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使用人の天幕とふわふわの作法




その夜は祝祭の賑やかさが森にも残り、ぽわりと光る丸い妖精の煌めきが、綿の花のようだ。


庭園に暮らす小さな生き物達の中には、先の尖がった葉っぱを手に、騎士ごっこをしている者達もいる。

多くの人出が見込まれる祝祭で住処を荒らすお詫びとして、ウィーム領主から振舞われた小さな砂糖菓子を手に、ご機嫌で木の上で酒盛りをしている精霊達の姿も見えた。


騎士棟ではまだ打ち上げが続いているのか、声などが届かなくても、どこかそわりとした空気が伝わってくる。


ネアはガーウィンでの仕事でくたくただったのだが、あれだけの事があっても案外元気な終焉の魔物によると、街中にはウィーム各地から泊りがけで訪れている騎士達の姿もまだあちこちに見られるようだ。


リーエンベルクでも、明日の仕事に響かない範囲で親睦を深めに出ている者達も多い。

また、騎士達の祝祭の夜だからこそ、リーエンベルクの騎士棟に宿泊出来る者達は、敢えて外に出ずにリーエンベルクの敷地内でのんびりと過ごす贅沢こそを楽しむのだと言う。



「…………ふぇっく」



報告会を済ませて就寝したネアが目を覚ましたのは、深夜も深夜であった。


夜明け前の一番暗い時間には差し掛かっていないものの、夜更かしの時間枠はとうに超えている。

どこかでゴーンと鐘の音が響き、その遠い音に耳を澄ませば、リーエンベルクの廊下は静まり返っているものの、決して余所余所しい冷たさはない。



だがしかし、ネアはそんな大好きなお家の中を一人、涙目で彷徨っていた。


ダリルから貰った室内着を着て、同じ寝台の伴侶に寄り添ってすやすやと眠っていた筈なのに、なぜこうなったのだろう。

真夜中に目が覚める事自体は珍しくもないが、今は、ネアが初めて体験するような孤独と絶望に見舞われていた。



「えぐ…………」



例えば夜中にふと、隣に寝ている大事な家族が目を覚まさなかったらどうしようと考える事はないだろうか。


ネアは、小さな頃に悪い魔法使いの出てくる本を読んだ夜にそう考えて慄いた事があるが、幸いにして、駆け込んだ両親の寝室で、家族は揺さぶればすぐに目を開いた。

それなのになぜ、こんな人知を超えた魔術を扱う人ならざる者達に囲まれた今、あの幼い日の悪夢の中を彷徨っているのだろう。



(…………どうしよう。エーダリア様だけではなくて、ヒルドさんもノアも目を覚まさないなんて…………)



変な時間に目を覚ましてしまい、水でも飲もうかなと体を起こしたネアが隣のディノを起こそうと思ったのは、窓の外に、きらきらとしたオーロラのようなものを見たからだ。


薄い水色のカーテンのような光の帯は初めて見るものだったので、何かの前兆だったりするのだろうかとディノを揺さぶったが、なぜか熟睡していて目を覚まさない。


魔術に長けていない人間にも、ふっと予感のようなものに震える一瞬があり、慌てて、すやすや魔物を激しく揺さぶったが、やはりディノは起きてくれなかった。



(最初は、ディノの体調が悪いのかなと思ったのだけれど…………)



心配になってしまい、慌てて駆け込んだノアの部屋では、ノアは長椅子でお酒を飲みながら眠ってしまっていたらしい。


こてんと横倒しになった義兄は、こちらも揺さぶっても飛び乗っても起きず、ネアは真っ青になる。

その後、部屋に置いてゆきたくないディノはちびふわ符でもじゃもじゃちびふわにしてしまい、その姿でもすぴすぴ眠っている伴侶を抱っこして、ヒルドの部屋やエーダリアの部屋を訪ねて来たのだ。


それなりに堅牢なウィーム領主の部屋に不法侵入するにあたり、ちょっとばかりの冒険があったものの、そんな騒ぎがあってもヒルドすら目を覚まさないのは異常だろう。

であればと騎士棟の方を見れば、そちらにはまだ起きているらしい人影があるので、異変の気配はないようだ。


また、家事妖精達も眠りについているのか、ネアがうろうろしていてもその姿を見かけることはなかった。


ここでネアは、リーエンベルクのネア達の居住区画のある棟と、エーダリア達の区画のある中央棟が眠りに包まれていると判断し、ではこちらはどうかと、外客棟のアルテアの部屋に向かっていた。



「…………えぐ」



勿論、今夜ばかりは、一人にして差し上げるべきだと分かってはいるのだ。


何しろネアの使い魔は、林檎のシーにちょっといけない魔術効果を付与されており、今夜は決して部屋に近付かないように予め厳命されている。


それでもとアルテアがリーエンベルクでの宿泊を選んだのは、あの黎明の教区の隔離地で思わぬ魔術付与などがあった場合に連携が取れ、尚且つ、今の無防備な状態でもある程度の守りが固い所という条件が良かったようだ。


状態が状態であるだけに、自分の屋敷の方が安心なのではとも思ったが、そちらには、古い林檎の魔術の効果に触れさせたくない大事な品物や魔術書が沢山あるらしい。


所有者が特定の魔術の疾患を得ていると、アルテアが魔術で統括下に置いている品々にも反応が出てしまう事があり、愛情に連なる魔術の祝福は、善意によるものとして保護魔術の上からも浸透してしまう事があるのだとか。


また、見目麗しい魔物らしく、この状態であるしどこかの女性のところへというのは、アルテアの気質的に好ましくないらしい。




「…………アルテアさん、お部屋を開けて下さい」



ネアは、漸く辿り着いた使い魔の部屋の扉をがすがすと叩き、ノッカーがあったことを思い出すと、続けてそちらも鳴らしてみた。


最初はうっかり扉を拳で叩いてしまったが、お客様用の部屋なので、家事妖精達が飲み物や軽食を運ぶ際に使うノッカーのようなものがあったのを失念していた。

慌ててそちらも鳴らしてから、怖さを堪えて応答を待つ。


つい先程、同じように部屋を訪れたが反応がなく、仕方なしに部屋に侵入したのが、エーダリア達だ。

揺さぶっても乗っかっても起きない家族から渋々離れ、こうして尋ねている使い魔がネアの心の最後の砦なのである。



(…………勿論、騎士棟の方が動いているのだから、最終的にはそちらに連絡を入れればいいのだけれど…………)



或いは帰ったウィリアムにカードから助けを求めてもいいし、ダリルダレンの書庫に連絡を入れて、ダリルに助けを求める事も出来るだろう。

だが、以前にノアに教えて貰った魔術の檻の理だと、魔術特異点の中で外側と内側の明確な境界線が見えた場合は、最初はその線を越えないようにして解決出来ないか試してみた方がいいのだと言う。


獲物が檻から出ようとする動きを察して完成してしまう魔術や、変化のある内側と外側とが、まるで橋の向こう側のように遠くなってしまう隔離魔術もある。


特に後者は、壁一枚を隔てているだけなのに、内側からどんなに声を上げても、外側の者達には気付かれないらしい。

そんな事になったら繊細な乙女の心は粉々になってしまうので、ネアは、まずは、教えられた通りにこの内側から家族の安否確認を行ってゆくこととした。



(扉での仕切りはあっても、外回廊で一度建物の外に出なければいけない騎士棟とは違い、こちらの外客棟は、内輪のお客様を迎え入れる為の建物として、外に出る通路はない。であれば、造りとしては繋がっているという認識でいいのだと思う………)



とは言え、アルテアの部屋の位置がどのような区分になるのかが分からずに、そこまで辿り着けなかったらどうしようと不安でいっぱいだったが、ここまでの道中では境界のようなものは感じなかった。

これならきっと、檻から出ようとしている事にもならない筈だ。


少しでもおかしな感じがしたら戻ろうと思いながら、まずはこうして、その部屋の扉を叩けているのが幸運だと思おう。



「アルテアさん!…………ふぎゅ。…………えぐ」



しかし、部屋の中はしんと静まり返り、一向に応えはない。


ネアはじわっと滲んだ涙を、仕方なく引っ張り上げた部屋着のスカートで拭い、くすんと鼻を鳴らす。

腕に触れるディノなもじゃもじゃちびふわの温もりがせめてもの救いだが、ネアが泣きそうになっていても、やはり起きてはくれない。



「ふぇっく…………」



せめてここまでという線引きがある。

外に起きている人達がいても、こんな時に頼りたいのはやはり身内のような輪の内側の誰かなので、ネアは、すっかり心が折れそうになっていた。


けれども、そのまま部屋の扉の前に蹲ってしまいたくなったその時、かたんと、部屋の向こうで音がした。


「…………おい、何の用だ」

「アルテアさん!と、扉を開けて下さい!いや、開けるのだ!!」

「帰れ。いいか、明日の朝までは二度とここに来るな」

「…………ふぇっく。えぐ…………」

「…………ネア?」



扉越しに聞こえるのは、訝しむような低い声。

その声に事情を説明しようとしたのだが、一度諦めかけてひびの入った心は、起きている誰かの声を聞いた事ですっかりへなへなになっていた。


説明などどうでもいいので、一刻も早くこの扉を開けて迎え入れて欲しいと、我が儘に地団太を踏んでしまう。

とは言え人間はとても身勝手なのはご承知の通りであり、尚且つ今は緊急事態なのである。



「えぐ。…………皆が、なぜか起きないのでふ。………ぐっすり眠っていて、…………誰も起きてくれません」

「…………ちょっと待ってろ」



あるかなきかの躊躇の後、そんな返事があった。

そして、ほんの僅かな時間だった筈なのにネアにはとても長く感じられた待ち時間があり、かちゃりと扉が開いた。



「はんらです………」

「おい、スカート部分を持ち上げるな!情緒以前の問題だろうが!!」

「むぐ。涙が落ちてしまわないように、これで拭ったのですよ。…………えぐ」



扉を開けたアルテアは、ぴっちりパジャマを着る派な魔物にしては珍しく、上着を着ていなかった。

シャワーでも浴びていたのか髪が少し濡れていて、少しだけ疲れたような顔をしている。

ネアは、ハンカチ代わりに引っ張り上げていたスカートを離し、びゃっとアルテアの腕の中に飛び込む。


この使い魔を、逃してはまずいと思ったのだ。

飛び込んだ先でアルテアの体が強張った気がしたが、諦めたように背中に回された腕に、ネアはやっと安心してくすんと鼻を鳴らした。



「……………ったく。…………シルハーンか?」

「はい。…………えぐ。目を離すのが怖かったので、ちびふわにして、持ってきました。元の姿で金庫に入れようともしたのですが、持ち上がらなかったのです……」

「…………それはやめておけ。…………ああ、これは使用人の天幕の祝福だな。お前は、可動域が低過ぎて祝福を受け取れなかったんだろう」

「しようにんのてんまく………」



ぎゅっとしがみついているので、頬に肌の温度が触れる。

ネアが半泣きだったからか、アルテアは邪険にはしなかったが、やはりその体温はいつもより高めのような気がした。


部屋の中は暗く、窓から差し込んだ夜の光だけがぼんやりと揺れていた。

どこからかその色相が淡く切り替わる所が見えるので、奥の部屋では灯りを点けているのだろう。



「安息日の系譜の精霊によるものだ。祝祭の夜に現れて、安息日の朝までゆっくり眠れるように、安らかな眠りの祝福を授けていく。使用人にも同じような眠りを授け、祝福である事からその眠りが許容される事で、使用人の天幕と呼ばれてそちらでは喜ばれているな。………リーエンベルク内の全てか?」

「…………むぐ。騎士棟の方々は動いているようです」

「それなら、警備上の問題はないな。あちらに連絡を取って、使用人の天幕の効果が出ている事を共有しておけ。いざと言う時に、指揮系統が混乱しないようにしておいた方がいい」

「…………ふぁい。お部屋の通信端末を借りますね」

「おい、何で入るんだ。さっさと帰れ」

「ここにいまふ」

「……………は?」

「もう一人ぼっちは嫌なので、このお部屋にいます!」



ネアがそう言えば、こちらを見たアルテアの眼差しは、砂糖菓子を取り上げられたちびふわのようだったと言えばいいだろうか。


呆然とこちらを見つめるいっそ無防備な程の赤紫色の瞳に、ネアは、ますますぎゅっとその背中に手を回してしがみつく。


片手にはちびふわ伴侶を抱いているので捕獲力には欠けるが、とは言え、簡単に逃すつもりはないのだ。



「お前な…………」

「むぐ。アルテアさんが大変なのは承知しているので、同じお部屋で紐か何かで互いを繋いでおき、数分おきにその紐を引っ張って貰います?」

「やめろ」

「むぐぅ。では、おかまいいただかなくて結構なので、このお部屋の隅っこに置いておいて下さい」

「……………自分が、何を言っているのか分かっているのか?」

「しかし、本当にただ眠っているだけで済むのか、目を離したらアルテアさんも眠ってしまわないのか、その保証がありませんので、近くで見張るより他になく…………」

「……………くそ、……………お前絡みだと、本気で事故に発展しかねないのか…………」



がしがしと片手で頭を掻き、アルテアは額を押さえた。


最初はネアを追い返そうとしたようだが、とは言え、確かに完全に危険がないとは言えない事に気付いたのだろう。

ややあって、深い深い溜め息が落ち、そのまま部屋の中に引っ張り込まれる。



「いいか、絶対に弾むなよ」

「弾みません」

「……………よりにもよって、その服を着てきたのか。……………何か羽織れ」

「アルテアさんの上着をですか?」

「……………いや、そのままでいい」

「む?…………むむ。では、お邪魔しますね。なお、こんな時間ですから、アルテアさんは寝台にいても良いですからね。私はその近くに椅子を引き摺ってきて、アルテアさんがディノ達のように起きなくなってしまわないかどうかを見張っています」

「……………絶対にやめろ」



頭を抱えてしまったアルテアにそう言われ、ネアは、ぎりりと眉を寄せた。


もし今夜目が覚めているのが、アルテアでなければ、話はもっと簡単に済んだのだろう。

だが、アルテアが使用人の天幕と言われる祝福効果を退けたのも、かけられている林檎の盃の祝福があったからこそのようだ。


シャワーの途中だったと言うアルテアはひとまず続きをとなり、ネアは浴室の外に椅子を引っ張ってきて、そこに座る事とした。

なぜか浴室に入るのは禁止されたが、幸いにも、水音や会話の声がよく響くので、眠っていないかの確認には支障がない。



薄く開いた扉の向こうが明るいので、浴室からの明かりが部屋の夜の光に入り混じり、どこか秘密めいた不思議な影を床に伸ばしていた。



「…………グラストさんに連絡をしました。もし、何かあった場合はこちらに来れるよう、ゼベルさんと二人で今夜はリーエンベルクを離れないようにしてくれるそうです。どうやら、以前にもあった事のようですね」

「祝福の一種だからな。……………っ、……………まぁ、珍しい事じゃないだろう」

「むむ。シャワー中に話しかけると、目やお口に水が入ってしまうかもしれませんね。ばしゃばしゃやってくれれば生存確認としますので、ゆっくり浴びていて下さい」

「…………普通に話しておけ。その代わり、浴室には入るなよ」

「念の為にお伝えしますが、私は決して痴女ではなく、このような異変の時は近くにいた方が安全だからこそ、浴室にお邪魔しようとしたのですからね?」

「ほお?情緒が足りない事だけは、明らかだがな」

「むぐる…………」



魔物達には特殊な魔術が触れるのだというガーウィンの教区での仕事だったからか、或いはハーティクスの盃のせいか、アルテアは時間をかけてシャワーを浴びた。


シャワーの音だけではない、不規則な水音を聞いているだけで安心するが、時折、そちらからも声を発してくれるので、お喋りをしていると、とてもほっとする。



(……………早く、みんなが目を覚ますといいな)



ネアとて、今日は忙しい一日だったのだ。

疲労感はまだずしりと体に降り積もっているし、目は、そろそろ寝給えとじりじりと眼窩の奥の疲労による痛みを訴えてくる。


けれど、あるべき筈の場所から大好きな人達が失われて取り残されるような怖さが胸を締め付けていて、とてもではないが、怖くて眠れなかった。



それはもしかしたら、あの影絵に触れたからかもしれない。



取り残されて咽び泣く人達の幻を見て、たった一人で取り残されて、昨日迄と何も変わらないのにもう誰もいなくなってしまった屋敷を思い出すからかもしれない。



「……………ふにゅ。アルテアさんがいてくれて、良かったです」



なので、浴室から出てきた使い魔にもう一度そう言えば、呆れたような目をしたアルテアに、髪の毛をくしゃくしゃにするように頭を撫でられた。



「ぐるる…………」

「俺がいて、良かったんじゃないのか」

「むぐ。苛めっ子ではない使い魔さんが、より好ましいと思います。私とて、髪の毛を鳥の巣のようにされる度合いには限界があるのですよ?」

「でもお前は、俺の為に髪を切れるんだろう?」



その問いかけに刻まれた微笑みに、ネアは、目を奪われた。


髪の毛はまだ少しだけ湿っているようだが、今はもうしっかりとパジャマに着替えている。

安らかさしかないような装いだが、浮かんだ微笑みは魔物らしい凄艶さで、どこまでも暗く満足げで。

どうしてこの生き物達は、おかしなところでとても満足げに微笑むのだろうかと、ネアは困惑するばかりだ。


「…………何かのお作法に引っかかるのかという懸念がありますが、髪の毛に絡まったちびふわを自由にする為であれば、致し方ありません………」

「同じようなことを他の奴には言うなよ。……………まだシルハーンは起きないのか?」

「…………えぐ、もじゃふわディノは、こんなにお腹を撫でても起きてくれないのですよ?……………も、もしかして、他にも悪い効果が付与されているのでしょうか…………?!」

「ったく。祝福魔術が軽減されるまで待てと言っただろうが。…………安心しろ。夜明けの配分が多くなれば、自然と目を覚ます。安息日だからなんだろうな。夜明けがいつもより遅いだけだろう」



もう一度ネアの頭を撫でると、ふっと顔を寄せられ目尻に唇が押し当てられた。

頬に触れる吐息の温度に目を瞠れば、どこか魔物らしい微笑みを浮かべた使い魔は、家族相当の祝福も足してくれたようだ。



「……………むぐ?」



だが、なぜ唇を舐められたのだろうかと首を傾げていると、アルテアは小さくやれやれだなと笑う。

体を離し、目を閉じてぐいっと体を伸ばしたアルテアに、パジャマの襟元から首筋の線がくっきりと見えた。


何だかとても無防備で色めかしいのだが、もしやこの魔物は眠たくなってきたのではと思ったネアは、不安でいっぱいになってしまう。


「……………アルテアさんは、私を置いて眠ってしまったりしません?」

「………それどころじゃないだろうな」

「では、椅子にしていてもいいですか?」

「……………やめろ。いいか、お前はさっさと寝ろ」

「ぎゅぐるるる!さては、私を油断させて寝かせてしまい、また目を覚ましたら一人ぼっちという罠ですね?」

「なんでだよ」

「賢い私は、同じ過ちは繰り返しません。アルテアさんも、朝まで寝かせませんよ!」



お部屋には入れてくれたのに、なぜか頑なに寝かせようとしてくる魔物に、ネアは拳を握ってそう宣言した。


部屋から連れ出してからずっと幸せそうに眠っているもじゃもじゃちびふわな伴侶は、ぎゅっと抱き締められて少しだけ尻尾をふりふりしている。

とても愛くるしいのだが、やはり熟睡中だ。



「…………いいか。言ってもいい言葉と、どう考えてもまずい言葉があるだろうが!」

「むぐ。なぜにほっぺたを引っ張られるのだ。ゆるすまじ…………。ですが、動いて喋っているだけでも良しとしましょう。…………は!もしや、ディノが私が動いているのが大好きなのは、こんな風に思うからなのでしょうか?」

「さてな。…………おい、指を噛むな。相応の対価を取るぞ」

「その場合は、パイとタルトと、どちらが出てくるのですか?」

「何で俺の対価がそれなんだよ」

「他の対価というと、…………ぜり」

「ほお、丁寧に教えて欲しいか?」



どこか意地悪な目でそう尋ねられ、ネアは、眉を持ち上げた。


他にも素敵なお料理の準備があるのかなと思えば、おかずサレなども最近はご無沙汰ではないか。

焼き立ての、表面がさっくりしていて、中のチーズやオリーブの塩気が堪らないおかずサレの美味しさを思い、ついつい口元をもぐもぐさせてしまう。



「…………じゅるり」

「…………っ、………妙な動き方をするな」

「おかずサレを咀嚼する為の準備運動なのですよ…………」

「お前とのやり取りは、ほぼ永遠にこのままなんだろうな…………」

「なぜ遠い目をしたのだ。解せぬ」



窓の向こうは相変わらず穏やかなウィームの夜で、このリーエンベルクが祝福とはいえ使用人の天幕の魔術で眠りの底にあるのが嘘のようだ。


ネアは、安息日の系譜の生き物達がいるのであれば、二度寝の魔物やお昼まで寝ていようの精霊などもいるのかなと、小さな憧れを育てたが、とは言え、こうして一人だけ仲間外れにされるのは懲り懲りだ。


この世界の奇妙な生き物達に、どこまでが人間の想像通りのものが派生しているのかは分からないが、目が覚めたら午後だったという恐ろしい災いを齎す人外者はいるのではないだろうか。



(…………そう言えば、)



さっき、人型の魔物に舐められてしまった事を思い出し、ネアは首を傾げた。

椅子は嫌がったくせに、今は長椅子に腰掛け、後ろから腕の中に収めるようにはされている。

時折、気紛れな指先が髪を梳いてゆくのだが、そこで触れる指の温度はやはりいつもより高い。


黎明の教区の飛び地の中で、ちびふわは、ネアを安心させようと頬を舐めてくれた。

となると先程のものも、不安になっているご主人様を慰めようとした、魔物なりのグルーミングなのかもしれない。


人型の魔物だと勘違いしてしまいがちだが、この魔物が、つい数時間前まではネアの口をこじ開けて砂糖菓子を奪おうとしていたことを思えば、あながちないとは言い切れない。



(では、私も何か、…………アルテアさんの心を落ち着けるような事をしてあげるべきなのだろうか…………)



ハーティクスの盃の祝福効果が出ている中、それでもネアを案じて扉を開いてくれた魔物なのだ。


以前はよく森に帰ってしまっていたが、今では時折、どきりとするような優しい気遣いもくれる。

恐らくこの魔物の資質には、出会った頃に表面に出ていた残忍さや享楽的なものばかりではなく、愛情深く面倒見のいい一面もあるのだろう。


勿論だからといって安心していい生き物でもないのだが、とは言えそんな推測が確信に至ったのは、銀狐への対応を見ていたからだ。

しかし、そのことについて考えるとネアは、罪悪感でぶるぶる震えてしまう。


ノアからの告白の瞬間にアルテアがどうなってしまうのだろうと考えかけてしまい、慌てて首を振ったネアは、大きく体を揺らす動作は推奨しないとお説教されながら、付与された祝福のせいで肉体的な苦痛などは感じていないだろうかと、ちらりとアルテアの方を見た。



(…………せめて少しでも、緩和してあげられたならいいのかな)



よく似ていても違う種族なので、何がどこまで人間の生理現象と近いのかは分からない。

ディノが、そちらの作法ではないものの、愛情表現に変態の領域を持ち込んでしまうように、選択の魔物のそれは、野生の獣のようなふわふわ的作法が反映されるのかもしれなかった。



「…………アルテアさん、まだ盃の祝福の影響が強く出ているのであれば、頭皮マッサージをして差し上げましょうか?」

「…………念の為に聞くが、どんな経緯でその提案にしたのか話してみろ」

「本来なら、心を落ち着かせるのには毛づくろいのようなものがいいと思ったのですが、残念ながら今は毛皮がありませんので、一番毛深い所を大事にして差し上げようかなと…」

「そうだな、お前は暫く黙っていろ」

「それと、意識がちびふわに持っていかれてしまっていますが、胸元のリボンはこれ以上解かないで下さいね」



こちらも念の為にとネアがそう言えば、なぜかアルテアは、ぴしりと固まってしまった。

恐らく、そちらの本能に引き摺られた事がショックなのだろうが、さすがにこれ以上は淑女として見過ごせないので、そろそろ指摘するしかない。


リボンに手をかけられた際には、またぴっちり締め上げられるのかなと思ったものの、どうやら今回は、緩める方が良かったようだ。


「…………むむ。という事は、理性的なアルテアさんがリボンをぎゅうぎゅうに締め上げるのは、ついついこの手の物にじゃれついて解きたくなる、野生の獣さん的な欲求に抗わんとしての事なのです?」

「…………最悪の言葉選びをしているが、お前の考えに沿って答えてやると、全くの的外れな推理だな」

「ウィリアムさんのように、…………齧りたいからではありません?」

「…………は?」

「その、これ迄も仲良く過ごしてきたので、野生に戻ってしまい、目の前の人間を齧っていただきたくなった場合は、せめてその直前に、最後の理性を奮い起こして逃げろと声をかけて下さいね」

「…………寝ろ。一刻も早く、お前は寝台に入れ」

「むぐ!あちらのお部屋だと、アルテアさんが起きているのかの確認が出来ません!!」

「我が儘め…………」

「ぎゃ!首筋を噛みましたね!!」



ひょいと小脇に抱えられ、これは乙女用ではなく小麦袋用だと怒り狂うネアを、アルテアは軽々と隣の寝室に運び込んでしまった。



「さっさと寝ろ。空が白んできているから、もう半刻もしない内に祝福効果も解けるだろう。不安だったら、隣の部屋から返事はしてやる」

「ぐるるる…………」

「それとも、同じ寝台で俺の手伝いをしてみるか?」

「……………まぁ、」



どこか投げやりなその問いかけに、ネアは、目を瞬いた。


どれだけ色めいた問いかけをしても、この魔物が、それを望んでいないのは明らかなのだ。

だからこそネアも、このような状況下でもアルテアに助けを求められた。

魔術の煌めきや術式のあれこれを読み解けないネアにも、それくらいは分かる。


だから、そんな目をしておきながら、尚且つこちらが頷く訳がないと思われている事も分かるのに、その上で成された言葉遊びとしてはいささか不自然ではないか。



(つまり…………)



「……………さては、やっぱり頭皮マッサージをして欲しくなってしまったのです?」

「……………やめろ。…………っ、おい!!………っ、」

「ふむ。暴れてみせた割には、ふにゃんとなったではないですか」

「っ………?!」

「……………キュフ?」

「まぁ!ディノが目を覚ましました!!」

「……………キュ??」



その騒ぎで寝台が揺れ、すやすや眠っていたもじゃもじゃちびふわなディノが、漸く目を覚ました。

ぱっと顔を輝やかせたネアの手が緩んだ隙に、アルテアは素早く逃げ出してゆく。



「むぅ。アルテアさんが逃げました。………待っていて下さいね。今、解術の方の魔術符を貼り付けますから」

「……………ネア、……………ここは?」

「ふむ。ディノには、使用人の天幕に入れて貰えなかった私の話からしないとですね。とは言えまだ夜明け前ですので、まずはお部屋に帰りましょうか」

「うん。……………アルテアがいたのかい?」

「ええ。どなたも起きない怖い夜に、アルテアさんが、ご自身が大変なのにもかかわらず、側にいてくれたのです。ディノが目を覚ましてくれて、とてもほっとしました」

「君に、怖い思いをさせてしまったのかな………?」

「ふふ。もうこうして元通りですから、一安心です。私の怖いものはやはり、大事な家族に何かがあったらと思うことなのでしょう。……………アルテアさんは…………むむぅ、向こうのお部屋に隠れてしまいました」

「アルテアが…………」



目を覚まし、不思議そうにしているディノの手を取り、ネアは、主寝室に閉じ籠もってしまった使い魔にあらためてお礼を言うと、とは言え、自分が助かったからとここで使い魔を見捨てたりはしないのだと、手助けが必要かどうかを尋ねてみた。


しかし、扉越しにさっさと部屋に帰れと言われたので、ディノと手を繋いで、先程は一人ぼっちで歩いた道を、夜明けの色を空に感じながら部屋に戻る事にした。



朝になり、なぜか寝具が剥がれていたエーダリアやヒルドが騒然としたようだが、そちらは、起きていたディノが説明をしてくれたようだ。


ネアはその頃、やっと安心しての深い眠りの中で、幸せに心を緩めてむにゃむにゃしていた。













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― 新着の感想 ―
アルテア不憫でかわいいね
[良い点] 本質は理解しあってるのにすれ違う会話が面白すぎる アルテアさんに合掌(⌒人⌒ )
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