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飾り木の街と美味しい昼食 1




ウール地のドレスの表面を撫でるように、膝のあたりを擦った。


先程まで立っていたホームの外気があまりにも冷たかったせいで、すっかり冷え切ってしまっているのだ。

どのような仕組みなのか、座席の足元のあたりがじんわり温かいので、そのヒーターに爪先を寄せ、はふぅと安堵の息を吐く。



すると、どこからか現れた紳士物のストールが膝にふわりとかけられた。

むむっと眉を持ち上げて隣を見ると、赤紫色の瞳が静かにこちらを見る。

ネアは有難くそのストールをひざ掛けにする事にして、またぬくぬくと爪先を丸めた。


ネアが羽織っているのは、お気に入りのラムネルの毛皮のコートではないが、襟元と袖口が毛皮で裏打ちされていて、すっぽり足首くらいまでを覆ってくれる防寒に特化したコートである。

男性には小さいかもしれないが、エーダリアがコートを持っていなかった場合に備えて貸し出しも受け付けていたが、過保護な契約の魔物がヒルドと相談してあれこれ持たせていたらしい。



ずるりといつもの外套と、その下に羽織れる毛皮のインナーコートを着込んだエーダリアは、もう寒くはなさそうだ。

ネアは最近、エーダリアの魔術金庫にも、自分と同じくらいの有事用の備蓄があると睨んでいる。



「……………巻き込んでしまって、すまない」



そしてそんなエーダリアは現在、向かいの席で頭を抱えてしまっていた。


最近はすっかり油断していたのか、あれこれあったのでさすがにもう安全だろうと考えていたのか、王都からの特別郵便に呪いが入っている筈はないと思っていたらしいこのウィーム領主は、先程からこんな状態なのだ。



何しろ、開封がエーダリアにしか叶わず、尚且つエーダリアだけに反応するようになっている悪い手紙であったので、騎士棟での検査をすり抜けてしまったのは致し方ない。


騎士棟で開封しての検査が出来ない物については、エーダリア自身が探索魔術や魔術洗浄などで対策してゆくしかないのだが、その手間にだって作業の上限があるだろう。


因果の成就の祝福により、仕掛ける才能だけは天才的なその御仁は、その僅かな隙間を狙ってきてしまうのだから、不本意であれ、防ぎきれない仕掛けがあっても仕方ないと言わざるを得ない。



「………その、宰相様の署名を偽造してきているのなら、それを理由に、今後ある程度の謝罪や賠償は得られると思いますよ」

「お前は、なぜそんなにも冷静なんだ………」

「ふむ。何しろガレンエンガディンなエーダリア様が一緒ですし、横には頼もしい保護者もいます。加えて、どこだか分からない謎の土地というよりは、特定の遠方地にぽいされただけなので、ここは起こりうる事故の中では最善だったと思う事にしましょうか」

「言っておくが、お前は、諸共事故っているという状態だからな?その旅行気分をどうにかしろ」

「なぬ。………旅行気分……………」



低く不機嫌そうなアルテアの声に、ネアは、目の前のテーブルに広げられたお菓子とカップを見つめた。


列車の中の売り子さんから購入したホットレモネードとビスケットだが、どちらかと言えばこれは、迷い込まされた場所の特性を調べる為の試みでもあるので、決して列車の旅に浮かれている訳ではない。


置き石の呪いという運任せな呪いの割に、なかなかいい観光地を選んだなだなんて、心にも思っていないのだった。



ことことと、控えめな列車の走行音が響く。


窓の外をひゅんと通り過ぎてゆく村に、大きな飾り木が立てられていた。

小さな広場だったが、きっと皆であの飾り木を囲むのだろう。


あわいの列車かなと思わせておいて、既存の他国の路線の一つであるが、車内は小綺麗であるし、車窓からの景色も、小さな町や村、牧草地や森を抜けてゆく素敵なものであった。


車両には独特な技法で焼き色を付けてある木が使われており、木材の結晶化が少ない土地での工夫があちこちに見える。

窓枠に細やかに施された彫刻は結界魔術を補強するもので、向い合わせのボックス席の間にあるばたんと倒して使える一枚板のテーブルも、表面の寄せ木細工の模様が術式陣になり、揺れの軽減などの効果があるらしい。



(魔術を豊かに蓄えた材料を使えない代わりに、あちこちを魔術で丁寧に補強してあるのだわ。細やかな細工のパーツが多いから、この列車の車体はとんでもなく高価なのでは………?)



アルテアの見立てでは、この列車の動力は、氷水晶と火の夢のお酒なのだそうだ。

蒸気機関車が石炭を燃やすように、様々な魔術反応を燃やしてしゅんしゅんと魔術の煙を出すのがこちらの列車である。


また、線路の往来にも魔術が宿る為、運営や管理には様々な苦労がつきものだ。

だからこそ、運転手や乗務員には魔術師が多く、例に漏れず、こちらの列車の乗務員も魔術師らしい装いであった。



「エーダリア様、元気を出して下さいね。転移でぴょんとは帰れないのですし、降車駅で美味しいお昼などをいただきつつ、有名な飾り木を見てから帰路につきましょう」

「…………なぜお前は、そんなに冷静なのだ」

「旅行気分だな。………なんだ、その紙は」

「ディノとノアから、カードでイファムの街のお勧めのお店などを聞きました。ディノは少し荒ぶっていますが、使い魔さんが一緒なのでと、安堵もしているようです」



ネアが、お店が休みだったりした場合も考えて幾つかの目的地を設定したと言えば、アルテアは、呆れたような目をこちらに向けた。



本日の使い魔の装いは、貴族と魔術師の間という感じの漆黒のケープに、僅かにくたびれた革のトランクを持っていて、編み上げのブーツは赤みがかった焦げ茶色だ。

襟足を結べるくらいの長さの黒髪に瞳の色はそのままの擬態は、そんな装いによく似合っていた。


これから向かう街では武器の携帯が許されており、今は足下に置いてある長銃か剣かという細長い革のケースは、こちらにはある程度の備えがあるという意思表示として背中にかけるらしい。


淡い金髪に青い瞳に擬態したエーダリアも似たような装いにまとめていたが、ブーツとコートは贈り物を使ってくれているので、防御面の心配はなさそうだ。


こちらも、魔術師かもしれないがどうだろうという一考の余地を残す道具入れと、武器が入っているかなという肩がけの荷物を持っていて、目立つ武器のような荷物を持たないのはネアだけだ。


髪色を暗めにし、瞳の色はそのままにしてあるネアは、敢えて大きな荷物は持たずに魔術師感を出しておき、よからぬ攻撃を受けるとしても、接近戦は避けられるような仕様にして貰った。

もし、遠方から魔術による攻撃を受けても、大抵の物は身に持つ守護に弾かれてしまうので、避け難い近接戦闘や襲撃を避ける事を第一としている。



(これだけ物々しい装備になってしまうのは、呪いの手順があるからなのだという)




今回、宰相の名前でエーダリアに届けられた招待状は、とある国で催される昼食会へ参加して欲しいという内容であった。


その内容を理解した途端に発動する魔術は、よりにもよって、エーダリアの代理妖精ダリルの固有魔術でもある、迷路の系譜の魔術を纏うものだったらしい。


もしかすると、ジュリアン王子は、ダリルの関与を匂わせるという罠を仕掛けたつもりなのかもしれないが、であれば、代理妖精はそんな簡単には主人を裏切れないという魔術誓約の理解がなっていないのだろう。

王族なら小さな子供でも知っている事なので、もし味方同士の断裂を狙ったのであれば、最初から罠の口が閉じていないお粗末さだったと言わざるを得ない。




「置き石の呪いというのは、呪いの置き石をした場所が、任務の起点となるからなのですね」

「それに加えて、呪いの作法を知らずに離脱しようとすると、置き石のように、何度も元の場所に戻されるからでもある」



そう尋ねたネアに、アルテアが丁寧に説明してくれた。


こちらの世界での置き石は、魔術起点とする小石を指すのだそうだ。

今回は線路との組み合わせがあるが、本来は関わりのない物である。



「ふむふむ。招待状からいきなり見ず知らずの場所に飛ばされ、そこに、リボンで綺麗に飾られた謎石があった場合は、この呪いだと思うようにしますね」

「…………何で二度目がある前提なんだよ」

「む……。二度目はあって欲しくないです」

「………すまなかった」

「ぎゃ!また落ち込みましたね?!」




エーダリアが、宰相から送られてきた事になっていた招待状を読んでいたのは、会食堂であった。


色々と罠や仕掛けもあるのでと、エーダリアにしか開封出来ない手紙類は、開封する場所が決められている。

執務室か会食堂、或いは騎士の詰め所で、更には一人で封を開ける事は禁止されていて、尚且つ、立会人として認められる者も厳密に設定されているくらいだ。



というのも、エーダリアが元王子であるからして、リーエンベルクに届く手紙の中にはエーダリアにしか開封出来ない物が少なくはないのだ。


ウィーム領宛に届けられるものはダリルにも開封可能だが、王家からの書状の一部は、エーダリアにしか開けない。

また、今回のように、宰相が王の名代で送ってきた機密相当の書状もその区分にあたる。


現在のリーエンベルクには、エーダリアに準じる階位や爵位の人間がおらず、元王族としてのエーダリアの代わりにそれらの書状を開封出来る人材がいないのだった。

抜け道の対策を講じ、魔術の条件付けをして振り分けられる物もあるが、それすら難しい書状が、どうしても残ってしまう。




(尤も、私であれば可能なのだ……………)



ネアは国の歌乞いであり、その立場に相応しい扱いをと声高に主張すれば、ウィームの二席くらいに収まる事は可能であるらしい。

だがその為には、エーダリアとの契約や関係をより密に見直す必要が出てくるし、そんな事をすれば、政治的な問題への参加を示唆してしまう事にもなりかねない。


手紙の開封が不便だからという理由でその足元を不安定にすれば、余計な危険や詮索を生むばかりだ。

また、ネアの存在が自分よりエーダリアに紐付く事は、寛容が過ぎると言われているディノも受け入れないだろう。

よって、リーエンベルクのお手紙事情は、引き続き不便なままなのだった。



断じて、そもそもネアには、機密相当の封書を開ける可動域が足りないから論じても意味がないとは言ってはいけない。

乙女の心は、とても繊細なものなのだ。



(でも、決められた場所で、決められた人が一緒の時に開封するという事は守っていたし、そう考えれば、用意してあった命綱が正しく機能したという喜ばしい場面なのでは…………)



エーダリアは冷静だと言うが、ネアは、ついついそう思ってしまう。



何しろこの手紙問題は、リーエンベルクがここまで賑やかになる迄は、より不便だったと聞いている。

開封に立ち会える人物が、グラストやゼノーシュ、ダリルくらいしかいなかった時代は短くはない。

過去には、高い機密保持契約料を支払い、アクスに、厄介そうな手紙の開封の依頼をしたこともあったらしい。


だが、どれだけ情報管理を徹底されても、手紙の内容によっては、アクス商会にウィーム領主と王都との関係が筒抜けになってしまう。

たかが手紙を開封するだけなのに、そこまでの手間と時間がかかるという望ましくない状態が、リーエンベルクでは長らく続いていた。



(だから、やっと色々な対策が可能になった今だからこそ難を逃れた今回のことでは、そんなに落ち込まないで欲しいのだけれど、……)



「エーダリア様、元気を出して下さいね。武装しておいた方がいい土地に暫しの間留まらざるを得ないにせよ、この武装もあくまでも外見的な威嚇ですし、ここには私もアルテアさんもいますから。それに今回は、書状が偽物だと気付かずに開いてしまっただけです。そして、あちらに因果の成就の祝福がある限り、そのような事は完全にはなくせないのではありませんか?」

「………ああ。だが、まさか付与されていたのが、迷路の系譜だとは思わなかったのだ。気付かなかった事で、どれだけダリルに詰られるか………」

「………むぅ。そこは諦めていただき、まずは、エーダリア様が立会人として選んだ私とアルテアさんが一緒だということを、喜びましょうね!」

「………それも、私の早合点だった。お前と一緒にいるのは、ディノだとばかり………」

「ふむ。あの時のアルテアさんは、くしゃくしゃになって死んでしまっていましたし、普段であれば、それはディノの役割でしたものね」

「ああ………」

「おい、やめろ」



真面目なエーダリアは、今回も、許された場所で立会いを得てから手紙を開いた。

だが、そこにいたのは、ディノではなく、アルテアだったのだ。


これは、ネアが、エーダリアからの、ここで手紙を開封して読ませて貰ってもいいだろうかという断りの一言を、暫くはお喋りは出来ないという意味だと思ってしまい、エーダリアはエーダリアで、お前の魔物に承認を取ってくれとまで言ったので、ネア達が手紙を開封することを承知していると思ってしまったという悲しい擦れ違いの結果であった。



(生真面目なエーダリア様のことだから、アルテアさんがいる席なので、一人で会話に入らずに手紙を読んでいても構わないか確かめて欲しいという意味だとばかり………)



ここは、ネアの認識不足であったし、アルテアは、テーブルに突っ伏していただけで擬態をしていた訳ではないので、エーダリアは確認不足であった。

互いに失敗してしまったところなので、この列車の中にぽこんと投げ入れられた直後は、二人揃ってしょんぼりしたものだ。


とは言え、くしゃくしゃだった使い魔は既に元気になり、ネアは、降車駅で昼食を食べて帰るだけという呑気な呪いの指令をたいへん安易に考えていた。



「色々な穴を塞ぎ、呪いや障りが届かないようにこちらの警備体制を強化してゆくことで、とうとう、呪いの手紙もこのような感じの物になってしまったのですね………」 


お昼を食べて帰るだけの任務を強いられる微妙さに、ネアは、少しだけ遠い目になってしまう。

ネア達が起点とする置き石は、誰かがわざわざここに設置した物なのだ。

思っている以上に手がかかっている呪いのくせに、ランチへの誘いくらいの意味しか成さないとは。



「ネア、確かに今回は、呪いの種類をすぐに解析出来た事で大事に至ってはいないが、そこに至らなければ大変な事になったのだからな?」

「確か、呪いの手順を踏まずに逃げ出そうとすると、その度に始まりの場所に連れ戻され、心を壊してしまう事もあるのですよね?」

「ああ。置き石の呪いは、単純な魔術の縛りではあるが、そうであると気付けなければ命取りになる」



置き石の呪いの縛りは、手順を踏まなければ出られない迷路の魔術だ。

添えられた手紙の内容が任務となり、置き石のある場所から任務を開始する。

任務を終える事を迷路の出口とするのだが、手順を誤れば呪いの迷路から出る事が出来なくなる。


だが、そんな呪いの発動条件として、目印となる置き石はちょっぴり派手めに装飾して置いておかなければならないし、任務として課される内容は相手を害するような物であってはならないという、呪いを展開する上での魔術対価も大きい。


現在のリーエンベルクの防壁の分厚さに、もはやこのような無害そうな呪いしか使えなくなってきているのだろう。

だが、この呪い自体も、よほど良心的な誰かが作った呪いに違いなく、必要な知識さえ持ち得ていれば、呪いそのものにさしたる威力はないと言えた。


だが、行動の起点となる置き石の在処が厄介な場所であれば、標的を危険な土地に長時間留め置くという役割は果たしてくれる。

強制転移装置としてであれば、効果的な魔術なのかもしれなかった。



(だからこそ、そこまでの危険はないかもしれないけれど、念の為に、偶発的な襲撃は回避出来るような装いをしているのだ)



行き先は他国なので、そのままの服装で街を歩いていて、街のごろつきなどに狙われても堪らない。

一応はまだ呪いの道筋の上に立っているのだから、きちんと危険回避はしておこうとしての、この装いなのだった。



「今回は、ぽいっと投げ入れられただけで身に危険が及ぶような場所が起点ではなくて、良かったですね」

「ああ。ダリルやノアベルトが、手紙による術式や呪いの付与を、出来る限り抑える術式を作ってくれたのだ。ジュリアンはもっと危険な土地に置き石をしたかったのだろうが、恐らく、そちらの規則魔術に弾かれて行き先があまり選べなかったのだろう」

「………そして、さして危なくない観光地の素敵な街で、昼食をいただくだけの任務を課す呪いになったのですね?」

「あ、ああ…………」



ネアだってどんな事態でも油断せずに警戒してゆく所存だが、遠出ランチかなという内容ともなるとどうしても気が抜けてしまう。


ましてやこれから向かうイファムの街は、飾り木の装飾と、イブメリアに食べるチョコチップクッキーの有名な街である。

少し粗めに肉を挽いた香草塩を添えたソーセージも有名で、それを知ってしまったこちらの旅人は、既に興奮を隠しきれない。



「………ソーセージは、有名だという香草塩の物をまずいただきますね。それから、ノアの話していたチーズをかけて焼いたものも絶対にいただきます。……………ふは、じゅるり……」

「やれやれだな………」

「アルテアさんも、きっと素敵な時間が待っていますから、どうか元気を出して下さいね」

「………誰のせいで、俺があんな目に遭ったと思っているんだ」

「むぅ。うっかりお仕事先にちびふわ靴下を履いていってしまったのは、アルテアさんなのですよ?おまけに、誰にも気付かれずに乗り切れたのですから、良かったではないですか………むぐ!ほっぺたを摘まむのはやめるのだ!」

「………そうか。そのような理由だったのだな」



選択の魔物がくしゃくしゃになっていた理由を知ってしまい、エーダリアが目を瞬いている。

ディノが席を外していたのは、ノアと一緒に花壇に現れた髭妖精を駆除してくれていたからで、カードでは側に居られなかった事に落ち込んでいたが、ネアが怖がっていないと知ると少し落ち着いた。



やがて、停車駅が近付いたことを示す列車のベルがじりりと鳴り、大きな円形の城塞都市が見えてきた。

ぐんぐんと、賑やかな街が近付いてくる。



「お城がありますよ!」

「現在の国王夫妻の居城だ。小さな国の王都だが、周辺国に狙われないように国の資源などの調整を上手く回している印象だな」

「国の資源で調整するということは、あまり豊かにならないようにしているのです?」

「有名な小麦と葡萄の生産は、惜しみなく安価で輸出に回している。生産業者や流通業者としての有能さで、あの国を潰す方が面倒だと思わせるのが上手い」

「……………そのような国の守り方もあるのか……………」



手間と時間のかかる農作業に、美味しい料理をふるまう料理人達や菓子職人。

この国は、周辺国の有能な台所役を務める事で、国を守ってきた。


小さな国である利点を生かし、近隣諸国の者達の出入りに制限をかけないと聞けば驚きだ。

隣国の騎士達が、国境域の見回りついでに遠出出来る距離感を逆手に取り、今日はあの国の美味しい昼食を食べようといった、気軽な利用が出来る仕組みを構築したのだ。


利益のあまり上がらない取引をしているので国は決して豊かではないが、戦事を避けて、麦や葡萄を作りながら穏やかに暮らしたい人々は、喜んでこの国を盛り立てる。

仕組みの表面だけを見ていると割に合わなさそうだが、戦争のない国という魅力は、国防に限界のある小さな国に暮らす者達からすれば大きな魅力なのだろう。



「……………勿論、周辺諸国の者達とも、内密に連携を図っているのだろう。だが、その骨組みで国民を戦火に晒さずに済んでいる外交手腕は、かなりのものに違いない」

「分かりやすい部分で言えば、周辺諸国の料理を出す店が多いのも、生き残りの為の手段だろう。だが、王都を訪れる者達に、騎士や兵士が多かった事で、そういう連中を喜ばせる為に名物料理も生まれている」

「ソーセージと、チョコチップクッキーですね!」


しっかり食べ応えがあり、尚且つお土産にもなる料理と、気軽に買える甘いお菓子。

その二種類だけに特化したイファムの独自の食文化だが、ネアの考察でも、かなり手堅いものを押さえたと言わざるを得ない。


様々な料理にも使える加工肉と、殆どの人が美味しく食べられるお菓子なので、国も文化も違う者達を集める土地で、出来るだけ多くの人々の心を掴むには相応しい武器と言えた。



がしゃんと音がして、列車がイファムの街のホームに到着する。

折り畳み式のテーブルを元の位置に戻してくれていたエーダリアが、きりりと背筋を伸ばした。

僅かに緊張を深めているが、期待に目を輝かせてもいるようだ。


「駅に着きましたね」

「ああ。街中に作られた駅ではないのに、街への入り口の距離が近いのだな…………」


ここが国の王都でもあるのだが、ウィーム中央よりも狭いくらいではないだろうか。

赤茶がかった城壁がぐるりと街を囲んではいるものの、その扉が完全に閉ざされる事はここ四百年間で一度もなかったそうだ。


こうして王都発着の列車の運行があるのも、近隣諸国の者達が王都を気軽に訪れられる証なのだろう。



「まぁ!色々な建物がぎゅっとなっていて、市場を見るような楽しさのあるところですねぇ」


ホームに降り立ち、改札を抜けると、そこはすぐに街の入り口になっていた。

ひと区切りしてあるのは、線路の魔術効果を街中に引き入れないだけなので、その境目に扉や検問などはない。


ようこそイファムへと書かれた看板には、街中での戦闘行為や暴力は禁止だという注意書きがある。

ここはみんなのイファム。

美味しく食べて楽しく過ごそうという添え書きは、一軒のリストランテへの案内のようであった。



(でも、あながち間違いでもないのだろう……………)



きっとこの小さな王都は、レストランで市場でもある。

僅かに高低差のある土地なので、近くの通りがその先までをずっと見渡せるようになっているが、様々な飲食店の看板が連なる通りを見ているだけでも、わくわくしてしまう。


この駅から街を訪れる者達は、さて、今日は何を食べようかと心を弾ませるのかもしれなかった。



「……………置き石の魔術が反応するな。やはり、この街で間違いないか」

「では、ここで昼食を食べてゆけば、呪いの出口となるのだな」

「ああ。…………いいか、食事を終えるまではシルハーンを呼ぶなよ」

「はい。お迎えはきちんと呪いから出てからだと、もう一度伝えておきますね」


ネアは、カードから、伴侶な魔物にお昼を食べ終えたら連絡をするので、それまではお留守番をするようにと重ねて伝えておき、念の為にハートマークを描いて無力化しておいた。

ずるいという返事が届いたので、目論見通りへなへなになっているのだろう。



(不思議な魅力がある街だわ。…………イファムの街と呼ばれているけれど、実際には王都にもあたる訳なのに……………)


だが、イファムは王都という呼び方を固辞しており、あくまでもイファムの街という気軽な呼び名を使って欲しいと言い続けてきた。

名称からも国としての輪郭を薄めることで、ますます、各国の食堂としての役割に特化させたのだろう。


だからここは、いつだってイファムの街と呼ばれているのだ。



「……………賑やかだな。お前の言うように、市場のような活気がある」

「ええ。あちこちのお店の前に飾り木があるばかりか、広場ごとにも大きな飾り木があるようです。イブメリアの装飾でぴかぴかしていますし、ここまでいい匂いがしてくるので、駅の近くにも色々なお店があるのでしょう」


祝祭の飾りつけが多いのは、冬に備える収穫後のこの時期に、近隣の国からの買い物客を増やす為であるらしい。

うっかりこの小さな国を攻めたくならないよう、綺麗に飾り付けをし、イファムの街に食事がてらソーセージやクッキーを買いに行くのを楽しみにさせてしまう作戦である。


そんな作戦が成功し、この時期のイファムはたいそう賑やかであった。

近隣諸国の者達が集まり、仕事終わりに、或いは休みの日に家族連れで、食事や買い物に訪れているのだ。

ここで買った方が割のいい加工食品もあるので、皆、帰る時には沢山の荷物を抱えてゆくのだとか。


生活を羨まれる程の贅沢はせず、皆が集まる街を作る。

イファムがある事で結ばれる多国間の縁もあり、小さな国は、砂漠の中のオアシスのような役目を果たしている。


「いいか、お前は俺から離れるなよ。それと、勝手に何かを口に入れるな」

「これでも私は、立派な淑女なのですよ?」

「その主張をするのなら、弾むのをやめろ」

「……………むぅ。………エーダリア様、駅を出てすぐのところに、イブメリアの飾りつけでお菓子の家のようになっている可愛いお店がありますよ!」

「干し葡萄とシリアルの入ったクッキーが売っているようだな。チョコチップ以外にも、種類があったのか…………」

「ここに、街の案内図があります。…………お酒だけの販売店の通りや、加工肉のお店の通りもあるのですねぇ。…………クッキー通りもあります!きっとゼノは、この街を知っているに違いありません」

「休日に、何度も足を運んでいるようだぞ。私がイファムについて多くを知ったのも、グラストからその話を聞いてからなのだ」



とても小さな国なので、それまでは、国名だけを記憶していただけだったのだそうだ。

イファムにとっては脅威である近隣諸国も、合わせてもウィームにすっぽり入ってしまうくらいの規模なのだから、ヴェルクレアが脅威に感じるような要所とはならない。


だが、こうして地図の中の点ではなく、生きた国として知る事が出来る機会を得ることが出来た。



「……………初めて見るような魔術ばかりだ……………」

「ふふ。エーダリア様もはぐれないように、こちらの手は繋いでおきましょうね」

「……………ああ。あの小さな店の窓には、祝福の彫り物がある。店の看板は、雨除けと風除けの魔術だろうか」


目をきらきらさせてそう呟くエーダリアに、ネアは唇の端を持ち上げた。

先程のように頭を抱えているよりも余程いいし、街の人々が日常の中で使うような小さな魔術にも目を輝かせる上司が誇らしくもある。


あちこちの店の扉にはリースがかかり、そこかしこに飾り木があった。

店の二階の窓に祝祭飾りを施し、建物の印象そのものを華やげる工夫まで。

それでいて石造りの街並みにはおとぎ話のような可憐さがあり、飾り木リースのふくよかな緑が、ほっとさせてくれるような彩りを添えていた。


「こんな風にエーダリア様と街に出るのは、絨毯のあわいぶりですね」

「……………ああ。ダリルとヒルドから、絨毯のあわいに迷い込んだばかりではないかと叱られた……」

「なぬ。またしてもくしゃくしゃになってしまいました……………」

「……………ったく。襟元はしっかり閉めておけ。列車の中よりは冷えるんだ。……………おまけに、髪を襟の中に巻き込んでるだろうが……………」

「お母さんです……………」

「やめろ……………」


買い物もしてゆきたいところだが、まずは昼食を済ませてしまわなければならない。

それさえ終えれば、ディノやノアが合流出来るのだ。

そう考えてぴょいと弾んだネアは、近くの店からじっとこちらを窺う一人の男性には気付かずにいた。








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