かったけれど、良からぬ相手の目に留まると厄介なのでと話していた。


漆喰壁の白と黒檀色の木枠の内装は簡素だが、繊細な細工のステンドグラスの装飾やシャンデリアがあり、落ち着いた美しさに溢れている。

住人によく似た屋敷だなと思いながら、ネア達は、用意して貰った部屋からゆっくりと暮れてゆくリンツェの夜を眺めていた。



庭には大きなプラタナスの木があり、その木の季節ごとの風情が美しいのでここに屋敷を建てたのだとか。

中心地からは外れるが、街並みや教会などがよく見える立地で、この土地を愛している人らしい場所にあるお屋敷だ。



コートを脱いで窓からの景色を見ていると、ふと、がらがらと音を立てて表の通りを走ってゆく随分と豪奢な馬車がいる事に気付いた。

黒塗りの馬車はその他の物と変わりなく見えるが、御者台に吊り下げられたランタンの装飾があまりにも手が込んでいる。


貴族やそれに準じる要人用の馬車に違いなく、ネアは、その馬車のことを、マイロもどこかの部屋の窓から見ているような気がした。



「ディノ、マイロさんの羽は普段は隠されているのですか?」

「ああ、彼の羽は透明なんだよ。感情の動きなどがあって光ると見える事もあるけれど、普段は、よほど光の角度を調整しないと視認するのは難しいだろう。幾つかの系譜の中でも、あまり現れない高位者だけが持つ、全ての色の系譜を有する特別な妖精の羽なんだ」


二人きりになったのでと、ネアは、ここでやっとその疑問を伴侶にぶつけてみた。

マイロの屋敷の中ではあるが、何かまずい事情があればディノが音の壁的な形で手を打ってくれるだろうと思ったものの、特に禁忌に触れるというような事はなかったようだ。


「まぁ。………やはりあの方は、とても凄い妖精さんなのですね?」

「一族としての階位は闇の妖精やヒルドの一族には劣るだろう。それに彼は、一族の王でもない。けれども、このような己の資質に見合った土地で長らく暮らし、土地の人々の信仰や愛情を得てきた事で、個人の階位を驚く程に上げている。十席以下であれば、公爵位の魔物にも匹敵するだけの力はある筈だ」

「ほわ……。その、つまり、……人間でいうところのアレクシスさんのような感じなのですね」

「うん。その例えが分かりやすいかな。血筋や継承ではなく、個人で階位を高めた妖精なんだ。勿論、彼の生来の資質にも充分な下地はあるけれどね」



そんな話をしていると、誰かが屋敷の扉をノックする音が聞こえてきた。


家主はマイロなのだし、この家には使用人達もいるようだが、状況が状況だけに体を竦ませたネアを、後ろからディノがふわりと抱き締めてくれる。



「ディノ……………」

「成る程。エーダリアの支持者たちが何を懸念していたのか、少しだけ分かったような気がする。すぐに解決すると思うから、もう少しだけ我慢していてくれるかい?」

「はい。今のお客が厄介な方であれば、きりん箱などを出します?」

「その必要はないだろう。マイロは夜の多くの資質を持っている。その中には、終焉などに近しい排他的な要素も多い。ヒルドのように武に長けている訳ではないけれど、魔術的な技量に於いては彼に匹敵する妖精もいないだろう」

「……………まぁ。そこまでの方なのですね」



はっきりとは聞き取れなかったが、屋敷の使用人が、扉を叩いていた客人を迎え入れたようだ。

そこから先に何が起こったのかは定かではないが、その後、終ぞお客が出てゆくような物音は聞こえてこなかった。



静かな静かな夜である。


リンツェの夜は静かで美しく、しんしんと雪が降り積もる。

そろそろ晩餐かなという時刻になった頃、ディノがふうっと息を吐き、終わったねと呟いた。



「……………もう、大丈夫なのです?」

「うん。明日にはグレイシアも捕まえられるだろう。少しだけ魔術の波紋が残っているから、それは私が均してしまうよ。…………ここに私達が呼ばれたのは別の理由だろうけれど、その方がいいだろうからね」

「むむ、ではお願いしてしまいますね」

「……………こちらも終わったよ。マノイロージュは気付いたかもしれないが、気にはしないだろう」



やがて、家令が部屋を訪れ、晩餐の時間を伝えてくれた。


予め時間をお伝え出来ず申し訳ありませんと謝ってくれたが、もしかするとあのお客の訪問を予測して時間を定めていなかったのかもしれない。



「……………訪問者は、イスキアの者達だったようだ。以前にグレイシアが暮らしていた土地の人間だから、事の経緯を考えると、グレイシアを介して、エーダリアに何かを齎そうとしていたのだろう」

「それが、あまり良い事ではなかったのですね?」

「恐らくね。であれば、今回の件は、グレイシアから誰かに相談があったのかもしれない。遠く離れた土地からグレイシアに会いに来るのだから、その人間達が確実視している契約や優位性があったのだろう」

「むむ、それは厄介そうです………」

「その何かを回避する為にこの地が選ばれたのは、思索の先に答えを得なければ明かせない、特別な秘密を敷く土地だからだ。知るという事で不利になる契約や災いもあったのかもしれないけれど、その資質上、今後詳細が明らかになる事もないだろう。マノイロージュは、それを断つための剣として、情報を与えられずに残されたのではないかな」

「それは、あの方が、飛び抜けてお強い妖精さんだからですね」

「うん。そして彼が、成した事を秘密の底に葬れる資質を持つからだね」



(……………あの馬車に乗っていたのは、誰だったのだろう)



馬車がこの屋敷の前に停まる事はなかったが、どうも訪問者と無関係だとは思えなかった。

恐らく誰か、ディノの教えてくれた国からの要人がこの地を訪れ、マイロに会いに来たのではないだろうか。


彼等が本当に会いたかったのは送り火の魔物だという気がしたが、リンツェに逃走したらしいというのは割と公になっていたような気がするので、その情報を追ってきたのだろう。

だが、こちらでの所在が掴めず、街を治めるマイロに会いに来たのかもしれない。


(恐らくは、たまたまこの国を訪れているので挨拶をしたいだとか、そんな理由を作って。元々の知り合いであれば、幾らでも仲介の頼みようはある筈だわ。相手が、マイロさんが蔑ろに出来ないような肩書きの方であれば尚更に……………)


そしてそんな訪問者達は知らなかったが、この街そのものが、彼等を誘い込んで食べてしまう大きな罠だったのではないだろうか。

今はもうその思惑は全て秘密の底に葬られ、何事もなかったように水面は凪いでいる。



「恐らく、生誕の祝福が薄い身の上で、ヒルドやノアベルトが共に暮らすようになる迄エーダリアが無事だったのは、彼等のような者達がいたからだろう。彼等が何も知らせず内々に処理した危険も、相当数あったのではないかな」

「バンルさんやマイロさん達の組織が、こっそりエーダリア様を守ってくれていたのですね……………」



イスキアという国の者達が何を齎そうとしたのかは、分からない。

もしかするとそれは、交易や提携などの罪のない提案だったかもしれず、今回の顛末は人間の目から見れば悲劇とも言えるのかもしれなかった。

だがネアは、長年エーダリアを見守ってきた者達がそれを排除するべしと決めたのであれば、今回の着地で良かったと思ってしまう冷たい人間なのだ。


ほっと胸を撫で下ろし、身内の安全を喜び、見知らぬ悲劇からは目を逸らす。



「客人はもういいのかい?」

「ええ。僕の屋敷には誰も来なかったようですし、旅の高官はどこかで人外者の障りにでも巻き込まれたのでしょう。ウィームではなくても、そこかしこに高位の者達はおりますし、旅というのは元々危険なものですからね」


晩餐の席で、マイロはそう微笑み、美味しい鶏肉のクリーム煮込みを振舞ってくれた。

決して豪華な料理ではなかったが、出されたものはどれもとびきり美味しく、ネアはリーエンベルクの晩餐と趣きが似ていると感じそんな感想を素直に伝えた。


「ですので、私の好きなお料理ばかりでした」

「リーエンベルクの料理人達は、前領主によって全員入れ替えられてしまいましてね。エーダリア様がウィームに入るにあたり、今の者達をダリルに紹介したのは僕なんですよ」

「まぁ!そうだったのですね」

「最終的に決めたのは、ダリルとエーダリア様ですが、あの方が喜ばれるような料理をする者をと、我が家の料理人と一緒に候補を絞ったものです」



でもそれは、マイロがウィーム領主としてのエーダリアに出会う前の事だ。

それを不思議に思ったネアに、実は、王都で暮らしていたエーダリアと何度か会った事があるのだとマイロが教えてくれる。


「僕は、彼の祖父と仲が良かったので、用事を捻出して何度かガレンの長になってからのエーダリア様に会いに行っているんです。趣味が似ているという事で、魔術書や研究書などの情報を共有するべく文通をしていましたから、彼の人となりは以前から知っていました。何とかしてウィームに取り戻すべき人だと思い、ダリルと一緒に少しの悪さもしましたしね」


悪戯っぽい微笑みでそう言う悪さは、きっとなかなかの悪さなのだろう。

だがネアは、やはりそんな不穏さはちっとも気にならないのである。


「ふふ。ダリルさんと一緒に、マイロさんもいてくれたのですね。エーダリア様が幸せにウィームで暮らせるのが一番ですので、そのような悪さは、私もしてしまうかもしれません」

「……………あなたはやはり、ミカ様が気に入られるだけの事はある、魅力的な女性ですね。僕も、エーダリア様に心を決めていなければ、あなたに心惹かれたかもしれません。ですがやはり、あの方以上に心を傾けるのは難しいでしょう」

「……………おかしいです。なぜか、また振られたようになりました」

「ご主人様……………」



穏やかな夜とお喋りの温度が心地よく、思いがけず長くなった晩餐の途中で、バンルからの通信が入った。

なぜか音声を遮らずにそのままやり取りしてくれたマイロは、今回の事件が、バンル達も承知済であると教えてくれたのかもしれない。



「いいか、絶対に一人も逃がすなよ。全員殺しておいてくれ。一人残らず生かして帰すな」

「……………相変わらず、君は過激だな」

「お前は、俺より過激なくらいだろう。それと、グレイシアの古い契約魔術は、出来れば切ってやって欲しい。お前くらいに器用じゃないと難しい階位の物なんだ。だからこそ、あいつも古い契約をそのままにしてウィームに持ち込むしかなかったらしい。ノアベルトに頼んでもいいが、こちらで処理出来る事はこちらで処理しておいた方が、二方向からの守護が機能している状態を維持出来る。あちらさんはエーダリア様の身辺保護に専念出来るよう、作業は分担しておいた方がいいからな」

「分かった。そちらは任せておいてくれ。ダリルにも伝えておいてくれるか?」

「ああ。それと、あちらの会とは俺が話をしておく。今回は情報の共有が出来なかったからな」

「イーザには僕からも話をしておこう。彼も古い友人だからね」



ネアは、美味しい苺タルトを頬張りながらそんなやり取りを聞き、ますますこの街やマイロが大好きになってしまったぞと考える。


だが、そんな思いを口にすると伴侶な魔物が荒ぶってしまうし、何しろこの妖精の心は、エーダリアのものなのだ。

そう考えると、何だかそうじゃないというような気もしたが、どちらにせよマイロはこちらを振り向く事はない相手なので、少し寂しいけれどその事実は真摯に受け止めようと思う。



その夜は、ネアもリンツェの人々の真似をして、読書をしながらチョコレートを食べてみた。

だが、そうするとあまりにも素敵な夜が始まってしまい、この街に住みたくなりそうだったので、慌てて寝る事になる。


唯一減点があるとすれば、外出を好まない住民の嗜好のせいで、街中に飾り木などが置かれていない事だろうか。

この点に関しては断然ウィーム中央に軍配が上がるので、やっぱり住むなら今のお家が一番なのであった。










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