仮縫いとホットチョコレート
艶々と光る円筒形の缶を見つめ、ネアは瞳をきらきらさせた。
赤紫色に琥珀色の模様のあるその缶には、ぐっと冷え込んでくるこれからの季節を楽しく過ごす為の、美味しい美味しい粉が入っている。
見つめている内に、缶の正面がこちら側でないのが気になってしまい、厳かな手つきでそれを直した。
「まだ開けなくていいのかい?」
「ええ。ドレスの合わせがありますから、その後にしようと思うのです。万が一、指先やお口にホットチョコレートがついていたら、仮縫いのドレスを大変な事にしてしまいますから」
「ほっと、…………ちょこれーと」
「あら、こちらの世界にも、ホットチョコレートはありますよね?」
「…………知らないかな」
「なぬ。どこかで触れたような気もしますが、未体験だったのです?」
「……………うん」
ここで魔物は、ちょっぴり不確かな感じで、こくりと頷いた。
となると、出会ったかもしれないが覚えていないようなので、本日はあらためてのホットチョコレート体験会としよう。
「中に入っている粉をスプーンでマグカップに入れて、お湯を注いで飲む物なのですよ。食べるチョコレートよりもさらりとした味の、飲むチョコレートだと思って下さいね」
「…………飲んでしまうのかい?」
「ふむ。今のディノの表情を見ている限り、あまり得意ではないかなと考えましたね?」
「ご主人様………」
「ですが、甘ったるいホットチョコレートは私も苦手なので、今回の物は、とても飲みやすい大人めのホットチョコレートなのですよ!」
そう宣言したネアに、ディノは目を瞬き、ゆっくりと頷いた。
まだ未知のものという感じにしてきているが、とは言え、本当に初めてだろうかとネアは朧げな記憶を辿る。
割と一般的な飲み物なので、どこかで体験させた気もするのだ。
然し乍ら、たいへん遺憾な事にネアの記憶も朧げであった。
「今日のドレスを持ってくるのは、アーヘムなのだよね」
「はい。仕立て妖精の女王様は、たいそうお忙しい方なのだとか。刺繍の位置確認もあるので、今年は、アーヘムさんが仮縫いの様子を見てくれるそうです」
「…………アーヘムが………」
「きっと、素敵なドレスに仕上がるのでしょうね。冬告げの舞踏会が終わったら、また一緒に踊ってくれますか?」
「勿論だよ。………かわいい」
「こうしてじっと見ているのは、ディノが、この大切な約束を忘れてしまわないようにという圧力なのです!」
「圧力なのかい?」
「ええ。大切な伴侶とのダンスは、外せませんから。………ディノ?」
「爪先を踏むだろう?」
「必須みたいになった!」
とは言え、ネアは立派な伴侶なのだ。
きっと喜んでくれるだろうと思い差し出された爪先をぎゅむっと踏んでやり、恥じらう魔物にそっと頷きかける。
更には、もじもじしながら差し出された三つ編みをしっかりと握り締め、伴侶が嬉しそうに目元を染める姿に微笑んだ。
(…………うん。大事にしよう)
時間を重ねれば重ねるほどに、慎重に、慎重に。
ずっと空っぽだった手のひらに収まってくれた宝物だから、この大事な物がしょんぼりしないように。
大切なものがここにある贅沢さに、慣れてしまわないように。
時々、伴侶ではなく、甘えたな大型犬のようになってしまう魔物を撫でながらそんな事を噛み締めていると、アーヘムがリーエンベルクに到着したと部屋に連絡が入った。
そうなってくると話は変わる。
暫くはドレス合わせが優先となるので、残酷な人間は、引っ張ってやっていた三つ編みからさっと手を離し、伴侶の爪先を解放した。
「………ひどい」
「アーヘムさんが来てくれたので、ドレスの合わせをしてしまいましょうね」
「うん………」
「このように合わせなくても大丈夫なドレスもあるようですが、今回は、刺繍の位置と肩のラインを合わせた方が綺麗なのだそうですよ」
そう言えば、ディノはそっとネアの肩口を指先でなぞる。
最初からぐいぐい来ていたようで、実はとても臆病だったこの魔物は、最近はこんな風に触れる事を怖がらなくなったなと思いながら、ネアは手を伸ばした。
外客棟まで手を繋いで行きたくなったからなのだが、その手を見た魔物は、目元を染めて恥じらってしまうではないか。
「えい!」
「……………虐待」
ネアは今日ばかりは暴君な気持ちになり、そんな魔物の手を強引に掴んでしまうと、きゃっとなっているディノをぐいぐい引っ張りながら外客棟に向かった。
若干到着時には伴侶がへろへろになっていたが、こちらを見て微笑んだアーヘムは、そんな様子には慣れっこだ。
「お久し振りです、アーヘムさん。今日は宜しくお願いします」
「ああ。宜しく頼む」
淡い金色の瞳を細めてそう微笑んだアーヘムは、大鴉という通り名を持つ刺繍妖精だ。
シーではないがシーに匹敵する美貌を持つと言われる彼は、仕事人としての物静かな眼差しでいてもはっとする程に美しい男性で、一般的には、あまり笑わない妖精だと言われている。
銀を透かしたような独特な色合いの黒曜石のような羽に窓からの光が入り、しゃわりと光る様子は、その指先から数々の美しい刺繍を作り出してきた偉大な妖精に相応しい。
生真面目な表情しか見せないと言われているこの妖精の表情が柔らかいのは、同じ部屋に友人であるヒルドがいるからだろう。
紫がかった黒髪は同色のリボンで綺麗に束ねられていて、胸ポケットから出した仕事用の片眼鏡は、ひとまずテーブルの上に置くようだ。
「まだ、仮縫いのものだが、このようなドレスになるんだ。着て貰って、手直しがあれば直してゆこう」
「まぁ!なんて綺麗なドレスなのでしょう!今年のものは、マーメイドラインですね!」
「まーめいど……………」
「ふふ。こんな風に腰回りからはタイトなデザインで、裾がふわっとするドレスのことなのですよ」
「……………ここは、開くのかい?」
「舞踏会のドレスなので、大胆めなスリットなのかもしれませんね」
「ウィリアムなんて……………」
ディノが気にしていた大胆なスリットは、左足側の腿の真ん中あたりから入っている。
アーヘムによると、その下にシンプルな水色のアンダードレスを着てそのフリルで埋めるそうで、実際には、足が見えてしまうような煽情的なデザインにはならないのだそうだ。
それを聞いて安心したのか、ディノはゆっくりと頷き、ドレスのスリットを指先で撫でる。
「……………閉じてしまってはいけませんよ?」
「……………うん」
「そこを閉じられると、足が上手く開かずに、ご主人様が、ダンスの途中で顔面から倒れるかもしれません」
少しだけ心配だったので重ねてそう言えば、驚いたように目を瞠った魔物が慌ててしっかりと頷いてくれた。
正面のアーヘムが密かにほっとしたような顔で頷いたので、そちらも、万象の魔物がドレスのスリットを封じてしまうのを懸念していたのかもしれない。
「まずは、こちらに着替えてきますね」
「では、こちらへどうぞ」
「ディノ、着替えている間は、ここで待っていて下さいね」
「……………一緒に行くよ」
「あらあら、ノアがいないとお留守番は苦手なのです?」
「ご主人様……………」
いつもならこのような場にはノアがいるのだが、今日は朝から不在にしているのだ。
その上でヒルドが着替え用の部屋の前まで付き添ってくれるとなると、ディノは、この部屋にアーヘムと二人きりになってしまう。
慌てて追いかけてきた魔物に苦笑したネアに、微笑んだヒルドが、ディノにお役目を譲ってくれた。
「では、私がこちらでアーヘムと待っておりましょう。着付けの際にお二人に難しい要素がありましたら、扉の所から声をかけて下さい」
「はい。そうしますね。今回のドレスであれば、ディノでも大丈夫だと思います」
そう告げたネアに、ディノはきりりと頷く。
今日のリボンを紺色にしたからか、熱心な生徒のようにも見える仕草だった。
(……………綺麗だな。……………こんな風に綺麗な物に触れられるのは、嬉しいな)
隣室に移り、そこで手渡されたドレスに着替える。
内側に入れるアンダードレスはスカート部分だけのもので、水彩絵の具を白い布の上に広げたような、淡い水色が美しい。
アンダードレスの裾のカッティングレースはしっとりとした繊細なデザインで、ドレスからこの部分が見える様は、きっと大輪の薔薇のような華やかさだろう。
こんな時、まずは大雑把な人間は、着ている物を脱ぎ去ってしまう。
それでも水着面積は残るのだし、今回の同伴者は仮にも伴侶である。
しかし、何の躊躇いもなく服を脱ぎ始めたネアに、ディノはくしゃくしゃになって蹲ってしまった。
「……………虐待する」
「むぅ。戦線離脱が早過ぎませんか?私が着替え終わるまで、もう少しだけ頑張って下さいね」
あっという間に弱ってしまった魔物を励ましながら、ネアは着替えを終えた。
背中の隠しホックは任せねばならなかったが、震えながらも手伝ってくれたので何とか向こうの部屋に戻れるようになる。
「……………かわいい」
「ふふ。ディノの伴侶は私だけなので、もっと褒めてくれてもいいのですよ?」
「うん。………とても綺麗だよ。出来上がったドレスを着たら、もっと綺麗なのかな……………」
「ディノに褒めて貰えるのが一番嬉しいので、とてもいい気分になってしまいました。うきうきで、向こうの部屋に戻りますね」
「弾んでる…………」
ここからは、専門家にしか分からない絶妙な曲線や布の動きを見る行程になる。
片眼鏡をかけたアーヘムは、肩口の布の流れを丁寧に確認し、微かなドレープの変化に満足げに頷く。
「仕立ては問題なさそうだ。後は、僕の刺繍部分を予定通りに合わせれば、デザイン画通りのドレスに仕上がるだろう」
「シシィさんの時のように、あちらやこちらを直すという作業はあまりないのですねぇ」
「ああ。あの方の仕立ては、冷静に計算し尽された物が多いから、採寸さえ間違っていなければ滅多に誤差や変更はないんだ。シシィのドレスは、生き生きとした動きがある代わりに、感情的な仕立てもあるので、直しや認識の差異が浮き彫りになることも多い」
「むむ。そのような部分に、仕立てをされる方の性格が出るのですね。………そして、うっかり体型を変えてしまっていなくて、本当に良かったです………」
アーヘムの刺繍の確認作業では、配置した刺繍がぴったり体の輪郭に合うかどうかを見て貰い、縫い込まれる結晶石の配置を、アーヘムだけに見えるような僅かな角度で手直ししてゆく。
光を受ける表面の部分がどのような形で煌めくのかによって、刺繍の印象は変わるのだそうだ。
そうして手をかけてくれる繊細さが、有名な大鴉の刺繍を生み出すのだろう。
ヒルドにも見守られながらそんな作業が終わると、今度は、印を付けた部分がずれないように、丁寧にドレスを脱がねばならない。
そこから先の作業はディノだけでは難しくなるので、アーヘムが信頼を置いて作業を任せているヒルドが手伝ってくれる事になった。
ディノがまたもそもそ付いて来てしまったが、あまり動じずにネアがドレスを脱ぐのを手伝ってくれるヒルドを、なぜか尊敬の眼差しで見つめている。
ここは荒ぶるのではなく憧れてしまうのだなと思えば、何だか面白い部分でもあった。
脱いだドレスはヒルドがアーヘムに届けてくれるので、その後のネアはゆっくり服を着ればいい。
最後に襟元を直してぴっと背筋を伸ばすと、すかさずディノが三つ編みを差し出してくれる。
ここは手ではないだろうかと眉を寄せたが、そっと綺麗な真珠色の三つ編みリードを手に取って先程の部屋に戻った。
「アーヘムさん、今日は有難うございました」
「時間を取って貰えて助かった。いいドレスに仕上がると思う」
「今日見せていただいたものでもあんなに素敵だったのですから、当日が楽しみで堪らないです。どうぞ宜しくお願いします」
「ああ。最高のドレスを仕上げよう。……………ヒルド、これは話しておいたものだ」
ネア達が戻ると、ちょうど仮縫いのドレスが仕舞われたところであった。
片眼鏡を外し微笑んだアーヘムは、先程までの厳しい職人の目から、穏やかな表情に戻っている。
そうして、そんな刺繍妖精が退出間際にヒルドにさり気なく渡したのは、友人宛てだと良く分かる白い紙袋だった。
実は先程から、あの紙袋はアーヘムのおやつだろうかと目を光らせていたネアは、ほほうと心の中で頷く。
優秀な狩人の目では、内側に食べ物をそのまま入れても大丈夫な紙袋だなと見抜けてしまうし、中に入っているのがお菓子か果物だなというのも、ネアの目には既に確定事項であった。
思いがけず友人同士の食べ物のやり取りが垣間見えてしまい、また、そんな様子をこちらに隠さずに行ってくれたことにほっこりしてしまう。
「おや、随分と早いですね。私が頼まれていた物はまだなのですが…………」
「先に受け取っておいてくれ。これからの季節は、いい夜が多いからな」
「では、遠慮なく」
勝手に微笑ましいのでもっとやり給えな気分の人間がにんまりしていると、ヒルドがこちらの視線に気付いてふわりと微笑んだ。
「妖精の果実酒を漬けるのに必要な、薔薇林檎の実を、アーヘムに頼んでいたんです。ネア様、出来上がったらお付き合いいただけますか?」
「まぁ、いいのですか?お二人のやり取りが、なんとも仲良しさが出ていて素敵だなぁと思って見ていたのですが、凝視されてしまったせいで、私にも分け与えなければいけないような気持になってしまっていません?」
「おや、私としては、ご一緒出来る方が嬉しいですよ」
「むむ。そう言われると、執念深く楽しみにしてしまうので覚悟して下さいね」
「ええ、喜んで」
薔薇林檎の妖精果実酒は、美しい夜に漬け込む、甘酸っぱくて美味しいお酒なのだという。
アーヘムも大好きで、よく就寝前の一杯できゅっと飲むのだとか。
また一つ楽しみが出来てしまったネアは、少しでもヒルドとアーヘムが二人でも話が出来るように、ディノと一緒に先に退出させて貰う事にした。
「ああして、お友達と色々なお喋りを出来るのは、いいですよね」
「…………うん」
「あら、どうしてディノがしょんぼりしてしまうのですか?」
「…………私では、足りないかい?」
ネアはぱちりと目を瞬き、そんなことを大真面目に悩んでいる大事な魔物に唇の端を持ち上げた。
真珠色の三つ編みをそっと引っ張り、不安そうにこちらを見た魔物に微笑みかける。
「ディノはディノで、他の方には代えられない大事な私の伴侶なので、どんな時だって、誰よりも一番です。なお、先程のヒルドさんとアーヘムさんとのようなやり取りは、…………む。誰とやればいいのだ…………」
「ご主人様……………」
「アルテアさんは、ああして、久し振りに会うので頼まれていた品物を持ってきたよという感じではないですし、ウィリアムさんも少し近過ぎます。となると、…………ダナエさんでしょうか。毎年、素敵なお土産などを持って来てくれたりしますものね。後は、ディノのお友達ですが勝手にグレアムさんやギードさんも、ちょっぴりそんな感じに思ってしまっています」
「………うん」
「ふふ。少しだけ荒ぶろうとしましたが、さては、名前を選びきれませんでしたね?」
「ダナエなんて…………」
ネアは、ここでグレアムやギードには荒ぶれない魔物が大好きだったので、そろそろ、ホットチョコレート祭りが開始されるのだと、こそっと耳打ちしてやった。
いきなり背伸びをしたネアに耳元に囁かれてしまった魔物は、目元を染めてよろめいている。
そんな魔物を引き連れて部屋に戻ると、厨房の鍵を開け、先程の赤紫色の缶をぱかりと開けた。
ぷわんと、甘い香りが部屋に広がる。
「ふぁ。いい匂いですね」
「……………ほっとちょこれ…………と」
「むぅ。やっぱり、どこかで履修しませんでしたか?」
「……………したのかな」
「ですが、今回の物は、美味しく濃厚な風味に果物の甘酸っぱさのある素敵なやつです。これを、……………専用のスプーンですくってカップに入れて……」
「入れる…………」
ごくりと息を呑んだ魔物は、そこに、水色のケトルからお湯を注ぐネアの手元を真剣に見ている。
お湯は部屋を出る前に沸かしてあったので、保温魔術が温度を保ってくれていた。
こぽこぽとお湯を注ぎ、うっかり浮かび上がってしまった粉をまたスプーンでかき混ぜて沈めると、ネアは、素敵なホットチョコレートの完成に目を輝かせた。
どんな規則性なのかは分からないが、やはりこの飲み物は晩秋から冬にかけての特別なものという感じがした。
今日使っているのは、ホットワインの屋台から持ち帰ってきた白灰色のマグカップで、ワンポイントの金色の絵柄で繊細なウィームの街並みが描かれている。
その日付を見て、ああ前のイブメリアの時期のものだと思えば、何やら不思議な感慨深さもあった。
「はい。出来ましたよ。気に入るかどうかが分からないので、まずは少なめに。気に入ればお代わりを作ってあげますが、私などはこれくらい飲めば満足してしまう方なので、ディノも、もういいかなと思ったら、無理にお代わりしなくていいですからね」
「うん。……………あまり沢山飲まなくてもいいものなのだね?」
「チョコレートが大好きな方や、この飲み物が大好きな方もいます。ですが私は、どちらかと言えば冬場の飲み物はミルクティーやホットワイン派なので、ごくごく沢山飲むというよりは、こうして、おやつをいただくような感じで楽しむものなのです」
そんな説明にこくりと頷き、ディノは、大人しくネアの向かいに座った。
時々隣がいいと荒ぶる魔物だが、今日は二人で向かい合って座ってくれるようだ。
慎重な手つきでカップを取り上げ、はふはふと一口飲み、目元を染めた。
「……………さては気に入りましたね?」
「……………美味しいね」
「では、私も。……………むぐ!…………これは、思っていた以上に飲みやすくて、安心してたっぷり飲めてしまう危険な飲み物ではありませんか。…………美味しいですねぇ」
「うん。…………爪先を動かしてしまうのかい?」
「美味しいものに出会ったので、その感動の舞なのですよ。なお、お外だと行儀が悪いとされる場合もあるので、控えめにしたり、我慢したりします。でも今は、ディノと二人きりですからね」
窓の向こうには、この厨房だけの景色が広がっている。
だがネアは、我儘にも、リーエンベルクの窓から見える灰色のこの季節の空が見たいなと思った。
近付いてきている祝祭の気配を感じ、美味しいものを飲んでディノとぬくぬくして過ごす午後は、この上ない贅沢だろう。
そんな事を考えていたら、どこかで、しゃりんと澄んだ音が聞こえた。
それはこの影絵の向こうの菜園かもしれないし、厨房を出た自室の窓の向こうのリーエンベルクの中庭や禁足地の森かもしれない。
(きっと、どこかで祝福結晶が生まれたのだ……………)
そんな不思議な音を自然に受け流せるようになった自分に気付き、ネアは眉を持ち上げる。
イブメリアに向かうウィームの街を初めて見た日の感動は忘れないが、こうして、いつの間にか当たり前になってゆくこともあるのかもしれない。
この世界にはまだまだ知らない事ばかりだと思う事もあるけれど、こうしてゆっくりと体に馴染み、ネアの日常になってゆくことも多いのだろう。
そう考えてどこか誇らしい気持ちで頷いたネアは、すぐにそんな己の認識の甘さを思い知らされる事になる。
「おや、雪梟が生まれたようだね」
「……………なぬ」
聞き覚えのある筈のその音は、どうやら、ご新規の生き物の生まれ落ちる音だったらしい。




