ムハルの針と白い爪先
「ああ、まったくもう。嫌になるなぁ」
その呟きは誰にも届かない暗い夜に響き、ノアベルトは小さく微笑んだ。
顎先から滴り落ちそうな汗を袖口で拭い、ふぅと息を吐く。
これ迄に七千六百八十二。
ここから、残りは一万ほどだろうか。
暗い暗い夜の中で苦痛を堪え、胸の奥の厄介な痛みを飲み込んだ。
どこからともなく落ちてくる雫が暗い湖面を揺らし、そこに映るのはどこまでも続く銀色の針。
その中にたった一人で取り残され、冴え冴えとした銀色の光だけが暗闇を照らす光となっている。
多分、この湖は毒なのだろう。
暗い闇の色をじっと見ていると、銀色の光が映る部分だけが鮮やかな青に緑が混ざる様子はヒルドの色を思わせたが、そう思えてしまうことに吐き気がする。
大事な友人の色をこのようなところに使われて腹立たしいのに、まだ自分はここから一歩も動けない。
この、膨大な数の銀の細い剣が、ノアベルトの体を毒の湖に縫い留めていた。
(……………ああ、どこかで時間の座の歌が聴こえる)
この歌声は何度目だろう。
確か二度目だとは思うが、本当にそうだっただろうか。
もし、その間に横たわる時間を自分が忘れてしまって、取り返しのつかないような時間が過ぎ去っていたらどうしよう。
率直にいえば、こんな事は初めてではないのだ。
以前にもこうして厄介な罠に閉じ込められた事があり、その時は、半月程出られなかった。
あの時は確か、避けられなくもなかったがまぁいいかと受けてみただけだし、対象者の時間を削り落として拘束するような呪いや障りは少なくないが、今迄、その類の罠が本当の意味でノアベルトを損なった事はなかった。
痛みは避けられなかったにせよ焦燥感はなく、鼻歌でも歌いながら時間をかけて解除してゆけば良かったのは、その作業にどれだけ時間がかかっても、帰りたい場所などなかった自分が困る事はなかったから。
そう。
この罠で展開されている魔術階位は、そこまで高いものではない。
だからこそ格下の魔物が展開出来たのだし、こちらも、足元が崩れるまではすっかり油断していた。
多少のものであれば受け流せると。
失いたくないものはここにはないから、引き受ける事で一つの機会を潰しておき、今後、其れ等を巻き添えにするような場面をなくせるとそう信じて。
(……………ある程度の損傷は、別に構わないんだよね。僕なら治せるし、治せなくても再構築出来るし。でも、よりにもよってこの術式は、僕の一番大事な物を損なうじゃないか…………)
拘束して、孤独の中で苦痛を与え続ける種の術式の多くは、解術に時間をかけてゆけば、決して脱出が難しいものではないということは、一般的な魔術の教養と言えよう。
だが、その時間こそがこちらの最大の財産であった場合は、手痛い災いとなる。
(例えば、今すぐにでも助けを呼びに行かなければならない時や、約束の日を控えていた場合。誰にも知らせずに少しだけのつもりで出掛けた日や、一緒に暮らす大事な人達との時間を、一秒だって無駄にしたくないと思っていた場合……………)
これ迄、どれだけの者達が、このような悪意の術式の中で狂死してきただろう。
咽び泣き、懇願し、絶望に心を食い荒らされて動かなくなったのだろう。
だから、どれだけ苦痛を受け、どれだけ危険があっても何とかしてここから出なければならないと考えたのは、何もノアベルトが最初ではない。
そして、最後でもあるまい。
「ああ、そういう意味では、君は成功したよ。確かにこれは、不愉快だし我慢がならない。…………それに、堪らなく悲しいからね」
そう呟き、咄嗟に守護魔術を何層にもかけて守ったリンデルを見つめる。
あの瞬間に絶対に守るのだと素早く対処したお陰で、ノアベルトのこの宝物は無事だった。
けれども、これをくれた家族がリーエンベルクで待っているのだ。
それなのにもう、二日も帰れていない。
勿論、あのカードを通して、ちょっと女の子と戦っているので帰宅まで時間がかかりそうだとは伝えてはあるが、そんな言葉で、あの自慢の家族をあとどれだけ誤魔化せるだろう。
今のノアベルトにはもう、誰も気付いてくれないという怖さは微塵もなくて、その代わりに寧ろ、自分が帰れない状態になっていると知られてからの家族の動揺こそが怖かった。
(うん。そうなんだ。もう、誰も僕に気付いてくれないなんて事はなくて………)
でも、気付いてくれても、呼んでくれても、暫くは帰れないかもしれない。
その場合、ノアベルトの大事な家族はどうなるのだろう。
きっと探してくれるだろう。
きっと、こちらの不安や苦痛を思って悲しんでくれるだろう。
そして、そうすることで生じる動揺や不安が隙を生むだろうし、悲しみや絶望は必ず心を曇らせる。
大事な家族にいつだって沢山手にしていて欲しい美しい物も美味しい物も、きっとそれらの感情が無惨に削り落としてしまう。
どんなものにも変え難い家族がそうして損なわれると思えば、やはりノアベルトは我慢ならなかった。
それだけでなく、自身でも望まずに心の揺らぎから生まれてしまった隙が、もし彼等に何らかの危険を齎したらと思うと、不安のあまりに胸が潰れそうになる。
(僕が不在にしている間に、僕にしか対処出来ない事が起きたらどうするんだろう……。ネアやエーダリアが変な呪いを受けたら?僕の系譜の魔術で、何か事件が起きたら………?)
そんな事を考え胸が締め付けられると、アルテアが、なぜ連日のようにリーエンベルクを訪れてしまうのかが分かってしまう。
ああ、こんな風に不安に思うからだ。
そして、その先にある宝物を絶対に失えないからだ。
そう考えると、今更だが、アルテアもウィリアムも、リーエンベルクに部屋を持てばいいと思う。
こんな苦しみや胸を締め付けるような不安を抱えるぐらいなら、ずっとあそこにいればいいのに。
「でも、…………あの二人には、それぞれの資質に応じた仕事がある。だから、そういう仕事がなくて、ずっと家族の側にいられる僕は幸せなんだな………」
ずしゃりと濡れた音がして、体から引き抜いた細い細い針のような剣を、慎重に魔術で覆って崩した。
この空間の中にある全ての銀色の光は、断罪の魔術を纏わせた、銘を持つ武器の記憶の模倣だ。
悪しきものを封じ決して外に出さないという力を宿したその武器は、既にこの世界から失われている。
とは言え、その武器が誇った魔術領域の記憶迄は、それを覚えている誰かがいる限り失われる事はない。
だからこそ、ある程度の魔物であれば、その記憶を映した影絵などを入手して、こんな仕掛けを作る事くらいは簡単に出来るだろう。
(……………僕で良かった。多分、僕が一番頑丈だし、ネアやエーダリアがこんな目に遭ったら耐えられない……………。ヒルドだって絶対に嫌だ……………)
けれども、耐性がある事は即ち、この場からの離脱に長けているという訳でもないのだ。
魔術云々ではなく、ある意味とても物理的な攻撃を主とするこの手の呪いに於いて、もっとも脱出に長けているのはウィリアムだろう。
だが、勿論そんな終焉の魔物はここにはいない。
(ええと、終焉の魔術領域を再現出来るかな。……………この世界は、シルの魔術の枠組みの中だから、少し難しいかもしれないなぁ……………)
幾つかの魔術を練り直し、けれども、上手くいかなくて諦めた。
となればやはり、根気強くこの針山から抜け出せるよう足掻くしかない。
(抜いて壊した剣は、復元はしないみたいだ。やっぱり、攻撃は初手の剣の雨だけみたいだね。………ああ、何で僕は、特に用もないのに何だかいい気分だから誰かに会うのもいいかなって、一人で出掛けちゃったのかなぁ……………)
リーエンベルクでごろごろしていれば良かった。
そう思い、けれどもと首を振る。
こうして、自分を捕らえる為の悪意と画策があったのだ。
であれば、この術式が展開されるのが、家族が一緒の時だった可能性もあるではないか。
「……………うん。そうだよね。僕一人で良かった」
また一本の剣を引き抜き、ふうっと息を吐く。
本来なら苦痛など簡単に消してしまえるのだが、この術式の剣には封印魔術がこれでもかと詰め込まれているので、体から引き抜く際に加減を誤ると、ずっと体の中に呪いの根を残してしまいかねない。
だから、苦痛を指標にしてその除去を行っているのだが、残念ながら、この体に打ち込まれた物だけでもまだ半数は残っていた。
(……………何か、楽しい事でも考えようかな)
途中でそう思ったのだが、どうにも上手くいかなかった。
ノアベルトをこの術式で捕らえた魔物は、目下の恋人候補の女性であった。
当然だが、その場から逃がさなかったし、手を伸ばして捕まえて一緒に引き摺り落とす事が出来るのは、ノアベルトが魔術の根源を司る魔物だからに他ならない。
(……………その残骸から、幾つか興味深い情報を手には入れられた。でも、だからこそ僕は、急いで家に戻りたいんだけどな……………)
調べてみると、確かにその女性はノアベルトを害そうとしていたが、用意していた手段はここ迄の物ではなかった。
けれども、もう忘れていた誰かが、年数と条件を指定し、遠い昔に組み上げられた術式が入れ替わるように設定していて、たまたま条件を満たした彼女は、その受け皿となったに過ぎなかったのだ。
奥歯を噛み締めて幾つかの剣を同時に引き抜き、一つずつ丁寧に壊してゆく。
静まり返った湖面に波紋すら立てない程慎重に、けれども、容赦なく。
見上げた天上からまたひと雫の水が落ちてきて、毒の湖と混ざり合う。
もしかすると、リンデルにかけた守護を解けば小さな幸運を得られるかもしれない。
けれども、こんな風に大事な時間を削ぎ落され足止めされているのに、どうして大事な宝物まで失くさねばならないのか。
そう考えてしまうと、やはり踏ん切りがつかなかった。
「僕は、我が儘で愚かな男だからさ……………」
幸いにもと言うべきか、襲撃者の残骸から拾い上げた情報は、ネアやエーダリアを標的として示してはいなかった。
思っていたよりも古い因縁が引き上げられてしまったが、そういう事もまた、珍しくはない。
いつだって、憎しみや嫌悪が悪意として現れるのは、とうに忘れた頃なのだ。
それ程に効率のいい復讐はないので、どれだけ使い古された手法になっても、復讐は時を選び、時差をつけがちになる。
結果として、この成就の日までにかけられた月日は五百年にもなり、ノアベルトは、五百年前の夏至祭の日に滅びた国のことなんてとっくに忘れていた。
(ムハルは、カルウィの属州だった小さな国だ)
よく、大陸のこちら側に暮らしている者達は、カルウィといえば砂漠の国だという誤解をしているが、あの国の国土は広く、森もあれば海もある。
そんなカルウィに隷属させられた小さな国は、国境域の州都に組み込まれ、属州と呼ばれていた。
そして、そんな国の最後の夜に、ノアベルトは燃える宮殿の中に立っていたのだ。
なぜ、その最後に立ち会う羽目になったのかと言えば、華やかと言えば聞こえはいいが、いささか華美過ぎて趣味に合わなかった王宮で開かれていた宴に呼ばれていたからだ。
そしてそこで、あの小さな国を守護していた中階位の魔物が一つの、けれども決定的な過ちを犯し、その国は滅びる羽目になる。
(あの子の名前は、もう思い出せないな……………。ってことは、あまり興味がなかったか、誰かが名前ごと崩壊させたからなのかも。……………珍しく、僕とアルテアが外れ籤を引いていて、いつもなら、そんな女の子を引き当てるウィリアムは、どこかで十年も続いていた大戦に駆り出されていて、不在にしていたんだよなぁ……………)
ムハルの王女には、契約の魔物がいた。
歌乞いではなく、ノアベルトとエーダリアの関係と同じような契約を交わし、国守りの魔物として王族に並ぶだけの地位を与えられていたという。
そしてそんな魔物がある日、その国の王宮で行われる宴の招待状を届けてきた。
曰く、婚姻の儀式を行うので祝いの席に顔を出して欲しいという。
本来なら、顔も名前も知らない魔物からの招待など一笑に付し放置するべきなのだが、あの頃のノアベルトは楽しい事が大好きだったし、アルテアは恐らく、敢えて受ける事で何か良からぬ災いを齎そうとしていたのではないだろうか。
或いは、何らかの個人的な関係があったのかもしれない。
だが、そうして訪れたノアベルト達を呆然とさせたのは、招待状を送った魔物の要求だった。
こうして、祝いの席にやってきたのだから、この中の誰か一人に、祝福として自分との婚姻を結んで欲しいと言うのだ。
つまり、それを見越しての婚姻の祝いの宴だった訳である。
(……………まぁ、魔術的な考え方は間違っていないけれど、要するに馬鹿だったんだよね……………)
確かに、招待状を受け取り祝いの場だと知った上で訪れているのだからと、そのような要求が出来ない事もない。
勿論、贈り物を強請るのであれば受け取る側にも対価が求められるが、唯一それを無効とするのが婚姻である。
互いに互いを差し出す事で等価とする魔術契約なので、言われてみれば、そんな風に強引に婚姻を取り付け、尚且つ、対価らしい対価を支払わなくてもいいという策は理論上は可能である。
その夜に宴を訪れた魔物は、そんな提案をした魔物より遥かに高位の者達ばかりであった。
獲物として見定めるには高望みもいいところだし、ノアベルト達には、そんな要求を簡単に撥ね除けるだけの備えはいつだって充分にある。
かくして、その国もその魔物も滅ぼされ、滅ぼした者達は、さして面白い余興でもなかったとそんな国の事はすぐに忘れてしまったのだ。
(……………そして、こうして今、残された復讐が芽吹いた訳だ……………)
展開された呪いは稚拙な物であったし、あの頃のノアベルトを見て選んだ復讐方法だとすれば、大外れもいいところだ。
あの頃のノアベルトが、ここで呪いを受けておかなければ、自分の大事な家族に飛び火するかもしれないと考える事はなかっただろうし、例え本当に避けられなかったのだとしても、本でも読みながらゆっくりと解術していっただろう。
だが、そんな呪いは、忘却による油断を狙い五百年の時間を経たことで、うっかり、ノアベルトを最も損なう物になっていたのだから、いっそ笑える程だ。
「……………ああ、また夜かぁ。今夜の晩餐は何だったんだろうなぁ。もう、二日もボールを見てないや」
そんな事を呟き、うんざりとした思いで遠くを見た時の事だった。
ざざんと、大きく湖面が揺れた。
何か二段階目の魔術展開があるのだろうかと素早く息を詰めたが、どうやらそうではないらしい。
やがて、ばりばりという破壊音が聞こえ、真っ白な鳥のようなものが空から落ちてきた。
(……………あ、)
ばさりとケープを広げ、その裏地の深紅が色のなかった空間の中で鮮やかに広がる。
そして、振り抜いた長剣を大きく振るった。
「え、僕ごと?!」
広がった崩壊の波にぎょっとしたが、すぐに気付けたので慌てて排他結界を展開する。
危うく、こちらの体ごと壊されるところだったが、さすがにこのくらいは耐え凌ぐと考えての事だろう。
かつりと、水面に降り立つには不似合いな硬い音を立てて、白い軍靴の爪先が見える。
上半身を起こして排他結界を展開していたが、そこにかかった圧力に再び体を伏せていた為、見えたのはそんな爪先だけだった。
「……………でも、実は今は、これでも結構消耗してたんだけど……………」
「ノアベルト、後は自分で排除出来るか?」
「ええと、……………あんまり言いたくないけど、左足は時間がかかりそうだね。この通り、少し離れた位置にあって、体の背面を上にして縫い留められていたから取りに行けないんだよね」
「……………成る程、足を切ってから落としたのか。こちらで使われた駒は、アルテアの方よりも階位が高かったみたいだな」
得心気味に呟く声に重なって、水音が聞こえた。
足を取りに行ってくれたのかなと思いつつ、ふうっと小さく息を吐く。
「射角の魔物だよ。ウィリアムの時の一件があってさ、そちらの技術を得ている系譜とも親交を深めておこうと思ったんだけど、まさかの、この仕掛けに適合する条件を備えているとはね……………。それと、やっぱりアルテアもやられたの?」
「ああ。あちらは、糸探しの精霊の呪いだ。今回の一件は、時期と、求婚されるという条件を鍵にしていたようだな」
「あ、そこは僕と同じなんだね。……………僕は兎も角、アルテアはそうそう求婚なんてされないだろうと思っていたけど、そうでもなかったかぁ……………」
「そこまでが仕掛けの内だった可能性もあるんだろう。…………アルテアが潰しておくと話していたから、問題はないだろうが。……………足はここに置いておくぞ。それと、右足の上の剣は取り除いてある」
そう呟き、左足を取って来てくれたウィリアムを、こっそり観察する。
呼んだ訳ではないのだが、今の話だと、アルテアが手を打ってくれたのだろう。
それはつまり、アルテアはさしたる被害もなく切り抜けたからだとみて間違いなさそうだ。
(……………良かった。それなら、ネアやエーダリア達には、少なくともシルとアルテアがいて、騎士達にはゼノーシュがいるから問題なかったかな)
「…………ノアベルト?」
「……………お礼を言うべきだから言うけど、………有難う、ウィリアム」
「……………前回の時は、俺が同じような状態だったからな。あの夜の宴に参加していた剣の一人が崩壊したと聞いてまさかと思ったが、確かめに来て良かったようだな」
「え、……………もしかして、誰かに頼まれたんじゃなくて、自分で気にかけて来てくれたの?」
驚いてそう言うと、ウィリアムは少しだけ複雑そうな顔をしたが、浅く頷いた。
基本的に、ネアやシルハーンがいない時のウィリアムはこんな感じだ。
眼差しは、こんな顔をリーエンベルクでするだろうかという冷ややかさであったが、それでも、気にかけて助けに来てくれたのだ。
そんなことを知ると少しだけそわそわしてしまい、漸く回収した左足の修復をしてから体を起こし、残っていた細い剣を取り払った。
足が離れた位置にあったので双方の状態を揃えるのに少々手間取っていたが、あちらとこちらで魔術領域を切り分ける必要がなくなれば、異物の排出はずっと簡単になる。
「……………はぁ。やっと終わった。あのままだと、少なくとも一週間はかかる見込みだったからさ」
「それは困るな。もし、君が不在のままだったなら、ネアは冬告げの舞踏会どころじゃなかっただろう」
「……………もしかして、ネアも知ってる?」
「いや、シルハーンが、君はネアに気付かせないようにしているのだろうと言っていたからな。であればと、ネアが気付かないように、魔術的な誘導をかけている。……………その代わりに、そんな魔術付与を手伝ったエーダリア達は知っているからな」
「……………ありゃ。怒ってた?」
「俺は、そちら経由じゃないんだ。上でシルハーンに聞くといい」
「え、シルが来てくれてるの?!リーエンベルクは?」
「アルテアがいる。アルテアが、一度屋敷に帰って魔術洗浄をしてからリーエンベルクに入るということで、少し待たされたからな」
残っていた呪いを剥しながら話を聞くと、ムハルの宴に参加していたノアベルト達の身を案じて探してくれていたウィリアムが最初に見付けたのは、アルテアだったのだそうだ。
そこでやはりと思い、今度はこちらに来てくれたようだ。
途中でシルハーンも一緒に探してくれるという事になり、だが、その間のリーエンベルクを任せる為にアルテアが戻るのを待ってからの捜索開始となったらしい。
「え、凄く愛されてるよね?」
「終わったなら、いい加減にここを出るぞ。こういう、古い固有領域を残されるのは我慢がならないんだ。どうして全部壊しておかないのか、理解に苦しむ」
「それって、残しておくと鳥籠の案件に繋がりかねないからだよね……………」
「それ以外にないだろう。どうせこういう事にしか使われないと分かり切っているような余分は、一つでも少ない方がいい」
ここで漸く全ての術式の剥離が終わり、ほうっと息を吐く。
ウィリアムは凄く面倒そうだが、それでも、作業が終わるまで隣に立っていてくれたのだ。
(……………こんなことってさ、少し前だったら、絶対に有り得なかったよね……………)
でも今は、リーエンベルクを囲むように共に過ごす時間が増え、こんな風に助けに来てくれるまでになった。
「ノアベルト、大丈夫かい?」
その空間を抜けると、上では、シルハーンが待っていてくれた。
心配そうな顔でそう尋ねられ、胸の奥がおかしな音を立てる。
「ネアには、気付かせないようにしてくれたんだね。有難う、シル」
「ウィリアムの事があったばかりだからね。でも私も、アルテアから話を聞くまで、気付かずにいた。…………もっと早く、声をかけてくれれば良かったのに」
「……………ええと、もしかすると、呼べば聞こえた?」
「聞こえたのではないかな。この空間そのものを作ったのは魔物だから」
「……………ありゃ。……………え、僕のあの絶望の時間は何だったのさ」
シルハーンがウィリアムと一緒に探してくれていたのは、いつもの傾向を見ていると、あの日の呪いの駒にされるのが、植物の系譜の妖精や精霊だと危ういと思ったからなのだそうだ。
その場合は自分の方が救出に向いていると考えていたが、今回の呪いは相性があまり良くないのでと、ウィリアムだけが中に入ったのだった。
家族のようなものらしいから、探しに来たよと大真面目で言われてしまえば、何だか微笑むしかなくなってしまう。
「……………うん。僕、やっと家に帰れるよ」
「そうだね。エーダリアが、食事を用意してはあるけれど、何か食べるだろうかと心配していたよ」
「ありゃ。……………じゃあ、食べようかな」
「シルハーン、今日は俺もリーエンベルクに泊まっていいですか?」
「構わないよ。そうなるかもしれないと、ヒルドに話してある。アルテアもノアベルトも、未だ消耗しているし、君も鳥籠を解いたばかりで疲れただろう」
そう言われたウィリアムが白金色の瞳を瞠るのを見て、ああ、心配されているとは思わなかったのだなと微笑んだ。
ウィリアムはきっと、ノアベルトやアルテアが本調子ではないからと、そういうつもりで申し出たのだ。
でも、シルハーンは全員を守るつもりでいる。
『いいわ。あなた方が私を愛さず、私を助けてくれないのなら、私はあなた方を呪うでしょう。いつかきっと、その呪いがあなた方を惨めに殺すのだわ』
燃え盛る宮殿の中で、そう叫んだ魔物がいた。
美しいと持て囃され、誰もが自分を愛すると信じていた魔物だった。
確かにあの日の呪いは成就したし、ノアベルトの心を大きく削っている。
でも、こちらにだってもう、愛してくれて助けてくれる家族がいて、その手の力強さはそんな呪いになど負けないのだ。
「ノアベルト!」
「……………ネイ。まずは、温かい飲み物でも淹れましょうか」
「……………ただいま。エーダリア、ヒルド。……………それと、温めた牛乳が飲みたいな」
「ええ。ではそれを……………」
リーエンベルクに戻って会食堂でそんなやり取りをしていると、アルテアを伴ってネアもやって来た。
こちらを見て微笑んだ大事な女の子は、これから遅い晩餐ですかと問いかけてくれる。
「うん。少し、帰りが遅くなったからね」
「お帰りなさい、ノア。きっと、怖かったでしょう。……………もうどこも痛かったり、困っていたりはしませんか?」
「……………え、……………あ、うん」
そんな風に声をかけられてぎくりとしたが、そう言えば、怖い女の子と戦っているとカードに書いて皆に連絡したのだった。
「よいしょ。では、ノアが晩餐をいただいている間は、私はお夜食を………」
「ドレスが入らなくなるぞ?」
「む、むぐぅ。では、ノアと同じホットミルクなどをいただきますね!ウィリアムさんも、今日はこちらに泊まれるのですか?」
「ああ。今夜は泊めて貰おうと思っているんだ。…………ああ、俺は紅茶にしようかな。自分で淹れるよ」
そこには、いつもの光景があった。
みんながいて、温かくて、幸せで。
だからノアベルトは、温かいジャガイモのスープに、焼き立てのパン、チーズのかかったシュニッツェルが出て来ても、泣いてしまったりはしないのだった。




