夏至祭の道具と飾り木
暗い暗いリツムの底で、どこからか、人々の笑い声や優雅な舞踏会の音楽が聴こえてくる。
床石を踏む靴音が反響し、美しい王宮の艶やかな天井画にはどことも知れない国の王族達が描かれていた。
暗いのは、ここが夜だからではない。
ここが、表の世界から剥離された場所だからだ。
どこでもない場所の、誰にもなれない忘れ去られた者達ばかりが閉じ込められていて、けれども、ここで自堕落に浮かれ騒いでいる殆どの者達は、なぜだかそれを知る事はない。
最初は覚えていてもすぐに忘れてしまい、忘れてしまうともう二度と思い出す事はないのだ。
それは、うっかりこちら側に迷い込んだ表の者達もそうであるらしく、こちら側では決してダンスの申し出を受けてはならない。
飲食も同様であるし、こちら側の者に恋をしてもならないという者もいる。
どちらにせよ、何かを選び取り入れてしまえば、そこから先はもうこの中をぐるぐる彷徨うばかり。
気紛れに表と地続きになるその日までは、どこでもないどこかに閉ざされ続ける。
(ただしそれは、表側で、その理を外れていない者達に限る………)
悪食や悪変、怪物や祟りものとなった者達は、こちら側で何かを損なわれる事はない。
こちらでダンスを踊っても記憶を失わないのなら、それは既に自分が真っ当な者ではないという証になる。
それを幸運だと思うかどうかは人それぞれだが、損なわれないという事は悪くないと思う。
(そして、こちら側にも異質な者達がいる………)
こちら側の者として閉じ込められながらも、ここがそのような場所だと知ってしまった者達がいる。
それは、ほんの一握りの者達であったが、そのような者は、定期的に現れるのだそうだ。
そして、自分達が暮らしているのが世界の底だと知ってしまった者達は、自分達を打ち捨てた表側の世界の人々へ深い深い憎しみを抱くのだという。
それもまた、当然とも言えた。
何しろここは、スリフェアなどより遥かに深い世界の澱み。
惜しまれながら失われた叡智や物ですらない、更に最下層の、どうでもよくなった者達の場所なのだから。
そして、ここにいるのも、そんな世界の最下層で目を覚ました一人であった。
「困ったな。今回もまた彼女に会えなかった」
「執着しているのがどんな女かは知らんが、お前の趣味は悪そうだな」
「おや、酷いことを言うな。魅力的な女性だよ。ただ、今回は祝祭の魔術を奪う為の訪問だったので、持ち帰れはしなかった。何度か姿を見かけたし、一度は彼女の靴裏に触れたのだけれど、勘が鋭いようで逃げられてしまうんだ」
「………その言い方はやめておけ。変態にしか聞こえんぞ」
「悪食の君には言われたくないなぁ」
そう微笑んだ男は、白銀の髪に青い瞳の美しい男だ。
夏至祭で使われる道具から、古い道具を鎮める祝祭に派生した何かで、ただの道具から今の姿に派生し直す前に、魔術師を含めた大勢の人間を喰らっている。
今の容貌はその魔術師の姿を反映したものか、或いは他の獲物か、はたまた、この男の道具本来の階位を示したものか。
どちらにせよ、祝祭の魔術を幾重にも帯びるものは美しく厄介だ。
リュツィフェールとて、好んで手を出したい存在ではない。
だが、なぜだか魔物として契約せざるを得なくなってしまったとある人間の王子が、そろそろ手勢を増やしたいとこの男に目を付けたのだ。
(生前はこの上なく不愉快な男だったと話しているからには、材料となった人間の誰かを知っていたんだろう)
友を貶めた事のある、ヴェルリアの伯爵家の次男なのさと、あの白い髪の王子は笑っていた。
そんな奴を傅かせて使うのは、きっと愉快だと思うよと。
(だが、それは建前に過ぎない事も、俺は知っている)
年が明けると、漂流物がこちらに流れ着く日が近くなる。
その悍しい訪問者の存在はこれまでもカルウィの継承争いに利用されてきたが、古い世界層の知識が潤沢なあの王子は、誰よりも多くの獲物と糧をそこから得ようとしているのは間違いない。
だからこそ、手駒は必要だ。
そしてそれは、必要であれば、契約者であるあの人間が欲しいものを手に入れる為の階位上げに使われる糧となる。
言葉通り、解体して喰らう為の保存食としてもその役目を果たすだろう。
派生した今は人の形を取って生きているからと言って、ここまで稀有な履歴を持ち、尚且つニケの手に余らない程度の階位の、白に近しい色を持つ生き物は珍しい。
ましてや、祝祭魔術だ。
そのような生き物が現れたと聞いた時から見逃す筈もないとは思っていたが、あの人間は、想像通りに食指を伸ばした。
(形代を失ってあわいに落ちてからは、積極的にカルウィに姿を現していたからな……………)
とは言え、カルウィでニケと出会ったこの男は、ウィームで使われていた祝祭道具から派生したという。
最初の内は、本人の説明でしかなかったが、ニケが魔術の痕跡を辿って裏取りしたところ、実際にウィームで使われていた道具が派生元であることと、その道具が曰く付きになった事件が浮かび上がってきたのである。
使われていたウィームで、曰く付きの道具を鎮める祭りがあり、そこで目を覚ましたこの男は、ニケもよく知るウィーム領主の手勢の者達に、道具としての体を破壊されたようだ。
けれどもその際に、派生した己の魂だけを、まんまと道具屋のあわいに逃がしていた。
久し振りに目を覚ましてからそんな話を聞いたリュツィフェールが、とんだ失態だなと笑えば、ニケが苦い顔をしていたのを思い出す。
道具における意思や種族の派生は、ありなしや行き先を含め、人間だけではなく、その他の生き物にとっても管理や把握が難しいものなのだそうだ。
だからこそ、使い古した道具を丁寧に祀る風習が、今も世界のあちこちに残されている。
手間のかかる儀式を残すからには、そうしてゆかなければならないという背景があるのだろうと言われ、成る程と考えたのがひと月前のこと。
ニケもまた、魔術師として多くの道具を使う以上、こうして管理を擦り抜ける存在については、深く考えさせられたらしかった。
「で?俺が、わざわざ陽動役を引き受けてやったんだ。望んだ資質は持ち帰れたんだろうな?」
「それは勿論。冬告げの舞踏会からこちらに落ちた妖精と魔物が、よい葡萄酒になった。これで、夏至祭と鎮魂と因果の祭の糧を得たことに加え、イブメリアの欠片でもある冬告げの祝福も手に入れたことになる。出来れば春の祝福も得たいところだが、君はそちらには入れないのだったな」
「そちらは、やりたいなら勝手にやれ。今回は、夏至祭と火の魔術と対極となる冬告げは必要だろうとあいつが言うから、渋々手を貸してやったまでだ」
「…………人間に使われるのは、愉快かい?」
「人間の為の道具として作り出されたお前が、それを俺に問うのか?」
「だからかもしれないよ。今はとても自由で、それは、思っていた以上に愉快なものだからね」
青い目の男が、そう笑った時の事だった。
「では、少しばかりの不自由さを、その手に取り戻して貰おうか」
ひたりと落ちたその声に、リュツィフェールは総毛立った。
それは、見知らぬ誰かにこの特別な空間に忍び込まれたからではなく、声そのものの響きに震え上がったのだ。
もしその感覚を定義するのが人間であれば、恐怖したと表現するかもしれない。
「…………招待した覚えのない客だ」
「そうだろう。私にとっても、君は招かざる客だった。だからこそ覆いをかけて私の庭にしておいたのだけれど、君は、それでも尚、私の拒絶を感じ取れなかったようだね。まさか、私の手のひらから、私が子供達に用意した贈り物を持ち去れると思ったのかい?」
そう微笑んだのは背の高い男であった。
長い白緑色の髪をごちゃごちゃと編み込み、けれどもその流れる髪を、らしくもなく心から美しいと思ってしまう。
けれども、これはそういうものなのだ。
賛美と信仰と畏怖を集め、この季節の系譜の全てを従える恐ろしく古いもの。
もしここに各種族の王達がいても、等しく敬意を払う特別な存在である。
溶かした黄金のような眼差しはずしりと重く、肩越しに振り返ってみなくても、六枚の翼がすっかり毛羽立っているのが感じられた。
奇妙な声だった。
男のようで、女のようで。
子供であり、成熟しており、老いている。
よく知っている誰かの声にも聞こえるし、一度も聞いた事がないような声でもあって、その全てが吐き気がするくらいに美しいのだ。
ああ、なぜこんなにも悍ましいのに、美しくて泣きたくさえなるものか。
小さな子供達を慈悲深くもてなす季節の王には、とんでもなく獰猛な一面があったらしい。
「それはまた、異なことを言う」
微笑みそう返した青い瞳の男を殴りつけ、お前は馬鹿かと罵りたくなった。
今、ここに立って穏やかな微笑みを浮かべているものは、冬の系譜であれば、誰もが逆らってはならないと知っているものだ。
見たことがなくても、会ったことがなくても、これは冬を司る唯一無二の祝祭そのもの。
そして、数多ある全ての祝祭を統べる祝祭の王である。
けれども、この世界に産まれ、そして育まれたのなら、どうしてその恐ろしさを知らないのだと詰りたくもなったが、そう言えばこの男は、道具であったからこそ、夏至祭しか知らなかったのだろう。
或いは、こちら側で思考と体を得たが故に、自分も同列に並ぶ者だと勘違いしてしまったのかもしれない。
不敬が過ぎるという態度であったが、クロムフェルツがそれを咎める事はなかった。
微笑み向けられる眼差しは慈悲深い程であって、それなのに、リュツィフェールはまた一歩後退する。
血の気が引くという言葉があるが、この気分の悪さは、今がまさにそうであることを示しているのだろう。
理の上の生き物達とは心の模りが違う生粋の悪食であるリュツィフェールをここまで揺さぶる存在は、そうそう多くはない。
万象の魔物にとて、ここまで怯えはするまい。
そう感じるのは、やはりこの身が冬に属する者だからだろうか。
(だが、この馬鹿はまだ気付いていないのか……………!)
その装いを見ればいい。
様々な布地を重ねた聖職者のような装いは、織り模様のある白い豪奢な生地を使っている。
白の一色を身に纏うような存在が、決して御しやすい相手である筈がない。
それでもまだ、気付かないのか。
それとも、自分が宿す白銀を、そこまで過信しているのか。
(くそ、愚か者め………!)
「返し忘れているようならば、こちらで持ち帰らせて貰おう。私は、皆に分け与えるのが大好きだが、誰かの為の贈り物を盗まれるのは、あまり好きではない。私の可愛い子供達の手元を騒がせ、大切な子供が私に安寧を祈る程に不安にさせたのだから、許してあげる事は出来ないね」
「………成る程、冬告げの管理者の誰かか。言っておくが、ここはどこでもないあわいの一つだ。こうして、愚かにも一人で踏み込んでおいて、無事に帰れるとでも?」
ゆっくりと手を広げ、そう問いかけるのは、まだ名前もない青い瞳の男。
夏至祭から生まれ、多くの糧を得て白に近い色彩を宿した、けれども、所詮はただの道具に過ぎない。
その男をじっと見つめているのは、この世界のありとあらゆる文化を束ね、認識や信仰の魔術にも裏付けされた存在である。
「帰れるさ。いつだって、私はそういうものだ。全ての子供達の前にいて、どこでもないどこかにも必ずあるもの。……………それはね、あの一人の特別な子供を得てからは、特にそうなのだよ。あの子の願いを受け取った時から、私にはここではない別のどこかに属する、もう一つの名前も与えられたのだから」
「……………何を言っているのか、分からないな」
「君もきっと、あの子に惹かれたのだろう。形も階位も系譜も何もかもが違うけれど、私達は、その派生の経緯がよく似たものでもある。だからこそ君は、ここではないどこかの祝祭の形を知るあの子に、誰よりも強く惹かれたに違いない」
どうやら、この二人には共通の知り合いがいるようだ。
そのことに漸く気付いたのか、青い瞳の男が小さく息を呑む。
「…………彼女を知っているようだな」
「とても、とても。だがあの子は、私の手のひらの中の大事な子供だ。あの子が私を一番に思う限り、彼女は、いつだってイブメリアの子供なんだよ」
「自分の特別なものだと、そう言いたいのか?」
「そうでもあるし、そうではない。彼女は特別な子供だけれど、私はどこにでもいて、その全ての私に特別な子供がいるからね。だから、彼女一人が私の特別な宝物ではない。けれども、その中のどんな子供の為にだって、私はこうして現れるだろう。………私を知り、私に願い、私を呼ぶ可愛い子供がいれば」
だから、これを持ち去るのは許せないねと、クロムフェルツはひっそりと微笑んだ。
くぐもったような鈍い音が響き、がらんと、何か重たい物が倒れる音がする。
気付けば椅子が倒れてあの青い瞳の男は床に座り込んでいて、白銀だった髪色は淡い砂色に変わっていた。
「ああ、しまった。少し大きく削り過ぎてしまっただろうか。私は、贈り物をするのは得意でも、回収するのは得意ではないんだ」
そう微笑んだクロムフェルツを、あの男はどんな顔で見つめているのだろう。
背中を向けているこちらからは見えないが、きっと間抜けな顔だろう。
「もう終わってしまいましたか」
そこに現れたのは、一人の魔物だった。
黄色が淡い金色にも見える褐色と灰色の瞳に、銀水晶のような淡い青色の髪をしている。
冬告げの舞踏会で見かけたばかりの雪の魔物の姿を見付け、リュツィフェールは目を瞠った。
薄い薄い灰色の長衣には、舞踏会の装いらしい刺繍がふんだんに施されている。
編んだ髪には雪の祝福石を使った白薔薇の髪飾りがあり、同じ雪の系譜の王にあたる男だ。
そして、白色を持たないくせに、限りなく白を感じさせるもう一人の魔物でもあった。
「子供達への贈り物は取り戻したから、そろそろ帰ろうか。季節を司る一人として、立ち会わせてしまってすまないね」
「いえ、こちらこそ、回収にご協力いただき助かりました。……………まったく。あの方が訪れる冬告げの舞踏会に、夏至祭の気配を纏って現れるとはな。僕からも制裁を加えておきたいところだが、余計な接触で魔術の繋ぎを与える訳にもいかないのが残念だ」
「おやおや、ニエーク。とても怒っているようだね」
「腹を立てているのは、僕だけではありませんよ。そして、何かと自分達こそが強く美しいのだと主張してやまない夏の系譜から派生したこの男は知らなかったようだが、冬の系譜程、執念深く残忍な者達もいるまい。…………二度と、この領域で穏やかに過ごせるとは思わない事だ」
ニエークの瞳がちらりとこちらを見たような気がしたので、両手を上げて苦笑しておいた。
まだ背筋を冷や汗が濡らしているものの、幸い、クロムフェルツは、先程までの冷ややかさを微笑みから消している。
「そう言えば、別の角度からも何かの要素を削るのだったかな」
「……………ええ。夏に取られるのは、一度きりで充分ですから、祝福を全て削ぎ落しておきましょう」
そこで口を開いたのは、ニエークの隣に立っていた、もう一人の魔物だった。
白混じりの紫の髪に、あの竜かと思い目を凝らせば、砂糖の魔物であると気付いて眉を寄せる。
冬告げの舞踏会には出席していなかった筈であるし、そもそも、冬の系譜でもない。
なぜここにいるのだろう。
そんな砂糖の魔物を見て、ニエークが冷ややかな表情で頷く。
「お前の事はあまり好かないが、災いと祝福の扱いについては、お前程に長けている者もいないだろう」
「だろうな」
「同じ会に属する者として、ご主人様の身を守る役割を譲ってやる。せいぜい、僕に感謝するといい」
「そういうことにしておくか……………」
ひらりと手を翳したグラフィーツが何をしたものか。
わぁっと悲鳴を上げ、あの青い瞳の男が床に蹲る。
それでもまだ、この部屋には、どこかの広間で行われている舞踏会の音楽が聞こえてきていて、時折、誰かの楽しそうな笑い声も届いていた。
そんなちぐはぐさが、何とも無残で滑稽ではないか。
「……………あの子供に、もう少し祝福を与える事は出来ないのか?」
そろそろ立ち去って貰いたいクロムフェルツに、静かな声でそう問いかけたのは、グラフィーツだった。
いつもの軽薄で狂気染みた言動は影を顰め、青藍の瞳にはどこか切実なまでの翳りがある。
「もう充分だろう。これ以上の贈り物は、天秤の傾きを変えてしまう」
「だが、………来年には漂流物がやってくる」
「そうだね。……………あの可愛い子供は、こちら側の災厄を一つ削り落としたことで、やっと向こうとこちらの祝福が釣り合った。だからこそ、これから先は、私と君が向かい合ってあの子供を見守るのだろう」
(……………っ、)
最初、その言葉はグラフィーツに向けられたものかと思っていた。
しかし、そう呟き微笑んだクロムフェルツの視線の先の暗がりに、姿の良く見えない誰かがいる。
決して影の落ちるような場所ではない筈だが、そこだけが異様に暗く、そして霧まで出ているようだ。
長い白い髪が風に揺れ、はらりと白い花びらが舞い落ちた。
だが、もっとよく見ようとしたその時にはもう、そこには誰もいない。
それはまるで悪夢のようで、鮮やかな程の消失であった。
「……………時折、ああして現れる。こちら側の物だった呪いが剥ぎ取られた事で、もう一つの呪いである、あちら側の要素が姿を見せやすくなったんだろう」
「大丈夫。あの子供は守られているよ。守り方を知る者が手を打ち、そして、幾つかの偶然も重なった。……………それに、あの子が願いをかけるのが私であることも良かったのだろう。とは言えそれもまた、あの子の家族が残したものかもしれないけれどね」
「……………そうなのか?」
「向こう側で、彼女が最後まで願い続けたのは、祝祭の日の家族の団欒を取り戻す事だったんだ。それを願い続けて、こちら側で漸く取り戻した。成就した願い事程強いものはない。その願いが私の領域である限り、この贈り物は、願い事の魔術とは違う無償のものだ」
それは、誰の話なのだろう。
考えながら、リュツィフェールは不思議な感覚に囚われていた。
自分は確かにここにいる筈なのに、まるで、彼等に認識されていないようではないか。
ニエークはこちらを見たような気がしたが、グラフィーツは一度もこちらを見はしなかった。
この会話だって、本来はあまり聞かせたくないような内容だろう。
「…………その夜を賛美する歌を歌うことも出来ず、だからこそあの子供は、そちら側の祝福には取られずに済んだ。だが、……………この手のあわいは危うい。漂流物が現れ始めると、その境界はより希薄になるだろう」
「ああ、君は、向こう側で知ってしまったのだね。それが、到底退けられる祝福ではないのだと。あちら側でのその祝福は、その他の多くの祝福を従えかねない大いなる信仰でもあった。その祝福に傅く祈りを捧げ、あの子供の一族は大きな祝福を得てきたのだろう」
「祝福ではなかった者もいる。……………だからこそあの子供は、その領域から逃れさせる為に、その祝福を逃し続けてきた。だが、今は違うのだろう?」
「勿論だよ。あの子が私に願いをかけ、私を賛美する。あの子供は私の大切な可愛い子供だ。だから、あの子には私の祝福を沢山与えてある。……………今度こそあの子が、愛するイブメリアの贈り物を一つも失わないように」
どこか遠くで鐘の音が鳴り響き、クロムフェルツが顔を上げた。
先程迄は美しい男の姿をしていたが、そうして微笑む姿は美しい女にしか見えなくなっている。
「ああ、またどこかで、可愛い子供が私を呼んでいるようだ。あの子の願いにも、応えてあげなければね。では、君達の帰り道は整えておこう。門番を立てても贈り物を盗んだ者は叱っておいたし、この後は、私の子供達が会場を守っているから安心するといい」
「クロムフェルツ。お力添えをいただき、有難うございました」
「ニエーク、君から、あの会場にいる者達に脅威は去ったと伝えておいてくれるかい?」
「ええ。冬に暮らす者として、必ず」
「グラフィーツ、君までを呼び出してしまってすまないね。だが、それも多分、君が私にかける願いであるから繋がった糸なのだろう。あの子供の幸せを、共に祈る者としてね」
「……………ああ。そうなのだろう。俺の恩寵を救うには、とうとう間に合わなかったが」
その、引き裂くような喪失を宿した言葉にふと、ニケのことを考えた。
なぜそんな風に思い出したのかと考えて顔を顰めると、どこかでクロムフェルツが微笑む気配を感じ、ぎくりとする。
意味も分からないまま、だからなのかと思った。
だから冬の祝祭の王は、自分をここにこっそり留めたのかと。
「あの子供は、最初から何もかもがあちら側の子供だった。あちらの私の愛し子で、私の手のひらには載らない子供だった。でも、今回の子供は、こちら側に家を持つ者で、だからこそ願いを叶えてやる事が出来たのだよ。……………可哀想に、長らく家に帰れずに彷徨わせてしまった。きっと、恐ろしく悲しかっただろう。だが、あの子はもうこちら側の子供だからね。あちら側の祝福もまた、あの子の半分として残るのだとしても、あの子供は何度でもこちらを選ぶだろう」
「……………あちら側の要素は、全て剥ぎ落せるといいんだがな……………」
「……………まさかとは思うが、ご主人様の話なのか?」
「気のせいだ。放っておけ」
その言葉を最後に、ふつりと闇が晴れた。
放り出された森はリツムの中でもなく、冬告げの舞踏会の領域でもない。
ほうっと深く息を吐き、深い森の中で、強張った背筋を伸ばした。
「……………やっぱり、あの男は女の趣味が悪かったな」
ここからカルウィに戻り、ニケに報告しなければならない。
あの青い瞳の男はもう、手駒どころか、糧にも向かないだろう。
誰だって、祝祭の王の不興を買った者を我が身に取り込みたくはない筈だ。
カルウィにも、イブメリアはある。
そうしてやはり、ニケの事を考えている自分に、眉を顰めた。
少しだけ考え、この執着は続くのだろうなと理解し、小さく舌打ちして諦める。
であるならば、グラフィーツのようになるのはご免だ。
白い髪の人間の王子には、絶対に祝祭の障りなど受けるなと、しっかり言い聞かせなくてはならない。
リツムの中で聞いた会話は興味深かったが、それも知らせない方がいいだろう。
余計な関心を抱けば、それが命取りになりかねない。
幸いにも、クロムフェルツは、あの男に手を貸したリュツィフェールを裁こうとはしなかった。
だが、それに安堵するばかりではなく、急ぎ、この領域から手を引かねばならない。
この世界には、そうそうこちらに現れずとも、大きな力を持つ者達もいるのだから。