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178. お誕生日は上司を小さくします(本編)




ひと悶着あったが、夕刻も過ぎるとエーダリアのお誕生日が始まった。



開始の前には、バンルと明らかにそちらの会の会員だったのだなという凛々しさを見せるスープ屋さんのおかみさんが訪れ、絨毯の精霊の顛末を報告してくれる。


お見舞いという名目で持ち込まれたのは、絵本の形をした希少な魔術書で、ウィーム王家の蔵書が別の国の古書市に流れていたのを、バンルが偶然見付けたらしい。

ヒルドを呆れさせつつ目を輝かせて受け取っているエーダリアに、慈悲の女神かなという優しい目をしたおかみさんは、ちょっぴり寿命を延ばして体の軽微な不調を整えるスープを置いていってくれた。




「折角ですから、これも祝いの席でいただきましょうか」

「ああ。……………骨折と裂傷までは、たちどころに治してしまうのだな……………」

「それを、軽微な不調と言うのでしょうか……………」


ネアは困惑顔のエーダリアと首を傾げたが、とは言え、体に良くて美味しいスープは大歓迎である。

蕪のポタージュということなので、味も間違いないだろう。



かつこつと、床を踏む靴音。

廊下の花瓶に生けられた薔薇の花に、ライラックの小枝に宿る祝福の煌めき。


こうして考えると、ネアはやはり、ウィームに呼び落とされて良かったのだ。

森ムクムグリスもあの形状であったし、ここ以上に大好きな土地などないに違いない。



「久し振りに、普通の……………と言うのも、絨毯のあわいの後では複雑なのだが……………誕生日を迎えられた。お前が力を貸してくれたお陰だ」

「ふふ。夜のお祝いに間に合えて良かったです。ギルドの方々も、エーダリア様に会えて嬉しそうでしたね」

「あのように、いつも負担にならない祝い方をしてくれるのだ。後で、必要なものがあれば皆にも分けるが、ギルドで流通を管理する品物の試作品なども、この日に渡してくれる」

「狐さんの専門店の商品もあるので、エーダリア様はきっと喜ぶのではと、バンルさんが仰っていましたよ」

「ありゃ……………」



ここでノアが複雑な顔になるのは、絨毯のあわいから一緒であったので、アルテアも会場にいるからだ。

このまま本日はリーエンベルクに泊まってゆくようだが、お祝い会場で食事をした後はいつもの部屋で仕事をするらしい。


ネアが悪音の気配に触れたので、念の為の滞在という事なのだとか。

そちらに関しては、アルテアの考えであのような事になったので、責任を持って最後まで見守るつもりのようだ。


だが、食事に来るだけの滞在とは言え、祝いの席に高位の魔物が加わることはそれだけでも祝福の形になる。

エーダリアは、恐縮しつつも嬉しそうだ。

ネアの見立てでは、あわいでの応酬などからも、この二人もそれなりに仲良くなってきたようだと思う。



「エーダリア様、誕生日おめでとうございます」

「……………ああ。心配をかけたが、無事に戻って来る事が出来た。お前達のお陰だ」



家族だけのお祝いなので、各自のグラスにシュプリが注がれると、ヒルドの挨拶でお祝いが始まった。


エーダリアは今回の事件に触れつつも、お祝いされることに慣れないのか、目元を染めている。

あわいから戻った後に着替え、澄んだ泉のような水色の服は、はっとする程に本日の会場によく馴染んだ。


こぽこぽと音を立ててグラスに注がれたのは、音楽と祝祭のシュプリなのだそうだ。

先日のディアニムスの訪問をエーダリアが気に入っていたので、ノアは、そんな思い出になぞらえて乾杯のシュプリを急遽変更したらしい。


細やかな泡の立つ薄緑のシュプリは、耳を澄ませると泡の弾ける音に音楽が聴こえるのだそうだ。

どんな音楽なのかは決まっておらず、ピアノ曲だったり交響曲だったりと、その場の条件によって様々であるのだとか。



「……………オーケストラの音楽のようだな」

「ええ。美しい音楽ですね。音楽の祝祭の夜を思い出します」

「ふふ、ヒルドさんはディアニムスの楽譜の祝祭が気に入ったのですよね」

「ご存知の通り、ザルツではあまり寛げませんからね。ですが、ウィームの音楽祭なども好んでおりますよ」

「お、エーダリアもヒルドも気に入ってくれたかな。どれどれ……………」

「シャルバーナの二番だろう。悪くない選曲だ」

「まぁ、泡から聞こえる音楽は、曲名まで分かってしまうのですね。……………ふぁ!音楽が聴こえます!」

「可愛い、弾んでる……………」

「おい、零すなよ」

「お母さんです……………」

「やめろ」



みんなで耳を澄まして、泡の弾ける音と、優美な音楽を楽しんだ。

そちらを堪能してから一口飲んでみれば、きりりと冷えたシュプリは辛口で、喉の奥にひんやりとした秋の夜の美しさを呼び込むようだ。


ウィームの秋の色というよりは、赤や黄色の色鮮やかな紅葉の息付く、普遍的な秋の夜の感覚である。



「ふぁ!喉の奥にも秋の夜が来ました!」

「これは、初めて飲む味だな。………葡萄の香りがはっきりと残るのに、秋の夜の森を歩いているような気がする……………」



飲食物に付与される祝福や魔術には、数えきれない程の形や仕様がある。

だが、その中でも珍しい付与のされ方というのがあるらしく、このシュプリは特別なのだそうだ。

目を丸くしているエーダリアにどこか得意げな顔をしたノアが、無事に帰って来られて良かったとしみじみと呟いた。


グラストやゼノーシュも招待していたのだが、残念ながら二人は、本日の騒動に合わせて勤務時間を変えてしまっており、今はリーエンベルク周囲の警備にあたっている。

後で少しだけ顔を出して、ここにしかないご馳走を貰いに来つつ、エーダリアに挨拶をするのだそうだ。



(今日は、騎士棟の食事も豪華なのだとか。ウィームの人々も、今日はちょっぴり贅沢な食事をする日としてさり気なくお祝い気分でいてくれて………)



王都への建前と、領主のお誕生日でうきうきな気分は別だ。

通常開催であれば、一年で最もケーキの売れる日でもある。



「…………あの時はさ、僕が一番近くにいたんだ。二人がいなくなったって聞いて、息が止まるかと思ったよね」



そう話しているのはノアで、ネア達が拐われた事にかなりの責任を感じてくれていたらしい。

ネアも、犯人が絨毯の精霊だと知った時には、銀狐による絨毯暴行事件が原因だろうかと考えてしまった。


とは言え、絨毯購入促進が目的であったので、その精霊の目的は達成された事になる。

少し癪だが、ネアは手に入れた素敵な絨毯に夢中だし、エーダリアも絨毯の魔術に興味津々だ。


「私宛の荷物だったのだ。恐らく、お前が近くに居ても防げるものではなかったのだろう。現にネアは、私の隣に居たせいで巻き込まれてしまったのだからな」

「そして、運命の絨毯に出会いました!」

「絨毯なんて……………」

「あら、二人のお部屋に敷くのですから、一緒に使うのですよ?」

「そうなのかい?」


ディノは、アルテアに絨毯の買い戻しを頼んではくれたのだが、ネアが絨毯を大事にし過ぎてしまうと荒ぶるらしい。

幸いにも、部屋での共用である旨を伝えると鎮まってくれたので、これからは、二人の物という感じを全面に出してゆこう。



「わ、シュプリのグラスに森の影が入ると、泡がきらきらしました」

「そうなのか?!」

「わーお、エーダリアが食いついたぞ」



そんなやり取りのある本日のお祝い会場は、リーエンベルクの大広間である。


ヒルド曰く、ネア達が無事に戻れる見込みとなり、ではとお祝いの準備を始めたところでこの部屋が現れたのだそうだ。

リーエンベルクはそんな不思議が沢山ある素敵なお家であるが、今回に至っては館内図にも記録にもない大広間なので、エーダリアは既に、調度品などを調べたくてそわそわしている。


だが、不思議な秋の夜の森と、色鮮やかな赤や黄色の落ち葉を内包した淡い金色の結晶石の床石となれば、ネアだって喜びに弾んでしまうのだ。



(綺麗………。秋の色がしんしんと胸の中に降り積もるみたい………)



淡い淡い金色の床石は、透明な水晶にシュプリを注いだかのよう。

だが、その中に収められている秋色の落ち葉のふくよかな色合いが、得も言われぬ美しさで複雑な色合いを広げていた。



「……………綺麗な床石ですね。赤や黄色だけではなく、深みのある葡萄色や深緑色なども含んでいるので、華やかなばかりではない、うっとりするような美しさです」

「……………これは何だろう」

「むむ!ちびキノコまで入っているのです?……………まぁ、こちらには団栗も」

「恐らく、秋の森から影絵の結晶化したものや、特殊な祝福石を切り出してきたのだろう。……………ここまで豊かな秋を閉じ込めた石は初めて見たが、美しいものだな」


ネア達が床石を覗き込んでいると、そわそわしているエーダリアがやってきた。

初めて見る大広間の装飾や建材について、語りたい事は沢山あるようだ。


「ええ。広間の壁の色によっては華やか過ぎる感じにもなるかもしれないところを、こちらは夜の森の景色が周囲の壁になっているので、落ち葉の色彩がいっそう謎めいた美しさに見えるのです……………」



大広間の壁は、ウィームの夜の森を模した装飾が施されていた。


陶器のような艶々した壁面に、恐らくは深い青色の絵の具で夜の森を描いているのだが、その中の木々の一部が結晶化して壁の外にせり出している。

そこから伸びた枝葉が天井を支える細い柱になり、星空を描いた天井画に繋がってゆくのだから、胸がいっぱいになってしまうような美しさだ。


壁に描かれた夜の森は、きちんと絵であるとわかる筆跡が残る部分もある。

そんな、青い絵の具が色硝子のようにぶ厚くなった筆跡ですら美しいのだから、この広間を仕上げたのはどんな人物だったのだろう。


シャンデリアは、月光の祝福石だろうか。

目を凝らすと見える程の細やかな祝福の光の粒がきらきらとこぼれていて、思わず、その下に立って手のひらで受け止めたくなってしまう。


単純に森を模した広間というだけではなく、壁と天井の継ぎ目には、布を垂らしたような描写や装飾があるので、夜空の天蓋のガゼボの中に入っているようでもある。


やはり、見事な仕掛けと装飾なのだった。



「ふふ。秋告げの舞踏会を禁止された分、ここで素敵な記憶を蓄えますね!」

「メデュアルの舞踏会に、連れていってやると言っただろうが」

「アルテアなんて……………」

「あの舞踏会って、真夜中の座もいたっけ?」

「ああ。真夜中の座はいる筈だ。王が来るかどうかは知らんが、こいつが行くなら来るだろ」

「まぁ、ミカさんにも会えるのです?」

「精霊なんて……………」

「うーん。僕やウィリアムは招かれないし、結局アルテアの独り占めだよね………」


こちらも季節を定める為の舞踏会なので参加出来ないらしく、ディノは少しだけ悲しそうにしていたが、ネアにも役に立つ祝福が得られるからと、参加する事自体は反対ではないらしい。


メデュアルの舞踏会は、不定期に行われる季節の催しの一つで、開催の目的としては秋告げに近く、秋の品物や魔術に宿る季節の祝福を蓄える為のものなのだとか。

秋告げが秋の系譜の代表者の集まりならば、メデュアルの舞踏会は、秋の事業に関わる者達の舞踏会なのだ。


今年こそは秋告げに出るのだと意気込んでいたが、ネアとしてみれば、素敵な舞踏会で美味しいものがいただければ何の問題もない。

特に、真夜中の座の精霊が訪れる舞踏会は、食事が美味しい事で有名だそうで、期待は高まるばかりだ。



料理はやはり、エーダリアの好きなものばかりであった。


鶏肉料理が主となり、ネアが歓喜する、フェンネルとチーズのムースと合わせたとろりとした燻製鮭の一口料理。

最近は、美味しいと認知された事で登場回数の増えた、水棲棘牛のビステッカは休暇の思い出に触れるものだろう。

マッシュポテトと薄切りのジャガイモを巧みに組み合わせた付け合わせのミルフィーユは、新鮮なアルバンのチーズがとろりと蕩ける。


今年のお祝いの目玉は、皮目が飴色になったローズマリーの風味と塩が決め手な鶏肉料理とパンデピスの組み合わせだろう。

人参とスパイスの入った甘いケーキパンのようなものと、鶏肉の塩気の組み合わせは秀逸としか言いようがない。


クネドリーキとシチュー寄りのグヤーシュの組み合わせなど、様々な可能性に満ちているウィームらしい料理だ。


更には、勿論登場するに決まっている誕生日のケーキに、魔物達がなぜか喜んでしまう巣蜜の祝い菓子まで。

そう言えばこのお菓子が出るのだと思うと、アルテアの目的はこちらかもしれない。


ヨーグルトのような酸味の美味しいフレッシュチーズに、しゃりりと甘い水晶蜂の巣蜜と、様々な果実の祝福の花の組み合わせは、ネアも大好きな特別なデザートになる。



そんなお祝いの中盤で、ノアが動いた。

グラストとゼノーシュが訪れてエーダリアにお祝いの言葉をかけ、輝くような笑顔で巣蜜のデザートを持ったゼノーシュが帰っていった、その直後の事である。



「エーダリア、これも美味しいよ」

「あ、……………ああ」


ネアは、さりげなく標的に小さなグラスに入ったデザートを持たせたものの、目をきらきらにしたせいで、表情から何かあるという事がだだ漏れな義兄の姿に悲しく眉を下げた。


おまけに桃のジェラートなので、ちびころにしますと宣言しているようなものだが、エーダリアはそのまま受け取る事にしたようだ。


繊細な指の触れたそのグラスは、表面が僅かに曇っている様子が、ジェラートの冷たさを示している。

ねっとりとした食感を期待させる表面の色合いは、ジェラート博士でもあるネアの目には最高峰の美味しさに違いないという結論を映していた。



「じゅるり………」

「ネア様も召し上がりますか?」

「……………む、…………むぐ。いえ、巣蜜の祝い菓子をいただきますね。…………アルテアさんは、二個目です」

「数があるんだから、いいだろうが」

「巣蜜の…………」

「ディノも、もう一ついただきますか?」

「足りるかい?」

「ふふ、もう一個くらいは大丈夫ですよ」


ネアは珍しくデザートをお代わりした伴侶に微笑み、目をきらきらさせた魔物の無垢な美しさを楽しんだ。



「……………桃か」

「あら、エーダリア様。ジェラートは早くお口に入れないと溶けてしまいますよ?」

「あ、ああ。…………その、お前も食べるか?」

「むぐ。今はお口に、美味しい巣蜜のしゃりしゃりが入っています」

「…………そうだな」


ネアは、意を決したエーダリアが、小さな銀色のデザートスプーンで、桃のジェラートを口に入れるのを見ていた。

整った指先は爪が短めだなとか、ラウンド型に整えるのだなとか、そんなところに注意を向け、ちびころの罠は知りませんでしたという風を装ったネアは、初めて誰かがちびころに変わる瞬間を見る事になった。



「…………お前達が手配したのだから、私が展開している魔術などは問題ないのだとは思うが…」

「ちびころエーダリア様!!!声も変わってしまうのですね、きゃわわです!!!」

「……っ、………心配をかけたからだ。でなければ、………」

「わーお、可愛いぞ」

「…………ええ。出会った頃と同じくらいですね」

「あ、そんな小さな頃から見てたんだ」

「最初にお見掛けしたのは、私が王都に運ばれた日でしたから。その頃は、これくらいでしたよ。私が教師になったのは、もう少し大きくなられてからですけれどね」


ぽてんと床の上に座り込んでしまったのは、お初に披露されるちびころエーダリアである。

この桃の効果が祝福たる証でもある、衣服などはそのまま体に合ったサイズに変換される素敵な仕組みだ。

あまりの愛くるしさに喜び弾むネアに対し、隣のディノは少し困惑しているように見える。


(グラストさんにも、見せてあげたかったな。でもゼノが荒ぶってしまうから、同席するのは難しかったみたいだけれど…………)


残念ながら、ちびころは見聞の魔物の競合になるのだ。

可愛いクッキーモンスターは、グラストの愛情を奪うかもしれない子供を絶対に許さない方針である。



「食事が終わったら、俺は部屋に戻るぞ。おかしな騒ぎには巻き込まれるなよ?」

「む。アルテアさんも、あまり興味がない派なのですね?ナインさんは大喜びでしたが………」

「あの歪んだ嗜好と一緒にするな」

「という事は、アンセルム神父と同じ?」

「やめろ」



ネア達がそんなやり取りをしている後ろで、ちびころ領主は、ヒルドに抱き上げられていた。


大事に大事に胸に抱えられ、そっと頭を撫でられるとエーダリアは真っ赤になってしまっている。

こちらに背中を向けているヒルドは、どれだけ愛おし気な目を向けているのか容易く想像出来た。


ノアは珍しく魔物の中でもちびころ容認派なので、エーダリアが減ったと悲しむ事はない。

ヒルドが抱いているエーダリアの頭を撫でてしまい、ウィームの大事な領主の心を更なる気恥ずかしさに追い込んでいるようだ。



「むぅ。あまり構い過ぎると、羞恥で死んでしまうので控えめにして差し上げて下さいね?」

「ネア…………。もっと言ってやってくれ」

「ほわ、小さくなると、目がくりんとなるのです!!睫毛がばさばさで、エーダリア様は、幼児期は美少女系なお子さんだったのですねぇ」

「美少女…………」

「わーお、僕の妹が、余計に追い込んだぞ」

「ちびこいエーダリア様は、着せ替えなどしないのですか?丈の短い服なども似合ってしまうと思うのですが…………」

「や、やめてくれ!いいか、私は着替えはしないからな?!」

「わたしのくつじょくを、えーだりあさまもしるといいのです…………」

「ネア!私は、あの騒ぎには参加していなかっただろう?!」

「ふふ。と言うのも理由ですが、単純に可愛いので愛でてしまうのもまた、人間の強欲さですね」



ふくふくとした頬に、どこか恥ずかしそうに視線を下げる大きな瞳。

指先は小さく、ヒルドに抱きかかえられてぶらんと下がった足は可愛い。



(…………似ていなくて良かった)



もし、ちびころにされたのがノアだったら、ネアは、大好きだった弟と同じ配色の義兄を抱えて離さなかっただろう。


ゼノーシュも幼めの容姿だが、どこか、ユーリとは身に纏う空気が違う。

なので、魔物ではなく、人間がちびこくなると思い出に触れるだろうかと懸念していたのだが、幸いにも、エーダリアはエーダリアで、ただ愛くるしいばかりであった。



「では、誕生日のお祝いとしましょう。…………ああ、もう部屋に戻られますか?」

「程々にしておけよ。この建物からは出すな」

「ええ。王都の間者にいらない疑惑の材料を与える訳にはいきませんからね。アルテア様、本日は有難うございました」

「こいつが巻き込まれなければ、俺が迎えに行くこともなかっただろうよ」

「私からも、礼を言わせてくれ。………っ、消えた」

「まぁ、使い魔さんは恥ずかしくなってしまったのでしょうか?」


お礼を言おうとしたところ、ふわんと消えてしまったアルテアに、ちびこいエーダリアは茫然としている。

だが、アルテアがさっさと退出してしまった理由は、ノアが解説してくれた。


「そりゃ、エーダリアから正式にお礼を言って、アルテアがそれに答えると、魔術の繋ぎが出来る可能性があるからだよ。エーダリアは領主だし、アルテアは統括の魔物だ。互いに自覚出来ていなくても細い繋がりが生まれると、いざって時にエーダリアの魔術許容を損なうかもしれない」

「…………そうなのか?」

「特殊な条件が揃ったからなんだ。ここはリーエンベルクで、今年は普通にお祝いが出来ていて、アルテアは土地の祝福に与れる巣蜜を二個も食べたばかりだからね。尚且つ、迎えに行ったっていう実績を作ったばかりだよね。絨毯の支払いも、最後はアルテアだったんだっけ?」

「ああ………」

「うん。だからアルテアは、そうならないように…………気を遣ってくれたのかもだよ」

「…………私に、………なのだな」

「彼も彼なりに、君の事を気に入っているのだとは思うよ。元よりこの地に住む魔物だ。ウィームの土地だけでなく、人間達の気質も好むのだろう」



最後にディノがそう締めくくり、目元を僅かに染めたエーダリアはこくりと頷いた。


かつてはディノを見ただけで失神してしまったエーダリアが、今はもう塩の魔物を契約に持ち、アルテアにすら認められている。

ネアは、出会ってから色々な事があったなぁと頬を緩め、あのケーキはいつ切るのだろうかとそわそわした。




「さて、ネア様もお待ちかねですので、ケーキを切りましょうか」

「ケーキ様!」



今年のエーダリアのお誕生日ケーキは、カラメルのケーキだ。


艶やかな表面は琥珀のようで、その上に精緻なクリームの花が飾られている。

淡いセージグリーンのクリームは、ピスタチオかなと思ったが、甘酸っぱい果実のものなのだそうだ。

その上に薄く切って飾られた苺の赤や、こちらも果実のような甘酸っぱさが美味しい祝福の花びらなどが鮮やかで、ネアは心が弾むばかりである。



料理人達が張り切って作ったケーキに、銀色のナイフが入る。


切り分け上手なヒルドの姿を眺め、ネアはちびころなエーダリアが、今度はノアに抱っこされ、目をきらきらにしてケーキを見ている事に気が付く。

注意深く観察していると、そんなエーダリアの様子を、ヒルドやノアは余すことなく楽しんでいるようだ。


だからケーキは後からにしたのだなと、まだ未熟な人間は頷くばかりではないか。



綺麗なエンボスの模様のある水色のお皿に載せられたのは、鮮やかな切り口が美味しそうなケーキだ。

マスカルポーネクリームの上にカラメルの層を載せたので琥珀のような色艶が出ていたらしい。

中の白みがかった黄色のクリームは桃のもので、もう少し赤みの強い黄色のジュレは杏のコンポートなのだという。

全体的に甘さは控えめだが、カラメルの風味が素晴らしい。



お皿の上のケーキを、子供椅子に設置されたエーダリアがぱくりと食べる姿を眺めてからケーキの最初の一口を頬張ったネアは、その美味しさに爪先をぱたぱたさせてしまった。


エーダリアも、鳶色の瞳に幸せそうな表情を浮かべもくもくと食べている。

どうやら、ちびころ時代の方がケーキが好きなようだ。



「…………きゃわわです」

「ネアがかわいい………」

「ディノ、今夜は巣ではなく、一緒に寝ましょうね」

「…………大胆過ぎる」

「あわいに迷い込んでしまって、ディノにも怖い思いをさせてしまいました。あちらでどんなものを見たのか、どんな事があったのか、ゆっくりディノと話したいのです」


ネアの言葉に、ディノはゆっくりと真珠色の睫毛を揺らした。

水紺色の瞳には大広間の秋の夜の色が入り、ネアは、そんな大事な魔物に微笑みかける。


「…………うん。君と沢山話をしよう」

「ふふ。先に寝ないで下さいね?………ああして、ヒルドさんやノアが大事にしているエーダリア様を見ると、ますます、家族というものはいいものだなと思ったのです。私にとっての一番の家族は、やはり伴侶であるディノでしょう。だからこそ、こんな夜は沢山お喋りしなければと思ってしまいました」

「…………ノアベルトは、小さくなってしまってもいいのだろうか」

「あら、ずっとそれが心配だったのですか?」

「エーダリアが減ってしまっても、怖くはないのかな…………」

「ふふ。怖がらなくても、輪郭が小さくなっただけで、あの中にエーダリア様がぎゅっと詰まっていますからね。………む、振り回しの儀式が始まるようです!」



にこにこしているヒルドやノアに囲まれてのケーキの時間が終わり、エーダリアは、いよいよ振り回しな儀式に連れ出された。


庭に繋がる大きな扉を開ければ、幸いにも、見た事のない大広間は無事にいつものリーエンベルクの庭に出してくれたようだ。

なぜ外に出るのかといえば、羽のあるヒルドは、空での振り回しをするからである。


ネアは、あれは大変なのだぞという温かな眼差しでその様子を見守ったが、男の子は少し刺激的な乗り物がお好きだったようだ。


上空で目を輝かせてちびこい手足を振り回しているエーダリアは、ヒルド流のもはやの放り投げなお祝いが楽しくて仕方ないらしい。

下りて来た頃には頬を上気させ、ネアは、そんな頬っぺたをつつくという最高のお役目は、二人が戻ってくるのを待っていたノアに譲ることにした。



「よーし、次は僕だね」

「…………ノアベルト」


我に返ったのかまた恥じらい出したエーダリアは、ノアにも沢山振り回して貰い、再び笑顔になってしまう。

最後にネアもえいっと抱っこしてくるりと回り、なぜだか固まっているちびこい上司のおでこに口付けを落とした。



「…………っ?!」

「私に素敵な棲家と、安心して暮らせる故郷を与えて下さったエーダリア様が、これからもずっと幸せでいられるよう、私と私の伴侶でも守ってゆきますからね」



そう言えば、こちらを見上げるのは、小さな子供特有の光を蓄えた無垢な瞳。


だが、そこに浮かぶのは本来のエーダリアの心を映した驚きと安堵の表情で、何かを言おうとした小さな唇がきゅっと引き結ばれる。


小さな手は、抱き上げているネアの腕にしっかりと掴まっているが、本当にこのくらいの子供だった頃には、どれだけの温もりや安らぎを掴めないままに諦めたのだろうか。



ネアは弟がゆっくり死んでゆくのを毎日見ていたし、両親を無残に殺された人間だ。

その顛末の折れてしまいそうに細い亡骸や、焼け焦げた愛するひとの遺体をこの目で見ている。

その後の人生では、病気で体中が痛くて目すら見えない日もあったのに、ずっとずっと一人ぼっちだった。



(でも、…………)



でも、少なくともこのくらいの歳の頃は、両親に沢山抱き締めて貰い、大事に大事に育まれ、愛して貰っていた。

ただ幸せなばかりの日々を過ごし、ちょっと甘えて大好きな家族の腕の中で眠る夜は、幼い子供には当たり前だったのだ。




「今日は、ヒルドさんとノアにたっぷり甘やかして貰いましょうね。夜は一緒に寝るといいのです」

「ネア?!」

「ふふ。大事な人の腕の中で、ぎゅっとされて眠る安心感は、ちびころで味わっておくべき贅沢でしょう。何事も経験ではないですか」

「お前がされたなら、怒るだろう………」

「あら、それは私が経験者で、尚且つ今は立派な大人だからなのですよ?エーダリア様は履修して来なかった分野ですから、たっぷり教えて貰うのがいいでしょう」

「お前は、他人事だと思って………!!」



ぷくぷくの頬っぺたを真っ赤にして、綺麗な瞳に涙を溜めて抗議している上司を、ネアは、さっとヒルドに預けてしまった。


途端にしおしおと大人しくなったちびこいエーダリアに、蕩けるような優しい目を向けたヒルドもまた、いつかの自分が得られなかった喜びを取り返しているのだろう。



「あ、そうだ。そろそろ、………街の方で花火が上がるみたいだからさ」

「まぁ、どんな花火なのですか?」

「本日、こちらに絨毯を送りつけた精霊の花火だそうですよ。バンルから案内が来ていましたが、そろそろ時間ですね」

「…………なぬ。精霊さん…………」

「ご主人様…………」



まさか血の雨が降るのではと恐れ慄いたネアだったが、幸いにも、打ち上げられた花火は綺麗な金色の花火であった。

ウィームの夜空に美しい花を咲かせた光の残照にも、ばらばらと散らばる精霊の残骸はなさそうだ。



「ふと思ったのですが、お部屋に戻ってからであれば、…………狐さんとちびころの時間も持てるのでは?」

「…………ありゃ。どうなるんだろう」

「狐………」



ここで、ちびころ化の弊害で心も少し柔らかくなったエーダリアが目を輝かせてしまったので、そんな提案は実現されたそうだ。

ディノが特別に貸し出してくれた屋内プールで、ちびころと銀狐のムギャムギャ大はしゃぎの時間があったらしい。


子供姿のエーダリアに、年相応にはしゃいで欲しかったというヒルドにとっても、とても幸せな時間だったようだ。

部屋の遮蔽をしっかりと済ませておけば、銀狐の秘密がアルテアに露見してしまう事もない。



なお、エーダリアの誕生日の贈り物は、皆がちびころではしゃぎ過ぎたのでうっかり翌朝になった。

ネアの食べた桃ほどに効果は長引かず、いつもの姿に戻ったエーダリアがどこかほっとした表情で朝食の席に現れる。


ヒルドとノアからは、ミッテムという、スリフェアの秋版のような絵画市への招待券と、その時に必要な魔術のランタンを貰ったエーダリアは、感動のあまり暫く動けなくなっていた。


ヒルドが育んだ青緑の宝石で作られたランタンは、持ち手の部分は銀水晶で、明かりとなる中の部分がノアの育てた特等の塩の祝福石になっている。

拳大の結晶石の薔薇のような塩の祝福石は、ランタンの中で明るく輝いていた。


ネアとディノからの贈り物は、ネアがウィームの森を避けて幾つかの豊かな森を巡り、やっと見つけた森の賢者から献上された、水晶の水差しのようなものだ。


手のひらに載るくらいの大きさだが、全部を注げば、小さな湖が出来るらしい。

その水は、疫病の浄化や、火の系譜の災いの鎮火にも利用出来る、領主としての仕事にも利用出来る贈り物である。



「出会えば、何かを献上してくれると分かってはいたのですが、なかなか見付けられずに苦労しました!エーダリア様にも、何かこのような特別なお道具を持っていて欲しかったのです」

「…………いいのか?」

「ええ。その為に森の賢者さんを狩り………ご相談をしに、幾つもの森を探したのです。良い品物が手に入れられて良かったです!」



騎士達からは、エーダリアが買おうとしたが高価なので諦めた、ウィームの森結晶で作られたリーエンベルクの置物が贈られた。


これは、数量限定でリノアールが売り出したもので、リーエンベルクの前にお座り狐のいる、銀狐専門店とのコラボ商品だ。

年始に販売され、あっという間に限定の五十個が完売したというので、その時にはもう用意してくれていたのだろう。


ダナエからは、美味しかったからと箱一杯の踊る綿毛が届けられ、ディノとノアが怯えてカーテンの裏に入ってしまう事件もあった。

だが、絶滅した筈の風の実という魔術補填が優秀な植物を育てる種子だったので、エーダリアは大喜びである。



「来年もまた、みんなでお祝いしましょうね」

「…………ああ。幼児になるのは、一度で充分だがな」



苦笑してそう答えたエーダリアに、ネアは、すっかり味を占めたあの二人が、またやらない筈もないではないかと遠い目になる。

来年のエーダリアの誕生日がどうなるのかは、桃のデザートが用意されているかで分かるだろう。








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