蒲公英とラベンダー
ウィームの職人街の一画には、地元の住人達に愛されている小さな公園がある。
その公園の三方を囲んだ、花と花籠のレリーフの美しい石壁には、秘密の扉があるという噂があった。
小さな公園には季節の花々が溢れているが、どちらかというと、目立つ花ではなく可憐な野の花のようなものが多いだろうか。
公園の中央にはこんもりと茂ったラベンダーの花壇があり、一年を通して美しい花を咲かせているのだそうだ。
特に冬に咲く雪ラベンダーの美しさは格別で、以前にグレアムが、雪の日の夜にこの公園を通るのがお気に入りなのだと教えてくれた事を思い出し、ネアはこれなのだと目を瞠る。
春から晩秋にかけての季節の天気のいい日には、近くの工房から日向ぼっこにきた職人が、ハンカチをそのラベンダーの茂みの上に載せている光景がよく見かけられるのだとか。
綺麗に洗ったハンカチでないと怒り狂ったラベンダーの妖精に投げ捨てられてしまうが、ハンカチをそっと載せると、妖精達がラベンダーのいい匂いを移してくれるのだという。
いい香りのハンカチに格上げせんと、贈り物のハンカチを持って訪れる人々もいるらしい。
「さてと、ここだね」
「むむ、この綺麗な花籠のレリーフのところが、扉になっているのですね」
「うん。それにしても、この中に暮らしているラベンダーの妖精達が、あのシュプリを隠し持っているとは恐れ入ったなぁ……………」
そんな公園へ、ネア達はお目当てのシュプリを手に入れるべくやって来ていた。
今日は薄曇りだからか、公園の花々にはまだ朝露を花びらに光らせているものもある。
工房に囲まれた公園なのだが、街灯に使われている木漏れ日の結晶石が陽光を引き込むお陰で、比較的明るい印象だろうか。
「ノアでも手に入れるのが難しいくらい、とても珍しいものなのですよね?」
「うん。統一戦争前に、市井に下りたウィームの王族が経営していたメゾンのものなんだ。シルの誕生日にぴったりだから、絶対に手に入れないと」
にっこり笑ってそう言った塩の魔物に、ネアは、唇の端を持ち上げる。
これ迄は、秘蔵品のお酒の登場が多かったが、最近は、こうして探しに行く手間をかける物も多い。
それがなぜかと言うと、手に入れたお酒を家族と飲むという経験に慣れて来たノアが、今度は、家族の為に珍しいお酒を買い付けに行くという喜びに目覚めたからだ。
これ迄の日々の中で蓄えた珍しいお酒もまだまだあるようで、勿論、今後もそれらのお酒の登場はあるらしい。
(この石壁の向こうに、ラベンダーの妖精さんがいるのだわ……………)
ノアとラベンダー畑に行くのだと思うと、ネアは、何やら不思議な気持ちになった。
二人が最初に出会ったのもラベンダー畑だが、あの美しい場所はもうないのだ。
感傷の雨の降るラベンダー畑で出会い、再会するような事があれば、出会い頭に叩きのめして口封じをせねばならぬと思っていた一人の魔物が、今はこうして大事な家族になっている。
あの頃に教えて貰った塩の魔物は、人間嫌いで偏屈で、怖い魔物だという事だった。
だが、こうして一緒に暮らしているノアは優しくて楽しい家族で、昨晩は、銀狐姿でミートボール入りのパスタに突撃してエーダリアを項垂れさせていた。
ウィーム中央には銀狐の専門店があり、リーエンベルクの騎士達は、悲しい事があると銀狐とボール遊びをして心を慰めるという。
きっともう、ネア達だけではないのだ。
ノアの事を好きな人達が、ここにはもう、沢山いてくれる。
「それにしても、植物の中にも迷い子がいるのですねぇ」
「ラベンダーと蒲公英なんて、共存するには最悪の相性だと思うよ。気質がまるで違うからね」
「まぁ……………」
「とは言えそのお陰で、困ったラベンダーの妖精から、シュプリと交換でっていう頼み事が来たんだけれどね」
ネアは、確かに派生する妖精達にも気質の違いがあるのだろうと、蒲公英の迷い子に、お気に入りのラベンダーの絨毯を占拠されてしまった、ラベンダーの妖精達の憤りについて考える。
ノア曰く、ラベンダーの妖精達は、理知的で物静かでどちらかと言えば一人上手だ。
大勢で集まるよりは、自分の家族との時間を大切にするという。
対する蒲公英の妖精達は、天真爛漫で甘えん坊で、薔薇の系譜とはまた違うやり方で、大勢の中心にいたがる気質らしい。
その無邪気さで多くの者達から愛されるが、自分を優先してくれないと不貞腐れてしまうような我が儘なところもある。
おまけに蒲公英は、一度その土地を気に入ると、先住者をぐいぐいと追い出して我が物にしてしまう傾向があるので、ラベンダーの妖精達は、何とかして今の内に蒲公英な迷い子をこの場所から追い出したいらしい。
その手伝いをしてくれれば、ノアの探していた、ラベンダー畑の夜空と、星紡ぎのリボンのシュプリを譲ってくれると聞き、ネア達は、彼等の住まいの入り口である公園にやって来たのである。
「いざとなれば、除草剤もあります」
「わーお。僕の妹は、蒲公英を滅ぼすつもりだぞ」
「古くから住んでいる方々がいる場所に勝手に入り込んで来て、その場所を無理やり奪おうとする企みがそもそも許せません。あまりにも綺麗な絨毯なので座ってみてもいいだろうかというお願いを快く聞き入れてくれた優しい方々に対し、絨毯を奪おうとするなんて、何と言う厚かましさでしょう……………」
その話を聞いたネアは、自分の物は自分の物なのだと宣言してやまない強欲な人間の一人として、他人事ながらも荒ぶってしまった。
ましてや蒲公英妖精は、ラベンダーの妖精達が大事にしていて、お祝い事の時にだけ出しているラベンダーの絨毯を占拠しているのである。
ちょっと優しくされたからと、我が物顔で誰かの大事な物を奪うなど、言語道断ではないか。
座ってもいいよと言ってくれたのは、少しだけこの美しい場所で心を癒したらどうかという、ラベンダー妖精達の優しさだったのに、その優しさをずたぼろにする我が儘な振る舞いだ。
とは言え、ネアとて聖人君子ではないが、あまり自分の宝物を持たなかった過去の思いから、蒲公英達の振る舞いは目に余るのであった。
こつこつと扉となる壁の部分を叩くと、瞬きの間に、目の前に立派な扉があった。
背の高い長方形の扉の上には青空を模したステンドグラスの飾り窓があり、持ち手の部分は団栗と小枝を模した手の込んだ造りの扉だ。
「ほわ、綺麗な扉ですねぇ」
「この奥に隔離地があるんだ。ラベンダー妖精は人見知りで、今日は案内人の妖精しか出てこないから、彼と一緒に対処する事になるよ」
「はい」
ノアがその扉を開けてくれると、ぎいっという音と共に、雨上がりの花畑のような清しい香りに包まれた。
ネアは思わずくんくんしてしまい、くすりと笑った優しい目のラベンダー妖精に気付き、あわあわとノアの背中に隠れる。
扉を開けてすぐのところに立っていたのは、背の高い女性のような柔和な面立ちの男性であった。
綺麗な緑色の髪に、瞳と羽は美しいラベンダー色である。
「初めまして、ウィームの歌乞い殿。我々の固有色をご贔屓にして下さるあなたのお陰で、私達は昨年より階位を上げられたばかりなのですよ」
「………まぁ、そうなのですか?ラベンダーは、ここにいる義兄との思い出でもあるのですよ」
「それは、ますます喜ばしい事です。今回は、ご足労いただき、有難うございます。塩の方、ご提案を受け入れていただき感謝します」
「あっちも植物の系譜だから、さっさと済ませてしまおうか。案内してくれるかい?」
少しばかり魔物らしい物言いでそう告げたノアに、ラベンダーの妖精は薄く微笑んだ。
柔和な面立ちだが、どこか疲れたような微笑みが気になり、ネアは、もしやと扉の向こうに目を凝らす。
入り口の向こうにはラベンダー畑が広がっていて、扉の外とは時間の流れが違うのか、あたりは青い青い夕闇に包まれていた。
「すぐに現れますよ。あなたは、高位の美しい魔物だ。蒲公英が目を付けない筈もないでしょう」
「ありゃ、そういう事か」
その時、しゅんと、全力疾走の子犬のようなものが駆け込んできた。
ノアは、すかさずネアの手を引いてその直撃を躱してしまい、ラベンダーの妖精も素早く避けたので、走ってきた何者かはべしゃりと転ぶ。
「……………まぁ。激しいのですね」
「うーん。もう苦手だなぁ…………」
「……………ふぇ。……………また私を苛めるのですか?」
ぴょこんと顔を上げ、ふにゃっと涙目になったのは、ふわふわの蒲公英色の髪を持つ可愛らしい少女だ。
髪の毛と同じ色の瞳を潤ませ、ラベンダー妖精をきっと睨み付ける。
「虐めてはいないが、常々、ここから出て行って欲しいとは思っていますね」
「またそんな酷い事を言うんですか?私があなたからの求婚をお断りしたので、まだ許してくれないのですね………」
「今朝まで私に求婚していたのは君ですし、私が求婚した事があるのは、妻だけですが………」
「ふぇ…………」
「え、何でこっち見てるんだろう」
ふぇぇと涙目になって縋るようにノアを見た蒲公英妖精に、ネアはすっと真顔になった。
こうして他者を簡単に陥れようとするとなると、かなり面倒な気質なのは間違いない。
残念ながら今後の会話の展開も何となく見通せるので、率直に言えば、ここで早くも我慢の限界となったのである。
そして、ネアの中でふぇぇと泣いていいのは、ヨシュアだけである。
元々あまり枠が空いていない分野なので、一人で上限だ。
案内人のラベンダー妖精がちょっとヒルド寄りの雰囲気を持っていたのも、早々に何とかしてあげたいと思った理由かもしれないが、ネアは、もうすぐにでも片付けてしまおうと考えた。
「ちょっとだけ、目を閉じていていただけますか?」
「ええ」
「…………ありゃ、まさか」
「お嬢さん、こちらを差し上げますね」
「ふぇ?」
ネアは案内のラベンダー妖精に目を閉じるように頼むと、きょとんとこちらを見た蒲公英妖精の手に、ぽとんときりんボールを載せてしまった。
その途端、ぎゃぁぁぁと悲鳴が上がり、塩の魔物を標的にせんとしていた可憐な乙女は、しゅわんと消えてしまう。
ネアが地面に転がったきりんボールを回収する中、足元にぺそりと落ちていたのは、しおしおになった蒲公英だ。
「前評判通り、なかなかに丈夫ですね。あ、もう目を開けて結構ですよ。侵入者は無力化しましたので、このままどこかの森にでも捨ててきましょう」
「ちょっと今の作戦だと、お兄ちゃんも被弾しかけたから、今度からは事前に報告して欲しいかな………」
「言葉を飾らずに言えば、最初のやり取りだけでもう我慢出来ませんでした。まずはこやつを、草むしり用のバケツに詰めますね」
「わーお、かなり残虐な道具を持って来てるぞ…………」
ネアは、海遊び用の木のトングで、へなへなの蒲公英を雑草バケツに入れてしまい、ふんすと胸を張った。
その様子を見ていたラベンダー妖精は目を丸くしていたが、ゆっくりと頷くと、微笑みを深める。
「さすが、万象の王の奥方君ですね。障りや呪いを残す間も無く、無力化してしまわれた。…………こちらを見ていただいてもいいですか?占拠されたラベンダーの絨毯なのですが………」
案内人のラベンダー妖精が先に立ち、そよそよと風に揺れるラベンダー畑を案内してくれる。
辺りは深い森に囲まれていて、月明かりに煌く小川とふくよかな香りの満ちるラベンダー畑だけの景色だが、それが例えようもなく美しい。
丘の向こうにまで広がるラベンダー畑は、ぽっかりと浮かんだ満月に照らされている。
入り口の辺りはまだ夕闇に包まれているので、どうやらこの中は、先に進むと夜になるらしい。
「根がそっちに残ってるのかな。それを駆除したらお終いだね」
「除草剤…………」
「ありゃ、それは待とうか」
「はは、除草剤はご勘弁を。我々も不得手なものでして」
今回のネアがとても好戦的なのは、決して、蒲公英が嫌いだからではない。
寧ろ、春先に見かけると可愛いなと思うくらいだが、残念ながら思い入れも多いラベンダーとは比べるべくもない。
人間はとても残虐で、そうして、何かと順列を付けてしまう生き物なのだ。
即ち、ご贔屓のラベンダーを困らせた蒲公英は、排除対象という事だ。
「まぁ、これですね」
「わーお、こりゃ酷いなぁ」
「この通りでして………」
少し歩くと、丘の上に、見事なラベンダーの絨毯が広げられていた。
(……………とても綺麗な絨毯なのに)
どこか素朴な趣の森とラベンダーの織り模様は絵本のようで、だがその上には、綿毛になった蒲公英が一面に広がっている。
絨毯の上に生える蒲公英はどこか幻想的な光景でもあったが、この絨毯を大切にしていたラベンダーの妖精達には、胸が痛くなるような有様だろう。
ネアも悲しくなってしまい、むぐぐっと眉を寄せてノアを見上げた。
「魔術で残った根を取り除くだけだから、すぐに終わるよ。ほら、本体は君が意識不明にしたから」
「この素晴らしい絨毯を、皆さんに返して差し上げられます?」
「うん。お兄ちゃんに任せていいよ」
「はい!」
こちらを見て微笑んだノアが、すいっと片手を振った。
すると、ほわほわと夜風に揺れていた綿毛の蒲公英達は、一斉に風に散り、そのまま淡い魔術の光になって夜の中に崩れてゆく。
幻想的な美しさについつい感動してしまいそうになりながら、ネアは、誰かが大事に織り上げたに違いない絨毯の上から蒲公英の気配が完全に消えるのを見ていた。
「はい。これで終わりだ。約束は果たしたよ」
「……………ああ、これでやっと。………やっと、我々の団欒と安らぎが、帰ってきます。塩の方、ウィームの歌乞いの君、心よりお礼を申し上げます。お二方の失礼にならぬようにと、仲間達は森におりますが、皆も喜ぶでしょう」
心を蕩かすように微笑んだラベンダーの妖精は、とても美しかった。
だがそれは、華美な美貌ではなく、どこかひたむきで繊細な、静かな夜に読みたくなる詩のような美しさだ。
どこからともなく取り出したバスケットが差し出され、その中には、可愛らしいお城とラベンダー畑の絵が描かれたラベルのシュプリが、ラベンダーの花束と一緒に入っている。
「うん。僕が欲しかったのはこれだ。契約を満了としよう。この蒲公英は、僕がどこかいいところに捨てておくよ」
そんなノアの言葉に微笑んだ妖精は、何かを答えただろうか。
気付けばネア達は、先程の公園に立っていて、ノアの手にはシュプリの入ったバスケットがある。
こちらを見てにっこり微笑んだ塩の魔物は、ネアの用意した草むしり用のバケツの中の萎れた蒲公英を、どこかに空間を開いてぽいと投げ捨ててしまった。
「ぽいなのです?」
「うん。殺して障りを貰っても面倒そうだから、ルドルフの城の近くに捨てておいた。あの辺りの土地は、強欲に増え過ぎるからって事であまり蒲公英を好まないからね」
「となると、ほこりのおやつになる可能性もあるのです?」
「ありゃ…………」
ゴーンゴーンと、近くの教会で、午後の鐘の音が鳴り響いた。
ネアはちらりと現在地を確認し、帰り道にある屋台で売られている、ドライフルーツと粉砂糖の一口タルトをお土産にするのも悪くないなとほくそ笑む。
「さて、帰りましょうか」
「うん。僕達の家に帰ろうか。これで、いいお祝いが出来るのは間違いないよ」
「ふふ。帰ったら、ディノには、今日のお使いの獲物は、お誕生日まで秘密だよと教えてあげるのです」
「それがいいね。秘密の内容が自分の為だと分かっているだけで、きっとほっとするよ」
籠いっぱいに敷き詰められたラベンダーの花束は、みんなで分け合って枕元に置くといいだろう。
上手くいけば、あの素晴らしい絨毯に寝転んで、月夜のラベンダー畑で眠る夢が見られるかもしれない。
今頃、公園にある秘密の扉の向こうでは、ラベンダーの妖精達が、取り戻した大切な絨毯の上で慰労会をしているかもしれないと思うと、ネアは、何だかほんわりとした幸せな気持ちになった。
折しも、今年の大切な魔物への贈り物も、そのようなものなのだ。
明日9/9の更新は、お休みとなります。
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