舞踏会の夜と青いお酒
「どちらかと言えば、教育実習のような感じだったのですね」
はふぅと息を吐き、冷たいグラスを傾ける。
透明度が高いので毒々しくは見えないが、青い青いお酒は仄かに果実の香りがして、喉の奥をきりりと冷やした。
雪水晶のテーブルの上には、メデュアルの舞踏会で貰ってきたお土産の一部が広げられている。
勿論、真夜中なのでここにはいないエーダリアやヒルドの分は別に取り分けてあり、お好きな時間に楽しんでいただく所存だ。
「………アイザックは、理性的である事を、欲望の質を高める為の備えとしている魔物だからね。………ユーグが、君を助けられる存在で良かった」
「まぁ。ディノは、ユーグさんをご存知なのですか?」
「うん。派生したばかりの頃、彼は死者の国の境界を彷徨っていたんだ。ウィリアムが保護をして、私のところにどの系譜の魔物なのか尋ねに来たんだよ」
「では、ユーグさんの系譜を見極めたのは、ディノなのですか?」
「私と、最終的にはアルテアも確認しているよ。ウィリアムも、自分の系譜に近しい気配があるけれど違うだろうと話していたから、ある程度は分かっていたのだろう」
派生したばかりのユーグは、己の居場所について悩んでいた。
特赦日はそうそう頻繁にあるものではないし、その要素に纏わる場所に暮らそうにも、最も頻繁に特赦日のある魔物に殺された死者のあわいは、とは言え常に魔物を入れておく事は出来ない。
あくまでも、そこは魔物に殺された人間の死者達の土地なのだ。
結果としてウィリアムとアルテアも話し合いをし、ユーグは、アルテアの領域に拠点を置き、アルテアの仕事の手伝いをする事となった。
今はアルテアの商会の一つを治めつつ、自分の城も持っているのだそうだ。
それでもアルテアの従者としてよく仕事に同行するのは、自身の領域を持たない内から系譜の王に世話になった魔物として、かなりアルテアには心酔しているからであるのだとか。
ネアが見ていた限りでは、従者としてよく仕えている感じはしたものの、心酔という迄の執着は感じ取れなかったが、情熱を胸の奥に秘めるタイプなのかもしれない。
「あれはさ、アルテアの系譜の、裏切り者や役立たずを粛清する役割なんだよね。まぁ、アルテアの場合はいらない駒をさり気なく裏切り者に落とし込んでいるんだっけ?」
「どうだかな」
「ネアとの相性が悪いと思っていながら、それでも今夜連れていたってことは、あの劇場だからなのかなぁ。それとも、切り捨てたい取り引き相手がいたのかな?」
にやりと笑ってそう問いかけたノアに、アルテアは無言で肩を竦めてみせた。
隣でシュプリを飲んでいたウィリアムが、ふっと薄く微笑む。
「獣車の残務処理だろう。あの一族は、呪いから派生しているから他の手立てでの処理が難しい。魔術に転換するのは構わないが、ここから、クロウウィンまでの間はくれぐれも大きな騒ぎは起こさないでくれ」
その言葉に静かに振り返ったアルテアの表情からすると、そんな事情がウィリアムに知られていた事は驚きだったのだろう。
何かとざっくりと振り分けているように思われがちだが、終焉の証跡や予兆を辿れるウィリアムは、隠されていた思惑や陰謀などをしっかり認識している事も多い。
しかし、ネアはそれよりも、ウィリアムの触れた思わぬ名称に驚いていた。
「…………なぬ。それは、アルテアさんの恋人候補なお嬢さんもなのでは」
「おい、やめろ。あの女は、ただの薬剤の仕入れ先の魔術師だぞ」
「あら、………ちょっぴりいい雰囲気だったのでは?」
「ありゃ、疑われてるぞ………」
「獣車なら、それは違うのではないかな……」
「ディノ?」
不思議そうに首を傾げたディノ曰く、獣車と呼ばれる一族は、呪いに使われる呪具から派生した精霊達なのだそうだ。
その派生についてはネアの耳に入れたくないくらいの出来事だとして割愛されたが、なかなかに凄惨でなかなかにどろりとした履歴を持つ一族なので、大きな戦乱や悲惨な虐殺の切っ掛けを作る事が多く、ウィリアムもどこかで一掃しておこうと考えていたくらいなのだとか。
「元から命を得ていたものではなく、魔術そのものから生まれた者達だ。アルテアの資質ではあまり好まないと思うよ」
「むむ、そのようなものなのです?」
「そうそう。でも、寧ろ、アイザックは好むだろうね。と言うか、獣車はそっちには行かなかったんだ?」
「獣車達にとって、アイザックの司る欲望は獲物の領域だ。あいつを顧客として扱うのは我慢がならないらしいな」
「ありゃ。うまく噛み合わないなぁ………」
「俺としては、獣車については、アルテアの管理で良かったと思う部分だな。アイザックとの相性があまりにも悪い。双方が望み合うようなことがあると、場合によっては階位を上げられかねないからな」
ウィリアムがそう言い、ディノも頷いている。
ネアは、思っていたのと違う獣車の少女との関係性にがっかりしつつ、窓の向こうで跳ねている流れ星を見つめた。
きらきらしゃわんと淡い光が弾け、この季節のウィームの夜には、霧がかからなくても僅かに薄紫色がかかる。
その色が葡萄酒色や深い薔薇色がかった赤色の紅葉の色合いに重なり、ウィームの秋ははっとする程に美しくなるのだ。
「ネアとしては、ユーグは問題なかったのか?」
「はい。あの方は、私を損なわない方で、尚且つ今夜はとても良くしていただきました。それでもなぜか、………少しだけひやっとするような、ぞわぞわするような感覚は、ちょっとだけあるのです………」
ネアは、そんな本音をここで告白してみたのだが、アルテアは、さもありなんという顔をするではないか。
だろうなとウィリアムも頷き、ネアは目を瞬く。
ネアにそんな反応を与える特赦の魔物について、あらためて説明してくれたのはアルテアだ。
「お前が特赦の要素を持つのなら、何某かの罪や欠落と、それを赦された、或いは埋めたり手放したり出来たという特赦の顛末がある筈だ。その瞬間にだけ立ち合えばいい存在が、ずっと隣にいてみろ。手にした特赦を失いかねないという本能的な恐怖や不安を覚えるのは当然の事だ」
「…………まぁ。だからだったのですね………」
「寧ろ、ネアの可動域や階位で、それだけで済んでいるのが不思議なくらいだな。特赦の資質を打ち消せる、アルテアや俺が一緒に居れば、そういう事もないだろうが…………」
「僕は難しいけれど、シルでも大丈夫だと思うよ。後は、グラフィーツあたりもいけるかな。特赦の緩和が出来る魔物は、高位の中でも、特赦そのものに関わるか、祝福と災いの天秤が釣り合うかで限られているから、そういう意味ではかなり手堅い戦力なんだよね」
そう笑ってちらりと自分の方を見たノアに、アルテアはひらりと片手を振る。
ぞんざいな仕草で、高位の魔物らしい高慢さも滲むが、そこは実際に高位の魔物なのでさらりとしている。
「……………とにかく、思いがけずして、あいつとの顔合わせも済んだ。結果としては上々だ」
「ふむ。いつも程ではありませんが、沢山踊りましたし、お腹いっぱい美味しい料理を食べられました。………ディノ、この小さなオレンジのタルトは、とても美味しいのですよ」
「……………うん。………ミカなんて…………」
「ふふ。いつもより控えめに荒ぶってくれるのですね?」
「ミカなんて………」
ネアがすっかり精霊ご飯に心を奪われて帰ってきたので、ディノは少しだけ拗ねていたようだ。
とは言え、ミカ自身の事はネアが思う以上に気に入っているようで、助けて貰ったのだと伝えると微笑んで頷いていた。
グレアムとも仲のいい真夜中の座の精霊王は、それだけでもディノの信頼を勝ち得ているらしい。
或いは、ネアの知らないところで親交を深めるような場面があったのかもしれない。
「でもさ、真夜中の座が好意的なのは、かなり有利なことだよね。大抵は、黄昏に気に入られても、真夜中の座に冷遇されて破滅するものだし」
「………床石加工事件などを耳にしたのですが、あんなに素敵で優しい精霊さん達も、実際にはなかなか激しいのですか?」
「真夜中の座は、好き嫌いがはっきりしているって感じかな。最初の段階では無関心で、その先に進むと好きか嫌いかで別れるんだ。嗜好に合わないって判断された後の冷淡さは、残忍だって言われている黄昏の比じゃないくらいだよ」
「ほわ………。仲良く出来て良かったです…………」
「うん。でもまぁ、僕の妹は、如何にも相性がいいだろうなって感じがしたかな。ネアの好きなものと、真夜中の座の資質が近しいからね」
ほっとして胸を押さえたネアに、そう言ってノアが頭を撫でてくれる。
しゃらんと揺れた真珠のネックレスに、ディノの唇の端がほんの少し持ち上がった。
ネアは、まだメデュアルの舞踏会のドレス姿のままだ。
帰宅後に大広間でディノと踊ったからなのだが、リーエンベルクに帰ってきた後、思いの外疲れていたのかこうして皆でお喋りをしながらちょっぴりのお酒などをいただいてしまうと、すっかり立ち上がれなくなっているからでもある。
「…………ディノ、この私の宝物の首飾りは、今夜のドレスにもぴったりだったのですよ」
「うん。………可愛い」
帰宅してからの二度目の真珠自慢に、伴侶の魔物は目元を染めて少しだけもじもじしている。
ネアはそんな魔物の三つ編みを持たされ、長椅子にくてんとなっていた。
なぜか靴はアルテアに回収された為、裸足の爪先をぱたぱたさせている。
この部屋の長椅子の下には絨毯が敷かれているので、足を下ろしても冷たくはない。
「髪結いの時も思ったが、肌触りのいい生地なんだな」
「…………おい、妙な触り方をするな」
「はは、俺が触れているのは、アルテアではない筈ですが?」
「え、お兄ちゃんも触りたいんだけど………」
伸ばされたウィリアムの指先が、つつっとドレスの襟元をなぞる。
いつもならアルテアが隣に座る事が多いが、今夜はディノの反対隣にはウィリアムが座っていて、ネアはそんな魔物たちの間にすっぽり収まっていた。
顔を顰めたアルテアが、横からその手を払い除けてしまったが、ネアはそちらはともかく、この二人は何だかんだで仲良しだなぁとほんわりしていた。
唯一向かいの座席に座ったノアは、すっかり長椅子の上に伸びている。
幸い脱ぎ出してはいないのでと思ったネアは、なぜか袖をまくり上げた塩の魔物に、ぎくりとした。
「…………ノア、脱いではいけませんよ?」
「ありゃ、始まってた?…………ネア、僕とも踊ろうよ」
「私をここから立たせてくれるのなら、ノアとも踊ります!………むぐ、このドレスをまだまだ活用するのだ………」
「靴はもう片付けたぞ」
「私の靴を返して下さい。………にゃぐ?!」
ダンスの為に靴を取り戻そうとしたネアは、立ち上がってこちらに来たノアにひょいと持ち上げられて目を丸くした。
「よいしょ」
「ネアが逃げた…………」
「ノア、靴がないとまだ踊れませんよ?」
「大丈夫、大丈夫、ほら、こうして僕の足の上に立っていればいいからね」
「な、なぬ。何という不安定さなのだ。ぎゅっと掴まっていないといけないので、………ぎゃ!」
ノアは軽々とネアを部屋の開けたところに連れ出してしまい、指先を振ってどこからか音楽の小箱を取り出した。
そして、器用にネアの爪先を自分の足の上に乗せるではないか。
流れ始めたのは、柔らかだが僅かに軽快な旋律で、真夜中のダンスに使うにはテンポが速めの曲に思えた。
ノアの足の上に立たされたまま、ダンスが始まってしまい、ネアは慌ててノアにしがみつく。
しっかり抱えられているので、落とされてしまう事はないのだが、それでも不安定な足元にはらはらする。
ネアは楽しそうに笑い声を上げたノアを見上げ、これはちょっぴり酔っているぞとむぐぐっと眉を寄せた。
特にぎゅわっと回されるターンでは、ネアはノアの肩に手を回してしっかり掴まらねばならなかった。
さすがのノアも、その部分ではネアを持ち上げて回してくれたので、つるんと滑って転ぶ危険を回避出来てほっとした人間は、まさかの二連続のターンに再びぎゃっとなった。
「うん。僕の妹は可愛いなぁ。抱き締めると贅沢な気分になるし、この角度が最高に作ってあるんだよね」
「むぐ、かくど………」
「そうそう。肌触りも柔らかいし、……」
「ノアベルト、足元がおぼつかないな。もういいんじゃないのか?」
「ありゃ、腹黒いのが邪魔してきたぞ」
「むむ、乗り物としての楽しさを理解し始めました。持ち上げて回すところは、またやってくれてもいいのですよ?」
「よーし、ステップにはないけれどターンしちゃうぞ」
ネアはここで、訝しげにお酒の瓶を調べているアルテアに気付くべきだったのだろう。
ディノと何やら話しており、どことなく深刻そうな様子だったのだが、ぐいんとターンをさせて貰う楽しさに目覚めたばかりの人間はすっかり見逃していた。
「…………ういっく」
「ネア、ノアベルトはもういいだろう。裸足で歩かなくていいように乗り換えるぞ」
「………むぬ。確かにこちらの乗り物は、ぐんにゃりしています。先程までは直立していたのに、今は床に仰向けなのですよ?」
「ああ。踊った事で、酔いが回ったんだな。………手を伸ばしてくれ。抱き上げるぞ」
「ふぁい。………むむ、今度の乗り物の方が安定性が高いです」
「………おっと、………このドレスだとこうなる訳か。アルテアらしい企みだな」
「ウィリアムさんは、ノアよりちょっとひんやりします?」
「酔っ払いの体温だったんだろう。………落とすといけないからな、しっかり掴まっていてくれ」
「はい!」
ネアはすっかりほろ酔いになってしまい、ウィリアムな乗り物に再乗車した。
先程まで寄り添っていたノアはほこほこしていたが、ウィリアムの方が体温が低いようだ。
となると、この着ているものが問題なのだろうかと考え、ネアは、よいしょと手を伸ばすとウィリアムの襟元に手をかける。
「……………ネア?」
「ノアは、ここのボタンを沢山開けていたので、きっと温かく感じたのだと思うのです。私の方はドレスの襟元が開いている部分なので、くっつければほこほこします?」
「………っ、…………そうだな。試してみるか?」
一瞬ぎくりとしたように見えたが、すぐににっこりと微笑んだ終焉の魔物が、どこか獰猛なけだもののように見えた気がして、ネアは、ぱちりと瞬きをする。
片腕で持ち上げられているので、そんなウィリアムの頭を抱え込むようにして、今のは何だったのだと白金色の瞳を覗き込んでいると、胸元にふっと口付けが落とされた。
「なぜ今夜は、皆さんが首回りや胸元を祝福してくれるのでしょう?」
「もしかすると、アルテアもなのか?」
「はい。そして、先程、ノアもしてくれました」
「……………はは、二人とも後で叱っておこう」
「なぬ。となると、………祝福ではないのです?」
では何なのだろうと首を傾げたネアは、そんな事は置いておいて、また、あのきりりと冷たいお酒を飲みたくなった。
ウィリアムに運んで貰いながら爪先をぱたぱたさせ、何とも良い気分にむふんと頬を緩める。
ノアよりもどっしりとした体躯のウィリアムは、乗り物としての安定性は誰よりも高い。
とは言え、魔物の乗り物はどの個体も殆ど揺るぎない乗り心地なので、安心していられるのはいつもの事なのだった。
「おい、長椅子に戻ったのなら、もういいだろうが。さっさと下ろせ」
「ネアも酔っているようですからね。少し落ち着かせてから下ろしますよ」
「ウィリアムなんて………」
「よりにもよって、ハイランドの酒とはな………。ったく、飲み過ぎだぞ」
「ハイランドと聞こえました!ハイランドは、私の知っているハイランドなのです?」
「ガゼッタ近くにある、蝶と雨の森だ。行ったことがあるのか?」
「……………むぐ。私の知っているハイランドではありません。あちらにも、一度行ってみたかったのですが、………どうせ食費と医療費を放り投げて行くのなら、他の旅先でも良く。…………ぐぅ」
ネアはここで、ぱたんと眠り込んでしまい、数秒後にはっと目を覚ました。
慌ててきょろきょろとしていると、ウィリアムがくすりと笑う。
「ネアの生まれ育った世界には、ハイランドという土地があったんだな」
「な、なぜ知っているのです?」
「ん?覚えてないのか………」
「そして、向こうの床でノアが死んでいます。何があったのでしょう………」
ネアは、伴侶の魔物がそろりと差し出してきた三つ編みを受け取り、こてんと首を傾げた。
アルテアが呆れた目でこちらを見ているが、その手には、ネアが飲みたかった青いお酒の入ったグラスがあるではないか。
「そのお酒を私も飲みたいので、グラスを……」
「お前のものはこっちだ」
「なぬ。なぜ取り上げられたのだ。………お酒の瓶を遠くにやられました」
「ネア、それは君には強かったみたいなんだ。ほら、ノアベルトも動かなくなってしまっただろう?」
「…………そのお酒で、ノアは死んでしまったのです?」
「うん。だから君はこちらにしようか。杏と秋夜の翳りの祝福のシュプリだそうだよ。アルテアが君の為に出したものだから、気に入るのではないかな」
「それにしまふ!」
また一つ美味しそうな新しい出会いに、ネアは、喜び弾んでウィリアムを見上げる。
なぜか、ウィリアムは短く息を詰めてこちらを見ているので、どうしたのだろうかと目を瞠った。
「……………重かったですか?」
「いや、そんな事はないよ。好きなだけ弾んで構わないからな」
「おい、そいつの膝の上から下りろ。取り分だらけだろうが」
「アルテアに言われたくないですよ。このドレスの生地は、あなたが持ち込んだのでは?」
「メデュアルだからだ。それ以外の理由はない」
「うーん、どうでしょうね」
「……………タルト」
このままウィリアムを椅子にしていても良かったが、ネアはここで、お土産のタルトをもう一ついただくべく、もぞもぞと、そんな魔物の膝の上から這い降りた。
うっと短く息を飲んだウィリアムはなぜか目元を染めており、ディノが、小さくウィリアムなんてと呟いている。
「ディノ?」
「……………ウィリアムなんて」
「もしや、ディノも椅子になりたいのですか?」
「……………なる」
「あらあら、仕方ありませんねぇ」
少し拗ねた様子の伴侶にネアが淡く微笑むと、ディノは、もじもじしながら膝の上に持ち上げてくれた。
とは言え、ディノの服装の方が厚みがあるので、ウィリアムの時ほどの体温は伝わってこない。
その事に気付き、ネアは眉を寄せた。
「ディノ、上着を脱ぎましょうか」
「……………ご主人様」
「上着の刺繍部分の厚みで、ディノの体温があまり感じられません」
「虐待する………」
「もしかして、上着がないと寒いですか?」
そう尋ねるとふるふると首を振るくせに、なぜかディノは、視線を彷徨わせて儚げに目を伏せた。
目元を染めて恥じらう魔物を見ていると、何だか自分がとんでもないことをしているような気分になったが、とは言え魔物の椅子に座るのなら、このドレスでの体温摂取は必要な措置ではないか。
(……………その筈?)
一瞬、そんな必要もないのだと考えかけ、ネアはまた首を傾げた。
膝の上に乗せたご主人様がもぞもぞ収まりのいい位置を探して動いた事で、ディノはすっかり弱ってしまい、アルテアがいっそうに呆れた表情をこちらに向ける。
「ふむ。ここで決まりです!」
「……………ずるい」
「おい、弾むな!」
「なぜ叱られたのだ。………ディノをお尻で潰したりはしないのですよ?」
「…………いいか、せめて、そろそろ上に何かを羽織れ」
「まぁ、ドレスの乙女に対して何という無粋な事を言うのでしょう。折角の真珠の首飾りが隠れてしまうではないですか。………ねぇ、ディノ?」
「…………虐待」
「なぜなのだ」
とは言えここで、ウィリアムがよく似合うからそのままでいいんじゃないかと言ってくれたので、ネアはぱっと笑顔になった。
我ながら、今夜のドレスはとてもよく似合っているという思いがあり、少しばかり自慢だったのだ。
「ディノも、もっと褒めてくれていいのですよ?」
「……………可愛い。……………虐待する」
「後半の表現がいけません。ディノから貰った真珠の首飾りにぴったりのドレスでしたので、なかなか脱ぐのが惜しくなってしまいます」
指先で真珠の首飾りをそっと撫でた。
胸元の肌の温度で暖まった真珠がシャンデリアの煌めきを映して淡く光り、遠い日の母の首元を思い出す。
大事に大事にしていたあの真珠の首飾りはもうないけれど、ネアには、この新しい宝物があるのだ。
(舞踏会の会場が、歌劇場だったからだろうか………)
ふと、今夜のどこかで、懐かしい母の歌声を聴いたような気がして、そう考えた。
あの懐かしく美しい歌声を舞台で聴けたのは、幼い日が最後だったけれど、ネアは、今だってあの日以上の歌声はないと信じている。
もし、ネアの大事な家族がこの世界にいたのなら、母は歌乞いになれたかもしれない。
そう考えるとますます誇らしくなったが、あまりに素晴らしくてディノがそちらに捕まってしまうと困るという事に気付き、ネアは、慌てて大事な伴侶を抱き締めたのだった。
いきなり抱き締められた魔物は儚くなってしまったが、それから暫くの間を魔物達とお酒を飲んで過ごしたネアは、夜がいっそうに深く真夜中の座を超えてから、ウィリアムとアルテアに手伝って貰って着替えと就寝の準備を整えた。
床で寝ていたノアも無事に回収され、こちらは、アルテアに部屋の銀狐グッズに気付かれないよう、ディノが寝台に入れてきてくれたらしい。
その日の夜はなぜか、真夜中の祝福が潤沢だったようだ。
夜明けまでの時間が二刻程長くなるという異変は、世界中のあちこちを騒がせたが、ゆっくり眠れたネアには素敵な計らいであった。
真夜中の時間が長くなったのは、ミカに何かいいことがあったからであるらしい。
ネアは勿論、殿堂入りの精霊の幸運を喜んだのであった。
明日10/25の更新は、お休みとなります。
少し体調を崩しており、引き続き明後日もお休みになるかもしれませんが、クロウウィンのお話までには戻りますのでご安心下さい!




