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164. いよいよ前線に出ます(本編)





「ネア、君を私の城に避難させようと思っていたのだけれど…………」



しょんぼりしている魔物にそう切り出され、ネアはこくりと頷いた。


先程、魔物達が集まってなにやらひそひそしていたので、何か不都合が生じたのは分かっていたのだ。

きっと困った事になったのだろうなとそちらを凝視していた賢い人間の目には、この事態が予測出来ていたのである。



「何か、そうは出来なくなった事情があるのではありませんか?」

「うん。………実は、あの馬車にリモワの小箱が入っているだろう?私達が知る限りは、受取人の許可なくして二度目の配達はないのだけれど、今回は、そこに馬車の呪いそのものが混ざり込んでいる。私の領域で君を守っていれば暫くをやり過ごす事は出来るけれど、もし辿り着けないまま彷徨う配達人が出てしまうと、不確定な災いを長引かせる事になりかねない。………非ざるものへの対処については、私達も完全ではないんだ」

「むむ。であれば、その対策に相応しい状態に置いて下さい」

「………あの馬車への対処を行う道筋のどこかに、君を同席させなければならない。それでも構わないかい?」

「………配達人さんが動いた際にすぐにそれが見えるような場所に、私を設置する必要があるのですね?」

「うん…………」



正直なところ、あのような思いをするのは二度と御免であったが、忘れた頃に姿を現されたりしたら、怖さのあまりにショック死してしまう。

また、誰も気付かない間にまた首を絞められていたら終わりなので、ネアはまだ胸の底に残る怖さを押し殺して頷いた。


アルテアが何とも言えない表情をしているのは、本来は受取人ではなかった筈のネアなのだが、アルテアと同席していた事で、本人の代理人として再び配達人が訪れてしまう可能性があるからだろう。


馬車が武器庫を襲うと知っていても予期出来なかった事であるし、もうこのように繋がってしまった以上は仕方ないのだが、そこは魔物なりの苦い思いがあるのかもしれない。



(けれど、…………知らないという事は、こうしてある種の免罪符にもなってしまうのだ)



それを知ると、高位の人外者達にすら予測出来ない事が多い世界なのだとあらためて思う。

今回の一件は、まさかそこまでの品物をアルビクロムで所有出来る筈がないという、皆の楽観が招いた危機であった。


ネアにだって、高位の魔物達ですら手を焼く程の災いを土地の魔術の希薄さで弱ったところで手に入れてしまい、尚且つ、邪魔な者達のところへ配達させようとしたけど上手くいかず、配達を命じた配下達ごとそのまま倉庫に仕舞ってあるだなんて想像もつかない。


だが、そこに誰かの思惑や気質が絡む以上、こんな事もあるのだろう。

事の経緯が明らかになってダリルでさえ唖然としていたのだから、無知というものがしでかす大番狂わせが、時として老獪な者達の思惑をも挫くのであった。



何だか、いつの間にか最大の災いは馬車ではなく小箱の方になりつつあるが、こうして災いを運ぶからこそ警戒され予言や予兆を必要としたのは間違いない。



「今回の一件は、何かとこちらの手立てが外されるなぁ。…………まぁ、こういう事もあるにはあるんだけど、これだけ大所帯で誰も損ないたくない場面では、やめて欲しいんだけど………」


がたんと椅子の上で体を反らし、そう口にしたのはノアだ。

エーダリアの元へ訪れた配達人は、道筋を逸らして祟りものや呪いを食べる別の呪いへと誘導してしまい、まんまと退けてみせたネアの自慢の義兄だ。



(……………む?)



ここでふと、ネアは何かを思い出しかけたが、上手くいかずに首を傾げた。

そしてアルテアは、罪悪感に近いものを感じているにせよ、ネアが動きを止めると何かを食べさせてくるのはやめて欲しい。

こちらの人間にも、餌やり禁止の時間はあるのだ。



「むぐ。…………一口ぜりはもうお腹いっぱいです!」

「ったく。じゃあ、パテか」

「……………パテ様?」

「ありゃ、いくら自分の事情で巻き添えにしたからって、僕の妹を餌付けで宥めるのはやめてくれるかなぁ。………っていうか、求愛行為かなこれ」

「アルテアなんて………」



ディノは少しだけ荒ぶってしまったが、ネアがパイ生地に包まれた素敵な一口パテをもぐもぐして目を輝かせると、ほっとしたように微笑む。


先程のディノは、リモワの小箱が届くと展開する隔離層を、自身の落とされた層からネアの迷い込んだ層まで必死に探しに来てくれたのだ。

ノアがそれはかなりの力技だと教えてくれたので、きっと、ネアが怖がらないようにと怪我を治してしまう迄は、傷だらけのくしゃくしゃだったのかもしれない。



「…………そうして事態が揺らぐのは、運命の理に抗う者達がいるからかもしれないね。予言で事態を少しでも和らげようとしてる私達もそうだし、あの呪いの中でも、核となっていた人間の魂を分離してみせた妖精がいる。その度に風向きや行程が変わり、そうして今に至るのだろう」

「うーん、それもまた、予言や予兆から始まる運命線の厄介な所だよね。最悪を覆せるっていう意味ではいい事だけど、手元が狂わされる側になるのは心許ないなぁ。…………ネア、どうしたんだい?」

「むぐぐ…………何かを忘れていたような気がするのです。…………何か、あの訪問で吹き飛んでしまった、知りたい事があったのですが、………」


眉を寄せてそう首を傾げていると、気付いたアルテアが、ああと声を上げる。


「光竜の事じゃないのか?であれば、恐らく、光竜の固有魔術を切り出したのは、エイコーンの府王候補者の第一席だ。調べてみた所、時間が足りなくて直接的な言及までは拾えなかったが、先祖返りという囁きが幾つか浮かび上がった。また、幼い頃に乳母が狂死しているらしいからな。…………ごく稀に、先祖返りとして不安定な力を得ると、魂の資質そのものが極端に偏る事がある。或いは、何の影響もないと思われた祝福や守護が、結果として何かを活性化させたり、身に持つ古い履歴に触れて死んだりする事もな」

「という事は、その方は、先祖返りで竜さんの資質が表に出てきてしまっているのです?」

「状態としては、かなり竜そのものに限りなく近いのかもしれないぞ。でなければ、光竜のものだという程の祝福は難しい」

「ありゃ。って事は、光竜そのものじゃなくて、その系譜ってだけなのかぁ………」



ネアはここで、という事は、ウィーム王家にはそれだけ光竜の血が色濃く流れているのではと目を輝かせたが、苦笑したノア曰く、エーダリアのように、恐らくはその血筋なのだが、その資質をあまり多くは受け継がなかった王族もいるらしい。


エーダリアの場合は、光竜の持つ資質そのものを全く得ていない訳ではないのだが、竜としての気質や体質などの特徴的なものは現れなかったのだそうだ。

そしてその場合、光竜はその血筋を慈しみはするものの、同族としての認識はしなくなる。

竜種の始祖に近い光竜は、薄い血の繋がりだけなら、同族の中にも幾らでも探せるからだった。



「まぁ。エーダリア様がバーレンさんともっと仲良しになれるかなと思ったのですが、血そのものは引いていても、そうなってしまう事もあるのですねぇ…………」

「バーレンとそんなに仲良くなられても困るけど、そうして出る出ないは、組み合わせの問題もあるんだろうね。他にも、どこかで血が混じっていても不思議はないのに、エーダリアは旧王家の資質もあまり持っていないみたいだし」

「と言うと、カインの方に向かったあちらの一族の方の要素ですか?」

「うん。そっちの一族はウィーム王家としての肩書は抹消されているから、正確には王家の血筋とは言えないんだけど、ウィーム中央にもそっちの血筋から市井に下りた者達はまだ残っているんだ。でもエーダリアには、その特徴的な資質はあまりないかなぁ。寧ろ、ネアの方が似てるかも」

「むむ…………?」

「ほら、アレクシスとかジッタとかだからさ」

「まぁ、…………私と似ていますか?」

「問答無用で、あれこれ狩っちゃうところとかさ」



そう言われると、何だかより土地に親和性を見出したようで吝かではなかったので、ネアはここに暮らす運命だったのだと胸を張っておくことにした。


そうこうしている内に、リーエンベルク前広場では無事に野外演奏会が終わったようだ。

馬車がウィームに到達して騒ぎが起こる前に無事に閉会出来たことに、ネアは、ほっと安堵の息を吐く。



「そしてふと思ったのですが、今回のような事態こそ、オフェトリウスさんは強いのではないでしょうか?」

「だろうね。でも今回は、さすがに王都が離さないんだよね」

「……そうでした。事件が起こる前に助力を求めようにも、アルビクロムに馬車が現れた段階で、きっと王都に呼び戻されてしまいますものね」

「うん。それだと意味がないからね。今はもう、リモワの小箱のせいで、ますます王都を離れられないかな。条件的にグラフィーツも使えるかなって探したんだけど、定期的に引き籠る時期に当たったみたいで、今は姿が見えないんだ。シルが探しても見付からないから、あわいのどこかに入っているんだろうけど………」



であればやはり、当初のメンバーで対応に当たるしかないのだ。

リモワの小箱を取り込んだ呪いである以上、少なくとも、ディノかアルテアのどちらかも最前線に向かう事になる。


だがここで厄介なのは、ディノは呪いの馬車側に不確定な変化を招きかねないという相性の悪さがあり、アルテアは、そもそも敷かれる魔術の規則が違う可能性の高い、非ざるもの系への対応が不得手なのだそうだ。


どちらにも最適ではないが、どちらに対しても最悪でもない相性の終焉の魔物は、鳥籠の中でかなり苛烈な戦線に加わっている為に、そちらが終わるまでは駆け付ける事が出来ない。

ノアは、軌道をずらす事には長けているものの、諸共滅ぼすという技には長けていない。



「ここまで拗れた物が相手の場合は、災いを取り込む事に長けた白夜か、対価は必要とするけど物の置き換えに長けた犠牲が向いているんだがな…………」


そう呟いたのはアルテアで、ネアは、なぜ箱物は厄介な呪物が多いのかなと首を傾げていたところだった。

よく分からないが、箱という形状そのものが、得体の知れないものを内包してしまう事に長けているのかもしれない。



「グレアムさんは、今はカルウィで重要なお仕事があるのですよね?」

「うん。彼は、統括の魔物でもあるからね。あの国の扱いについては、何かと難しい局面も多い。今回は、抜け出すのは難しいだろう」

「因みに、ウィームへの到達時間如何では、真夜中の座の力を借りる事も考えたんだよ。でも、夜までの時間を魔術的に稼いでも、それだけの間、土地に呪いを触れさせる事になるのは変わらない。となると、あの馬車自体、リモワの小箱を取り込んだまま寝かせておくのは宜しくないからね。…………まぁそちらは、もし夜までに片付かなければ、打つ手になるって感じかな」


ウィームに馬車が入るのは夕刻から夜の入りの頃だとされていたが、そこから真夜中までの時間稼ぎであっても難しいという判断なのだろう。

そんな会話だけでも、これから訪れる物がどれだけの災厄なのかを考えさせられてしまい、ネアはごくりと息を呑む。



そしてそこに、無事に野外演奏会を終えて戻ってきたエーダリア達が加わった。



「すまない。待たせたな。…………たった今、ダリルからの連絡が入った。領の境界域にかかる山間部では、馬車の速度が上がっているようだ。我が国へ入った時間も予測よりかなり早かったが、どうやら馬車そのものの記憶が影響しているのか、山間部などでは馬車の速度が上がるらしい」

「ありゃ、そんな影響も出ているのか。…………妖精が、馬車に乗っている主人を逃がそうとして呪いに転じた訳だから、そういう特性もあるのかもね。…………封印庫では、何か結論が出たのかい?」



(そうか。人気のないところで襲われたのなら、誰かに助けを求める為に、人がいる場所に行きたいのだ………)



けれどももう、呪いに転じた馬車を助けてくれる人はいない。


誰にも助けて貰えず、守ろうとしたあの少女の要素が引き剝がされる迄、馬車に残された者達はどんな思いで助けを求め続けたのだろう。

それを思うと、通りがかり、あの少女を引っ張り出してくれたウェルバに感謝するしかなかった。



「ああ。あの状態はあくまでも、魂の入れ物に近いというのが結論だ。何かに転じかけている魂を、特殊な祝福や守護で切り取り、一時的に入れ物に保管しているようなのだそうだ。今後、その状態が崩れるような事になると、核として馬車の中に引き戻される可能性が高い。また、そうならずに新たに単体で呪いに転じる可能性もある」

「ネア、ごめんね」


ふいにそう謝られ、ネアは目を見張った。

こちらを見たノアは、どこか困ったような優しい目をしている。


「…………ノア?」

「その場合はさ、あの子は今の内に排除しておいた方が安全っていう意見も出たでしょ?」

「ああ。だが、彼女に守護を授けた光竜がどこかにいるのであれば、その狂乱の方が大きな被害を出しかねない。とは言えあの状態だ。外殻の守護や祝福は、こちらで強度を補填出来る物ではないからな。馬車を鎮め終わる迄、どうかこのままでいてくれと願うしかないのだ………」



窓辺に落ちる木漏れ日は、美しく柔らかであった。

その穏やかさに目を細め、ここから遠く離れた筈のウィーム領の境界を思う。



「…………竜さんである可能性が高い、第一席の方が見付かり、その方に失せ者探しの結晶石を渡せたなら良かったのですね…………」

「かもしれないね。だが、その者も見付からないのだろう?」

「ああ。エイコーンでは、馬車の家紋を落としに行ったまま死んだとされている。…………だが、死んでいれば、あの呪いの中から切り離せる程の強固な守護は維持出来ない筈だ。そいつが馬車の中に取り込まれている気配はないが、であればどこにいるかだな」



そんな議論を聞きながら、ネアはふと、配達人の声の前に聞こえた誰かの言葉を思い出していた。



(そう言えばあの声は、旦那様はもう少し走れば楽になれると話してくれたと言っていなかっただろうか…………)


普通に考えればその旦那様とやらは、第二席である、あの女性の父親にあたるのだろう。

だがもし、子供達の父親である第一席の人物を指していたらどうだろう。



(それに、目的地が雪の国…………ウィームであると、その人に言われたかのようだったではないか)



そこに気付いてしまうと黙ってはいられず、ネアは、自分が聞いた言葉を慌てて仲間たちに共有した。

いつもならとっくに話していた事だが、こちらもうっかり、配達人とリモワの小箱事件が先に立ってしまい、報告し損ねていたのである。



「……………ほお。となると、ウィームに向かわせたのはそいつの意向か」

「うーん。………とは言え、ウィームに向かっているのは馬車そのものの意思なんじゃないかな。でなけりゃ、呪いから引き剥がされた核そのものが、こちらに迷い込んだりしないよ」

「であれば、ウィームに到達させる事を良しとし、その者は馬車を止めずに行かせたのでは?とは言え、呪いそのものが自らの意思でウィームに向かったのだとしても、どうやら、一度どこかで接触しているようですね」

「…………計算したのかもしれないな。あの国の特殊な魔術の展開といい、暮らす人間の魔術的な素養がかなり高いのは明らかだ。馬車の進路を計算し、アルビクロム、ウィームと進ませる計画を立てたのなら納得がいく」



そう言ったアルテアに、エーダリアが鳶色の瞳を瞠る。



「だが、アルビクロムからウィームへの道は、真っ直ぐですらないのだ。なぜ、その者に、馬車が確実にウィームに向かうと考えられたのだろう?普通に考えれば、それ迄に我が国で調伏してしまうかもしれないではないか」

「それなら、きっとそいつは馬車の近くにいるんじゃないかな?流石に衆目のあるアルビクロム国境域では離れていたかもだけど、馬車がヴェルクレアに入ってからは進路を守る為に近くで見守っている筈だ」

「……………まぁ、そうなると、ウィームに馬車が入るのを止める際に、お探しの方はここにいると示さないと、その方が荒ぶってしまうのでは?」

「……………ありゃ。そうなるか。アルテア、そうならないように、そいつを探せるかな」

「保証は出来ないだろうな。俺が馬車に接触した際にも近くにいたのだとすれば、その場では馬車の中に取り込まれているかどうかを探っても、見付け出せなかったという事になる」

「うーん、となるとグラストと一緒に向かう、ゼノーシュの目次第だろうけれど、そちらはそちらで、グラストから目は離さないだろうしなぁ」


はぁと大きな溜め息を吐いたノアは、馬車の方の影響を受け易くなる場所に、その核であった少女を連れてゆきたくないのだと話してくれた。



「欠けたものは、足りない部位を取り戻したがる筈なんだ。ましてや取り込んだリモワの小箱ごと、配達人に指定された軍人達も飲み込んでいるからさ。そちらの意識に邪魔されて、もう彼女を逃した者達は出てこれないかもしれない。となると、ただただ、引き摺り込まれる可能性があるよね」

「お、おのれ箱め!!」

「僕も同じ気持ちだよ。………あの箱を仕舞い込んでいた連中は、箱の追い出しの贄にするにしても、それでもこれだけ迷惑をかけたんだ。許し難いなぁ」

「………あの箱めを追い出すのに使えるのです?」


ネアは、こちらに害を成したアルビクロム軍人達などどうにでもしてくれ給えの心持ちであったので、こてんと首を傾げてその措置について尋ねてみた。

すると、今回の事件の責任を取り、どちらにせよ死刑相当の扱いになる事が免れられない責任者達は、配達先として誤認させる魔術を組み、リモワの小箱の犠牲にされるのだそうだ。



(そうか。…………馬車はどうにか出来ても、その箱については、対処が難しいのだ…………)


王都で既にその措置が決められているとなれば、方法についてもある程度固まっているのだろう。

ネアは、その指揮を執るのがエーダリアでなければいいのにと思ったが、そんなネアの視線から察してくれたらしいヒルドが、そちらの指揮を執るのはガーウィンの部隊になるのだと教えてくれた。



「あちらも、教え子を狙われていますからね。そして、誘導に近しい改悛や侵食の魔術は、信仰の使徒達の得意とするところでもあります」

「…………エーダリア様にその役目が回ってこなくて、ほっとしました」

「そのあたりは、あの王も、それぞれに適した役割を理解しているでしょう」


当然だという表情でそう告げたヒルドに、エーダリアは僅かに苦笑している。

暗に、その執行に携わる冷酷さはないと言われたのだが、本人からしてみれば、国王派にそうした弱さを知られているのも複雑なのだろう。




「さて、これからは前例のない呪いの討伐になる。私も現場にはゆくが、隔離領域から出る事は出来ないだろう。…………ネア、ディノの力を借りる事になる。不安な思いもあるだろうが、宜しく頼む」

「はい。こちらこそ、宜しくお願いします。無力な私が近くにいる事で皆さんに迷惑をおかけしないよう、自身でも注意していますね」


配達人を警戒し、ネアはそちらに同行する事になった。

また、その討伐の現場には、あの少女も伴う事となる。


少女については、ただ同行されるというだけではなく、ある程度の事情を話した上で、どこかに身を潜めている光竜が出てくるように、呼びかけさせなければならない。

その説明を受けた少女は、それならばこちらの責任で引き受けようと、凛々しく頷いたのだとか。

なお、そんな少女のひたむきな姿にグラストが少しだけ同情してしまったので、ゼノーシュはちょっぴり荒ぶっている。



アルビクロムとの領の境界は、ウィームらしく、深い森の入り口でもあった。

幸いにも立派な木々が茂り始める前に草地が広がっており、エーダリアは、森の生き物達に悪変が出ないように、この場で何としても討伐を終えてしまいたいらしい。


戦場となる舞台を隔離結界で覆い固定する事は、そこで戦う者達の逃げ場を奪う行為にもあたる。

だが、それでもとこの場を訪れてくれた騎士達に、エーダリアはまず一人ずつ頭を下げた。



「すまないが、お前達に任せる事になってしまう」

「いえいえ、何と言うか、…………最高位に近しい魔物がお二方もおりますから」

「はは、と言うか魔物の王と三席だな!正直私は、そちらの方が恐ろしいぞ!!」

「サハナム!………その、申し訳ありません」


そんなやり取りをしているのは、かつて一緒に仕事をしたアンゲリカだ。

短い黒髪にアイリス色の目をしたすらりと背の高い男性で、騎士としての階位が高いだけでなく、精霊の槍の主人としてかなりの長命者なのだとか。

青い騎士服に、ブーツにはガーウィン域に近い土地の騎士の特徴として、こっくりとした緑色の薬草刺繍が施されている。


ネアは、初めて目にする彼の持つ槍が転じたという足下までの真っ青な髪の美少女を凝視してしまったが、事前にノアから、グレアムと因縁のある相手なのだと聞かされていたので、お友達になるのはやめておいた方がいいだろう。

ネアの人付き合いの輪はとても狭いので、ある種、先着順で優先順位が決まるのだ。



「…………君には、そう言えばいいのだね」

「む?ディノ、何か悪い学びを得ていませんか?」

「何でもないよ。さぁ、君はこちらにおいで。馬車が来る迄は椅子になってあげるよ」

「ディノ、お仕事中に椅子は禁止ですよ?なので、傍に居てくれるのであれば、手を繋いでいましょうね」

「………ネア、素直に甘えていていいんだよ?」

「何かをとても誤解されている気がします…………」



開けた草原の上には、広大な魔術陣が敷かれている。

その維持についてはエーダリアが行い、ガレンの長の力に於いて、土地の魔術の損傷が少なくて済むように詠唱を続けることになる。


また、森の生き物達の避難にあたっては、ヒルドが呼びかけ協力を仰いでいた。

リーエンベルクからは、ゼベルもこちらの現場に駆け付け、もしもの場合の交代要員として、今は背後の森の整理と警備にあたっている。



(…………これだけの災いと化した呪いなのに、王都からの増援などはないのだ…………)



ネアにはそれが意外だったが、手を貸してもいい筈のヴェンツェルですらそうしなかったのは、ウィーム側に見られては都合の悪い協力者がいるのを知っての事なのかもしれない。


そして、その内の一組も、どうやら間に合ったようだ。



「ネア、襲われたと聞いた」

「ダナエさん!まぁ、バーレンさんも!」


ばさりと翼を振るって降り立ったのは、別種の竜に擬態したダナエだ。

一緒にいるのは光竜のバーレンで、青い瞳はどこか物憂げにも見える。


「近くにいるという、光竜の系譜の者を探しながら来たので、ぎりぎりになってしまった。どうやら、かなり慎重に姿を隠しているようだ。私が竜の姿でいてもこちらに近寄る気配はなかった。………光竜の同族の在り方を知らないのかもしれないが、魔術的に何かを感じない筈はない。手を借りられるかもしれない俺の姿にも反応しないとなると、竜の宝を奪われたことで、そちらの正気も危ういのかもしれないな。早々に、宝である者に声を上げさせた方がいい」

「ダナエ、バーレン。今回は力を貸してくれて助かる。では、そのようにしよう」

「ああ。もしもの場合は俺も抑えに入るが、竜の宝が理由で狂乱する竜は、その宝にしか鎮められないものだ。…………だからこそ、竜からは祟りものが出やすいのだからな」



少しだけ悲し気にそう呟き、バーレンの青い瞳は周囲の森に向けられたようだ。


光竜とほぼ変わらない守護を扱える者がいるのであれば、バーレンにとっては家族や仲間たちを失って以来、初めて出会う近しい存在である。

そんな相手が、既にどこかで狂乱しかけているとなると、気が気ではないのだろう。


竜の外套で擬態しているダナエは、淡い金色の髪に桜色の瞳の美しい男性の姿になっていた。

ダナエと言えばの白い片角はなく、けれどももしもの時にある程度は動けるように、竜としての擬態であるらしい。


「馬車の中に入っている箱めのせいで、その配達人さんに襲われてしまいました。でも、すぐにディノが助けに来てくれたのですよ」

「良かった。…………今回は、あまり力になれなくてすまない」


心配してくれたダナエにネアがそう説明すると、優しい春闇の竜はほっとしたように眉を下げる。

あちこちに視線を投げているバーレンの背中に、保護者のように手を当てつつ、けれどもネアの事もとても心配してくれたのだろう。



ざざんと、一際強い風が吹いた。


空はずしりと暗い雲に覆われており、周囲はざあっと雨でも降りそうな暗さだ。

この季節に見合わぬ冷たい風が吹いていて、何か良くないものがこちらに近付いているのを肌で感じる事が出来る。



(だからもし、この世界に来たばかりの私がここにいたら、たった二人の騎士しかいない最前線に眉を顰めたのだろう)



だが、こちらの世界ではこの布陣が最適解である。

馬車の呪いだけならまだしも、非ざるものがそこに加われば、魔術の叡智と人ならざる者の祝福や守護を受け、単騎でも大きな災いに立ち向かえる者にしか立てない戦場なのだ。


ゼベルの他にも、リーナがエーダリアの護衛として立っているが、彼は他の要因での襲撃などがあった場合にのみ対処する。

竜種の血を引く彼はリーエンベルク自慢の騎士の一人であるが、竜の宝の絡むこの現場では、前線に出すには心許ない。

ガレンから魔術師を招聘するという案も出たが、恐らく魔物達の精神圧にあてられて使い物にならなくなるだけだろうと断念された。



(これでウィリアムさんも来てくれたなら、これだけの布陣で馬車を止められないという事はないだろう。でもそれは、………光竜さんの狂乱を防げるだとか、この土地に後々まで続く大きな呪いの痕跡を残さないというのとは、違う問題なのだ…………)



アルテア一人でも、あの馬車を体よく追い払う術は幾つかあるという。


しかし、予言を成就させ、尚且つ今後のウィームに禍根や怨嗟が残らないように処置するとなると、この場でただ壊したり、他国に投げ込む訳にもいかない。

人間の国や国際情勢を考慮せねばならない場面では、公爵位の魔物も、出来る事は限られているのであった。



「ローレンス!」



ある程度計算されているのか、角度的にネアには顔が見えない場所で、あの少女が頼りなくて頼もしいと話していた、大好きな従兄弟を呼ぶ声が聞こえた。

彼女には、なんと、封印庫の魔術師が一人同行している。


そうだ、その名前こそが、光竜の先祖返りであるエイコーンの府王候補の名前なのだと思い、ネアは澄んだ呼び声がその人に届くようにと願った。



(あの人を守ろうとした妖精さんも、恐らく、馬車の中に取り残されて呪いに飲み込まれてしまった息子さんも、誰も悪くはなかったのに…………)



それなのになぜと思いかけ、ネアは胸の中にもやりとした不安がある事に気付いた。


けれども今、皆が懸念しているように、あの馬車の中にいるのはもう、彼等だけではないのだ。

馬車本来の意志が、救いを求める切なる声であるのならば、リモワの小箱はどうだろう。

或いは、その箱を届けるよう命じられ、取り込まれたままアルビクロムの倉庫に仕舞い込まれていた者達の怨嗟は、何をと望むのだろう。




(…………それは多分、………任務を完遂する事だ)



彼等は軍人で、恐らく、自分達が命じられたのが、暗殺にかかる任務だと知っていた。

知った上でそれを行おうとした、忠実で冷酷な軍人達である。


ネアが聞いた配達人の声は、ただひたすらに冷たい荷物に辟易としていたが、ネアを見付けるなり縊り殺そうとしたのは、自分の任務に支障が出るかもしれないと考えたからではないのだろうか。

そんな者達が、まだあの馬車の中に、リモワの小箱に寄り添う形で残されているのだとしたら。



そう考えるとネアは、一刻も早く、あの少女とその従兄弟が再会出来る事を祈るばかりであった。








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