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美味しい良薬と食後のデザート




その日の朝は、からりと晴れた。


リーエンベルクに一人の客人が訪れたその日、ウィーム中央のスープ専門店には、新作のスープの売り出しを知らせる黒板が立てられたらしい。


なんと、秋摘みのお茶を使った微かにほろ苦いスープは、沢山の香辛料と共にじっくり煮込まれた秋草牛のスープと合わせ、尚且つたっぷりのキノコ、そして鶏団子が入っているのだそうだ。

あっという間に、領民達の美味しい話題となっているという。



なんと、そのスープは、魔術の効果が悪さをするような、体の古傷の記憶を消すのだ。

とは言え、辿って消せる記憶は百年余りなので、それ以上古いものは諦めるしかない。

だが、それだけでもとんでもないのだと青ざめている塩の魔物を見ていると、スープの魔術師が起こした奇跡は、なかなかの事のようだ。



「ネア、久し振りだな。……………大丈夫だったのか?」


外部客の招待口である部屋で再会するなり、紫色の瞳を細め、アレクシスはすぐにそう聞いてくれる。


ウィームに帰るなりお店の新作スープを作り、そして、ネアとエーダリア、更にはウィリアムの為にも、体にいいスープを作ってリーエンベルクに来てくれたたいそうな働き者だ。

ダリル曰くスープの狂人だそうで、本人が幸せなのが幸いだが、ネアからするとアレクシス自身も疲れていないだろうかと心配になってしまう。


スープを愛する者は、スープの魔術師を慈しむのだ。



「アレクシスさん!今日は、来て下さって有難うございます。少し怖い事がありましたが、ディノや、ウィリアムさんが守ってくれたのですよ。ディノ曰く、これ迄に飲んだアレクシスさんのスープも、守護を助けるのに良い影響になったという事でした」

「ああ。そうした様々な事態に多角的に対応出来るよう、色々なものを飲ませてきたつもりだが、…………死者の怨嗟か。祝福の形をしているだけに、少し厄介だったな。対策出来ていなくてすまなかった」

「むむ。……………美味しいスープが飲めるだけでも幸せなのに、そんなご心配までをかけてしまうつもりはなかったのですが、……………」

「いや、気にしないでくれ。ネアはもう、俺の娘みたいなものだからな」

「まぁ、お父さんなのです?」



こてんと首を傾げて微笑むと、アレクシスは頭を撫でてくれた。

するとなぜか、確かにお父さん感があり、ネアは目を丸くしてしまう。


何だか胸がほこほこしてきて嬉しくなったのだが、隣のディノが途方に暮れているので、人間にはこのようにして父のような存在や母のような存在という、向ける気持ちを家族の愛情に例える表現があるのだと教えてやった。


「……………本当に、君の家族になってしまう訳ではないのだね?」

「ふふ。あくまでも、表現上のものですから」

「だが、書類上や魔術の庇護の上で疑似家族が必要なら、俺に声をかけてくれ。いつでも、娘と義理の息子を歓迎する」

「まぁ、その場合はアレクシスさんが、ディノの義理のお父様に?」

「……………ご主人様」

「あらあら、さては理解の許容を超えてしまいましたね?」



おろおろする魔物を丁寧に撫でてやり、ネアはアレクシスと微笑み合う。

なぜか、一緒に迎えに出たエーダリアとヒルドが目を丸くしているが、ネアは、アレクシスが意外に面倒見がいいことをよく知っている。


高位の魔物ですら容赦なくスープにしてしまう危険な魔術師というばかりが、アレクシスの一面ではないのだ。



「それと、外で子供見舞いに出会った。ネアにこれをと話していたぞ」

「なぬ。子供見舞いさん……………」


では本日の目的のスープの会をとなる前に、アレクシスが取り出したのは、大きな籠に入った焼き菓子やクッキーだ。

先日お見掛けして存在を把握したばかりの子供見舞いだが、今回も訪問があったのは意外であった。



「……………確かに早朝に目を覚ましましたが、昨晩はぐっすり寝た記憶ですし、以前にも弓で射られた事はないのです。………ただ、私の目の前でウィリアムさんが怪我をするのは二回目ですので、そんな状況を案じてくれたのかもしれません」

「…………このような時間にも来るのだね……………」

「話をして、中の菓子類に、繋ぎの魔術や体に影響を及ぼす祝福などがない事は確認してある。いつ食べても大丈夫だ」

「まぁ!アレクシスさんは、子供見舞いさんとお喋り出来るのですか?」

「料理や食品の振舞いという意味では、同じ系譜の魔術を扱うからな。以前に、冬の寒さに凍える子供には、焼き菓子よりもスープがいいだろうかと、別の個体ではあるが相談されたことがあるんだ」



微笑んでそう教えてくれたアレクシスに、外客用の部屋は沈黙に包まれた。


魔物達はもはやこの規格外の魔術師をどう扱っていいのかも分からないようだし、エーダリアは、子供見舞いとの会話についてもっと話を聞きたいようだ。

だが、隣に立ったヒルドから静かな目で一瞥されると、こほんと咳ばらいをして背筋を伸ばした。


「優しい獣さんなのですね……………」

「ああ。彼等は優しい生き物だ。特に、ネアはこういう目に遭う事が多いから、皆で心配していると話していた」

「……………おかしいです。なぜ、個人として認識されているのだ………」

「クロウウィンのザハの限定焼き菓子も入っているらしい。今回は、祝祭を逃した子供の為に、特別な菓子なのだそうだ」

「子供見舞い様!」



ネアは嬉しくて弾んでしまい、こちらをじっと観察しているアルテアに少しだけ慄いた。


この使い魔がまだリーエンベルクに留まっているのは、ご主人様の食欲が戻るのを確認しているからであるらしい。

とは言え、まだ大きな感情が動いたばかりで胸が張り詰めており、ネアは、いつものように沢山は食べられないのだ。


リーエンベルクで体を休めているウィリアムが元気になれば、ほっとして沢山食べられるかもしれない。

でもそれは、急ぐ事ではないと考えていた。



「……………空腹なら、それも食べておけ」

「む、むぐ。……………スープをいただくので、午後のお茶の時間にしますね。…………そう言った途端に、皆でざわざわするのをやめるのだ!」


ネアは、仮にも淑女に対し、食い意地が張っていないから不調だと決めつけるのはやめて欲しいと怒りに弾んだが、すっと伸ばされたアレクシスの手が額に触れると、むぐぐっと眉を寄せる。


「ねつはありません……………」

「いや、測っているのは別の要素だ。人間の食楽は安堵や喜びに結ぶものだからな。……………持ってきたスープの他にも、もう一品足した方がいいかもしれない」

「……………この子は、私達も気付かないような不調を抱えているのかい?」


心配になってしまったのか、そう尋ねたのはディノだ。

不安そうに水紺色の瞳を揺らした魔物に、アレクシスが柔らかく微笑み首を横に振る。


「肉体的な損傷や、魔術の影響ではないから安心していい。……………だが、魔術を生まれながらにして持たない人間は、心の在り様や記憶の残響を整える手段がないまま、体に影響が出る事がある。人外者であれば魔術で身を清められるのに対し、人間の多くはそれが出来ずに入浴するのと同じような、魔術調整での治癒が難しい人間なりの体調の崩し方だ。だがこれは、必要な措置を取り心を整えれば、また元気になる」

「では、任せてもいいかい?」

「ああ。勿論だ。君にもスープを作ってあるから、一緒に飲むように」

「私にも、……………なのかい?」

「ああ。会長……………知り合いからも頼まれているし、ジッタが心配していたからな。来年のクロウウィン迄には、ジッタも死者に損なわれなくなるパンを作ると話していた」

「わーお、パンって何だったっけ……………」



それまでエーダリアの後ろで大人しくしていたノアも、呆然と呟いている。

困惑したような目をしているアルテアは、ちびふわなら、尻尾がけばけばになっているところだろう。



「手持ちの材料で一品足したいのだが、この壁に一時的に厨房を作り付けても構わないだろうか」


アレクシスがそう尋ねたのは、ヒルドだ。


「ええ。構いませんが、リーエンベルクの厨房を貸しましょうか?」

「いや、自分の厨房に勝る物はない。この部屋の排他魔術には触れないので安心してくれ」

「ありゃ。触れない併設空間が作れるってだけでも、かなり驚きなんだけど……………」


ヒルドを困惑させ、ノアを呆然とさせたまま、アレクシスは何でもない外客の間の壁に触れた。

途端に簡素な扉が現れ、何の躊躇いもなくその扉を開く。

目を丸くしてその奥を覗き込んだネアには、こういう事もあるだろうかと思い持ってきたと話してくれる。

ネアの厨房と同じようなものらしいが、魔術承認もなく、リーエンベルクの排他魔術に引っかからないのも珍しい。



「ふむ。アレクシスさんは、やはり自身の厨房などを持ち歩けるようにしているのですねぇ」

「いや、おかしいだろうが。お前の厨房ですら、鍵穴という対価術式を動かして展開しているんだぞ?!」

「……………む?」

「え、……………何で人間なんだろう」

「ノアが、心の迷路に入ってしまいました………」

「やれやれ、エーダリア様?」

「っ、……………い、いや、どのような術式展開になっているのか、気になってだな……………」



扉の奥では、ざあっと水を流す音がしている。

すぐに、とととんという、リズミカルな具材を切る音がしているので、手際よくスープの種類を増やしてくれているのだろう。


アルテアとノアも、扉の向こうでどんな調理が行われているのか、興味津々のようだ。

だが、アレクシスはほんの少ししか扉を開けてゆかなかったので、絶妙な角度で見えないらしい。

どこまでも、魔物達を振り回してしまうスープの魔術師なのだ。



「……………では、ディノ、お願いしてもいいですか?」

「うん。ウィリアムを連れて来るよ」


この間にと、こちらに搬入されるのはまだ本調子ではない終焉の魔物だ。

幸いにもというか、ここまでもと言うべきかは分からないが、アレクシスは終焉の魔物の本来の姿も名前も知っているので、擬態をしたり名前を隠す必要はない。


だが、昨晩に目を覚ましていた時に、厄介な仕事の指示と終焉の魔術の切り出しが必要になり、少し無理をしたのでぎりぎりまで寝台にいて貰ったのだ。

こうしてディノが迎えにゆき、とは言え精神圧でアレクシスを脅かさないよう、簡単な魔術遮蔽をした上で連れてきてくれる。



転移が使えるようにエーダリア達がリーエンベルク内部の魔術権限を変えてくれているので、この部屋までは、ディノの補助があれば一歩で辿り着けてしまう。

そんな風に部屋を訪れたウィリアムは、こうして誰かの手を借りないといけないのが気恥ずかしいのか、目元を僅かに染めての登場となった。



「……………いや、慣れないものだな。……………シルハーン、有難うございます」

「構わないよ。座って食事をするのは、問題なさそうかい?」

「ええ。それにしても、いい匂いですね。コンソメかな…………」

「むむ。私もこのスープの正体を掴むべく、くんくんしているのですが、期待が高まるばかりなのです」



そう言いながら、ネアは、準備をしておくようにとヒルドに促され、ウィリアムの隣の席に座った。

何となく、アレクシスがまだ料理中なのに申し訳なくなるが、今回はリーエンベルクから正式な注文としてくれたそうなので、スープ屋さんとお客様の構図である。


アレクシス側は、主に妹さんなおかみさんが無償で構わないと言ってくれたのだが、金銭の支払いを経る事によってより魔術付与を強固にする犠牲の魔術も敷かれているらしい。


振舞い料理は愛情を示す物だが、お金を払って買い取る料理の方が今回は魔術効果をより強く得られるという判断だったようだ。

ネアの隣にはディノが座り、ウィリアムの隣にはエーダリアが座った。

ノアとヒルドはエーダリアの背後に立ち、ネアの後ろにはアルテアが立っているので、こちらは見届け人のような感じがしてしまう。


そうして、堪らなくいい匂いにお腹を空かせること暫くの後、ほかほかと湯気を立てているスープ皿を持ったアレクシスが現れた。



「スープ様……………」

「まずは、トマトベースのスープだが、これはネア用だな。食欲の回復と心の均衡の再調整、加えて、心を弱らせる記憶の再現率を下げる祝福が得られるぞ」

「まぁ!この美味しそうなスープに、そんな効能があるのですね……………」

「記憶の、再現率を下げられるのかい……………?」

「ああ。そちらにいる選択の魔物の領域の魔術祝福と、とある蜂の集めた記憶樹の花蜜が入っている」

「え、……………僕の記憶が確かなら、その記憶樹がどこにあるのかって、シルぐらいしか知らないんじゃ……………」

「……………うん」

「魔物の中では、あまり情報を共有しないんだな。ジッタも、時々花の実を貰いに行くそうで、彼に教えて貰ったんだ」

「なぬ。ジッタさんもご存知なのですね……………」

「ありゃ。……………人間って何だろう……………」

「ノアが頭を抱えてしまいましたが、冷めない内にいただいてしまいます!」



このスープに用意されたスプーンは、具沢山の野菜スープを飲むのにぴったりな丸いスプーンだ。

分厚いベーコンにほくほくのジャガイモの入ったミネストローネのようなスープなのだが、花蜜がトマトの酸味に奥行きを出しており、仕上げに回しかけられたオリーブ油の新鮮な苦みが微かに残り、大人の味わいにしている。


じゅわっと体に染み入る温かなスープの美味しさに、ネアは、すっかり幸せな気持ちになってしまった。


そんな美味しさの感想をアレクシスに伝えると、他のお客のスープの準備をしているスープの魔術師はどこか満足気に微笑んでくれる。



「なお、ちょっぴり、アルテアさんの欠片入りです!」

「やめろ……………」

「いや、領域内の魔術祝福ってことは、ほぼそんな感じだよね。アルテアも、スープの材料にされるんだ………」

「おい、そんな訳あるか」

「……………ぎゅむ。お皿が空っぽになっています。………まさか、こんなにあっという間になくなるなんて」



ネアが悲し気にそう呟けば、はっとしたように、隣に座っているディノが体を揺らした。

こちらを見ている瞳がきらきらになり、最近はぺそりと力なく垂れていた三つ編みをそっと膝の上に載せてくれる。


おやっと思って振り返れば、アルテアもほっとしたように、額に片手を当てて大きく息を吐いているし、ノアはヒルドと微笑み合って涙ぐんでさえいる。



「……………なぜなのだ」

「ネアに食欲が戻って、皆ほっとしたんだろう。……………俺も、これで漸く安心出来た」

「むぐ。体調が優れないウィリアムさんにまで、心配されてしまうくらいなのでしょうか。……………これでも、普通にエーダリア様と同じくらいには食べているのですよ?」

「当然だ。お前は、自分が普段どれだけ食い気ばかりだと思っているんだ」

「解せぬ」



そこは、決して、乙女の心の具合を測る基準ではない筈だ。


ネアとしては食欲で全てを判断しないで欲しかったが、既に部屋の中にはお祝いムードが漂っている。

小さく足踏みしていると今度は、左端のエーダリアから順に、とろりとした白いスープが注がれたお皿が並べられた。



「じゅるり……………」

「これは、アルバンのチーズとエーデリアの花、冬野菜のビスクだ。結晶化の際に祝福を光らせるまでになった薔薇塩に、霧の祝福、夜の雫と終焉の祝福も入っている」


そんな説明を聞いてから一拍置き、ネア達は、全員がえっとなった。


皆で思わずウィリアムを見てしまい、全員から見つめられたウィリアムは、呆然とスープ皿を見ている。



「……………ノアと、ウィリアムさんなのです?」

「え、その言い方はやめて………」

「因果の系譜の祝福と、犠牲の魔術の祝福領域を宿した野菜や香辛料を使っているからな。今回の経験や知見を踏まえ、それ自体を対価とし、その行為が損なおうとした事象を禁じる効能にしてある」

「まぁ。……………という事は、この美味しいスープを飲んでしまうと、死者めの怨嗟で、ディノ達に触れられなくなるような事がなくなるのです?」

「ああ。だが、季節の祝福も使っているので効果は一年半弱だ。効果が切れる前にまた飲むようにしてくれ。俺が不在でも対応出来るよう、店にレシピを預けておくようにする」

「むむ、という事は、既に来年のクロウウィンの安全が確保されているのですね……………」

「終焉の魔物に出したスープは、このスープをベースに少し食材や香辛料に変化を付けてある。機能回復や損傷の修復も兼ねているので、結実を示す干し葡萄なども入っているな」



ネアはここで、美味しそうな匂いをたっぷりくんくんしてから、今度はちびりと飲めるよう、先が少し細くなった楕円形のスプーンでスープをいただいた。


濃厚なチーズの味わいに、微かに果実のような爽やかな香りがする。

しゃくしゃくほくほくとした野菜は、根菜類だろうか。

このスープを美味しくいただくには、パンはどこだと周囲を見回すと、くすりと笑ったアレクシスが籠に入れた、かりりと焼いた細切りトーストを出してくれた。



「むぐ!……………しゃわわせです……………こんなに美味しいなんて。この果実のような香りが、チーズのビスクの重さを軽減してくれて、後味も爽やかにしてしまうのですね。かりかりした揚げ玉葱と、さり気なく入っている自家製サルシッチャのようなお肉の組み合わせも、堪らなく美味しいのです……………ふは!」

「ネアは、いつも美味しそうに飲んでくれるな。そのパンは、ジッタの店の災厄除けのパンだ。今回のスープとの相性がいい」

「……………むぐ。このスープに浸していただくと、とんでもないご馳走になるのです。……………しゃくしゃくした食感の素敵なお野菜は、蓮根でしょうか?」

「いや、因果の祝福を宿した冬人参なんだ。白階位になるよう、祝福の蓄積を上限いっぱいまで上げている」

「人参だったのですね。………むぐ。……この、ほくほくのセロリに、胡椒もぴりりと効いていてとても美味しいです!……………ディノも、きっと大好きな味だと思いますよ」

「……………うん。美味しい……………。でも、犠牲の魔術を、このような形でスープにしてしまえるのだね……………」

「何でもありだな。……………美味しいスープだが、どれだけこの味を気に入っても、手元で再現するのは難しそうだ。彼の店に行くしかないのか……………」


どこか途方に暮れた様子が深まってしまった魔物達に対し、エーダリアは、目をきらきらさせて夢中で飲んでいるようだ。

飲みながら様々な魔術を観測しているのだろうが、静かな興奮が伝わってきてたいへん幸せそうな様子である。



がたんと音がしたので振り返ると、自前の椅子を出したアルテアが、酷く暗い目をして座り込んでいる。

ノアはなぜか、隣に立っているヒルドの肩に掴まってしまい、怖々とこちらの様子を窺っていた。


そんな背後の様子も気になったが、このスープはあつあつでこそ美味しい味のものだ。

ネアは、幸せな時間をチーズのビスクと共に過ごし、かりかりの細切りトーストとスープの奇跡的な配分調整に成功した自分の手腕を心の中で褒め称えた。


やがて、スープのお皿が空っぽになってしまい、ネアはしょんぼりと眉を下げる。



「……………ぎゅ、もうお皿しか残っていません」

「気に入ってくれたようで良かったが、効果が強い物だから一度に適量以上は飲まない方がいい」

「ふぁい。……………む、ディノももう、美味しくいただいてしまったのですね?」

「うん………。美味しい………」



隣を見れば、ディノも丁度スープを飲み終えたところだった。

ネアより少し早く飲み終えたウィリアムもどこか満足気で、そんな自分に気付き、はっとしたように白金色の瞳を瞬いている。

ネアは、ウィリアム用のスープにもちょっと興味があったが、終焉の魔物用のスープはもう一種類あるらしい。



「夜になってから、こちらのスープを飲んでおいてくれ。コラトゥーラを効かせた魚介のスープだな。香草や檸檬の香りもしてさっぱりした味になっている。これを飲めば、体力なども元通りの状態に近いところまで復調出来る筈だ」

「……………ああ、助かる。美味しそうだな……………」

「じゅるり……………」

「ネアには少し強いから、同じような味で別の材料のスープを用意してある。これは、誰がいつ飲んでもいい、疲労回復と骨折程度までであれば治癒が可能なスープだからな」

「はい!コラトゥーラの魚介スープです!!」



こちらはお鍋でどどんといただいたので、皆で飲む事が出来そうだ。


アレクシスのスープの付与魔術を紐解きたいのか、アルテアやノアもそわそわしていたので、夜にみんなでいただくのもいいかもしれない。


美味しいスープを沢山振舞い、アレクシスはにっこり微笑んでネアの頭を撫でると、あっという間にお店に帰っていった。


ウィームに帰還している間に、薬草スープなど、体の手入れをしてくれるスープを飲みに来ている常連さん用の調整と作り置きをしてゆくのだそうだ。

コラトゥーラのスープのお鍋は、お店に返却すればいいとのことであった。



「……で?ウィリアム、体調はどうなんだ?」

「……………ああ。信じられない事ですが、かなり良くなっていますね。……………彼は、凄いな……………」

「あの揃えをどう入手したのかも問題だが、どうやって、こいつにも飲ませられるスープにしたのかが、さっぱり分からん……………」

「わーお。アルテアにも分からない事があるんだ…………」

「エーダリア様、体調に変化などはありませんか?」

「ああ。あれだけの魔術付与があるのに、なぜか心身への反応は殆どないらしい。魔術の定着時に僅かに体温が上がるが、温かいスープを飲んだのでそのせいだと思えてしまうのだな…………」 



ネアは、そんなやり取りをしている家族を眺めていたが、どこからともなくテーブルの上に現れた林檎のタルトに、おおっと目を輝かせた。


慌てて横を見ると、心配そうな顔をしたディノが淡く微笑んでいる。



「食べられそうかい?食事の後には、デザートがあった方がいいのだろう?」

「まぁ、これはアルテアさんの、林檎とキャラメルのタルトなのです?」

「は?……………おい、どこから出してきたんだよ」

「アルテアの厨房に、準備があったものだよ。今なら、この子も食べられるかもしれないからね」

「美味しそうなタルトですので、勿論いただきますね!」

「……………待っていろ。生クリームを添えた方が、食べやすい」

「むむ。もっと美味しくなってしまうのです?」

「ピスタチオのジェラートでもいいが、どっちだ?」

「ピスタチオです!!」



重ねて訪れる美味しい幸せに椅子の上で弾むと、ぼさりと頭の上に載せられた手が、少し乱暴に頭を撫でてゆく。

ディノはほっとしたように微笑み、少しだけぱさぱさだった真珠色の髪の毛が綺麗に光った。


とは言え、このスープを飲んだ後は、暫くしてから僅かな眠気が出ると言われていたので、この後は皆でお昼寝となる予定である。

タルトは一切れまでで打ち止め、ネアはお昼寝に入った。


エーダリアも午後の執務を休み、今日はダリルが仕事を引き継いでくれている。

スープ一杯で今回のような事件を防げるのであれば、そのくらいの手間は気にならないと話していたらしいダリルもきっと、エーダリアがネア達のような目に遭わないと思い、ほっとしているだろう。


だが、一番安心したのはノアだったようで、大事な契約の魔物が嬉しそうにしている姿に、エーダリアも優しい微笑みを浮かべていた。



なお、このスープの評判を聞き、ゼノーシュもグラストの為に注文したのだそうだ。

元より因果の成就の祝福を持つグラストは、そもそもが今回のような事件を招かない体質であるらしく、ネア達がいただいた物よりも少し軽めのスープが用意されたらしい。



晩餐の席でコラトゥーラのスープを飲みながら、ウィリアムが、こんな風に何人もの仲間に見守られながら、体を休めたのは初めてだと告白していた。

休みが取れるならまたリーエンベルクに滞在したいと言って微笑んでいたが、終焉の系譜の者達は、一刻も早く系譜の王に戻って来て欲しいようだ。


アルテアのところにも、ナインからウィリアムの様子を尋ねる連絡が何度も入っているそうだが、残念な事に、終焉の魔物は大事を取って明日迄休養である。


ネアは、よれよれになっている死の精霊達が見えそうな気がしたが、ナインやアンセルムのような階位の人物が他にも三人はいるそうなので、どうか頑張っていただくより他にない。



ネアは、美味しいスープの後でいただくウィーム風シュニッツェルへの期待に、唇の端を持ち上げた。

食後には勿論、使い魔特製のデザートが待っているのである。













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