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ソーマシャーの慈雨とソーセージ




「こちらにもあの船が来たのだな」

「ヴェンツェル、邪魔をしてはいけないと言っただろう。エーダリアの無事を確認したら帰る約束だ」

「ドリー………」



そろそろ海遊びもお開きかなという時間に砂浜の基地を訪ねてきたのは、ヴェルクレア国の第一王子とその契約の竜であった。

先程の船の訪れがこちらにもあったと知り、実は弟が大好きなヴェンツェルは、我慢出来ずに様子を見に来てしまったらしい。



(ヒルドさんの言う通りになった…………)



この事態を懸念していたのはヒルドで、今は額に手を当てて溜め息を吐いている。

ドリーが慌てて謝っているが、弟の無事を確認するだけと話していたヴェンツェルが、まだ帰ろうとしない。


「まだ顔色が悪いではないか。もう少しきちんと食事をしろ」

「…………兄上、食事であれば十分に………っ?!」

「差し入れだ。これだけ男達がいるのなら、このくらいは食べられるだろう」

「我々はもう、昼食は済ませたのですが………」

「だとしても、ひと泳ぎもすれば腹は減る」



素敵なガウンのような物を羽織ったヴェンツェルは、水着姿になると、ヴェルリア人とウィーム人の体格の違いをまざまざと見せつけてくれた。


エーダリアも細身に見えてなかなかしっかりと筋肉質なのだが、体の作りや筋肉の付き方がもう違うのだ。

それでいて、服を着ていると筋骨隆々とした感じにはならないし、ヴェルリア人の中で飛び抜けて体がぶ厚いという訳でもない。

だからこそ、自分よりも華奢な弟が顔色を悪くしているとなればもう、心配でならないのだろう。



(ヴェンツェル様も、ウィリアムさん風の水着…………。この体格の人は、みんなこちら寄りの水着なのかな…………)



しかし、ドリーの水着はざっくりした黒いハーフパンツを穿いただけのようなシンプルなものなので、こちらの体格の持ち主にも心の選択肢は無限にあるようだ。

なお、ドリーは潔く上には何も羽織っておらず、やはり竜種だけあり誰よりも体格がいい。

ヒルドと並んでいるので、王女と騎士のようなその体格差には、ちょっぴりいけないどきどき感が生まれてしまう程ではないか。



「…………むぐ。箱いっぱいのソーセージ様」

「お前のところの歌乞いは、まだ食べられそうだぞ?」

「ネア………」

「美味しそうなものに対し、人体は、いつでも対応の為の余地を残しているものなのです」

「おい、貝まで食ったばかりだろうが!腰がなくなるぞ」

「まぁ、こんなにきちんと括れているのに何という辱めでしょう!なくなりませんよ!」



アルテアに虐められたネアが唸っていると、こちらを見たヴェンツェルが首を傾げる。

深い赤色の瞳は眼差しも強く、濡れた髪を掻き上げてそのままなのか、前髪を上げているので鮮やかに光るような瞳の印象がとても強くなる。


王宮で数々の美しいご婦人方に囲まれてきたに違いないこの国の第一王子にじっと見つめられてぴっとなっていると、ヴェンツェルはゆっくりと頷いた。



「腰回りのどこにも懸念するような要素はないし、美しく魅力的な体型ではないか。問題視する必要があるようには思えないが?胸周りがかなり豊かなので肌が柔らかく見えるのかも知れんな」

「ヴェンツェル!!」

「何だ。褒めただけだろう」

「女性を褒めるのは良い事ですが、伴侶のいる女性に、直接的な表現は好まれませんよ」



ドリーとヒルドに窘められ不思議そうな顔をしていたが、褒められて吝かではないネアはむふんと頬を緩める。

どうだ腰は問題ないのだと喜び勇み弾もうとすると、厳しい顔をしたアルテアに、しゃっと上着の前を閉められてしまった。


「まぁ、なぜ急に保温されたのです?」

「分からないなら黙っていろ。それと、二度と弾むな」

「比較的珍しくもない行動を、簡単に放棄させようとするのはやめるのだ…………」

「………成る程。魔物とはこのように狭量になるのか」

「ヴェンツェル………」

「兄上……………」



なぜかヴェンツェルが得心した風に頷いているので、ネアはおやっと眉を持ち上げる。

すると淡く微笑んだヴェンツェルから、重ねて髪型と水着も褒めて貰い、あの船が来た時にエーダリアの側に居てくれたお礼を言われた。



(……………ああ、この人は)



きっとヴェンツェルは、怖かったのだ。

そう思い、ネアは微笑んで頷くと、また変な物が来ても追い払っておくと伝えておいた。



どれだけ他の者達が側に居ても、やはりヴェンツェルとエーダリアは兄弟である。

以前にドリーが話してくれたが、ヴェンツェルが本当に家族のように考え慈しんでいるのは、その表現が分かり難い部分があってもエーダリアしかいないらしい。


だとすれば、彼にとってのエーダリアは失い得ない家族で、更には、彼の王子としての立場をある程度であれ理解出来るのは、今も領主としての役目を担うエーダリアしかいないだろう。


エーダリアがあの船の訪問を受けたと知り、こうして直接無事を確かめに来てしまうくらいだ。

それは即ち、大事な家族にもしもの事があったらと思い感じたヴェンツェルの恐怖が、それだけ大きかった事を示している。


(これ迄にもそのような事はあったけれど、今回の物は、直接に死者の国へと誘うものだった。だからこそ、ひやりとしたのではないかな………)



そんなヴェンツェルは、帰り際にエーダリアが収集した海の流星雨の祝福石を渡され、目を瞬いていた。

青い石を手のひらでぎゅっと握りしめ、海周りには様々な危険があるので、羽目を外して危ない事はするなよと兄らしくエーダリアに声をかけている様子は、何だかとても微笑ましい。


そうして、ドリーに連れられて、また島の向こうに帰っていった。




「ふふ。ヴェンツェル様は、エーダリア様が心配で堪らなかったのですね。こうして持って来て下さった食材も、その為の理由付けの一つなのでしょう」

「そうなのか…………?」

「あら、エーダリア様には伝わっていなかったのです?あのような物に遭遇したのだから、体調が悪ければ沢山食べて力を付けるようにという理由があれば、ただ、弟が心配で心配で堪らなかったので見に来てしまったというよりも気恥ずかしくないでしょう?」



このような場面での慎ましやかさは不要だと考えているネアが、すぱんとその心情を白日の元に引き摺り出してしまうと、エーダリアは僅かに目元を染めておろおろした。


やれやれと微笑んでいるヒルドは、いつだったか、ヴェンツェルは元々エーダリアを弟として大事に思ってはいたものの、今程ではなかったと話していた。


様々な面で身の回りの守護や備えが堅牢になり、近年のエーダリアは、中央との交渉やヴェンツェルとの付き合いにも余裕が持てるようになった。

その結果、エーダリアの生来の柔らかさがより表面に出るようになり、ヴェンツェルはますます弟への溺愛を深めたらしい。


示し方は分かり難いにせよ、ここで、ヒルドからも溺愛だと言われてしまうヴェンツェルは、あの立場と複雑な土地のかかわりの上で、出来る限りの家族としての愛情をエーダリアに向けている。


あらためてその温かさを感じられる機会だったので、ネアは、何となくにんまりしてしまった。



「ネアが浮気する………」

「むむ?ソーセージ様は素晴らしい恵みですが、ヴェンツェル様に対しては、そのような魅力は感じていませんよ?」

「…………そうなのかい?」

「男性としてとても魅力的な方だろうとは思うのですが、私の嗜好ではないので、あの方に心配されたエーダリア様が可愛くなってしまう姿を見て楽しむばかりなのです」

「それならいいのかな………」

「っ?!ネア…………!」

「ふふ、エーダリア様もこのようにして照れてしまうので、素敵なご訪問でしたね」

「ありゃ。エーダリアには、僕とヒルドがいるのに」

「勿論、ノアとヒルドさんで完璧な布陣なのですが、エーダリア様が皆さんから大事にされてしまう様子はとても素敵だと思います」


少し拗ねたような義兄を宥めていると、エーダリアはいつの間にかヒルドの背中の影に隠れてしまっていた。


くすりと笑ったネアは、さてソーセージなどを焼くかなとそわそわして、ヴェンツェルの持ってきた木箱を覗き込む。


何しろ、木箱入りの高価そうなソーセージなのだ。

赤や緑の野菜の粒が見える白いソーセージに、濃い目の茶色の皮色的にちょっと辛いやつではと推察される薫香の香るソーセージの二種類があり、どちらもとても美味しそうだ。


網の上で皮の部分に焦げ目が付くくらいにじゅわっと焼いて、そのまま齧り付くだけで素晴らしい至福の時間が約束されているのだから、焼かないという手はない。



「せっかく持って来て下さったのだ。…………食べるか」

「はい!」



苦笑したエーダリアがそう言ってくれ、ネアはびょいんと弾んだ。

幸いにも、腰問題に於いても、安全を保証されたばかりである。

他の者達は今はいいと首を横に振ったが、ひと泳ぎして戻ってきたウィリアムも一緒に食べる事になり、早速アルテアが網の上で焼いてくれた。




「…………む」



パラソルの下で網の上のソーセージを凝視していると、さあっと軽やかな音がパラソルを叩いた。

視線を巡らせれば、細やかな霧雨のようなものが降り始めている。


だが、空が翳る様子はなく、細やかな霧雨の雨粒が、陽光にきらきらとダイヤモンドダストのように煌めき、美しいエメラルドグリーンの海に降り注ぐ光景は例えようもない美しさであった。



「ソーマシャーの慈雨か。この島のような特殊な魔術で閉ざされた空間の中にまで、降るとは思わなかったな」

「まぁ、そーましゃーというのですね…………」

「魔術的な調整を図る為に、定期的に世界のあちこちで降る雨だ。白本の役割とも似ているが、こちらはどちらかと言えば祝福に偏る。万象の系譜の事象だと言われていたがな…………」

「ディノの系譜のものなのですか?」

「どちらかと言えば、そうかな。私がこの世界に与えた反応から起こる事象だからね。先程の船がまた入り込まないように、この島の周囲に少しだけ魔術の段差を付けてある。その浸透が雨を呼んだのだろう」



パラソルの下から空を見上げ、ディノがそう教えてくれる。

やはりどこにも雨雲はなく、きらきらとした細やかな雨粒が降り続けるばかりだ。


祝福でしかないと聞いて手を伸ばしてみると、肌がしっとりするくらいで、しっかり体を濡らす雨ではない。

元々海遊びをしているのなら、このくらいは気にならない範疇だろう。



「……………ほわ、砂浜のあの部分に、水晶のような物が育ってきました」

「おや、あの場所は、元々祝福が凝っていたのかな。それが、雨の助けを借りて育ったのだろうね。あの色合いからすると、海結晶かもしれない」

「雨が止んだら、掘り出してきてもいいのです?」

「うん。問題ないよ」

「では、今日の海遊びと、ディノが降らせてくれた素敵な雨の思い出にしますね」

「ご主人様!」



少しごつごつした形のクラスターなので、ネアは、しっかりと防水対策をしている腕輪の金庫からしゅるりと大判の布を取り出した。

割れないようにそれで包もうとしたのだが、掘り出しに行こうにも、まだ暫く雨が降るらしい。

となると、焼けたばかりのソーセージを齧る方が優先されるので、気が急いて取り出してしまった布をどうしようかなと考える。


椅子の上に置いておいてもいいのだが、柔らかな布なので、この浜辺に吹いている僅かな風でも砂の上に落ちてしまうかもしれない。



「うむ。ここでいいですね」

「……………おい」

「むむ、アルテアさん?」

「よくもこの場で、水着の紐に挟もうと思い立ったな?」

「とても効率的な収納場所でしたね。肩紐をずらして挟み込むだけなので…………ぐむぅ。なぜほっぺたを引っ張るのだ。ゆるすまじ…………」

「え、僕もそっち側に立っていたかったんだけど………」

「ネイ?」

「ごめんなさい…………」



ネアとて勿論、胸元が見えてしまうような肩紐のずらし方はしなかったのだが、選択の魔物の中ではそれでも許されざる行為らしい。

ネアとしては、この魔物がたいそう爛れた感じで悪い遊び方をしているのも知っているのだが、パジャマをぴっちり着る派の魔物にとっては水着の作法は重要な問題なのだろうか。



「……………む、ディノ?」

「ネアが、可愛い………。初めて見る事をしてる………」

「ふむ。こちらは、新規の型への評価のようです」

「…………ったく。椅子の上に置いておけばいいだろうが」

「むぅ。保護用のつるさらの布だった上に、少し風もあるので、滑って椅子から落ちてしまいそうでしたので、こちらに挟んだのですよ?」

「だとしても、畳んで上に何か置いておけばいいだろう。……………そうか、お前は可動域上無理だったな」



簡単に、上に物を置けばと言うのは、魔術で様々な物を取り出せる魔物だからこそである。

エーダリアやヒルドにも可能なのだろうが、残念ながらネアは、そうそう簡単にどこからともなく品物を取り出す技は会得していない。


テーブルの上にはグラスやお皿、カトラリーしかないし、椅子に巻き付けておいてもしゅるりと解けてしまいそうではないか。


勿論、腕輪の金庫から重石になる物を取り出しても良かったが、それよりは肩紐に挟む方が簡単である。

何しろ、ちょうどソーセージが焼き上がったところだったのだ。



「ぐるる。…………あぐ」



ネアは手のひらくらいの長さのソーセージを、下の方にぶ厚い紙ナプキンを巻き付けて握り締めると、威嚇も程々にしておき、ぱくりと齧り付いた。


歯を立てる瞬間にじゅわりとした肉汁が弾けないように注意してはふはふといただけば、香草と野菜の香りがふわりと香る美味しいソーセージだ。



「むぐ。美味しいれふ!」

「ああ。これは確かに美味しいな」


ネアの言葉に頷いたのはエーダリアで、目を瞠って、同じようにソーセージを齧っている。

その言葉にそっと網の上にソーセージを載せたノアは、やっぱり食べてみる事にしたようだ。



「はい。ディノも齧ってみて下さいね」

「虐待…………」

「あら、もう食べられません?」

「…………ずるい」



差し出されたソーセージをちびりと嚙み取り、目元を染めてへなへなになってしまったのはディノだ。

ネアは二種類のソーセージをいただく予定なので、辛くない方は分け合いっこする約束をしていたのだが、差し出されたところから齧るとなると、かなり恥じらってしまうらしい。


ソーセージを食べただけなのに、あえなくへなへなになってしまった伴侶の魔物は椅子に座って丸まり、ネアは、こんなところにも恥じらいポイントがあったのかと首を傾げた。



「む!」


続きを食べようとしたところで、肉汁がじゅわりと溢れそうになり、慌ててあぐりとソーセージにかぶり付く。


隣でこちらも白いソーセージを齧っていたウィリアムが、くすりと笑って、ネアの唇の端についた肉汁を指先で拭ってくれた。


ソーセージ対策班としては手痛い失態であるので、ネアはウィリアムにお礼を言って、少しだけ項垂れる。

やはり、焼きたて一本ソーセージをいただく時には、それ相応の誠実さを持ち、真っ直ぐに向かい合わなくてはならないのだ。



「むぐ。…………お肉感がしっかりしていて、素晴らしい美味しさです。ハムやサラミ様もですが、ソーセージもそろそろ、加工肉の恩寵として崇められるべきでしょう。マスタードをつけたいのに、あまりの美味しさにこのまま食べたいという思いに勝てません………」

「おい、弾むな!」

「むぐぅ。…………辛いのも焼けたのです?」

「このソーセージは初めて食べたが、いい味だな。どの店のものなのか知りたいくらいだ」

「おや、ウィリアム様がそう思われるくらいでしたら、後ほど調べておきましょう」



そんなヒルドの言葉に、エーダリアもこくりと頷いている。


全員がかなりの高評価をつけたことが気になったのか、今度はアルテアが、自分の分のソーセージを一本、網の上に追加した。



「辛いのも食べてみますね。……………むぐ。…………ぴぎゃ?!」


こんな素敵なソーセージは、やはりこの場で食べるべきだったのだとふんすと胸を張ったネアは、茶色いソーセージの方へとお口を進め、じゅわっと溢れた肉汁と共に最初の一口をもぐもぐしたところで、思わぬ辛みにびゃんと飛び跳ねる。



「おっと、………熱かったか、……かなり辛いのか?」

「か、辛いでふ。………かなりの辛さで………む、むむ。………あぐ。……ぎゃ!」

「おい、それだけ辛かったくせに、何で続けたんだ……」

「おかしいのですよ。こ、こんなに辛いのに、美味しくて止められません…………あぐ」



ネアはすっかり涙目であったが、辛さのあまりにぼろぼろ泣いてしまっても食べるのを止められず、ふしゅんと眉を下げた。

少し回復したところでご主人様がこんな状態になってしまい、ディノはおろおろしている。

どこからか取り出したハンカチで涙を拭ってくれるので、ネアは介護を受けながらソーセージを食べることにした。


ネアのその様子が気になったのか、今度は白いソーセージを食べ終えたエーダリアが、そっと辛いソーセージを網の上に載せる。

徐々に周囲の人々を虜にしてゆく、恐ろしいソーセージだ。



「……………ああ、かなり辛いな。だが、これは美味いな。俺は、どちらかと言えばこっちの方が好きかもしれない」

「むぐ。ウィリアムさんはこちらなのです?」

「ああ。強い蒸留酒によく合いそうだ」




多分、その一言がきっかけになったのだろう。



はっと息を飲んだノアが、どこからともなく綺麗な緑色の瓶を取り出し、ことりとテーブルの上に置いた。

おやと目を瞠ったヒルドに、眉を持ち上げたアルテアが、おもむろに席に着く。


ヒルドは少し考えてから、辛いソーセージを網の上に載せ、その間にアルテアがグラスの準備をしたようだ。

ウィリアムはもう一本辛いソーセージを食べるようで、ネアが意思確認をする為に振り返ると、ディノはふるふると首を横に振った。



「皆さんで飲み始めるようなので、白いソーセージを、もう少し食べます?」

「…………食べる」

「では、我々はこちらを焼きますね」

「君は、辛い方でなくていいのかい?」

「はい。こちらもとても美味しくて食べ止められませんが、唇がひりひりしてきたので、私は白い方が食べ易いようです」

「ヴェルリアらしいソーセージなのかもしれないな。あちらでは、海辺で酒を飲みながら様々な焼き物をするのだ。そのような食べ方に合っているのかもしれない」

「あ、そっか。海辺で有効な食物の祝福もあったね。だから、浜辺で食べると美味しいのかもしれないんだ。わーお………」



ノアが頷き、透明な液体の入った小さなグラスを持ち上げる。

氷は入れず、蒸留酒そのものをかなり冷やしてあるので、グラスの表面が白く曇っている。



(辛いソーセージに、きりりと冷やした蒸留酒……………)



その組み合わせがどれだけ危険なのかは、語るまでもないだろう。


じっくり待てずに、料理用のトングで網の上で自分のソーセージを神経質に転がしながら、ネアは、この義兄がお酒を飲んだ後で泳がないように見張っていなければいけないなと、監視の目を鋭くした。



だが、気を付けなければいけないのは、溺死だけではなかったのだ。





「ノア!…………ノア!水着を着てください!!そして、海に入るのはやめるのだ!!」



たっぷり、一刻後くらいのことだろうか。


お酒を飲んで、止められない美味しさの辛いソーセージを二本も食べた塩の魔物は、一枚しかなかった布地をすぱんと脱ぎ去り、ぎゃっと顔を背けたネアが目を離した隙に、海に向かって走っていってしまったのだ。


慌ててネアとエーダリアとで追いかけ、頭を抱えたヒルドは、ノアが投げ捨てた水着を拾いに行ってくれる。


魔物達はなぜか、途中から競うように飲み始めてしまったので、こちらも酔いが回ったのか、ウィリアムは笑って見ているだけで助けてくれないし、アルテアは辛いソーセージが気に入ったのかまた焼いているではないか。



(……………おかしい。アルテアさんは、もう四本目なのでは?!)



ネアは、他の魔物達も危険な状態にあるのではとひやりとしながら、じゃばじゃばと波を踏み、よりにもよってまだ体の浮かないくらいの浅瀬で体を投げ出してしまった義兄を捕獲すると、砂塗れで笑っている魔物にぎゅうと抱き締められた。



「みぎゃ!砂だらけにするのはやめるのだ!!」

「いい気分だなぁ。家族がいて、食べ物とお酒が美味しくて、いつかの夜に除け者にされた海の宴よりも、ずっとこっちの方がいいや。…………僕は幸せ者だなぁ」

「ノアベルト………」

「エーダリア様!しんみりしていないで、捕縛の手を緩めないで下さいね。酔っ払いを沖に出したら、溺死の危険があります!!」

「わ、わかった!」

「ありゃ、僕は沈んだぐらいじゃ死なないよ?元々、この海の祝福は僕があげた物だしね」

「………良かったです。ヒルドさんが来てくれました。ディノはそんなに酔っ払っていないのですが、ぽわぽわとして座っているのであちらも海に近づけるのは危険でしたし……………ぎゃ!ウィリアムさんが泳ごうとしてる!!」



ヒルドが来てくれたので一安心かと思えば、今度は、ウィリアムが海に入っているではないか。

ネアは義兄をエーダリア達に任せ、慌てて海に入ったばかりの終焉の魔物に飛びかかり捕獲した。



いきなりネアが飛びかかってきた事には、さすがに驚いたのだろう。

振り返ったウィリアムが、白金色の瞳を丸くする。



「ネア?…………随分と熱烈なお誘いだな」

「お酒をたくさん飲んだ状態で、泳いではいけません!」

「ん?……ああ、このくらいでは、さすがに溺れないぞ?」

「酔っ払いはみんなそう言うのだ!!」



愉快そうに笑ったウィリアムに逆に捕縛されてしまい、ぞっとしたネアは、一生懸命じたばたする。

溺れそうなウィリアムは助けたいが、諸共沈む危険があるのなら、例え薄情だと言われようともこちらは脱出させていただきたい。

魔物は海に沈んでも死なないかもしれないが、人間は簡単に儚くなってしまう。


持ち上げられて必死に暴れていると、思わぬところから救いの手が伸ばされた。



「おい、そいつは置いていけ。海に浸けておくと、またどんな騒ぎを引き起こすのか、分かったものじゃないだろう」

「アルテア、さすがに俺も、この程度で溺れる程酒に弱くはありませんよ。ネアの面倒は見られますので、気にしていただかなくても」

「おのれ、海に酔っ払いが増えました。騒ぎを引き起こしているのはどっちなのだ………」

「いいか、お前はその状態でそれ以上暴れるな。大人しくしていろ」

「むぐ!私とて、大人しく海の藻屑になるつもりはありませんよ!!」


身の危険を感じたネアが腕輪の金庫に手を入れると、おっとと呟いて、ウィリアムが素早く拘束を解いてくれる。

すかさずアルテアの腕の中に収められてしまったが、こちらも水着になっている以上は泳ぎ出す危険があるので、ネアは、きりん札から手を離さなかった。



「ぐるるる!」

「やれやれだな。落ち着け」

「酔っ払って海の底にお邪魔するとしても、か弱い人間を道連れにしてはなりません。そして、海で泳ぐなら酔い覚ましを飲んで下さい!」

「必要ないだろうが」

「そもそも、アルテアさんは辛いソーセージを四本も無心で食べ続けていたのですよ?酔っ払っていない筈がありません!」

「……………は?」

「無意識ではないですか!酔っ払い確定です!!」



自分が四本ものソーセージを食べた記憶がなかったのか、赤紫色の瞳を瞠ったアルテアは、どこか無防備に見えた。

しかし、腕の中に収めた人間がじたばたもがもが暴れるため、形のいい眉を顰める。



「…………この状態で暴れるなと言わなかったか?」

「ぐるる!この腕を離すのだ!!」

「ったく。手に負えないな」

「まぁ。手に負えないのはどちらでしょう!きりんさんで倒しておくことも考えましたが、ここでやると間違いなく溺死してしまう事に気付きましたので、ちびふわにして持ち帰りますよ!」

「やめろ」



緩んだ手の間からさっと逃げ出したネアは、慌てて、パラソルの下に取り残されていた伴侶の元に逃げ帰った。

酔っ払いの入水を案じたのだが、死なないと分かった以上はもう、自己責任で放っておこう。

巻き込まれて儚くなる方が、取り返しが付かなくなる。



「ネアが逃げた…………」

「はいはい。ここにいますからね。ディノは、危ないので酔っ払って海に入ってはいけませんよ?」

「君がここにいるのなら、どこにもいかないよ」

「では、ここでのんびりと海を見ていましょうか。そろそろ夕暮れになるので、空が素敵な色に染まりそうですから」

「うん」



海の方に視線を戻せば、水着を着せられてこちらに引き摺り戻されてくる義兄の姿が見える。

ウィリアムとアルテアは、何か沖合いが気になるのか、さかんに首を傾げて話し合っているようだ。



(……………あ、綺麗)



空の縁には僅かに綺麗な藤色がかかり始めており、そろそろ素敵な夕暮れの海辺が楽しめそうだ。

酔っ払いはさておき、美しい海辺で、綺麗な夕暮れの空を鑑賞してから帰るのもいいかもしれない。



そんな事を考えていると、どおんと、激しい水音がした。



「……………む、蛸さん」



そこには、蛸の足がうねうねしており、いつの間にか海面には巨大な黒い影が見える。

ウィリアムとアルテアが気にしていたのは、その生き物だったのだろう。


「蛸………なのかな」

「よく分からない触手系のものが、ウィリアムさんとアルテアさんに襲い掛かったようです」

「…………ウィリアムとアルテアが……………」

「まぁ、かなり酔っ払っているように見えましたが、交戦出来ているので大丈夫そうですね。蛸さんはどこから来たのでしょう。早目に海から上がっておいて良かったです」


たいへん自己愛が強く薄情な人間は、陸上の敵であれば参戦も考えるが、ぬるりとした蛸足の生き物とは戦えないのだと視線を逸らした。


「あれは、何なのかな……………」

「あら、ディノは知らない生き物なのです?」

「うん……………」




ネア達はその後、赤と赤紫と紫と藤色の、素晴らしい夕暮れの海辺の景色を楽しんだ。

若干視界に蛸と戦っている魔物達が入り込んで来るが、概ね、素晴らしい時間だったと言えよう。



暫くして疲労困憊して戻ってきた魔物達によると、あの生き物は完全に未知の生き物であり、尚且つ、精霊系統の蛸だったらしい。


戦っていたのではなく、必死に求婚を断っていたと聞けば、ネアは、恐れる事なく魔物の二席と三席に同時に求婚した蛸姿の精霊に、精霊らしい力強さを見たのであった。












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