残り物とご主人様
「兄弟達が崩壊したようですね」
そしてその日から何日が経ったのだろう。
もそもそと寝台から這い出してきて、こちらを見ていた主人はぐらりと体を揺らした。
「………シャル」
「ご主人様?」
「…………どこも、………痛くはないか?気分が………いや、気分は悪いな」
慌てたようにそう呟き青ざめると、ご主人様はくしゃりと床に座り込んでしまった。
冬が近づいて来ると膝が痛むというのに、あんな風に硬い石床に座り込み、豪華な刺繍のある上着はくしゃくしゃになっている。
髪の毛は乱れていて、目の下にはひどい隈がある。
目の端が赤くなっていて、つい先ほどまで泣いていたのだとよく分かる表情であった。
(…………このような方が)
シャルシャのご主人様は、冷酷で気難しい武器商人として有名だ。
だが、彼にとっての武器は、厄介な精霊の呪いを持って生まれた娘の治療を助ける為に肥やした畑で、その娘と妻が死んだ後に、手元に唯一残された持ち物だった。
妻との間には愛などなかったと呟いた彼がこの上ない愛情を注いだのは小さな娘で、けれども、彼がどれだけ武器を売ってお金を稼いでも、娘を助けられる程の祝福は手に入らなかったのだ。
(可哀想な、可哀想なご主人様)
ウィームに一度でも暮らしていれば、植物の系譜の呪いを退ける為の祝福を、鉄を使った武器を売買して手に入れられる訳がないと分かるだろう。
彼の選んだ手段は、どれだけ手を尽くしても望みを叶える事は出来ないものだったのだ。
それなのにこの人間は必死に働き、武器を買い戦を助け、多くの同胞達に呪われながらも、武器商人としての堅実で残酷な仕事を必死に続けていた。
愛する者が死者の門の向こうに立ち去り、さして愛していなかった妻も死んだ。
そうすると何をしたらいいのか分からなくなり、空っぽの両手を埋める為に彼はそのまま仕事を続け、更に多くの同胞に恨まれ、けれども住まいを置いた土地の為政者からは信頼を得つつ、事業を拡大し続けて。
そうしてご主人様は、シャルシャとその兄弟達のご主人様になった。
十本の揃えの手斧の武器。
円卓の手斧と呼ばれるその武器は、家族が共にその武器を扱ってこそ、大きな力を発揮する。
だが、そんな武器を手に入れたのは一人の家族もいない孤独な武器商人で、彼は、手斧から派生したシャルシャの兄弟達を自分の息子達のように扱った。
賑やかな食卓に、揃えの服。
沢山の服を仕立てさせて上機嫌だったご主人様は、シャルシャの兄弟達が、我が身を修復してくれたウィームの職人を敬愛していても、嫌な顔一つしなかった。
冷酷で強欲だとされるご主人様が、自分を一番にしない家族を愛し、かつての主人に会いに行きたいと言う兄弟達にまとまった休みすら与えたのは、本当に自分達兄弟を愛してくれていたからだ。
大賑わいの食卓に、長兄達の付き添う買い物。
商談の際にはシャルシャも護衛をし、夜はみんなで葡萄酒を開けて上等なステーキを食べる。
けれども、あの優しい青い瞳の職人はいなくなり、シャルシャの兄弟達もいなくなった。
残されたのは、十本揃えの円卓の手斧の付属品である、家長の長鎌と呼ばれるシャルシャだけ。
ウィームに行かず、ここで、今のご主人様の側に残ることにしたシャルシャだけである。
「兄弟達が崩壊したのは、………悲しいですね。ぽっかりと胸に穴が開いたようだと、………人間はそう言うのでしょう?」
「…………ああ。私達はそう言う」
「ご主人様が、以前に話してくれました。家族を喪うのは殊更に辛いと。…………そんな感じです。兄弟達にはもう会えない」
「……………シャル、」
「でも、…………私のご主人様は、ご主人様だけなのです。…………だから私は、兄弟達の狂乱の影響を受けても、崩壊はしませんでした。…………ですが、愚かな事をなされましたね。崩壊するかもしれない私をあんな上等な寝台に寝かせ、ご主人様はよりにもよってその近くにおられたのですか」
冷ややかにそう指摘すれば、ご主人様は途方に暮れたようにこちらを見ている。
年老いていて、冷酷そうにも強欲そうにも見えず、孤独で愛情深い、悲しいひとだ。
そして、シャルシャの姿に、喪った娘を重ねている。
「…………お前まで、………死んでしまうのかと思ったんだ」
「死にませんよ。ご主人様を一人残せるものですか。私までいなくなったら、誰があなたと晩餐を摂り、共に買い物に出かけるのですか」
そう言えば、こちらを見たご主人様が目を見開く。
じわりと滲んだ涙はすぐに押し留めてしまったが、握り締めた手は確かに震えていた。
「…………お前が生き残ってくれて、…………良かった」
「私は頑丈ですし、兄弟達の中で一番強いんですよ。それに、ご主人様は娘さんを重ねますが、これでも男です」
「あ、………ああ、すまない。小さくて可愛いのでつい………」
「きっと身長はまだ伸びます!伸びますので、今夜からは兄弟達の分もステーキを食べます!…………それと、もう私一人しかいないので、これからは片時も離れずにご主人様の警護をいたします」
「……………シャル?」
「私にももう、ご主人様しかいません。私は元よりご主人様だけでもいいのですが、とは言え、守り手が減ったのが不安です。早急に、力のある代理妖精や守り手の気質のある武器の系譜の者を雇い入れて下さい」
「………あ、……ああ。そうしよう」
「ですが、ご主人様の家族は私だけですよ!後から来た連中に、我が物顔をされるのは我慢なりません」
そう言えば、先程まで酷い顔をしていたご主人様が、困ったようにくしゃりと笑う。
「…………そうだな。私も、お前がいてくれれば、もう他には望みはするまい。今夜は特別に上等なステーキを用意させよう。他に食べたい物はあるか?」
「アップルパイです!」
「では、それも沢山。…………そして、ウィームから返却された兄弟達の亡骸を弔ってやろう。一人では………どうも、難しくてな」
「お手伝いいたします。…………念の為にお伝えしておきますが、ご主人様が泣いても、私も泣くかもしれないのでご安心下さい」
「はは、そうだな。お前がいれば、もう大丈夫だ」
その夜は、沢山のステーキを腹一杯に食べた。
ご主人様はほっとしたように笑い、その夜は、疲れたのか眠そうにしているのに、いつまでも眠らなかった。
「…………ふむ。兄弟達から響いた慟哭に触れる限り、ご主人様がいなくなった後も生きるのはとても不愉快だろうな。今の内に、ご主人様が亡くなられる時には、私も共に埋葬して貰えるようにお願いしよう」
そう呟き、やっと眠りについた主人の部屋の扉を閉め、寝室の前の燭台の火を吹き消す。
もう兄弟達の笑い声を聞けないと思うと胸が痛んだが、ここには、絶対に残して行けない人がいる。
シャルシャが兄弟達と同じ顛末を迎えるのは、このご主人様を見送ってからでなければならない。
何しろ、兄弟達と違い、一番大事なひとはまだこちら側にいるのだから。
なお、ご主人様が膝が痛かろうが腰が痛かろうが、シャルシャはまだまだ一緒にいたいので、長生きして貰わねばならない。
まずは、魔物の薬でも買いにゆき、大事なご主人様の関節痛をどうにかしなければだった。
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