リンデルと祝祭のオーナメント
ちらちらと揺れる柔らかな季節の気配に、ネアは唇の端を持ち上げた。
今日は、一昨日のお泊まりでは疲弊しきっていてへなへなだったウィリアムが、やっとリンデルを受け取りに来る日なのだ。
喜んでくれるかなと思えばうきうきしてしまい、いつもより早い時間に目を覚ましてしまった。
むくりと起き上がり顔を洗いに行くと、最近、小瓶からプッシュ式の素敵な入れ物に変更された顔用クリームをぬりぬりする。
「ネア?」
「………ひょいっと塗るとクリームが余るのですが、アルテアさんは一押ししたものを全て使い切るようにと話していました。………手に塗って誤魔化してもいいのでしょうか?」
「目の下は二回塗るのではなかったかい?」
「………は!」
申し付けられていたクリームの運用を思い出した人間は、残ったクリームを目の下に重ね塗りし、こっそり次回からは押しを浅くしようと考えた。
何とも邪悪な企みだが、世の中を上手く渡ってゆく為には、時としてこのような策も必要なのだ。
そんな事を考えながら服を着替えて会食堂に向かえば、なぜか、その道中でしょんぼりめのノアを見付けた。
「ノア?」
「…………ネア」
「まぁ。どうしてしょんぼりなのです?」
「エーダリアがさ、フィアンの転入書類が完璧だったって、昨日も話していたんだよ。………僕さ、そういう書類とか書いてないんだよね………」
「となるとやはり、フィアンさんは、エーダリア様の会の方なのですか?」
「あ、そっちはジッタの会ね」
「な、なぬ………ジッタさん………」
「ジッタってさ、かなり面倒見がいいらしくて、特に、普段はあんまり本音で話せる仲間がいないような高位の人外者の常連客が多いらしいんだよね。僕も、ネアかエーダリアかなって思って、両陣営に聞いてみたんだ。そうしたら、バンルがジッタに懐いてるって教えてくれたんだ」
「かいなどありません………」
「ありゃ。………フィアンはさ、ジッタのパン屋に通う為にウィームに移住したみたいなんだ。手の感覚だけで同じ大きさのパン生地を切り分けられるのも凄いと思っているみたいだし、他の客がいない時にジッタと少しお喋りするのも楽しみにしているみたいだよ」
「あらあら。思っていたよりも柔らかな理由でしたね。………あの矢も、ジッタさん絡みなのです……?」
「ジッタが、シルを気に入っているからじゃないかな?ほら、クロウウィンの一件でネアが目を覚さなくてシルが落ち込んでいた時があったでしょ。その間、ジッタがかなり心配していたみたいだからさ」
「まぁ。…………という事は、ディノへのメッセージだったのですね……?」
「うん。フィアンが気に入っているのはジッタだけど、結果としてこっちにも手を貸してくれるならそれはそれでいいのかなとも思うんだ。…………でも、エーダリアやヒルドと仲良くするのは、控えて欲しいけれどね」
「ジッタを気に入っていたのだね………」
まだジッタにとても可愛がられている実感のない魔物は困惑したように目を瞬いていたが、ジッタが心配してしまわないよう、フィアンがあの矢にメッセージを込めてくれたらしいと説明するとこくりと頷いた。
ディノ自身もジッタには懐き始めており、出会うと声をかけてくれるし、市場のキノコ専門店のおかみさんから守ってくれる優しい人間という認識になりつつあるらしい。
「因みにノアは、転入の書類を書いていなかったので、落ち込んでしまったのですよね?」
「………はぁ。ヒルドもフィアンを何回も褒めるんだよ」
「ふふ。ではそんなお二人に、フィアンさんとノアのどちらが好きか尋ねてみては?私の予想では、単なる書類が完璧な見知らぬ精霊さんよりも、仲良しで家族であるノアの方が大好きだと答えてくれるに違いないのです!」
「え、また泣かせてくる………」
けれども、ノアはその返答について考えてみたところ、少しだけ元気が出たようだ。
ネアはくすりと笑い、こうして小さな事で落ち込んだり喜んだりしてしまう、人間よりも遥かに長くを生きてきた生き物の無垢さを思う。
今日のウィームは珍しく本降りの雨で、ぱたぱたと雨粒が窓を叩く音が聞こえてくる。
昨晩まで残っていた落葉樹の葉は全て落ちてしまい、晩秋から初冬にかけて鮮やかな真紅に変わる楓の葉は、ちらほらと鮮やかな赤に染まりつつあった。
会食堂が近付いてくれば、ぷわんと焼きたてのパンのいい匂いがしてくる。
「ウィリアムさんは、朝食後に来てくれるのですよね?」
「うん。今回の仕事は時間通りに終わると思うよ。疫病の系譜の災いの沈静化と、その立ち合いだからね」
「…………むぅ。パウンドケーキ……だと甘いので、おかずサレを焼いておきましょうか」
「ネア?」
「きっと、そこでは悲しい光景を見てしまうでしょうから。それがウィリアムさんのお仕事なので私は何も干渉しませんが、お仕事終わりに美味しいおかずサレがあると、ほっこりするかもしれません」
「ウィリアムなんて………」
「あら、ディノの分も焼いておくので、お腹が空いた時に食べられますよ?」
狡猾な人間にそう言われてしまった魔物は、おかずサレを失うか、自分も貰えるかでとても迷い、後者を選択してくれた。
「食べる…………」
「では、ディノの分も一緒に焼きましょうね!好きな具材を考えておいて下さい」
「チーズかな……」
「わーお。さすが僕の妹だなぁ」
「ふふ。ウィリアムさんが、ディノの大切なお友達だからこその提案なのです。そのような方でなければ、私もおかずサレは焼きません!」
「それなら、僕の分もある?」
「ノアも食べます?」
「勿論。だって、君は僕の大事な家族だからね」
三人は、おかずサレの具材について話し合いながら、会食堂に入った。
ネアの義兄は、席につくなり先程の質問をエーダリアとヒルドに投げかけていたが、少しだけ緊張してしまったのかもじもじし過ぎてしまい、愛の告白かなという雰囲気になった。
その結果、エーダリアがおろおろする場面があったものの、無事に望んでいた答えを得られたようだ。
朝食の素敵なメニューについては、多くを語るまい。
魚をほろほろにした香草と鯖のリエットを添えたパンは、しっかりとしたもちもち具合が好相性な少し酸味のある黒パンで、スープはジャガイモのあつあつポタージュだ。
チーズたっぷりの鶏肉のクネルと、こちらもほこほこのトマトと牛の内臓の煮込みは少しずつお皿に盛り付けられている。
内臓系の料理はリーエンベルクでは珍しいのだが、どうやら、そちらの系統をあまり食べなかったエーダリアの嗜好に合うレシピが見付かったらしい。
「…………トリッパを食べると、両親と最後に暮らした土地を思い出します。ほんの少しだけ、ヴェルリアにも似ているのですよ」
「オリーブと、檸檬の木がある土地だったのだよね」
「ええ。………不思議ですね。この世界に来たばかりの頃は上手く話せなかった事なのに、今は少しずつですがあの頃の事を構えずに思い出せるようになってきました」
「………ネア、こちらのサラミをもう一枚食べるかい?」
「むむ。分けてくれるのです?」
「うん。君が好きなものだからね」
大事な伴侶がそう微笑むから、ネアは、そんなディノには焼き立てを切り分けたキッシュを一つ贈っておいた。
リーエンベルクのキッシュは、しっかりとしたおかずにするときはケーキカットとなるのだが、一口大に切ってサラダに添えてくれる時もある。
今朝は、そのサラダキッシュであった。
もぐもぐと美味しい朝食を食べながら、いろいろな事を考える。
少しだけそわそわしていて、やっとこの日を迎えたという喜びは可憐な花のブーケのよう。
(………特別な贈り物を待つ時は、どこか、はらはらわくわくとした不思議な高揚感があるものだ)
けれども、それを贈る側にも同じように浮き足立つ感覚があるのだから、贈り物の宿す喜びはなんと平等なのだろう。
ネアは贈られるのも大好きだし、贈るのも大好きなのだが、それが、こうして家族やその他の特別な人達と出会わなければ得られない贅沢ならば、いっそうに。
(…………今の私には、騎士としての魔術を結んでくれた人がいる)
子供の頃から憧れていた白い騎士服の騎士とは少し違うけれど、それでもその人は、白いケープを翻して穏やかに微笑む頼もしい人なのだ。
伴侶が出来て、家があって、自分の稼ぎで大切な人達に贈り物を買えて、美味しい食事を楽しめるようになった。
誰かと手を繋いで祝祭の街並みを歩き、ユーリと二人で約束したペットがとうとう飼えなかった代わりに、伴侶や義兄は素敵なもふもふになってくれる。
竜は飼えないけれど仲良しの竜がいて、こんな雨音の響く日にピアノの前に座ってもわあっと声を上げて咽び泣きたくはならない。
僅かな気温差でも熱を出さなくなったし、でも、今でもあの頃の癖で、誰かが自分の大切なものを奪いやしないかと腕の中に囲い込んで隠してしまいたくなる。
その為であれば何の躊躇いもなく戦えそうなのだから、多分ネアは怪物のままなのだろう。
けれども、物語の中では不遇なばかりの怪物だが、なんと今日は、騎士の誓いを経た大切な友人にお守りを贈る事が出来るのだ。
こんなお伽噺の展開は、本来なら身も心も清廉なお姫様だけのご褒美の筈なのに。
でも今のネアにはその贅沢が許されていて、それが堪らなく嬉しかった。
「………この箱の中のリンデルが、どうかこれからウィリアムさんを守ってくれますように」
「そうだね。ウィリアムも、きっと喜んでくれると思うよ」
「ディノ、こうしてアルテアさんやウィリアムさんに、リンデルを贈る事を許してくれて、有難うございます。私の伴侶がこんなにも優しい魔物なので、私は、こんなに沢山の宝物を手に入れられてしまいました」
朝食が終わり、外客との待ち合わせに良い立地の部屋の一つで、ウィリアムの訪問を待ちながらそう言えば、こちらを見た美しい美しい魔物は、水紺色の瞳を揺らしてはっとする程に艶やかに微笑んだ。
こんな時のディノは、震える程に美しい。
繊細でどこか酷薄な程に見える美貌が、愛おしげで優しい微笑みを浮かべると大輪の花が咲いたようではないか。
「君には、沢山の物を持っていて欲しいんだ。………それに、そうして集めた守護が、やはり君を守ってくれたからね」
「ええ。でもそれは、最初にディノが選び、そう願ってくれる事が出来た優しい魔物だから叶えられたものなのですよ。なので、私が幸せで、おまけにこの上なく守られているのは、やはり、私の伴侶がディノだからこそなのです」
「…………うん。………ネアが可愛い」
「あらあら、もう少し頑張って生きていて下さいね。ウィリアムさんも、リンデルを受け取る時に、ディノがいてくれた方が嬉しい筈ですから」
「そうなのかな」
「勿論ですよ。ウィリアムさんは、ディノの事が大好きですから。でも、私も負けません!」
「…………ずるい」
その時、こつこつと扉が鳴った。
ネアはぱっと目を輝かせ、ディノが、どうぞと入室の許可を出す。
こんな時、ウィリアムはきちんと敬意を払いディノに接しているが、ネアは、そんな終焉の魔物がちょっぴり我を通す時が好きだ。
ただのディノの友人の一人になってくれて、大事な魔物の側にずっといてくれた人の目をする時が、堪らなく好きなのだ。
「やあ。………これは、………照れるな」
「ウィリアムさん、お待ちしていました!」
扉を開けて入ってきたウィリアムは、手にしていた帽子をすいっと消しながら、純白の軍服のケープを揺らして苦笑した。
だがすぐに、テーブルの上に置かれたリンデルの箱に視線を向け、微かに目元を染めている。
なお、箱が二つになっているのは、リンデルを通して首からかける鎖もあるからだった。
「では、…」
「そうだな、受け取ろう」
「…………まぁ」
「………っ、…………すまない。意気込み過ぎたな」
ちょっぴり張り切って言葉を重ねてしまった終焉の魔物が片手で目元を覆ってしまい、ネアはくすりと笑う。
アルテアの時のように誕生日の贈り物には出来なかったが、だからこそ、このとっておきの品物を贈る日をネアも楽しみにしてきたのだ。
本当なら、もっと早くに渡しておきたかった物なのだ。
「ウィリアム、座るかい?」
「いえ、受け取る時はやはり、騎士としての作法がいいと思います。…………ですが、その前に何か飲み物を貰っても?」
「むむ!香辛料と生姜の紅茶と、星明かりのアッサム、夜蓮華とバイオリンの紅茶があります。冷たい氷柱の祝福のお水と、雪毛長牛の牛乳もありますからね」
「………夜蓮華を貰うよ。ネア、少しだけ時間をくれ。…………喉が急にからからになった」
「む。私も少しどきどきしてきたので、星明かりのお茶をいただきますね」
かくして、ネア達はまずは喉を潤し、仕切り直してから、リンデルの授与式を始める事にした。
リンデルに結ぶ言葉を決めて守護の形を狭めないように、今回は、言葉による誓約は結ばないようにする。
ただ、受け渡しの際に添える簡単で短い言葉に、万感の思いを込めるばかりなのだ。
「このリンデルが、ウィリアムさんを守ってくれますように」
「……………有難う」
その声は僅かに震えただろうか。
騎士としてネアの正面に片膝を突いてはいるものの、騎士として傅くことを誓う受領ではなかった。
あくまでもあの誓約は、ウィリアムがリンデルを受け取れるようにする為のものなのだ。
それでもウィリアムは、その為に整えた契約も嬉しかったからと、騎士の作法で跪いてくれている。
綺麗な包装紙に包まれた小箱は、まずは一つ。
鎖も贈り物の一つなのだが、ここで、最初にウィリアムの手に授けられるべきなのはリンデルなのだから。
ネアは丁寧に剥がす派なのでどきりとしてしまうが、ウィリアムは、包装紙には敬意を払わない魔物だ。
ディノがおろおろしているので、ネアは、包装紙の剥がし方は人それぞれでいいのだと伝えておく。
こちらの魔物は、全ての包装紙もリボンも、何ならタグや食べ物の入れ物さえも取っておきたい系の魔物なので、破り取ってしまうとぺそりと項垂れてしまう。
現れたのは、美しい水色の天鵞絨の小箱であった。
それをぱかりと開くと、アルテアやノアの物よりは少し幅広の男性らしい形のリンデルが現れる。
この形もウィリアムが選んだ物で、鎖を通して胸元にかけておく際に、そこにあると分かるような大きさが良かったらしい。
細やかな彫り物は、注文の日にウィリアムが選んだ柊とイブメリアの夜の意匠である。
イブメリアの夜の描写は、通年で使えるようなデザインにしたオーナメントと星、そしてタッセルで示されている。
その全てが絡み合うとまるで祝祭のリースのようで、ネアもとても憧れてしまう素敵なリンデルなのだ。
「……………綺麗だな」
「ええ、とっても。裏側にはメッセージと、最後に決めたローズマリーの花も彫られていますからね」
「………ああ。…………首から下げるなら、いつでも裏側も見られるな」
「鎖はこちらの小箱なのですよ」
「……………ああ」
「まぁ、ウィリアムさんが………」
「ウィリアムが…………」
リンデルの箱を持ったまま、ウィリアムは少しだけ目を閉じて無言でいた。
ややあって目を開いた時、その瞳が少しだけ濡れていたので、ネアはにっこりと微笑んでおく。
なお、柊はネアの印章などから考えてくれたようだが、ローズマリーの花は家族間での魔除けや厄除けのお守りを示す庶民的なお守りの花として、ウィリアムが注文に加えたモチーフだ。
そして、より身内感を出す為にと選ばれたローズマリーの花には、かつて枕のタグに記された文字が添えられている。
終焉を齎す者として、そして死者の王として。
その過酷な仕事に日々従事して心を削っているウィリアムに、このリンデルを通して、ここにいるみんなは味方だよと伝えられたのなら、少しは疲弊してゆく心が休まるだろうか。
(でも、微々たる力でしかないのだとしても、こうした品物が、少しでもウィリアムさんの心を守ってくれたらいいな…………)
「ネア、有難う。………シルハーン、有難うございます」
「うん。漸く君にも渡せたね」
「ウィリアムさんを守ってくれる物なので、壊れてしまったらいつでも言って下さいね。その時は新しい物に交換しましょう」
「いや、そんな事にならないよう、今後、不安の種は早めに取り除く方向にしていこうと思っている。それでもいつかは交換となってしまう可能性があるにせよ、この最初のリンデルを可能な限り手元に置いておきたいんだ」
「なぬ…………」
「…………そうだね。守らなければいけない物が手元にあれば、君も少し動き方を変えるだろう。終焉の足元は何かと不安定な事も多い。あまり無理はしないようにね」
「シルハーン……………」
淡く微笑んだディノの言葉に、ウィリアムが目を瞠る。
ネアは、ウィリアムがいなくなってしまうと感じ、それを何としてもと止めようとした、蝕の時のディノの事を思い出した。
それでは嫌だと思いディノが伸ばした手もまた、今のウィリアムを確実に繋いでいる。
だから、そんな事を言われてしまったウィリアムがまたおろおろしていても、ネアは何て素敵な光景だろうかとにんまりしておいた。
「…………今は安全な場所だからな。このまま指に嵌めておくよ……」
男性らしい大きな手に、リンデルが嵌められた。
細工が光を細やかに反射させ、温かみのある白銀の指貫は、ウィリアムの長い指にぴったりに見える。
ディノやノア、アルテアなどよりは骨っぽい大きな手だからか、華奢なリンデルより、こちらの少し幅広のリンデルがよく似合う。
「大きさは大丈夫でしたか?」
「ああ。ぴったりだ。…………外したくなくなるな」
「ふふ。気に入っていただけたようで良かったです!………このタッセルなどが絡み合ってリースのようになる構図が、何度見ても素敵ですね。まるで、物語の中に出てくる宝物のようです」
「宝物なのは間違いない。これ以上の贈り物はもうないだろうな」
「あら、まだイブメリアもありますし、次のお誕生日もありますから、そんな風に油断しているとびっくりしてしまいますよ?」
ネアの言葉に、ウィリアムが目を瞬いた。
途方に暮れたようにこちらを見てから、ゆっくりと頷く。
「………そうか。これから、………これからもあるんだものな」
「ええ。そのこれからは私にとっての宝物でも、そしてディノにとっての宝物でもあります。ウィリアムさんも楽しみにしていて下さいね」
「…………ああ」
そっと、リンデルを嵌めた指をもう片方の手で覆い、ウィリアムがほろりと微笑んだ。
嬉しそうに、どこか途方に暮れたように微笑む姿は、ちょっとだけいつものディノに似ている。
手のひらの覆いを外してリンデルに落とした口付けは、終焉の魔物なりの守護をその指貫に宿したのだろうか。
(リンデルはお守りの筈なのに、ノアもアルテアさんも、そうして守護をかけてしまったのだ………)
でもきっと、彼等よりも日々の環境が過酷であるウィリアムのリンデルは、必ず交換の日が来るだろう。
だからネアは、既に交換の予約と材料の確保もお店に頼んでいる。
調香の魔物への注文の経験から、ネアは、職人による手作業の品物は、常にその職人達の状態も含めて今後のメンテナンスの計画を考えるようにしてある。
幸い、あのお店のリンデルは、複数の職人で作られる物なので、特定の人物がいなくなったら作れなくなってしまうという品物ではないらしい。
惜しみなく使い、壊れたら保管して貰っている図案でまた作り直すというのは、ウィームに於ける古くからのリンデルの使い方なので、ウィリアムにもそのように安心して使っていって欲しかった。
「それと、これはおまけなのです」
「ネア?」
「ディノが見付けたのですよ。ウィリアムさんのリンデルに彫られている絵柄そっくりのオーナメントです。ちびオーナメントですが、おまけ感が出ていいかなと思い付けてしまいましたので、持ち帰ってあげてくれますか?」
「それも、貰っていいのか?」
「はい!」
ネアが差し出したのは、透明な袋に入って金色の可愛いリボン型のシールで封をされた、屋台のお土産だ。
この季節はリースやオーナメントの屋台が街角に現れ始めるのだが、その中の一つの、小さな卓上飾り木用のオーナメントに、ウィリアムのリンデルの絵柄そっくりの品物があったので買わずにはいられなかった。
小さな物なので、どこかにひょいとかけておいてくれれば嬉しいし、そうしなくても、こんなおまけが付いてきたのだとくすりと笑ってくれればいいと思う。
「最高の贈り物だ。…………大事にするよ」
「むぐ?!ぎゅっと抱き締められてしまうくらい喜んで貰えたので、この贈り物は大成功ですね!」
「ウィリアムなんて………」
「ディノも加わります?」
「…………いいかな」
ネアとしては、ここで三人で抱き合うのも良いかなと思ったが、ディノはふるふると首を横に振ったので、まだこのようなやり取りは苦手であるらしい。
ウィリアムはその後、リンデルを鎖に通して首から下げてみたりもしたが、やはり今日は指に嵌めておきたいとそのままでいる事にしていた。
ネアは嬉しそうにリンデルを見ているウィリアムの姿に、ディノと顔を見合わせて微笑む。
もう二度と悲しい事が起こらないようにとは言えないが、天秤の傾きを喜びや安堵に傾けておくのは重要な事だと思う。
だから何度でも、あの小さな銀色の輝きに願うのだ。
どうかどうか、大切な人達がずっと健やかでありますようにと。
「さて、ここで本日のリーエンベルクのお昼なのですが、燻製鮭とケッパーとクリームチーズの温かなサンドイッチと、温野菜のグラタンに牛コンソメのスープなのですよ。ウィリアムさんも如何ですか?」
「美味しそうだな。食べていっても?」
「ええ。勿論です!今日のお昼のメニューは、ゼノが運河沿いのお店で食べてとても美味しかった料理をエーダリア様の為に再現した物なので、ヒルドさんから、ウィリアムさんも食べていけるようであれば是非にと言われていましたから」
「そうなんだな。後で、ヒルドにもお礼を言っておくよ」
「足りなければ、騎士さん達のメニューに足される鶏肉のチーズの包み焼きもありますからね。………ただ、実は私もおかずサレを焼いたので、それもお土産にして渡してしまおうと企んでいるのですよ。小腹が空いた時にぱくりと食べられるなかなかいいお土産の筈なので、後でお渡ししますね」
「それは心強いな。ネアの手作りなら、大切に食べないとだ」
白金の瞳を細め微笑んだウィリアムは、何度もリンデルの存在を確認するように指先を動かしている。
なのでネアは、それに対抗するべく、自分のリンデルを付けた義兄が会食堂で待ち構えている事は内緒にしておいた。
嬉しそうにリンデルを見ているウィリアムの横顔を見て、ディノも淡く微笑んでいた。
そんな優しい伴侶がとても好きで、ネアもまた笑顔になってしまう。
(ああ、こうしてウィリアムさんにもリンデルを贈れて良かったな)
そう思いながら隣の伴侶を見上げると、なぜか目元を染めた魔物がそっと三つ編みを差し出してきた。
なお、仕事場に戻ったウィリアムを見た系譜の人外者達は、指輪をして戻ってきた系譜の王の姿に騒然としたようだ。
ウィリアムがご機嫌で働いたお陰かその日の鳥籠仕舞いはとても早く、終焉の系譜の者達は、終焉の魔物の指に輝くあれは何だったのかと話し合う為に、仲のいい者達が連れ立って仕事終わりで飲みに行ったらしい。
きらきら光る指貫に触れようとしたイブリースがぺいっと放り投げられたのも有名な話で、終焉の系譜の者達の間では、終焉の魔物が狂乱でもしたら大変な事になるので、その指輪は傷付けてはならないという暗黙の了解が生まれたのだとか。
リーエンベルクには、グレアムを経由してのギードからの感謝状が届いた。
戦場では、はらはらと絶望の花びらを降らせている事が多かったウィリアムが、最近はにこにこしていると教えて貰い、ネアはぴょんと飛び跳ねてしまう。
ただ、いつもより微笑みの深い死者の王が現れる日は、どんな凄惨な戦場もあっという間に死者の行列に埋め尽くされてしまうという怪談も生まれたようなので、そちらは放っておくしかない。
こちらは身内であるので、大事な騎士が手早く仕事を片付けてしまえるのなら、それに越した事はないのだ。




