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179. 穏やかなクロウウィンです(本編)




ウィームはその日、クロウウィンを迎えた。




昨年のクロウウィンの不穏さを思えば、何と穏やかな収穫祭だろう。

ザルツのとある一族が忘れられていた呪いに触れたあの日、ネアは朝から大事な家族が心配でならなかったのだが、本日は、朝の会食堂に全員がのんびり揃っている。


窓の外の空を見上げると、今にも雨が降り出しそうな曇天だが、ウィームに暮らしていると霧は出るが雨は降らない程度だなという事が分かるようになるものだ。

そして、このくらい空が暗い方が、地上に上がってくる死者達は早く家に帰れる上に過ごし易いのだった。



「この後から昼にかけては、クロウウィンの儀式に出てくる。今年は、早い時間に儀式が執り行えるので、ゆっくり過ごせる家族が多いだろう」

「早めに儀式を行えない年は、ちょっぴり悲しいですよね」

「ああ。陽の差す時間のない天気だと分かれば、儀式自体は早めに行ってしまった方がいいのだ。少しでも長く家族と過ごしたいという者達が多い日だからな」



そう教えてくれたエーダリアに、ネアはこくりと頷いた。



エーダリアの前の領主がいた頃には、それらしいからという理由だけで儀式が夜に行われた事すらあるらしい。


日中が曇りでなければ、死者達がこちらに戻れるのは陽が落ちてからだ。

その、家族と過ごせる僅かな時間を、無駄に荘厳で時間のかかる儀式などで削られる側は堪ったものではない。

おまけにその当時の領主は、やっとの家族との再会を控えた者にすら、では今年はゆっくり自宅で過ごすようにとは言えない、気の利かない御仁だったようだ。



(後は、夜になってから晴れてくれれば、良いクロウウィンになるのだけれど………) 


死者達は、陽光は好まないが星や月の光を好むので、夜だけは晴れてくれるお天気が、最高のクロウウィンの条件ともいえるのだが、そこまで多くを望んでも仕方ない。

とは言え今夜は濃霧の予報であるので、ネアのよく知るサーウィンらしい雰囲気になるのかもしれなかった。



「ただ、このような穏やかなクロウウィンとなると、死者の門に入り込もうとする若者が増えたりもするからな………」

「あれはなぜ偏るのか分かりませんが、どこかでこちらの空気の緩みを敏感に感じるのでしょうね」


心配そうにそう呟いたエーダリアに答えたのは、久し振りに朝食の時間が一緒になったグラストだ。

昨年のようにリーエンベルクが大掛かりな問題を抱えている時には、なぜか、毎年起こるようなクロウウィンの小さな事件がぐぐっと減るのだそうだ。

となると今年は小さな事件が重なるに違いなく、今朝の見回りでは既にちょっとしたトラブルがあったと話していて、ゼノーシュが小さく頷く。



「あのね、門の外に黒い南瓜を持ってる女の人がいたんだよ。リーエンベルクの中も門から覗き込んでいたから、グラストが注意したんだ」

「…………なぬ。朝の見回りでもう、あの南瓜を手にした方がいたのですね…………」

「うん。街の騎士の伴侶だったんだって。浮気されて退職金を持ち逃げされたから、絶対に許さないみたい」

「ま、まさかの市場のあの奥様です……………」

「ご主人様……………」



温かな南瓜のスープを飲みながら、そう教えてくれたのはゼノーシュだ。

こちらでは収穫祭に南瓜料理はそこまで主張しないのだが、リーエンベルクの中では南瓜投げがない代わりにと庭園や森の入り口に置いたりもする。

今朝のスープは、そんなお裾分け台に載らなかった南瓜の残りらしい。


グラスト達は、どうやらネア達が昨年凄まじい戦いぶりを見てしまったご婦人に出会ったらしいのだが、こんなところにまで索敵に来ているという事は、ご夫君も、今年は対抗策を練っている可能性があるのだろう。


ディノは昨年見た光景がとても怖かったらしく、ぴゃっとなるとネアに体を寄せてきた。

なぜか、その光景を知らない筈のノアまでが震えている。



「え、何でこの近くにいるのさ…………」

「伴侶がね、リーエンベルクの友達に匿って貰おうとするかもしれないって思ったんだって。でもね、グラストが調べたら、その知り合いの騎士はもう引退していたから、今度はその騎士の故郷を訪ねるみたい」

「…………わーお。そこまでかぁ。……………震える程怖いんだけど」

「自身がそのような振る舞いをしなければ、怯える必要はないのでは?」

「エーダリア、ヒルドが冷たい……………」

「…………あの騎士は、実直で有能な男だったのだが、どうして最後にああなってしまったのだろう………」



エーダリア曰く、詳しくは話せないが、長年連れ添ったご婦人が最も怒り狂うような相手を選んでしまったらしいと聞けば、ネアはこの場に居る女性としていっそうに遠い目になってしまう。

確かに、随分と若く、尚且つなかなかに蠱惑的な体型のお嬢さんを浮気相手に選んだようだと市場で見かけた時に聞こえたような気がするので、そのようなところもあの奥方の心をたいへんに傷付けたのだろう。


以前会った事のあるエーダリアの目には理想的な夫婦に映っていたそうで、その一報を聞いた時には少なからずショックを受けたそうだ。

おまけに、夫人の宝物のエメラルドのネックレスも持って駆け落ちをしたと聞けば、ネアは、それはもう黒南瓜やむなしと判断した。


何だか折角の穏やかなクロウウィンの朝に世知辛い話題になってしまったが、血族や先祖の話などで盛り上がるといいのは夜になってからなのでと、ネア達はそれぞれにこの世の無常さについて考えながら朝食を終えた。



「今年も、四角ケーキを買いましょうね。あのお菓子は、ディノも好きだったでしょう?」

「うん……………」


部屋に戻ってからそう言えば、水紺色の瞳をきらきらさせた魔物が小さく頷く。

最近は好きな食べ物がよりはっきりしてきており、美味しかった物をまた買いに行きたいというだけでなく、祝祭などの限定のお菓子の楽しさも覚え始めたようだ。


祝祭の日に一緒に街歩きをする時にも、ネアのお供で向かうだけではなく、徐々に、あれが美味しかったというような楽しみ方もしてくれるようになってきている。

クロウウィンのような、愛情を司るような趣きがあるイブメリアや薔薇の祝祭とは違う雰囲気の祝祭であっても、一緒に過ごして街歩きなどをする特別な日という認識が育まれてきたのだろう。


温かなスープに、子供向けのホットワインや香辛料の香りのする素朴なお菓子など、この先の季節にはディノの好きな味の物も多い。


毛布好きなところから見ても、この魔物は、どちらかと言えば冬のものが嗜好に合うのかもしれないと考えたネアは、今年も何か素敵な出会いがあるだろうかと考えた。


(ディノが、もっともっと大好きなものを沢山見付けられるといいな……………)



「エーダリア様達が戻られたら、私達も街に出ましょうね。ホットワインを飲んで、あのお菓子を齧ると、幸せな気持ちになります。キャラメル林檎も外せませんし、今年はキャラメル林檎界を震撼させる美味しいお菓子が現れるのだそうですよ」

「震撼させてしまうのかい……………?」

「ええ。キャラメル林檎は伝統的なお菓子なのでと、新しい風を吹き込もうとした方がいたようですね」



その情報は、朝食の席でゼノーシュから教えて貰ったのだ。


そのお菓子は、セミドライな感じの恒例のキャラメル林檎の林檎を、細かくして細長いチョコスティックに入れ込んであるのだとか。

デコレーションに乾燥させた薔薇の花びらを砕いたものと、同じように細かく砕いたかりかりキャラメルを振りかけると、見た目も可愛い新たなお菓子が誕生する運びになる。

数日前にリノアールで試食が出ていたそうで、大聖堂前の広場の屋台だけではなく、リノアールの催事場でも取り扱うようだ。


そちらも絶対に美味しいのは間違いなく、ネアは期待のあまりに身震いしてしまう。

量り売りの祝祭のお菓子を屋台で買う醍醐味は、こちらの世界に来る迄は味わえなかったものだ。

そして、それと同じように新作のちょっとお値段の張るお菓子を買う機会も、ネアには手の届かないものであった。


「そのような物は、ずっと買えなかったのかい?」

「両親が生きていた頃は、生活への不安はなかったのですよ?加えて、私の暮らしていた国にも収穫祭の時期には祝祭があり、その日には屋台のようなものも沢山出ていました。ただ、この時期には、両親の仕事の関係でお菓子などをいただく事が多く、食べきれないお菓子を増やさないようにと、収穫祭の屋台には行った事がなかったんです」


そうして家に届くのは、贈り物として選ばれた素敵なお菓子が多かった。

勿論その頃から強欲だったネアは、屋台のお菓子を買って貰うよりも、家族でその素敵なお菓子の箱を開け、お家で過ごすサーウィンの夜の方が好きだったのだ。


だがそんな風に過ごすようになったのは、両親がちょっぴり過保護だったからかもしれない。

特に魔法の絵本をよく語り聞かせてくれた父には少し迷信深いところがあり、悪い亡霊に攫われるといけないからと大真面目に言うので、ジョーンズワース家の収穫祭は自宅で過ごす日になったのだ。

もしかするとそれは、生まれつき体の弱かった弟や、事故や事件などであっという間にいなくなってしまった親族たちの事もあり、ネアの家族がほんの少しだけ臆病になる日だったのかもしれない。


そんな話をディノにすると、魔物は魔物らしい目線で何かを考えてみるのだろう。

少しだけ考え込む様子を見せたディノは、そちらにもあわいがあるといけないので、外に出なくて良かったのかなと淡く微笑む。


「ええ。ディノに会えなかったら一大事です。そうして守って貰えたお陰で、こうして今は一緒に街へ繰り出す事が出来るようになりました」

「…………うん。今夜は、食べたいものを沢山買ってあげるから、好きなだけ食べていいよ」

「ふふ。ディノは、私が四角ケーキで興奮してしまっても、傍にいてくれますか?」

「……………どうしよう、可愛い。懐いてくる……………」

「むぅ。やはりその表現なのですね…………」



ちりちりんと、どこかで鈴の音が聞こえる。

落葉樹がすっかり葉を落としてしまった禁足地の森が見える窓の外は、死者の日らしい暗さであったが、どこかはっとするような美しさもあった。

これが祝祭の日の魔術なのだろうと思わせるその不可思議な魅力は、耳を澄ませていると、ゴーンゴーンとどこからともなく聞こえて来る、こちら側にはない筈の鐘楼の鐘の音や、クロウウィンの歌声などにもその煌めきを残す。


はらはらと風に落ちる落ち葉が視界からふっと消え去り、森の向こうに見た事もないような生き物がゆっくりと歩いてゆくのが見えた。

驚いて目を瞬けば、先程と同じように風に舞い散る落ち葉があるばかり。


けれど、今日ばかりはそんな揺らぎも決しておかしなことではない。

クロウウィンは、あちら側とこちら側の境界が曖昧になる日でもあるからだ。


(どこか、ぞわぞわするような怖さがあって、けれども美しくて秘密めいていて……………)


その上、この世界の収穫祭は、生者が死者に再会出来る大事な家族の日でもある。

世界のあちこちに不思議な力が満ち、それまではあまり見かけないような生き物達が現れる日に、亡くしたはずの家族が死者の国から会いに来てくれるというのはどんな思いだろう。

ネアはまだ知らないその日の形ではあるが、大切な人と離れ離れになるくらいならずっと知らなくてもいいかもしれない。


そんな事を考えながら、ネアはクロウウィンの装いに着替え、とても繊細な伴侶をきゃっと言わせた。


「ディノ?……………なぜ恥じらってしまうのでしょう?」

「その服を、着るのかい…………?」


一年に一度しかない日の為に毎年新しい服を用意してもいられないのでと、ネアは昨年のミニドレスを着るつもりであったのだが、なぜか今年も新作が用意されているではないか。

そろりと振り返るとディノは不思議そうにしていたので、別の誰かが衣裳部屋に入ったに違いない。


「……………ふむ。ですが、今年のもとても可愛いので、有難く活用はしてしまうのです」

「布は、それで足りているのかな……………」

「こらっ、スカートの裾を引っ張ってはいけません!なぜそうなったのかはさて置き、クロウウィンのドレスはちょっぴり丈が短めの、アルビクロム風の装いで定着されたようですので、今日はこんなご主人様を楽しんで下さいね」


本日の装いは、スカートの丈が膝の少し下くらいまでしかない。

ディノは、ネアがまだタイツのような靴下で足を隠していなかったので、慌てて短いスカートを引っ張ったようだ。

そう言われてしまい、どこか絶望の目をしている。


なお、今年のミニドレスは、たっぷりのプリーツが可愛い黒地に色味を変えた黒を使ったチェック柄である。


くるりと回るとふわんと円形に広がるくらいにたっぷりとしたプリーツスカートは、ネアの祖国の古典的な布柄を思わせる上品さで、何だか嬉しくなってしまう。

灰色がかった黒と紺色がかった黒のチェックの品のいい可愛さに、上半身部分は詰襟の襟元のフリルが可愛い、ちょっと神父服風なエッセンスのある装いである。


「足は、……………隠すのだね」

「ええ。寒いので、このようにしてしまいますね。これでディノも安心ですか?」

「…………うん。……………ずるい」

「またしても、謎の狡いが入ってしまうのです?」

「ネアが可愛い……………」

「その評価は吝かではありません!ディノは伴侶なので、もっと言ってもいいのですよ?」

「ネアはいつも可愛い……………」



けれど、クロウウィンはそんな魔物もいつもとは違う装いになるのだ。

ディノが街歩き用の擬態を纏うと、今度はネアがその新しい漆黒のコートに目を輝かせ、恥じらう魔物の周囲をぐるぐる回ってしまった。


「しっとりとしたカシミヤのような素材なのですね。けれど、光の角度で入る表面の艶がとても綺麗で、まるで毛皮のように見える時もあります。…………おまけにウエスト部分がぐっと細くて、裾にかけて少し広がるデザインなのも素敵です……………」

「恰好いい、ではないのかい……………?」

「ふふ。今日のディノのコートは、素敵で格好いいのですよ」

「ご主人様!」


今日はこちらでは昼食はいただかず、街の屋台などで食べる予定だ。

クロウウィンの儀式にも参加せずに遊び惚けている訳ではなく、今年はこれがネア達の仕事なのである。


(あまり、困った事件がないといいのだけれど……………)


朝食の席でエーダリア達が話していたようなことは、勿論ダリルも承知の上であった。

秋のあわいの墓所を訪れたばかりのネア達を念の為に死者の日の儀式には参加させないという措置は、エーダリアだけでなくダリルからも指示をされた上での決定であったが、であればと、空いている時間を街のあちこちで楽しませてしまう事で、ネア達に集客のある区域や施設での異変を探らせる事にしたようだ。


表面的に見ると手綱から手を放してしまったかのようにも思えるのだが、その実、この配置はよく練られているとネアは思う。


どんな場合でもそうなのだが、見回りの騎士たちが街中を歩く速度では、屋台や店で過ごす人々と同じ物が見えないこともある。

同じ目線や、一定時間の滞在を経て気付く異変もあるし、品物などを買ってこそ気付く異変もあるだろう。

また、ネアの伴侶が魔物だからこそ、歌乞いとしてのネアの配置でもある。

伴侶であるネアをクロウウィンの賑わいの中に設置しておけば、同行する魔物が自分事としてきちんと周囲に目を配るので、気紛れな魔物を思った以上に効率的に働かせることも出来るからだ。



「ノアは、今年の儀式の間は、エーダリア様の毛皮襟巻風に過ごすのだそうです」

「ノアベルトが……………」

「衣の妖精さん対策なので、今日ばかりは狐さん具合も生かして貰いましょうね」

「うん……………」

「思いがけない対策法なので、このような目線で他にも解決出来る問題はないかと、ガレンでも研究が進んでいるようですよ」



二人が着替えを済ませてお喋りをしていると、みぎゃーっと凄まじい悲鳴が聞こえてきた。

何事だろうかと慌てて窓辺に駆け寄れば、どうやら森の入り口近くで持ち帰ろうとした南瓜の欠片を奪われた毛玉妖精と、その南瓜を持ち去らんとしている小鳥との戦争が勃発したらしい。

毛玉と青い小鳥がどったんばったん戦う様はなかなかに呆然とさせるものがあったが、ちょっぴりうるさかったのか、木の上に居た栗鼠妖精が自分の持っていた南瓜の欠片をぺいっと投げ与え終戦へと導いていた。



ぽつり、ぽつりと、死者の気配がウィームに現れ始める。

死者の国で貰った切符を手に死者の門を潜り、自分のお墓の土には気を付けて、美しい麦穂飾りのあるウィームへと帰ってくるのだ。

夜にしか地上に出られない死者達にとって、どれだけ暗い曇りの日であれ、昼間の内に地上に出られるという事は代え難い喜びだろう。


薄い味付けのもてなし料理と、家族で語らう優しい夜がそのあとに待っている。


その後も、迷子の柩の精がリーエンベルク前広場にぽつんと佇んでいる事件などもあり、あっという間に時刻は正午を過ぎ、儀式を終えたエーダリア達がリーエンベルクに戻って来る。

今年は大きな懸案事項がない上に、死者達が思ったより早く戻れそうなので昼食会は後日に振り替えられ、儀式の参加者達は素早く家に帰っていったそうだ。


きっと、この日にしか会えない家族に、多くの者達が一刻も早く再会したいと思うのだろう。

とは言え、クロウウィンには豊穣祭としての側面もあるので、ウィーム各地から集まった者達や、ウィーム中央のギルド長達による、今年の領内の収穫の話などはどこかでやらない訳にはいかない。

ただし、せっかく早くに死者が戻れる日なのだからと、本日は帰って来る家族との時間を優先して貰い、また後日場をあらためてという訳だ。



「こちらの儀式は滞りなく済みましたので、どうぞ出掛けられて下さい」


戻ったヒルドにそう言われ、ネアは頷く。

銀狐からまだ魔物に戻れていない義兄は、その隣のエーダリアの膝の上でなぜかぴしゃんと立っている。

どうしたのだろうと思って見ていると、どうやらエーダリアの通信に耳を傾けているらしい。


「はい。ではそうさせていただきますね。…………何かあったのですか?……………むむ、通信が終わりました」

「……………ヒルド、アメリアから連絡が入った。数人の少年達が、大人たちを見返してやる為に死者の門を探しにゆくと言って家を出たらしい…………。一度、グラスト達をそちらの捜索に当たらせて構わないだろうか」

「やれやれ、またですか……………。なぜ、一定の年齢の少年達は、そのような冒険心を持つのでしょうね」

「まぁ。どうか、もう少し違うことで大人を見返して貰いたいものですね……………」



早速始まってしまったが、これからエーダリア達は、執務室でそんな小さな事件の対応をしてゆく事になる。

勿論エーダリアは領主であるので、多くの問題はそこまで上げずに街の騎士達やダリルの陣営で処理してしまえるが、リーエンベルクが介入した方が解決が早い問題は、今回のように協力要請が上がってくるのだそうだ。


なお、少年達はイブメリアの橇遊びで、今年も一人で橇に乗せて貰えないと知って荒ぶったようだ。

すぐにゼノーシュが発見してくれて、ネア達が出掛ける前に親御さん達の下に連れ戻されたと報告が入った。



「人間は、どうして死者の門に近付こうとするのかな……………」

「怖いものを造作もなく克服する姿を見せ、自分が偉大だと示せると思ってしまうのでしょうね。まだ物事の分別が付かないようなお子さん達なりに、一生懸命考えた手段なのでしょうが、大人になってから振り返るとなぜそう思えたのだろうというような稚拙な作戦であることが多いのですよ」

「君も、そういう事があったのかな…………」

「子供の頃に、子供部屋の横に生えている木を伝って外に出られたら私は天才かもしれないと考えた事がありましたが、脱走する理由がないのになぜそう考えてしまったのかは謎でした。なお、その作戦は、たまたまお家に遊びに来ていた誰かが死に物狂いで止めたのだそうです。親族ではなかったようなので、どなただったかは忘れてしまいましたが、命の恩人だったのかもしれません……………」


そんな思い出話をすると、ディノは慌てて三つ編みを持たせてきた。

今から命綱を必要とはしないのだが、気分的にどこかに落ちないようにしておきたかったのだろう。



街に出れば、青い尻尾お化けこと、柩の精達の姿があちこちに見られた。

ウィームの柩の精は丁寧な埋葬を示す青色の毛皮をしているのだが、とは言え、群がられた屋台はお裾分けをしておかないと悪さをしかねないので、尻尾お化けたちに売り物を少しだけ分けてやらねばならない。

ネアも大好きな牛乳と煮林檎の美味しい飲み物の屋台では、それぞれに工夫して如雨露で飲み物をかけてやったり、ペット用の小さなボウルに注いでやって置いておいたりしているようだ。


途中、林檎の飲み物を貰った柩の精から、ばたんばたんという奇妙な音が聞こえてきてぎょっとしたが、そう言えば柩の精は柩を閉める音が鳴き声なのだったと、ネアは遠い目になった。



(ウィリアムさんは、今朝まで取り掛かっていた仕事を終えてから、こちらに来る事になっている……………)



柩の精の鳴き声について教えてくれたのは、終焉の魔物であるウィリアムだ。

そう簡単に離れられない仕事場なのだと聞けば、終焉というものの仕事の過酷さを思い知らされるようで、どんな終焉が齎される場所にいるのだろうと心配になってしまう。

合流したら、四角ケーキかホットワインを奢ってあげるのだとふんすと胸を張ったネアは、博物館前広場に来たところで、串焼きの大きなハムが焼かれている光景にぴたりと立ち止まった。



「むぐ……………」

「あの屋台でハムを買うかい?」

「…………お昼のメニューに、焼きハムを加えてもいいですか?」

「うん。ではあの屋台にしようか」

「はい!」



串焼きハムは、ウィームの祝祭日には比較的多く見かける屋台の一つだ。


食べる事が大好きなウィームの人々の気質を反映し、ウィームの祝祭では、伝統料理も含め、様々な食べ物の屋台が立ち並ぶ。

その中では最もシンプルな料理の一つながら、塊ハムを串に刺して回し焼く様子を見せてくれるハムの屋台は、じゅわっと油の弾ける美味しい匂いでお客の心を奪う危険な場所でもあった。


よく、もっと変わった料理や有名店の屋台を探していた筈なのに、気付けば焼きハムを食べていたという話を聞くが、彼等もハムの魅力に屈服した同志なのだろう。

とは言えウィームのハムの美味しさは世界に誇れるものであるし、今回の屋台のように、紙皿の上にアルバンのチーズを削りかけてくれたりもするので、料理としての完成度も高い。


しっかり一人前の量と、他の料理も食べられるように少な目のおつまみハムセットもあり、ネア達は少なめの注文をして、削りかけられたチーズがあつあつのハムの上でじゅわっと蕩けるさまを見守った。



「むぐ。……………じゅるり」

「美味しそうだね……………」

「はい。あちらのテーブルでいただきましょうか。飲み物は、いつものホットワインの屋台が出ていますので、そこにしますか?」

「うん。そうしようか」

「お酒な葡萄酒のホットワインと、葡萄ジュースを使った物がありますよ?」

「葡萄ジュースでいいかな……………」


そう答えた魔物は、お酒に弱いということもないのだが基本は子供舌だ。

それまでは、そうあるべきと渡されてきた強いお酒や葡萄酒を食事の時に嗜んできたが、この季節の屋台では、しっかり大人向けのホットワインよりも、葡萄酒の代わりに葡萄ジュースを使った飲みやすいものの方が気に入っているらしい。


果物をふんだんに使って飲みやすく作られたホットワインの店もあり、その店があると葡萄酒で頼んでいる姿を見ると、ネアは何だか嬉しくなってしまう。


ひとまずハムはディノが魔術でどこかに避難させておいてくれ、祝祭らしい紙カップに入った焼き立てのオリーブのマフィンと、ほろほろに煮込まれたレンズ豆の入ったブラウンシチューのようなスープを買い足してから、お食事スペースでの昼食となる。


なお、今回のホットワインの屋台の記念マグカップは、マグカップ地獄を避ける為に見送りとなった。

代わりに何か別の記念品をどこかで買う事にしたので、ディノがしょんぼりしてしまう事もない。

馴染みの店になったからか、ディノがお会計を出来る数少ない屋台であり、店主はそんな魔物の姿を優しい目で見ている。



「はふ!……………やはり、アレクシスさんのお店のスープは美味しいですね」

「グヤーシュに似てるね……………」

「お豆と、香草塩でしっかりお味をつけた豚肉でしょうか。ディノは、さらさら系のスープは牛コンソメで、後のものは少しとろりとしたスープが好きなのですよね」

「うん。君の好きな、白いシチューも好きだよ」

「ウィームのグヤーシュは、パプリカの風味が強すぎずシチュー寄りのお味でとっても飲みやすいのです。ガーウィンのグヤーシュは、香辛料などの風味が強く、少しさらりとしているそうですよ」


そう言えば、ディノは悲し気な顔をして首をふるふると横に振った。

ネアは、オリーブだけでなくチーズも入っていた焼き立てマフィンの美味しさに足踏みしつつ、噂に聞いていたスープ専門店の屋台に出会えた事に心から感謝する。

屋台料理として完成された美味しさも大好きなのだが、こうして時々現れる有名店の屋台を見付けると、何だか得した気持ちになってしまうではないか。


「このスープの効能は、…………まぁ、今日は一日、誤って南瓜が当たっても痛くないそうですよ」

「…………どうしてその効果を作れるのだろう」

「お豆のシチューなので、南瓜感がないのにその指定が出来るのですね……………」



どこからか、クロウウィンの歌声が聞こえて来る。

市販されている死者用のもてなし料理を買って帰る家族連れの姿に、魔物に殺された者達の死者の国から上がってきたのか、ふわりとドレスを翻す亡霊の影。

そんなものが当たり前のようにすれ違うのがウィームで、美しい亡霊は体が透けて見えているので、かなり前の時代の死者なのだろう。


広場の街灯や屋台の壁などにも、麦穂を使ったリースが飾られていた。

今年は深みのある赤紫色の薔薇を合わせてあり、使われるリボンは麦穂の色合いに程近い淡いシュプリ色になる。



「……………む」

「ご主人様……………」



どこからかひゅんと音を立てて飛んできた南瓜が、石畳に落ちて粉々になる。

はっとして周囲を見回すのは地元住民達で、このような南瓜の向こうに荒ぶる投擲者がいるのをよく理解しているのだろう。

ぴりりとした空気に反し、大喜びなのは野生の生き物達だ。

周囲の木々や花壇から、それっと小さな妖精や精霊達が集まってきて、あっという間に南瓜の欠片を持ち去ってゆく。


ネアは、どうしてこんな場所に南瓜が飛来したのだろうと考えて振り返り、黒い南瓜を持った初老の上品なご婦人と騎士服の男性が繰り広げる壮絶な南瓜当て競技を見てしまい、そっと視線を外した。



「ご主人様……………」

「あまりにも苛烈な戦いですが、あのお二人は、周辺被害を軽減する為にも、早々に再会出来て良かったような気がします。ご主人が見付からないまま、ご夫人が疑心暗鬼になってリーエンベルクに侵入しても大惨事ですものね……………」

「うん……………」



ディノはすっかり怯えてしまったが、黒南瓜を顔面に直撃させられた騎士が死者の国に送り帰されると、広場の人々は何となく拍手してしまい、不思議な一体感が生まれた。

朝から頑張ってやっと浮気者の伴侶を死者の国に送り返したご夫人が、あら嫌だと言わんばかりに困ったように上品な微笑みを浮かべ、非の打ち所がない貴婦人然とした佇まいに戻るのもウィームらしい光景なのかもしれない。



(……………おや、)


人並みの向こう側にふと、目についた男性がいた。

つばの広い帽子をかぶった漆黒の装いで、明らかに普通の鞄ではありませんという独特な形状の荷物を肩掛けにしている。

その頬に銀色の涙を見たような気がして、ネアは以前にウィリアムから教えて貰った注意事項を思い出した。


だが、ディノにも伝えておこうと視線を外した隙にいなくなってしまい、その後、広場で見かける事はないままであった。












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