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薔薇壁の街と海の歌乞い 2



柔らかな風が吹けば、黄色の花びらがどこかから舞い込んだ。


視線を巡らせれば、少し離れた位置に立派な門構えの美しい邸宅がある。

門扉に刻まれた薔薇の紋章を見れば、この国の王家のものだろうかとネアは首を傾げた。

青々とした蔦の絡む、趣のある門構えだ。


「ディノ、あのお屋敷は王族の方の別荘でしょうか?聞いていた薔薇のようにも思えますし、でも剣の紋章も重ねてあるようです」

「おや、………剣の守護のある、王族の屋敷のようだね。あの形の剣は、もういない魔物なんだ」

「オフェトリウスさんではない方なのですか?」

「うん。剣の魔物はひと柱ではないと話した事があっただろう?あれは、その一人の印だよ。私達が自らの印を作るという事は少ないけれど、剣の魔物のように、誰かと主従契約を結ぶ者達や、同じ物を司る魔物が複数在る場合は、あのように識別用の紋章を使う事もある」

「むむ。という事は、オフェトリウスさんも、あのような物をお持ちなのですね?」


ネアが興味を示してしまったからか、ディノは少しだけしゅんとしてしまう。

小さな声で浮気かなと呟くので、ネアは、すかさずそんな魔物の手をぎゅっと掴んでしまった。


「…………ずるい」

「私の伴侶はディノだけなのに、それでもすぐに不安になってしまう伴侶はこうです!」

「可愛い事ばかりする…………」


目元を染めてもじもじしてから、ディノは、けれどもまだ不本意そうに、剣の魔物の紋章について教えてくれた。


「私が知る限りは、五種類だね。この屋敷の、曲線を描く対の細い半月刀はオフェトリウスと同じくらい古い者だった。他にも、三対の短剣と、細い針のような剣、幅広の大剣に、オフェトリウスの長剣がある。オフェトリウスの印は、彼の剣そのものの形だよ。もしどこかで君が守護を必要として、剣の印を辿るような事があれば…………そのような状況はとても不本意だけれどね。………その場合は、印を読み違えないようにした方がいい。剣という物は、どのような形であれ主人に忠実だ。加えて、守護者としての気質の強いオフェトリウスのような、温和さや柔軟さを持つ剣の魔物はとても珍しい」

「………その場合、他の方は好戦的であったり、獰猛であったりするのでしょうか?」

「そうだね。オフェトリウスが居る以上、それ以外の資質が他の剣に振り分けられているのは当然の事なのだけれど、あまり君に会わせたい魔物ではないかな。あの半月刀の印が残るという事は、どこかにその資質を得た新しい剣の魔物もいるのだろう。………この門の装飾を見ている限り、ここに紐付いた魔術はもう途切れてしまっているけれどね」


そう教えてくれたディノと、古く美しい海辺の街を歩きながら、ネアは古いものと新しいものについても少しだけ考えた。


身勝手な安堵かもしれないが、こうして旅先で触れた今はもういない誰かの痕跡が、ネアの大事な魔物の心に傷を残していない物で良かった。

そう考えてしまうのは、この魔物に、ネアの知らない過去が読み切れない大図書館の蔵書くらいにあるからだろう。


その全てを知らないという事を不服に思う程に繊細ではないけれど、今のネアの取り分は強欲に握っていたいので、何かに損なわれては癪なのである。



「ディノ、…………ディノはあまり、誰かの出てくる昔話はしませんね」

「そうかい?………君に話した者達だけでは足りなかったかな………?」


困惑したようにそう尋ねたディノに、ネアは、微笑んで首を横に振った。


「上手に説明出来ないのですが、もっと沢山の思い出話が聞きたいという事ではないのです。ただ、……もし、その人の事を思うとむしゃくしゃする方や、何だか居心地が悪い記憶に紐付く方。もういないけれど、会いたくて胸が痛む方や、もっと沢山触れていたいと思う方、………そんな風に、今のディノだからこそ、あらためて心の動きが見えてくる方がいるのかもしれません」

「…………それを、君は知りたいのかい?」

「人間の場合は、そうして時折感傷的になったり、むしゃくしゃしたりするような、思い出す事で動いてしまう心の変化も少なからずあるのですよ。なのでもし、ディノがそのような心の反応で何だか落ち着かない時があったら、私に相談して下さいね?そのようなものの大部分を丸めてぽいしてきた私とは違い、ディノはきっと、今になって触れていた事に気付く物もあるでしょう。………その時に、痛かったり切なかったりして、私の大事な魔物が不安になってしまったら困るのです」


ゆっくりと言葉を選んで伝えたが、話しながらネアも少しだけ迷子になってしまった。

あの門扉の剣の模様を見て、ネアが勝手に感傷的になっただけなのだ。

動いていたのはネアの心なので、その共有の仕方はとても難しい。


「…………ネアかな」

「ディノ?」

「傍に居るけれど、会いたくなるのは君だし、沢山触れていたいのは君だけだ」

「………むしゃくしゃは…………」

「それはないけれど、君が、先程の魔物とダンスを踊るのは嫌かな」

「ふふ。私がダンスを踊るのは、大事な伴侶と、仲良しの方だけです。あの方とは、踊りませんよ?」

「うん。…………それと、泳げる魔物はあまり好きじゃない」

「…………なぬ。思いがけない主張が、水泳界隈で出てきました」


そちらに傾いてしまったかと苦笑していると、ふっと、ディノが鮮やかな水紺色の瞳を細める。


その眼差しはどこか危ういくらいに無防備で、けれども、ぞくりとする程に蠱惑的でもあった。

魔物らしい無尽蔵さに短く息を呑み、ふわりと抱き締められてその腕の中に収まる。


「…………それと、君が時々、雨の夜に何かを思う眼差しで、あまり好ましくないものがある」

「まぁ。…………もしかするとそれは、私がちょっと厄介な思い出に触れている時かもしれませんね。……それを今でも慈しむ事はありませんし、それが私の心の中で特別に大事な物という訳でもないのです。けれども、とても印象的な出来事の一つとして、不意にその思い出に捕らわれるという事が、人間は時々あるのですよ。………でも、私の大事な伴侶がもやもやするのは不本意なので、今度そんな事があったら、私を何かに誘ってみて下さい」

「何かに、誘うのかい?」

「ええ。髪の毛を梳かして欲しいだとか、夜のお庭のお散歩やお茶会でもいいのです。ディノとする事はどれも大好きなので、そうして声をかけてくれれば、私はあまり愉快ではない過去の事など、すぐさまぽいしてしまうでしょう」

「では、そうしてみよう」


頷いてそう微笑む魔物は、どきりとするような男性的な眼差しでこちらを見るのだ。

ぎくりとしたネアは、そろそろと視線を逸らしてみたのだが、腕の中にいては分が悪い。

ふっと顔を寄せられ、口付けが落とされると、その甘さに溺れそうになって、ネアは、ぷはっと息継ぎの為に顔を上げた。


「…………にゃむ」

「可愛い…………」

「こ、公道ですので、このような振る舞いは禁止です!」

「おや、魔術の道に入っているよ?」

「も、もう、お外での対応の上限を超えましたので、これ以上は次回のご利用になります!」


ネアは慌てて逃げようとじたばたしたが、ディノは途中からご主人様をぎゅうぎゅう抱き締めるのが楽しくなってしまったらしい。

最終的には、ぐりぐりと頭を擦りつけてくる魔物を撫でてやる事になり、それならばと安堵したネアは、背中にぴったり添えられた手のひらの温度に唇の端を持ち上げる。


この宝物は、自分の意志でしっかりへばりついていてくれるので、ネアの指の隙間から、さらさらとこぼれ落ちて行ってしまう事はない。



昼食の予約の時間まで、二人で街のあちこちを見て回った。



綺麗な黄色い花を染料にして染めた結晶貝殻のお店では、ネアは素敵な置物を二つも買ってしまったし、小さな小瓶に入ったお土産を家族にも買う事が出来た。

コルジュールには、ドーミッシュより下位にあたる眠りの系譜の魔物が住んでいるらしく、安眠用のポプリや、お守り術符のお店も多い。


聞けば、お土産としても人気があるが、夏の終わりに大きな嵐の来るこの土地では、住民の安眠用にも重宝されているのだとか。


街の医術院に併設された薬の魔物のお店もあり、覗いてみると、こちらは目薬の専門店になっていた。

船乗り達に重宝された事で、この街では目薬を得意とする薬の魔物が重用されるのだそうだ。


(そう言えば、ヴェルリアにも目薬のお店が多かったような………)




そこかしこに咲きこぼれる色鮮やかな花々と、太陽や陽光の系譜の祝福飾り。

そこに重なりかけられているのは、細く長い涙型の北海の主人の祝福結晶だろうか。


外での飲食にぴったりな気温なので、果物のジュースの屋台やお店が多く、暑すぎない陽射しの下で、お客達はジュースを飲みながらのんびりとお喋りしている。

ゴーンと鳴らされた教会の鐘の音に、あちこちで見かける、小鳥くらいの大きさの羽毛を持つ竜の姿。


「ディノ、あの竜さんは何をしているのでしょう?」

「何か、この街で役職を得ているようだね。………あちこちにいるけれど、植物の系譜の竜だと思うよ」

「ぱたぱたしていて、可愛い竜さんです」

「ネアが浮気する…………」

「ほぼ野生の鳥類の認識ですので、どうか、その区分に入れないで下さいね」



観光客に大人気だという、可愛らしいボンボンのお店で竜について聞いてみると、なんとあの竜達はこの街の観光局の職員なのだそうだ。


あちこちをぱたぱたと飛び交い、何か問題があると、観光局の案内人や、街の騎士達の詰め所に知らせに来てくれるらしい。


ただし、風の強い日は吹き飛ばされてしまうので、そんな日は仕事を休み、街の西側にある大きな木の家でぐうぐう寝ているのだとか。

国から給金として花蜜や果物を貰っており、仕事上連携を取る騎士達とも仲良しなのだそうだ。



「きゃわわな竜さんでした…………」

「あんな竜なんて…………」

「そして、コルジュールには騎士さんがいるのだなと思ってそちらも気になったのですが、あちらの方々がこの街の騎士さんなのですね…………」


街角に立っていた二人連れの男性を眺め、ネアが遠い目をしたのが不思議だったのだろう。

騎士と聞けば目を輝かせる筈のご主人様が、どうしてこちらの騎士には興味を示さないのかと、ディノは首を傾げている。


「あの騎士は、…………あまり好きではないのかい?」

「私はこれでも、ウィリアムさんのような、素敵な軍人さんの恰好良さも満更ではないと自負しているのですが、あちらの方々のぶ厚い肉体と半袖の制服の組み合わせは、少々野性的過ぎて心惹かれませんでした。しっかりお鬚の顔立ちも、がははと笑う頼もしいお父さんという感じはするのですが、理想の騎士さんの雰囲気からはだいぶ外れるような気がするのです…………」


ネアはここで、ウィリアムやオフェトリウス、或いは先日のサフィールのような雰囲気が素敵なのだと説明しかけ、こちらを見ている魔物が荒ぶる可能性があるからと、無難に言葉を収める事にした。



「そろそろ、予約したお店に向かいましょうか。通りを間違えてしまったので、毛長人魚さんには出会えませんでしたが、その代わりに果物のボンボンのお店に出会えて大満足です!」

「うん。この店では、ボンボンの入れ物も気に入ったのだろう?」

「お店の缶がどれも可愛くて、選ぶのに苦労してしまいました。コルジュールの街並みや品物は、ウィームとは使われる色の配色が違うので、あちらにはない雰囲気で心を掴んでくる品物が沢山あるようです……………」


コルジュールの特徴的な装飾は、淡い薔薇色や淡いセージグリーンを下地に描かれる、色鮮やかな小花柄の装飾のようだ。


包装紙やお菓子の缶はどれも色鮮やかで綺麗で、お土産を買っていても目に楽しい。

王家の紋章に使われる一重咲きの黄色い薔薇の意匠のものはさすがに少なく、とは言え、御用達のお店には、その紋章が入る。


からっと揚げた烏賊や海老などのいい匂いのする店の前を歩き、また少し、今度は階段を上がってお目当ての店に向かえば、ゼノーシュに教えて貰った外観のお店はすぐに見付かった。


「ディノ、とんがり屋根に丸い窓のある、黄色い薔薇の茂みが目印なお店です。……………この薔薇はもしかして…………」

「王家の薔薇だね。傍流の王族が持っている店なのか、よく利用されている店なのかもしれないよ」

「淡い薔薇色の壁に、黄色い花と緑の葉の対比がなんて綺麗なのでしょう。…………むふぅ。わくわくしてきました!」



店の扉を開けると、まだお客の少ない時間のようだ。

ゼノーシュから、早めの時間に入店した方がいいと聞いていたが、このくらいの空き具合の方が確かに、窓からの景色をのんびり楽しめそうだ。


予約席は海に面して座る二人席で、淡い白檸檬色のテーブルクロスの上には、可憐な薄紫色の花を生けた硝子の一輪挿しが置かれている。

窓は開かれていて、食事の妨げにならない程度の心地よい風がふわりと吹き込むのだ。



「私はこの、刻みオリーブのソースのお魚にしますね」

「タルタルソースかな……………」

「ディノは、お魚にしますか?それとも、海老か烏賊にします?」

「魚にする。……魚の種類などは、その日に決まるのだね」

「ええ。今日のお魚は、花咲きの鱗を持つ南洋鯛だそうです。からりと揚げて、上にたっぷりのソースをかけていただくのですよ。……………じゅるり」



見聞の魔物のお勧めのこの食堂は、自家製のオリーブ油でからっと上げた海鮮料理が有名なのだそうだ。

シンプルに塩味でもいいが、そこに特製のオリーブソースを合わせるのが人気であるらしく、ネアはそのソースを選んだ。


香味野菜と緑色のオリーブを細かく刻んだソースは、普通の物と、青唐辛子を使った辛みのあるものに分かれており、ネアは今回、辛いソースの方にしてみた。

辛いとは言え、ふぅふぅしながら食べる辛さではなく、さっぱりとしたピリ辛程度の味なのだそうだ。


付け合わせは、パンと細かい粒状のクスクスのようなパスタがあり、ネアはパスタを選択する。

全ての料理にクネルの檸檬スープがついており、魚の出汁の奥深い味わいに、輪切りにされた檸檬を浮かべた爽やかな酸味が堪らない美味しさであった。



「……………むぐ。……………こ、これは!」

「美味しい……………」

「揚げたお魚の風味が、素晴らしいのですね。オリーブの香りがするのですが、高価なオリーブにありがちな僅かな苦みなどはなくて、さっぱりと揚がっています!」

「……………この丸いものは何だろう」

「ケッパーではないでしょうか?タルタルソースにぴったりなのです?」

「うん。……………美味しい」



やはり観光地では、その土地のレシピの料理が最も美味しく感じるのだろう。

ぱくりと食べた料理の美味しさに心を弾ませ、ネアはむふんと頬を緩める。


ディノの食べたタルタルソースのものもかなり美味しかったようで、こっそり周囲を窺えば、甘辛たれの海老も美味しそうであったし、衣を付けて揚げた烏賊も、たっぷりのトマトソースとチーズの組み合わせが素晴らしい香りを届けてくれる。


黄色い薔薇に縁取られた窓の向こうには、エメラルドグリーンの海が広がっていて、僅かに海辺の建物の薔薇色が入るのも絵のような美しさであった。



「……………むぐ。しゃわわせです」


ネアはお口の中いっぱいで上手く言えなかったものの、この幸せを隣の伴侶に伝え、パイナップルジュースの風味のある夏果実のアイスティーを飲んだ魔物も、目をきらきらさせながら頷いた。


(白身の鯛がふわふわで、そこにソースの塩味や風味が素敵に絡み合って、たっぷりさっぱりかけたソースが、クスクスに染みていてとっても美味しい!青唐辛子も、少しの辛みと風味が絶妙だった……………)



お皿の上には、ほこほこの茹でジャガイモも添えられているのだが、そのローズマリーとバターの風味も素晴らしい。

じゅわっと蕩けるバターの黄金色が、窓からの陽光にきらきらと光って見えた。



食後には、安価な追加料金でちびケーキも付けられるのだが、ケーキの種類が普通だった事もあり、食べ歩きの可能性も感じているネアは、敢えてその選択をしなかった。


果物をたっぷり使った氷菓子や屋台の揚げ菓子など、魅力的な食べ物が沢山あったのだ。




「こちらの可愛いお嬢さんは、観光かい?もし、午後の予定が決まっていなければ、私の船に乗せてあげようか?」

「…………いえ、予定はみっしり詰め込んでしまったので、ご遠慮させていただきますね」



店を出てすぐのところで、ネアは、また男性に声をかけられた。

はっとしたディノが慌てて羽織ものになってくるが、金髪に蜂蜜色の瞳をした男性は、気にした様子もない。

朗らかに笑って、船に乗りたくなったら声をかけてくれと手を振り歩き去ってゆく。



「何となく、国民性というか、この土地の人外者さんの傾向が見えてきました……………」

「あんな魔物なんて……………」

「むむ、やはり魔物さんだったのですね………」


海沿いにある海洋美術館に向かう道中で、ネアはおおよそのコルジュールの魔物達の気質を把握した。

ネアの生まれ育った世界にもそのような土地があったが、女性はひとまず口説くのが礼儀だと思っている傾向が見えるのだ。


社交辞令の一環で口説いてくるので、そんな男性達には罪悪感というものがない。

伴侶がいてもお構いなしなので、ディノはすっかり警戒してしまった。



「ディノ。これはもう、お国柄のようですよ。どんな女性の方にも変わらない様子なので、変わった挨拶だと思って諦めましょう」

「…………クリームケーキを、食べに行ってしまわないかい?」

「ふふ、最後に声をかけてくれたご老人のお誘い文句ですね?お陰で美味しいさくらんぼのケーキのお店があると知れましたので、後でディノと行こうと思っているのですが、付き合ってくれますか?」

「うん…………」



(私に声をかけてくれるのは、魔物さんが多いのかな……………)


やはり、一緒に居るディノが明らかに人外者の美貌なので、人間にはいささか負荷が大きいらしい。

結果として声をかけてくるのは魔物が多く、街中に、男性の精霊や妖精の姿はあまりないようだ。


それこそ、少年姿の魔物からご老体までが気軽に可愛いねと褒めてくれるので、ネアは何だか素晴らしく可憐な乙女になった気持ちで、ディノの手をぎゅっと掴んでしまう。


とは言え、もし隣の伴侶が道行く女性達から何度も誘われたら嫌だろう。

なのでネアは、男性達が誘ってくれる度に、どれだけ伴侶が大好きなのかを添えて断るようにした。



「やぁ、可愛らしいお嬢さんだ。一緒に……………っ、我が君?!」

「……………む。一瞬で逃げてゆきましたが、今のはジアートさんでは……………」

「ジアートなんて……………」


どうやら、声をかけてくる者の中には地元の魔物だけではなく、それに乗じた観光客な魔物もいるようだ。

しゃっとパンの魔物のような素早さで逃げていってしまった魔物を遠い目で見送り、ネアは、この土地の雰囲気に感化されてしまったものか、すっかり羽目を外してしまっている豊穣の魔物のバカンスを思った。


しかし、豊穣の魔物とも出会っただけあって、海沿いの大通りには他の魔物も多いようだ。


次にネアに声をかけてきたのは、肩口までの金色の髪が艶やかな青い瞳の男性である。

肌の色は僅かに褐色かかっていて、ばさりと睫毛の長い目元にエメラルドグリーンの瞳が光るよう。

こんな海沿いのリゾート地にぴったりの華やかさで、歩くだけで目を引く人外者である。


「もし良ければ、一緒に檸檬のシャーベットでも食べないか?隣に恋人がいても、俺は気にしないよ?」

「伴侶のいる私はとても気にするので、別の方に声をかけてあげて下さい。なお、檸檬のシャーベットはもういただいてしまいましたので、そちらも結構です」

「あはは、こりゃ手厳しいなぁ。お嬢さん、観光案内人はいらないか?是非に君に、この街の美しいところを案内してあげたいね」

「それは……」

「悪いが、彼女は俺の連れでもあるんだ。案内の手は充分に足りている」



おのれと思いつつ断ろうとしたネアの言葉に重ねて割って入ったのは、すっと隣に立った背の高い男性だ。

淡い砂色の髪色に擬態しているが、白金色の瞳で誰だかすぐに分かる。



「……………おや、これは引き下がった方が良さそうだ」


にっこり微笑んだウィリアムに、苦笑して無抵抗を示すように両手を上げてみせた金髪の男性は、すぐに立ち去ってくれた。


ほっとして笑顔になると、ネアが振り返った白いシャツにシンプルな黒いパンツ姿という珍しい装いの終焉の魔物は、こうなると思ったと淡く微笑んでいる。



「シルハーン、俺かアルテアがいれば、あの手の連中も寄って来ないでしょう」

「月光鳥の魔物なんて……………」

「むむ、先程の方は、鳥類めな魔物さんなのです?」


ディノと繋いでいない方の手をウィリアムに取られ、ネアは首を傾げた。

もう少し獰猛な雰囲気もあるように思えたが、月光鳥と聞けば何だか儚い印象に感じてしまう。


「ああ。月夜に船を導く魔物の一人だな。……うーん、この時間から魔物が集まるとなると、やっぱりネアは、コルジュールの土地とは相性がいいんだな……………」

「あんな魔物なんて……………」

「ディノ、ウィリアムさんが来てくれたので、もう大丈夫ですよ」

「…………うん」


ネアがそう言えば、少しほっとしたのだろう。

ディノは、頼もしそうにウィリアムを見ている。

何がとは明確に言えないのだが、ネアには、この土地の男性達を退けるのに、ディノでは駄目でウィリアムなら大丈夫な理由がちょっぴり分かるような気がした。


「ネア、大丈夫だったか?」

「この土地の方々は、女性はひとまず口説くという感じなのですね………」

「ああ。それもあるが、特にコルジュールの海沿いの土地は、繊細な面立ちで獰猛な気質の女性が、魔物を中心に持て囃されるんだ。その気質を踏まえると、ネアはかなり危ないかなと思っていたが、やはり集まるな……………」

「なぬ…………。獰猛、なのです?可憐ではなく…………?」

「コルジュールなんて……………」



なお、森の系譜の妖精は、男女を問わず皆からとても大事にもてなされるので、ヒルドがコルジュールを褒めていたのはそれでだろうという事であった。


また、男達は何人もの女性を上手に口説いてこそ一人前であるという土地であるので、ディノのような、美麗だが物静かにも見える男性は、この土地のぐいぐいくる系の男性達からは少し軽視されてしまう傾向があるのだと言う。


階位ではなく気質を重視する傾向が強いのは、階位にかかわりなく、皆で一丸となって海で戦ってきた男達の気風が今も尚色濃く残るからなのだそうだ。



「その手の誘いが激化するのは、夕暮れからなんだが、早めに合流出来て良かった。…………シルハーン、彼等も勝率が悪いと察すれば引き下がります。伴侶以外に他の男が同行していれば、それ以上はと考えて、この土地の男達は近付かなくなる筈ですので、これで安心かと」

「うん…………。ウィリアムが来てくれて良かった……………」



その言葉の通り、ウィリアムが合流した途端に、声をかけてくる男達はいなくなった。

そうなるとディノは大丈夫だろうかと警戒してしまった人間に、くすりと笑ったウィリアムが、コルジュールの女達は言い寄られる事に慣れているので、自分を褒め称えない男性にはまるで興味がないのだと教えてくれる。


加えてここでも、どちらかと言えば、女性の扱いに長けていそうな少し爛れた感じの男性が人気なのだそうだ。


(…………もしかして、ウィリアムさんの服装がいつもと少し違う男性的な色気のある雰囲気なのは、コルジュールの男性達の服装に合わせてくれたのかな……………)



少しぴったりとしたシャツの着こなしだと、コートなどを羽織ってしまうと長身だが細身にも見えるウィリアムの体格が良く分かる。


大柄な竜種程に頑強な体形ではないものの、しっかりと筋肉のついた肢体は、魔物達の中では竜種寄りだ。

前髪を掻き上げ服装でがらりと雰囲気を変え、シャツの輪郭で浮かび上がる筋肉のラインなどを含めれば、なかなかのファルゴの名手感も出ている。


そんな同行者と共に、今度は誰にも邪魔される事なくゆっくりと海辺の景色を楽しみ、ネア達は、さくらんぼのケーキのお店を経由してから、美しい海の至宝などを収めた海洋美術館を堪能した。


ドーム状の水晶の建物は圧巻で、あちこちに海の祝福を宿した水槽がある美術館は、海水を透かした青い光の中でこそ映えるような美術品を集めている。

南洋の光量と海の色に、北海の気温のこの国でしかお目にかかれない展示の仕方であるので、ネアはすっかり気に入ってしまった。



「そして、コルジュールの歴史を描いた作品を見て思ったのですが、この国の歌乞いさんは、殆どが男性の方なのですね」

「ああ。海に出る男達が契約を欲した訳だからな。仕事の上での相棒という感が強い、歌乞い契約になる」

「女性の方は、あまりお仕事はされない土地なのですね」

「コルジュールの女達は、男達の手で、家で大事に守られるからな。外に出るという事は、あまり好まれないらしい。因みに一妻多夫制で、夫が多い方が良いとされる」

「なぬ……………」

「コルジュールなんて……………」



そんな話を聞いてしまったディノはまた荒ぶってしまったが、ウィリアムがいるからか声をかけてくる男性がいなかったので、暫くすると落ち着いてきたようだ。



その頃になると、外はゆっくりと夕暮れに向かう時間になった。


薔薇色の建物に落ちる夕日は、はっとする程に鮮やかな色に染まり、その色に飲み込まれないエメラルドグリーンの海の色がまた、見惚れてしまいそうな鮮やかな色で揺れる。


少し問題もあったが、そんな風景を見てしまえば、ネアは声もなく感動に震えるばかりであった。

晩餐をいただくお店は、アルテアが予約をしてくれている。

店名を言えば、ウィリアムも知っているレストランであった。


本場のファルゴが見られると分かりネアがはしゃいでしまうと、微笑んだウィリアムが、コルジュールのファルゴを教えてくれると約束してくれた。







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