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海辺の休日と花葬の船 2




じゅわっとお肉の焼ける音に、ネアは期待のあまり身震いした。


勿論アルテアの準備なので、前菜にあたるお料理もあれこれ用意されているのだが、海遊びと言えばやはりこのスパイシーチキンである。

焼き始めの香ばしい香りに胸を躍らせ、テーブルの上に載せられた、泉結晶のピッチャーの中の飲み物にも視線を投げる。


今日の飲み物は、夏の朝霧とオレンジの紅茶に、ニワトコのシロップを使った飲み物、そしてパイナップルジュースである。

このパイナップルジュースは、海遊びにあたって、ヴェンツェル王子サイドからの差し入れで、代わりにウィームからは例の高機能素材の布地が贈られたのだとか。


海辺で過ごす事の多いヴェルリアの王子として、ヴェンツェルは新しい布地が気に入ったようだ。

とは言え、守護は手薄になるので、室内着や今回のような海辺での休暇に向いた素材なのだろう。



「ネア、………これは、どこで拾ったのだ?」


飲み物を淹れ回す作業を手伝おうとしたネアは、そんなエーダリアの問いかけに振り返った。

足下に置いた緑のバケツを覗き込んだエーダリアが、なぜか少しだけふるふるしている。


「む。星屑型の青い小石ですね。これは、向かって左側の方にある、大きな結晶流木の近くに落ちていたのです。砕けた物もある中、綺麗な物を二つだけ持ってきたので、まだ砂に埋まっていると思いますよ」

「そうか。助かる」

「…………ほわ、エーダリア様が」

「ありゃ。いいよ、ヒルド、今度は僕が追いかけるから」


ネアのバケツを興味津々で覗いていたエーダリアは、どうやら自分でも欲しい物を見付けてしまったらしい。

言ってくれれば二つあるので一個差し上げるのだが、魔術師の気質もあるエーダリアは、自分で収集するのが楽しいのだろう。



「やれやれ………、あの様子ですと、食事の為に戻っていた事は忘れてしまわれたようですね」


そう言いながらも、砂浜の流木の傍にしゃがみ込んでいるエーダリアを見つめるヒルドの眼差しは柔らかい。

ネアはそんな森と湖のシーの横顔を見られた贅沢さに胸をほこほこさせ、美味しい匂いにくんくんする。



「ネアはもう泳いだのか?」


そう尋ねたのは、既にひと泳ぎしてきたらしいウィリアムだ。

水着の上にシャツを羽織ったようだが、前は開けたままなので僅かな水滴を残した首筋が陽光に煌めく。


「まだ波打ち際で遊んだくらいなので、食事の後に泳ごうと思います。こちらの海岸は、綺麗なお魚さんが沢山いますよね」

「ああ。花びら魚達だな。いつもの島の反対側よりも、水温は高めみたいだ。泳ぎやすいと思うぞ」

「まぁ、では午後は、ディノの泳ぎの練習が出来ますね!」

「…………ウィリアムなんて」

「あらあら、泳げるウィリアムさんに、荒ぶってしまうのです?」


まだ泳げない魔物は少しだけぺそりとしていたが、実はこれでも、以前よりは泳げるようになったのだ。


本来、高位の魔物の資質は変わらないので、不得手な物は不得手なままだというのが通説らしく、ディノのその変化は、他の魔物達にとっても驚きであったらしい。

ネアは、単純に、魔術を使わない水泳に挑戦した魔物がいなかっただけではないかと思ったが、そうした周囲の驚きをも糧にして、大事な魔物を沢山褒めておいた。


ウィリアムからその話を聞いたグレアムからは、お祝いのお菓子が届き、ディノはとても嬉しそうにしていて、そんな喜びが練習意欲を高めているようだ。



「ネア様、先に食べられていて結構ですよ」

「むむ、エーダリア様を待たなくても良いのですか?」

「いえ、席を外されたのはあの方の方ですので、どうぞお食事を始めていて下さい」

「では、ちびちびと食べ始めていますね。…………むぐ!」



まず最初にネアが頬張ったのは、ウィーム工芸品でもある彫り物が綺麗な硝子の小鉢に入ったトマトの前菜だ。


一口サイズに切った夏雫のトマトを、スパイシーなクリームドレッシングで和えただけのものなのだが、瑞々しいトマトをしゃりりとするくらいに冷やしており、その冷たさが堪らなく美味しい。

切ってから冷やす事でここまで冷たくなるらしく、そのままの冷たさを維持して出されると、海遊びにはぴったりの前菜である。


食感の違いにおやっと小鉢の中を見ると、プチりとした小さな丸いチーズも入っていて、ネアは幸せな思いでそのチーズも噛み締めた。


「こ、これは海老さん!!」

「久し振りに、殻の柔らかい物が手に入ったからな」

「ソフトシェルシュリンプですね!」

「そふとしぇ……」

「殻ごといただける海老さんなのですよ」


たっぷりの野菜の上に盛られたのは、殻の柔らかい大ぶりな海老を素揚げにした料理で、たっぷりと香草玉葱のたれをまわしかけてある。


揚げたての海老は、頭の部分と尻尾がさくさくしていて、身の部分はほくりと甘い。

一緒にたっぷりの野菜をいただける上に、丸ごと海老でちょっぴり贅沢になれる一品で、ネアは素早くお皿の上を観察し、一人二尾までいただけるぞとほくそ笑んだ。


この料理は海老が揚げたての方が美味しいのでと少し心配になったが、お目当ての収穫が得られたのか、エーダリア達もすぐに戻ってきた。



「すまない。食事の支度をしてくれているのに、つい席を外してしまった。海の流星雨の祝福結晶は、すぐに海底に沈んで海の乙女達に持ち去られてしまうので、海辺の街や国でも滅多に手に入らない物なのだ」

「まぁ、そのような物だったのですね。割れてしまっている物もありましたが、綺麗な物もありましたか?」

「ああ。ノアベルトに手伝って貰って、七個も集められた。何個かは、島を貸してくれた兄上にも差し上げようと思う」

「ふふ。そうするのがいいでしょうね。エーダリア様からのお土産を大事にしていると、ドリーさんが仰っていましたものね」



すかさずそう言ってしまったネアに、エーダリアは少しだけ困ったような微笑みを浮かべる。

もう、ヴェンツェル王子が自分を大事にしている事を理解していない訳ではないが、その関係を、こんな会話の中ではどう扱えばいいのかが分からないのだろう。


僅かに目元を染めておろおろするエーダリアに、ノアが、言わなくても良かったのにとわざと意地悪な顔をしてみせる。

ヒルドは、エーダリアが手を拭くおしぼりを用意しているようだ。



勿論、家族での海遊びなので特別な号令などはなく、エーダリア達も食事を始めた。


それぞれの注文の飲み物を淹れたグラスが回され、取り皿の上でカトラリーが硬質な音を立てる。

本日のテーブルは白樫なのだと聞けば、ネアは一瞬、あの厄介だという魔物がとうとうテーブルにされてしまったのかと思ったが、こちらは純然たる植物産であるらしい。


だが、自分が司る白樫の木が、こうして生活の品にされてしまっているのを見たら、確かにあの魔物は荒ぶりたくもなるかもしれないと思え、ネアは新しい側面を見た気がした。


花の系譜とは違い、道具物にされがちなのが樹木だ。

トマトソースをこぼされたり、酔っ払いの喧嘩でなぎ倒されていたりしたら、むしゃくしゃもするだろう。

ただし、使用者側から言わせて貰うと、渋みのある灰茶色に白みがかった結晶化のテーブルは、とても使い易くて素敵なので、是非にこれからも良い家具になっていって欲しい。


「これは、何のお料理でしょう?しゃきしゃきしていて、とても美味しいです」

「ニエッキャという野菜だ。かかっているのは、酢漬け野菜を多めに入れたタルタルと、香辛料で辛めに仕上げた挽肉炒めだな」

「ふぁぐ!…………アスパラに似た味わいで、上に載せられたポーチドエッグとこのタルタルと挽肉の辛み炒めが、とても絶妙な組み合わせでふ」

「ネアが可愛い………」

「焼いた棘牛と一緒にこの皮に包むと、お前の好きな料理にも近くなる」

「は!ここにトウモロコシがあるのは、そのような理由なのですね。チャタプ様です!!」

「っ、おい、弾むな!」

「むぐ!美味しいチャタプを作れるのに、なぜ弾みを禁止されるのだ………」

「はは、アルテアは意地悪だな。折角の休暇なんだ。伸び伸びしていればいいさ」

「…………わーお。ウィリアムが腹黒いぞ。隣にいればそりゃ楽しいよね」

「ふぁぐ。…………むふぅ。お肉様の登場の前に、既にこんなに美味しいだなんて………」



チャタプ用のトウモロコシが流用されたのか、冷たいコーンスープも、シンプルなものだがとても美味しいではないか。

ざらりと舌に残るような少しだけ荒く挽かれたスープの食感は、エメラルドグリーンの波が寄せては返す海辺で飲むと特別なご馳走のように感じる。


そんなスープは一瞬でやっつけてしまい、香草ハムにコンソメのジュレとイチジクを載せていただいていると、ネアのお皿の上に、ひょいとチキンが舞い降りてきた。



「すぱいし!」

「言えてないぞ」

「いい匂いがして、焼き立てです!…………ふぁ」

「ネア、グラスを置いた方がいいぞ」

「ウィリアムさん?………は!飲み物を手にしたところでした。まずは、ごくんとやってからこちらを置きますね………」

「可愛い、沢山動いてる………」

「ディノのお皿にも、チキンがやってきましたよ。一緒に食べませんか?」

「かわいい…………」



どうやらアルテアは、ネアとディノには焼き立てチキンをお皿に載せてくれるようだ。

他の参加者は、焼けたぞという合図と同時に自分で取りに行くことになるのだが、焼き過ぎてもいけないのでと、お皿に移動させてくれることもある。


ネアは、骨付きの香ばしく焼けたチキンにかぶりつき、幸せとはこのようなものだろうと、しっかり味の入った美味しい鶏肉をもぐもぐ噛み締めた。

海辺で遊んだ後なのでこのくらいの味付けが美味しいし、しっかり効いている香辛料の風味が何とも食欲をそそるのだ。


焼き立てのチキンは皮目がかりっとしていて、中の肉は柔らかい。

じゅわりと口の中に広がる美味しい油と香辛料の香りに、酸味のある黒パンがよく合った。


ネアがその美味しさに打ちのめされている間に、今度は、棘牛を小さなサイコロ状にしたちびステーキが焼き上がり、これは、薄く伸ばして焼いたチャタプの皮に包んで野菜やトウモロコシと一緒にいただく。


ここで、先程のアスパラそっくりの野菜の上にかかっていたタルタルソースは、挽肉の辛みが混ざって美味しいチャタプソースになるのだ。

これも野菜をたっぷり入れて巻き上げられるので、しっかり美味しいお肉を食べられるものの、さて次はこちらへと、お腹に余裕を残してスパイシーチキンに戻れるのが嬉しい。



「アルテアさんは、これからもずっと使い魔でいて下さいね。森に帰る時もあるでしょうが、その際には長期休暇の申請をお願いします」

「いい加減、その森設定をやめろ。そもそも、長期の不在にお前の食欲が耐えられるのか?」

「むぅ。その場合は、市販品でどうにかするか、オフェト…」

「ネア?」


うっかり欲望のままに他にも料理人を抱えようとしてしまい、ネアは、にっこり微笑んだウィリアムに指先で頬を撫でられてしまった。

これは、不用意な呼び込みをするととても拗れる雰囲気なので、狡猾な人間は微笑んで首を振る。

人間は時に賢く立ち回らないと、この過酷な世界では生き延びられないのだ。


「その場合は、ウィリアムさんの素敵なパスタを作って貰います!」

「ああ。そうしような」

「じゃあ、お兄ちゃんが美味しいケーキ屋さんに連れて行ってあげるよ」

「ふふ。ゼノのおすすめのお店も教えて貰えますし、アルテアさんの休暇期間くらいはやり過ごせそうですね」


ネアがそう言うと、なぜかすっと瞳を細めたアルテアにびしりとおでこを指先で弾かれるではないか。


「ぐるる……」

「お前が我慢出来るのは、せいぜい一か月かそこらだろ。その間に事故らなければの話だな」

「む?使い魔さんは自立した大人の魔物さんなので、場合によっては一年くらい迄を視野に入れていたのですが………」



ネアがそう言えば、スパイシーチキンを焼いていた選択の魔物が唖然としたような顔になる。

それっぽっちでは足りなかったかと、ネアは慌てて前言撤回する事にした。


確かに使い魔のお料理は最早ネアの生活の一部であるが、とは言え、個人の生活を損なってはならない。

人間よりも遥かに時間の概念が緩い高位の魔物にとって、ここまで密な付き合いは稀な事だろう。



「…………む、むぐ、………五年くらい要ります?」

「ありゃ、物凄く残酷な事になったぞ…………」

「ノア?………やはり魔物さんが一度森に帰るとなったら、十年単位くらいは必要なのでしょうか?」

「アルテアがそれだけ不在にするとなると、俺がしっかり傍に居た方がいいだろうな」

「…………ふざけるな。お前の守護だと魔術調整の限界があるだろうが。………いいか、不在にするとしてもひと月未満が限界だ。それ以上お前を野放しに出来ると思うか」

「まぁ!私とて、自立した大人なのですよ。一年や五年のパイの不在など………むぐ、…………すぱいし…………」


ネアは使い魔の為にもと清くあろうとしたのだが、強欲で身勝手な人間の本心が、綺麗な理想論を口にする事を許してはくれなかった。

目の前では、美味しいスパイシーチキンが焼かれているのだ。

拷問のようではないか。


「ほら見ろ。無理だろうが」

「ぎゅ、スパイシーチキンのない、海遊びが想像出来ません………。パイとタルトには季節の美味しさがありますし、ほ、他のお料理も美味しいのですよ?」

「ったく。出来ない想定をするな」


ネアは、使い魔にろくなお休みも与えられない己の不甲斐なさを恥じ、本来なら何人かの使い魔を雇い、交代制にするべきであったのではと考えた。

しかし、その意見を出したところ、ディノが涙目で首を横に振るので廃案にせざるを得なかった。


「…………せ、せめて、アルテアさんをあまり呼ばないようにします」

「やめておけ。どうせ、すぐに食う物が足りなくなるぞ」

「ぐぬぅ………」

「僕さ、最近アルテアが割り切って料理を提供し始めたの、何だか胸にくるんだよね………」

「アルテアが………」


ディノは悲しげに目を瞠っていたが、選択の魔物には料理人としての自負以外にも懸念があるらしい。


「ろくでもない奴に餌付けされてみろ。オフェトリウスにすら、種を蒔かれているだろうが」

「うーん、彼にはもう少し領分を弁えていて欲しいんだが、あの資質が有用なのは確かだからな」

「まぁ確かに、最近は何度か力を借りたからなぁ。ウィームとの縁は彼の方が古いのが、ちょっと厄介なんだよね」

「そう言えば、今日は島の反対側にいらっしゃっているのですよね?剣の魔物さんは、泳げるのでしょうか?」

「は…………?」

「オフェトリウスが、か?」

「むむ、アルテアさんとウィリアムさんは、ご存知なかったのですか?」



ここでネアは、目を瞠ったノア達の様子から、自分達以外の全員がその情報を知らなかったのだと気付いた。

エーダリアも目を丸くしているので、ネアは、昨晩、オフェトリウスからディノ宛てに届いた手紙に、本日の海遊びでこちらに来ていると書かれていたのだと伝える。


「こちらにはディノがいるので、礼儀上、事前に伝えておこうとされたようですよ」

「え、…………第一王子と親しかったっけ?」

「いえ、それ以前はどちらかと言えば国王派でしたね。ですが、先日のリモワの小箱の一件では、先に訪問を受けた王が、ヴェンツェル様の元へ彼を増援として向かわせたようです。それを機に、ヴェンツェル様の方でも、即位後の戦力などを鑑みて取り込む努力をされている可能性もありますね」

「あ、そっか。あの火竜がいれば、オフェトリウスが人間じゃない事は見抜けるか」

「まぁ、ドリーさんなら見破れてしまうのです?」

「うん。火の魔術の特殊個体だからね。剣の在り処を探し出すのは、王族の血を引く人間か、火の祝福か災いである事が多いんだ」


そんな魔術の相性を知り、ネアは目を瞬いた。


エーダリアが無言で手帳のようなものをどこからか取り出し、ささっとメモしている。

にっこり微笑んだノアが、そんなエーダリアに両方が揃うとかなり有効だよと教えてあげていた。


この場合、火竜であれば誰でもいいという訳ではなく、相手がオフェトリウスともなると、本気で擬態をして隠れてしまえば、ドリーくらいにしか見付けられないらしい。

また、それを見付けて知らせる事が出来るのは、王族に限られるという魔術の理が続く。


「探求の魔術の理の一つだね。複数の条件を満たさないと、明らかにされない秘め事は多い。大抵は、人間の中に身を隠した災いなどを探し出すのに使われるようだよ」

「色々な組み合わせがあるのが、とても複雑ですが面白いですね。ディノを探す事も出来るのですか?」


その理について教えてくれたディノは、ネアの問いかけに首を横に振った。


「私やウィリアムには、そのような条件はないよ。私は王座の者だからであるし、ウィリアムの場合は、終焉がそもそも、生ける者達の隣人であるからだとされる。とは言え、そうした探索を封じる魔術を使っている者も多いから、条件を揃えても見付けられなかったり、偽物に辿り着く事も多いだろう」

「むむ、アルテアさんはそうしていそうです」

「当然だ。そいつとは嗜好が違うからな」

「ありゃ、僕だってもう、家族がいるんだからそんなの許可してないよ。昔はさ、楽しい遊びに誘われたりもしたから放っておいただけだしね」

「以前は、探索を許していたのだな………」

「統一戦争の前くらい迄かな。その後は暫く楽しく誰かと遊びたい気分じゃなかったし、今は楽しくやるのは家族だけで充分だ。ほら、そうしないと、こうしてみんなでのんびり出来ないでしょ?」



そう笑ったノアは最近、チーズとサラミが好きになったのだそうだ。

リーエンベルクで暮らすようになって、食べ物の嗜好も変わってきたんだよと微笑んでいるが、無言でそっと首を横に振ったヒルドの表情からも察せる通り、どちらかと言えば銀狐化の影響である。


食べ物の嗜好がリーエンベルクでの暮らしに偏ったのはディノの方で、グヤーシュはすっかりこの魔物のお気に入りだ。



「むむ、なぜここで、夏の果実のムースが手渡されたのでしょう?もう少しスパイシーチキンでも良かったのですが………」

「周りを見てみろ。もう十分に食っただろうが」

「な、なぬ!いつの間にか、お料理がありません!!」


いつの間にか焼かれた端からチキンを食べ尽くしていたと知り、ネアはがくりと項垂れた。


チャタプをはぐはぐした記憶はあるが、チキンの在庫が尽きた記憶はさっぱり残っていない。

だが、悲しくて項垂れると、必然的に美味しそうなデザートが目に入る位置にある。

両手で握り締めた華奢な硝子の器の中の美味しそうなムースに、ネアは小さく心を震わせる。


「…………じゅるり」

「…………やれやれだな」

「ネア、もう少しチキンを焼いて貰うかい?」

「やめておけ。泳いでも浮かばなくなるぞ」

「う、浮きます!腰だって、まだ健在ではないですか!」

「…………おっと、…………ネア、この手は?」

「アルテアさんは少し離れているので、お隣のウィリアムさんに腰を掴んで貰いました。ディノが審査員だと、不正を疑われてしまいますからね」

「それでだったんだな。柔らかくて、いい腰だと思うぞ。………で、いいのか………」

「ウィリアムなんて…………」

「よーし、お兄ちゃんがもっとしっかり調べてあげようか」

「ネイ?」

「…………ごめんなさい」




やがて食事の時間が終わると、少しのお喋り休憩などを経て海にしっかりと入って遊ぶ時間となった。

泳がないアルテアやヒルドは、海辺の寝椅子でのんびりと読書などをしながら寛いでいる。

ネアはウィリアムに付き合って貰ってディノの泳ぎの練習を始め、ばさりと上着を脱ぎ捨てると、伴侶な魔物はきゃっとなってしまった。



(エーダリア様達は、お魚さんの観察かな………)



少し離れた位置で、エーダリアも海に入っていたが、泳いでいるというよりは、海中に興味を持っているようだ。

一緒にいるノアが、あれこれ解説しているのが僅かに聞こえてくる。



ざざん。



穏やかな波音が響き、空よりも深い青緑色の海の向こうに、この島を囲んでいる結界の境界がぼんやりと見えた。


その辺りになると海が深くなるようで、ぐっと深い海の色がまた鮮やかだ。

ただの濃い色の海ではなく、この浜辺に打ち寄せるエメラルドグリーンの光るような海水が重なった色合いだと分かるその色は、砂浜に打ち寄せる波と同じ色を幾層にも重ねたような光を孕んでいるので、覗き込んでいると吸い込まれそうになる。



(……………あ、)


その向こうでは雨が降っているのだろうか。

灰色にけぶる空の色が不思議なカーテンのようになり、ネアは目を細めた。

ディノは今日の練習でまた少し泳げるようになり、水紺色の瞳をきらきらさせている。

その間、時折ネアの乗り物や寄りかかる壁になってくれていたウィリアムは、また少し泳いでくるそうだ。


「ディノ、沢山水泳の練習をしたので、飲み物を飲んで下さいね」

「うん。…………息継ぎが出来るようになったね」

「ふふ。私の魔物は、魔術を使わなくても息継ぎが出来る、凄い魔物さんなのですね」

「ご主人様!」


嬉しそうに目元を染めた伴侶を撫でてやりながら、パラソルの下の基地に向かうと、島の奥に続く細い道の方から、誰かがやって来るのが見えた。

おやっと眉を持ち上げたネアよりも早く、寝椅子で読書をしていたアルテアが立ち上がり、続いてヒルドも立ち上がったところのようだ。



「まぁ、オフェトリウスさんです?」

「……………ヒルドに用があるみたいだね」

「オフェトリウスさんは、ウィリアムさん型の水着なのですね。白いシャツの羽織り方は貴公子然とした雰囲気なのですが、なかなかに筋肉質な感じで、こうして見ると美麗な騎士さんというよりは、恰好いい感じに見えます」

「オフェトリウスなんて……………」


どうやらオフェトリウスは、ヒルドに伝言があってこちらを訪れたらしい。

とは言えテントに戻る途中だったのでと、ネア達もそちらに行くと、ディノには深々と頭を下げ、ネアの水着を褒めてくれる。



「用件がそれだけなら、さっさと帰れ」

「その奇妙な歌声が聞こえたから、確認しに来ただけなのだけれどね」

「オフェトリウス、ラウラの歌声ではなかったかい?」

「いえ、幸いにもその種のものではなかったので、こちらで誰かが歌っていないかを確認に参りました」

「少なくとも、美しい歌声という事は、こいつではないのは確かだな」

「お、おのれ………」



となるとしかし、ネア達でも、ヴェンツェル達でもない何者かが、この島の近くで歌っていた事になる。


ディノの確認したラウラの歌声という厄介なものではないらしいが、不可解さは放置出来ない。

島を覆う結界が不思議な効果を生み、少し離れた海域の人魚たちの歌声を拾う事もあるそうだが、念の為にと、あまり広くない島をオフェトリウスとアルテアとヒルドが調べる事になった。


当初はアルテアだけが探索に行こうとしたのだが、妖精であるヒルドも参加した方が効率がいいかもしれないと、オフェトリウスから要望があったのだ。



「エーダリア様達も戻ってきましたので、ヒルドさんが出かける事を、私から話しておきますね」



ネアがそう言ってパラソルの下を離れたのは、ディノが、出かけて行くヒルドとその歌声について話していたからだ。

エーダリア達はすぐ近くにいたし、そこにはノアも一緒にいる。


少し声を張れば会話も出来る距離であったので、取り急ぎヒルド達が探索に出る事を伝えようと、ててっとそちらに向けて走ってしまった。




そうして近付いた波打ち際に、不思議な不思議な船が現れたのであった。







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