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2. ヴァロッシュの祝祭が訪れます(本編)




その日、ウィームは随分と待たされたヴァロッシュの祝祭を迎え、華やいでいた。



しゅぱんと弾ける箱型の魔術クラッカーが、誰もいない場所にも花びらや紙吹雪を降らせ、清廉な雪景色に彩りを添える。


誰もいない場所にまで花びらを降らせるのは、すっかり季節がずれ込んでしまったヴァロッシュの祝祭の魔術を、しっかりと土地に定着させる為の措置なのだそうだ。

ネアも設置を手伝ったので、何だか誇らしい気持ちではらはらと舞い散る花びらを眺めた。


会場の周囲を彩る雪を飾った木々には妖精達の祝福が煌めき、屋台からは食べ物のいい匂いがする。

香ばしく焼いている串焼きハムの屋台の下には、じゅるりと涎を垂らして震えている冬狼の子供達がいた。


荒ぶる観客達からの避難路を求めて、物陰を駆け抜けてゆくのはパンの魔物だろうか。

小さな生き物達も思わぬ祝祭の喜びにあちこちで大騒ぎしているが、物陰でくすくすと笑う良からぬものがいると、通りすがりの騎士達がおやっと眉を持ち上げて目を止め、すらりと剣を抜いて成敗してゆく。


本日は騎士達の祝祭なので、この辺りの騎士密集度はかなりのものなのだ。

よって、祝祭らしい賑やかさで翳る足元の危うさはなく、領民達も安心して楽しめる一日である。



残念ながら、空は快晴とは言えなかった。

けれども、灰色や水灰色のむくむくとした雲が千切れ残る空にはこの季節らしい繊細さがあって、空を見上げたネアは、その複雑な美しさに唇の端を持ち上げた。



「あの雲が気に入ったのかい?」

「ええ。まるで、絵で描いたような雲ですよね。ヴァロッシュのお祭りにぴったりの、騎士さんが出てくる絵物語のような雲だと思いませんか?」

「今年は、揚げドーナツは買うのかな」

「はい!あちらのお店にある、シナモンのものが食べたいのです。揚げたてにたっぷりのシナモンとお砂糖をまぶしてくれますので、表面にじゅわっと溶けたお砂糖が染み込んで、中がふわふわの最高のドーナツなんですよ!」


幾つかの屋台は昨晩から出ていたらしく、ネアは、狐の足跡という名前のドーナツ屋さんの評判を既にゼノーシュから聞いてあった。


あつあつほくほくでじゅわっと甘いドーナツを提供してくれるそのお店には、二種類のシンプルなドーナツが用意されている。

黎明の祝福を受けた雪オレンジ風味の粉砂糖と、スタンダードなシナモンシュガーのものがあって、そのどちらもが、ドーナツを揚げた後の熱でじゅわわと染み込む甘さが抜群のバランスで、噛みしめるとじゃりじゅわ感満載の幸せな美味しさで心を満たしてくれるらしい。



(揚げたてドーナツ…………)



うっとりとその甘さを想像し、ネアは、はっと我に返った。



「…………は!うっかり心が完全にドーナツになっていましたが、我々は急いで準決勝の席に行かなければなりません。ドーナツを買ってしまうと心がそちらに傾いてしまうので、ドーナツは観戦の後で食べましょうね」



ネア達が向かうのは、本日予定されている催しの中の剣試合である。


御前試合の中には、剣試合、剣舞、騎馬戦、使役など幾つもの種目があるが、個人的にはクイズ大会にしか見えない魔術法域の知識や、ウィームの歴史問題を競う試合などもかなり気になる。


とは言えやはり、目玉のものとなれば剣試合だろう。

ここにはリーエンベルクの名だたる騎士達が出るばかりか、ウィーム各地から有名な騎士達が集まってくるのだ。



「今年は、準決勝が取れたのだね」

「はい!抽選で勝ち抜けました。…………む」



御前試合における観客の入れ替えは、とても効率的だ。


試合が終わると、騎士達の退出路が花道のようになるので、熱心な観客程、死に物狂いでそちらに移動する。

お気に入りの騎士に近くで声をかけたい乙女達が、スカートの裾を持ち上げて周囲の邪魔者を蹴散らして走っていく様が、ディノはとても怖いらしい。

おまけにそこには、騎士達に憧れる子供達や、地元の英雄を労いたい応援団なども加わるので、客席でも熾烈な戦いが繰り広げられていた。



前の試合の観客達の大移動が始まってしまい、それに気付いたディノは、慌ててネアの影に隠れてきた。

ネアも、万が一荒ぶる観客達が柵を薙ぎ倒してきてもいいように、少しだけ歩道の真ん中の方へ移動しておく。


会場の一部が石壁ではなく雪鉱石の柵になっているので、通路を駆けてゆく観客達の迫力がこちらにも伝わって来てしまうのだ。



「……………その他の観客の方も、次の試合に向けて荒ぶるご婦人方に早く出るようにと押し出されてゆきますので、この仕組みはとても効率的なのですが…………」

「ご主人様…………」

「やはり、ディノには少し刺激が強いようですね…………」



どどどという鈍い地響きがして、これから客席に向かうネア達の横を、荒ぶるご婦人方が駆け抜けて行った。


うっかりその進路上に顔を出してしまった鼬妖精は、先頭をゆくご婦人の素晴らしい一撃で蹴り飛ばされきらんと星になる。

柵の部分の隙間からその悲しい光景を見てしまい、魔物はびゃっと飛び上がると、ネアにぎゅうぎゅうと体を寄せてしまう。

震える魔物の背中をよしよしと撫でてやりながら、ネアは空に消えた鼬妖精の冥福を祈った。



命が惜しければ、あのご婦人方の進路上には決して出てはならないとみんなが知ってはいる筈なのだが、やはり祝祭の場なので、ほろ酔いで踏み込んでしまう哀れな犠牲者なども珍しくはない。



「まぁ!…………ディノ、見て下さい。あそこにいるのは、一昨年の時も見かけた方達ですね。元気そうで何よりです」

「……………今年も青なのかな」

「ふふ、お顔を塗ってしまうのが、あの方達なりのヴァロッシュの祝祭の楽しみ方なのですね」

「やはり、青く塗ってしまうのだね…………」



ネアが屋台のある区画の方に見付けたのは、顔を青く塗ってお酒を飲みながら祝祭を楽しむご老人達で、今年もそこには、明らかに人外者であろうという一人が混ざっている。


傘祭りが終わったら釣りに行くと話しているので、きっと普段から仲間達とわいわいやっているのだろう。

顔を青くペイントしてしまうことも理解の範疇を超えてしまうらしく、ディノは、いっそうにネアの背中の影に隠れてしまい、とても警戒していた。



遠くで歓声が聞こえた。

花道のあたりを、試合を終えた騎士が通っているのだろう。

子供達の声も聞こえてくるので、人気のある騎士なのだろうか。




ネア達が、ゆっくりと外周の歩道を歩いて入り口に向かっている剣試合の会場は、いつものウィームの野外劇場ではない。

夏にヴァロッシュの祝祭が行われる劇場にはこの時期には別の公演がある為、すり鉢状になった円形の野外劇場のような施設を、この日だけ併設空間を立ち上げて魔術で設営してあるのだ。


雪深い季節に野外の会場と思うだろうが、魔術の恩恵の深いウィームでは、結界で覆いをかけてあるし、座席には暖かな暖炉石などが置かれるスペースも作ってあるので思いがけずほこほことして、とても暖かい。


とは言え、普段は夏の祝祭であるので、この季節に開催となることで、騎士達にとっては大きな変化があるようだ。



「ディノ、今回の剣技は、どちらかと言えば夏の祝福が強いグラストさんは、この季節は若干不利になるのですよね?」

「夏と冬の系譜は、性質がまるで違うからね。エーダリア達は、環境が変わることでいつもとは違う側面が見えるのも有用かもしれないと話していたようだよ」

「リーエンベルクの騎士さん達の中には、冬の系譜が強い方はいらっしゃるのでしょうか?」

「雪の妖精の系譜の者と、雪竜の加護を受けた者がいるね。それから、氷雪系の魔術の最高位の術式を一つ持っている騎士がいるが、さすがにそれは、このようなところでは使えないだろう…………」



その氷雪系の術式は、ネアがかつて授けられたものと対になる魔術の一つで、辺り一帯にホワイトアウトする程の猛吹雪を呼んでしまうのだとか。

広範囲の魔術で規模を特定出来ない為、このような場所で披露するには向いていないのだそうだ。



無事に会場に入り、お喋りをしながら階段を上がって自分達の席を見付けて座ると、以前に観覧した時よりも前の方の席が取れていることが判明した。


まだこちらの世界の舞台の席順に理解の薄いネアには、記された座席地番がどのあたりなのか、イマイチよく分っていなかったのだ。



「まぁ、随分前の方だったのですね。きっと大迫力ですよ」

「…………弾んでる。可愛い…………」

「準決勝をこんな近くで見られるのですから、はしゃがざるを得ません!」



ネアは喜びにひと弾みしてから、うきうきと、厚手のクッションが置かれた座席に座る。


二人の騎士が向かい合う様を真横から均等に見られるという中央最前席ではないが、左手の騎士側寄りで斜めになるとはいえ、かなり臨場感のある良席であることは間違いない。



(こんな近くで、剣技を見るのは初めてだわ………)



ネアは、まるで自分も競技に参加するような気分ではぁはぁすると、高鳴る胸をそっと片手で押さえた。



心を落ち着かせる為に周囲のお客達のお喋りを聞いていると、季節が変わったことで今年は番狂わせが起きると言われていたが、大本命がグラストとアンゲリカなのは変わらないようだ。



(でも、アンゲリカさんはもう一つの準決勝戦の出場だから、今年は見られなかったな…………)



ネア達の斜め下にある最前列の関係者席には、青年姿の魔物に擬態したゼノーシュの頭が見える。

ゼノーシュは十歳前後の少年姿の魔物であるが、歌乞いの契約の魔物として、公の場では儚げな水色の髪の青年の姿でいることが多い。


先程から周囲のご婦人方がそわそわとお菓子の差し入れをしているが、ネアの見立てでは、ゼノーシュはあの手紙までは読まないだろう。

お菓子の袋にメッセージを書いている女性がいるが、メッセージを読んで貰いたいのなら、あの手法が最も安全ではないだろうか。



(でも、あの姿で美味しそうにお菓子を食べて、グラストさん大好きで座席の上で弾んでいたりするのだから、ご婦人方がやられてしまうのも分かるな……………)



そんなことを考えていたら、わあっと歓声が上がった。

ネアは慌てて座り直し、膝の上にさっと置かれた三つ編みを握り締める。

いよいよ、準決勝が始まるようだ。



「まぁ、あの騎士さんは確か…………、まぁ、やっぱり!ユリメイアさんです…!」

「おや、ここまで勝ち上がってきたのだね。彼は確か、冬の系譜の属性の騎士ではなかった筈だよ」



先程までは会場見回りを仕事としていたネア達は、それまでの予選会を観ていなかったので、どんな騎士が勝ち上がって来ているのかを知らなかった。


入口あたりで、今年の優勝者を巡って賭けをしている妖精達の姿から、グラストとアンゲリカが勝ち上がっていることまでは把握していたものの、まさか、もう一人リーエンベルクの騎士が残っているとは思わなかったので、何だか嬉しくなってしまう。



「……………以前の野外音楽祭で、ディノが擬態したことのある騎士さんですよね?」

「あの後、旅に出ていたんじゃなかったかな………………」

「ええ。離婚訴訟で元奥様にあれこれ毟り取られた結果、心がきゅっとなってしまい、人の世を儚んで南方調査の建前で長期療養休暇を取っていたのですが、昨年末からゆっくりと業務復帰してゆくと聞いていました。でも、いきなり準決勝に勝ち上がってきてしまうのですから、凄い騎士さんだったのですね……………!」

「あんな騎士なんて……………」

「こらっ!いけませんよ。すぐさま荒ぶらずに、ここはどうか、真心をもって応援してあげて下さい。私達の暮らすリーエンベルクやウィームを守ってくれている、大事なお仲間ではありませんか」

「……………………ご主人様……」



グラストは右側を自陣とするらしく、残念ながらネア達からは少し離れてしまうが、代わりに左側を自陣とするユリメイアという、第五席の騎士がよく見えた。



ゆっくりと開始位置に歩いてゆくユリメイアは、白百合の騎士と呼ばれる見目麗しい騎士だ。


鎖骨くらいまでの長さではあるが、細く柔らかな毛質の青みがかった銀髪を一本の三つ編みに結い、片方の耳には特徴的な白い滴型の白百合の魔物の祝福石の耳飾りを下げている。


その耳飾りは、彼の父親が白百合の魔物の系譜の女官を魔獣から助けたことで、孫の代までの祝福をという約束で授けられた名誉の品であるそうで、公には真偽のほどは定かではないとされながらも、人々からは白百合の騎士と呼ばれているらしい。


ディノは本物だと話していたので、ユリメイアの父親は、白百合の魔物に会ったことがあるのだろう。



耳飾りは、身に着けた者に白百合の魔物の加護を与えると言われているが、残念ながら、ユリメイアは宝石魔術という希少な固有魔術を扱う騎士であったので、植物の系譜とはあまり相性が良くないそうだ。


かつては、万事によく気付き防衛に長けている魔術を扱うことからか、グラストが不在の際にはエーダリアの護衛を務めることが多かった熟練の騎士の一人で、硬質不変を資質とする宝石の魔術により、大人の男性になったばかりの姿のまま成長を止めている。



ウィームの正規騎士団の中でも最も水色が多く使われ、白いラインが涼やかなリーエンベルクの騎士の装いは美しい。


その中でも席次のある騎士は装飾で色を加えており、グラストの騎士服は艶消しの金の装飾が威厳を感じさせるし、ユリメイアの騎士服には色味を変えて内側から光を発するネオン系の水色の鉱石の装飾が鮮やかだ。



騎士としては美麗な二人が向かい合い、観客の盛り上がりは最高潮に達した。



色とりどりの花びらが振り撒かれるのは、魔術仕掛けの花吹雪の小箱が売られているからで、はらはらと舞い散る花びらは、騎士達にまとわりついて試合の邪魔になることはない。



リーエンベルクの騎士には水色の花吹雪が多いので、ネアは前回と同様に檸檬色の花吹雪の小箱を買っておき、ぽふんと花びらを降らせた。




(ふふ、ゼノも喜んでくれたみたい…………)



前の席に座ったゼノーシュが気付いて、こちらを振り返ってきりりと頷いてくれる。


水色の花びらに檸檬色の花びらが重なるので、ゼノーシュの身に持つ色彩になるようにしたと分かっているのだ。




「始め!」



開始の合図に、二人が剣を構えた。

ユリメイアも剣を使うようで、左右の対比的にも整った絵で麗しく、またわぁっと観客が沸く。


この祝祭で使われる騎士達の全ての武器は、精巧な擬似魔術で写し取られたレプリカであるのだが、色や形だけではなく、錬成出来る魔術の癖までを一時的に再現するので、騎士達は普段とあまり変わらない動きをすることが出来る。

相手の剣が体に触れると、くしゃみが止まらなくなるので勝敗が分るという仕組みだ。



騎士達以外にももう一人黒衣の男性が舞台に立っているが、こちらはウィーム各地から集められた魔術師の一人で、事前に講習を受け、各試合の進行と審判を担当している。


彼等には、騎士達とはまた違う層の観客がついており、特にフリーランスの魔術師や学園の卒業を控えている若い魔術師達は、審判ぶりを見ている貴族や裕福な商人達から引き抜きがかかることもある。


諸経費は運営が持つものの基本報酬はなく、おまけに事前の講習などもあるので時間は取られるが、今後の仕事を得られるかどうかなどにも影響するので彼等も真剣勝負なのだった。


この試合の審判は、夜のような黒髪を複雑に結い上げた涼やかな美貌のおじさま魔術師で、そちらに向かって声援を送るご婦人もいるようだ。


一部、漆黒のケープ姿の一団がおり、審判の魔術師が何かをする度にさっと屈み込んでメモを取るので、このあたりは魔術師見習いの者達かもしれない。




激しい打ち合いの中で、ぱきんと、硝子が割れるような硬質な音が響いた。



「…………ディ、ディノ!ユリメイアさんの足元に、結晶化した宝石で足場が!」

「おや、人間であれだけの鉱石を育てる者は珍しいね。戦いながら錬成出来るのであれば、かなりの可動域を持っているのだろう」

「……………ふぁ。きらきらしたものがあちこちに出現するので、見ていてとても綺麗ですね……………」



ネア達が見守る先で、ユリメイアが振るった水晶の剣が、ガシャンと重たい響きを立ててグラストの剣を受け止める。


ユリメイアの方が細身であるので不利に思えたが、ぱきぱきと音を立てて育った鉱石が、その踵の部分をしっかりと固めて体が動かないようにしたようだ。


しかし、それを見て微笑んだグラストは、すぐさま剣を反対側の手に持ち変えると、続けざまに斬撃を放った。



グラストの剣の持つ祝福がしゅわしゅわとした細やかな金色の光の粒子を零し、ユリメイアの剣が錬成する宝石魔術が、きらきらと輝く細やかな宝石を大気中に錬成する。

写しの武器を使ってもこれだけの魔術を錬成出来るのだから、双方とも、本物の愛剣ではいったいどこまでを可能とするのだろう。



暫くの間、二人の実力は拮抗しているように思えた。


グラストの苛烈な打ち込みをユリメイアは華麗に躱し、ユリメイアの宝石魔術を、グラストの剣が容赦なく削り崩す。


何て見応えのある試合だろうと固唾を飲んで見守っていると、勝敗は唐突についた。



それまでの見せていた動きを何段階か上回るような素早さでグラストが剣を続けざまに振るい、それに反応出来なかったユリメイアが体勢を崩して、剣を受けてしまう。




「…………くしゅん」




控えめなくしゃみが聞こえた途端、わぁっと歓声が上がる。




「勝者、グラスト!」



その声に合わせ、観客達は一斉に立ち上がり、拍手で勝者を称えた。

ネアは、ゼノーシュが立ち上がって目をきらきらさせている横顔もぬかりなく堪能しておき、頼もしいリーエンベルクの騎士隊長に惜しみのない拍手を送る。


試合を終えた他の騎士達も、間近でこの試合を観たかったのだろう。

審判席の横にある退避区画に集まって熱心に観戦しており、勝敗がついた途端に歓声を上げていた。

負けてしまったものか、まだハンカチを当てた鼻をぐずぐずさせている騎士達は少し辛そうだが、試合後半刻もすればむずむずする鼻も鎮まるという。



大きな歓声が響き渡り、またあちこちで魔術仕掛けの箱が開いて花吹雪が舞い散る。

けれどもその歓声が尾を引き余韻が途切れるか途切れないかのあたりで、すっと体の向きを変えるご婦人達がいるではないか。



暗く苛烈な眼差しにはめらめらと闘志が燃え上がり、聞こえない号令が響いたかのように、いっせいに花道に向けて駆け出した。

負けじと子供達も駆け抜けてゆき、ネアは慌てて先程までゼノーシュがいた座席のあたりを見た。



既にそこはもぬけの空になっており、はっと花道の方の柵のあたりを見れば、誰よりも早く一番真ん前を押さえた、見聞の魔物の姿があった。



「……………さ、さすがゼノです」

「あの位置で、牽制するのだね…………」

「グラストさんが再婚しないよう、きっちりと敵を排除するそうですが、その隙に乗じてゼノを近くで見たいだけのご婦人も入り込んでくるので、グラストさんの試合の時は阿鼻叫喚になるそうですよ」

「阿鼻叫喚………………」




その後、怯えきった魔物を連れて、ネアはいそいそと会場を後にした。



次は決勝なのだが、それまでに一時間休憩を挟むので直前まで戦った騎士達もゆっくりと休めるようだ。

ちょうど遅めの昼食時にもなり、グラストは、ゼノーシュと一緒に屋台のお昼を食べるのだとか。



「さて、午後には人形劇も控えていますので、まずはゆっくりと揚げたてドーナツなど…………。な、なぬ!あんなに並んでいます!!我々も急ぎますよ、ディノ!」

「ネア…………?!」



置き去りにされそうになって慌てる魔物の伴走で、ドーナツ屋さんに向けて疾走する中、ネアは、何かの隅っこをぎゅむっと踏んだような気がして走りながら振り返った。



(あれは………………)




どうやら、歩道の真ん中に、踏み潰されて平ぺたにされたパンの魔物が落ちていたようだ。



しかし、とても急いでいるのでここは見なかったことにしようと思い、残酷な人間はさっと視線を前に戻す。



けれども、ドーナツ屋さんの行列に並んだところで、ディノがご主人様が他の魔物を踏んだとたいそう荒ぶるので、ネアは渋々靴裏を布で拭く羽目になってしまったのだった。















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