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173. 誕生日の贈り物は頑丈です(本編)





窓の外の夕闇が、どこか、見て来たばかりの星の森を思わせた。



青い光に滲むように光るのは、妖精達や花々がこぼす祝福の煌めきだろうか。

庭の花々は、そんな青い夜の色にぼうっと浮かび上がり、会場となる広間のシャンデリアとはまた違う光源となる。


窓辺の床石には、そんなリーエンベルクの庭の花々や、その奥に広がる森の明かりが落ち、こつりと踏む靴音には優雅な音楽が重なる。

ネアは周囲を見回し、白磁に可憐な薔薇の絵付けのある音楽の小箱を見付けて微笑み、ここから素敵なピアノの曲が聞こえてくるのだと目をきらきらさせている伴侶の横顔を見上げた。




「ディノ、今年もお誕生日おめでとうございます」



そう言えば、こちらを見たディノが水紺色の瞳をふるりと揺らす。

既に参加者全員の手には、ネアとノアが入手したばかりのラベンダー畑の夜空と、星紡ぎのリボンのシュプリが注がれていて、細やかな泡をしゅわりと立てている。


こうして注ぐと仄かに水色がかって見える綺麗なシュプリは、細長いグラスのエッチングに美しい陰影をつけていた。



(今のディノには、ここに集まった人たちがどんな風に見えているのだろう…………)



今はもう、リーエンベルクに住む事にしたから関わるようになった誰かではなく、きちんとディノ自身の生活に触れる温度としてそこにいるのだろうか。

種族を違えたネアに、きっとディノの感覚や心の全てまでは理解出来ないけれど、それでもここが、大事な魔物にとってもかけがえのない我が家になればいい。


そう思い、微笑んでこちらを見ている美しい魔物に頷きかけてやる。



「…………あり、がとう」


どこか頼りなく、けれどもどこか幸せそうに。

集まってくれたみんなにお礼を言うと、ディノはぴゃっとネアの横に戻ってくる。

狡猾なご主人様は、本日の主賓が会場の中央に立った段階で、この挨拶を見越してささっと傍を離れてしまっていたのだ。



「よーし、今夜も飲むぞ」

「…………ほぇ、ウィリアムは、ずっといるのかい?」

「ん?ヨシュアはもう帰るのか?」

「…………ふぇ、ネア、ウィリアムが虐めるよ」

「あらあら、皆さんで最後まで楽しくわいわいするのでしょう?カードまでは、どうか頑張って下さいね」

「卵揚げはないのかい?」

「実は、今年はディノの好物をグレアムさんやギードさんにも食べていただこうと、夜のお祝いにも用意してあるのですよ。…………む!そちらに行ってしまいましたね。全部食べたら許しませんよ!!」



卵揚げがあると知り、ささっと料理の方へ向かってしまったヨシュアに、ネアは慌てて、グラスを手に談笑しているグレアムとギードに、卵揚げの存在を伝えた。


グレアムは大真面目に頷き、ギードは美味しそうだなと微笑んでいる。

そんな二人と話していたディノは、タルタルソースを載せて食べるのが美味しいのだと、どこか誇らしげに伝えていた。



「このシュプリは、………美味しいね」

「ふふ。ノアと一緒に、ラベンダー妖精さんのご依頼を受けた甲斐がありました。今日のディノのリボンも、ラベンダー色ですものね」

「君が、最初に買ってくれたリボンだから。………その、…………宝物、と言うのだろう?」

「ええ。私も、ディノから最初に貰った指輪が宝物なのです」

「………他に、………君が喜びそうな物が沢山あったかもしれないのに、その指輪を早く君に渡したかったんだ」

「そのお蔭で私は、色々なものから守って貰えたのですね。それに、とても綺麗な指輪なのでお気に入りなのですよ」



ぴしりと指先を伸ばして見せた指輪は、誕生日の贈り物の指輪と組み合わせて印象を変える事も出来る。


だが、ネアにとっての一番大事な指輪はやはり、このディノが最初にくれたシンプルな指輪なのだ。

とは言え、指に沿うように僅かにカーブしている形は優美であるし、淡い光を内包した磨り硝子のような優しい質感は、表面にほんの僅かに見えるくらいの繊細さで刻まれた模様のお蔭で、何とも儚く柔らかな煌めきを宿す。



「シルハーンの指輪は綺麗だな。色々な魔物の指輪を見てきたが、こんなに綺麗な指輪は見た事がない」


そう褒めてくれたギードは、ちらりと料理のテーブルを見たグレアムが、卵揚げを一緒に取ってきてくれるという事でこちらに残っていた。

グレアムと一緒にウィリアムも向かったので大丈夫だとは思うが、向こうでは、お皿の上に卵揚げを積み上げようとしていたヨシュアが悲し気に何かを抗議しているようだ。



「………ネアは、このような物が好きかなと思ったんだ。まっさらな物よりも、少し繊細で、華美では無い程度に優美な細工がある装飾品が好きだったからね」

「なぬ。初耳です!この素敵な意匠は、ディノが考えてくれたのですか?」

「君は、部屋にある鏡の細工や、リーエンベルクのグラスの彫り物を気に入っていただろう?」



ウィームの品々には、確かに、伝統工芸であるエッチングを施したものが多い。


そう言われて初めて、ネアは、あの頃は言葉足らずだったディノが、それでもと色々とネアを喜ばせようとしてくれていた事をあらためて知った。

ディノの素敵な装いや魔物達の身に着けている装飾品は本人達の魔術から作られる物なので、この指輪のデザインは、ディノの魔術を汲んで自然に模られたものだとばかり思っていたのだ。


聞けば、さすがに表面に彫られた模様の細かな意匠までを全て考えた訳ではないが、それでも、何か表面に繊細な模様があった方がいいと考え、その結果指輪がこの形になったらしい。


そんな事を聞いてしまえば、ますますこの指輪はネアの宝物だった。



「ディノが考えてくれた指輪だと聞いたからには、もう絶対に返しません。取ろうとしたら、駄目なのですよ?」

「………すごく懐いてる」

「シルハーン、こういう場合は、凄く愛されていると言い換えたらどうだろう」

「ギードさん!」


ここで、ギードが思わぬ善良な指導をしてくれ、ネアは、ぱっと顔を輝かせた。

だがすぐに、その言葉はまだディノは刺激が強過ぎて、魔物が激しく震えてしまうと判明してしまう。

かたかたと震えて涙目になる伴侶が不憫で、ネアは渋々、従来の運用の継続を許可せねばならなかった。



「シルハーン?」

「あれ、シルハーン、どうしたんですか?」

「ネアが、…………大胆過ぎる」

「俺が、シルハーンに、懐いているという言葉ではなく、愛されているという言葉を使ってはどうかと提案していたんだ。でも、まだ刺激が強かったみたいだな。ネアはずっと伴侶なんだから、これから時間をかけて慣れてゆけばいいと思う」

「むむぐぅ。不本意ではありますが、ディノに無理がないのが一番ですからね………」

「…………懐いている」



しおしおとそう呟いたディノに、どきりとするような優しい目でグレアムが微笑んだ。


出会ったばかりの頃は、他の魔物達よりも冷静な印象だった犠牲の魔物だが、胸の内に秘めていた秘密を多くの者達が知るようになれば、随分言動が柔らかくなったようだ。


けれどもきっと、これが本来のグレアムだったのだろう。


耳下で切り揃えられた白灰色の髪に、よく見れば、今日のグレアムの装いはいつもと少し違う。


優美で貴族的な雰囲気ではあるものの、グレアムの普段の装いは、縫製のラインが優雅さを出しているものの、レースも刺繍も殆どないとてもシンプルなものなのだ。

だが今日は、クラヴァット留めのブローチを付けていて、それはどこか雪の結晶を模したような美しいものであった。



(ディノのお誕生日だから、お洒落をしてきてくれたのかな………)



そう思うと嬉しくなるのは、ネアのとても大切な伴侶のお祝いだからだろう。

ギードはこうしてリーエンベルクを訪れる為に特別な擬態をしているし、ヨシュアはいつもの装いながら、華やかな織り模様のターバンには見事な宝石飾りをつけている。



「ああ、これが卵揚げなんだな。美味しそうだ。グレアム、取りに行かせてしまってすまない」

「いや、ネアが教えてくれた通り、ヨシュアが一人で全部食べようとしていたからな。危うい所だった」


ここからは、ディノが卵揚げ初心者の友人達の様子を見守るに任せ、ネアは、何やらグラストと話しているアルテアの横に移動してみる。

何となくだがアルテアは、グレアム達がかつての輪になるとこちらには混ざらないような気がするので、心優しいご主人様は、伴侶に心置きなく昔話をさせてあげつつ、使い魔の手入れも欠かさないのだった。



「何だ」

「アルテアさんとお喋りに来たのです」

「ほお、体が料理の方に向いているが、気のせいなんだろうな?」

「むぐ。………決して、鴨のコンフィや美味しいローストビーフを取りに来たのではないのですよ?」

「どうだかな。………ったく。その順番で皿に盛るな。こちらが先だろうが」

「なぬ。コース風にお料理を食べる順番を入れ替えられました。鴨を追い出そうとするのはやめていただきたい」

「ローズマリーの風味を先に入れると、檸檬の酸味の意図する表現が変わるだろうが。最初の一口くらいは、こちらを先に食べておけ」

「あのね、ネア。僕もそのムースは先に食べた方がいいと思うよ。檸檬のジュレと、鮭のムースと、雪明りの蒸留酒の組み合わせが凄く美味しいの」

「ゼノがそう言うのなら、このちびグラスの前菜からいただきますね!」

「…………おい」


アルテアは少し渋面になったが、微笑んだグラストから、ネア殿はあなたにはつい甘えてしまうんでしょうねと言われるとぴたりと黙った。


むぐむぐと美味しい鮭のムースをいただきながら、ネアは懐いているのは使い魔の方なのだが、それを言うと拗ねてしまうかなと大人の余裕で微笑むばかりにしておく。

しかし、静かに片方の眉を持ち上げた選択の魔物に、びしりとおでこを指先で弾かれ、ぐるると唸り声を上げる羽目になった。



「ほぇ、カードはまだしないのかい?」

「ヨシュア、まだ食事をしているところでしょう」


ここに、卵揚げとローストビーフを食べてすっかり満足してしまったらしいヨシュアがやってきて、早速イーザに叱られている。

聞けば、夜からの参加にしたものの、昨年気に入ってしまった卵揚げを食べたくてならず、お目当てを幾つか食べたところで心が満たされてしまったようだ。


ネアは、この先にまだ、ケーキの授与と贈り物の発表があるのだと厳かに告げ、ヨシュアは白銀色の瞳を瞬き不思議そうに頷いた。



「今年のカードは、僕が勝つと思うよ。アルテアは、あんまり強くなかったね」

「…………ほお、その言葉を忘れるなよ?」

「ふぇ…………怒ってる」

「当然でしょう。失礼な言い方をしたのはあなたですよ」

「こういう時、イーザは僕を守るべきなんだ。でも、カードは僕が勝つからね」

「あら、私だって負けませんよ。今年のカードは、少し曲者なカードなのです」

「…………それでか。ノアベルトが妙な表情をしていたのは…………」


実際には、ネアもどんなカードが持ち込まれたのかは知らないが、名称を聞いただけでどのような物なのかが分かったらしいエーダリアから、今年のカードバトルはネアに有利かもしれないと言われていたのだ。


マグルードのカードがどのように戦う物なのかは、ケーキの後のお楽しみである。



「ネアが逃げた………」

「ディノ、卵揚げの食べ方の伝授はもういいのですか?」

「うん……。ほら、三つ編みを持っておいで」

「解せぬ」

「僕は、そろそろケーキでも構わないよ」

「ヨシュア!」

「ふぇ、イーザは我が儘なんだ。もっと僕を大事にするべきなんだよ」


ネアはこやつは誕生日ケーキを荒らさないだろうかとちらりと一瞥したが、その眼差しに気付いたイーザが微笑んで頷いたので、頼もしい霧雨のシーに任せておくことにする。

なぜかイーザは誇らしげな目をしていたような気がしたが、そのやり取りに誇るべき要素はなかった筈なのできっと気のせいだったのだろう。



会場には、沢山のご馳走があった。


ディノの気に入った料理を集めてあるのは勿論の事、フォアグラと赤い果実の小さなタルトなど、思い出の料理を模したものも数多くある。

ゼリー寄せは、小さく造形し直した食べられる花びらを閉じ込めた花畑のような華やかさで、小さなケーキみたいな前菜のタルトが並ぶとデザートのようだ。


キノコのエスプレッソ風な濃厚なスープは、祝祭の日に飲んで美味しかったものだろう。

また、小さなジャガイモのグラタンは素朴な家庭料理のような味わいだ。



「ディノ、あの小さなカップに入ったスープは飲みました?」

「まだかな。…………これは美味しいね」

「災厄ご飯なハジカミのマリネですね。初めて食べた時も美味しかったのですが、徐々に、懐かしいあの味といった認識になってゆくと、更なる親しみが増してきたのか時折ふっと食べたくなる程の美味しい料理に思えてきました」

「だからなのかな。………今は、前より美味しい」

「ディノの記憶の中でも、家庭料理の区分に入ったのでしょう。きっと、これからはもっと、そういうお料理が増えますよ」

「そうなのかい?」



目を瞬き、嬉しそうにハジカミのマリネを食べているディノは確か、最初にこの料理を食べた時にはそこまで喜んでいなかった筈だ。

そう思えば、まだまだこれから、美味しいと思える物が増えてゆくだろう。



なぜか奥でグレアムが目頭を押さえているのが見えたが、何か懐かしい思い出話でもしているのかもしれない。




やがて、皆が美味しい料理をあらかた食べてしまうと、そろそろケーキを切ろうかなという時刻になる。


ゆっくりと暮れていっていた窓の外は深い夜の色に染まり、窓辺の床石に伸びる夜の光の影は、紫紺色に変わった。

会場に飾られた花々もうっとりとするような繊細な祝福の光を帯びているが、きっと可動域の低いネア以外の者達の目には、もっと様々な魔術の煌めきが見えるのだろう。


シャンデリアの下で床石に映る皆の影は、淡い抽象画を思わせる繊細さで、一枚の絵画のようだ。




「そろそろ、ケーキを切り分けましょうか」

「切り分けて、…………しまうのだね」

「むむ、さり気なくケーキを隠そうとしてはなりません。どうか、美味しく食べてあげて下さいね」



綺麗にクリームでデコレーションしているせいか、ディノはいつも、このお誕生日のケーキを切ろうとするとあわあわしてしまうのだ。

ネアはくすりと笑い、クリームのお花のたっぷりの美味しく愛情いっぱいのカットを振舞うことを誓ってやる。


するとディノは、まだ悲し気ではあったものの、こくりと頷いてくれた。




「ふむ。では………」

「ナイフを貸せ。切ってやる」

「ふと思ったんだけどさぁ。アルテア、自分で切る代わりに、クリームの花がたっぷりのところを取ろうとしてない?」

「変な言いがかりをつけるな。…………おい」

「ここは、俺が本職だからな。君は、エーダリアと話をしていたのだろう。こちらは任せてくれ」



今年は、ネアがアルテアに渡すかどうかを逡巡していたナイフを、グレアムがひょいと取り上げてくれた。


ネアは、ザハの給仕でもあるグレアムならとそのまま任せようとしたのだが、なぜかウィリアムとギードが顔を見合わせている。

何か問題があるのだろうかと首を傾げていると、切られるケーキに悲し気な目をしているディノを見た途端、グレアムの手が止まってしまった。



「む。アルテアさん、…………」

「やれやれだな…………」


結局アルテアがケーキを切る事になり、鮮やかな手つきで人数分に器用に切り分けてくれる。

今年は夜のお祝いの参加者が多いので少し薄めのカットだが、勿論、ディノのお皿に載せる部分は、クリームの花がしっかりと飾られた部分だ。


今年のケーキも、比較的子供舌なディノの為にシンプルなショートケーキ風になっているが、さくらんぼのクリームを使い、昨年の桃のケーキに引き続き、ケーキの味が変わるようにしてある。



(ディノは、さくらんぼのケーキも好きだから………)


今年のケーキのスポンジ部分には、香りだけを格上げするさくらんぼのお酒のシロップを塗ってあり、満月の夜に小さな水晶のグラスに注いだお酒を、甘いシロップに置き換えて貰う作り方は、リーエンベルクの料理人に教わった。


庭に出した小さなテーブルの上には、様々なお酒が置かれ、真っ白なクロスを敷きシロップの置き換えをする食楽の妖精の訪れを待つのだ。


なぜかその日は、厨房の料理人やエーダリア達も見た事がないというくらいに食楽の妖精が現れてくれ、その場に置いた全てのお酒をシロップに変えてくれている。

だが本来は、妖精達の気紛れでシロップになるお酒が決まるので、どんな種類であれ、シロップになったお酒を使うと決めていたのだった。


たまたま、食楽の妖精達が集団で通りかかったのだろうとエーダリアは目を輝かせていたが、ネアは、どこからともなく飛んでくる夜色の鴉たちが、ぐびぐびと美味しいお酒を飲んでしまい、そうすると代わりにグラスに満たされるのがそのお酒のシロップである事に驚いたものだ。


真夜中の座の系譜である、食楽の妖精達が美味しいお酒の対価として置いてゆくシロップだからこそ、そこには贈り物の祝福が宿るのだという。

つまり、お誕生日のケーキに使うのにはもってこいの、美味しいシロップなのだった。



「はい、ディノ。アルテアさんが切り分けてくれました。お誕生日おめでとうのチョコレートプレートと、愛情たっぷりのチェリークリームのお花の部分です。今年は、ころんとした小ぶりな薔薇の花が沢山集まるような、木香薔薇風の飾りにしてあるのですよ」

「…………うん。愛情たっぷりなのだね…………」

「中に、ざくざくしたクランブルと少し固めのクリームの層があって、その食感の違いがとても美味しいのです。リーエンベルクの料理人さんに教えて貰った作り方で、スポンジは少し粗目に焼くのが秘訣なのだとか」


震える手でお皿を受け取り、ディノは、食べるとなくなってしまうのだとしょんぼりしながらも、ケーキにフォークを入れる。

そうして一口ぱくりと頬張ると、水紺色の瞳を瞠って目元を染めた。



「……美味しい」

「良かったです!ディノが気に入ってくれたのなら、私も安心していただけますね」

「でも、少しなくなってしまったね…………」

「あら、全部食べて欲しいのですよ?」

「ネアのケーキがなくなる…………」



大事に大事に、ちょびっとずつ食べてくれるディノに対し、何やらカットされたケーキの分配で揉めていた背後の魔物達は、お皿の上のケーキを普通のペースで食べている。


今年のクリームのお花の部分は、ノアとウィリアム、そしてアルテアが勝ち取ったようだ。

少し悔しがるゼノーシュにグラストが苦笑していたが、とは言え、クリームの花は花冠のように一周ぐるりと飾り付けてあるので、今年はそこまでカットによっての個体差はない筈なのだ。


ディノに切り分けた部分を除けば、花冠の表現上、ほんの少しだけクリームの花が多い部分があるというだけである。



「わぁ、このケーキ美味しいね。僕、このクランブルの入ったケーキ、前に食べた時にすごく美味しいなって思ってたの」

「まぁ、同じですね。私もそのケーキがとても美味しかったので、あのような雰囲気でお誕生日のケーキを作りたいのだと、料理人さんにお願いしたのです」

「いいな、ネア。美味しかったケーキの作り方を知ってるんだね。僕、…………料理はあまり出来ないから」

「ふふ。今度また、あの美味しかった煮林檎入りで作ってくれるという耳よりな情報を入手しましたので、またデザートで出てくると思いますよ」

「ほんとう?やったぁ!」



ぱっと笑顔になったゼノーシュの愛くるしさに、ネアとグラストが同時に胸を押さえたところで、なぜかヨシュアが、お皿を持ってこちらにやってきた。



「ヨシュアさん?」

「このケーキは気に入ったから、もう一つ献上するといいよ」

「気に入ってくれてとても嬉しいのですが、一人ひと切れまでしかないものなのです。あちらに、また別の美味しい果物のタルトなどもあるので、どうぞそちらのデザートも楽しんでみて下さいね」

「ふぇ。…………僕は、これがいいんだよ」

「あら、他にももっと素敵な物があるかもしれないのに、試さずに知らないまま終わってしまうのです?」

「…………他のも食べてみようかな。僕は偉大な魔物だからね」

「ええ。そうするといいでしょう」


ヨシュアの動向が気になったのか、その背後には静かな目をしたウィリアムが立っていたのだが、無事に解決したなと微笑みかけてくれる。

あのままヨシュアが引かなかった場合、ウィリアムにどうこうされてしまったのは確実だったのだろう。



「ネア、そろそろだろうか」


そこにやって来たのは、イーザと何かを話していたエーダリアだ。

ウィームの天候としても多い霧雨の魔術について話をしていたようだが、表情を見る限り、かなり有益な事が聞けたのだろう。



「はい。皆さんのケーキの時間が終わったので、そろそろ贈り物の準備をしますね」

「よーし、僕の才能を披露する時が来たぞ」

「ふふ。今回は、ノアも頑張ってくれましたものね」



そう、こそこそしていると、ディノが不思議そうに首を傾げている。


ネアは何となく、この魔物があの星の木の置物で贈り物が終わりだと勘違いしている事に気付いていたので、ちょっぴり悪戯な気持ちで、用意しておいた贈り物の入った霧結晶細工の籠をヒルドから受け取った。



おや、贈り物の時間かなと、皆がこちらを見る。

お皿の上に小さな果物のタルトを全種類取っているヨシュアも、慌ててこちらを見た。



「ディノ、これが今年のお誕生日の贈り物です。受け取ってくれますか?」

「…………もう一つあるのかい?」

「あら、先程の星の木の置物は、お誕生日のお出かけの記念品ですので、誕生日の贈り物はまた別にあるのですよ?」

「ネア…………」



贈り物は別だと知ってしまったディノは、おろおろと周囲を見回し、ふしゅんと頷く。

真珠色の髪が揺れ、きらきらと光る水紺色の瞳は例えようもなく無垢で無防備で、だからこそとても大事にしたくなるような美しさであった。


そして、そんな美しい魔物は、ネアが霧結晶を薄く薄く削いで編み上げた藤籠のような入れ物の蓋を開くと、中から出て来た立派なキルトに目を丸くする。



「…………これは、敷物かい?」

「ええ。みんなで作ったキルトなのです。私は、贈り物で貰った刺繍と結晶石のケープがとてもお気に入りなので、何か、あのように物語を閉じ込めた素敵な贈り物が出来ないかなと思っていたのですが、そう言えば我が家には家族で引き継いできた立派なキルトがあった事を思い出し、ディノにもそういうものを贈りたいなと思いました」

「キルト…………」



しっかりと厚みを持たせ、沢山のモチーフを表現したキルトは、柔らかなシェルホワイトに淡い色合いの布地を使って、これまでの思い出などを絵本のように表現したものだ。

ビーズを縫い付けたり刺繍部分を入れたりと、あれこれ工夫出来たのは、ヒルドがアーヘムから妖精キルトのサンプルを借りてきてくれて、その見事なキルトを参考に出来たからである。


リーエンベルクの庭園とウィームの森を表現したキルトの上には、イブメリアでディノから貰った飾り木の置物や、最初のリノアールの冒険で買って貰ったオルゴール、薔薇の祝祭のビーズなど、様々な思い出のモチーフが散りばめてある。


みんなで集まって覗き込んだキルトを、ヒルドとノアが広げるのを手伝ってくれ、ネアは、案内人のようにそれぞれのモチーフを説明した。


「これがディノのくれた真珠の首飾りで、これは一緒に見に行ったダイヤモンドダストを表現しているきらきらビースなのです。ふふ、ここにディノの毛布の巣もあるのですよ。因みに、中央にはリーエンベルクがありますし、こちらのお花はエーダリア様が、そしてこちらの狐さんは、ノアが手を入れてくれました。糸や刺繍糸はヒルドさんが紡いでくれたので、家族みんなからの贈り物になっています」

「…………みんな、から、…………の」

「まぁ、泣いてしまうのです?」

「…………ネア、…………有難う」



涙目でふるふるしながらお礼を言い、ディノは、このキルトが皆からの贈り物である事を思い出したようだ。

顔を上げてまたお礼を言った後は、キルトを抱き締めてくしゃくしゃになってしまった。



「巣の下に敷いたりと、普段使いも出来ますからね」

「上にかけてはいけないのかい?」

「むむ?…………そう使えなくもないですが、基本は敷物なのです。汚れたら洗って使えるものですし、ほつれたら手直ししてゆく物ですから、どうぞ惜しみなく使って下さい」

「…………君が作ったキルトは、ほつれない」



ネアは、キルトはそうしてしっかり使い込んでゆくものだと言いたかったのだが、ぴゃっと飛び上がった魔物はすっかり怯えてしまい、贈り物が損なわれないようにとすかさず保存魔術をかけている。

その様子を見ていたグレアムが、そっと背中を向けてハンカチを取り出していた。



「あらあら、しっかり丈夫に作ってあるので、使い込んだ風合いを出すのも魅力なのですからね。それに、また思い出の品が増えたら、キルトの空いている部分に足してあげますね」

「増やしてくれるのかい?」

「ええ。家族のキルトは、そうして手をかけて育ててゆくものなのです。傷ついた所や穴が空いた部分を補修しながら…」

「傷付かない…………」

「むむぅ。キルトの守護者のようになってしまいましたね…………」



キルトが傷付くと聞いた魔物はすっかり荒ぶってしまったが、ネアは、はりはりとした生地ではなく、何回も洗濯されてそれでもしっかりとした丈夫な生地を保つキルトの風合いが好きなのだ。

染み抜きや汚れ取りをして布地が漂白されてしまうと、そこに当て布をしてまた新しい模様が縫い足されてゆく。



そんな、家族の歴史を刻んだキルトが、かつてはジョーンズワースの家にもあった。

縁の擦り切れてしまった部分を専門の業者に修繕に出しており、たまたまあの日、両親を乗せた車に積まれていただけで、確かにネア達の手元にもあったのだ。




(だからまた、ここから作り上げてゆこう)




ずっとという言葉を使えるようになったから、これからは歴史を重ねてゆく品物も怖くはない。

どれだけ大切な思い出を重ねる品物を手にしても、きっともう、あの日のように全てが燃えてしまう事はないのだから。




「気に入ってくれました?」

「……………うん」

「俺達も用意したんだが、その贈り物には敵わないな」

「ディノ、グレアムさんとギードさんからも贈り物があるようですよ。因みにキルトは、包まらずに敷いて下さいね」

「宝物だから、これでいいかな」

「わーお、虹がかかってるぞ」

「なぬ。見にゆきます!」

「ネアが逃げた…………」



窓から見た夜空には虹がかかり、そんな中でお披露目されたグレアムとギードからの贈り物は、なんと、秋の季節に開かれるキノコ料理のお祭りへの招待状であった。


これは、住人以外は、毎年十五人の選ばれし人にしか届かない特別な招待状なので、アルテアが無言で覗き込んできて、低く唸ったくらいのものである。

ネアも喜びに弾んでしまい、一緒に行くのだと大はしゃぎの伴侶に、ディノはへなへなになってしまった。



「グラストと僕からはこれだよ」

「リーエンベルクの騎士達も、参加しております」

「………これは、傘、かい?」

「ええ。今年は夫婦で同じ傘に入るのが流行りであるらしく、この工房の音楽の傘が人気なのだそうですよ」


そう教えてくれたグラストによると、この傘は、傘に当たるのが雨だとピアノ曲が、雪だと優雅なワルツが聞こえてくる特別な音楽の楽布が使われた傘なのだそうだ。

二人で使う用に作られているので大きめだが、とても軽く、傘を持つ手が疲れないようになっている。



「ディノ。この傘で、沢山お散歩しましょうね」

「うん。…………有難う」



また、ヨシュアとイーザからは雲の蒸留酒が持ち込まれ、雲の中にある蒸留所で作られる琥珀色の酒は、祝祭の日に飲むといいのだそうだ。

なお、このお酒は瓶がとても美しく、ネアは、雲の祝福石で出来ているという瓶は、洗って取っておこうと心に誓った。



「これもあるよ」

「むむ?ムグリス用のブラシなのです?」

「うん。ポコの為にブラシを作らせていた工房の、新しいブラシなんだ。シルハーンが、雲の寝台をよく使うって聞いたから、イーザがこれも注文してくれたんだ。きっとこれも気に入ると思うよ」

「まぁ、なんて柔らかなブラシの毛なのでしょう。きっとムグリスディノは、ふくふくになってしまいますね」

「…………有難う」




贈り物が出揃えば、すっかりくたりと幸せに柔らかくなった魔物の出来上がりである。

しかし、まだお誕生日会恒例のカードバトルが残っており、ネアは今年は優勝するぞとふんすと胸を張った。




しかしその意気込みは、ノアが封を切って、紙箱からタロットカードのような細長いカードを取り出し、皆が遊び始める迄の事であった。




なんと今年のカードは、勝敗の付け方によって深層心理などの占いが出来る占いカードバトルだったのである。


運要素をかなり大きく拾うので、エーダリアはネアが有利だと思ってくれたようだが、カードに絶賛されたのは、寧ろエーダリアの方であった。




「…………ほわ、アルテアさんが、脱走しました」

「ネア、これはさすがに誤解だからな?」

「むむ、ウィリアムさんも顔色が悪いです」

「…………グレアム、生きているか?あんたは、好きなように生きればいいと、俺はそう思う」

「……………ギード、慰めてくれなくてもいいぞ」


勝負が終わる頃には、まさに死屍累々といった様子のカード会場であったが、大好きな人とは、ちょっとした喧嘩もあるものの今年は今迄以上に仲良しという結果の出たゼノーシュは、にこにこしながらデザートのタルトをお代わりしている。



「ふぇぐ。ゼノが可愛いので、何とか心を持ち直しました…………」

「ご主人様…………」



大きな収穫があり、魔術の収穫や目に見えないような縁にも恵まれる人格者としての道を進むとあったエーダリアは安心したようで、秘密の暴露に伴いたいへんな事件が起こると示されたノアは、カーテンに包まって震えている。



そしてネアは、目の前に置かれたカードを凝視し、へにゃりと眉を下げていた。



「あらゆる戦争に勝利する勝利の皇帝のカードも出ましたが、………落とし穴に落ちて、尚且つ何かが爆発するカードも出ているのです………ぎゅ」

「では、どこにも落ちないように、しっかりと繋いでおこうか」

「むむ、ディノのカードは、恋人達のカードですね。沢山の幸福と輝くような愛。……………ぐぬぬ、お誕生日のディノに良いカードが来たので、今回はこのカードの配置で良しとするしかありません…………」



因みに、ウィリアムのカードは枕と狼。

これは、休息を必要としているという意味と、下心があるぞという暗示になる。

狼のカードは戦に強いという意味もあるが、枕との組み合わせはちょっといけない意味があるらしい。


ギードは円環と収穫なので、今年は秋の実りに恵まれ、幸せに暮らせるそうだ。

それを聞いて嬉しそうに目を細めていたギードは、群れの仲間たちに教えてやるのだと頬を緩めている。



ヒルドのカードは、調律を示すカードに、育まれる事を意味する新緑のカードが出ていた。

誠実に当たれば多くの恵みが得られるカードなので、こちらも悪い物ではないだろう。

ただしこちらは、調律を誤ると少し歪むぞという教訓にもなっており、理性的だが隠れた内面があると示すカードでもあるらしい。


アルテアが引いたのは、偏愛を示す人形と執着を示す鳥籠のカードで、ノアがその意味を説明しようとするとさっと逃亡してしまった。

こちらのカードには、無垢さや甘えなどの意味もあるらしく、隣に座ったヨシュアが目を丸くしていた。



「ほぇ、僕は…………沢山働かされるって出ているよ。…………嫌だ。僕は寝るのが好きなんだ。こんなに働かないんだよ。何でイーザのカードは、満足と達成のカードなんだろう」

「では、ヨシュアさんのカードを、私の爆発のカードと交換します?」

「ふぇ、絶対に嫌だ。そのカードが一番嫌なんだ。絶対に交換なんてしないよ」

「お、おのれ!私だって、怪物が輪になって浮かれ騒ぎ、何かを爆発させているカードなんて嫌なのです!」

「…………そのようなカードは、初めて見たね」

「ディノですら知らないカードなんて…………」

「グレアム、過保護過ぎると嫌われるという事はないと思うぞ。あんたが愛情深いのはとてもいい事なんだからな?」

「…………ああ」



グレアムは、聖母と堕落のカードであった。

慈悲深く愛情深いが、その行いに耽溺してしまうと身を崩しかねない諸刃の剣な組み合わせである。

だがこれは、堕落のカードに差し伸べられた手が示すように、受け取る側が忌避しなければ成立する物なので、ネアは、グレアムがあれこれ相談に乗ってくれる事は嫌ではないのだと、すかさずディノの確認を取ってしまった。



「シルハーン…………」

「ふむ。これでグレアムさんの方は一安心ですね」

「グレアムはそのままがいいかな………」

「良かったな、グレアム。ネア、有難う」

「ふふ、グレアムさんが落ち込んでしまうと困るのです。……………ところで、アルテアさんは、戻って来てくれるでしょうか。それとも、暫くは森に…………」

「アルテアが…………」

「…………俺の組み合わせよりはいいと思うんだがな……………」

「ほわ、ウィリアムさんが暗い目に………」




かくして、お誕生日の夜は、波乱含みで幕を閉じた。


ネアは、爆発のカードをそっとひっくり返してしまったが、いそいそとデザートのタルトを持って帰ってくるとまた表向きになっていたので、慌ててそのカードを箱の中に押し込み、ふぅと安堵の息を吐いたのだった。



帰路に就くお客様達を見送ってから部屋に戻ると、なぜかまたカードが机の上に鎮座していたが、きっと誰かの悪戯に違いない。

占いは予言ではないのだと、ネアは、しっかりと自分に言い聞かせておいたのだった。

















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