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172. 夜のお祝いが始まります(本編)



「俺からの贈り物は、これだ。今年は職人がこのような形にしてくれた」

「…………まぁ!」


食事が終わり、ドリーが取り出してくれたのは毎年恒例の素敵な陶器人形だ。

柔らかな造形の繊細で優しい雰囲気を整えてくれる工房の作品なので、今年はどんな人形なのだろうと、ネアは密かに楽しみにしていた。


保存箱から取り出された陶器人形を見たディノは、ぴしりと固まってしまっている。



(可愛い!!)



そこにあったのは、楕円形のバスケットの中で丸まって眠る、ネアとムグリスディノの何ともほっこりした陶器の人形であった。

バスケットは、小花の咲く草地に置かれていて、ネア達の収まったバスケットにはキルトがかけられている。

幸せそうなその光景は、職人が、家で飼っているちび工房竜の寝ている姿を見て考えたものであるらしい。


因みに工房竜は、使い込まれた工房で派生する妖精種の竜で、子猫くらいの大きさのまま成体となる。

可愛がると工房の聖人や工房妖精に変化するが、愛くるしいちび竜のままでいて欲しい職人や、謎めいた石像姿な工房の聖人になって欲しくない職人たちも多く、その生育過程には何かと悲劇も多いのだそうだ。



「…………あり、…………がとう」

「ああ。喜んでくれたようで良かった」

「ネアが、かわいい…………」


そしてこのご主人様がバスケットの中で眠っている陶器人形が、巣を持ち、収集癖のあるディノの心にとても響いたようだ。


両手でそっと持ち上げ、可愛いしか言わなくなった魔物の幸せそうな様子を見たら、グレアムならきっと泣いてしまうだろう。

口元をもぞもぞさせては、目をきらきらにしてこちらを見る魔物に、ネアまでもが素敵な贈り物を貰ってしまったような気持ちだ。


「…………ネアが、一緒に籠に入っているのだね」

「ふふ。ムグリスディノがお腹を出してふくふくで眠っていて、なんて可愛いのでしょう!」

「こうすれば、ネアを捕まえられるのかな」

「なぬ。ぞくりとしたので、捕獲機の作成は禁止しておきますね」

「ひどい………」

「道具を使って捕まえなくても、私は、これからもずっと伴侶の傍にいますよ?」

「ネアが虐待した…………」

「どうすれば正解を出せるのだ…………」



そんなやり取りを見て、ドリーが微笑む。

仲良しだなと言ってくれた火竜の祝い子に、ディノは、澄明な水紺色の瞳を揺らしてこくりと頷いた。

頷いてから、そろりとこちらを見るので、ネアが間違いなく仲良しであると宣言すれば、たいそう恥じらう魔物がなぜか三つ編みを握らせてくる。


そんなネア達の様子を、光の礫のような金色の瞳を細めて見ていたドリーが、ふと、心のカップからほろりと溢れたように呟く。



「俺は、…………ネア達が幸せそうにしていてくれると、とても嬉しい。ネアに最初にカードを預けた時や、光竜の事件の時、何度もネア達が厳しい試練を乗り越える姿を見てきたからな。…………それに、こうしてウィームで過ごせるようになってから、ヴェンツェルやエーダリアも、ヒルドも、笑顔が増えた。皆が、これからもずっと幸せでいて欲しい」



そんなドリーの言葉に、ふるりと瞳を揺らしたのはヴェンツェルだった。

その表情にネアは、ドリーがこのような事を言うのは珍しいのかもしれないと思う。


ドリーは、ネアが出会った頃からいつだって穏やかで優しい竜だったが、彼は、ここにいる者達の中でも、最も過酷な運命を強いられた一人だ。

そんなドリーだからこそ、今の言葉には、沢山の優しさと喜び、そして胸がきゅっとなるような安堵が詰まっていた。



「ええ。私はとても強欲なので、今が幸せであるからには、この先もずっと幸せでなければと思ってしまいます。それを邪魔するものなど滅ぼしてゆくばかりですので、これからもまた、こうして美味しいご馳走をいただきましょうね」

「ああ。また、ヴェンツェルと一緒に訪問させてくれ。エーダリアが大好きなヴェンツェルも喜ぶ」

「…………ドリー」



食後の紅茶を飲みながら、エイコーンの呪いの馬車とリモワの小箱の話や、海遊びの日に見た奇妙な船の話をしたときには少しだけ深刻な空気にもなったが、ディノの誕生日のお祝いの為にウィームを訪れるヴェンツェルは、毎年この日をどれだけ楽しみにしているのかが分かるような寛ぎぶりだった。


今年の帰りには、擬態をしてドリーと一緒にすっかりお気に入りの木馬に乗り、ついでに職人街にある鎮静用の薬草クリームを買うのだとか。



「おや、あの店のクリームはリーエンベルクの騎士達にも人気なのですが、あなたが知っているのは驚きですね」

「毎年、律儀にフェルフィーズからイブメリアの贈り物が届くのだが、昨年はそのクリームのセットだったんだ。ヴェンツェルはすっかり気に入ってしまってな」


そう苦笑したドリーに、という事はドリーはそのプレゼントをヴェンツェルにも使わせてあげたのだなと思いつつ、ネアは噂の薬草クリームを思い浮かべる。


肉体労働で足を酷使する者の為に作られた薬効のあるクリームで、筋肉疲労だけではなく、靴擦れなどにも効果がある品物らしい。


王都の力の象徴でもあるドリーと契約したヴェンツェルは、海軍の演習などにも立ち合う事が少なくなく、また王に代わって外交の場に出る事もある。

どれだけ気を付けていても、足回りに痛みや疲労が出る事はあるので、薬効成分が高く質のいいクリームに出会えたのは僥倖なのだとか。



「いつも、忘れずに持って行けと言うのは、お前だろう」

「だが、必要になる事が多い。他の魔術や守護の妨げにならないから、あのクリームはとても有効なんだ」



(…………王子様だからこそ、様々な調整や均衡が必要になる)



ウィームは、気に入った工房や仕立て屋を贔屓にするという特定の職人との深い付き合いが好まれるが、商人達の強いヴェルリアでは、どれだけ多くの良い取引先を知っているかが豊かさの象徴になるのだそうだ。

その結果、王家と商人達の繋がりを広げる為に、王族自らがその装いを整える権利すらを、望まざるとも差し出さねばならない事がある。


その時に力を付けた商人の目利きの品物を買い上げ、有力貴族が支援している新進気鋭の仕立て屋や職人に仕事を任せる事は、多々あるのだろう。

用意される靴一つですら、履き心地に拘ることがままならない事もあるのだと思えば、いつだって愛用の世界一履き心地の良いブーツを好きなだけ履き倒せるネアは幸せなのだ。


エーダリアもそれが心配になってしまったのか、下したての靴を足に馴染ませる魔術があるのでと、手帳から白紙の術符を取り出しさらさらと何かを描き込んでいる。

突然そんな贈り物を貰ってしまったヴェンツェルは、尊大そうにも見える冷たく整った美貌ながら、目を丸くしていた。


薄っすらと目元を染めているので、弟からの思わぬ贈り物は相当嬉しかったのだろう。

ドリーが、はっとするくらいに優しい目でそんな契約の子供を見ていて、ネアは、お祝いをしに来てくれた二人の幸せそうな姿に胸が温かくなる。


人が集まるお祝いの日には、こうして響き合い生まれてゆく幸福もまた、素敵な副産物であった。




「俺は、暫く部屋にいる。幾つか、議論が必要な仕事があるからな」


ヴェンツェルとドリーが帰ってしまうと、アルテアはそんな事を言って会食堂を出て行ってしまった。

おやっと眉を持ち上げたネアに、ノアがくすりと笑い、もうすぐほこりが来るからねと教えてくれる。


「むぅ。後見人のままなのですから、ほこりにも会ってゆけばいいのです」

「ほら、今日はネアがあげた靴を履いてるから、齧られたくないんじゃないかなぁ」

「リンデルも付けてくれているのですよ」

「ありゃ、僕には見えなかったけど、もしかしてネアにだけ見えるようにしてるってこと?」

「装飾品のようなものですから、服装や気分に合わせて外している時があっても荒ぶらないのですが…………」

「その理由じゃないと思うなぁ。…………でも、僕の物の方が、家族って感じがするよね?」

「あら、ノアは大事な家族なので、家族感が強いのは当然なのでは?」

「…………シル、僕も虐待された」

「ノアベルトの事も、虐待してしまったのかい?」

「解せぬ」



昼食の後は、エーダリア達は僅かな時間だが執務にあたり、ネア達は外客棟の中にある床周りが頑丈な部屋で、雛玉の訪問を待っていた。


ディノは、テーブルの上にドリーの贈り物と、星の木の置物を並べて嬉しそうに見ているが、ほこりが来たら齧られてしまわないようにしまうのだそうだ。

真珠色の睫毛を揺らして唇の端を持ち上げた魔物は、ネアと目が合うと、くしゃりと微笑む。



「ふふ、すっかりお気に入りですね」

「…………不思議なものだね。…………あのように、直接私に関わるのではない者から、幸福でいて欲しいと言われた事は、今迄なかったんだ。君に出会ってから、…………誕生日が出来て、こうして贈り物を貰えるようになった。君がいるだけで、…………何もかもが違う」



澄んだ瞳でそんな事を言う魔物に、ネアは、よいしょと長椅子の上を移動すると、大事な伴侶にこてりと寄りかかってしまう。

いきなり密着された魔物はふるふるしているが、ネアが見上げて微笑むと、頑張って傾かないように堪えているようだ。


「それは、ディノが思っている事を表現するのに慣れてきたことで、皆さんが、私の大事な魔物が、どれ程優しい魔物であるかを理解出来るようになったからなのでしょう。私を呼び落してこの素敵な居場所に設置してくれたのはディノなので、ディノが最初に、私が誰かをもう一度慈しめるようにしてくれた結果、変わってきたことの影響なのだと思います」

「私が、…………かい?」

「ええ。最初に手を差し出してくれたのは、ディノだったでしょう?」

「…………うん。けれど、君は生きているだけで可愛いから」

「ぞくりとしましたが、………ディノが手を差し出してくれなければ、私は掴まるところがありませんでしたので、ディノが、私達を幸せにしてくれたのだとやはり思うのです。私の伴侶は、なんて素敵なのでしょう!」



ネアがそう言えば、魔物は目元を染めておろおろした。


少し考えてから、そっと爪先を差し出すので、ネアはそれは不正解なのだと言いたかったが、お誕生日の伴侶の為にぐっと押し黙った。

微笑んで爪先をぎゅむっと踏んでやると、そんなやり取りに親密さを感じるらしい魔物は、きゃっとなってじたばたしている。

暫くするときりりとし、そろりと頬を差し出してきた。


けれども、ネアがその頬に口付けを落とすと儚くなってしまう魔物なので、ここで少しだけ悪巧みした伴侶は、両手をディノの頬に添え、えいやっと唇に口付けを落としてみた。



「…………ネア、」



なぜか涙目になってしまい、よろよろと長椅子の端っこへ避難した魔物を追いかけたネアは、三つ編みを掴んで伴侶の脱走防止とする。

なぜ、男性的で優美なけだもののような目をする事もあるのに、この口付けでは弱ってしまうのだろう。

そう考えて首を傾げたネアは、紐付けている感情が違うのだろうなと仮説を立ててみた。



(人間の場合は、同じような心の動きで扱う口付けでも、ディノの場合は、愛情と欲望とで分けているのかもしれない…………)



にゃむなる作法の時に落とされる深い口付けには、定型の作法だけではない欲も滲むのだから、そちらには心が入らないという訳ではない筈だ。

そう考えかけたネアは、辿りかけた思考の線の上で、ぞくりとするような色気を孕む伴侶の眼差しを思い出してしまい、慌てて、心の扉をぱたんと閉める。


何しろ相手は、ただ静かに佇んでいるだけでも美しい魔物で、この世界で誰よりもネアの心を動かす伴侶なのだ。

こんな時間から思い出してしまうには、あまりにも刺激の強い記憶だったのである。



「ま、負けません!」

「…………ネア?」

「わ、私だってこうなのですよ!」

「…………っ、…………ネアが、沢山祝福してくる………虐待…………」

「むむぅ。私からは、して欲しくなかったですか?」

「…………かわいい」



へなへなと長椅子に崩れ落ちた魔物に、邪悪な人間は、大事な伴侶は、あの悪くて色めいたにゃむなる振る舞いをするばかりではなく、この通りとても儚い生き物なのだとふんすと胸を張った。

か弱い人間が心停止してしまうといけないので、乙女の心をくしゃくしゃにする悪い魔物は、期間限定であるべきなのだ。




「ピ!」

「まぁ、ほこりです!来てくれたのですね」

「ピ!!」


待ち合わせの部屋に、真っ白ふくふくの雛玉がやって来たのは、それから暫くしてからの事だった。


どすばすと弾むほこりは、リーエンベルクの前までは白百合の魔物が付き添ってくれて、そこからはゼノーシュが部屋まで案内してくれたらしい。

そんな通訳をしてくれるゼノーシュに、大雛玉なほこりが頷く光景の愛くるしさは、言うまでもない。


リーエンベルクは、ほこりにとっては実家のようなものなので案内がなくても歩けるのだが、そうして一緒に過ごす二人は大の仲良しなのだ。



「ネア、ほこりが来たよ。…………ディノは、死んじゃったの?」

「いえ、すぐに生き返れるくらいには復調したところなのです。ディノ、ほこりがお祝いに来てくれましたよ?」

「…………うん。………ほこり、また階位を上げたのかい?」

「ピィ」



優しい声で話しかけられ、ディノが大好きなほこりはもじもじしている。

だが、成長出来た事は嬉しいのか、小さな足でどすばすと弾み、誇らしげにネアの足にぎゅっと体を押し当てる姿は、可愛いの一言に尽きた。



「ほこりは、また成長してくれたのですか?」

「ピ!」

「可愛いだけでなく、健康に育ってくれてとても嬉しいです。おまけに、ディノのお誕生日のお祝いに来てくれる、優しい雛玉に育ちましたね」

「ピ!ピ!」

「あのね、その宝石はネアへのお土産なんだって。ネアの好きな、菫の花の形にしたみたいだよ」

「なぬ。私の可愛いほこりは、とうとう、宝石の造形変化まで会得してしまったのです?」

「ピ!」


短い足でそっと押し出された宝石は、なんと、カットされたクリスタルの置物のように、可憐な菫の花の形をしている。

ここまでくるともう、階位を上げたと言うが、席次的にはどこなのだろうと思わずにはいられないが、ディノに聞いた事で誰かの席次が入れ替わってしまう場面を見る勇気がなかったので、ネアは己の抱えた疑問をぐぐっと胸の内に封じ込めた。



「こんなに素敵な物を、貰ってしまってもいいのです?」

「ピ!」

「有難うございます、ほこり!実は、私からもほこりに贈り物があるのですよ。この箱の中………に、森で狩った祟りものを詰めてあるので、可愛いほこりのおやつにして下さいね」

「ピ!!」


ネアがディノに箱詰めにして貰った祟りものを渡すと、ほこりはごろごろと転がって喜びを示してくれた。

今日はそんなほこりを足で止めてくれる使い魔はいなかったが、ほこりは、ちゃんと部屋の端まで転がると自分で起き上がり、どすばすとディノの前に弾んでゆく。



「ピ…………ピィ!」

「うん。有難う、ほこり」

「ピギャ!」

「おや、これをくれるのかい?」

「ピ!」



けぷりとほこりが吐き出したのは、綺麗な星の形をした乳白色の美しい宝石だった。

内側にディノの瞳の色を思わせる水紺色が滲んでいて、ぴかぴか光っている。

つい先程訪れたばかりの星の森を思わせる美しい宝石に、ネアは目を輝かせた。



「なんて綺麗な宝石なのでしょう。今日のお祝いにぴったりですね」

「うん。…………有難う、ほこり」

「ピギャ!ピ、ピ!」

「あのね、ほこりは今でもこれからも、ネアとディノが大好きなんだって」

「むむ、私も大好きなので、沢山撫でますね」

「ピ!」

「ディノも、撫でてあげて下さいね」

「こう、……………かな」

「ピギャ?!」



ディノにも撫でて貰えたほこりは、喜びのあまりに転がってしまい、幸せそうにどすんばすんと弾んでいた。


大興奮で綺麗な菫色の宝石を幾つか出していたが、体をぎゅっと押し付けたり、撫でて貰ったりしている内に、あっという間に時間になってしまう。

ゼノーシュの通訳で、ほこりが今度ジョーイとルドルフと旅行に行くのだと知ったネアは、可愛い名付け子が幸せそうで嬉しくなる。



「ディノと私も、明日はお誕生日旅行なのですよ。念願の森ムグリスの見えるホテルに泊まるのです」

「ピ!」

「ほこりは、海の方に行くのだね。ジョーイは、浅瀬くらいまでなら構わないだろうが、深海の魔術には触れさせないようにした方がいい。植物の系譜の者だからね」

「ピ!」

「ふふ、そのお二人がほこりの側にいてくれて、本当に良かったです」

「ピギャ!ピ、ピィ!!」

「伴侶にはね、お土産に綺麗な貝殻を持って帰る予定なんだって」

「まぁ、きっと喜んでくれるに違いありません。素敵な貝殻がありますように」

「ピ!」



たっぷり撫でられ、無事に贈り物も済ませたほこりは、最後にネア達にぎゅむむっと体を寄せてから、帰っていった。

これからジョーイと合流し、ジョーイの古い友人のお宅を訪ねてから、伴侶のいるお城に戻るのだそうだ。



今夜は白薔薇の魔物であるロサも来てくれて、お城でもディノの誕生日をお祝いした晩餐会を開くそうで、ネアは、可愛い雛玉にとっての家族の輪のような人達を思い、唇の端を持ち上げる。



「ほこりにも、家族がいてくれて本当に良かったです。甘えん坊の雛玉でしたが、みんなに大事にされる子に育ちましたね」

「ジョーイとルドルフがいれば、ほこりは大丈夫だろう。最近は大人しくなっているけれど、ルドルフは、クライメルの後継でもある白夜だ。今は、精神的にはジョーイの方が安定しているだろうけれど、ルドルフは器用な魔物だからね」

「すっかり失念しがちですが、そうなのですよね。アルテアさんからも、グレアムさんからも、今代の白夜さんがほこりに夢中で、尚且つこちらに害を成さない相手で良かったと言われます」

「うん。それでも、信頼していいという相手ではないけれど、君を害さないというだけでもとても幸運な事だ」



ネアは、先代のルドルフを知っている。

狡猾で残忍そうなあの魔物が今もそのままだったらと思うとぞくりとするし、その知識や技量を少なからず維持している今の白夜の魔物が、可愛い雛玉の隣にいてくれると思うとほっとする。


この世界にはまだまだ厄介な魔物達がいるが、それでも、良い取引先としての関係を築けているアイザックといい、敵に回すと厄介な相手の何人かとは適切な距離感を保てているのは幸いであった。




「ネア様、ディノ様、ヨシュア様とイーザが参りましたよ」

「ヒルドさん!では、お誕生日会場に向かいますね」

「ええ。それと、早めに来られたのか、正門前に黒い狼姿の方がおられるようですので、そちら方も合わせてお迎えに上がります」

「むむ、ギードさんも来てくれたのですね。ヒルドさん、有難うございます」 


ネアがそう弾むと、こちらの外客棟まで声をかけに来てくれたヒルドの後ろから、ウィリアムが顔を出した。



「ウィリアムさんです!」

「ああ。俺も早めに到着させて貰ったんだ。アルテアは、昨晩から来ていたんだな」

「昨日の夜にディノとお茶を飲みに行った帰り道で、拾ってしまったのですよ」

「うーん、あんまり来るようだったら、少し文句を言ってもいいんだぞ?」

「ふふ、今回はディノのお誕生日ですから、アルテアさんが張り切ってしまってもいいのかもしれません」



ネアがそう言えば、ウィリアムはどうだろうなと苦笑したが、ディノに向かい合うと、胸に手を当てて深々と一礼する。



「シルハーン、おめでとうございます」

「ウィリアム?」

「オフェトリウスが、正式な挨拶をしたと聞きましたので」


目を瞬いたディノに、顔を上げくすりと笑ったウィリアムは、余分な祝福と魔術の繋ぎは切ってありますと微笑む。


白い軍服姿のウィリアムの優雅なお辞儀に、ネアは大興奮でわなわなしてしまい、そんな様子に気付いたウィリアムが、今度はどこか悪戯っぽい目をしてゆったりと微笑む。



「気に入ってくれたみたいだな」

「騎士さんみたいで、とても格好良かったです!」

「ウィリアムなんて…………」

「ふぁふ。やはり白い軍服は素敵ですね。ただし、黒い騎士服も捨て難いのですが…………」

「おっと、それはオフェトリウスの騎士服なんじゃないのか?」

「あの騎士服はずるいのですよ………。ですが、私の騎士さんはウィリアムさんなので、今度また、素敵な騎士服姿を見せて欲しいです」

「ウィリアムとオフェトリウスなんて…………」

「あら、ディノは私の伴侶という、誰にも代わって欲しくない肩書きがあるでしょう?」

「ずるい………」



窓の外を見ると、いつの間にか周囲は、薄らとした夕暮れの青い翳りを帯び始めていた。

朝から沢山のお祝いとお客を迎え、リーエンベルクの中庭にはしっとりした天鵞絨のような花びらが美しい、藤色がかった水色の薔薇がこんもりと咲き誇っている。

オリーブのような白緑色の葉を持つウィームのライラックは、薄紫色の花を満開にし、重たい花枝を下げていた。


そんな木の枝をててっと走ってゆくのは、見事な森結晶を拾ったらしい妖精栗鼠で、両手で森結晶を掲げ、仲間達の方に走ってゆく姿は堪らなく愛くるしい。



森はそこかしこが煌めき、淡い曇り空の灰色は、ディノの宝物の一つである灰雨のリボンのよう。


ウィームの曇天は、べったりとした平面塗りの灰色ではなく、きらきらと複雑な色味を湛えた灰色の宝石のようなのだ。

そう考えたところでネアは、自分の瞳の色を思ったし、グレアムの夢見るような灰色の瞳についても考えた。


ディノは練り直しの際に、ネアハーレイという人間の印象をそのまま色に置き換えたそうだが、それでもどこかに灰色が美しいという認識があったのならば、そこには大事な友人との思い出もあったのかもしれない。



大切なものだからこそ、相応しいと思って選んでくれたのかもしれない。




「私はやはり、晩秋からイブメリアまでの季節が大好きなのですが、そんな大好きな季節への期待を高めてくれるこの季節が一番わくわくするのです」

「うん」

「だから、ディノがそんな季節に私を呼び落としてくれて、そして、大事な魔物のお誕生日とする事が出来て、とても幸せなのですよ?」

「…………うん。君は、………くすります………?」

「クリスマス?」

「それをとても好んでいて、せめて一度でもいいから、もう一度だけ心ゆくまで祝いたいと呟いていたから、イブメリアの前がいいと思ったんだ」

「まぁ、だからこそきっと、私はこの世界が大好きになってしまったのですね!」



ネアの言葉に、ディノは微笑んで頷いた。


嬉しそうに、幸せそうに。

ほろりとこぼれ、きらきら光る祝福の煌めきのような瞳は澄明な湖のようで、ネアの隣を歩いているウィリアムの唇が、ふわりと幸せそうに綻んだ。

こちらの終焉の魔物も、ディノの幸せを喜んでくれる優しい魔物である。



(ディノは、万象の魔物で、薬の魔物なのだけれど…………)



それでもなぜか、ネアの中でディノを思うとき、その背景は、雪のウィームの街に煌めく美しい飾り木とリースのイブメリアの景色なのだ。

それはまるで、祝福そのものの形や、それこそ恩寵そのもののように。




「ディノは、私の大事な大事な魔物です。私を生かし直させてくれるたった一人で、私がもう一度誰かを愛する為に必要だった、唯一の伴侶なのです。ディノ、私にこうしてまた最愛の誰かの、そしてそんなディノのお誕生日を祝える幸せを与えてくれて、有難うございます」



なぜだか廊下を歩いてお誕生日会場に向かっていただけなのに胸がいっぱいになってしまい、ネアがそう言うと、がたんという音がした。



「ディノ?!」



ネアは魔物が死んでしまったのかと思って慌てて隣を見たが、幸いにもディノは、目を瞠ってほろほろと泣いてしまっているだけで、倒れてはいなかった。



「グレアム?!」


しかし背後から聞こえてきた声に振り返ると、そこには、廊下に膝を突いて蹲ってしまっているグレアムと、そんなグレアムを助け起こそうとしているギードの姿があった。

ヒルドは苦笑しており、その奥には目を丸くしたヨシュアの姿と、ヒルドの隣のイーザの姿もある。


どうやら、ここでもうお客様が揃ってしまったようだ。



「…………むむ?」

「はは、グレアムは相変わらずだな」

「……ネアが、…………凄く虐待する」

「まぁ、こちらも泣いてしまっていますね。困った魔物ですねぇ」

「……………ネアが、生きて動いている」

「その表現はやめるのだ」



よれよれのグレアムはギードの肩を借り、我が君が幸せそうで感無量であると呟いていたが、まだお祝いも始まっていないのでどうか頑張って欲しい。



ネアは、一家のお嬢さんがココグリスを伴侶にしたせいで、ココグリスの伴侶なんて一族の恥だと荒れ狂う父親派と、ココグリスに娘は守れないと怒り狂う母親派に分かれて家族内闘争状態にあった山ムクムグリスがやっと落ち着いたので、明日はディノと昨年のお祝いの宿泊券を使うのだとグレアムに報告にゆき、グレアムは微笑んで頷いてくれた。



森と渓谷の国のダンローラドの宿泊券は、すぐにでも行きたかったムクムグリス旅行なのだが、折角なので、ムクムグリス達が仲直りしてからにしようと時期を見計らっていたのだった。

ディノのお誕生日に行ける事になったのは、素敵な偶然である。

季節外れだが、紆余曲折あり最終的には幼馴染みの山ムクムグリスと伴侶になったお嬢さんが、可愛い子供を産んだばかりなのだ。


赤ちゃん山ムクムグリスを見られるとなれば、最高のタイミングである。



「ありゃ、何でシルだけじゃなくてグレアムも泣いてるのさ………」

「ほぇ、何でまたノアベルトがいるんだい?」

「え、ここ僕の家でもあるんだけど?」

「アルテアもいる………」

「言っておくが、俺はこちら側だぞ」

「ほぇ、アルテアがまたいちゃいちゃしてる………!」

「何でだよ」



今年のお祝い会場は、白い花をふんだんに飾り、月光と星屑のシャンデリアがきらきらと輝いていた。

床石は雪湖水結晶の白みがかった水色で、壁の装飾は花輪と花飾りを模してある立体的な彫刻のみ。

だからこそ、部屋のそこかしこに飾られた花々が映え、うっとりとするような清しい森の香りがした。


そして、ご馳走が並び、奥にはネアが頑張って作ったケーキもある。




「では、お祝いを始めましょうか」

「……………うん」



ネアは、まだ泣いている魔物の手を取り、そんなお祝い会場に足を踏み入れたのだった。







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