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ポターの市とハムの精霊 1




ちょっぴり不穏なインクの瓶の竜の予言があったものの、それ迄の間には勿論普通の日もあるもので、ネアはその日、珍しい保護者とお買い物に来ていた。



「ネア、ポターの市場は初めてなら、このチケットを失くさないようにな」



入り口の花のアーチを潜り、そう渡されたのは水色の紙に濃灰色で文字の入ったチケットだ。

そんなものが運用されていたとは知らずに、ネアはお金を払っていないとぴっとなってしまったが、必要なのは申請だけで入場券ではないらしい。



「は、はい!………まぁ、なんて可愛らしいチケットなのでしょう。可憐なお花の絵が描かれています」

「ここに描かれる絵は、毎年違うんだ。昨年は流星の絵だったが、今年は薄荷百合の花か」

「薄荷百合というからには、薄荷の香りがするのでしょうか?」

「食べた事はないか?植物の系譜だが、夏の夜明けにだけ咲く、祝福の形の一つなんだ。指先で花びらを割って口に含むと、薄荷味の砂糖菓子のような味わいがする。もしどこかで見付けたら、試してみるといい」

「食べてしまっても、困った事になりません?」



ネアが恐る恐る尋ねてみると、夢見るような灰色の瞳をした魔物は、優しく微笑む。

それだけでも爪先をぱたぱたしたくなるくらいに穏やかな微笑みのこの魔物が、ネアは、いつだって大好きだ。


それはきっと、グレアムが、まだ孤独の扱い方を良く知らなかった頃のディノの傍に寄り添っていてくれた、優しい魔物だったからという思いもあるのだろう。

だが、こうして育まれる自身との思い出もあり、ネアにとっても頼もしくて優しい大好きな魔物の一人となった。



「実は、その日一日は、夏の暑さを軽減出来るという祝福が得られる」

「むむ、それは何だか素敵なので、是非に試してみなければなりません!」

「ああ、爽やかな香りで良質な砂糖菓子のような味がすると、森の生き物との取り合いになる。見付けたら、さっと花びらを割って口に入れてしまうのがこつなんだ」

「はい。では、そうしてみますね」



(……………大好き、………か)



ふと、ネアは心の中で我が物顔で使うようになった、その表現をおかしく思った。


この世界に来たばかりの頃のネアは、そんな表現を他者に対して使う自分は想像出来なかったし、他の誰かのように人を愛せない自分が欠陥品のようで何だか悲しかった。


けれどもいつの日からか、そんな言葉を得意げに扱える程、大切な人達が増えていたのだ。


だからもうネアは、あちらでごつん、こちらでごつんと目隠しで体をぶつけながら歩いてゆく必要はないし、夜が明けて朝が来た時にちょっぴりがっかりしたりもしない。

ひりつくような孤独が平坦になっただけの静けさはなくなり、どこにも属せない一人ぼっちの誰かではなくなった。



(とは言え、………今も、大切な人の輪の外側の人達は、恐らく本当はどうでもいいのだ………)



そんな心の冷たい自分が、本当の意味で真っ当な人間になれたなどとは思わないのだが、幸いにもこちらでは様々な種族の価値観が入り乱れているので、こっそりその影に隠れていられる。

そんな事を考え小さく笑うと、さくりと、柔らかな下草を踏んだ。



二人が歩いているのは、ポターの市場という期間限定の移動市場だ。


この市場は人間達の開催するものではないが、世界各地を巡り巡ってくる移動市場として、人間の生活圏でもかなり知られた存在である。

謂わば、入場制限のないサムフェルの移動蚤の市版という位置付けなので、これはもう参加しない手はない。


とは言え、この種の流浪の民たちの商いには幾つか約束事があり、ネアの良く知る魔物達の殆どは、何をしでかしたものかほぼ全員が出入り禁止措置を申し付けられている。


よって、今日はグレアムとの買い物になったのだ。



「だが、ノアベルトはいるんだろう?」

「ええ。ですが、今日はエーダリア様専用なのです。このような場所に来ると、エーダリア様はとても興奮してしまうので、ノア一人で二人の面倒を見るのは危険過ぎるという判断になったのだとか………」

「成る程、魔術師にとっては宝の山だからな。価値のあるなしにかかわらず、興味を惹かれるものが沢山ある筈だ」



それでもエーダリアやノアと一緒に居ても良かったのだが、今回はディノが、グレアムへの依頼を提案した。


このポターの市は、カルウィの前身となった土地で派生した市場の契約魔術が基盤になっているので、そちらの作法や生き物がいた場合には、現在のカルウィ域で統括をしているグレアムが最も対応に長けている。

ウィリアムも砂漠圏の暮らしには明るいが、商人達とのやり取りや、品物に宿る魔術の感知などを考えると、グレアムの方が適任であるらしい。


ネアは当初、いきなり買い物の同伴なんかを頼んでいいのかなとはらはらしたものの、ディノからその話を受けたグレアムがとても嬉しそうだったので、はっとした。


この犠牲の魔物は、ディノの事をとても大事にしていてくれる人なのだ。

そんなディノからの提案は、グレアムにとっても嬉しいものだったらしい。



「わ、私は、ビーズ屋さんを見るつもりなのです!」

「ああ。あのビーズ屋はお勧めだ。運が良ければ珍しい祝福の使われているビーズを見付ける事もあるし、今はもう失われた職人の技術で作られた物も多い」

「それを聞いただけでももう、興奮して息が苦しくなってきました………。グレアムさんが見たいお店はありますか?」

「そうだな。珈琲の専門店がまだあれば、少し買い足しておきたい。だが、あの店は休みの事も多いんだ」



移動市場であるので、ポターの市場は、きちんとウィームに申請を行い、博物館前の広場を貸し与えられてそこで開かれている。

なぜか、石畳だった筈の広場は小花の咲く草原のようになっており、そこには、ぱっと気分を持ち上げるような色とりどりのテントが立ち並んでいた。



(…………わ、可愛い!)



市場を見渡したネアが、思わず弾んでしまうのも仕方ない。


それぞれの露店のテントには、野の花を摘んできたようなリースが幾重にもかけられていて、どこか夏至祭などの花びらを振り撒く系の祝祭を思わせる楽しさもある。

グレアムによると、土地の魔術に市場の土台を馴染ませる為の魔術儀式であるようなので、装飾ではなく必要な設営の形なのだろう。



「…………キュ」

「ふふ。ディノにも見えますか?花輪がいっぱいで楽しくなってしまいますね」

「キュ!」



胸元から顔を出したのは、ムグリス姿に転じたディノだ。

幸いにもこの姿であれば入れると分かったので、ネアは勿論、初めてのポターの市場でのお買い物には伴侶も同伴する事にした。



どこかで楽しそうな笑い声が聞こえ、美しいバイオリンの音色に拍手が上がる。

謎に鸚鵡を頭に沢山乗せた老人がいるかと思えば、色鮮やかな布を張り巡らせた怪しげな占い師のテントまで。


甘い香りに甘酸っぱい香り、清廉な夜明けの香草園の香りに、香ばしいキャラメルのような香りと、奥深い香辛料の香り。

様々な香りが入り混じり、草原の爽やかな風にさあっと洗い流されてゆく。

それを打ち寄せては返す波のように繰り返してゆくと、ただただ、不思議な解放感が残った。



(何だろう。これだけお店がぎっしり集まっているのに、不思議な開放感があるのだわ………)



ここは、戻るべき国や集落を失ってしまった行商人達の集まる市場だ。

また、自分の意思で流浪の民となる事を決意し、ポターの市場に入る者達も少なからずいる。



様々な国から様々な品物や技術を売る商人達が集まっており、中でも質がいいと評判なのは骨董品であるらしい。

特定の住処を持たずに世界中を巡りながら商売をする者達だからこそ、時の流れの中で失われてゆくような品々をどこからともなく見付け出してくる事も多く、一流商会で扱う特別な銘を持つような逸品と迄はいかないものの、それでも掘り出し物が多い。



「大きな品物はやはり、アクスや山猫商会、アルテアの事業や個人の収集家などに回収されてしまうんだろうな。その代わり、彼等の手の届かないような品物は、この市場に出てくる事が多い。小さな道具類や、魔術書のように丁寧に編纂されていない記録書や、記録絵。ネアの気になっているビーズや、宝飾品から取り外された小さな宝石類もある。変わった物だと、銘を持たないような武器屋や妖精達が紡ぐのに飽きて放り出していった糸などの専門店もあるぞ」

「ふぁ!………ど、どこから巡ればいいのです?」

「キュ!」


すっかり大興奮のネアに、グレアムはくすりと笑うと、まずはビーズ屋を見てしまい、後は端から順番に回っていこうと提案してくれた。

それでも強欲な人間は気持ちが焦り過ぎて少し早足になってしまったが、一緒にいるグレアムは、微笑んで歩調を合わせてくれる。


道中で、紙を束ねた物をこれでもかと重ねた店があり、その奥にちらりとノアが見える。

目が合うと悪戯っぽく微笑んでいたので、きっとあの紙の山の影にエーダリアがいるのだろう。



幾つかの店の間を歩けば、お目当てのテントはすぐに見付かった。


砂色のテントの屋根に色鮮やかな赤紫色の花輪をかけた店は、水晶で出来た平たい箱が大きなテーブルに幾つも置かれており、そのテーブルの周囲には既に何人かのお客がいるようだ。


観劇のポスターのような店の看板には、夜の幕間で手のひら一杯にビーズをすくい上げるシルクハットの男性の姿が描かれている。

後ろの通りを行き交う人々は星屑を傘の上に乗せていて、まるで物語の一場面のような不思議な美しさがあった。



「いらっしゃい。ナナバのビーズは売り切れだよ」

「まぁ、そのような素敵な物があったのですね。ですが、ここにあるどのビーズもとても素晴らしいので、充分にお買い物を楽しめそうです」


店の奥に腰掛けていた老人にそう言われ、ネアは、微笑んで言葉を交わした。


そのやり取りを聞いた途端、何やら必死にビーズを見ていた一人の青年の表情がすとんと消え失せる。

ネアは、グレアムと顔を見合わせ、ナナバのビーズとは何だろうと首を傾げたが、すぐに水晶の箱の中に入っている色とりどりのビーズに夢中になってしまった。



「…………ほわ、とても綺麗です」

「キュ…………」

「見て下さい、ディノ。ここに指を翳すと、ビーズの煌めきが透けて指先が染まるのですよ」

「キュ!」


テントの砂色の布を透かして落ちる陽光は、柔らかな光でビーズを照らしていた。

ビーズの入っている水晶の箱が光を良く集めるので、屋根代わりの一枚の布の色でビーズの輝きがくすんでしまう事はなく、様々な角度から優しい光を集めるビーズはどれもが宝石のように光る。


この店のビーズは、円形に面取りのある宝石玉のような形のものだ。

形状はその一種類であり、大きさと色、そして模様があるかなしかに分かれる。


淡い水色という色の括りだけでも、大きな水晶の箱いっぱいのビーズがあるのだ。

真面目に選んでいたら陽が暮れてしまうと察したネアは、全ての色の箱から一個は買うと決め、尚且つ大好きな色合いの箱からは決められた時間内で気に入る物があればそれも買うという自分ルールを設けた。


(うん。ビーズとしての値段はアクス商会よりも安いくらいだもの。これくらいならお会計で驚く事はなさそうだけれど、個別の値段はきちんと確認しながら箱に入れよう………!)



まずは、そんな作戦計画をグレアムに宣言すれば、きらきらと光る箱の煌めきを受けていっそうに美しい瞳で微笑んだ犠牲の魔物は、君は賢いなと褒めてくれる。


美しい同伴者に褒められてふんすと胸を張ったネアに、胸元のムグリスディノも三つ編みをしゃきんとさせてご機嫌だ。



「ディノも、気に入ったものがあったら教えて下さいね」

「キュキュ!!」

「むむ、早速お気に入りですね。………まぁ、…………私の瞳の色のような綺麗なビーズです!」

「キュ!」


ムグリスディノが見付けたビーズは、淡い菫色混じりの灰色だが、はっとするような透明さで薄っすらと青銀色の細やかな光が一部だけに入っている。

それはまるで、祝福の煌めきを振りかけている途中のような物語的な美しさで、ネアは、大事な伴侶が見付けてくれたそのビーズを、さっと布を張った箱に入れた。

買いたいビーズは、この箱に入れるのだ。



「そうだな、これも買っておくといい」


ネアと一緒に体を屈めてビーズの箱を覗いてくれているグレアムが、そう言って一粒のビーズを取ってくれた。

隣の魔物の顔を見上げると、さらりと灰色の髪が耳元で揺れる。


「まぁ。綺麗な青灰色ですね。内側に星屑のような輝く模様がありとても綺麗です!……自分で見付けたなら買うに違いないビーズですが、グレアムさんが見付けた物なのにいいのですか?」

「ああ。星の祝福を閉じ込めたビーズだ。………秘密だが、俺の系譜の祝福の気配を感じる。とは言え願いが叶うような強い力はないが、かなり珍しい手法で作られた物だと思う。こうして内包された小さな幸運が、どこかで役に立つかもしれないからな」

「か、買います!………それと、このほんのり薔薇色がかった青灰色のものも買いますし、淡い銀灰色の内側にはっとするような綺麗な水色が入ったビーズも……、むぐ、灰色だけでこんなになるなんて………」



ネアは結局、買い上げても使わないかもしれないビーズは必要ないのではないかと思ったものの、どの色の箱にも必ずこれはと思う色合いや模様のビーズが入っているので、買って帰ってから、来年の傘祭りに使うなり、誰かへのお土産にするなりあらためて考えようと思考を切り替えた。


一粒ずつ値段が違うのだが、こうして集めてみると、幸いにも困ってしまうような高価なビーズは一つもなかった。

グレアムが選んだ物も普通のビーズと変わりない値段で、だからこそ、掘り出し物を探す者達は見分けが付かずに大変なのかもしれなかった。


澄んだ檸檬色の中に水色の煌めきを宿したビーズと、琥珀色の中に陽光のダイヤモンドダストのようなシュプリ色の煌めきのあるビーズは、グラストとゼノーシュへのお土産だ。

他にも、恐らくこの店を見る余裕はないだろう、エーダリア達へのお土産なども忘れない。

小さな物だが、複雑な魔術工程を経て作られた物が多いらしく、そんな説明をグレアムから聞けば、エーダリアも喜んでくれそうだ。



(青緑色のビーズの中に夜の魔術が隠れているビーズを、グレアムさんが見付けてくれたから、これはエーダリア様にあげよう………!)



勿論、ネアの大好きな繊細なラベンダー色やディノの瞳のような夜色の系統、思いがけず目を惹かれたミントグリーンや淡いピンク色のビーズなども買ったが、グレアムの忠告を受けて、ウィリアムやアルテアを思わせる色合いのビーズも購入しておいた。


これは、本日の買い物を聞きつけ、時間があれば買った品物を検分に行くと話していた使い魔対策だが、グレアム曰く、もしかしたらウィリアムも来るかもしれないので、その時の為に白金色の素敵なビーズも必要不可欠なのだった。


ネアは、二人には他に何かいいものがあればそちらを買っておこうと考えていたのだが、魔物にとって固有の色を選んで貰うというのは、特別な事らしい。


その全てを持って、ネアがいそいそとお会計に向かうと、店主はとんでもない目利きが来たと驚いていたが、一緒に買い物しているのが侯爵位の魔物なのだからそうもなるだろう。


包装は、予め用意してある小さな薄紙を畳んで作った袋にビーズを一つずつ入れ、それを丈夫な紙箱に入れるようだ。

有料で艶々したコーティング紙の紙袋も付けてくれるが、ネアはそれは断って金庫に紙箱を仕舞った。



「ふぁ。こんなに早く満ち足りてしまっていいのでしょうか。まだまだ、沢山のお店があるのですよ………」

「キュ!」

「ふふ。ディノのビーズもあるので、帰ったら分け合いっこしましょうね?」

「キュキュ………」

「まぁ、恥じらってしまうのです?」

「キュ………」


むくむく毛皮のムグリスになってもこの伴侶の恥じらうポイントは謎めいているが、そんなムグリスディノを見ているグレアムは、物静かな眼差しに幸せそうな表情を浮かべている。

こんな時に一緒にお出かけする事が多いウィリアムやアルテアとの違いは、グレアムが、そんなムグリスディノの状態を定期的に気遣ってくれる事だ。


(正直、他の魔物さんだと、小さな生き物への扱いが心配であまり預けられなかったけれど、………)


グレアムであれば、もしもの時も安心してムグリスな伴侶を預けられる。

勿論ウィリアムも毛皮の会の仲間ではあるが、時と場合によってはとても動きが荒々しくなるので、ちびこい伴侶が吹き飛んでしまったら大変ではないか。



そこでふと、ネアはグレアムが誰かを物陰から引き摺り出してくしゃっとすると、反対側から歩いてきた二人組の男性に流れるように受け渡している事に気付いた。

あまりにも自然に行われたので、たまたま振り返って目撃しなければ気付かなかっただろう。



「……………む?」

「ああ、すまない。少し良くない者がいたからな。監視員に引き渡しておいた」

「あの方は、監視員なのです?」

「ポターの市場の者ではないが、今日はこの会場を見回ってくれている者達なんだ。ネアももし、何かがあったら彼等に声をかけてくれ」

「はい。そうしますね」

「キュ………」



そこからは、それぞれの店を端から順番に見てゆく事にした。

グレアムのお目当ての珈琲店は、残念ながら今日はお休みであるらしい。

そのお店は、店主が素敵な珈琲休憩に心血を注いでいる為に、気紛れにお休みとなってしまうのだ。



ビーズのお店の隣にあった貴族のドレスを集めた店には、どこそこの国の伯爵令嬢のドレスなど、ドレスの説明ではなく、持ち主の履歴などを記したタグが付いている。


という事はこのタグの情報こそがお客の欲する物なのだと目を瞠り、ネアは、一心不乱にドレスを選別している女性をそっと眺める。

やがて欲しいドレスを見付けたのか興奮気味に声を上げていたので、特定の履歴のあるお目当てを持って訪れるべき店なのだろう。


その隣には古い宝飾品の店があり、続けて菓子缶の店がある。


お菓子の缶には繊細な絵付けの収集家がいるのは有名だが、他にも、うっかり閉じ込めたままになっている妖精や竜が入っている缶も売られていて、ネアは、中身の生き物の生存状態がとても不安になった。

だがここは、決して真実を知りたいとは思わない。

悲しい真実を知るくらいなら、もやもやとした謎のまま永劫に残しておこう。



「やはりこの辺りは、骨董品のお店が多いのですね。これが欲しいという目的の品物がなくても、ついついあちこちに目を奪われてしまいます」

「…………ネア、これは買っておいた方がいい」

「グレアムさん?」


古い絵画なども拝見しながらあちこちの店を覗き、むふんと頬を緩めたネアは、はっと息を呑んだグレアムから通りがかった店の一枚の絵を渡される。

可愛らしい水色の薔薇を描いた小さな額絵だが、何か秘密があるのかなと首を傾げると、こちらを見たグレアムがそっと唇を指で示すので耳を寄せてみた。


「キュ?!」

「これはな、ネア達の暮らしている建物の外客棟にあった絵なんだ。あの建物に戻してやると喜ぶだろう」

「まぁ!それはもう、絶対に買って帰らねばなりません。……む、………ディノ?」

「キュ!キュ……」

「あらあら、これは内緒話ですので、浮気ではありませんよ?」

「キュ…………?」

「ふふ。素敵な絵の秘密を教えて貰いましたので、これも買ってゆきましょう。…………まぁ、雪遊びちびふわの絵です?」

「…………ウィーミアの絵だな。それは俺が買ってゆこう」



ネアは、お店の奥に飾られていた瞳の色は違うもののちびふわにしか見えない、ちびちびふわふわした水色の生き物の絵にとても心惹かれたが、そちらはグレアムが気に入ったようなので何も言わずに微笑んで頷くに留めた。


どうやらこの魔物は、リーエンベルクのあちこちに巻き角ちびふわの罠を仕掛けてしまうだけあり、ウィーミアという生き物が大好きなようだ。

穏やかに微笑んではいるが、かなりご機嫌なのが伝わってきてしまう喜びように、胸元のムグリスディノと顔を見合わせる。



(グレアムさんも、良い買い物が出来たみたいで良かった!)



「……………ほわ、」

「キュ…………」



その隣の店を覗いたネアは、今日の楽しい市場歩きで初めて、見なければ良かったという店に出会ってしまった。

胸元のムグリスディノもぴゃんと飛び上がり、震えてしまっている。

怯えるちびこい伴侶を撫でてやりつつ、ネアも、こそこそとグレアムの背中の影に隠れた。



「もしかして、これは苦手か?」

「……………ふぁい。なぜ、暗い目のお野菜さん達が拘束されているのでしょう?」

「よく野菜が逃げる畑は、過去の脱走犯達を拘束したこの魔術具を置いておくといいんだ。………随分と古いものもあるな。これもまた、どこかの使われなくなった畑から回収して来た物かもしれない」

「………古いのですね」

「…………キュ」



人参やジャガイモ、葉物類や小さな玉葱まで。

鉄や真鍮のような拘束具で動けなくされた野菜達は、ネアの苦手な脱脂綿妖精のような虚な顔が付いていた。


道具だと言われても生きているようにしか見えないが、グレアムの感覚で古いものとなると、どれくらいこの状態のままなのだろう。


ネアは、そんな野菜達とは目を合わせないようにしながら、手のひらでしっかりとムグリスディノの顔を覆ってやりつつ、その店をやり過ごした。

しかし、本物の試練はその隣の店にあったのだ。



「なぬ。お隣は、食べ物のお店なのです?」

「他にも飲食店はあるが、何か食べたいものはあるか?」

「さきほどのおみせのとなりで、じゃがばたーだなんて………」

「キュ…………」


バターの蕩けるいい匂いには心惹かれたが、ここで食べる勇気はどうしても出てこない。

なのでネアは、悲しみを胸にそっと首を横に振ると、振り返らないようにしながらその区画を後にした。



隣の店列に入れば、エーダリアはまだ先程の紙束のお店にいたので、そちらも買い物をとても楽しんでいるようだ。

ネアは、隣の区画で最後に見たものは、全て忘れようとそっと首を振ったのだった。




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