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追う者と追われる者



こつこつと、暗い階段を踏む音が響く。

霧の立ち籠めた薄暗い石段は、ゆっくりとカーブを描き螺旋状に下に伸びている。

両脇の壁には壁画が描かれ、等間隔に設置されたランプの火がじりりと揺れる。



「ほお、おかしな依頼を出した連中がいるな」



そしてその壁には、そこかしこに貼られた依頼書が見事な壁画を虫食いのように汚していた。

無造作に貼り付けられたものもあれば、壁画の事など考えずに杭で打ち込まれたものもある。

古い羊皮紙から、淡い金色の光を宿した魔術鉱石の紙まで、素材も使われている文字も様々だ。



その中で手にした一枚の依頼書には、仮面の魔物の持つリータガラダムの王族の皮を手に入れて欲しいと書かれていた。

もう二百年以上前に手に入れた素材だが、依頼書は経年加工をされているものの比較的新しい部類に入る。


勿論、記された連絡用の魔術刻印は、この契約を受けなければ発動しない。

契約を交わしてしまえばこちらにも提供の義務が生じるので、使い潰せる駒を使って調査をしておいた方がいいかもしれない。



(適当に見繕うか。……………こちらの都合で殺せる連中は、幾らでもいる)



紐付きと呼ばれるその駒達は、予め仕掛けられていた魔術に繋がる紐を引けば、簡単に死んでしまう有限の素材だ。

選定し、病死や事故死などの運命を付与した上で、仕掛けを発動させずに泳がせているのだが、当の本人は自分の命運が既に決まっている事など知りもしない。


必要な時に動かせるような使い勝手のいい駒となれば、そうそう低階位ばかりを揃えても意味がない。

現在の蓄えでは、伯爵位の魔物なども揃えてあった。




その依頼書の写しを取っておき、また階段を下ってゆく。

階下に向かう程に霧は濃くなり、どこからともなく雨音が聞こえてくる。

ふと視界が散らつくなと思って顔を上げれば、魔術の炎や月明かりの結晶石ではなく、雷光を蓄えたランプが吊り下げられていた。



(この位置で雷光か。………となると、二層程下がったところに罠が仕掛けられているな。あの連中らしい仕掛けだが、魔術の作りが甘い………)



魔術の仕掛けという物は、不変性が要である。

後から来た獲物がその錬成陣を書き換えられるようでは、罠としての効力はないに等しい。



「馬鹿な奴だ」



薄く微笑みその魔術を書き換えてしまうと、手にした杖でランプをこつりと突く。

すると、どこか遠くで誰かの絶叫が聞こえた。

すぐに雷鳴や雨音に掻き消されてしまったが、商売敵としてはいささか手応えの無い連中だ。



(とは言え、後ろから追って来ている連中は、まだ尻尾を出さないか。手斧の区画に入って早々に片付けたかったんだがな…………)



立ち止まり、背後の気配を探ったところ、追いかけてきている猟犬は二匹であるらしい。

追われる者のふりをして入り込んだ廃棄区画で、こちらが猟犬だと気付かれずにどこまで獲物を追い詰められるだろうか。


こちらにも用事があるので、そこには障らないように片付けなければならない。




この階段で層を繋ぎ、そこから広がる各層の廃棄区画は、それぞれに名称を分け、更なる深層に広がっている。


ノアベルトは珍しくもなかったし、時折清廉な佇まいで不似合いさを漂わせながら歩くジョーイなども見かけたが、最近は姿を現していないようだ。


ほこりから目を離せないのだろうと思えば、あの星鳥の面倒を見てくれている事には感謝せざるを得ない。

こちらでは、とてもじゃないが、あんなものを抱えるのは無理だろう。

このような繊細な手入れは幾らでもある。

そちらにかかりきりになっている間に、自身の領域を損なわれていては堪らない。



それからも暫く階段を下り、目当ての階層の門を開いた。


最初の門は魔術の検疫しかないが、短い通路の向こうには、門番達が控えている。

そちらには通行証を提示し、スタンプを押されると、ようやく階層の中にある廃棄区画だ。




ざわりと、空気が変わった。

門の奥に広がるのは雑多な街並みで、それがどこまでも連なっている。

見上げれば青空が見え、ここが地下の併設空間である事を感じさせない。



「よお、アルテア。久し振りだな」



入るなりにそう声をかけてきたのは、短い白い髪に緑色の瞳をした背の高い男だ。


魔物や妖精達の方が人間よりは平均的な身長が高いが、竜種となると更に大きい。

この男のように頭に角を持つ種族の姿を見ていると、脆弱な人間達が力で敵わないのは当然の事だろうと思う。


だからこそ人間達は、分かりやすい体格の差を持つ竜種こそを、力の象徴として掲げる事が多いのだ。




「お前が、門近くまで出てきているのは珍しいな」

「ああ。今日は珍しい客があってな。…………と言っても、俺の甥っ子だが」

「それ如きの事で、鍵屋が店を空けるか?」

「おいおい、とんだ冷血漢のように言わないでくれ。俺は、これでも血族は大事にしているぞ。それ以外の連中が、鍵の材料でしかないと言うだけだ」

「……月光の鍵束を持って散策中となると、加えて上客でも連れ込んだか。やれやれだな」

「かもしれんな。…………そう言えば、数日前に砂糖の魔物を見たぞ。何でも、この廃棄区画に逃げ込んだ聖女を狩りに来ていたらしい」

「…………ほお。それで不在にしていたか、或いは別件か」

「ん?彼を探していたのか?」

「いや、こっちの話だ。…………ダバナムの屋敷の鍵は、仕上がっているんだろうな?」

「ああ。そちらは、お前のところの部下が明日には引き取りに来る予定だ」



それだけ聞けば充分だと立ち去ろうとすると、鍵屋の後ろにある店の奥に、竜だと思われる人影が見えた。

成る程、甥っ子とやらのお守りをしている最中にこちらの姿が見えたので、敢えて店の外に出て注意を引いたのかと思えば、そこまでしてこの男が隠そうとした血族に興味を引かれる。


だが、今はまだ仕事の最中だ。

探りを入れるにしても、そちらが終わってからになるだろう。



細い路地はいつも以上に賑わっていて、そう言えばこちらでは、晩夏になると骨董市が開かれる事を思い出した。

魔術に紐付かない祝祭や催しなのでさして興味を持っていなかったが、これだけ人通りが多いと辟易とする。



歩道などない細い石畳の道の両脇には、三階建てまでの捻れた建物や、更に細い路地の向こうに建つ教会があり、店々には奇妙な品々や、地上では到底手に入らないような禁制品ばかりが並ぶ。


この廃棄区画であれば失われた復活薬ですら手に入ると言われているが、さすがにそれはないだろう。

どんなものであれ、終焉が排除すると決め、多くの高位者達が賛同し葬り去られた物は、その段階で一度滅びるのだ。


その先にレシピを作り直して紛い物を生み出したかどうかについては、また別問題だが、それはもう本来の復活薬ではない。



細い路地に、僅かな石段。

教会のアーチをくぐり、その裏手からまた別の建物の中を通り抜ける。

郊外に出る為の足を貸す獣舎の横を通り、香り高く賑やかな珈琲通りを歩き抜ければ、そこから先は工房通りだ。



慎重に魔術証跡を確かめながら石畳を歩き、四軒目の工房の前で足を止めた。


ぷんと香る魔術インクの匂いに、独特な、魔除の香草を使った紙の匂い。



(……………ここだな)



間違いなく、ここに代筆屋がいるのだろう。

どれだけ足跡を消そうとしても、その身に染み込んだ魔術の臭いは隠せない。

それが分かっているからこそあの男も、廃棄区画に逃げ込むしかなかったのだ。




(…………まったく、馬鹿な奴だ)




かつては共に仕事をした事もある。

腕のいい代筆屋で、契約さえ結べば、信頼のおける妖精だった。


だが、どれだけ使える道具であっても、それが敵の手に渡れば目障りでしかない。

力量を把握しているだけに、早々に砕いておく必要がある。



勿体ないと、そう言う者もいた。


だが、そう思わせるだけの力を有する妖精だからこそ、この場で排除しておかねば厄介な事になる。

なぜあの妖精が紅薔薇の系譜の同属などに与したのかは謎だが、アイザックが愚かしいと一蹴していたところを見ると感情絡みだろう。



慎重に工房の周囲を魔術で覆い、用意しておいたとある箱の複製品をことりと足元に置く。


すると、ゆっくりと内側から押し開けられた箱の中から現れた黒い影が、光の差さない眼窩を虚に揺らして工房の扉を叩いた。




「     、お届け物です」



既に小箱の魔術に喰われた名前が音をなくし、呼び掛けられた代筆屋がのろのろと立ち上がる気配があった。


届く筈の荷物などなかったであろうし、この時期は、追っ手かもしれない訪問者を警戒していた筈だ。

だが、配達人の魔術領域に引き摺り込まれると、そのような事は全て忘れてしまう。



鍵を開けるがちゃがちゃという耳障りな音に、幾つかの魔術を解除する音。

愚かにも扉の向こうの妖精は、自分で築いた防壁をその手で壊してゆく。



がしゃんと、重たい音を立てて扉が開いた。



顔を出したのは、疲れ切った目をした壮年の男で、代筆妖精の例に漏れず、長身で目元に濃い隈がある。

ぼさぼさの黒髪に、インク染みのある指先。

そうしてまた、独特なその魔術の香り。



その男は、手渡された小箱を受け取り、虚な目で頷いて受け取り証にサインをすると、またゆっくりと工房の中に戻ってゆく。



後ろ手にがしゃんと扉を閉めた途端、濁ったような水音と凄まじい絶叫が響いた。



あまりな絶叫に、近くの工房から何事だと飛び出してくる者達がいて、通りを歩く人々もぎょっとしたように振り返る。

その様子を姿を隠した魔術の道から眺め、扉の向こうの物音が完全に聞こえなくなり、ぞろりと黒い影を引きずって扉の前に立ち尽くしていた配達人が箱の中に戻ると、ぱたんと蓋を閉じた箱を取り上げる。



その場所に置いた時よりずしりと重たくなった小箱に微笑み、金庫の中に丁寧に仕舞い込む。

戻ってから箱の中に蓄えられた魔術を抽出すれば、後はもう、あの代筆屋の技術を固有魔術に落とし込むばかりだ。


多少の可動性は落ちるものの、残しておくべき技術はそれで事足りる。



人々の集まり始めた工房通りを抜け、ゆっくりと珈琲通りに戻ると、魔術の道を出て一軒の珈琲屋に立ち寄った。

ウィームでは紅茶が基本となり、珈琲はどちらかと言えばクリームなどを浮かべて飲むか、メランジェにする事が多い。


最近はあまり飲まなくなったなと思いつつ、気に入っている豆を買い付けると、今日は高位の者の訪れがあるらしいので道中気を付けるようにと、店の主人から忠告された。



(……………グラフィーツか?いや、長く滞在するような土地ではないな)



手斧の区画は、地上での暮らしに辟易した者達と言うよりは、地上を追われた者達が多く集まる場所だ。


長槍の区画ならまだしも、そのような者達だけで構成される住居区画は、統一性という意味に於いてあちこちが欠けており、滞在に向いた場所ではない。


街の管理の法、滞在するホテルの規則、各商店ごとの決まり事に、自治体やギルド、商会ごとの約束事がそれぞれに異なる場所である。

単純に、あちこちとの擦り合わせが面倒なのだ。



また、ここは追っ手や追われる者にしか入れない区画でもある。

その魔術認識は発行された廃棄区画全域の通行証に都度反映されていて、門番はこちらの資格を確認し、条件を満たした者しか中に入れない。


街の中心にある文字盤に、本日の訪問者がどちらの側の者であるかの人数が随時更新され、その数字が更新される度に住人達は情報を交換し合う。

追っ手として踏み込むには、いささか不利が勝る場所であった。



(そんな場所に、追っ手として認識された上で立ち入ったのであれば、仕事自体は早々に切り上げられる算段が付いていた筈だな。となると、他の誰かか…………。ノアベルトあたりが魔術の回収に来ている可能性はあるが、その場合は高位者である事を隠すだろう)



自らの階位を公にしたのであれば、そうせざるを得ない事情があるか、或いはその布告そのものが目的である場合。

どちらにしても、遭遇して妙な縁を繋ぎたくはない。



一仕事終えたので、その後も幾つかの買い物を済ませながら街を歩き、久し振りに訪ねる店々で注文を済ませた。

十年程前に依頼していた装飾用の石材の受け取りをしながらふと、ウィリアムあたりであれば、階位を隠すような面倒なことはせずにそのままこの中を歩くだろうなと考える。



(いや、…………まさかな)



小さく笑い、品物を金庫に入れて店を出た時の事だった。




「…………っ、また会ったか」

「ほお、それがお前の上客か」



大きな時計塔の影が落ち、その狂った時計の影響で一部分だけ夜が止まり続ける場所で、先程の鍵屋と遭遇する。


背後には、甥っ子とやらであろう背の高い男がいるが、擬態をしているのか当たり障りのない容貌であった。

深い青色のロングコートを羽織り、騎士や兵士のようなブーツに、おそらく腰には剣か武器かの装備がある。


黒髪に淡い灰色の瞳をしたその男の隣には、小柄な黒髪の女が一人と、もう一人の背の高い男がいた。

そちらの男は、長い黒髪を後ろで一本に縛ってあるようだが、鍵屋を含めた竜種の二人よりも遥かに高い魔術階位が窺える。



(竜の方は、魔術の階位からすると、もう少しマシな見た目だろうが、雑踏に紛れるには調整が甘いな…………)



だが、問題はその連れだと思われる男女だ。

女の方は何の興味も引かないが、男は、明らかに魔物である。

誰の擬態かと目を凝らしたが、ここ迄災いに傾いた者を見たことはなかった。



潤沢な祝福とも言える魔術の煌めきが、闇に飲まれるようにして災いに転じている。

深い深い闇を纏い、その男はひっそりと立っていた。


もし、全盛期のクライメルであれば、このような姿の擬態を選んだだろう。

アルテア自身も、階位が露見しても構わないのであれば、なかなか好ましいと思うような暗く艶やかな擬態だ。


とは言え、羽織る擬態に押し潰されるようでは扱えないので、やはりかなりの高位者なのは間違いない。




「すまんが、彼等は大事なお客でね。手を出さないでくれ」

「さてな。そちらが俺の仕事に手を出さなければ、このまま通り過ぎてやるばかりだが?」

「っ、…………そうか。今日のお前は、追われる者として手斧の区画に入ったんだったな。だが、彼等がこちらを訪れたのは今朝早くだ。少なくとも、お前の仕事絡みじゃない」

「残念ながら、俺が足跡を残して来たのは一昨日の朝だ。そうとも言えまい」

「…………っ!!ああ、くそ。面倒な事になりやがった!!」



別に、この場で殺し合いを始める訳ではないが、追手ではない事は確かめる必要があった。


あの代筆屋の目を欺き、彼をこちらに匿った者達の注意を逸らす為の仕掛けではあるものの、今回は追っ手として差し向けられた者達の排除も目的としている。

後ろから来る二頭ばかりの猟犬では、数が少ないと訝しんでいたところだったのだ。



(後始末を任せたナインが排除した可能性もあるが、本来ならもう少し数が要る………)



そのような意味に於いて、この魔物の男は、階位としては問題ない。

そんな事を考えていたら、鍵屋の後ろから女の方が顔を出した。




「お知り合いなのですか?」

「……………ええ。まぁ、…………古い仕事仲間ですよ。かなり厄介な相手なので、近付かないようにして下さい」

「確かに、ちょっぴり危険そうな雰囲気の方ですね」



ふと、その言葉に既視感を覚えた。

声そのものも一致しないのに、僅かな言葉の温度や表現の選び方、そして、臆する事なくこちらを見上げる冴え冴えとしたナイフのような眼差しまで。



(……………ああ、成る程)




そう得心し、目の前の女を見下ろして感じたのは僅かな不快感と、それを上回る興味と。

なぜこんな場所を彷徨いているのかは知らないが、それについては不愉快でしかない。

だが、ここで、対岸からその瞳を覗き込み、多少揺らしてやればどのような目をするのかを見たいとも思った。



そうしてまた、この人間が自分を選ぶのかどうかを。




「悪さをしそうな方であれば、先手を取って滅しておきますか?」

「……………御客人、………あなたの同行者であれば出来るだろうが、やめてくれ」

「ですが、とても悪い顔をなされています。どうやら我々は、この方の追っ手であるという疑惑をかけられているようですね」

「その通りだ。追っ手の連中と一致する階位の魔物が、たまたま同じ日にこの区画を訪れ、尚且つこうして遭遇するというのも妙な話だからな。言っておくが、こちらの追っ手の階位は、この領域では珍しい」

「…………ふむ。言われてみれば、そう思われても不思議はありませんね」



そう頷いた女の横にいた竜が、一歩前に出た。

女に視線で意思確認を行なったようだが、短く首を横に振られ、渋々といった様子でその場に止まる。



こちらを見る女の瞳は、淡い紺色であった。

ともすれば青にも見える瞳だが、色の淡さに反して深く澄んでいる。


そして、その女はとんでもない事を言い出した。




「では、先程、突然襲い掛かってきたので容赦なく踏み滅ぼしてしまった獲物を、あなたにお見せしますね。階位と言うのであれば、恐らくこの方々も一致するでしょう。そちらをご覧いただき、もしお探しの方がいれば引き渡しても構いませんよ。ただし、私の獲物ですので、引き取りは有償となります」

「……………は?」

「魔物さんが一人と、もう一人は精霊さんでしたね。…………私の連れがくしゃりとやったのも、魔物さんでしたでしょうか?」



そう言いながら、例にもよって、腕輪の金庫から何かをずるりと引き摺り出そうとした女は、途中で顔を顰める。


どうやら、獲物が大き過ぎて取り出せないらしい。




「……………重たいだろう。出してあげようか?」

「むぅ。そしてこうして引っ張り出そうとすると、さすがに後味が悪くなってきました。人型の獲物を金庫に入れるのは初めてですし、大抵は、踏み滅ぼしてその場に捨て置いていましたから」

「は?!え!?いつの間に、そんなものを狩ったんですか!!」

「あら、お店の外で見張りをしていただいている時に、突然商品棚の影から襲い掛かって来たのですよ?無差別や人違いかもしれないとは言え、襲われた以上はこちらにも滅ぼす権利がありますので、亡き者にした事については後悔していないのですが………」



さらりとそう言ってのける人間が、どれだけいるだろう。

欠片の罪悪感もなく、ただ煩わしさだけを浮かべた冷ややかな眼差しで、こちらの事も油断のない瞳で一瞥する。


恐らくもう、彼女は気付いているのだろう。


それでも、自分の身を害される可能性がないとは思わず、決して油断をしない。

それは多分、こちらが擬態をし、仕事の一環でこの場にいると理解しているからだ。

その全てを自分の為に投げ出すとは微塵も思わない、薄情な人間らしい判断ではないか。



だが、その眼差しの鋭さに少しだけ気分を良くしたのも束の間であった。



同伴者が金庫から引き摺り出した魔物を見て、さすがに血の気が引く。




「おい、…………妙な事に巻き込まれたら、すぐに呼べと言わなかったか?子爵位の魔物だろうが!」

「まぁ。一瞬で滅びてしまった儚い生き物ですよ?同行者もいましたし、お仕事で暫く不在にすると仰った方を呼び戻す程ではないと判断しました。なお、こうして保存して持ち歩いているのは、私や私の家族を狙った可能性もあるので、持ち帰って調査を依頼する為なのです。まぁ、最終的にはアクス商会に売り捌き、おやつ代にしますが」

「……………そいつの標的は俺だ。俺が先に触れたのと同じ理由で、お前達の誰かを俺の擬態だと判断したんだろう。……………お前からは、俺の魔術証跡も探れるしな」

「なぬ。となると、とばっちりなのでは…………」



うんざりとした顔になってしまった客人に、状況が飲み込めずに鍵屋が途方に暮れている。

片手を振って、知り合いだと伝えると、あからさまにほっとした顔になった。



「……………はぁ。勘弁してくれよ。俺だって、こんな所でお前と万象の争いには巻き込まれたくない」

「……………シルハーン?!」

「おや、他の誰だと思ったのかい?」



思わぬ擬態にぎょっとして顔を上げると、ネアの手伝いをして金庫からもう一人の追っ手を引き摺り出した男がひっそりと笑う。


聞けば鍵屋は、元々、シルハーンとの取り引きがあったのだそうだ。

それが最近、リドワーンという海竜の一件でかかわった男の叔父だと判明し、シルハーンはネアを引き合わせに来たらしい。




「海での祝福を強めたばかりだからね。リドワーンが同席していたとしても、災いと転じた彼は、この時期にしか引き合わせられない者だろう?もしもの時の為に、この場所を教えておきたかったしね」

「…………いつ何時、どこに迷い込むか分からないからだな」

「…………ぐるる」

「それと、こいつ等は俺が引き取る。対価は後で決めておけ」

「であれば、この先にあるという黒駝鳥のステーキのお店で、一番高いお肉を奢って下さい。夜の系譜の駝鳥さんで、かなり高価なお肉なのだとか」

「ったく。食い気ばかりだな」

「ですが、森に帰っているところであれば、ここでおさらばしましょう」

「……………その肉だけでいいんだな?」

「お肉様!!」

「……………私が食べさせてあげるのに」

「あら、勿論、ここにいる皆で奢ってもらうのですよ?」

「おい、こいつは省けよ」

「あら、お知り合いなのでは?」

「…………肉はいらん。俺はもう、お役御免を被りたい………。心が保たない。頼むから解放してくれ…………」

「叔父上、久し振りなのですから、最後までお付き合い下さい」

「……………リドワーン、お前はとんでもない主人を見付けちまったなぁ…………」



一つ溜め息を吐き、擬態を作り替えた。

小さく弾んだネアの頭に手を載せ、ひとまずは追っ手の連中の亡骸を引き取った。

周囲を歩く者達がこちらを見ない事から、それなりの魔術遮蔽が行われているのだろう。




どうやら、本日の昼食のメニューは決まったようだ。



















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