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メデュアルの舞踏会と黒い鳥 2




一通りのダンスを終えると、確かに体温が上がったような気がする。


ネアは、これで冷たいお料理があっても余さずいただけると微笑み、アルテアの腕をそちら側に引っ張る。

だが、ふっと微笑んだ選択の魔物は、まるで睦言でも囁くかのように耳元に唇を寄せるではないか。



「もう少し待て。今は、鴉共が集まっている」

「……………なぬ。お料理………」

「死告鳥もいるからな。顔見知りの死を告知されたくなければ、近付くなよ」

「そんな鳥さんには、絶対に近付きません………」



なぜにそんな物騒な生き物が多いのかと言えば、秋が、一年で最も大きな死者の日を有する季節だからなのだそうだ。


死に纏わるあれこれは大きな市場になり、商人達の多いメデュアルの舞踏会に、その領域の者達が少ない筈もないのだった。



アルテアの説明では、黒孔雀は葬儀屋で、その系譜は商人の領域なのだそうだ。

葬儀屋と聞けばてっきり終焉の系譜だと思っていたネアは意外だったが、葬送の儀式を執り行うのは土地の教会や魔術師達であり、葬儀屋は、あくまでもその儀式に臨む為の体裁を調える者であるという認識であることが多い。


土地や信仰や魔術の区分によって、あちこちで仕様が変わるものの、一部の国と地域では、その支度を調えるまでの行為については、儀式に必要な買い物の区分とすることは少なくないのだとか。



(けれども、孔雀さんにも様々な種類があるらしい………)



黒孔雀の全てが葬儀屋という訳でもなく、葬儀屋の全てが黒孔雀という訳でもない。

黒孔雀の中には、派生した系譜が商人の区分を外れ、魔術師や医師になる変わり者もいるそうだ。

とは言え、そちらは少数派なので、黒孔雀と言えば葬儀屋という認識である事が多いと言う。


それでも、ランシーンに住む黒孔雀は王都の医師をしており、カルウィには、黒孔雀の魔術師がいる。

ウィームでは、ザルツに調律師がいるそうだが、アルテアの言い方からすると、あまり優秀ではないようだ。



一方で、鴉と呼ばれる者達は、ネアも、夏至祭の前などに何度か目にしたことがある生き物だ。

鴉は同一種族の中で違う気質や系譜を持つ黒孔雀と反対に、様々な種族に分岐しながらも、同じような気質を持つ生き物なのだそうだ。


今回集まっているのは精霊の鴉達で、こちらは、終焉の系譜のものもいるが、高位の鴉には予言や予兆を司るものも多い。

また、終焉の系譜の鴉の王族には、死告鳥と呼ばれる個体がいる。


そちらは、伝令や手紙の系譜でもあるという込み入った身の上だが、死の報せを司る死告鳥は、望ましくはないが需要の高さから階位を上げている魔物のひと柱であるらしい。



(でも、ただの鳥さんな、妖精の系譜の死告鳥もいる………)



そうなってくると、もはや乙女の脳内は大混乱だが、このあたりは殆どが人間の仕業らしい。

特徴的な名称の使い勝手の良さに、同じような特性や伝承を持つ別の生き物にその名前を充てがってしまった結果、本来の死告鳥ではない、後付けの死告鳥を誕生させてしまったのだ。


とは言え、そもそも、大元の鴉で死告鳥というややこしさが過ぎる区分こそをどうにかするべきだろう。

ネアは、まずはそこからの改善を求める次第だ。



「…………つまり、鴉という括りの中には、様々な種族の様々な方々がいらっしゃるのですね?」

「ああ。総じて鴉と称するのは、雪食い鳥達のように第六の種だと主張する連中がいるからだな。とは言え今は、系譜と属性に応じて様々な種族に振り分けられている」

「………む。それなら、分類の正常化を求める運動は、まだ起こさなくて良さそうです………」



鴉達の姿はここからは見えなかったが、黒孔雀は、先程までネア達が踊っていた大広間の真ん中でダンスに興じていた。


鳥の名を拝しているからにはそのような装いを好むのか、ひらひらとした独特な裾の形のドレスや燕尾服のような装いが綺麗だなと見ていると、足元に誰かの影が落ちる。




「アルテア様、ご無沙汰しております。………まぁ、今宵は人間を連れて来られましたの?取り引き用の素材か何かかしら?」


ネア達の下を訪れ、そんな挨拶から刺々しい眼差しをこちらに向けた女性は、おおっと思わざるを得ないくらいの美女であった。



(……わ、綺麗な人………!)



腰までの茶色い髪には初めて見るような複雑な彩りがあり、光の加減で青みがかって見えたり、赤紫がかって見えたりする。

ややきつい印象に感じられる瞳は同じような多色性の茶色で、ネアは、こちらへのたいへんな低評価はさて置き、なんて綺麗な人なのだろうと惚れ惚れと見つめてしまった。


独特な髪や瞳の色によく似合う、ふくよかな赤紫色のドレス。

長い髪をゆったりと結い上げて飾られた、黒いレースの髪飾りが、その女性らしい美貌によく映える。

大胆に開いた胸元からは、こぼれんばかりの膨らみが見えていて、同性であるネアもどきどきしてしまうくらいだ。


どのような知り合いなのだろうとわくわくしていたネアだったが、アルテアはそちらを一瞥しただけで、口を開こうともしなかった。

婉然と微笑み、会話の始まりを待っていた女性が、その沈黙の重さに、徐々に表情を曇らせてゆく。


すれ違い様なら兎も角、ネア達は立ち止まって話をしていたところであるし、手元にはお酒も料理もない。

アルテアとその女性の間に立っているネアは、あまりの気まずさにだらだらと冷や汗をかいてしまいそうになる。



「シュプリでいいな?」

「は、はい…………」


ここで、運良く給仕が通りかかり、アルテアがシュプリを貰ってくれたから良かったものの、その動きがなければ、小心者のネアは、走ってこの場から逃げ出しただろう。


とは言え、こちらが素晴らしく美味しい真夜中の系譜のシュプリをいただいていても、その女性はまだ立ち去ろうとしない。

屈辱なのか悲しみなのか、潤ませた瞳でじっと選択の魔物を見つめているのだが、ネアは、どうかお帰り下さいと心の中で念じずにはいられなかった。



「………アイザックも到着したようだな」

「それは良かったです!とてもお会いしたいので、是非にこの場を離れ、ご挨拶をしに行きましょう!」

「………お前は、あいつからの挨拶を待っていればいい。自分からは声をかけるなよ」

「………ふぁい。早速皆さんに囲まれてしまいました。お忙しそうですものね………」

「階位的な問題もある。今のお前は、あいつからの挨拶を待つ立場だろうが」

「なぬ………」


そう窘められ、この場から離脱出来ると喜んでしまったネアは、がっかりした。


(…………まだいる)


堪りかねて、ネアはもう、このとても素敵だが空気を読んでくれない女性の肩を掴んで、どこかへ投げ飛ばしてしまいたくなった。

だが、頑なに立ち去ろうとしない女性に、先に痺れを切らしたのはアルテアだったようだ。




「ユーグ」

「…………は。ここに」

「目障りだ。これを排除しておけ」

「かしこまりました」


(……………え、)



いつの間にかそこには、背の高い黒髪の男性が立っている。


目を瞬いたネアの視界には、つい今しがたまでその場所に立っていた筈の女性の姿はなく、代わりに、ぺらりと舞い落ちる一枚の白い紙があった。


その紙の中に恐怖の眼差しで閉じ込められた誰かが見えたような気がしたが、ネアは、意識してあまり視線を向けないようにした。

ノアから、絵の類の呪具は、視覚から障ることもあると聞いたことがあったからだ。



(この人は、さっき鏡の中にいた…………)



女性の代わりに現れたのは、目隠しの為に作られたような、独特な仮面をかけた男性だ。

黒いジレに白いシャツ姿で、シンプルだが優美な立ち姿は、高貴な主人を持つ執事か従者のよう。


という事は、この男性こそがアルテアの連れてきている従者なのではなかろうかと考えてぎくりとしたが、幸いにもネアの姿は、立ち位置を変えたアルテアで僅かに隠れている。


飄々とした雰囲気ではあるが、どこか近付くのを躊躇われるような気配があるその男性は、この世界に来たばかりの頃にパーシュの小道の先で出会った魔物によく似ていた。


ひらりと舞い落ちる紙が床に落ちる前に優雅に空中で掴み取ると、ユーグと呼ばれた男性は、流麗な仕草で恭しく一礼する。

それはどこか儀式的で、けれどもどこか空々しい恐ろしさがあり、そのまま、ふわっと風に煙がたなびくように姿を消してしまう。



「…………もしかしてあの方は、アルテアさんの系譜の方なのです?」


思わずネアがそう言えば、赤紫色の瞳が僅かに瞠られる。


「……………ほお。よく分かったな」

「佇まいはまるで違いますが、気配が似ているなと思いました。…………ふむ。どこかで偶然に遭遇などしないよう、気を付けておかなければいけませんね…………」

「お前はそう考えるんだな………」



一拍の間があり、静かにこちらを見たアルテアに、ネアはただ頷いた。


系譜のものであろうが従者であろうが、ある程度の階位の者達の意思は、大抵、独立している。

ネアが選択の魔物本人ではない以上、例えそれがアルテアに仕える誰かであっても、アルテアに準じる者としての配慮を求めるのは身勝手だ。


何しろ、彼等は人間ではないのだから。



(だから、こちらから近付かないようにした方がいい)


おまけに先程の女性は瞬き程の間に紙きれにされてしまったので、うっかり悪意を向けられでもしたら、その前に逃げ切れるとも思えない。


そんな事を考えていたら、こつりと床が鳴った。



(あ、………)



そこに立ったのは、はらりと長い黒髪を揺らした一人の魔物であった。

この大広間の闇より暗い漆黒の瞳が、こちらを見て薄く微笑みを浮かべる。



「ご無沙汰しております、ネア様。…………鴉羽の従者を見るのは、久し振りですね」


そう挨拶をし、優雅に一礼したのは、先程まで向こう側で囲まれていたアイザックだ。

いつもの装いにも見えるがきちんと舞踏会らしい盛装姿で、さり気なくクラヴァットをお洒落結びにしている事に驚いてしまう。


ネアも挨拶をしようとしたのだが、早々にアルテアとの会話が始まってしまったので、こちらは微笑んでお辞儀をするに留めた。


「今年は鳥が多いからな。狼主催のメデュアルに足を運ぶとは、あいつ等も難儀な事だがな」

「おや、蝶や蛇の多い舞踏会よりは、良いと思いますよ。あの界隈の者達が溢れる年は、良い商売が望めませんからね」


そんなやり取りに上がる名称はきっと、商売に関わる魔物達なりの隠語のようなものなのだろう。

何を示す言葉なのかは分からないが、とは言え蝶は滅ぼすまでだと、私怨まみれで考えたネアは、重々しく頷いた。



「………ネア様、奥にミカ様がおりましたよ」

「まぁ、ミカさんにはご挨拶したいので、後で探してみますね」


こちらに視線を戻したアイザックに真夜中の座の精霊王の居場所を教えて貰い、ネアがぱっと笑顔になると、なぜかアルテアにびしりとおでこを指先で弾かれる。


低く唸って顔を上げれば、呆れたように目を細められた。


「なぜ、可憐な乙女のおでこを襲撃するのでしょう」

「言っただろう、メデュアルの舞踏会は欲尽くめだと。余計な執着を育てるなよ」

「解せぬ」

「これはこれは、随分と隠さなくなられましたね。それとも、このメデュアルに同伴した事といい、広域の商談の一環でしょうか」

「どうだろうな。……お前が黒孔雀と商売するのは勝手だが、あの土地に棺桶屋共の巣を作らせるなよ」

「そのあたりは、私も心得ておりますよ。……それに、冬の祝福は羽を枯らすので彼等も好まないでしょう。私としても、鳥の駆除は出来れば避けたい」

「ほお、となると牽制絡みか」

「さて。とは言え、私も商人ですからね」



こうしてアルテアとアイザックが話をしていると、いつの間にか、周囲にこの二人の魔物の動向を窺うように集まる者達がいる。

舞踏会を楽しみ、シュプリを呑んだり料理を食べたり、はたまた、奥の暗がりでそっと口づけを交わしたりしながらも、彼等はこの特等の魔物達の会話に耳を澄ましているようだ。



(という事は、この会話では、音の壁は設けていないのだろうか)



このような舞踏会では会話を隠すのは無粋なのかもしれず、ネアは気を引き締め直す。

これ迄は、高位の魔物達と一緒にいるときには会話に気を遣わなくていいような気がしていたが、ここではそうでもないのかもしれない。

何しろ、商人にとっての情報は黄金に等しいのだから。



「ネア様は、夜明けに愛でるのは、薔薇と水晶のどちらがお好みですか?」


ふいに、アイザックからそんな問いかけがあった。

ネアは目を瞬き、おや、会話は追いかけていた筈なのに意味が分からないぞと首を傾げる。


「では、………薔薇で?」


一瞬躊躇ったが、アルテアが止める様子がないのでと答えると、アイザックがふっと瞳を揺らす。


「真夜中に眺めるのが、雷雨と濃霧であれば?」

「むむ、………雷雨にします」

「………成る程。これでは、アルテア様が手放せなくなるのも頷けますね」

「嗜好の問題だろうがな」

「となると、………私は、正解を引き当てられたのでしょうか?」

「さて、水晶のカードを引き、私の同伴者になっていただいても良かったのですが。初めてアクスにお越しいただいてからのほんの数年で、あなたは、私の商いには欠かせない方になりました。ですがまだ、店の外でご一緒させていただいた事はありませんでしたね」



そう微笑んだアイザックは、相変わらず、慇懃な振る舞いである。


だがネアは、今日ばかりは甲浅の手袋をしているアイザックの手首に、べっとりと悍ましい程に絡みついた魔術の術式陣に目を留めた。

幾重にも術式陣を写した肌は、もはや肌の色を残している部分の方が少ないくらいだ。

手袋で隠されている指先がどうなっているのかは、あまり見たいとも思えない。


そして、そんな魔物の眼鏡の奥の静かな瞳には、アクスに獲物を卸している際に時折覗く熱とは違う、人外者らしい禍々しさが浮かぶ。



「あまり距離を狭めると、獲物の取引価格に響きかねませんので、このまま程よい関係を維持させていただこうと思います。これでも私は、とても強欲なのですよ?」

「おや、それは残念です。商人ではなく魔術師として、一度、その足元の複雑な祝福と災いの痕跡を紐解いてみたかったのですが。女性が宿す魔術を辿るには、メデュアル程にお誂え向きの舞踏会もありますまい」

「………外周が余るとしても、それは俺の領域だ。ここまでも、これから先も、お前の取り分はない」

「そうでしょうか。これまでとこれからの輪郭を揃えるのは、どのような者であれ難しい。それに加え、商人としても、魔術師としても、私は、柔軟で革新的でありたいですからね」

「……………という事は、そろそろ、白けばを売りに出す時…………」



思わずネアが零したその一言に、アイザックがゆっくりと振り向いた。

身に纏う空気が、途端に変わる。



「………白持ちの、毛皮の獲物とお見受けしましたが」

「義兄の助言で、魔術を潤沢に蓄えた階位の獲物は、一度寝かせ、その魔術が必要とされている基盤の上で希少になってから売りに出すべきだと学びました。ですが、アクス商会では、爵位のある魔物さんの取引きはあまり行われないのでしたよね?」

「おや、そんなことはありませんよ。身元が確かな方からの持ち込みであれば、災いを引き取る事にもなりませんでしょう」


薄く微笑んだアイザックの表情に大きな変化はなかったが、肌に感じる視線の強さに、ネアは、しめしめとほくそ笑む。

この舞踏会に敷かれた魔術が、欲望こそを大きく掻き立てるのであれば、珍しい獲物を高値で売り捌くのにも最適ではないか。


さすがに、ここで新しい卸し先の開拓をする程に無謀ではないが、アイザックであれば、これまでの取引きの実績がある。



「……………おい。俺は商人を連れてきたつもりはないぞ」

「然し乍ら、白けばは、なかなかに金庫の中の場所を取るのです。干からびてしまってもいけませんので、そろそろ売り時でしょう。折角の機会なので、少しだけ取り引きのお話もさせて下さい」

「………なんだその手は」


強欲な人間が手をわきわきさせると、アルテアは、色めいた美貌を僅かに顰めて溜め息を吐く。


「これは、獲物を売り捌き、そのお金でこれからも美味しいものを食べようぞの意気込みを表現した動きなのです」

「やれやれだな。…………アイザック、獲物の検分は舞踏会の後だ。ここで腑分けを始めると、収拾がつかなくなる」

「ええ。それは勿論ですとも。明日にでも、アクスにその獲物をお持ち込み下さい。………ネア様。どうか、そのお取引で山猫の手をお取りになられませんよう」



最後の一言でぐっと低くなった囁きに、ネアは見慣れている筈の魔物の声音の力に、息を詰めそうになってしまった。

成る程、商人達の饗宴でもあるこの舞踏会では、アイザックが見せる顔もいつもとは感情の傾きが違うらしい。



(人外者達の、違う種族としての側面こそが際立つような、そんな場所なのだ)



であれば、ネアがここに来てからずっと感じている焦燥感のようなものは、人間という種としての生存本能故だろう。


簡単に人間など引き裂いてしまえるような生き物達に囲まれ、その爪や牙を隠さない輪の中に立っているのだ。


どれだけ同伴者の守護があっても、背筋が冷えるような感覚は抜けきらない。

けれども、同時にぞわりと肌が粟立つような奇妙な甘美さがあるのだが、こちらは、酩酊などの影響として出ているのだろうか。



「月並みな話題の転換だが、及第点としておいてやる」

「………あの方は商人としての側面が強いように感じてしまうので、時々、より多くのものを司っているのだという事を忘れてしまいますよね」



アイザックが立ち去ると、ネアは、少しだけ安堵してしまった。


欲望を司る彼が公爵位の魔物であることは承知しているのだが、アイザックの、欲望を司る魔物としての振舞いにここまで近付いたのは初めてかもしれない。


これ迄に店の外で出会う事もあったのだが、その場合は、なぜかアイザックの気配を和らげてしまうルドヴィークが一緒であることが多かった。



「あれは、正気のままでいる悪食のようなものだ。欲望に纏わる執着は、歪んでいる方が食指が動くくらいだからな」

「きっと、それこそがあの方の資質なので、私の指輪が抑止力にならない時もあるのでしょう。………ふむ。となると、いざという時は、きりんさんを使う方が手っ取り早そうだと覚えておきますね」



ネアがそう言うと、ふわっと周囲の空気が揺れた。

何が起きたのだろうと目を瞬けば、ケープを広げるようにしてその中に収められ、いつの間にかアルテアの腕の中にいる。

しっかりと体を寄せられると、肌に感じられる体温は親密過ぎる程。


けれども、人間が感じ取る親密さと、このような魔物の気質で成されるそれは違うのかもしれない。



「………アルテアさん?」


こんな風に、大広間の中央近くで捕縛されたのだ。

ここが秋告げの舞踏会であれば、とても目立つだろう。


だが、メデュアルの舞踏会の会場は、常にどこか秘密めいた暗さが立ち籠めており、こうして体を寄せていても、衆目を集める程の目新しさはない。

公爵位の魔物であるアルテア自身が周囲の目を集めはするが、この程度の行為そのものは、闇に紛れるのだ。


「………上々だ。どこかで、アイザックのあちら側の質を、お前に見せておくべきだと思っていたところだが、思っていたよりも影響はなかったな」

「アクス商会のあの方ではなく、魔物としてのあの方を?」

「悪食としてのあいつを、だろうな。あれでいて、アイザックは欲望を司る。いや、あれだからこそとも言えるが。………言っておくが、気が向いて手を伸ばした時に食い散らかされる食卓の有り様は、ノアベルトの比じゃないぞ?」


そう言われると、先程の会話の中には、その種の誘いも含まれていたのだと得心した。

だからといって女性としての愛情や執着を向けられた訳ではなく、たまたま興味のある素材が女性であったので、そちらから解体してみようかという程度のものなのも間違いないのだが。


(そして、そんな手段を選ぶのは、アイザックさんが欲望を司る魔物さんだからなのだ………)



「魔物さんですので、持たれている資質のどちらかに傾くのではなく、その全てを持っているのでしょうね。………理解しているつもりでも、それに触れればちょっぴり驚いてしまうのですから、こうして実地で学べて良かったです。アルテアさん、有難うございました」


この舞踏会に連れて来られた理由の一端に触れられたような気がして、ネアは、素直にお礼を言った。


アイザックのようにさらりとした気配を持つ魔物が相手では、実際にその側面に触れなければ理解出来ない恐ろしさや駆け引きもあるだろう。

また、黒孔雀達や鴉達など、目で見て、実際にその気配に触れる事で、今後の認識や区分が楽になりそうな生き物達もいる。



(ここは多分、私のお披露目の場であり、検分や評価の場であり、同時に学びの場なのだ)



ついつい、魔術師というものの気質ならばよく知っているつもりになってしまうが、所詮それは人間のものでしかない。

階位や理の規律を踏み越える欲や好奇心を持つ商人も、独特な価値観でこちらを脅かしかねない存在とも言えよう。


そんな特異な者達が集まり、ある程度の安全が確保された中で彼等の観察が出来る機会はそうそう多くはない筈だ。



(この世界での暮らしが長くなればなる程、私が出会うものや、知ってゆくものの層は深くなる…………)



今迄は必要ではなくても、これからは必要かもしれないのだから、学びを得る場所も変わってゆくのは当然であった。



「………ふむ。及第点だったようですので、そろそろお料理を…………」

「ほお、あの問いかけで俺を選んでおいて、それだけで済ませるつもりか?」

「先程の問いかけがどんな含みの質問だったのかはさて置き、ご機嫌であるのなら尚更、私をあちらのテーブルに導くべきなのではないでしょうか?」

「やれやれだな。引き続き情緒では大きく失点したままだが、暴れられても厄介か」

「情緒めが常に反映されるのはなぜなのだ…………」

「今夜は常に採点されると思え。ここは、メデュアルの舞踏会だからな」

「解せぬ………」



無事にケープの中から出して貰えたネアは、目星をつけていた料理のテーブルに向かい、アルテアの手をぐいぐいと引っ張った。


呆れているような気配はあるが、引っ張られて歩いてくれるので、このまま頑張れば美味しい料理に出会えるだろう。

そんな二人の姿を見たご婦人方がぎょっとしているが、今は知った事ではない。



(そう言えば、先程の従者さんらしい人は、鴉というものの仲間なのだろうか)



アイザックは、鴉羽と表現していたようだが、それと鴉とは何が違うのだろう。

とは言えその疑問は、後で教えて貰おうリストに印を付けておき、まずはお腹を満たす事から始めようではないか。


そう意気込んでいたネアが、ついつい会場を見回してしまったのは、アイザックがいるのならジルクもいるのかなと考えたからだ。



「へぇ、見た事のない生地だなぁ」

「ぎゃ!」


だからといって、視線を巡らせた瞬間にひょいと顔を覗かせた青年にいきなり手を伸ばされ、思わず爪先を踏み滅ぼしてしまったネアに罪はないだろう。


何しろ、いきなり淑女の胸元に手を伸ばしたのだ。

寧ろこれは、滅ぼされて然るべき要注意人物ではないか。



「………おい」

「ふう!驚きのあまりに踏み滅ぼしてしまいました。とは言え、床にべしゃりと潰れているだけですので、踏まないように迂回してゆけば、また目を覚まして元気に舞踏会を楽しんでくれるでしょう」

「その靴に、いつものお前のブーツのような付与効果はなかった筈だぞ」

「あら、髪の毛を綺麗にしてくれたウィリアムさんが、ヒルドさんと相談の上で何か施してくれたのですよ?」

「…………俺は、髪結いの魔物を使えと言わなかったか?」

「勿論そのつもりでしたが、エーダリア様が懇意にしている方とその方のお知り合いは、どうしても皆さん外せない用事があるという事で、お知り合いに髪結いさんがいないかとシシィさんにお聞きしてみたのです。いつもはどうしているのかと聞かれたので、ウィリアムさんに頼んでいることもあると話したところ、であればウィリアムさんにお願いするのが一番無駄も憂いもないと教えてくれたのですよ」

「………そうか。あいつの企みだな」



忙しい筈なのに、ディノ経由で髪の毛を結い上げてくれるだろうかと聞いて貰ったところ、ウィリアムは快諾してくれた。


アルテアが迎えに来る一刻程前にリーエンベルクに来てくれ、こうして、小粒の真珠を編み込み、綺麗に髪の毛を結い上げてくれたのだ。



「ウィリアムさんは、ふわっと崩しているように見えるのに、動いても崩れない素敵な髪結いが得意なので、今日のドレスにはぴったりですよね。さて、こやつめを跨ぐのは嫌なので、迂回してゆきましょう。それとも、皆さんの邪魔にならないように、壁の方に蹴り転がしておきますか?」

「………黒鶫だな。放っておけ」



であれば放置しようと床にうつ伏せに倒れている青年はそのままにしておき、ネア達は、料理のテーブルに向かった。


倒れた青年を遠巻きにして参加者達がざわざわしているが、不埒者はどうなっても構わないと思うのが、人間という残酷な生き物の本音である。

幸いにも、意識をなくしたお客様は、会場にいる給仕がどこかに片付けてくれるようだ。



しかし、一度邪魔が入ってしまうとツキが落ちるのか、ネアの移動はまたしても妨害を受ける事になる。

次なる妨害者が立ち塞がり、ネアは絶望の眼差しで打ち震えることになった。






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