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仕掛け館と薬師の祭壇  2



「因みに、あちらの精霊さんは何やつなのでしょう」

「フォラスかい?彼は、疫病の精霊だよ」



そんなネアの疑問にあっさり答えてくれたのは、ヨシュアであった。

なんと名前まで把握出来てしまったネアは、おおっと目を丸くしたが、知るという事は知られる事なのだ。

入手した名前の取り扱いには、くれぐれも用心しよう。



「さようならです。寧ろ、あの方の顔面にきりんさんボールを投げ付けてもいいのでは」

「疫病というものが、お嫌いですか?………いえ、多くの人間は、本来好まないものですが………」

「私は、精霊さんに纏わる名前を持った弟を病で亡くしているので、精霊と疫病の組み合わせが我慢なりません」

「ほぇ、人間なんて沢山病気で死ぬのに」



そう呟いたヨシュアがあまりにも不思議そうにしているのを見たネアは、なぜか、少しだけ胸が軽くなるような気がした。



魔物から見たら、確かにそうなのだろう。


だから、そんな風に簡単に言われると、ネアの大事なユーリが、この世界にいる多くの人達のように死者の国で伸びやかに過ごせたような気がしたのだ。


小さく細くなって消えていってしまった大事なユーリが、元気な頃の容貌で、死者の国のどこかで美味しくないスポンジまんじゅうを食べている姿が想像出来てしまったネアは、その想像を素敵な思い出として留めようとそっと胸を押さえる。



「……………そうですね。なのでこれは、完全なる八つ当たりで私怨なのでしょう。ですが、こうして承諾も得ずに拐われている今は、私個人としても報復の権利がある筈です」

「それなら、壊すと疫病の血が流れるから、あまりやらない方がいいと思うよ。僕もフォラスは好きじゃないけれど、血が出ると嫌だから近付かないんだ」

「ふむ。血を流さずに滅びるようにすればいいのです?きりん箱なら………」

「ほぇ、……ぼ、僕を巻き込まないようにするといいよ!」

「はい。誤って、ヨシュアさんを滅ぼさないようにしますね。今のところ、こちらに集められた方々も、出来るだけ損ないたくはありませんし………」



ネアのその言葉に、考える様子を見せたのはアスカルだ。

顎先に手を当てて考え込む横顔には、ふわりとかかった巻き髪の毛が柔らかな影を落としていた。


リーエンベルクの騎士達は、騎士服にそれぞれに工夫を凝らして自分なりの着こなしをしているが、アスカルは凝った魔術護符めいた刺繍のあるブーツと、腰のベルトから下げている円形の小瓶のようなものが改良点だろうか。


口の短いフラスコに似た独特な形をしている小瓶の中には、さらさらとした青色の粉が入っていて、蓋部分には計量スプーンのような飾りが付いていた。


だが、ケープを片側の肩にかける為に使う付属ベルトは、装飾用の祝福結晶や守護石などを使ってはおらず、ベルト部分に刺繍や装飾も加えていない、支給されたままの状態になっている。

ウィーム中央でこそ有利に魔術を扱えるリーエンベルクの紋章がない騎士服は、巡礼者だからこその工夫でもあった。



「あの女性達は、…………いざという時には捨て置いて構わないでしょうね。ウィーム各地で大勢の人間達を見てきましたが、特徴的な障りの気配があります」

「障りの気配、………でしょうか?」

「ええ。……………有り体に言えば、大勢の人間を殺していると思われます。どのような職業であれ、それは、普通の人間としては異質な経歴でしょう。職業的な弊害にも思えませんので、………恐らくは非合法な手段かと。ウィームの住人であれば、調査対象ですね」

「………私は、決して清廉潔白な人間ではありませんが、それでもあの方達もぽいです」



アスカルの言葉に、ネアはあっさりそう決めた。


元々、ここにいるどんな善良な人達よりも自分の安全第一なのだ。

実は魔物な少年や、良からぬ事をしでかしている者達の事迄を気にかける余裕はない。

勿論、イーザの身内を狙った青年達も同様の分類である。



次の展開が示されたのは、ネアが、安心して見捨てられる者達がいるのはいい事だと少しだけ安堵していた時だった。



「余分な客も招き入れたようだからな。余興がてら、ここから出る為の方法を教えてやろう」



フォラスが進み出て、突然そんな事を言い出すではないか。


大きな窓を背に、両手を広げて話し出したフォラスは、舞台役者のようにも見えた。

鮮やかな秋の色の外の景色との対比があまりにも不似合いで、どこか作り物めいた感じがするのだ。


これを、脱出の可能性を得られて有難いと捉える者もいるかもしれないが、残念な事に、余興だと本人が言ってしまっている。

どう考えても良い予感がしないネアは、寧ろ、何もしないで獲物の処理をしてくれていた方が良かったと思わないでもなかった。



「俺の所有する薬園から薬草を盗み出した罪人に相応しい罰を与える為には、共連れにする生贄が欠かせない。だからこそ、この男に関わった人間達を集めてあるのだが、………どうやら余分なものも迷い込んでいるようだ。俺がこいつの仕込みを終える迄に帰り道を見付けられた者は、ここから出て行って構わないぞ」

「……………出口は、あるのですか?」



なかなかの勇気を振り絞り、そう尋ねたのは騎士風の装いの男性であった。

グラストよりも年嵩に見えるその目元には味わい深い皺が刻まれていて、しっかりと鍛え抜かれた体はがっしりとしている。

防具はとても質の良い物に見えるので、それなりの組織に属しているのだろう。


ヴァロッシュの祝祭で見かけるウィーム各地の騎士服とは違う物のようだが、くすんだ銀髪と緑の瞳という面立ちや色白な肌の色も含めて、ウィームの民でもおかしくないと考えたネアは、この騎士達の存在をとても案じていた。


(……………でも、旧ロクマリア域と呼ばれるあたりの土地の人達も、身体的な特徴が似ているから、ウィームの人だとは断言出来ないわ)


ヴェルリアの騎士ならもう少し日に焼けているし、ガーウィンの騎士の装いは、どこか禁欲的で聖職者的なモチーフが多くなる。

そして、アルビクロムの騎士達は、騎士服よりも軍人のような装いを好む筈だ。

同じような造作の人達が多いヴェルクレアでも、他領の人間には特徴が一致しない。



「…………ご安心を。ウィームの民ではありません」


そんなネアの懸念に気付き、そう教えてくれたのはアスカルであった。


「………ふぁ、そうなのですね。………ほっとしました」

「あの騎士服からすると、旧ロクマリア域の、個人の貴族などに仕える騎士でしょう。国や街などの騎士ではあり得ない装備が幾つか見受けられます。それに、ウィーム領に属する騎士であれば、私に指示を仰がないという事はありませんからね」

「そのように決まっているのですね?」

「ええ。あわいや影絵、このような隔離地での事件に巻き込まれた場合は、所属に関係なく最も階位の高い騎士に判断を仰ぐという約定があります。ウィーム領の騎士は比較的個人の判断が尊重される傾向にありますが、とは言え、上位者の知識や経験を無視してもいいという事ではありませんから」



引き続きヨシュアの音の壁があり、あちらからの声は聞こえてもこちらの会話を聞かれる事はない。

だが、そんな魔術の展開に気付いていない筈もなく、他の者達も似たような遮蔽魔術を展開している気配があるので、フォラスという精霊はそのような事は気にしていないのだろう。


ネアは胸を撫で下ろして、騎士と精霊のやり取りに意識を戻した。



「ここは疫病の領域の中にある屋敷だが、お前達にでも開けられる出口が一つだけある。それは屋敷の中の扉かもしれないし、屋敷の外にある小道の向こう側かもしれない。こちらの仕込みが終わる迄、俺はその探索の妨害はしないし、お前達に危害を加えるつもりもない。せいぜい、残された時間内に出口を見付けてみせろ。………ああ、街から鐘の音が聞こえてきたな。丁度いい。次の鐘の音までを刻限としよう」

「…………帰り道を探してみましょう。機会をいただき、有難うございます」



ゴーンゴーンと、どこからともなく鐘の音が聞こえてきた。


屋敷の窓から見えるのは花々と秋の森だけだが、境目のないその円環を越えてゆけば、近くに人々が暮らす街や集落があるのだろうか。

だがネアは、どこかで耳にした事のある鐘の音におやっと眉を顰めていた。



フォラスに質問した騎士は、胸に手を当てて深々とお辞儀をしている。

自分を勝手にこの悪趣味な余興の場に引き摺り込んだ精霊に対しても、腹を立てず礼を欠かさない。



(つまりあの人は、高位の人外者への敬意の払い方を知っているという事なのだ…………)



顔は青ざめていて声にも力がなかったが、あまりにも理不尽で残酷な仕打ちを強いる人外者への対処を知るくらいには、魔術の扱いの多い土地にいる騎士なのだろう。

王都であるヴェルリアの貴族達ですら仕損じる事のあるような場面だと思えば、その騎士の振る舞いは完璧であった。


そのような視点であらためてこの屋敷に連れて来られた人々を見ていると、高位の人外者の精神圧に当てられて意識を失っている者は誰もいないではないか。


全員が失神していては面白くないと、犯人側も多少の調整はしているのかもしれないが、それでも大した胆力や抵抗力である。

つまり、この場にいる全員が、それなりの経験をしていると見て間違いないだろう。

その気付きは、少なからずネアをぞっとさせた。



(でも、フォラスさんの言葉から推察すると、ここにいる殆どの人達は、あの袋詰めにされた薬師さんに関係のある人達なのだ。…………むむ?)



ではなぜ、彼らは初対面かのような素振りなのだろうと首を傾げていると、隣でふよふよしていたヨシュアが、ひょいと前に出た。



「僕はその遊びには参加しないよ。勝手に遊んで、勝手に終わらせるといいんだ」

「………こちらの領域に勝手に入り込んでおいて我が儘な事だが、俺としても、お前をこの余興に加えるつもりはない。癇癪を起こされて舞台を崩されても厄介だからな。だが、人間の方はそうはいかないぞ。アルテアが選別しないのであれば、それも獲物だからな」

「ほぇ、…………アルテアはそれでいいのかい?」

「どうしてもと頼むのなら、対価と引き換えに選別しておいてやってもいいがな」



ひらりと片手を振ってそう嗤った魔物は美しく酷薄で、ネアは、こちらも取ってはならない手だなと顔を顰める。

この愉快そうにしている魔物はつまり、現在の状況を楽しんでいるのだろう。

森に帰省中の魔物なので当然の価値観なのだろうが、そんな魔物が興醒めするような提案を善意だけで受けるとは思えない。



「ご遠慮させていただきます」

「ほお?それなら、こいつの悪趣味な余興に付き合う事になるぞ?」

「対価という意味では、どちらも厄介だと言わざるを得ません。このような時こそ慎重に対処したいと思います」

「それなら勝手にしろ。言っておくが、後から泣き付いても拾い上げてやらんからな」

「いつもの対価で済むのなら、交渉に応じてもいいかもしれませんが、そのつもりは無いのですよね?」

「……………いいか、あれを対価だと思っているのなら、それは絶対にない」

「ふむ。ではやはり、ぷいですね」



ネアの結論に大仰に肩を竦めてみせたアルテアは漆黒の天鵞絨のスリーピース姿で、まさしく人間を唆す悪しきものという感じがした。

フォラスの仕込みとやらに立って付き合うつもりはないのか、いつの間にか椅子を出しそこに腰掛けている。


ネアはつい、帰るときにはあの椅子も持って帰るのだろうなと考えてしまい、少しだけほっこりとしたが、すぐに気持ちを引き締め直した。

野生の生き物にそのように心を緩めると、時として取り返しの付かない過ちに繋がりかねない。


そう教えてくれたのは、使い魔と一緒の監修をしている人物で、作家として、愛くるしいがとても邪悪な青もふもふと戦う老人魔術師の物語を執筆している。



「…………やはり、あの方に助けを求めた方が良いのでは?」

「いえ、ここは、遊びたい盛りの魔物さんを刺激しないようにしましょう」

「そのようなものなのですか?」

「ふふ、これでも私は、魔物さんが時々森に帰るのは仕方ないと思っているのですよ。元は野生の生き物ですから、致し方ありませんね」

「……………成る程。同僚達が、あなたについて語っていた事が真実味を帯びてきました」

「…………一体どんな評判なのだ…………」


ネアは、その言葉の含みになぜかとても不安になったが、アスカルは微笑んで首を振る。


「で、そちらの方は、この余興に参加しないという事になりましたが、それでもご助力はいただけるのでしょうか?」

「ほぇ………?」

「は!そ、そうです。勝手に安全圏に逃げるのは許しませんよ!」

「君に協力はするけれど、僕はフォラスの遊びには付き合わないよ」

「では、出口を探すお手伝いをしてくれるのです?」

「おい、どちらかにしろよ」

「アルテアは我が儘なんだ。この遊びを始めたのはフォラスだからね」

「そいつも、どっち付かずの立ち位置までを許容するとは思えんがな」

「では、どちらも許すといいよ。僕はとても偉大な魔物だからね」



当然のようにそう告げたヨシュアに、フォラスは案の定、嫌そうな顔をした。



(あ、………普通に嫌そうにするんだ)


ネアがそんな感想を抱いていると、疫病の精霊は、少し考えた後に、好きにしろと言うではないか。

これにはネアも驚いてしまったが、とても嫌そうな顔をしているので渋々といったところなのだろう。



「……………雲の癇癪で、この舞台を崩されては堪らないからな」


その言葉は二度目なので、もしかすると、ヨシュアの行いで何か苦い思いを強いられた事があるのかもしれない。

とは言え、ヨシュア自身は特に思い当たる節がないのか、きょとんとしていた。


「だそうですので、ここは素早く出口を探しに行きましょう。ささ、移動しますよ!」

「ほえ、どうして僕を引っ張るんだい?」

「他の階を見に行くからですね」

「………余興に参加される事にしたのですね」


アスカルの問いかけに、参加しないという選択肢もあるのだなと気付いたが、ネアはこくりと頷いた。

突然の提案に動揺していた他の者達も、そろりと動き始める。



(急がなければ、機会が失われてしまう…………)



ネアの目的は、フォラスやアルテアの目の届かないところで遮蔽布を使い、何としてもディノ達に現状を伝える事だ。

元より内側から出てゆく事よりも、外側からの迎えに期待をしているので、出口探し自体にはそこまで積極的ではない。



(それに多分、ここは出てはいけない場所なのだ)



ネアは、過去に何度か、疫病に纏わる事件に巻き込まれている。

だからこそ、大きな手掛かりを見付けていた。




「つまり、お外に出るのは避けたいのです。このお屋敷の周囲には他の建物などは見えませんが、恐らく、外周のどこかには街や集落の設置や設定があるのでしょう」

「鐘の音が聞こえたけれど、そちらには行かないのかい?確かに、フォラスの領域でも、アルテアの領域でも、そのくらいの規模の移植は出来ると思うよ」

「あの鐘の音は、疫病を知らせるものです」

「……………となると、外はやはり」



ネアの言葉に、そう頷いたのはアスカルだ。

どうやら彼も気付いていたらしい。



「ほぇ、外にはもう疫病を広げてあるのかい?」

「その可能性が高いのではないでしょうか?………上手く言えませんが、外に出てはいけないような気が、ずっとしていました。森や花々の美しさにどこか空々しい、どこか不穏な鮮やかさがあるからだと思っていましたが、………私の持っている守護の何かが宜しくない状態だと知らせてくれているのかもしれません」

「ふうん。でも、僕は罹らないと思うから関係ないかな」

「だとしても、あの森の色が気になりますね。秋の森が色づいていると思えば自然な景色ですが、赤という色彩には幾つか意味があります」



ネア達がいるのは、三階にある小さな部屋だ。


一階が独特な造りになっているのに対し、他の階は至って普通の貴族の屋敷のような部屋ばかりであった。

その中で時間を稼ぎ外との連携が取れるような部屋を探し、ネア達はそこに身を潜めて作戦会議をしている。


ヨシュアに手伝って貰って一人で布の遮蔽の中に入ったネアは、カードからディノへ連絡入れた。

だが、開いたカードには、意外にもディノからの安否を問うメッセージが書かれておらず、これはもしや、外部とは時間の流れに差異のある嫌な展開ではあるまいかとネアを辟易とさせた。



(でも、どのような場所にいて、どのような事に巻き込まれているのかを書いておけた。それだけでも良しとしよう…………)



時間の差分があった場合には勿論、助けが来る迄には思っていた以上の時間がかかるだろう。

そう理解すると落胆のあまりにくしゃりとなりそうだったが、ヨシュアとアスカルは居てくれるのだ。

気持ちを立て直し、少しでも足元の地盤を頑強にせねばならない。



「この季節の美しい森だと思わせておいて、本来の意味を隠しているかもしれないのですね?」

「赤には、秋の系譜が好む色彩というだけではなく、火の系譜の魔術を示す意味があります。或いは血を象徴する色でもあるかもしれない。………そして、火による焚き上げ程、疫病に有効なものはありません」

「…………あの森は、円環を描いた魔術ではなく、外側に蔓延るものを入れないようにしているという事でしょうか?」

「円環を模しているのは事実でしょう。ですが、こちら側に咲く花々が健やかなのは、赤の円環の内側こそが守られた領域であるという印かもしれません。………また、ただの境界だとすれば、その円環の魔術にも、魔術を高めるという行為以外の意味があります」

「抑制や封印だね。僕は偉大だから、フォラスが何度も舞台と言うから気になったんだよ。僕は疫病には触れないようにしているから、フォラスの舞台を壊した事はないのにね」

「…………むむ?」



一度は首を傾げたネアは、すぐにその意味を理解した。



「もしかしてあの方は、ヨシュアさんを利用して、ここは舞台だと、皆さんに印象付けたのですね………」

「だと思うよ。疫病の系譜には陰湿で狡猾な連中が多いから、僕は嫌いなんだ」

「あら、ローンさんはちょっぴり苦労性な感じの穏やかな方でしたし、素敵な尻尾がありますよ?」

「ローンは全部を持っているから少し違うんだ。どちらかと言うとウィリアム寄りだからね」

「…………まぁ。その言葉が、何となく分かるような気がしました。ウィリアムさんは終焉ですが、死の精霊さん達に比べると平等な立場を意識しているようです………」



つまり、ローンの気質の特性はそちら側なのだろう。


終焉そのもののウィリアムと、死の様々な役割を分担する死の精霊達の気質が異なるように、疫病そのもののローンと、恐らく、様々な資質を同族で分け合っているであろう疫病の精霊達は違う気質となる。



(では、フォラスという疫病の精霊さんは、どのような側面を引き受けているのだろう………?)



さすがにヨシュアもそこ迄は知らず、とは言えそれでも、フォラスの事はあまり好きではないらしい。



「ここは舞台ではなく、檻なのですね。森の向こう側に疫病が敷かれているのだとすれば、………きっとそれすらも、この内側に閉じ込めた獲物を逃さない円環の一つなのでしょう」

「それならやっぱり、フォラスが狙っている獲物は人間ではないと思うよ」

「沢山の人を殺してしまっていると言う、あの女性達でもなさそうですか?」

「あの妖精なら、一重の覆いで充分だからね。違うと思うよ」

「なぬ。妖精さんなのです?」

「内側は妖精になっていたよ。雨上がりの草地を踏むような臭いがしたから、夏至祭で内側に巣食われたんだろう」

「ぎゃふ………」



(……………おや?)



ここでふと、ネアは、またしても考え込んでいる様子のアスカルに気付いた。

リーエンベルクの巡礼騎士はこんな風に考える事が多く、その横顔にまた、誰かによく似た面影を感じる。


家具には布がかけられ、普段は使われていないであろう薄暗い部屋だからか、ウィスタリアがかった髪色がより深い色合いに見える。

それなのになぜか、青い瞳は不可思議な光を浴びているように思えた。



「…………夏至祭に人間の内側に巣食った妖精。……騎士、疫病の精霊の畑の薬草……………あの商人達はヴェルリアの商人でしたね」

「アスカルさん?」

「…………ネア様は、最近ウィームの集落で、山百合の障りがあったのをご存知ですか?」

「はい。その話は聞きました。たまたま、エーダリア様と一緒に薬学の研修で森の淵の近くに滞在していて、森の向こう側に行かないようにと注意喚起がありました」

「………私が挙げた物に、山百合の乙女の血を混ぜると、伝承にある水薬の材料となります」

「むむ、伝承にあるお薬………?」

「もう一つ必要な材料がありますけれどね。…………雲の方、あなたが追いかけておられた人間の薬師は、人を、細かく言えば同業者を殺している可能性はありますか?」

「それは知らないよ。ただ、イーザの家族に手を出したんだ」



そうして、ネアはここで、とある薬の存在を知る事になる。



「……………疫病の門を開く為の、解錠のお薬」

「ええ。本物の疫病の門は、どこかで厳重に管理されています。ですが、その門に通じる道を開く薬は、材料さえ揃えば作る事が出来るとされています。とは言え、疫病の精霊の畑の薬草が必要ですから、あまり現実的ではありませんが…………」

「そんな物だとしたら、随分久し振りに作られるね。疫病そのものを作った方が早いから、わざわざ疫病の門を開こうとする者は少ないんだ。………解錠の薬を使おうとしているのなら、欲しい疫病を選びたいのかな」

「特定の疫病が欲しいどなたかが、疫病の門を開こうとしているのですか?」

「……………そんな物を手に入れようとしているのであれば、階位の高い人外者でしょう。疫病の門を開いたところで、人間の手には負えないのは確かですから」




だとすれば、その人物は、望む疫病を手に入れてどうしたいのだろう。


何よりも不安なのは目的が見えない事だが、ネアは、先日の山百合の事件が今回の一件に繋がるのだと思うと背筋が寒くなった。

アスカルがそんな薬について知っている事も意外だが、知識を持ちそこから理由を定められるのは有難い。



「………アスカルさんは、なぜそんなお薬についてご存知なのですか?」

「私は、薬を扱う魔術に長けた騎士ですからね。師というほどではありませんが、私の前任者は、先日ネア様が会われたクライスです」


思わぬ回答に、ネアは目を瞬いた。



「なぬ」

「ほぇ、じゃあ君も薬師の魔術の気配があって、こちら側に呼ばれたのかな」

「かもしれません。…………幸いにも、私は同業者殺しの薬師ではない。お陰で、疫病の門の解錠の薬の材料とはなり得ませんが」

「なんと嫌な材料なのだ…………」

「もう一つ気になる符号があります。先日の山百合の事件では、山百合の畑を管理していた集落の薬師が巻き込まれて命を落としました。彼女は確か、クライスの学派の薬師で、疫病の系譜の祝福を得ていた筈です」

「…………疫病の?」

「ええ。ですが、彼女の命を奪ったのは、障りから生まれる山百合の疫病でした。疫病の祝福を得ていても、疫病の全てを統括する程のものでなければ、全ての疫病を退けられるという訳ではありません。………病というものの扱いは、実に複雑で厄介ですから」



(あ、…………)



その言葉に滲んだのは、さらりとした悔恨であった。

この人は、誰か大切な人を病で失ったのか、助けられなかった患者がいたのかもしれない。


ネアはもう一度ユーリの事を思い出したが、目の前にヨシュアがいるお陰か、ネアの大事な弟は勿論あまりの可愛さに死者の国でも大事にされていた。

ずっとユーリが憧れていた不思議な生き物のいる死者の国で過ごす姿を想像すると、ふわりと心が柔らかくなる。



「そう言えば、アルテアさんは、灰色のローブの薬師さん達も標的だと話していました。その……材料としては、あの方々が適応されるのでしょうか」

「であれば、その条件を備えた薬師なのでしょう。もしくは、捕らえられた薬師と交流のある薬師なのかもしれません。………あくまでも、疫病の門の解錠薬こそが、今回の全ての事件に繋がる回答であればですがね」



(それもそうだ…………) 



条件が上手く付合したのでそれだと思ってしまうが、未だ確定された情報はない。

ふぅと息を吐き、ネアは背筋を伸ばす。



「アスカルさん、…………あの中に、ウィームの方はおられましたか?」

「領民は、フォラスに捕らえられた薬師と、灰色のローブの者達だけでしょうね。共にいた子供は魔物のようですから、ウィームに属しているという訳ではないでしょう」

「となると、我々がここから脱出しても、残してゆく事に胸を痛めるような方はいないのでしょう。とは言え、あの盗人がウィームの住人だったというのは少し残念です………」


そう言えば、アスカルは僅かに苦笑したようだ。


「ウィームの民達は自国愛が強いとされますが、それでも、他領との繋がりの深い領民もいるにはいますからね。あの商人達も、問題の薬師を知っていたようですので、ヴェルリアの商人達との繋がりが元々あったと推察出来ます。………ここからは推論ですが、あの商人達の腰帯に下げられていた通行証は、ヴェルリアより南方の島国との交易に使われる物です。王都の意向ではなく、他国の者の意向に与している可能性もある」

「………むむう。ややこしくなってきましたね。………私の観察では、他の方々は、盗人さんとは面識がなさそうだと思いました。それなのに、ここに呼ばれたのはあの薬師さんの関係者だからだと言われていましたが、直接のお知り合いという訳ではないのかもしれません」



そう言えば、アスカルはゆっくりと頷いた。

アスカルの観察からも、彼等は、囚われた薬師との面識はなさそうだと言う。

であれば、フォラスが指摘した関係性は、あくまでも解錠薬の材料としてのものであるのかもしれない。



(仮説として、答えが解錠薬だとする。その場合、あの精霊さんは、薬を作ろうとした薬師さんを捕らえ、その薬作りに必要な材料となる人達をここに集めた。…………クライスさんを通じて、もしかすると私やアスカルさんも無関係ではないのかもしれない)



とは言え当初、フォラスは、アルテアが望むのであればと、ネアを解放する事を容認していた。

であるのなら、クライス側の参加者は標的ではないという考え方も出来る。



「ふむ。…………その山百合の事件で亡くなられた薬師さんは、どなたから疫病の祝福を得ていたのかご存知ですか?」

「祝福のやり取りは、薬師のレシピと同じように秘されている事も多いんです。私は聞いておりませんでしたが、…………疫病を総じて退ける祝福ではなかった以上、あの精霊の物という可能性もあるのでしょう」

「となるとこれは、あの薬師めの企みでお気に入りの方を喪った、精霊さんの復讐でもあるのかもしれません。…………そこに、なぜアルテアさんが絡むのかは分かりませんが、統括の魔物さんとしてのお役目だったりするのかもですね」

「或いは、…………ネア様と、そちらの思惑に魔術の繋がりが出る事を警戒されたのでは?疫病の魔術には、拡散や潜伏の資質があります。過去に疫病の門に近付き、尚且つザッカムの疫病に纏わる事件に関わられたのですから、慎重にもなるでしょう」




(……………ああ、やはりなのか)



「…………むむ。森に帰っている筈なのですが、そうかもしれないのですね」


そう頷きながら、ネアは、また一つの確信を噛み締めていた。


向かいに立ち、リーエンベルクの騎士服を着たこの人物は、恐らくは人間ではない。

そして多分、ネアが知っている誰かなのだ。



(疫病の門の扱いは禁忌に近いもので、ウィリアムさんが厳重に管理している。私がその近くを訪れた事を、なぜ知っているのだろう。それに、フォラスさんの名前を躊躇いもなく呼んでいるし、私が疫病に纏わる事件に巻き込まれた事を知っている…………)



如何にリーエンベルクの騎士達との間には情報の共有があれど、ネアが関わった疫病の事件はクライメルという今は亡き、けれどもとても厄介な遺産を数多く残している白夜の魔物絡みだ。


あの時はゼノーシュが一緒だったので、グラストや一部の騎士達との情報の共有はあったかもしれない。

だが、ザッカムという名称迄はどうだろう。



(でも、ここでそれを指摘するのはやめておこう。………入れ替わっているのか、元々アスカルさんが擬態の一つなのかは分からないけれど、本当の姿を隠している人外者は、正体を見破られるとその場から立ち去らなければならない事もあると言うから………)



アスカルからは、悪意を感じないどころか、寧ろ、様々な助言を得られている。

端々から覗かせる不注意にも思える言葉は、もしかしたら、アスカルなりに、ネアに与えてくれているヒントなのかもしれなかった。



(まるで、物語の契約のように………)



かつてアルテアが足を掬われた、姿を隠している間に結ばれた契約に縛られてしまうという、物語の魔術の繋ぎ。

アスカルが差し出しているのは、そのようなものなのだとしたら。



「どちらにせよ、何とかしてここを出ましょう」

「はい!………アラクルさん。まだまだ厄介な事がありそうですが、こちらを出る迄、力や知恵を貸していただけますか?」



ネアがそう言うと、こちらを見た巡礼の騎士はくすりと笑う。


「おや、それだけで宜しいのですか?私はリーエンベルクの騎士なのですから、あなたの事はきちんとお守りいたしますよ」



その眼差しにはやはり、何某かの理解が窺えた。

自分が示した痕跡をネアが見付け、見逃さずに使った事に満足しているような、そんな微笑みだ。



「ふふ、では、それもお願いしてしまいますね。ヨシュアさんは……………なぬ。居眠りしています」

「……………ふぇ、誰かが揺さぶるよ」

「まったくもう、お昼寝は後にして下さい。あの精霊さんの余興に参加したのは、隠れてディノ達へ連絡を取るために必要だからでしたが、折角ですから、ここから出る為の出口を探しにゆきますよ」



ネアは、疲れたから寝たいとぐずる雲の魔物の腕を掴み、こちらのカードは揃ったぞとふんすと胸を張る。


今回の事件がアスカルの言う疫病の門の解錠薬を巡るものであるのなら、フォラスにこの場でその芽を摘んで貰えるのは、ウィームとしても幸いだろう。


とは言えネアからしてみれば、巻き込まれたまま諸共に破棄される訳にはいかないのだ。



「でも、フォラスは、出口が見付かれば必ず助けるとは、言わなかったよ?」

「ふむ。私もそこは気になっていました。ですが、関係図が出来上がればこちらのものです。ぽいしてもいいものは邪魔になれば滅ぼしてゆき、犯人側とは、そちらの事情は分かっていますよと穏便に解放交渉が出来ますからね」

「……………ふぇ、穏便じゃない」

「あら、厄介な物が開かれないようにしてくれている方なら、こちらにも話し合う用意があります。最悪、あの方が疫病の精霊さんなら、ディノのお薬をスプーンで百億倍くらいにして飲ませれば倒せるような気もしますし……」

「ふ、ふぇぇ!殺そうとしてる!」

「なぜ泣くのだ。さぁ、館内の探索に出かけますよ」



部屋を出る際にもう一度だけカードを開いたが、やはりディノからの連絡はまだ入っていなかった。

ネアは少しがっかりしたが、それでもしゃんと背筋を伸ばし、次なる展開を自らの手で作り出す為、部屋を出る。




廊下に出ると、窓から、花々の咲き乱れる円環を通り抜け、森の方に向かう者達が見えた。

よく見えなかったが、体格的にはあの騎士達だろうか。


鐘の音の聞こえた方向を目指すに違いないが、どうしても、その先に救いがあるとは思えない。

何も知らずに外に向かったのならと少しだけ胸が痛んだが、ネアは、小さく溜め息を吐いてその思いを切り捨てた。


今するべき事は無責任な同情ではなく、ここから無事に帰る事に他ならない。

所詮人間は、自分が一番大事だという、強欲な生き物なのである。
























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