遠い夜と選択の領域
こつこつと響く靴音に、ざあっと水音が重なる。
シーヴェルノートのとある橋の手前で、はらはらと舞い散る赤紫色の花びらがあった。
その先から誰かがやって来る訳ではないのだが、とは言え時折、そこから迷い込む者がいると言う者もいる。
ここは世界の境界であるし、こちらからは霧に包まれて見えなくなっているその先に進もうとは思わないが、あちら側からの訪問者に知らずに出会う事もあるのかもしれない。
ふとそんな事を思い、苦笑する。
境界の魔術を解析していた術式を閉じると、舞い散っていた花びらがふつりと消えた。
「弔いの花のようだな。それはそうと、この辺りは俺の領分だ。あまり荒らすなよ」
「………お前が我が物顔で管理しているだけで、本来はウィリアムの領域だがな」
「勝手に土地の魔術なんぞを測っていた以上、お前もそう言われるかもしれんぞ。もし、今日あの橋の向こうからこちらに迷い込む者がいれば、こちら側は選択の領域だと勘違いしかねん」
「そもそもいないだろ」
「さて。この辺りで暮らしている連中が、今朝は見慣れない者を見たと話していたぞ。うっかり選択の魔術領域なんぞに触れたら厄介だろう」
「ほお、それなら、歓迎の花だとでも思うだろうさ」
そう言えば、グラフィーツは肩を竦めて立ち去っていった。
ひたひたと足下に届いた深い霧に、微かに眉を顰めて帽子を被り直す。
こつりと杖を地面に打ち付け、橋の向こうの世界の境界の侵食を退けた。
もし、本当に橋の向こうに見知らぬ土地があるのだとして、向こうからやって来るものなら兎も角、こちら側のものを持ち去られるのは御免だ。
そうして重ねて引いた境界のせいでうっかりこちらに来てしまったものが帰れなくなるのだとしても、そこから先は、こちら側のものとして身を馴染ませるしかない。
最後に一枚だけ残っていた花びらが、どこからかはらりと舞い落ち、地面に触れる前にさあっと消えた。
「………まぁ、案外こちらが気に入るかもしれんがな」
先程のグラフィーツの言葉のせいだろう。
あの橋の向こうから迷い込んだ者が、死者の日あたりに地上に迷い出て、そのまま当たり前のように地上で暮らしているかもしれないと考え、小さく微笑む。
もし、本当に今日この橋を渡って来た者がいれば、確かに、うっかり探索の魔術を踏み、この系譜に連なっているかもしれない。
とは言え、そうなるのだとしても、それはもうこちら側のものなのだ。
案外、ウィームあたりで素知らぬ顔をして暮らしているかもしれない。
そう考えて淡い転移を踏み、イブメリアの気配が漂い始めたウィームの街並みを歩き、これまでとこれからの遠い夜に思いを馳せた。
広場の屋台に並ぶ人間達の中には、迷い子も多い。
その中にもし、橋の向こうから迷い込んだ誰かがいたとしても、ウィームの住人達はちっとも気にしないだろう。
本日の更新はお休みでしたので、短いお話を上げさせていただきました。
この作品に、長らく寄り添ってくれた大事な方の為に、今日からここにシーヴェルノートの橋の場所を示しておきますね。
もし気が向けば、是非、ウィームに遊びに来て下さい!




