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嵐の事象石と慟哭の対価




雨音が聞こえたような気がしたが、窓の外は薄曇りではあるものの雲間には青空が見えていた。

ネアは、膝の上に置いた手をぎゅっと握り締め、己の間の悪さを呪う。



なぜ、こんな日にこんな場所に来てしまったのだろう。


そう考え、どうしてもう少し渓谷の景観を楽しめるレストランにいなかったのだろうかと眉を下げた。

この屋敷を訪ねるのがもう少し遅ければ、家人は今日はお引き取り下さいとネア達を帰してくれた筈だ。


この悲劇を組み立てた誰かも、リーエンベルクからの訪問者を警戒し、奪ったものを返す日を変えたかもしれない。



「大丈夫かい?」

「…………はい。ですが、気分のいいものではありませんね。立場上、このような状況から立ち去る訳にはいきませんが、………あの方の嘆きに、胸が切り裂かれるようです」

「………おいで。もたれかかっているといい」

「いえ、……愛する方を亡くされたばかりのご婦人がいるので、それは。……代わりにこっそり手を繋いでいてもいいですか?」

「………うん」



ネアの隣に座っている魔物は、手を繋がれる事にまだ慣れない。


この美しく寄る辺ない魔物の心に抜けない棘を押し込んでいった包丁の魔物の呪縛が解けても、それでもまだ心のどこかに、手を繋ぐ事はディノの中で特別過ぎて、躊躇いがあるのだろう。

寧ろ、心を通わせる前の方が簡単に繋いでくれていたのだが、ディノ曰く、それはネアが求めるものの中に、この世界のものではない価値観があるのだろうと考えて頑張ってくれてのことだったらしい。


君はまだ、私を簡単に手放せた頃だったからねと微笑んだ魔物を、その夜はぎゅっと抱き締めてしまったのは言うまでもない。

心が通じておらず、ネアが自分の事を何とも思っていないと考えていたので、今ほどに手を繋ぐ事が大きな意味を持たなかったのだと言われれば、ネアはそう考えて落胆している魔物を今からでも大事にするしかないのだ。


けれども、あの頃のネアの心がもう少し柔らかければ、もっと早くにこの魔物を大事にしただろうか。

もうここ迄来てしまったので、違う道を歩いても同じ場所に辿り着けたかどうかは分からない。

けれど、ディノとはもっと早くに仲良くなれても、そのせいでリーエンベルクを出ていて、エーダリア達という今の家族は失っていたかもしれないと考えると、やはりこれで良かったのだという気もする。



ちらちらと足元の影が揺れる。


窓の向こうの大きな金木犀の木が風に揺れていて、足元に広がる木漏れ日の模様が変わるのだ。

どこかの開いた窓からは、甘い金木犀の香りも届く。

繋いで貰った手をきゅっと握られ、その温度に強張った胸の奥から息を吐いた。


深く、深く。

もう誰も憎まなくていいのだと、とうに殺したではないかとそう言い聞かせ、見ず知らずの誰かの慟哭を聞いている。



今泣いているのは、殺されてしまった男性の婚約者だという女性だろう。

この家で取り扱う鉱石の研磨職人をしており、家族を事故で亡くしていたので、少し早いが結婚式まではと、半年前からこちらで暮らしていたらしい。



(ここに来たのは、仕事でなのだ。ウィームの歌乞いである事を明かしている以上、不用意な言動でリーエンベルクを貶めてはならない)



ネア達が現在滞在しているのは、ウィームの中規模な都市の一つにある子爵邸だ。



ウィーム中央にはあまり貴族の影はないが、それは中央に属する貴族の殆どが、その身に王家の血筋を抱えていて粛清されてしまったからである。


謂わば、旧王都こそが現在のウィーム貴族の空白地帯と言ってもいい。

ダリルが普段諸侯との連携や駆け引きに尽力しているのは、彼等が、隣人ではないからこそでもあった。

ウィーム中央と、それ以外の土地では、暮らし方や必要なものなどが変わってくる。

生活の違いは、そのまま、気質や価値観の違いにも繋がるのだ。



(とは言え、多くの貴族の方々は、エーダリア様の立場を分かっていらっしゃるし、今のウィーム領の在り方を受け入れてくれている)



ウィーム王家が喪われ、侵略国の監視下に置かれたウィームの中で、彼等は実に上手に孤立した。


中央に集まらず、自身の治める土地だけに目を向け、その手のひらの中の小さな庭だけを切り盛りしてウィーム中央には見向きもせずにいることで、生き残り外周のウィームを守り抜いたのだ。

彼等は、ウィーム貴族という遺産こそを守ってくれたのだ。


一足先にヴェルリアに傾いたザルツは異色だが、多くのウィーム地方都市の貴族達は、旧王家やこのウィームそのものへの敬意と愛情を今も失わず、今代も、影日向となりエーダリアの領政を助けてくれている。


ではなぜダリルが交渉で苦労しているのかと言えば、各領地を治める為にあまりにも自立し過ぎてしまった貴族達が、良くも悪くも、それぞれの意見をしっかりと持ち過ぎているからなのだとか。



(でも、勿論例外もいる。人間なのだから仕方のない事だけれど、…………やはり私は好きにはなれない)



ウィームに背を向け、他領と繋がる者。

私腹を肥やす為に中央を欺き、或いは何らかの手立てを使って最も公なテーブルに着ける者達を引き摺り落そうと画策する者。


そんな者達が、全て排除されているという訳でもない。

必要として残されるピースや、狡猾な立ち回りから排除の切っ掛けを得られずにいるピースもある。




だからこそ今日、ネア達は、ちょっとした観光を装い、この地にやって来た。



フィラハは、観光地ともなる美しい渓谷と、織物や鉱石の産出で有名なウィームの秋の都と呼ばれる土地である。

ウィーム中央では珍しい、黄色一色の紅葉を見せる木々もあり、秋の色合いそのものがウィームの中でも例外的に鮮やかなのだ。


だがそれは即ち、この土地に暮らす植物の系譜の者達が中央程に高位ではないという事をも示している。

他の質を持つ土地なら兎も角、冬の質の強いウィームでは、やはり黄色の階位は低い。

黄色は元より階位的には低く思われがちだが、黄色そのものの階位が高い土地も例外的にあるので、高階位の黄色を持つ種族が育ち難いと言えばいいだろうか。


だが、この土地の産業は織物と鉱石だ。

特に織物は、植物の系譜の力が弱い土地でと思われる事も多いそうだが、基本的には魔術そのものは潤沢なウィームである。


フィラハは、確かに植物の階位は低いものの、代わりに鉱石の系譜の守護が厚い。

更に言えば、鉱山に入る魔術師達が多い事で、ウィームで数少ない麦酒の需要が葡萄酒を上回る土地でもある。

今やそんな麦酒も、フィラハの名前を知らしめる特産品であった。



「…………子爵家の力を削ごうとしている誰かは、まだこのお屋敷にいるのでしょうか」

「いるのではないかな。………この一族を排除するのではなく、この家名を欲している者達なのだよね?」

「はい。そう聞いています。………先日より採掘の始まった、嵐の事象石が狙いではないかと、ダリルさんが話していました。とても希少な物なのだとか」



どうやらその家には、他領、もしくはウィームに損失を出すような者達と繋がっている者がいるらしい。

そんな調査報告が上がってきたのは、先月の終わりの事なのだそうだ。

そこでダリルは、様々な問題を踏まえ、今回はネア達に視察を命じた。


まだ表立った事件が起きた訳ではないので、武官でもあるグラスト達やリーエンベルクの騎士では、土地の貴族達を萎縮させてしまう。

商売や観光を主軸とするフィラハにとっては、宜しくない影響が出かねない。


とは言え、リーエンベルクからの使者としての名前がそれなりに重くなくてはならない。

リーエンベルクからの使者がこの子爵邸を訪れたという事実を、敵方への牽制とするのが目的なのだから。

となると、ネア達が最適だったのだ。


(でも、間に合わなかった………)



この視察が決まったのは、一昨日の事だ。

なぜ急にその決定がなされたのかと言えば、ルックナー子爵家の次男が行方不明になったという情報が入り、事態が次の展開に入ったと思われたからである。


その子爵家の次男にはいささか目に余るような放蕩癖があり、様々な瑕疵や兄夫婦との間に不和を抱えた彼は、子爵家を切り崩す為の駒にされかねない。

そんな人物が姿を隠したという事は、近日中に、子爵家そのものへの大きな一手が打たれる可能性があるのではないか。

それが中央の出した見解であったが、どうやらそうでもなかったらしい。



「亡くなられた方は、子爵家の為に、放蕩者を演じておられたのですね」

「人間は、色々と複雑な動きをするのだね。………あまり、心地良いものではなかっただろうに」



ネア達が到着した直後、そんな子爵家の次男が遺体で見付かった。

泣き崩れた家族達の様子を見ておやっと思ったネア達に知らされたのは、故人の、優秀過ぎる工作のあらましであった。



(その方は、放蕩者を演じる事で、ある程度家の外にも糸を垂らしておくという役割を担っていた。高価で魔術階位の高い鉱石を産出する鉱山を有するルックナー家に対し、羨望や悪意が育ち過ぎないように、そして、そこに何某かの陰謀があればより早く懐に入れるように…………)



それは、この一族に決められた、家守りの配役なのだという。


一族の本家に暮らす一人が、必ず、外側で家を守る為に何らかの問題を持つ親族の役割りを演じるのだ。

次の世代が育てば、放蕩者は心を入れ替えて家族の輪に戻る。

そんな事を繰り返し、謂わば諜報員のような活動をしていたらしい。



そして、今代の子爵の次男は、その演技が殊更に上手く、尚且つ魔術師の才も突出していた。

その為に、たった一人で敵と対面してしまったのだろう。



「もっと早くに、リーエンベルクに相談をして下されば良かったのにと考えてしまうのです。ですが、そうして一族の方に各々の役割りを与えるのは、この土地の方々の戦い方で、私のような専門外の人間が、己の感傷で口を出していい事ではないのでしょう」

「どれだけ、エーダリアの領主としての地位が盤石なものになっても、このような管理の仕方は変わらないだろう。………一度このようにしてしまった以上は、それを変えられるとすれば、王都と対立する時くらいだからね」

「ええ。ばらばらになっていた諸侯を中央に集めれば、王都は、間違いなくウィームに叛意ありと見做すでしょう。ですが、このような自治を続けるからこそ、自分達の土地を自分達で守る為の力や知識を持つ立派な方々に、このような悲しい事も起こってしまうのかもしれません」

「土地の気質もあるのだと思うよ。都市として団結の強いザルツでは、このような事は起こらないだろう」

「…………フィラハの貴族方は、商品や資源を管理する役割を持つからこそ、フィラハ貴族としての横の繋がりよりも、各家ごとの独立が際立ってしまうのでしょうね。今回は全てが裏目に出てしまいました………」



黄色を多く有する秋の都は、同時に豊富な資源や産業を持つ土地であった。


フィラハの貴族は、各家ごとに己の鉱山を持ち、それぞれに違う鉱石の管理をしている。

織物に特化するのは主に伯爵家で、子爵家達は鉱石を、そして男爵家は流通や糸紡ぎを。

細分化された仕組みは一方では商売や土地の管理に於いては優秀だが、今回のような一つの家だけを標的とした陰謀には弱い。



(…………嵐の事象石)



もし、その鉱石が狙われたのであれば、ウィーム領内の犯人ではないだろう。

嵐の事象石は、ウィームでは魔術の補填の道具や美術品としての価値しかないが、魔術の貧しい土地ではその価値は何十倍にもなる。


なのでそう思ってしまうのだが、他領との繋がりや他国との交易路を持っている者であれば、残念ながらないとは言えない。


ダリルの描いた図面の上では、その中継地点こそが今回亡くなった子爵の次男であったのだ。

そして、だからこそ、その死によって一気にこちらの図面が意味をなさなくなってしまった。



「ダリルさんやそのお弟子さんたちの目を欺くほどに優秀な方だった事が、災いしてしまいました。それは同時に、そんな優秀な方の命を奪う程の敵が、どこかに潜んでいるという事でもあります。………こんな日に、偶々子爵家を訪れた私達は、さぞかし目障りでしょうね」



ネアが静かな声でそう言えば、こちらを見たディノが困ったように薄く微笑む。

勿論音の壁は立ち上げてあるが、それでもネアは、あまり険しい表情にならないように苦心していた。

この家の大事な家族を無残に殺した誰かが、人間だとは限らないのだ。



人間であればある程度の犯人の推理も出来るのだが、高価な鉱石類を欲するのは、何も人間だけではない。

ネアが知るだけでも、商売を趣味とする人外者がどれだけいるだろう。

そんな者達や、以前の白夜の魔物のように、何かを欲した時に悪辣な罠を仕掛ける魔物に目を付けられたのだとしたら。



手順が狂ってしまった以上、犯人に繋がる糸はここで家人の動向を見ることくらいでしか探せなくなってしまった。

こちらも油断出来ない状態なのだ。



「大丈夫だよ。………君が怖い思いをする事はないから」

「ええ。ディノがいるので、身の危険そのものは感じていないのです。…………ただ、ダリルさんが描いた図面では、我々が子爵家を訪れる事で、ここが抜け穴や射落とし易い獲物ではなくなったと知らしめる事が出来ました。そんな牽制を受け、動いたものを捕縛する予定だったのですが、…………もしかするとこの先は、我々を排除しようとする者達こそを注視していただかないといけないかもしれませんね」



冷静に、冷静に。


仕事の領分を超えないように、心をそちら側に引き摺り落されないように。

ネアはそう考え、階段の上の寝室から聞こえてくる家族達の嘆きを聞かないようにした。


雨音や電話のベルや、冷たい病院のリノリウムの床を思い出さないように。

自分自身の中に眠っている怪物が、もう一度目を覚ましてしまわないように。



(何の関係もない人たちではないか。………ここにいるのはお仕事でしかないのに)



それでもやはり、ネアは、ちっぽけでか弱い人間に過ぎず、こうしてその生身の傷口に触れてしまえば心が揺れるのだろう。

かつての自分の怒りや憎しみを重ね、大事な人を亡くした一つの家族が、ずたずたに心を引き裂かれてゆく慟哭に晒されている。

それでも今は、この屋敷から出てはゆけないのだ。



(この家そのものを奪う事を目的としている者達がいるのであれば、…………やはり、敵や敵の息のかかった誰かが、屋敷内にいるのだろう。亡くなった方が子爵家側の手札であったのなら、それに気付いて口を封じたのなら尚更に。………だから、こんな時だからこそ、私はこの傷口を見張っていなければならない)




「………むぐ」


でも、わぁっと泣いている子爵夫人の声はあまりにも悲しくて、本当は大の仲良しだったという、弟を失った兄の慟哭は胸が潰れそうになる。


声を殺して目元を片手で覆った子爵や、誕生日に素敵なブローチを貰ったばかりだったのにと涙を流した長男の妻も、聡明な坊ちゃんを亡くした家人たちの苦しみも。

今は戻ってきた亡骸と共に、子爵家の人々は二階にいる。



だが、聞こえてくる悲しみの声の全てがあまりにも惨く、あまりにも残酷だった。



胸がぎゅっとなって小さく呻き声を上げれば、こちらを見ていた魔物がすっと瞳を細める。

今度は何も言わずにネアを膝の上に持ち上げてしまい、少しだけじたばたしたネアをぎゅっと抱き締めた。



「ディノ…………」

「君が我慢をする必要はない。そもそも、この悲劇は君には無関係のものだ。それなのに、これ以上を削られる必要はないだろう」

「………知っているからなのです。…………私も、家族を奪われた時に、例えそれが寄り添って下さる方であっても、慰めや親愛を示し合う姿にさえ我慢がなりませんでした。このような時は、どんなに頑張っても、境界は失った側と失わなかった側にしかならないのですよ」



だからネアは、そんな無神経さを見せたくはなかった。

失った人達に、失わずに寄り添うこちらの姿を見せて、彼等の悲しみを捻れさせたくなかったのだ。

けれどもディノは、きっぱりとそんなネアの言葉に首を振り、別の提案をしてくれた。



「うん。………であれば、君がもうここにいなくてもいいようにしようか」

「お仕事なのです。私は身勝手なので、その為に全てを犠牲にするつもりはありませんが、とは言え何かの糸口を掴めるのは今しかないでしょう。交代要員を入れられないと分かっている持ち場を離れる訳にはいかないのです。少しでも、目を凝らしていないと………」

「この家の子供を殺した者を引き摺り出してしまおう。…………君の仕事ではあるけれど、今回は私が引き取るよ」

「…………ディノ?」



どうしても悲しくて堪らず、しぱしぱしてしまう瞳を瞠り、ネアは、どきりとするような冷ややかな目をした魔物を見上げる。

こちらを見たディノは優しい目に戻り、そっと額に口付けを落としてくれた。



「定められた家が鉱石を扱うという事は、恐らくはその一族の暮らす土地に、該当する鉱山があるのだろうね」

「…………そうだと聞いています。子爵家の方々は、管理する土地の中にある鉱山をそれぞれに管理するのだとか」

「そのようにして土地に根付く者達が恩恵を得る為には、得られる資質を育む者達と共存しなければならない。継続的な関係を結ぶからこそ、関係はいい筈なんだ。…………そして、鉱石の系譜のもの達は、その多くが地面に潜んでいるんだよ」

「…………あ、」

「あの嘆きが君を傷付けたように、それを聞いて心を動かされる者達もいるだろう」



それはつまり、地の中に暮らす鉱石の系譜の者達の力を借りるということなのだろうか。


だからネアは、例えば、地面に触れられるような場所に出てゆき、そこで誰かを呼び出して話を聞くような事が必要なのだと思っていた。

けれどもディノは、ただゆっくりと立ち上がって、部屋の入り口に控えていてくれた家令が慌ててこちらにやって来る前に、ぞくりとするような冷たい瞳で足元を一瞥しただけだった。



しゃりんと、澄んだ音が響いた。

その音が聞こえたのか、家令の男性も慌てて周囲を見回している。


どこかや何かに、意思疎通の痕跡や変化が現れる事はなく、ディノはただ、無言で頷いただけだ。



「…………愚かだね。君達も、その人間も。…………繋がり触れ合っていたのなら、そのように泣くくらいなら、手を伸ばして縋れば良かったのだろうに。…………かつての私もそうだった」



低い囁きはどこか酷薄で、魔物らしい嘲りにも満ちていた。


そんなディノの声を聞きながら、ネアは、人外者は種族や系譜ごとに気質が違うのだという事を思い出す。

その中には、愛する者が目の前で喪われてゆこうと微動だにせず、けれども、その死の後で自ら枯れてしまうような者もいる。

慈しみ方も、関わり方も、人間の物差しでは測り切れないからこそ、違う生き物なのだ。



(であれば、…………もしかしたのなら)



接触を図った者達が今回の死に無関心であれば、ディノはあんな事は言わないだろう。

それならばきっと、彼等は近くにいたのだ。

そして、殺されてしまった青年に対し、何某かの情を持っていた。



なぜ助けなかったのか。

なぜ、助けを求めなかったのか。

そのどちらもが欠けていたからこそ、悲劇は防げなかったのだと。



(そうか。鉱石の系譜の人達が育んだ物を、継続的に掘り出し、削り取る事を許すくらいなのだ。であれば、そこ迄を許すくらいには、この地に暮らす人々を受け入れてはいたに違いない…………)



ましてや、殺された青年は、魔術師としても優秀な人物だった。

唯一体内で魔術を育めない人間は、それを外側から借りるしかない。

生まれ持った才能も必要だろうが、よりこの土地に愛されていたからこそ、多くの魔術を得られていたという考え方もある。




「あの人間を殺したのは、人間の商人のようだよ。この国の外から来た、砂の匂いのする者達だ。国外の情勢が関わるから、ダリルに報告をした方がいいだろう。この屋敷の中にも、何人か入り込んでいたようだね」


ディノの静かな言葉に、家令がはっと息を飲む。

それとほぼ同時に、ぎゃーっという悲鳴がどこからか聞こえてきた。



「土地の住人達の報復を受けたのかもしれないね。犯人を全て捕らえる為には、殺してはならないと伝えてある。殺された人間は、彼等の王女にとても気に入られていたらしい」

「……………坊ちゃんが」

「地の系譜のもの達は、地上の問題には不可侵である事が多い生き物だ。地上での営みに近しく、変動や変化の多い系譜だからこその価値観だろう。だが、そこで起きた事を見ていたのかを尋ねたところ、………箍が外れたようだね」

「………あの方は、いつだって鉱石やルックナーの鉱山を愛しておられました。我が家の扱う石程に美しいものはないと、産出される全ての鉱石に誇りを持っておられて、…………っ、………申し訳ありません。……………今後、その方々とはどのように連携を取れば宜しいでしょうか?」



子爵家の者を介さずに成された家令の問いかけに、ネアは、この人もただの家令ではなく、より深く子爵家に関わる人物なのだろうと考える。

通常の家令より権限を与えられているのかもしれないし、もしかすると、親族から選出された使用人なのかもしれない。



「その鉱山を委ねられた血筋の者が、鉱山を訪ねるといい。ただ、外側にいる首謀者達を捕縛するには、リーエンベルクとの連携も必須となる筈だ。彼等に、精霊の系譜の言葉を読み解く事に長けた者を用意して貰うのもいいかもしれないよ」

「であれば、婚約者のマレット様が。あの方は、鉱山の精霊の愛し子ですから」

「ああ、気に入られていたからこそ、愛し子と引き合わされたのかな。君も、精霊の系譜の者だろう?」



(……………あ、)



ディノの言葉に悲し気に微笑んだ家令の瞳の色に、ネアは息を呑んだ。

鮮やかな青さはダリルの瞳の色に似ていて、人間の色彩にはない、内側に光を孕むような美しさではないか。



「お気付きになられましたか。………はい。私は、この一族に古くより仕える細工鉱石のランプの精でございます。鉱山の王家の方々のご協力が得られるのならば、私も尽力いたしましょう。…………お手を煩わせ、申し訳ありません。御身より地下の方々へ働きかけていただきました事、心より御礼申し上げます」




後から話を聞いて飛び込んで来た子爵からも涙ながらにお礼を言われたが、深く深く頭を下げていた家令の姿が、ネアの記憶にずっと残った。



「家令のランプの精は、鉱山の精霊達よりは随分と階位が低い。恐らく、助けを求めたものの断られていたのだろう」

「…………その精霊さん達も、亡くなった方を大事に思っていたのに、それでも叶わなかったのですね」

「大切に思ってはいても、人間の生活には関わらないのが彼等の価値観なんだ。けれども人間達は、その意思に儀式や供物で働きかける事が出来る。今回は、あの嘆き声が呼びかけになっていたのだと思うよ」



それはもしかしたら、一人の青年の犠牲を得て漸く、鉱山の精霊達の協力が得られたという悲しい話なのかもしれなかった。


ここもまた、リーエンベルクに相談があれば、地の系譜の精霊達の気質を知る専門家から、その協力を仰ぐ為の儀式などを提案されていたのかもしれないと思うと遣る瀬無い気持ちになってしまう。




「今回のお仕事は、ディノがいなければ解決出来ませんでした。ディノ、有難うございます」

「君が、………とても苦しそうに息をしているのが、我慢ならなかったんだ」


なぜか悲し気にそう言う魔物は、多く介入し過ぎてしまった事を反省しているようにも見える。

おやっと思ったネアは、慌ててそんな魔物を大事に大事に労ってやったのだった。



後日、今回の子爵家の事件の犯人は、ダリルの弟子達の協力もあり、無事に捕縛された。


サナアークの手前にある中規模の国を拠点とする、砂飼いと呼ばれる小規模な商会の鉱石部門の者達による画策で、カルウィでは高値で取引される嵐の事象石を継続的に手に入れ、一儲けしようとしての事だったらしい。


たまたま彼等が別の買い付けで土地を訪れている際に、嵐の事象石の噂を聞いたのが発端であった。



ルックナー子爵家の次男の婚約者は、子爵家に養子に入ったそうだ。

悲しみに少しだけ心を病んでしまったというその女性を、子爵夫人が手放さなかったのだと言うが、あまりにも悲しいその事件を乗り越える為には、寄り添って生きる事が必要だったのかもしれない。


ダリルは、その女性が新しい相手を見付けた時には面倒かもしれないねと話していたが、ネアは、屋敷を訪れた際に一瞬だけ見かけた優しそうな女性が、一人ぼっちの家で泣かずに済んだ事に心から安堵した。

今はどうにかして傷付いた心を生かし、その先のことは、悲しみが癒え、また一人で立てるようになってから考えればいいだろう。




その子爵家の娘が鉱山の精霊の伴侶となり、子爵家から、素晴らしい細工の嵐の事象石のゴブレットがリーエンベルクに届けられるのは、その七年後のことである。


彼女は生涯を子爵家の娘として過ごし、大の仲良しの義母や仲のいい家族達と同じ屋敷で暮らした。

彼女の意を汲み、人間の屋敷で共に暮らす事にした優しい伴侶の精霊は、ルックナー子爵家に家族としての頑強な守護を授けたという。


大切にしていた人間を殺されたその精霊の姉は、悲しい事件の解決後に行われた謝礼の儀式を機に出会った末の弟と愛し子の間に生まれてきた息子を溺愛し、自分の契約者にと虎視眈々と狙っているそうだ。



どうやら鉱山の精霊達は、共に同じ地に暮らす人間達への不干渉を取り下げたらしい。

地下と地上を結んだ悲劇で命を落とした青年のお墓には、花が絶える事はなく、鉱石の花も咲き乱れているのだという。


死者の日に屋敷に戻った彼が、家族よりも先に大泣きしている鉱山の精霊の王女に抱き締められてしまい、驚愕に凍りついたのは遠い日の思い出だ。

精霊達は、その魂が再び子爵家の土地に戻ってくるようであれば、すかさず愛し子にするつもりらしい。









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