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サムフェルと妖精の口付け 1




サムフェルは、夏市場だ。


古く立派なねずの木の入り口から、それぞれの種族の限られた者達だけが入場出来る、夏の素敵なお買い物市場であるが、今年は事情があって開催が遅れている。


よって、普段であれば比較的動きやすい時期で丸一日をここで楽しめたネア達は、今年のサムフェルには弾丸でお買い物に行くことになった。

エーダリア達には夕刻から外せない執務があり、これでも、その前にぎりぎりまで外出するなんてと苦言を呈したダリルに頭を下げての来訪なのだ。


勿論、であれば今年は見送ろうという発想はない。

行くのは初めてではないし、今回のように開催が遅れるのも初めてではない。

きっと市場には、見慣れたお店も多いだろう。

それでも、サムフェルには絶対に行かねばならぬのだ。



(ダリルさんも、ヒルドさんが購入するという妖精のお酒を買ってきてくれるならと許可を出してくれたし………)



「今年も、家族でお買い物に来られて良かったですね!」

「…………まずいな。この時間内で、目当ての店の全てを見て回るのはなかなか難儀なのか。だが、サムフェルにまた招かれる為の祝福を授かる為にも、ここで昼食にした方がいい。ネア、暫く別行動になるが昼食で落ち合おう」

「急ぎ過ぎですよ。…………やれやれ。そういう事ですので、ネア様、また後程」

「おっと、ここからはかなり急ぐんだね。僕は、どこかでチーズボールの店には絶対に寄らないとだ。じゃあ、シル。何かあったら呼んでね。ネア、また後でね」



しかし、素敵な夏市場で家族のお買い物なのだとふんすと胸を張ったネアが振り返る前に、限られた時間の中でお買い物を済ませなければいけないエーダリア達は素晴らしい早さで別行動へと散ってゆき、そのまま姿を消してしまった。


あっという間に入り口近くの通りに残されたネアは目を瞬き、少しだけ眉を下げて、ふにゅりとディノを見上げる。



「みんな行ってしまいました………」

「…………行ってしまったね。ネア、見たいお店はあるかい?」

「…………ふぁい。絶対に買いたいものがあるのは、まるまるサラミのお店と、チョコレートのお店ですが、基本的には中を歩いてみて、気になったお店を見る作戦でいたいのです」

「うん。では、まずは歩いてみようか」

「はい。ディノも、見てみたいお店があったら声をかけて下さいね。…………エーダリア様達は、あっという間に風になってしまいました」

「目当ての店が多いようだね。ヒルドが、リストのようなものを持っていたから、それらの店には寄りたいのだろう」

「なぬ。ヒルドさんですら、そうなのです?」



一体何をそんなに急いで買うのだろうと首を傾げ、ネアは、そんなエーダリアの目的が魔術書であり、ヒルドのお目当てが糸や妖精のお酒である事を思い出した。


どの品物も吟味して良いものを探すには、他の商品との比較が必要になるものばかり。

それに、サムフェルには入れないリーエンベルクの騎士達や、知り合いから頼まれた買い物もあるのかもしれない。

リストを作るくらいに計画的に回らないといけないくらいの買い物が控えているのだと考えると、確かに、時間は幾らあっても足りないようなものだろう。



(でも私は、今回も限られた時間の中でだって、素敵な出会いを果たしてみせる!)



そんな願掛けを込めて、いつもは大事に首飾りに入れてある事の多かったムグリスディノポーチは、しゃらんとした綺麗な夜結晶の鎖でショルダーバック風にしてある。


薄手のハンカチと、もしもの時用の小さな薬瓶、そして市販の転移門に、ちびふわ符とダリルに貰った邪悪な魔術符が一枚。

そんなポーチを持てば、何だかお買い物玄人気分になってしまい、ネアはむふんと唇の端を持ち上げた。



ピチチと小鳥が鳴き、柔らかな風に日陰を提供している木々の枝がさわりと揺れる。


サムフェルの会場には、花を咲かせた見事な大木が聳え、そんな森の中の広場に立ち並ぶテントや仮設店舗の店々は、平素も世界のどこかには店舗を持っているが、こうして集まるのは年に一度である。


星屑のランプを売る店や、綺麗な細工の写真立てのような品物が並んでいると思ったら、魔術を収める額縁屋だったりと、こうして目的もなく歩いても少しも退屈しない。


それどころか、見たこともないような珍しく美しい品々に、ネアは目を輝かせて周囲を見回す。



「ディノ、このお店には陶器のお花が沢山あります。…………陶器化ではありませんよね?」

「陶器映しの店だろう。それも魔術変化の一種だけれど、美しい切り花の形や色を魔術で映して、そのまま焼き物にする里があるらしい」

「まぁ。そのようなものがあるのですね!前回までのサムフェルでは見かけなかったような気がします。…………まぁ、ライラックが!」



ネアは、ぱっと目についた薄紫色のライラックの小枝を手に取り、値段を見て少しだけ考えた後、今日はまたこの区画に戻って来るような余裕はないのだとお買い上げする事にした。


他にも、会計前に気持ちが昂り、可愛い鈴蘭のブローチと、ぽこぽこした丸い花をつけているのが可愛らしい蔓薔薇のペン立てを手に入れ、すっかりご満悦である。


この買い物だけでもサムフェルに来た甲斐があったし、あまり時間のない買い物でこんなに素敵な品物に出会えるのは幸運以外の何物でもない。


割れないように、衝撃を遮断する魔術陣を描いた薄紙で包んで貰うのだが、この緩衝材は初めて見たので、後でエーダリアに話してみよう。

運が良ければ、商品ではなかったものまでが良いお土産になってくれるかもしれない。


そう考えたネアは、パッチワークのような可愛い布張りの箱が入れ物だと知ると興奮してしまい、尚且つ、そんな商品を入れる紙袋が可愛い花のリースの絵が描かれたものだと知って、歓喜に足踏みした。



「なんて可愛い収納箱で、紙袋なのでしょう。この袋を持って歩いているだけでも、きっと楽しいですね」

「可愛い、弾んでる…………」

「むむ!あちらにまた、見た事がないお店がありますよ。小瓶に何かきらきらするものを詰めてあります!」



良い成果を得てすっかり嬉しくなってしまい、弾むような足取りになったネアは、さっと持たされた三つ編みに目を丸くした。


見上げた先のディノは微笑んでいるものの、なぜか、何かを警戒している時の魔物らしい目をしているので、強い力を持つような品物が売られているお店なのか、或いは、近くに油断のならない相手がいるのかもしれない。


ネアは、大事な買い物袋にもしもの事があるといけないのでと、陶器の花のお店のお買い上げ品は、ささっと腕輪の金庫の中に隠してしまった。



しかし、そんな警戒をしながらでもあのお店はきっと素敵だろうと考えた乙女の期待は、儚くも砕け散る事になる。



「に!………にょろにょろ…………」

「………魔術召喚された、虫たちの店なんだ。この店の商品は、見るだけにしようか」

「ふぐ…………にょろめ!…………ディノ、次のお店にゆきましょうか…………」

「もういいのかい?」

「きらきら光る結晶石や、光を宿したお花と一緒に瓶詰にしてあったので、まさか虫さんが入っているとは思わなかったのです…………」



ネアは、綺麗な蛍石のような結晶石の小瓶を覗いたところで、その石の上に乗ってぴょいっと体をくねらせていた青虫のようなにょろにょろにすっかり意気消沈してしまい、そそくさとその店を後にする。


店の前列に展示された安価な品物はその程度だが、奥に並ぶ重厚な瓶の中の昆虫の種類に、とても不穏な気配を感じ取ったのだ。

ここで天敵に遭遇する訳にはいかないので、ネアは、すぐさま視界の焦点をわざとぼかすと、お店の人に失礼にならない程度の速さでそこから離脱した。



「…………ふは。危なかったです。ここで儚くなる訳にはいきません」

「虫も気に入るようになってしまった訳ではなかったのだね…………」

「虫めはぽいです………」



この辺りの店は、収集瓶に入った品物や、陶器製のものなど、繊細な商品が多いようだ。

その為、テントのお店よりも仮設店舗が多く、まるで元からこの森の中に店を構えていたような雰囲気すらある。


そこからも、切手の専門店や、宝石に精緻な透かし彫りをし、ロケットペンダントのような形状に仕立てた細工屋などに入ってみた。


どれも初めてのお店ばかりで、ネアは、素敵な品々を見てすっかり満ち足りた気持ちで胸を押さえる。



「あの宝石細工は、月明かりが暗い国や、夜の長い国で好まれる伝統的な装飾品なんだ」

「中に何かを入れるのでしょうか?」

「うん。星屑や、月光の祝福石などの小さな欠片を入れるらしいよ。暗い夜に出歩くと、手にしているランプを奪おうとする生き物は多い。だが、守護をかけた精霊の細工物は、売買契約で持ち主に隷属している。あの首飾りを奪うのは難しいだろう」

「奪われない明かりとして、あの首飾りは価値があるのですね…………」

「細工模様がどれも術式陣になっているから、簡単な守護の役割りも果たしている。透かし模様で、前と後ろの部分の模様が重なるだろう?二重術式として、模様に付与された魔術の効果を高めているんだ」



暗い暗い夜に、ひと欠片の明かりが守りとなる事は多い。

照度の問題ではなく、そこに明かりがあるかどうかが、命を守る最後の一線となるのだ。


だからこそ、そんな時の備えとしてこの首飾りがある。

男女共用で服の下などにつけておき、いざという時に取り出して、身を守るのだと言う。



ネアはすっかりわくわくしてしまい、綺麗な青玉の首飾りを手に取ったが、本来の用途をなさないのであれば買っても無駄になってしまう。

宝飾品の美術館を歩くような気持ちで、素晴らしい細工と、宝石の透かし彫りに落ちる繊細で色鮮やかな影が伸びる展示棚の美しさを楽しんでから店を出た。



「む。見るだけで済ませる筈が、宝石の細工のデザイン画を買ってきてしまいました…………」

「首飾りは、買わなくて良かったのかい?欲しい物があれば、買ってあげるよ」

「いえ、用途のある品物なのですから、それを求めている方の手に渡るべきなのでしょう。でも、あまりにも綺麗な細工だったので、このデザイン画は買ってしまいました。私のポストカード画集に入れてもいいですし、額装して飾っても素敵かもしれませんね」



ネアが買ったのは、青玉と真珠を使った美しい細工のデザイン画で、美しい楕円形のカットの宝石は、その宝石の中に宿る森の記憶のように、木々の枝を見事な細やかさで透かし彫りにされている。


背面部分に一本の木を表現すれば、正面から見ると、うっすらと霧にけぶる夜の湖の向こうに一本の木がある風景を見ているようだ。

宝石の下には蔦の葉を模した留め金で真珠が飾られており、夜露が下がるようにしゃりんと揺れるのが可愛らしい。


どこかリーエンベルクの騎士達が身に着ける守護石に似ていて、そんなところも惹かれた理由なのかもしれない。



「ディノ、二つお隣の角のお店は、冷たい紅茶を飲ませてくれるようです。持ち帰り用のカップもあるみたいなので、紅茶を飲みませんか?」

「うん。………ああ、ディングスの茶葉を使っているようだね。とても珍しいものだけれど、香りが高くて飲み易いとされるから、君は気に入るのではないかな」

「それはもう、絶対に飲まなければなりません!時間は…………まだ余裕がありますものね」



幸いにも、最初に歩き始めた通りが、見慣れない店が多いところだったので、これだけ楽しんでもまだ時間には余裕があった。


最悪、この後はお目当ての店だけ回ってしまい、残された時間で、また目的のない買い物に戻るのもいいかもしれない。

角にある紅茶のお店には、三人程のお客が並んでいたが、他にも飲み物の屋台がある中で、こうして良い場所にしっかりとした仮設店舗を持ち、尚且つ並ぶ客がいるという事はそれなりに人気店なのだろう。


暗い青灰色に塗られたお店には、正面部分に、上品な金色の文字で店名が書かれている。

ウィーム中央にある小さなカフェのような店構えは、通りに向いた小さな窓口から、お持ち帰り用の飲み物が買えるらしい。


ネアは、薔薇菓子を砕いたものをかけた冷たいミルクティーを注文し、ディノは、夜の霧蜜をたらした冷たい紅茶を注文した。


深緑の紙コップには、上品な金色の文字でお店の名前が記されており、何とも高級な雰囲気だ。

そこに白いストローを刺して渡してくれる。


お値段は、確かに紅茶一杯の値段としては高めだったが、ウィームの中央になるともう少し高価な飲み物も少なくはない。

さっそく、ストローで冷たい紅茶を飲んでみたネアは、かっと目を見開き、無言で足踏みした。



「お、美味しいです!!………爽やかな甘さなのですが、紅茶の味と香りがしっかりあって。でも、ミルクティーとしての美味しさを邪魔するようなくどさはなく、ただひたすらに美味しい紅茶としてまとまる感じが堪りません。こ、これは、…………茶葉、茶葉を買います」

「…………美味しいね。…………美味しい」

「まぁ、ディノもすっかり気に入ってしまったのですね。であれば、そちらの紅茶のものも、絶対に紅茶缶を買って帰りましょう!」

「うん」



ネアは、円筒形の紅茶缶を三つ購入する事にした。

ネアとディノが飲んだそれぞれの銘柄と、最も定番であるというお店の名前を拝したブレンドは、皆へのお土産にする。


エーダリア達は目的とする買い物があるので、こちらまでは来られないかもしれない。

折角こんなに美味しい紅茶に出会えたのだから、紅茶文化の根強いウィームの民としては、家族と分け合わない手はなかった。


同じように紅茶を飲んだお客達がわらわらとお店に入ってくるのだから、どれだけ美味しいのかが分かるというものだ。



ほくほくとした思いで紅茶の入った紙袋も腕輪の金庫にしまい、この後は、目的のお店への参拝を済ませてしまおうぞと、まるまるサラミのお店を襲って何種類かのまるまるサラミを購入する。

忘れてはならないのが、夏杏と夜の雫のチョコレートなのだが、こちらは、お店を発見して駆け込むと、なんと限定品が売り切れているという恐ろしい現実に直面してしまった。



申し訳なさそうに完売だと告げた店主の女性に、ネアは、よろりと体を揺らす。

すぐにディノが抱き締めてくれたが、そうでなければがくりと崩れ落ちていたかもしれない。


なぜだか分からないが、食べたかった物が食べられないとなると、その食べたさが何百倍にもなるのが人間なのである。



「…………にゃふん」

「ネア、…………他の物を試してみるかい?それとも、この店で、夏杏のチョコレートを注文してゆこうか」

「…………にゅ、そんな事が出来るのですか?」



満開になったミモザの木の下で、ネアは悲しく目を瞬いた。


薬棚のような木の棚が沢山ある店内は、商品を溶かさないようにとひんやりとしており、磨き抜かれた飴色の木の床には、立ち尽くしているネアの影が映っている。


見回せば、お店には、他にも素敵なチョコレートがあるようだ。

今日はそんな新しい美味しさで心を慰め、お目当てのチョコレートは後から購入するのもいいかもしれない。


「どこかに店を構えているのであれば、可能だと思うよ。…………その売り切れてしまった商品を、注文しておくことは出来るかい?」

「ええ。まだ店頭では夏杏のチョコレートを扱っている時期ですので、可能でございますよ。ただしその場合は、本店に品物をお受け取りに来ていただくか、アクス商会の配達をご利用いただくことになります。後者ですと、アクス商会のサービス費がかかりますが、如何いたしましょうか」

「おや、であれば付き合いのあるアクスにしておこうかな。ネア、何箱欲しいんだい?」

「…………ぎゅむ。配送料で割高になってしまうので………」

「アイザックには、私から話しておくよ。前回は、小さな箱も含めて四箱だったかな。折角だし、少し多めに注文しておこうか」

「な、なぬ…………」


ネアがお金の問題でもじもじしていたからか、ディノは、手際良く大箱で五箱も注文してくれた。


決して安価なチョコレートではないので、お店の主人もにこやかに対応してくれる。

慌てて注文票の情報を店主に伝えているディノにぴったりくっつき、見上げてお礼を言おうとすると、体をぎゅっと寄せたのがいけなかったのか、魔物は目元を染めて視線を彷徨わせていた。



だが、欲しかったチョコレートを沢山買ってくれたのだ。


こういう注文の場合は、ディノは勿論、支払いは自分で済ませてしまう。

自分で買うおやつなどは、個人のお財布から支払う事にしているネアは、勿論、大事な魔物にしっかりとお礼を言うのだった。



「…………ずるい」

「ディノ、有難うございます。このチョコレートはとても美味しかったので、今年もまた、サムフェルで買えるのを楽しみにしていたのです」

「うん。君はとても楽しみにしていたからね。持って帰る物は、どれにするんだい?」

「むむ!」


そこでネアは、甘酸っぱい梨のコンフィチュールの入った夜雨のミルクチョコレートと、ホワイトチョコレートと紅茶のチョコレートの中にイチジクジャムと、しゃりしゃりとした夜の雫が入っているものを、それぞれ何箱かずつ購入する事にした。


ディノはお会計を一緒にしてくれようとしたが、家族やディートリンデへのお土産もあるのでと自分で買い上げてしまい、自分用のチョコレートの箱は、二人で美味しい紅茶を飲みながらいただくのだと宣言する。



「二人で過ごす静かで優しい夜に、こんな素敵なチョコレートがあれば、きっととても幸せな時間になるに違いありません」

「ご主人様…………」

「ふぅ!これで、食べ物はお目当てが買えましたので、糸のお店に寄ってもいいですか?」

「隣の店は、花砂糖の店のようだけれど、そちらはいいのかい?」

「花砂糖様…………!!」



花砂糖は、花の魔術を持つ者が育てた花から、祝福を蓄えた花蜜を取り出して作る砂糖菓子だ。

ボンボンのように、貴婦人達がお洒落に持ち歩く一口おやつの一種だが、ネアはこの花砂糖の中でも、果物の花の砂糖菓子が大好きなのだ。


小さな丸いお菓子や、可愛らしいものは型を使って花の形になっている。



(一口だけの楽しみだけれど、じゅわっと甘酸っぱいお砂糖が口の中でほどける瞬間に、果物のいい香りがして美味しいのだ…………!!)



チョコレート店のミモザの花枝がかかった隣の店舗は、ふくふくとした立派なオークの木の下にあった。


ネアはこのオークの葉っぱの形が大好きで、建物や神殿などにオークの葉の彫刻があると満ち足りた気持ちになる。

そして、そんな葉影に佇む仮設店舗は、こちらも使い込まれた木の床が素敵な淡い水色の壁のお店で、店内のそこかしこに、摘んできたばかりのような花が花瓶で飾られている。


商品棚に並ぶのは、泉結晶の展示ケースだろう。

その中に、白い花びらの形をしたお皿に盛られた花砂糖が並び、ネアは、鋭い目で見回した店内に、林檎の花砂糖とオレンジの花砂糖を発見してお買い上げとした。



「大満足でふ!甘いお菓子とまるまるサラミで、甘味も塩味も楽しめる素晴らしい収穫となりました。あの紅茶も、とっても美味しかったですよね」

「うん。君は、紅茶の淹れ方を書いた紙も貰ったのだろう?」

「ええ。あの紙があれば、完璧なのですよ。…………む、あれは、ヒルドさんなのです?」



お目当ての妖精紡ぎの糸のお店に向かう道中で、ネアは、見知らぬ女性と話しているヒルドの姿を見かけた。


知り合いかお店の人かなと思い、声だけかけてゆこうとそちらの店列側を歩けば、聞こえてくるやり取りから、どうもあまり良い雰囲気ではないらしいと気付く。



「………手を離していただけますか?」

「では、これならどう?私の持っているお城をあげるわ。あなたはとても綺麗だし、その瞳に合わせてあの城にある調度品は全て入れ替えましょう。私が、ここまでのことをしてあげるのはとても珍しいのよ。でも、あなたはシーだもの。妖精王にだってなれるかもしれないくらいに高位のシーだわ。それなら……」



ヒルドの手首を両手で掴み、そう話しかけていた女性が続ける言葉を失ったのは、ヒルドの背後に立ったディノに気付き見上げてしまったからだろう。


ここはサムフェルだ。

そうして立った者が誰なのかを正確に理解出来なくても、階位の推理くらいは出来るに違いない。


そしてそこには、あまりにも大きな階位の格差があった。



「…………その、……………彼のお知り合い?」

「家族、なのだそうだよ。君は、どうして彼の手を掴んでいるのかな?」

「……………家族のような………もの!」



ここでネアは、くるくるとした金色の巻毛が愛らしい青い瞳の女性が、目を丸くしてからディノとヒルドを見比べ、頬を染めて夢見るような眼差しになった事に気付いた。


両手で口元を覆い、まぁと呟くと、目をきらきらにしてもう一度まぁと声を上げる。

そしてその後、両手を頬に当ててきゃあっと歓声を上げた。



「申し訳ありませんが…」

「いえ、もういいの。何も言わないで頂戴!私がとても無作法だったわ。あなたはどうか、この素晴らしく尊い、そして美しい愛を貫いてね。私は、ずっとあなた達の味方だから。…………応援しているわ!」



言いたい事だけを言うと、その女性はさぁっと姿を消してつむじ風になって消えてしまい、後には、困惑したような目をしたヒルドが残される。


振り返ったヒルドは、何とも言えない表情でディノと顔を見合わせていたが、ネアは、とんでもない誤解をしてご機嫌で立ち去った女性は、その種の嗜好があったのだなと厳かに頷いておいた。



「賑やかな方でしたね。ともあれ、無事に解決して良かったです!」

「……………お恥ずかしいところをお見せしました。そして、ディノ様、声をかけていただき、有り難うございます」

「……………このような時は、家族のようなものだと言ってしまった方が簡単に済むと、ノアベルトに聞いたのだけれど……………」

「まぁ、ディノはどうしてしょんぼりなのです?」

「ご主人様…………」



上手く言葉には出来ないが、どうやら、ヒルドと恋人同士だという勘違いをされたのは理解出来たのだろう。

ネアは、しょんぼりしてしまった魔物が羽織りものになるに任せ、とは言え、先程の女性から二人の仲を邪魔する奴めと攻撃されないかどうかだけを、伴侶に尋ねておいた。



「恋人じゃない…………」

「勿論、それは分かっているのですよ?ですが、あの方は誤解したままでしたし、今日はそのままにしておいた方が安全なのかもしれません」

「夏風の精霊だね。主人か家族の付き添いでここに来ていたのだろう。もう、会場から立ち去ったようだから、安心していいよ」

「ふむ。帰ってしまわれたのなら一安心です!ディノがとても綺麗だったので、引き下がってくれたのですねぇ」

「…………ネアの伴侶なのに」



またぺそりと項垂れたディノを撫でていると、はっとしたように目を瞠り、ヒルドは買い物に戻って行った。

アーヘムに頼まれた布地の買い付けがまだだったと話していたので、やはり、友人の買い物なども頼まれているのだろう。



「さて、糸屋さんに行きましょうか」

「うん。……………あのお客がいても、大丈夫かい?」

「あのお客?……………ぎゃ!」



いそいそとお気に入りの店に向かおうとしたネアは、そこに、大の苦手なとげとげアザミの精を発見してしまい、へにゃりと眉を下げる。


うっかり触れたら穴だらけになってしまいそうだし、それなのに棘具合を気にせずに行動しているようなので、どうしても苦手な御仁なのだ。




「……………後からにしましょう」

「うん。では、他の店を見てみようか」

「はい!」




折角こちらまで来たのだが、こんな時は柔軟に対応しよう。

ネアは、先程のお店のアイスティーをもう一杯飲みたい欲求を何とか宥め、さて次のお店はと顔を上げたのだった。






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