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樫の通路の駅と秋果実のパフェ



がたんごとんと列車が揺れる。


その規則的な揺れに体を預け、ネアは上等な一等車両の赤い天鵞絨張りの椅子に座っていた。


窓の向こうの森の色は、すっかり秋の色になった。

今年こそ参加するつもりであった、秋告げの舞踏会が終わったのだ。

そこで食べられる筈だったご馳走を思えば口惜しさに口がむぐむぐしてしまうが、もう一つの舞踏会の方が食事は美味しいと聞けば怨嗟の念は消える。


とは言え、アルテアが、あの始まりの店の店員をなぜこうも警戒しているのかはよく分からなかった。

これでもネアは、押し売りはきっぱりと断れる人間なのだ。


ご挨拶でいただいた絨毯も、ダリルに確認して貰ったところ、高級商品を扱う店舗では、店主が挨拶の品としてぎりぎり切り出せる値段の範囲内だと聞いている。

言われてみれば、アイザックも、時々値段を聞くのが怖いようなシュプリを、季節の挨拶でリーエンベルクに届けてくれていた。



「ネア、来たみたいだよ」

「むむ!待っていました!!」  



その声に、はっと我に返る。

慌てて耳を済ませると、少し離れた位置から、がらがらとワゴンを押してくる音が聞こえた。

ぴしりと背筋を伸ばし、車内販売のミルクティーを買うのだと目を輝かせた伴侶に、なぜかディノも目元を染めている。



ウィームを走る列車の多くは長距離路線で、パウンドケーキやスコーンのようなお菓子が売られている事もあるが、今日は出先で食事をする予定があるので、飲み物だけにしておこう。


とは言え、経費の節減もあり、帰り道は転移でしゅばっとやってしまうので、このミルクティーで得られる旅気分は欠かせない。



「紅茶にするかい?」

「はい!この路線は、牛乳たっぷりで、お砂糖の入った紅茶が美味しいのですよ」

「うん。じゃあ、お兄ちゃんもそれにしようかな。シルは?」

「ネアと同じものにする」



本日の電車の旅は、ネアとディノ、そしてノアという顔ぶれであった。

諸事情でリーエンベルクにアルテアとウィリアムが揃っているので、この隙にと、ちょっとした仕事兼、お出かけの予定を入れたのだ。


なお、ウィリアムは久し振りの休暇を部屋でゆっくりと過ごしており、アルテアは、リーエンベルクが扱っている紅茶の銘柄でヒルドと話があるらしい。


どうも、大口の得意にしか配らない季節の紅茶のサンプルの中に、どうしてもテイスティングしておきたい秋の紅茶があるようだ。

それだけを聞くとただの紅茶好きだが、とある紅茶畑に悪さをした精霊がいるらしく、リーエンベルクの仕入れている紅茶にそれが混ざり込んでいないかを、最も反応の出やすい紅茶で調べようとしているのだ。


既にアルテアの手持ちの中では問題の茶葉が見付かっており、アクス商会やリノアールでも被害が出ているようだ。


その一件は、今後、なかなかの事件になるのは間違いないだろう。

ウィームだけではなく、王都やガーウィンでも被害が報告されている。



「むむ………この紅茶は、大丈夫でしょうか」

「うん。これは大丈夫だよ。厄介な物が混ざり込んでいるのは特定の地域の茶畑のもので、こうして列車内で売るには高価過ぎるからね」

「では、安心して美味しい紅茶をいただけますね」

「ネア、そろそろ秋紫陽花の峠だよ。楽しみにしていただろう?」

「は!まさかのここで………!!」



車内販売のワゴンはノアが注意していてくれると言うので、ネアは、慌てて窓にへばりつき、車窓から美しい秋紫陽花を楽しんだ。

秋紫陽花は、正式には紫陽花ではないのだが、くすんだ薔薇色の紫陽花によく似た花が、辺り一面に満開になる。


秋の始まりに花を咲かせる、丘陵地によく咲く秋と霧の系譜の花なのだ。



「…………ふぁ。…………綺麗です」

「随分と沢山咲いているのだね」

「これだけ栽培していれば、まぁ、一年分の稼ぎにはなるよね」

「ふむ。確か稀に採れる祝福結晶がとても高価なのですよね?老後は、秋紫陽花農家というお仕事も、なかなか悪くありませんね」

「ありゃ、僕の妹には無理じゃないかなぁ。………ほら、畑を耕せないよね?」

「はたけくらい、たがやせるのですよ!」

「ええと、可動域が…………」

「ぎゅむ」



ネアの可動域では、畑の雑草などに負けてしまうので、畑仕事は難しいのだそうだ。

ましてや、畑を耕す為に使う魔術農具の扱いや、苗を育む為の魔術も動かせない。

そんな残酷な現実と直面し悲しみに震えながら、ネアは、ノアに買って貰った車内販売の美味しいミルクティーで心を緩めるしかなかった。



ごとんごとん。

ゆったりと、緩やかに穏やかに。


今回の旅でネア達の乗っている列車は、厄介なものを轢いたり、乱暴な生き物に窓から侵入されたりする事もなく、予定通りに運行してくれた。


個室車両なので他の乗客の様子はあまり見えないが、途中駅のホームの様子など、普段の生活では触れない景色や人々の様子は見ていて飽きない。


大きな荷物を持った商人や、家族連れのお客。

フードを深く下した魔術師に、肩の上によく分からないけばけばした使い魔を座らせた青年。

窓の向こうに飛んで行く竜が見えたり、カワセミではあるまいかというぺらぺらリボンな何かが、木の枝に引っかかっていたりもする。


甘いミルクティーをごくりと飲みながらそんな風景を眺めれば、ネアはちょっとした旅行記でも書けてしまいそうな気分であった。



「こうして、普段訪れない土地を、普段は見ない角度から眺めるのも楽しいですね。遠くに見えるアルバンの山の冠雪が綺麗ですし、森の奥にある湖がきらきらしています!」

「今日行く店も、高台にあって湖が見えるよ。シュタルト程ではないけど、景観はお勧めかな」

「ですがその前に、エーダリア様からのお仕事を一つ済ませてしまうのですよね?」

「うん。そっちは修繕を任せていたカーテンの受け取りだけだから、すぐに終わるよ。七年もかかったらしいね」

「私は、あんな素敵なカーテンに珈琲をかけたままにした誰かを許しません…………」

「ご主人様…………」



今回ネア達が引き取りを任されたのは、刺繍妖精の村に修繕に出された、ビーズ刺繍のある豪華なカーテンだ。


舞踏会の夜などに使われ、シャンデリアの明かりが煌めいてこそ美しく映えるカーテンなので、今のリーエンベルクではあまり出番はないだろう。

とは言え、統一戦争前の妖精刺繍の粋を集めた美しいカーテンが、珈琲染みを付けたままくしゃくしゃに丸まって倉庫から出て来た時、エーダリアはすぐに修繕に出すと決めたのだそうだ。



費用もかかるし、手直しを出来る職人は、もう少なくなっている。


だがそこには、今なら何とか救う事の出来るウィームの歴史があり、エーダリアは、どうしてもそれを見捨てられなかったのだろう。

かくして、そのカーテンは、アーヘムの助言でウィーム中央から離れた森の中に暮らす刺繍職人の手に預けられ、七年の月日を経て、やっとリーエンベルクに戻ってくる事になった。


祝福の煌めきの強いビーズや妖精の紡いだ糸もふんだんに使われていたカーテンは、修繕が終わった夜は、その村の花々を満開にしてしまったそうだ。


絵柄になっている薔薇の影響なのか、修繕を引き受けてくれた職人の家の周囲には、それは見事な薔薇の茂みが出来てしまったという。

美しい花から糸を紡げるし、尚且つ上質な祝福結晶が採れるので、村の人々は大喜びなのだとか。



「ヒルドさんが引き取りに行けない事情も、何だか複雑ですが可愛らしいのです」

「まぁ、ヒルドは森と湖のシーの中でも、王だった階位だからね。その系譜の妖精の女の子には、ちょっと刺激が強いんだと思うよ」



実は、ヒルドはその村に、友人のアーヘムと共に修繕の進捗を見る為に訪れた事がある。

その時にもてなしてくれた村長の娘がヒルドに恋をしてしまい、絶対にお嫁さんになるのだと大騒ぎして大変だったそうなのだ。


その場は何とかお断りし、娘さんも今は無事に婚約者がいるそうなので、今回の引き渡しでは、あまり刺激しないように済ませようという事情もある。

アーヘム達とは違う種族の刺繍妖精の村なのだが、刺繍作業を依頼する為に訪れる他の高位の人外者には反応しないので、恐らく、ヒルドの何かが余程気に入ってしまったのだろうという事であった。



とは言え、こちらの塩の魔物も大丈夫だろうかと不安であったが、さっと行ってさっと帰ってくるだけなので問題ないだろうと言うのが、義兄の主張だ。

ネアが代わりに受け取ってもいいのだが、妖精との契約の書類の受領書は、ネアの階位ではサインが出来ない物である。



そんな事を考えていたら、がっこんと音を立てて列車が小さな駅に停まった。



「お、着いたかな」

「ここが、樫の通路の駅なのですね」

「このカップは捨ててしまうのかい………?」

「ディノ、しょんぼりしてはいけませんよ。飲食関係の容器類は、使用したらぽいしましょうね」

「ご主人様…………」



降り際に少しだけわしゃわしゃしたが、無事に列車を下りると、ここから刺繍妖精達のいる村に向かうことになる。

向かうと行っても、さすがに徒歩ではなく、ちょっぴりの日帰り旅行気分を継続するべく駅前で乗り合い馬車を借り、妖精の村に寄って貰った上で高台にあるレストランに向かうのだ。

なお、乗合馬車は閑散期らしく貸切状態という贅沢さである。


簡素な無人の駅舎がまた趣きがあり、少しだけ傾いた屋根をくぐると、駅の前の広場には大きな樫の木があった。

枝を広げた立派な佇まいなのだが、根本部分に綺麗な花壇があるのでどこか優しい雰囲気である。


ネアの生まれ育った世界での樫の木は常緑樹であったが、こちらの世界には秋の系譜の紅葉する樫の木がある。

この樫の通路の駅にある樫の木は、そちらの種類のものらしい。



「まぁ、この素敵な馬車なのです?」

「大きなものだね」

「うん。この辺りは、貸し馬車も有名なんだ。今日は宜しく頼むよ」


ネア達が乗る馬車は事前に予約されており、駅の前で待っていてくれた。

御者は煙のような黒い影姿だが、仕立てのいい制服を着ているのがその輪郭だけでも分かる。

四頭の馬達は綺麗な灰色で、足元の毛だけが黒いのが何だか可愛らしい。


すっかり観光気分で笑顔になったネアは、ディノにエスコートして貰いながら馬車に乗り、がらがらと屋根のない馬車を牽く馬達の背中にちびこい翼がある事に気付いて目を丸くした。



「…………お馬さんの背中に、翼があります」

「翼種なのだろう。風の系譜かな。幼体の頃はこのような姿で、百年ほどすると翼も大きくなるのだと思うよ」

「ペガサス的な…………」

「ぺがさす…………」

「この辺りの森に住む風の系譜の妖精の一種で、こういう、馬車牽きや荷運びを好むんだ。大人しくて善良だけど、鬣をわざと傷つけると食べられるから気を付けてね」

「まぁ、そんな酷い事をされたら、怒って然るべきです」



ぱかぱかと、蹄の音が響く。


駅から村までは静かな森の中を抜けてゆくようなのだが、道は綺麗に石畳で舗装されており、歩道などの作りもしっかりとしている。


閑散とした周辺の様子からは、そこ迄の整備の必要は感じられない。

それなのにここ迄お金がかけられているのはなぜだろうと首を傾げると、くすりと笑ったノアが、シーズンになるとこの駅がどれだけ賑わうのかを教えてくれた。



「イブメリアが近くなると、森の住人達がそれぞれの住まいの木に、手作りのオーナメントを下げるんだ。森全体が飾り木みたいになるから、観光客が沢山来るらしいよ。その際に、刺繍妖精の村では天鵞絨に詰め物をして刺繍を施したオーナメントを売るんだけど、これがまた人気でね。収集家もいるらしい」

「まぁ、だからこそ道や歩道が整っているのですね」

「うん。イブメリアになると、屋台も沢山出るみたいだしね。こちら側は山だけど、反対側には小さな町があって、教会やカフェもあるんだ。そこも人気かな。レストランの窓から少しだけ見えると思うよ」



その町では、小さな花枝を結晶化させたオーナメントが、イブメリアのお土産として有名なのだとか。

ネアが無言で目をきらきらさせてしまうと、にっこり微笑んだノアが、季節になったら買ってきてあげるよと言ってくれる。


花枝のオーナメントは、山からの湧き水を使って結晶化させるので、綺麗な細工物として喜ばれるのだそうだ。



「ふぁ。ぽかぽかしてきました。のんびりゆったりのこの馬車の移動が、何とも言えずに素敵な気分でふ……」

「こりゃ気持ちいいや。閑散期だけど、このくらいの方が却って贅沢な静かさかもね」

「ネアが………」

「むむ、ぐいんとのけぞって背中を伸ばしつつ、森の木々を見上げるのも素敵ですよ」



ガラガラカポカポと馬車が進んでゆくのは、ゆったりとした登り坂だ。


このくらいの坂は馬達には何てことはないようで、程よい速度は紅葉に色付き始めた森を見上げるのには最適と言えよう。


木漏れ日が膝に落ち、道に迫り出した木の枝の上にはシーズン外のお客を珍しそうに見ている栗鼠達がいる。

よく見れば背中に青い妖精の羽があるので、飛ぶことも出来るのだろう。


歩道沿いには細やかな花を咲かせたカモミールのような茂みがあり、香草と言うには若干野性的な草花の香りがする。

大きな樫の木に絡んだ山葡萄の蔓に、太い枝の上から尻尾が垂れ下がっているところを見ると、お昼寝している竜もいるようだ。


日陰を通るとリーリーと秋の虫の声が聞こえ、ウィーム中央とはまた違った秋を感じられ、ネアはまた一度清々しい秋の空気を胸いっぱいに吸い込む。



「あら、あの柵の辺りが、刺繍妖精さんの村でしょうか。入り口のところにある、オーナメントを模した看板がなんて可愛いのでしょう」

「さてと、まずはカーテンだね。ネア達は馬車で待っていてよ」


暫く馬車を進めると、件の刺繍妖精の村の前に着いたのだが、ノアは、そう言い残すと馬車から飛び降りて走っていってしまい、ネア達は顔を見合わせる。


「…………まぁ、あっという間に飛び降りていってしまいました」

「あまり長居したくないのかな…………」

「む?ノアもこの村の方と何かあったのでしょうか?」



こちらもまだイブメリアには早い時期だからか閑散としており、観光客の姿などはなく、村に暮らす妖精達の生活があるばかりのようだ。


奥の方に見える大きな木の枝からブランコを吊るし、楽しそうに遊んでいる人間の子供が見える。

刺繍妖精の村と聞いていたが、人間の家族も暮らしているらしい。


ネアは体を捻って村の入り口からその中の様子を覗き見つつ、お昼前の時間でもありそれなりに外に出ている妖精達に不審がられないように微笑みを貼り付けておいた。



「…………可愛いお家が多いですね。色々な壁色のお家があって、どのお家もお庭が素晴らしいですし、家の前には必ず素敵なお花の鉢植えがあります」

「花壇はあちこちにあるようだね。村の中で糸を紡ぐ事も多いのだろう」

「それで、こんなに沢山のお花が咲いているのかもしれませんね」



村の前に馬車が停まっているので、不思議そうにこちらを見ている妖精達もいる。

だが、特に騒ぐ事もなくすぐに興味を失って歩き去っていってしまうのは、高度な技術を持つ刺繍妖精の村として、依頼人の訪問が珍しくないからだろう。


どうしても目の行ってしまう村の奥にある大きな木の更に向こうには、緑豊かな牧草地が広がっていて、羊の姿も見えた。

水汲み場があったり、小さな酒屋のような店があったりと、隠れ家めいた密やかさではあるが、この村で暮らしている人々の生活がしっかりと伝わってきた。



「戻って来たようだね」

「…………早過ぎませんか?なぜにそんなに急ぐのだ…………」



ディノの言う通り、カーテンは金庫に仕舞った後なのか、身一つで駆け戻ってくるノアの姿が見える。

やはり今回も、しゅばっと走ってきた義兄を怪訝に思っていると、馬車に乗り込んだノアが、ほうっと息を吐き、問題のある一言を呟くではないか。



「はぁ、刺されなかったぞ」

「…………さては、昔の恋人さんが、この村にいるのですね?」

「うーん、いるかもしれないってくらいの感じなんだよね。この村の出身かなぁっていう刺繍妖精の女の子と付き合った事があるんだけど、どこに暮らしているのか聞いたりしないまま別れちゃったからさ、ここで遭遇したらどうしようってひやひやしてたんだ。でも、それらしい子には会わなかったから、これでもう一安心かな」

「…………ノアベルト」



ノアが邂逅を恐れていた女性は、その儚げな塩の魔物の表情を窺うに、なかなかに危険な人物だったのかもしれない。

安堵に微笑むノアが少し震えているので、ネアは、一体どんな別れ方をしてしまったのだろうと眉を寄せる。



「そのような場合は、ディノに引き取りを頼んでも良かったのですよ?」

「今回はさ、エーダリアが僕に頼んだんだ。だからそこは、ちゃんと僕が引き取ってきてあげたいからね」

「ふむ。素直にいい話だと思うには、過去の恋人さんとの顛末次第でしょうか」

「わーお、僕の妹が冷たいぞ………」

「これから行く先のレストランに潜んでいたりは…………」

「あ、それはないから安心して。あの子は、泉の水しか飲まない妖精だったし、油や火の気配は苦手だったんだ。レストランには入れないと思うよ」

「ふぁ。それを聞いてほっとしました。お食事中にノアが刺されたら、美味しさを噛み締める心の余裕もない、悲しいばかりの昼食会になってしまいます…………」

「え、…………いないよね?」

「ノアベルトが…………」

「不吉な事を言うのはやめるのだ………」



馬車はゆっくりとカーブを描く山の上へと向かい、少しずつ、周囲の木々が密度を増してゆく。

道の上に迫り出している枝も多いので、イブメリアの時には、この辺りは飾り木のアーチのようになるのだろうか。

樫の木も多い。



(ああ、だからあの駅名なのだわ………)



そんな事を考えて木々の天蓋を見上げていたネアは、枝の上にくしゃんとなって寝ていた栗鼠か何かを、緑のまん丸小鳥が、足で蹴り出して茂みの中に落としている光景を目撃してしまう。


木漏れ日の落ちるいい場所を奪いたかったようだが、ぼすんとどこかに落下していった栗鼠的な何かは、果たして存命だったのだろうか。

凄惨な場所取り事件だといけないので、慌てて視線を逸らし、ネアは、目撃者である事を気付かれないようにした。




「ほら、見えてきたよ」

「まぁ!可愛らしいお店が!壁がヒルドさんの羽の色です!」



最後のカーブはこれ迄で一番きつく、そこを抜けると高台のレストランが現れた。


小さな邸宅は、元々は画家の夫婦が暮らしていたらしいが、高齢だったご夫婦が亡くなると、屋敷で働いていた妖精の料理人が屋敷を遺産として相続したのだという。


こぢんまりしてはいるが、丁寧に作られたお屋敷だ。

とは言えエメラルドグリーンの壁と美しい赤い薔薇の庭園で、どこか可愛らしい印象の方が強い。


この土地を訪れた人々が美味しいものを食べて帰れるようにと、予約は席の半分まで。

後は、ふらりと訪れたお客ですぐに満席になる。



「今日は予約してあるから、安心していいよ。この店の秋野菜と秋鮭のクリームパイは、いつかネアに食べさせてあげたかったんだ。確か、秋告げにも料理を出した事がある料理人だからね」

「た、たべます!!何皿でも!」

「ネア、馬車から落ちないようにね」

「他にもきっと、僕の妹が気に入りそうな料理がいっぱいあると思うよ」



そんなノアの予言は、確かに当たった。

レストランは、妖精のご夫婦と三人の弟子で切り盛りされており、ここに来る迄には見かけなかったくらいの盛況ぶりであった。

座席は既に埋まっていて、ネア達が最後の到着だったようだ。


鹿肉のステーキに黒すぐりのソースのお皿が目の前を通り過ぎてゆき、ネアは思わずくんくんしてしまう。

ローズマリーと黒すぐりのいい香りに、お腹がぐーっと鳴ってしまいそうになる。



(温かな雰囲気で、なんて素敵なお店なのかしら………)



使い込まれた木の床に、柔らかな水色のカーテン。

窓からは薔薇の庭園が見えるが、何よりも圧巻なのは、窓際の席から開けた視界の先の遥か下に湖が見える事だろう。

このレストランは、山の中腹から迫り出したテーブル状の部分に建てられていて、この絶景も売りの一つなのだ。




「むふぅ。こんな素敵な眺めの中でいただけるパフェは最高ですね」



その後、沢山の美味しい物をいただき、満足しきったネアは、ノアがどうして遅めの時間に予約を入れたかを知り、贅沢さにくしゃりとなっていた。


食事を終えた客達は、天候に恵まれれば、テラス席でデザートがいただける。

そのテラス席で過ごす時間をゆったり過ごせるよう、後続のない時間で予約を入れてくれたらしい。



(でもそれは、転移で帰れるからこそなのだわ)



他のお客は、駅の側に向かうにせよ、町の側に下りるにせよ、ある程度の時間の縛りがある。

この辺りは、決して交通の便がいい場所ではない。



ノアのお勧めのパイに、蜂蜜とスパイスの風味の秋鴨。

この山で獲れたキノコをふんだんに使った、キノコのポタージュに、庭園風の絵のようなサラダには、山羊のチーズと薄く削いで花びらのように散らした自家製サラミが添えられていた。


中でも絶品だったのが、栗を使った少し甘味のあるソースをかけた香草豚で、表面にかりかりっとした焼き色を付けた豚肉には岩塩が効いていて、栗のソースが堪らなく合うのだ。


コースにも出来たが、三人であれこれ注文する事にして、ネアがデザートに選んだのは、秋の果物のパフェである。

美味しい物ばかりを積み上げた至高のパフェに、ネアは秋という季節の素晴らしさを噛み締めていた。



「可愛い、足踏みしてしまうのかい?」

「ええ。このテラスからは綺麗な宝石のような湖が見えますし、周囲を彩る紅葉の森も素晴らしいのです。ほんの少しだけ見える町も、置物のようで可愛らしくて、美味しいだけでなく心も満たされる素敵なデザートとなりました」

「今日はあまり風がないんだね。風があると少し厳しいんだけど、これならテラスで食事も出来たかな」

「むぐ!………この美味しい柿と生クリームの組み合わせに、ざくざくしたクランチの食感とクリームチーズです!ふぁ、大粒の秋葡萄がこんなに美味しいだなんて……」



ネアは、いっぱいの幸せを噛み締め、またパフェをぱくりといただき、爪先をぱたぱたさせる。


基本的には寛いで食べる家庭料理が好きなので、リーエンベルクの料理に勝るのは使い魔ご飯くらいという認識だが、こうしてお仕事がてら少しウィーム中央を離れ、旅行気分でいただく食事やデザートも特別感があって素敵ではないか。

時々のご褒美でいただくザハの食事とはまた違う、風景や経験そのものの贅沢さもある。


ぐいんと伸びをして、またパフェをお口に入れ、普段はあまり馴染みのある果物ではないものの、柿も最高ではないかと頬を緩める。


ディノも、栗のシフォンケーキが美味しかったのか、幸せそうにしていた。

かりりと音がするのは、ノアが頼んだシナモンのクッキーだ。



「はぁ。今日は贅沢な一日だな。僕の特別な女の子と、シルと、いつもとは違う昼食だ」

「…………ノア、まさかとは思いますが、脱がないで下さいね」

「ありゃ、あれっぽっちのシュプリで、脱いだりはしないよ。…………ふと思ったんだけど、今代のシュプリの魔物って、ほんと頑張るよね?」

「そう言えば、仕事中毒気味だと伺いました。シュプリをシュプリと呼べるのは幸せな事ですが、適度に休暇なども取っておられるといいのですが…………」

「グレアムが先日会ったそうだけれど、舞踏会の会場で、仕事をしていない事が辛くて震えていたそうだよ」

「…………それはもう、心の病なのでは…………」

「え、絶対に友達になれなさそうだなぁ…………」



そんな話をしていた時のことだった。


何か赤っぽいものが飛来してきて、ネアの足元にばすんと落ちる。


密かに襲来したというよりは、どこかからぶーんと飛んできたので、途中から、何だろうかとディノもノアもじっと見つめていたようだ。



「…………なにやつ」

「え、楓の精霊じゃない?………アチェロだよね?」

「もふちくなのです…………?」

「もふちく…………」



三人から凝視されつつ、着地に失敗してぺたんとなっていたもふちくは、しゃきんと立ち上がり体を起こすと、何やらテーブルの下でもだもだ動き始めた。

むちむちの毛皮のクッションのような、赤銅色の不思議生物だ。


何かを訴えているようだが、正直なところ知り合いではないので、ネアはパフェより優先するべきものはないと判断する。



「知らんぷりしましょうか」

「ムギ?!ムギィ!!」

「ありゃ、そのパフェを分けて欲しいって言ってるけど、自尊心とかはないのかな」

「…………まぁ。私から、この美味しいパフェを貰おうとしているのですか?」

「ネア、踏み滅ぼしてしまうのはやめようか。秋の系譜の重要な柱だからね。代わりに、私がどこかに捨ててきてあげるよ」

「ぎゃ!足に体当たりするのはやめるのだ。もふちくの、ちくが足にざりっとなりました!!」



パフェがもらえないと分かった楓の精霊は荒ぶってしまい、ネアの足にばすんとぶつかってくるではないか。

もふもふの毛皮生物であれば吝かではないが、ちくちく毛皮が思わぬ悪さをした結果、ネアは怒り狂った。


ずばんと立ち上がり、楓の精霊を片手で鷲掴みにすると、何の躊躇いもなく見晴らしのいい高台のテラスから投げ捨てたネアに、魔物達はびゃんと背筋を伸ばしてしまっている。



「…………ぐるる。私の素敵なパフェ時間を邪魔するなど、ゆるすまじ…………」

「ご主人様…………」

「わーお、かなり勢いよく投げ捨てたぞ…………。え、あの階位の精霊って、排他結界とか防御結界ってないんだっけ?」

「ぐぬぅ。掴んだ手のひらも、もふちくでした。なぜにただのもふもふではないのだ…………」

「ネア、手を拭こうか」

「はい。濡れおしぼりで綺麗に拭きますね」



ネアはその後、排他結界をすり抜けて足にぶつかってきた楓の精霊は、なかなかに器用な精霊である事を警戒した伴侶からとてもしっかりと守られた。

もふちくは、山の麓から一度だけ戻ってきたが、ネアがすっかりパフェを食べ終えてしまっていると知り、力なく立ち去ってゆく。



秋告げの舞踏会に参加しなかったのに思わぬところで遭遇してしまったが、少しも嬉しくない再会に、ネアは運命の世知辛さを思う。

だが、秋鮭のパイをいただいた後で、鮭感のある知り合いとの再会を望むのは残酷過ぎるので諦めた方が良さそうだ。





繁忙期につき、明日10/7の更新はお休みとなります。

TwitterにてSSを書かせていただきますので、もし宜しければご覧下さい!

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