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22. 理由はなくても構いません(本編)



工房の部屋に戻ったレイノは、ふおっと、深い安堵の息を吐く。

その隣でがくりと肩を落としているアンセルムに、レイノはわしりと頭に手を乗せられてしまった。



窓の外はすっかり夕刻で、帰り際にアンセルムは、今日はとある方から晩餐に誘われているからと、立ち寄った食堂で食事の断りを入れていた。


明日のミサで立場を明らかにするまでは、余計な接触を避けようという方針であるらしい。



「…………むぐ」

「まったく、君はどうしてあんな風に無茶をしてしまうんですか…………」

「デュルノ司教様については、もはや衝動的なものだったとしか…………」

「デュノル司教ですよ。…………おや、デュルノ様で良かったのかな…………いえ、やはりデュノル司教様ですね…………」

「……………アンセルム神父。………もしかして私は、ご本人の前でお名前を間違えてしまっていたり…………」



すっかり間違えて覚えていたらしく、それはまずいぞと眉を下げたレイノに対し、考え込む様子を見せたアンセルムは、顎に手をかけて目を細めている。



そのままアンセルムが考え込んだので、その装飾を外して襟元を寛げた神父服に、現実逃避を図るレイノは、自分の制服について考えた。


今日はまだ、迷い込んだ時のままの服装に、シスター達が纏うフードつきのローブを羽織っただけなのだが、明日の夕刻にはレイノ用の制服のようなものが支給されるらしい。


教会関係者だと見て取れるシスター服に近いものだが、見本絵を見せて貰ったところ、襟元はふんわりとした飾り襟になっており、スカートはふんわりしている。

スカートの形状は、この国では魔術可動域によって判断されるという、成人か否かによって変わるという事だ。



(つまり、その制服が支給されてしまうと、可動域が低いということが、周囲から一目瞭然になる訳で…………)



釈然としないところもあるが、子供という認識にされるからこそ避けられるものもあるだろう。


特にユビアチェという少女がアンセルムに向けた執着を思えば、あの種の諍いからは全面的に外して貰えるかもしれない。


まだこの世界の不思議を紐解いておらず、尚且つじっくりと観察したいと考えているレイノにとっては、そちらの方が有難いのだ。




「……………レイノは、あの方の名前をデュルノ様と認識されているのですよね」



考え込んでいたアンセルムがようやく声を発し、レイノはふすんと頷いた。



「最初に、アンセルム神父からお名前を教えていただいた筈なので、私が間違えて聞き覚えただけだと思いますが…………」

「ですが、僕も一度混乱したでしょう?…………名前の認識が一致しない場合は、魔術的に幾つかの可能性が考えられるんです。ご本人が惑わせる術界を構築している場合と、こちらの守護に、その名前を呼ばない方がいいという反応が出る場合。もしくは、…………あの方が生粋の人間ではない場合。…………あの瞳の色といい、もしかするとデュルノ司教様は、混ざりのある方かもしれませんね」

「となると、………何らかの影響を受けた可能性があるのですか?」

「少し待っていて下さいね。…………これだったかな…………」



アンセルムが書類のようなものを机の上に置かれた本の下から引っ張り出してくれ、あらためて名前を確認してくれた。



(デュノル司教と書いてあるわ………)



やはり間違えていたとレイノはしょんぼりしたが、アンセルムはそこについては特に問題視していないようだ。



「お叱りがなかったのですから、お会いした時に、お名前について聞いてみてもいいかもしれませんね」

「………ご本人に向かって、どうしても名前を間違えてしまうのですがと言うとなると、私の心はずたぼろになるのでは…………」

「おや、では僕が聞いてみましょうか?先程は随分と積極的でしたが、また引っ込み思案なレイノに戻ってしまいましたね」



くすりと笑い、アンセルムが顔を覗き込んでくる。

その眼差しの何かに、レイノはぱたんと心の扉を閉ざして本音を覆い隠した。


「…………あれは、ビスクート司教様と天秤にかけ、どうしてもこちらの方だと焦ってしまったんです。ビスクート司教様は、とても厳しそうで怖そうな方でしたから………」



本当は理由などないのだ。

自分でもよく分からない衝動に駆られ、この人でなければと感じて捕まえただけ。



(でも、それをこの人に言わない方がいい気がする……………)



「あの方は確かに厳しい方ですが、一度決めたことを押し通す力にかけては、この上なく頼もしい。味方になってくれるのであればと思いましたが、………確かにレイノ向きではないかもしれませんね…………」

「至らないところを正論で指摘せずに、上手く企んでくれる方が良いです…………」



身も蓋もなくそう呟き、晩餐は何だろうかと少しだけそわそわしたレイノは、視線を感じて顔を上げた。



テーブルに頬杖を突き、こちらを見ているアンセルムは、どこか柔和さを欠いた仄暗い眼差しをしている。



「…………アンセルム神父?」

「僕のレイノは可愛いですねぇ」

「…………僕の、ではなく、僕が後見人を務めるレイノは、というのが正しいのではないでしょうか」



ぎりぎりと眉を寄せ、大真面目にそう返したレイノに、眼鏡の向こうの瞳を瞠って、アンセルムはまた、どこか不可解な微笑みを深める。



「…………うん。やはり君は僕のお気に入りですね。レイノは、なぜだろうという顔をしていますが、本当に僕は、君を気に入っているんですよ?」

「気に入っていただけるのはとても嬉しいのですが、正直なところ、まだ知り合ったばかりなので困惑の方が大きいのです………」



ここで、レイノはずっと不思議に思っていたことを尋ねてみることにした。



「…………アンセルム神父は、これまでは教官のご依頼を断られてきたのですよね?それを知らずにカードで選んでしまいましたが、なぜ今回は受けて下さったのですか?…………お仕事が立て込んでいなかったとしても、断る事が出来たように思えるのですが…………」



このような機会が得られる内にと尋ねてみたレイノに、アンセルムはおやっと眉を持ち上げた。



ああ、この人は人間ではないのかもしれないと考えかけ、レイノはそんな自分の思考にぎくりとする。




どう考えても人間にしか見えないではないか。



(それとも、これが異世界に迷い込んで、迷い子になるということなのかしら。自分でも知らない特別な才能が芽生えていたり…………)



そんな可能性に思い至り、こっそりわくわくしながら、レイノはこちらを見たアンセルムの静かな菫色の瞳を覗き込む。

残念ながら、ここでぱちんと答えが空中に浮かんで見えるような魔法は、まだ使えないらしい。



「僕は、夜の瞳持ちですから、君が終焉の子供であることが分かるんです。君は、………誰かの死に触れ、或いはそれを為した事があるのではありませんか?あの門をくぐり抜け、全ての記憶を失ってはいても、それでも心の内側にあるものの温度は測れるでしょう…………?」



その質問は思いがけないもので、レイノは、ひやりとしつつ、表情を整える。



それは秘密なのだ。

沈めて沈めて、どこまでも深く殺したからこそ、二度とその墓標の下から掘り出してはいけないもの。



何とかそれを隠して健やかな人間のふりをしたいのではなく、それを掘り起こして死者達に対面しても、今のレイノという人間には何のメリットもないからこそ、わざわざそんな真似はするまい。



それはレイノのものだ。

憎しみも絶望も苦しみも、この手で破滅させたその死者までが、レイノだけのものなのだ。




「…………かもしれません。自分が無垢で清廉な人間ではないことくらいは、今の私にも感じられますから。ですがそれは、記憶が戻るとしても私自身の問題なので、アンセルム神父にお話するつもりもありません。…………良くしていただいているのに、ごめんなさい。けれども私は、自分のものを決して差し出さない強欲な人間なのです。こうして告白すれば、私はちょっと嫌な奴でしょう?」



好意を差し出す素振りで、まるでそれが合意の交換のように奪おうとする人は大嫌いだ。

レイノの声音は少なからず冷淡になったが、アンセルムは気にした様子もない。



「いえ、まさか。君はどこまでも終焉の子供らしい鋭利さで、それでいて人間の子供らしい無垢さもある。僕はきっと、君が訝しむよりも君のことを理解していると思いますよ。………でもそれは、君が伝えたいと思うものよりは曖昧な、君の持つ色のようなものかもしれません」



その返答は意外だった。

目を瞬き、レイノはどこかさらりとした執着の傲慢さに、アンセルムについてまた考えてみる。



「……………もしかして、アンセルム神父は、人間ではないのですか?」

「おや、どうしてそんな事を?僕は何か、誤解されるような言葉を選んでしまったでしょうか」



人間の子供という表現を選んだことにレイノは違和感を覚えたのだが、もしかすると他の種族の生き物が共存するこの世界では、そのような言い方は普通のことなのかもしれない。



「…………むぐぐ」



小さく唸りながら見上げたレイノに、アンセルムはふっと微笑みを深めた。



「時間ならたっぷりありますから、少しずつでも僕のことを信頼してくれるよう、仲良くさせて下さい。…………レイノ、猊下が言われたように、君はまだ、いざという時に僕を頼る覚悟が出来ていない。実はそれがとても寂しかったので、こうして僕の気持ちを君に打ち明けた次第です」

「…………私が悪い人間で、であるならばと我が儘になってしまうかもしれないのに?」

「君はそういうことはしないでしょう。僕が手を差し出してこちらにおいでと言えば、警戒して僕をじっと見つめるような子だ。…………でも僕はそんな君がとても気に入っているので、伸び伸びと生活してくれて構いませんよ」



そう微笑んだアンセルムの狙いとは違うのかもしれないが、レイノは、ぐるると唸る獣の子に、元気でいいですねぇと微笑むアンセルムの姿が見えたような気がした。



何とも不可解だが、レイノはこの神父のお眼鏡に適ったらしい。




「さて、今夜は良い鶏肉があるのでそれを焼いて………レイノ?」

「鶏肉……………を、」

「ローズマリーとバターを使いますよ。それから、空芋と川鱒のグラタンもありますし、ライ麦の茶色いパンがあります」

「そらいも…………というのは、お芋の一種ですか?」

「春の野菜ですが、ここでは通年で収穫出来ますからね。水色の皮を剥いてふかすと、美味しい小麦色になって、ほくほくした味わいで美味しいですよ」

「………………グラタン様…………」

「はは。やっぱり、レイノは食いしん坊ですね」




アンセルムが料理をする姿を、レイノは隣で観察させて貰うことにした。


どの工程で魔術を使い、どんなものがこの世界独自のものなのかを知る為だったのだが、そもそも、可動域で劣る為に空芋の皮を剥くことが出来ないと知ってしまい、途中でとても悲しくなった。



かくりと項垂れていると、アンセルムはレイノにも出来る事があると仕事をくれた。



「ではレイノには、庭の畑にこの木漏れ日の結晶石を撒いてきて貰いましょうか。瓶の中の金色の石を全て使ってしまっていいので、均等に撒いて下さい」

「このきらきらしたものを、畑に撒いてしまうのですね…………」

「ええ。雨が降った日の夜に撒くと、効果が高いんです。お願い出来ますか?」



渡された水晶の瓶の中には、小指の先程の檸檬色の宝石のようなものが入っている。

内側から光を放つ美しさは、畑になど撒かずにポケットにしまっておきたい気持ちだが、これは初めての仕事であると気持ちを引き締め、レイノはもそもそと畑にその綺麗な結晶石を撒きに行った。




ぱたんと庭に続く硝子扉を開けると、夜の庭には瑞々しい春の夜の香りがした。



緑と土の香りに、春の終わりの庭のあちこちで咲き誇る花々の香り。

井戸の向こうには、祝福を収穫するという美しい薔薇の茂みまであり、甘い芳香を漂わせている。



庭仕事用の革の長靴めいたものに履き替え、レイノは、ぶかぶかの男物の靴をがぼがぼさせながらも、持たされた瓶を握り締めて畑に出た。



(…………なんて綺麗な夜なのかしら………)



元の世界では見たことがないような明るい夜の光の中で、植物たちはぼんやりと光っているように見え、レイノは目を丸くした。


庭の向こうに広がる雑木林の向こうからは、オーケストラが練習しているような、不思議な音楽が聴こえてくる。

美しい旋律だが、どこか背筋がぞわりとするので、あまり良いものではないのかもしれない。

子供の頃に父親に読んで貰った怖い妖精の絵本を思い出し、レイノはあまりそちらを見ないようにした。



人ならざる者達の境界に、むやみに踏み込んではいけないのだ。

どれだけ必要なものがあっても、その向こう側ではどんな対価を取られるか分からないのだと、絵本を読んだ後に父が話していた。



“ほんの僅かに道を逸れただけなのに、まるで同じように見えるのに、そこはもうまるで違う世界だったりするんだよ。帰り道が用意されていないこともあるから、決して油断してはいけないんだ”



どこか遠くを見るように悲しげに呟いた父の横顔に、小さかったレイノは、慌ててその腕にしがみついた。


今思えば、人生における選択について教えられていたのかもしれないが、あの日から随分な時間が流れ、今は妖精や竜がいる世界にいるのだと思えば、何とも言い難い気持ちになる。




(これでいいのかな………)



まずは、少なめに見積もって均等に撒くことにして、夜闇の畑に煌めく鉱石の美しさににっこりした。


何だか魔法を手伝っているような楽しさに、あれ程勿体無いと思っていたことを忘れ、レイノは残っていた結晶石も全部撒いてしまい、きらきら光る畑を大満足で眺める。



「……………綺麗………」



さながら、空から落ちてきた流れ星が転がる畑というところだろうか。


魔法がある世界とは言え、まさか実際に星が夜空から落ちて来ることはないだろうが、これだけでも充分に異世界感を満喫出来てしまった。



美しい夜の庭から眺めると、少しだけ屋根が歪んでいる森色の瓦が美しい工房を振り返って、レイノはふんすと胸を張る。


畑に光る石を撒いただけだが、何だかとても充実した一日だったような気持ちになってしまうのだから、しょうもない人間だと自分でも思う。



(でも、ここは…………気に入ったかも)



いい気分で屋内に戻ると、そこにはほこほことした食卓特有のいい匂いが漂っていた。



「…………じゅるり」

「レイノ、手を洗ってきたら食事にしましょう。終焉の子供なら、僕の料理を食べても大丈夫なので安心ですね」

「アンセルム神父、今、あまり聞き流せない言葉が聞こえてきたのですが……………」

「おや、聞こえてしまいましたか。でももう、昼食のサンドイッチで実証済みですから安心して下さいね」

「……………あのサンドイッチは、実験だったのですね…………」



(でも、儚くなってしまうくらいにまずいどころか、とても美味しいサンドイッチだったのに……………)



特に実害があるようには思えないが、魔法上の問題がある料理を作ったりするのだろうか。

その辺りは謎に包まれていたが、取り敢えず害はないと分かったので、レイノは深く考えないことにした。

そもそもが異世界なので、深く考えてもどうにもならない事が多過ぎるのだ。



「ふむ。………支障が出ないと判明したのであれば、特に問題ありません。晩餐にしましょう」

「はは、レイノは可愛いですねぇ…………」

「なぜでしょうか。………このやり取りに覚えがあるような…………」

「おや、…………レイノは、ウィームの出身ですか?」

「ウィーム?」



こてんと首を傾げたレイノに、アンセルムはどこか人の悪い微笑みを浮かべた。



「………………いえ。記憶を失っている君には、どこから迷い込んだかも分かりませんよね」

「私は、そのウィームから迷い込んだ可能性があるのですか?であれば、ゆくゆくは記憶にないものの地の利を生かし、ウィームでコグリスなるお餅猫と契約して生活出来ますか?!」

「…………もの凄い熱意を感じますが、ウィームには既に、配属申請を出している迷い子がいます。ウィームではその申し出を保留としているようですので、彼女の扱いがどうなるかにもよりますね」

「……………では、そやつを蹴落とせばいいのですね?」

「成る程、君はそういう方向に向くのですね……………」



ほほうと唸りながら、アンセルムは、テーブルに美味しそうにこんがり焼けた鶏肉の香草バター焼を置いてくれた。

皮目をぱりっとさせてあり、ふわりと香るローズマリーが堪らなく食欲をそそるではないか。


塩壺と、味を変える為に使うという唐辛子を使った調味料の壺も並べられ、楕円形のグラタン皿にはオーブンから取り出したばかりのグラタンが、くつくつとチーズを蕩けさせている。



「ほわ、………この工房にはオーブンもあるのですね………」

「本来、このオーブンは魔術装丁の焼き付けに使うものなのですが、オーブンを使わなくても魔術で焼き付けられますから…」

「いただきますですか?」

「おっと、すっかり準備万端でしたか。では、まずは食べましょうか」

「はい!」



そうして、レイノの異世界での美味しい晩餐が始まった。



空芋は、調理過程の質感から里芋のようなものかと思っていたが、食べてみると謎に茄子の食感で驚いた。

川鱒は脂の乗った鮭のような味わいで、チーズやホワイトソースによく合い、パンも美味しいので、レイノはすっかり寛いでしまう。



よく分からない異世界に迷い込んでも、美味しいご飯と素敵な部屋があれば、人間は強かに生きて行けるに違いない。


たくさんいただき、満たされたお腹がほこほことしてきたところで、レイノは、ずっと気になっていた問題を口に出してみた。




「ところで、迷い子になってしまった人は、お家に帰れるのでしょうか?」

「ああ、やっとその質問をしてくれましたね。実は、なぜ君はその質問をしないのだろうと不思議に思っていたんです」

「こちらに迎え入れてくれた方々は、さも永住するのだと言わんばかりでしたので、すぐに帰れる様子がない以上、まずは生活基盤を整えることが優先だと思いました。加えて、よくある物語の中の展開だと、帰れないことも多いので…」

「…………ちょっと待って下さい。レイノの暮らしていた土地では、迷い子の物語があるんですか?」

「…………よくある物語でしたよ?様々な展開があり、元の場所から持ち込めるものが違ったり、迷い込んだ先で得られるものや、評価されるものが違ったりもします」

「…………本来、迷い子や愛し子の話はあまり公にされないものなんですよ。…………それが広く知らされていたとなると、もしかすると取り替え子が多いのか、或いはあわいの亀裂に近い土地なのか、…………ですが、その場合、可動域が低い子供がここまで無事に育つということも滅多にない筈ですが…………」



アンセルムが考える迷い子は、明らかにこちらの世界間の移動の基準なので、レイノは異世界からの迷い子なのにと思わないでもなかったが、そこが明らかになることで、過ごし難くなったら堪らない。



(異世界からのお客さんはいなさそうだから、その問題については、あまり多くを追求するのはやめよう…………)



狡猾で利口な大人は口を噤むのだ。




「確か、迷い子の方は十一人もいらっしゃるのですよね?」

「ええ。迷い子の報告自体は十五人ですが、魔物との歌乞いの契約で失敗した三人と、精霊との契約で仕損じた一人が命を落としています」



葫蘆に似た素材のピッチャーから注がれた水がきりりと冷えていて美味しくて、レイノは三杯目のお代わりをした。


手を伸ばすと、すかさずアンセルムが注いでくれ、これは、隣の教区で湧き出している小川の妖精の加護のある水なのだと教えてくれる。



「…………そのような事を、アンセルム神父が教えてくれた事に驚きました。危険があるお役目となると、嫌がる人もいるのではありませんか?」

「この国では、生活の中で魔術とは無縁ではいられませんし、人外者との契約や諍いで命を落とす者は珍しくはありません。ですから、契約で命を落とす迷い子がいても、あまり問題視はされないでしょう」

「………命の問題であっても、なのですか?」

「自身の命に頓着しない終焉の子供の君でも、それは気になるのですね」

「自分に甘いので、不自由を覚悟で長生きしたいという欲はそこまでありませんが、怖い思いや痛い思いをしたいとも思いませんから」



そう言ったレイノに、アンセルムは新しいパンを切り分けてくれつつ、より踏み込んだことを教えてくれた。



「契約で得られるものは、契約した相手の階位に応じただけの賞賛と権威です。寄る辺ない子供達だからこそ、彼等は無理をしてしまうのでしょう。本来、迷い子という存在は、人外者に好かれ易いんですよ。ですから、自分の力量を見誤りさえしなければ、そのような事は起きない筈なのですが…………」

「聖人になれるから………、ですか?」

「それもありますが、聖人になれるのは、歌乞いとして魔物と契約した迷い子だけです。この称号の違いには、教会の成り立ちが由縁しているのですが、………さて。少し説明が長くなりますよ?」

「…………歌乞いだけ、…………」



食後のデザートには新鮮な苺が登場し、それを食べながらの講習が続いた。

しっかり甘くて瑞々しい苺を頬張り、レイノは、この不思議な世界の仕組みと、この国の決まり事に耳を傾ける。




「歌乞いは、契約した魔物にかける願い事の一つにつき、一定数の命を削ります。どれだけを削るかは契約する相手の階位によりますが、爵位を持つような魔物と契約した場合は長くてもその寿命は二年程度で尽きるでしょう。そうして支払う犠牲の大きさも、聖人の指定を受ける理由となりますが、聖人と呼ばれる最大の理由は、教会の主神となる鹿角の聖女様が、歌乞いに呼ばれた魔物だったからですね」



類似性を見出しその後継とするという事は、信仰の形としては珍しくはない。

けれどもそうなると、新たな疑問が出てきた。



「昼間に読んだ本の中では、市井の商売や生活の中でも、歌乞いの方々が活躍していると書かれていましたが、その方達も?」

「いえ、聖人とされるのは、あくまでも国家に仕えることを許された歌乞いだけですよ。だからこそ、教区で実績を上げ、国の仕事を引き受ける事が出来れば聖人指定を受けられるということ自体が、望んで得られるような機会ではないんです」



(だからなのだろうか。それとも、その為に、なのだろうか…………)



ここまでを教えてくれるアンセルムなのだから、その先を問いかけてもいいのかもしれない。



けれども、どこかで踏みとどまらなければ、全てを納得済みとして望まない程の先に連れて行かれてしまいそうで、それは避けた方が良さそうだ。



(それが欲しくて迷い子が張り切ってしまって出る犠牲なのか、最初に迎え入れてくれた人達やビスクート司教の言葉から感じ取れたように、この、教区そのものが迷い子を必要としているからこそ、実績を残す為に無理をさせられるのか、…………ここの区分によっては、困った事になるかもしれない…………)




「…………で、迷い子が帰れるかどうかなのですが…」

「煙に巻こうとしたのに、戻ってきてしまいましたね?」

「私が帰りたいかどうかはさて置き、帰るという選択肢があるのかどうかを知りたいのです。あくまでも客観的な質問なのですが…………」

「客観的な質問であればお答えしますが、帰り道があるとは聞いておりません。記憶が朧げに戻った迷い子達もおりますが、この教区に迷い込む子供達は、随分と離れた時代から迷い込むようで、魔術でその帰り道を作ることは、ほぼ不可能でしょう」



(確かに、引き入れるだけなら兎も角、正確な所に戻すのは難しいのかも…………?)



そう考えてふむふむと頷いたレイノは、ふっと頬に触れた指先にぎくりと体を強張らせる。




「…………アンセルム神父?」

「レイノ、これからの君の学びの為に僕がこれから言う事は障害にもなるかもしれませんが、…………あまり出来の良い迷い子になる必要はありませんよ」

「…………それは、先程お会いした迷い子の方達に、睨まれてしまうからですか?」



恐らく、迷い子達が狙う椅子はさして多くないのだろう。

少ない椅子を争うからこそ、もしくは、競わせられるからこそ、命を落とすような無理な契約も生まれるのかもしれない。



「いえ、僕が懸念しているのは、この迷い子の運用の根幹そのものです。恐らく、猊下が中央の監査を警戒し、是正しようとしている部分もそのあたりでしょう」

「運用に、何か危険があるのですか?」

「保護した迷い子達に、迷い子としての特質を生かした運用を推奨しているのは、この教区の統括をされる方です。………その方は、先に起こった国の歌乞いの悲劇をすぐ側で見ておられたそうで、より強い歌乞いを育てたいという信念をお持ちになられた」


その悲劇というものは、国の顔である歌乞いとして選ばれた迷い子の少女が、政治的な思惑も絡む内乱に巻き込まれ、その命を落としたという事件なのだという。



「そのような事が起きても、損なわれないように…………?」

「そのような駆け引きの場で切り捨てられないくらいに、大きな力を持つ存在をという理想をお持ちです。これは僕の受けた印象ですが、戦場で振るう力ではなく、政治的な立場としての力を望まれているように思えますね。…………だからこそ、この教区を任されるかもしれない猊下は、その思想が国への叛意ありと言われぬよう、自分の管理下に置ける迷い子を欲したのでしょう。…………君は、早々に全ての後見人を決めたことで、強硬派の手で無理な教育や競争を強いられることはないでしょうが、それでもと背中を叩く人達もいるかもしれません。…………いいですか、決して無理なことをしてはいけませんよ?」




(そうか、私に望まれているのは、不出来なことを発信出来る、脅威ではない迷い子のモデルなのだ……………)



だからこそ、リシャード枢機卿はレイノを選び、国に自身を売り込むレースに参加しない素材だからこそ、あのウィームの司教は後見人を引き受けてくれたのだろうか。




今夜、アンセルムはあのウィームの司教とどんな話をするのだろう。

レイノはなぜか、こんな話をその人とこそ、話してみたい気がしてならなかった。








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