陶器の花と弔いの調べ
美しい美しい星空の夜であった。
つい先程までは満月は大きく輝いていたが、少しの雲があるので、月明かりが隠されてしまうと、今度は星がちかちかと瞬き始める。
その全ての輝きが、複雑な模様で配置されたタイルの上に落ち、冴え冴えと輝くのだ。
「不思議な墓所なのですね………」
思わずそう呟いたネアに、振り返って微笑んだのはウィリアムである。
直前までの仕事は、どんなものだったのだろう。
少し疲れているが、ウィームで小規模な花送りがあると聞き、こうして一緒に墓所まで来てくれている。
白い白い軍服のケープが夜の光の中に風で揺れ、内側の深い赤色を僅かに覗かせる。
軍帽までをかぶった終焉の魔物としての装いであるが、光を孕むような色を持つ魔物の瞳が、帽子の影で翳る事はない。
ウィリアムがその装いなのも当然だろう。
ここは、墓所なのだ。
「どの国にも、それこそ集落ごとにこのような墓所がある所もあるが、ウィームの墓所を言葉で示すなら、静謐と安らぎだな。丁寧に埋葬されていないと、このようにはならないだろう。陶器化の呪いは決して珍しくないものだが、祀り方が決まっている呪いなので、ウィームからしてみれば扱いやすいのかもしれない」
「ウィームでは、多くが花の系譜に起こる呪いなので、花送りと言うのだそうです。ヴェルリアでは、船縛りと言うのだとか」
「ガーウィンでは、影奉納と呼ばれ、死者の国への供物の扱いだ。アルビクロムでは、数百年に一度くらいしか報告例がないと聞くが、統一後には念の為にと墓所が作られたようだな」
そのアルビクロムでの陶器化の呪いは、有名な大事件になっていた。
滅多に陶器化の起こらない魔術の希薄な土地であるのに、その年は、国境沿いの小さな国の王族が、魔術四陣の絨毯という特殊な隔離地を持ち込み、その周辺での陶器化が起こってしまったのである。
この陶器化という呪いは、特定の呪い手がいる事象ではない。
可動域の低い子供達の指先が結晶化してしまうように、魔術と体との均衡が崩れた場合に起こる、言葉通りの陶器化である。
その現象を引き起こすのは、魔術の理そのものであり、一度陶器化してしまえば、ディノにも回復する術はないそうだ。
ヴェルクレアを含む大陸のこちら側では陶器化と呼ばれているこの現象は、カルウィなどの大陸の反対側では、人形化と呼ばれている。
あちらでは、無理な魔術運用を強いられた人間や従属の人外者に多い症状であるのに対し、大陸のこちら側では、植物や獣がなる事が多いのも、名称の違いの理由であろうか。
「アルビクロムの事件では、異国の王族の接待にあたっていた、有名なギルド長さんが陶器化してしまったのですよね。そのギルド長さんに思いを寄せていた異国の王女様は、すっかり憔悴してしまい、その後は王位継承権を捨てて修道院のようなところに入られてしまったのだとか…………」
「ああ。終焉の気配があったから、その地を訪れた俺もその顛末は見届けている。随分と痛ましい事件だったな」
外交の為にとアルビクロムを訪れた王女は、その国の第五王女であったらしい。
外遊で出会ったアルビクロムのギルド長とは以前から交流があり、恐らく二人は、密かな恋人同士だったと思われる。
王女は、魔術なくしても様々な事を可能とするアルビクロム工業の導入を国に訴えかけ、漸く王がそちらへと興味を向けたところであった。
第五王女という地位の低さが幸いしたものか、彼女は、貴重な固有技術を手土産にその国に駐在する事になるアルビクロムのギルド長に嫁ぐ事が決まっていた。
王女は王位継承権を返上し伯爵位を授かり、ギルド長は、望めばヴェルクレアに戻れるという条件付きの婿入りという扱いになる予定だったのだとか。
そこだけ聞けば国の為の献身だが、その二人は思い合う恋人同士である。
身分差を越えて漸く結ばれる直前だった二人を襲った悲劇は、王女が、技術提携の式典での目玉になればと持ち込んだ絨毯が引き起こした。
式典の目玉となる素晴らしい魔術の幻影を見せてくれる絨毯の上で、ギルド長は、王女と握手を交わす予定であったそうだ。
そして、華々しく喜ばしいその式典の途中で、過分な魔術の場を踏む事に慣れていなかったギルド長は体内の魔術均衡を崩し、王女の目の前で陶器化してしまったのである。
その当時、アルビクロムにはまだ、陶器化という現象への知識があまりなく、一瞬であったが、その場は騒然としたと言う。
王都から派遣された騎士や魔術師達が、ギルド長が罠にはめられたと声を荒げるアルビクロムの技術者たちを宥めた頃にはもう、王女は蹲って泣くばかりだったそうだ。
駆け付けたウィリアムは、終焉の予兆に繋がる二か国間の争いが回避されてほっとしたが、暫くはその場に留まり、事の顛末を見届けたらしい。
「陶器化した方の魂は、死者の国には行けないのですか?」
「ああ。その場合は、呪いに取られたという扱いだな。石化した物が摩耗してゆくように、長い時間をかけて崩れてゆくが、それが完全に失われるまでは、障りの可能性を残し続ける」
「……それは、どれだけ惨い事でしょう。この世界にはあんなに素敵な死者の国があるのに、つい先程までは共にゆく未来を描いた人ともう会う事も出来なくなってしまうのですね…………」
「呪い手はいないが、魔術の理そのものに呪われるようなものだ。人間の場合は、自身の体に不調が出るから、そこで気付いて回避出来れば良かったんだがな…………」
「エーダリア様に教えていただきました。だからこそウィームでは、意図的に陶器化された悪い方以外では、人間の被害者は出ていないのだそうです」
ギルド長にはきっと、身に起きていた不調を陶器化の兆候だと気付くだけの知識がなかったのだろうというのが、ガレンの調査結果だ。
相手は、体調不良で式典を中断しても角の立たない恋人であるし、ヴェルクレアも他国との式典で体調不良で絨毯から出た程度の騒ぎで、重たい責任を課すような国ではない。
彼は、知らずにただの体調不良だと思い式典への参加を継続し、工房主の挨拶などを聞いている間にその体は限界を超えた。
結果として両国の業務提携は見送りとなり、アルビクロムの墓所には今も、あの日に愛する人に手を伸ばしたギルド長が、そのままの姿で陶器として納められている。
ざわざわと、夜の風が木々を揺らした。
街路樹の間に立つ石柱に額装されて吊り下げられているのは、クッキー祭りの諸注意だろうか。
その手の注意喚起のポスターは、森の生き物達の巣材にされてしまわないよう、額装されるのがウィームの常だ。
いざ当日になって、森栗鼠の巣材にされたポスターの注意書きを誰も読んでいないとなったら、大変な事になる。
二人が入った聖堂のような墓所の建物は、風を通す為に扉などは設置されていない。
悪天候の日には、街の騎士達が魔術で土地ごと封鎖するのだとか。
「その木箱を、このテーブルの上に置いてくれ」
「はい。なぜここに、突然素敵な陶器のティーテーブルがあるのかなと思っていましたが、作業台のようなものなのですね」
「ああ。このテーブルの縁のレースのような繊細な模様が、終焉の系譜に連なる術陣となっている。………夜に揺蕩い砂の涙をこぼし、星々の煌めきに森の歌声を重ねて、………いい術式だな。収められた者達が、その完全な崩壊の瞬間までを安らかに過ごせるようにという願いが込められている」
今回ネアが弔うのは、階位を上げたばかりの妖精の横に、たまたまひっそりと咲いていた霧百合だ。
同族のシーとの婚姻が決まった泉の妖精が喜びに階位を上げた瞬間、その足元でしびびっと陶器化してしまった哀れな百合である。
そうして突然陶器化してしまった生き物は、凍り付いたようになりながらもその中に魂が残り続けるので、丁寧に弔わないと、内包された絶望や怨嗟だけがこぼれ落ちて障りとなってしまう。
なので、各地にはその為の墓所があり、陶器化したもの達を丁寧に弔い、小さな石棺や石櫃に安置するのだ。
なお、棺には、夜や星空に水辺や眠りの魔術など様々な鎮静効果の高いものを一緒に埋葬し、その眠りを祈るのが習わしである。
今回ネアに儀式が任されたのは、ウィーム中央では、この陶器化を弔うのが、リーエンベルクに属する者達の役割であるからだ。
いつ何時起こるか分からない事象であるし、有事などには、過分な魔術変動でその危険が高まる事もあるだろう。
もし、エーダリアや騎士達の手が離せない場合は、ネアが引き受けなければいけない事もある。
そんないつかを見越し、尚且つ今回は、弔いのお作法に世界中で誰よりも詳しいウィリアム立ち合いの下、学びを兼ねての仕事となった。
(発生が確認されたら一度任せるという事だったけれど、前回は武器狩りの最中だったから、次回にということになってしまって…………)
今回のように、大きな事件の最中ではなく研修が可能な機会はとても珍しい。
何しろウィームの生き物達は、ちょっとした魔術の均衡の変化くらいは容易く乗り切れる程に可動域が高いのだ。
こうして、問題が起こらない内に儀式を行えるのは幸運だ。
そう思いはしても、象牙のような素材の漆黒の円筒形の入れ物に収められた水色の百合の事を思うと、やるせなく切ない。
もふもふの可愛い獣などではないだけ良かったが、未来を閉ざされたものというのはやはり悲しいのだ。
なお、ディノはこの墓所への立ち入りが難しく、ウィリアムもいるのでと敷地の外で待ってくれている。
なぜディノの相性が悪いのかと言えば、三百年程前に、万象の魔物だけが陶器化を解けるという無責任な噂が流れたからなのだそうだ。
誰も陶器化したもの達が実際にどんな状態にあるのか分からないので、もし、そんな万象の魔物が墓所に入り、陶器化したもの達に僅かでも意識があってそれに気付いたらという懸念から、今回は立ち入らないという措置が取られた。
ウィリアムの見立てでも、恐らく外側に向く意識はないだろうという事だったが、障りが大きくなる危険は冒せない。
どうして助けてくれないのだろうという嘆きを、ネアの大事な魔物に背負わせる訳にはいかないではないか。
「不謹慎ですが、……………美しいですね」
「ああ。…………これは象徴的なものの一つだが、終焉は時として美しいばかりの時がある。だからといって生きている者達には魅せられて欲しくないが、その為に境界を越えてしまう者達も少なからずいる」
「棺に入れるのは、美しさ故にだとエーダリア様が教えてくれました。それを美しいと思い魅せられてしまった方が、誰かや何かを意図的に陶器化させてしまう事を懸念されたのだそうです」
「実際に、カルウィには人形の神殿がある。怨嗟を蓄えて呪いを成就させる為に造られた物だが、グレアムがうんざりしていたな…………」
「もしかして、グレアムさんが呼ばれてしまうような所なのですか?」
「願いをかける場所ならば、彼が呼ばれる事も多いだろう。俺も何度か招かれた事があるが、召喚には応じなかった」
はたはたと風に揺れるケープが、夜闇の中で、墓所の建物の中に入る事でいっそうに暗くなった視界の中で切り取られたように白い。
夜の光を魔術として構築する為に、この墓所の天井は一面が硝子張りになっている。
そこから差し込む僅かな星の光を映し、ウィリアムの白い軍服には青白い影が落ちていた。
(……………これが、終焉としての役割を果たすという事)
ウィリアムの微笑みはいつもよりも怜悧で酷薄で、ぞっとする程に艶やかで暗い。
ネアは、この軍服姿には最適な表情だと思ってしまうが、それはこの魔物が、ネアのよく知る友人で、騎士としての約束を交わした相手だからだろう。
ふと思い出すのは、祝祭の儀式を行う大聖堂から迷い込んだ戦場でのこと。
こちらを静かに睥睨していた終焉の魔物は、終焉の子とされるネアの目にも、とても恐ろしいものに見えた。
(……………でも、美しいのだ)
それはもしかしたら、多くの陽光の下で暮らし、生を尊ぶ人達にとっては怪物に見えるものが、終焉の子達には、そっと微笑む美貌の人外者に見えるようなものかもしれない。
テーブルの上で夜想箱から取り出した陶器の百合を、ネアは用意されていた真っ白な天鵞絨の織り布で包み、収めるべき棺の棚へ向かう。
「……………まぁ、」
「ここが石櫃棚だ。用途によっては、石棺とも言われる」
「障りを多く孕んだものは石櫃で、穏やかに眠るものは石棺なのだそうです。今回は石櫃だろうと言われていましたが、この布が青く染まらないので石棺で良さそうですね」
陶器化したものの嘆きが深いと、この素晴らしい夜と星の模様を織り上げた布が、青く染まるのだそうだ。
植物の系譜なのでと青く染まる事が予想されていたが、思いの外、安らかに眠ってくれているらしい。
「この墓所が合ったんだろう。今回は、ヒルドの見立てが良かったな」
「ええ。本来は西側の墓所の方に収められる筈だったのですが、ヒルドさんが、こちらの方がいいだろうと」
「………この墓所には、魔術による夜想曲が子守唄のように響いている。その調べを気に入って安らかに眠れるのなら、幸福な眠りなのかもしれない」
「……………幸福な眠り」
それはかつて、ネアハーレイが毎晩祈ったもの。
この美しい夜の中で目を閉じて、もう二度と目を開けずに済めばいいのにと、何度祈っただろう。
見回した墓所は溜め息を吐きたくなる程に美しく、こんな夜の中でゆるゆると眠れるのなら、確かにそれは幸福な眠りなのかもしれない。
「ネア」
「…………っ、」
ふいに視界が翳り、ネアはぎくりとした。
暗闇の中で光るような白金色の瞳が睫毛の影まで見えるような近さにあり、じっとこちらを見下ろしている。
その冷たさに見上げると、ゆっくりと身を屈めたウィリアムの口付けがふわりと落とされた。
まるで、雪を含んだような冷たい口付けは、けれども恐ろしくも苦しくもなく、ただ、ひんやりと冷たい。
「……………俺の領域で安らぐ君を見ると安堵するが、あまりこちら側に魅せられないでくれ。俺を恐れずにいてくれるのと、終焉の向こう側に手を伸ばされるのは違うからな」
「それで、引き止めてくれたのですね?」
「……………ああ。もう君は、俺の祝福を授けても死んでしまわなくなったからな」
「…………むぐ。ぞくりとしました」
「君は終焉の子供だが、どうか深い水底に足を踏み入れないように。だが、このような儀式では確かに、終焉の子供程に損なわれ難い者もいない………か」
同じ領域のものだから、陶器化されたもの達は、終焉の子供だけは損なわないのだそうだ。
それは、生きながら陶器化されたもの達と、生き永らえながら終焉を歩み続けるものの差でしかなく、どちらも同じ盤上にある。
ウィリアムからそう説明された時、エーダリアが鳶色の瞳を揺らしてこちらを見ていたが、ネアハーレイにとっての終焉は、慟哭に縁取られていたとしても、常にこの墓所に満ちるような穏やかで美しい夜の輝きに焦がれるその先であった。
ネアが今も終焉を恐れないのは、かつてそこに望んだものが、安らぎそのものだったからなのだ。
「墓所の壁の全てが、陶器化したものを収める為の棺になっているのですね。…………薬棚のような壁で、それぞれの棺の抽斗に細やかな絵付けや装飾があって、なんて美しいのでしょう…………」
「今回は石棺なら、こちら側か。該当しそうな大きさの抽斗にその百合を近付けてくれ。気に入った抽斗があればそこで僅かに光る。光らなければどの抽斗に収めても構わないが、その時に自分が一番美しいと思う場所に収めるのがいいだろうな」
「はい。では、そうしますね」
見上げる壁一面が、素晴らしい装飾の抽斗になっている。
ドーム型の天井には星が煌めき、円柱のレリーフは柊に似た冬聖の木だろうか。
夜水晶と銀水晶で出来た可動式の脚立があるので、そこに登ったりしつつ、この百合の花に向いた大きさの抽斗を見てゆくと、素晴らしい百合と星の絵付けのある雪結晶の蓋の抽斗の前で、陶器化した水色の百合がぼうっと光った。
「……………ええ。あなたが選んだのは、こちらなのですね。では、この抽斗にしましょう。私が一番美しい物をと言われても選んだに違いない、何とも美しい絵付けですね。抽斗の持ち手は、夜鉱石のようです」
「ではそこだな。抽斗を開けて、まずは中にその陶器の百合を寝かせてやってくれ」
「はい。……………落とすと怖いので、こちらにある作業台に一度戻しますね」
今回はネアの研修でもあるので、全てを一人で行わなければならない。
だが、最も正しい弔い方を知っているウィリアムから教われるのは、この上ない幸運であった。
先程の作業台に陶器の百合を置き、乳白色がかった水色の結晶をタイルのように敷き詰めた上に、濃紺の細い描写線で百合と星の絵付けのされた抽斗を開ける。
ごおんと鈍い音がしたし、なかなか重たい抽斗だが、とは言え、ネアが一人で開けられない程ではない。
「…………まぁ。寝台がもう、中に作られているのですね」
「ああ、予め作っておくのは、賢いやり方だな」
微笑んだウィリアムが頷き、ネアは、抽斗の中に敷き詰められたふかふかの毛布と綺麗な刺繍のクッションに唇の端を持ち上げる。
こうして、眠りにつくばかりの者達を優しく弔える土地に暮らしていて良かったと、そんな事を考えてしまった。
再び陶器化した百合を持ってくると、まずはその寝台にそっと寝かせる。
花びらが傷付かないようなふかふかの毛布だが、クッションは、抽斗を閉める際にごろんと転がってしまわないようにするのに役立ちそうだ。
(今回は脚立を使わない高さな抽斗だったけれど、高い位置で作業をするのは大変そうだわ。その場合は、私の金庫などを使って落とさないように運んだ方がいいのかもしれない)
そう考えたネアは、ウィリアムに金庫の使用について尋ねてみた。
すると、運搬の為に一時的にこちらに入れると伝えてからであれば問題ないと教えて貰う。
「次は、一緒に棺に収める物を用意しますね」
「確か、ウィームは、墓所の内部に用意があるんだったな?」
「はい。この建物を聖堂に見立てた際に、祭壇にあたる場所に一式の備えがあるのだとか。…………あちらの祭壇のような台でしょうか。………ふぁ、なんて綺麗な祭壇なのでしょう。薔薇と飾り木の細工が……」
またここで、その美しさに惚れ惚れとしてしまい、ネアは胸を押さえた。
夜を集めて蓄えるような美しい墓所は、ファンデルツの夜会で訪れた真夜中の座の精霊のお城を思い出すような美しさだ。
そしてその祭壇の上には、開いた魔術書がそのまま石化したような石の本がある。
むむっと覗き込めば、例の試してみるという表記のある魔術書のように、その石本に触れれば、中から埋葬品を取り出せるらしい。
「……………むむむ」
「成る程、…………賢い仕掛けだな。埋葬品を劣化させず、けれども、ここに持ち込みさえすれば誰にでも弔いが出来るようにしておけば、有事の際に多くの者達が利用出来る」
「夜の湖畔セットに、月明かりの森セット、星の花園セットがありますね………」
ネアは少し考え、あの抽斗を選んだ百合の好みはこちらだろうと、星の花園セットを選んだ。
残念ながら可動域の低いネアにはこの墓所に響く魔術の夜想曲は聞こえないが、この埋葬品の他に、そんな音楽も墓所に捧げられた弔いの品である。
選んだセット名の下にある、受け取るという文字に触れると、しゅわんと注文の品が祭壇の上に現れた。
綺麗な水晶のお盆の上には、結晶化した花やきらきら光る綺麗な星の祝福石などが載せられている。
「……………沢山の花びらに、美味しそうなシュプリの小瓶。ふふ、砂糖菓子や綺麗な絵柄のラベルのジャムもあります。…………まぁ、これはちびオルゴールに、上等な刺繍糸まで。こんなにも沢山の埋葬品を一緒に収めて貰えるのですね」
「驚いたな。ここまで丁寧に弔うのか。………カルウィの連中に見せたいくらいだな」
目を瞠ったウィリアムに、ネアは何だか誇らしい思いになり、それらの埋葬品を祭壇の横にあった台車で運ぶと先程の抽斗に丁寧に収めた。
最後に瑞々しい弔いの花輪を載せ、そっと抽斗を閉める。
じゃりん。
そうすると、不思議な音が響き、抽斗の継ぎ目が淡く光ってすっと消えてゆくではないか。
そうして、誤って開けられてしまわないように、しっかりと魔術で、その安らかな眠りを守ってくれるのだ。
「…………これで、良いのでしょうか」
「ああ。これで終わりだ。頑張ったな」
「不思議で、悲しくて、けれどもとても美しく安らかな場所ですね。…………むぐ」
台車を戻し、陶器化された百合を入れていた円筒形の入れ物と、先程の白い織り布を持つと、ネアはそのままひょいとウィリアムに持ち上げられてしまう。
ひんやりとした冬の日の朝のような香りがして、こちらを見たウィリアムに微笑みかけられた。
「足元に、星の海が広がり始めたな。埋葬を終えた後はこうなるのかもしれない。少しでも高いところから見た方が綺麗だと思うぞ」
「……………ほわ」
そう教えられて足下に視線を向ければ、そこには、ひたひたと薄く水が張られていた。
先程まではモザイクの石床だった筈なのだが、今やそこは、硝子天井の向こうの星空を映した星の海のよう。
ウィリアムの言う通り、真上から覗き込めばその美しさは例えようがない程であった。
「さて、墓所の眠りを揺らさないようにゆっくりと帰ろうか」
「はい。ウィリアムさんは、今夜は泊まってゆけるのです?」
「はは、シルハーンにも同じ事を言われた。………さすがに少し休んだ方がいいらしい。………そうだな、今夜はリーエンベルクに泊まってゆくか」
「はい!私達はお仕事の後で晩餐の予定でしたので、一緒にお食事をしてもいいですし、お部屋で一人でのんびりと体を休めてもいいかもしれません。起きたい時間があれば、起こしにゆきます!」
「それは贅沢だな」
くすりと笑ったウィリアムに、ネアは、ほっとして微笑みを深める。
陶器化があった場合、それはどんな些細なものでも、終焉に触れるのだそうだ。
気にかけて休憩時間を削ってこちらを訪れてくれたウィリアムに、まさかの仕事を手伝って貰う事になってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだが、今のウィリアムは、こちらに来たばかりの時のような疲れた目はしていない。
扉などで閉ざされていない墓所の建物には、さわさわと敷地内の木々を揺らす夜風が通る。
そんな中で聞こえているのであろう夜想曲は、仕事で疲れた終焉の魔物の心も安らかに整えてくれたのかもしれない。




