制服と召喚陣
ネアはその日、朝早くから衣裳部屋を彷徨い、とても渋い表情で部屋に戻ってきた。
人生には、パフェやサンドイッチのような彩りがあるというのが、ネアなりの人生観だ。
それは、具材が端っこだけしか入っていない、本来なら分配されなかった筈の切り捨て部分のサンドイッチが渡された前の世界での経験値では上手く表現出来なかったが、この世界に来てから沢山経験と学びを得る事が出来た。
とびきり美味しく美しいところもあるが、ここはすかすかだなという区分が必ずある。
そしてそれは、ネアにとっての可動域や銀狐カード運だったり、特定の色合いの手持ちの服だったりした。
昨日の冒険、ただし、記憶にあまり残らなかった悲しい冒険から戻り、ネアの記憶に一番に残ったのは、ほんの一瞬しか触れられなかった美しい秋の夜の景色や秋の森の景色ではなく、あの夜行列車の乗務員の制服のお洒落さであった。
殆どの記憶が失われているのでそこが鮮明になるのも致し方ないのだが、深い赤色の制服と黒い羽根つきの帽子の色鮮やかな対比がどうしても胸を騒がせ、なんだかどうしてなのかは分からないが、黒と赤のお洒落な装いに挑戦したくて堪らない気分なのである。
だが残念なことに、ウィームでは強い赤色というのはあまり多く使われない色彩である。
ネア自身も特に似合う訳ではないので、こっくりとした薔薇色などはあるものの、はっきりとした赤い色の服というものをそもそも持っていなかったのだ。
(………この際、黒い服に何か赤いアクセントを取り入れても……………)
そう考えて衣裳部屋を彷徨ってきたが、憧れの乗務員服のような装いは再現出来そうにない。
憧れの再現が叶わなかった人間は打ちひしがれ、今日の服も決められずによろよろと部屋から戻ってきた。
「ふぇぐ………」
「…………ネア、どうしたんだい?」
そんなご主人様の弱りきった帰還に驚いてしまったのが、部屋で編んで貰ったばかりの三つ編みを嬉しそうに見ていたディノである。
着替えにいった筈のネアが、着替えもせずにふらふらで帰って来たのだから、慌てて部屋の入り口まで迎えに来るとすぐさま弱った伴侶を持ち上げた。
そんな優しい魔物の腕の中で、ネアはくすんと鼻を鳴らした。
「……………むぐ。なぜだか突然、普段は着ないような色合いの服を着てみたくなったのですが、そのような色合いの物はありませんでした」
「欲しい物があるのなら、買ってあげるよ。すぐに用意出来るから、言ってご覧?」
「いえ、欲しい訳ではないのです。ここが我儘なのですが、普段着るような色合いではないので、買ってしまうと、今後は殆ど着ないまま買ったことを後悔するのは間違いありません。ですので、どうにか手持ちでその雰囲気を再現出来ないかなと思い、……………叶いませんでした」
「買ってあげるのに………」
「……………そこでふと考えたのですが、ディノは、服装や擬態が自由に出来るのですよね?」
「……………ご主人様」
何か不穏な気配を察したのだろう。
怯えた目でこちらを見て震えている魔物を、ネアは凝視した。
しかし、ふんわりとした巻きのある長い真珠色の髪に、ネアの想像力が、残念ながらこれは型違いですと告げてくるではないか。
(…………あの乗務員さんの雰囲気を再現するのであれば、どちらかと言えばアルテアさんなのだ)
或いはきりりとしてくれればグレイシア、もしくは髪色を擬態して貰い、オフェトリウスやジルクなどでもいい。
背中部分にケープのあるデザインの上着を格好よく着るには、髪の毛は短い方がいいだろう。
とは言え、ディノへのその嗜好の伝え方はとても難しく、うっかり短い髪の毛がいいなどと言ってしまい、万象の魔物がばっさり髪の毛を切る事件などを引き起こしたくはない。
なのでネアは、結局、目指す雰囲気との相違点に気付かぬままに口にした不用意な提案を、心から後悔する羽目になった。
何しろ、怯えてはいるものの、こちらを怖々と伺っている魔物に、何らかの要求をしなければならないのだ。
「…………む、むぅ。……むぐぐ…………ディノ、一度だけ、髪の毛を黒くして、昨晩の列車の乗務員さんのような制服風の装いをしてみて下さい」
「ネアが浮気する…………」
「ち、違うのですよ?!元はと言えば、私自身があのような可愛い赤と黒を上手に使った制服風の装いをしてみたいなと思ったのです。とは言え、それを成しえる服を持ちませんでしたし、きっと私には似合いません。なので、ディノにその雰囲気だけでも見せて貰おうかなと思ったのですが……」
「………あのような色相の方が、君は好きかい?」
「そんなことはないのですよ!」
慌てて、そして、力いっぱいそう宣言したネアに、ディノは少しだけ驚いたようだ。
拳を握って真っ直ぐに見上げてくる伴侶に圧倒されたように、こくりと頷く。
「ディノは、今のディノが一番素敵なのです。そして、ディノ以上に綺麗だと思う方もいないでしょう!…………ですが、人間はとても罪深い生き物なので、自分にとっての一番ではないものの、時々違う雰囲気の物も楽しみたくなるのです。…………それは、ごくたまに、ザハではなくご新規のお菓子屋さんでも焼き菓子を買うという冒険をしてみるような事でしょうか」
「……そういうものなのかい?」
「ええ。いつもは鴨様が一番ですが、今日はなぜか、夜渡り鹿を食べてみようかなという気分の変化のようなものですね」
「………それは、…………伴侶を変えたくなったりは、しないのかい?」
「あら、ディノの場合は、この素敵なディノと、むくむくお腹のムグリスディノがいるので、それで完結してしまうのですよ?」
「ご主人様!」
勿論、そもそもが一人上手なネアは、この伴侶以外の伴侶などとは上手くいかないし、ディノ以外の誰かを伴侶にと考えたこともない。
だが、説明の仕方によってはとても怖い思いをさせてしまうところだったので、無事に解決出来たネアは、ほっと胸を撫で下ろした。
そんな安堵を経ると、少しだけ落胆が和らいだ。
ウィームの秋は既に朝の気温がぐっと下がるようになっており、寝台で蓄えられたほこほことした体温を失う前に、そろそろ本日の服を着てこなければ風邪を引いてしまう。
いつの間にか伴侶の腕の中で、三つ編みを持たされているが、これをひとまずぽいし、もう一度衣装部屋に向かわねばなるまい。
「ふむ。雰囲気を変えたい欲は少し落ち着いたので、着替えてきて、朝食に向かいますね」
「君の持っている服を、魔術で赤くしてみるかい?」
「………それは、すぐに元に戻せる措置なのですか?」
「うん。擬態のようなものであれば、魔術で色を変えてみせるだけだからね。君の好きなように変えられるし、元に戻すのも簡単だよ」
「で、では、やってみてもいいですか?!」
思わぬ活路を見出し、喜び勇んだネアが弾み回れば、ディノも目元を染めて嬉しそうにしてくれる。
これでもう、今日の自分は、黒と赤の小粋な装いで皆を振り向かせられるのだと思い衣裳部屋に向かったネアは、すぐに、現実の恐ろしさを叩きつけられることになった。
「……………まさかの、私には似合わないという結論が出ました。…………くすん」
「そうなのかい?………あの装いでも、可愛かったよ?」
「少しくっきりした面立ちと、短めのくりんとした黒い巻髪などを装備していれば似合った筈なのですが、私が着ると、何だか呪いのお薬でも煮込んでいそうな雰囲気になりました。とは言え、容姿まで変えて挑むのは私の矜持が許しません。やはりあれは、観賞用だったのですね………」
「あんな制服なんて…………」
結局伴侶の執着が外に向いてしまい、荒ぶる魔物をネアは無心になって撫でてやる。
すると、同じように会食堂に向かう義兄と廊下で一緒になった。
「ありゃ、夫婦喧嘩かい?」
「ネアが、制服に浮気する………」
「え、………思っていたより玄人好みの設定に、お兄ちゃんは驚きを禁じ得ないんだけど」
「たいへん如何わしい勘違いに繋がる事が判明しましたので、その表現を禁止しなければいけないようです…………」
ネアはここで、会食堂までの道のりで、ノアに夜行列車の乗務員の制服の素晴らしさを熱く語った。
すると、くすりと微笑んだ義兄が、思わぬ提案をしてくれる。
「よーし、じゃあお兄ちゃんが、後でその服装の擬態をしてあげようか?」
「なぬ。………や、吝かではありません。ノアはまた違う雰囲気になりますが、似合うような気がしてきました!」
「うん。じゃあ頑張ってみようかな。妹から憧れの目で見られるのも悪くないからね」
「制服のノアです!」
「ノアベルトなんて………」
朝食でネアは、ウィームの伝統料理である牛コンソメのスープの美味しさを噛みしめ、じゅわっと噛み締めるような濃厚さと、とは言えさっぱりと飲める万能スープの素晴らしさに打ち震えていた。
ましてや本日は、箱型ブリオッシュの日である。
箱型ブリオッシュはネアが名付けた名称なのだが、長方形の箱状パン型で焼いたブリオッシュを軽くトーストにして出してくれる。
ここに罪深く更にバターを塗り塩気を足してしまい、シンプルなスープと共にいただけば、この二品だけで贅沢な食卓と言えよう。
勿論、他にも美味しいものは沢山あって、ほくほくとした蕪が主役の温野菜のサラダと、チーズたっぷりのスフレオムレツの美味しさも一級品であった。
「…………そんな素敵な時間を超え、楽しみにしていた制服ノアなのですが、…………解釈違いでした………」
「ノアベルトでは、駄目だったのかい?」
「ありゃ、僕じゃ駄目かい?」
美味しい朝食を終え、ネアは早速、夜行列車の乗務員の制服に身を包んだ塩の魔物を堪能せんとしていた。
しかしそこに現れたのは、人外者らしい表情の温度はあっても、乗務員らしい柔和さがお洒落感を演出していたあの男性とはまるで違う仕上がりの、微笑んではいてもどこか暗い気配を纏うノアだったのである。
「………とても素敵なのです。今のノアが物語本に登場したのなら、きっと魅力的な登場人物に違いないと考えるでしょう。…………ですが、必ず犯人か黒幕なのです」
「ノアベルトが………」
「わーお。悪者だぞ………」
こっくりとした深い赤色に重めの金色の縁取り。
あの独特のケープのデザインに、帽子の黒い羽飾りと、黒い編み上げブーツ。
ノアは、あの列車の乗務員の制服を知っていたのか、細部を除けばほぼ正確に再現してくれた。
そうして、髪色も黒に擬態し、帽子をかぶってにっこり微笑んでくれたのである。
しかし、ここで誤算だったのは、塩の魔物と言えばの鮮やかな青紫色の瞳と、そう言えば髪が短い時はこうだったなという人外者らしい酷薄さが際立つ冷ややかな美貌だ。
会話の柔らかさや表情の温度に加え、最近のノアの雰囲気の柔らかさは、どこか銀狐風とも言える少し伸びた髪の毛をくしゃくしゃ一本結びにしている髪型も貢献していたらしい。
黒髪で、尚且つ出会った頃のように短い髪の毛に擬態してくれたノアは、魔物の中でも温度のない美貌寄りの面立ちが、制服の世界観を不思議な夜行列車のおとぎ話から、凄惨なミステリや最後にぞくりとするような展開のある作品に捻じ曲げてしまった。
華やかで洒落た制服がこの上なく似合うものの、確実に、柔和な微笑みの裏側で誰かを破滅させている、情緒がまずい方の犯人役にしか見えない。
「………きっと、主人公の精神に干渉する系の、とても酷いことをする、狡猾な犯人なのですよ」
「え、そこまで決まってるの?」
「………似合うのですが、似合い方がいけません」
「うーん、それならシルも着てみる?」
「ディノは、お忍びの貴族風になるのでは………」
「でもほら、黒髪にすると雰囲気が変わるかもだからね」
「むむ!」
ノアがそう言うのでと、ネアは、自分の心の中から語り掛けられる型違いの予言を封じ込め、塩の魔物の言葉にこそ期待をかけてみた。
しかしそれは、新たな解釈違いの扉を開くだけだったのである。
「…………ふぁ、」
「…………わーお。これは、…………僕でも警戒するかな」
「…………ネア?」
「ぞくりとするくらいに綺麗で魅力的なのですが、ノアとは違う方向性で、出会ってはいけない登場人物という感じをさせてきました………」
そもそも、長い黒髪の三つ編みは、黒の分量を大幅に押し上げ、制服の印象を変えてしまい過ぎる。
どれだけ儚げに微笑んでいても、本人がそれを望まなくても、全てを破滅させる系の宜しくない人ならざるもの感が出てしまった。
黒髪に擬態したせいで、ぞくりとするような美貌が際立ち過ぎてしまい、スリフェアの崩壊区画や、以前に見たムゲの悪夢のような厄介な場所に導かれてしまいそうな乗務員が完成したではないか。
「うん。シルはいつものシルがいいね」
「間違いありません。私の伴侶は、いつものディノが世界一なのです」
「ご主人様!」
「ディノ、今後も赤と黒と金色の組み合わせはやめましょうね。どこか繊細で儚げな色彩の組み合わせにしないと、こんなにも雰囲気が変わってしまうのだと初めて知った日でした………」
ネアはここで、一度だけ全く関係のない我が儘を挟んでしまい、義兄を共犯者にして、伴侶の魔物を砂漠の民風の沢山の布を使った民族衣装にしてみた。
こちらについてはとても好ましくてびょんと弾んでしまうくらいだったが、ディノ本人は、ヨシュアに似ている事が落ち着かないようだ。
「むぅ。ヨシュアさんに似ていると、そわそわしてしまうのですか?」
「………ヨシュアの領域を、侵食しているような気がするんだ。………私達は、特定の特徴を持つ魔物から、その特徴を奪う擬態をあまり好まないからね」
「まぁ、そうだったのですね……」
言われてみれば、ウィリアムの砂漠の民風の装いはウィリアム自身の物になるが、ディノの今の装いは、合わせ布の色彩やターバンだけではなく、三つ編み感までがヨシュアに近しくなってしまう。
試しにと、ターバンだけを外してみたところ、途端に異国の神官風になり、ディノはやっと少しだけ落ち着いたようだ。
「ご主人様…………」
「むむ、しかしディノがおろおろしてしまうので、元に戻しましょうね。いつもの、私の一番好きなディノです」
「ご主人様!」
「………ふと思ったんだけど、シルは、ネアが一番気に入る姿でいたいから、慣れない擬態だと弱るんじゃないかなぁ………」
「なぬ…………」
とは言え、ネアは学んだ。
おおよその魔物達はきっと、生まれた時からそのままの姿だと言うだけあり、それこそという完成形で成るのだ。
ディノに一番似合うのが真珠色とフロックコートであるように、本来の姿こそがその魔物に最も合う装いなのだろう。
ヨシュアだってきっと、あのターバン姿が一番似合うのであって、スリーピースなどになったら何かが違うという感じになるに違いない。
「………ふむ。となるとやはり、本職の方が着こなしてこそのあの制服なのですね」
「あんな制服なんて…………」
めそめそする魔物を撫でてやり、ネアは、部屋のポットから美味しい紅茶を淹れてノアとディノと少しの間お喋りをした。
途中でまた一つ、ディノから夜行列車のお土産のチョコレートをいただき、むぐむぐと幸せな美味しさを噛み締める。
その後、お昼前にかけて、ディノと一緒に魔物の薬を仕上げてしまい、お昼待機の休憩に入る。
そこでネアは、アルテアとのカードに素敵制服のちびふわのイラストをみっしり描いておいた。
これは、魔物姿で無理ならちびふわ仮装はどうだろうと考えたからで、商売もしている選択の魔物なら、ちびちび制服の作り手などを知っているかもしれない。
また、ここでちびふわ制服のイメージが刷り込まれたなら、自分でもちびふわ制服を着たくなったりもするかもしれない。
そう思ってカードいっぱいに制服ちびふわを描いておくと、ぱたんと閉じる。
ディノから、そっと両手で差し出された三つ編みを握り締め、昼食に行った後は、ネアはもうカードに描いたものの事は忘れてしまっていた。
香草塩だれの鶏肉と野菜たっぷりキッシュの組み合わせがとても美味しく、ふくふくとした思いで午後になり、ネアが騎士棟に現れた小さな祟りものを狩っていた時の事だ。
騎士棟に現れた祟りものは、立派な丸い形に育って落ちていたのに、自分を見付けても喜んで拾い上げなかったアメリアへの憎しみから騎士達を呪わんとした櫟の実で、ネアは、ぱちんぱちんと跳ね回るその実を鷲掴みにしたところだった。
「おい、何だあれは………」
どこかでふわりと空気が揺れたような気がした後、騎士棟の扉を躊躇いもなく開き、アルテアが入ってきた。
最近はもう、リーエンベルクへの転移申請などは不要になってしまったらしい選択の魔物が、転移で現れたのである。
余談ではあるが、さすがにエーダリアの私室がある本棟の中などでは自由に転移は出来ないものの、アルテアは誓約書等を書いて、リーエンベルクへの訪れそのものは転移申請なしの簡略可としてあるらしい。
その中でも、現在のネア達がいる騎士棟の外客対応区画は、外からの訪れの規制が少ないところだ。
そして、そんな魔物が現れ、ネアは瞠目した。
「……………ぎゅわ」
ふわりと翻る騎士服は、どこかの国の近衛騎士のものだろうか。
赤と言うよりは葡萄酒色だが、そこに黒い装飾や縁取りがあり、黒い編み上げブーツに丈の短めの黒いケープがひらりと揺れる。
小洒落た帽子には、ぴょこんとした上向きの羽飾りではないが、下向きに吊り下げる形の黒い羽飾りがあり、しゃらりとした宝石飾りと一緒にきらきらしていた。
おまけにアルテアは、黒髪に淡い水色の瞳に擬態していた。
元々ウェーブのある髪質で、制服の色が赤色が葡萄酒色に変わった事で、水色の瞳もとても似合う。
結果として、ネアが求めていたお洒落制服にとても近い形のものが、そこに新たに生まれたのだ。
「……………ネア?!」
感無量の思いで、胸元に飛び込んで来た人間を受け止めたアルテアが困惑するのは当然のことだろう。
だが、朝から求めていた成分が補充された人間が胸をいっぱいにしてしまうのも当然で、ネアはとても感動していた。
握り締めていた祟りものについてもうっかり失念してしまい、困惑していたアルテアが、抱き止めた人間の手の中のものに気付いて眉を顰める。
「……………むぐ!アルテアさんです!!」
ここは正確にはアルテアが正解であったと言うべきなのだが、ネアは感動の嵐に飲み込まれていて、正しい言葉を選べずにいた。
「落ち着け。………手の中の物は、処分していいんだな?」
「………む、………こやつは放り投げて滅ぼすつもりで握り締めていました」
「やれやれだな。壊しておいてやる」
「このままでいいのですか?」
握り締めたままだと、こちらの手首から先も無くなるのではないだろうかと考えたネアが悲しみに満ちた目で見上げると、なぜかアルテアがたじろいだ。
人間はとても儚いので、出来れば、祟りものだけの処分としていただきたい。
なお、伴侶の魔物は、騎士棟を荒らし回っていた櫟の実の祟りものにおでこを攻撃され、ぱちんと体当たりしてきた木の実に怯えて近くの棚の影に隠れている。
何しろこの祟りものの主張は、秋の恵みとして美味しく食べて貰いたいという方向性のものであったので、そんな主張をされた魔物は、ノア共々とても怯えてしまっていたのだ。
「これでいいな」
「まぁ、…………手の中のものがなくなりました」
「手を開いてみろ」
「…………ふぁ、いません!指も、全部残っています………」
「ったく、そこまで追い詰められながら、手で握るな」
「…………む」
ここでネアは、もしやこの魔物は、腕の中の人間が櫟の実の祟りものごときに怯えていると考えたのだろうかと、眉を寄せた。
手の中のものは、伴侶のおでこを赤くした罪で、力一杯石畳に投げつけて粉々にするつもりであったし、手首から先を失うかもしれないと怯えたのは、アルテアの滅し方を懸念したからである。
「……………このくらい、自分で倒せたのですよ?」
「だろうな。そういうことにしておいてやる」
「木の実ごときには、負けません!」
「結実と豊穣の祝福を得た、森の英知の系譜の祟りものだ。可動域は千近くあったようだが?」
「せん………せん?」
広げた手のひらを、どこからか出した濡れおしぼりで丁寧に拭いてくれているアルテアに任せ、ネアは、茫然と櫟の実な祟りものとの戦いを振り返っていた。
ぱちんぱちんと跳ね回り、アメリアの鼻をへしゃげさせたばかりではなく、危うくロマックのお腹に穴を開けるところであったのが、今回、ネア達も参戦した理由である。
あまりにも素早く跳ねるので捕まえるのに苦労はしたが、跳ね返りを計算して部屋の角に追い込んで握り締めてしまえば、後はもう滅ぼすだけだった儚い敵ではないか。
そこまでの過程でディノが負傷したのは許せないし、ノアも顎にぱちんとやられて怯えてしまった。
とは言え、ただの木の実風情である。
「せん…………ぎゅ。…………むぐるる」
「いいか、もっと早くに俺を呼べ。何だあの絵は」
「…………ちびふわ制服の事ですか?」
「…………やめろ。着ないぞ」
「ぎゅむ。アルテアさんは、今のままで、もう充分に素敵な制服ですので、これで完成なのですよ?」
「………ああ、この擬態を解いていなかったな。よりによって、犠牲の系譜の召喚陣なんぞ完成させやがって。どれだけ焦ったと思う?………いいか、これからは、急ぎなら急ぎだと言葉で書け」
「なぬ。………あの制服ちびふわの輪は、召喚陣になっていたのです?」
「擬態だろうが何だろうが、特定の魔物を模した姿絵を輪にして描くなよ。後先を考えない、対価を問わない形の最上位の召喚陣になる。俺だったからまだいいが、…………何だ?」
「…………は!………素敵制服をじっと見てしまっていました」
祟りものが消えたと知り、そろりそろりと魔物達が戸棚の影から出てくる。
ディノはすっかりしょんぼりしているので、無事に緊急任務が終わったのだと撫でてあげる必要があるだろう。
最後は怯えて隠れてしまったが、それでも、櫟の実の祟りものの追い詰めに尽力してくれたのだ。
「アルテアなんて…………」
「この制服のアルテアさんは、とても素敵なのですよ!」
「制服なんて…………」
「わーお、違う形式で正解を出したっぽいなぁ」
「…………お前もいたくせに、こいつをおかしなものに近付けさせたのか」
「ありゃ、過保護な感じになってるぞ…………」
「むふぅ、この後は、素敵制服を見ながらお茶などをするのですか?」
「ネアが制服に浮気する…………」
リーエンベルクの歌乞いに救助要請を出したゼベルは、事件の解決について、あらためてネア達にお礼を言ってくれた。
立派な櫟の実が、森の生き物達の餌になると思い拾わなかっただけで恨みを買ってしまったアメリアが勿論罪に問われる事はなかったが、ネアとしては、あらためて、植物の系譜の生き物の当たり屋的な荒ぶり方を知る事が出来たいい機会だと思っている。
アルテアは最後まで、そんな櫟の実の祟りものが出たことで助けを求められたと思っていたが、そのお陰で少しだけ制服のままでいてくれたので、ネアは、真実については掘り下げないようにした。
なお、エーダリアについては、滅多に拝見出来ない異国の近衛騎士の制服の装飾にあった魔術模様に大興奮で、扉の影からメモを取りに来るのはやめた方がいいと思う。
とは言え、長年門外不出のままで、多くの魔術師達が追い求め続けていた異国の守護術式模様が手に入ってしまい、ガレンで研究部門が立ち上がったと聞けば、かなり大きな成果だったのかもしれない。




