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薔薇壁の街と海の歌乞い 1



その日の仕事は、珍しくウィームを離れてのもので、言ってしまえば国内の仕事でもなかった。

謂わば久し振りの海外出張なのだが、転移を駆使する魔物達と過ごし、なおかつお盆の町などには出かけて行っているので、ネア的にはもはや国外旅行とは何だろうと言う悟りの境地である。


しかし、そんなネアですら心弾む出張となったのは、目的地が素敵な海辺の土地であったからだ。



「何て綺麗なところなのでしょう!モナの海辺に少し似ていますが、それよりは海の色が鮮やかなのですね」

「このような場所まで持ち去られてしまったのだね……………」

「そう思えば、窃盗犯は随分と遠くまで逃げましたね……………」



ネア達の今回の任務は、夏至祭でリーエンベルクから盗まれた幾つかの品物を、奪い返す事にある。



本来であれば、妖精に持ち去られた物はそのまま諦めるべきなのだが、今回は、そうしきれない人間の側の事情があった。

よりにもよって、その妖精は騎士棟から複数名の騎士の武器を盗んだのである。



(……………もしその武器で悪さをされると、こちらに不利な魔術証跡を付けられかねないから……………)



盗まれたのは演習などで使う予備の物であったが、とは言え、その武器を使用した騎士の履歴が魔術証跡として残っている。

リーエンベルクとしては、そのようなものを残した道具を放置するのは、流出先が異国であるからこそ得策ではないと判断されたのだ。



勿論、日頃から管理は徹底されていたのだが、今年は雨スリという厄介な悪戯妖精が現れて、鍵のかかった備品庫を開けてしまった。

持ち去られる瞬間を見ていた騎士もいたのだが、何分その時は夏至の行列が来ていて手出しが出来なかったのだそうだ。


持ち去り先についてはゼノーシュが魔術捕捉をかけておき、後日回収となっての今日なのである。


雨スリは、鍵のかかった保管場所から個人の道具などを盗む妖精で、盗んだ品物は遠く離れた地で、穴を掘って埋めて隠す習性がある。

何年かしてからその品物を取り出し、見ず知らずの誰かに授ける困った妖精なのだ。



「品物を盗んで隠すまでは狐さんによく似ていますが、国外への持ち出しはまずいですものね」

「ノアベルトに……………」

「まぁ、しょんぼりしてしまうのです?」

「雨スリは、獣姿の妖精だからね……………」


ネアは、小型犬姿な雨スリと未だに冬毛疑惑の銀狐とでは大差ないのではという疑問も持ったが、悲し気に項垂れた魔物の為にそれ以上の事を言いはしなかった。


時として正しくとも触れてはいけない事柄があり、今回はその領域なのだ。

なのでまずは、授けられた任務をこなしてしまう事とする。



「……………ふは!爽やかな風です。こちらは、夏になってもあまり暑くはならないのだとか」

「飛び地的に、北海の系譜の力が強い土地なんだ。本来は太陽や南洋の系譜の土地の中だから、近隣の者達には重宝されているようだね」

「ええ。素晴らしいリゾート地として、観光資源で栄えている国なのですよね。北海の系譜と聞くと竜さんを思い出してしまいますが、あの方達の領域なのですか?」

「いや、ここを治めているのは北海の精霊の一人だよ。明るい色の海の領地が欲しいと、この土地の精霊と取り引きをしたらしい」



聞けば、北海の女王と南洋の王で精霊同士が取引きをし、それぞれの領域にはないものを得る為に友好的な飛び地となった場所なのだそうだ。


その結果この国には、北方からの観光客が多い。

また、北方のお客だけでなく、暑い夏の中でも涼しい飛び地を求めてやって来る観光客で潤うこの国は、周辺諸国の要人達の心を捉えた事で、ここ百年ほど、治安が安定しているのも特徴だ。


北と南のそれぞれの良い所を備えた国土では、周辺諸国のような干ばつの被害も少ないそうだが、元々海の系譜の恩恵なので、農業における収穫は左程大きな効果は出ないのだとか。


とは言え、周辺諸国の王族や貴族の避暑地にもなっており、この類まれなる土地を戦乱などで損なわないようにと複数の国々が参加して国際保護条約まで交わされているだけでも、コルジュールは恵まれた国だろう。



今では、魔術的にも稀有な正反対の二重属性であるのと同時に、貴族の子弟が学びを得る全寮制の学院と、海辺の高級リゾートが有名な美しい港町として知られている。



「こんな素敵な場所に獲物を隠したとなると、雨スリさんは、観光の為に立ち寄ったのかもしれませんね」

「観光なのかな………。ネア、先にホテルに寄らなくてもいいのかい?」

「はい。まずはお仕事を済ませてしまいましょう。休暇を楽しむのは、その後です!」

「うん。弾んでしまうのだね。…………かわいい」

「アルテアさんとウィリアムさんも、夕方迄には合流してくれるそうです」



今回の仕事は、せっかく初めて訪れる土地に出向くのだからと、ヒルドから、休暇を使っての宿泊を勧められていた。


一度ヴェンツェル王子の護衛でこの国に滞在した事のあるヒルドは、食べ物が美味しく景観のいいコルジュールは、ネアの好きそうな土地だと考えたらしい。

ゼノーシュからも、美味しい海鮮料理が食べられると聞いてしまったからには、そんな提案は有難く受けるしかなかった。



(きっと、アルテアさんやウィリアムさんも、美味しい海鮮料理が食べたいのではないかな…………)



今回は、雨の夏至祭の後に設けられる特殊な安息日もあり、久し振りの連休である。

とは言え普段もそこまで厳しく働かされている訳ではないのだが、折角なのでと、元々はアルビクロムの師匠宅に遊びに行く事も考えていた。


だが、不在期間が長かったにゃわなる師匠は、そちらの方面の顧客を捌くのでかなり忙しいらしい。

長期間放置されていた弟子も、ムガルという競合の存在に荒ぶっており、なかなか時間を作れないようだ。

であれば、諸々が落ち着く秋くらいにと再会の約束をし、今回は海辺のリゾート地での休暇となった次第である。


しかしなぜか、ここに出かけるのだという話をした途端、終焉の魔物と選択の魔物が合流する事になったが、宿泊地は別で晩餐だけ一緒にという提案からすると食事目当てなのは間違いない。


なのでネアは、そのように高位の魔物達の心を奪うコルジュールの食事に期待をかけ、とても心を弾ませていた。



(とは言えまずは、お仕事なのだ…………!!)




そんなネアの目的地は、海辺の街にある高台の教会である。



その敷地内にある庭園から植物園のどこかに、騎士達の剣が埋められているらしい。

ディノに隔離結界で覆って貰い、住民や観光客に気付かれないように掘り出し、持ち帰るまでがお仕事である。



「こうして高台から見ると、とても綺麗な街ですね。多くの方々が魅了されてしまうのも納得の景観です」

「特にこの辺りは、王家の別荘地とされる区画だからね」


コルジュールの王都はもう少し内陸部にあるが、同じ高台にはコルジュール王家の別荘もあるのだそうだ。

壮麗な造りの建物は美しく、その外観だけでも一つの観光名所らしい。

この教会からも見えるそうで、貪欲な人間はそんな景観を楽しむ事も目的に据えていた。


まずは転移でと降り立った高台の土地だが、そこで周囲を見回すネア達の周囲にも、ふわんと柔らかい朝の風が吹き抜ける。

石畳の広場は森の入り口のようになっていて、左手の奥に、一際大きな木に寄り添うように建てられた教会の建物がある。

植物園は、それを囲むようにして生茂る木々の奥にあるのだろう。


教会の敷地内のこの土地には、百日紅のような赤紫色の花を咲かせた大きな木が何本も生えていて、その根元には鮮やかな黄色い花を咲かせた茂みがあった。

ケリアか木香薔薇のように見えたが、近付くと丸い蒲公英のような形状の違う植物のようだ。


「見た事のないお花が沢山咲いているのですね。…………この、水色の小さな百合がいっぱい集まったようなお花も、とっても綺麗です!」

「それは木漏れ日の系譜のものかな。花の種類としては、百合の一種のようだね」

「お花が沢山咲いている土地なのですね。そして、この土地の建物は、淡い薔薇色のものが多いようですが何か決まりがあるのですか?」

「この辺りでは、本来の魔術基盤の上に北海の祝福がかかった事で、特別な石材が採掘されるようになったそうだ。薔薇石と呼ばれるものの一つとして、周辺の国々でも人気があるらしい。だからその石材を使った建物が多いのではないかな」

「くすんだオリーブ色の屋根にこの壁の色の組み合わせが、なんとも美しいのです。加えて、見事なエメラルドグリーンの海だなんて……………」

「可愛い、弾んでる……………」



ネアの好きなモナの海よりはぱっきりとした強い色の海だが、その鮮やかさが海沿いの淡い薔薇色の建物や、色とりどりの花々によく似合うではないか。


まだ仕事を終えていないのにすっかりリゾート気分になってしまったネアは、きらきら光る海や満開の花々が視界に入ってくると、どうしてもにんまり微笑んでしまう。



この高台に佇んでいる教会も、街並みと同じような薔薇色の石材で建てられていた。


アプローチの階段には彫刻が施され、決して華美ではないが、どこか繊細で温かな赴きのある建物だ。

今は朝のミサの最中らしく扉が閉じているが、薔薇のシャンデリアと呼ばれる、薔薇の輪郭を象ったこの教会でしか見られない形のシャンデリアが中にあるようなので、仕事が終わったら少し覗いてみようとこちらも楽しみであった。



「ディノ、やはり植物園の方でしょうか?有料の区画の中だと、掘り起こすのにも勇気が入りますよね……」

「ゼノーシュの示していた魔術座標は、あの辺りかな」

「なぬ。植物園ではないものの、よりにもよって一番目立つ、教会の真横にある素敵な木の下なのですね……………」

「墓地を掘り起こすとなると、特別な魔術洗浄が必要になる。少し奥にある墓地の中でなくて良かった」

「まぁ、確かにもう少し後ろになると、墓地になってしまうところでした」


どうやら、雨スリが武器を埋めたのは教会の横にある大きなマロニエの木の下であるらしい。


問題の木の横には開いた本の形をした石碑があり、コルジュールの歴史やこの薔薇壁の教会の歴史などが書かれているようだ。

観光地なだけあって早い時間から人が動くものか、既にちらほらと観光客がいるので、なかなか人目に付き易い所に埋めてしまったのだなと嘆息せざるを得ない。


とは言え、ディノの言うようにその木の後ろには古い墓地があり、その中であったらもっと大変な思いをするところであった。



「ディノ。………ちょうど人がいなくなりましたので、ささっと遮蔽してしまえます?」

「うん。意識阻害をかけて、周囲に誰も近付かないようにしよう」

「はい。では、失せもの探しの結晶を準備しておきますね」


そう言ってネアが取り出した小さな結晶石こそ、今回の任務にネア達が抜擢された理由の一つであった。


チューリップの花の中から出てくる失せもの探しの結晶は、もはやネアにとって、汎用性の高い便利な魔術道具のようなものになりつつある。


(そして今回は、この結晶石が有効活用出来そうなのだ………!!)


雨スリは盗んだ品物を地中深くに埋めてしまう。


なので、エーダリア達は、武器を取り戻さねばならないものの、有名な観光地であるコルジュールの地面を、こっそり入り込んで掘り返す事が可能だろうかと頭を痛めていた。

何かいい案がないかなと頭を捻り、であれば近距離から失せもの探しの結晶を使って取り戻せばいいのではと提言したネアに、その案が採用されたのだった。



幸運にも、教会周辺にいた観光客や地元住民達が、マロニエの木から離れる一瞬があった。

ネア達はそこを見計らってささっと木の近くに移動し、すかさず、ディノが木の周辺を魔術結界で封鎖してくれる。



「むむ、………もっと、明らかに埋めたと思われる箇所が分かるのかなと思ったのですが、どこにもそんな痕跡が見当たりませんね…………」

「雨スリは、置き換えの魔術で盗んだ品物を地中深くに隠すのだそうだ。だからこそエーダリア達も、掘り出せるかどうか悩んだのだと思うよ。微かな魔術の織りを感じるから、結界で覆った中にあるのは間違いない。取り戻してしまうかい?」

「では、失せもの探しの結晶を使ってしまいますね」

「うん」


失せもの探しの結晶はとても便利なものだが、今回のように異国の、それも人目の在るような土地に収納されてしまった品物の場合は、引っ張り出す事で土地の表面に支障が出ないかどうかを慎重に見極める必要がある。


奪われた武器は、本来はわざわざ国外にまで回収に行くような貴重な物ではない。

それなのにここ迄追いかけてきたのは、ウィームの魔術証跡を宿した武器を、どんな形であれ、異国に転がしておく訳にはいかないからだ。

そうして、後々に国際問題にならないように回収に来たのだから、掘り出し作業は決して公には出来ない。

だからこそ、その回収の為の手間もまた、惜しむ訳にはいかないのだった。


ネアは、手のひらでふた粒の失せもの探しの結晶を包み込むと、ディノと視線を交わして頷いた。



「グラストさんとアメリアさんの演習用の武器を、こちらに返して下さい」


手の中の結晶石にそう願った瞬間、ぱきりと儚い音がして握り締めていた結晶石が粉々になる。

そしてその途端、ネア達の足元には、土で汚れた、結晶化した栗の木の演習用の武器が転がっていた。



「戻ってきました!…………土で汚れていますが、やはり、何か特殊な土壌の汚れなどがありますか?」

「教会の敷地内なので、僅かに土地の信仰の魔術を帯びかけていたようだね。余分なものを払って、私がリーエンベルクに戻しておくよ」

「はい。お願いします」



結晶化した木は、演習用の武器を作るにはぴったりだが、こうして地面の下に埋められてしまうと土地の魔術侵食を受け易い。

土などを一緒に持ち帰って問題が起きても嫌なので、ディノが魔術で払ってくれる。


なお、そのまま処理を終えた武器をリーエンベルクにぽいっと転送してくれるのは、ここにいる魔物が最高位の魔物だからこそ可能な技だ。


失せもの探しの結晶の扱いについてもそうだが、こうして、回収した武器をすぐさまリーエンベルクに戻せるのも、ネア達が担当になった理由の一つであった。

勿論、グラストとゼノーシュでもそれは可能だが、雨スリが武器を隠した土地に特殊特性があった場合、その場での魔術洗浄はディノの方が長けている。

なので、どうやら教会の敷地内に埋められたようだぞと判明した段階で、ネア達が引き受ける事になったのだ。



こうして無事に武器の回収が終わり、何食わぬ顔で周囲を覆っていた結界を元に戻せば、任務は無事に完了である。


ディノが交渉しなければいけないような、高位の人外者が土地を治めている事はなかったので、手順としては少なめで済んだようだ。



「………むむ、ちょうど教会のミサも終わったようです。シャンデリアを見てゆけそうですね」

「可愛い。弾んでる……」



異国での仕事なので、ディノは、青灰色の髪に擬態していた。

また、魔物が多い土地なので、騒ぎにならないようにと気配も工夫しているらしい。

ネアは僅かに髪色の色相を変えるくらいで見た目の擬態はあまりしていないものの、知り合い以外の人々からは認識が曖昧になるように、認識阻害の魔術がかけられている。



(ここから、見えるかな…………)



教会から出てくる人々の波の横に立ち、そっと扉の奥に広がる聖域を覗き込む。

薄暗いと思っていた協会の内部は、海辺のリゾート地らしい陽光に溢れていて、高い窓から差し込んだ光の筋が、つるりとした床石を照らしているようだ。

ステンドグラスになっているのは祭壇の上にある丸い窓だけで、それ以外の窓は凝った装飾に縁取られてはいるものの、普通の硝子を嵌め込んだ窓に見えた。


(…………わ、……………ウィームとは、全然違う雰囲気だわ)


黄金をふんだんに使った祭壇は、しかし、常緑を示すオリーブの枝で飾られているのでごてごてとした印象はなく、寧ろ清廉にさえ感じる。

列柱の間に飾られた小さな祭壇や、壁沿いに設置された聖人の像。

そのあちこちに飾られている花々の色合いは、南洋のリゾート地らしい賑やかさで見慣れない彩りを広げる。


そして、そんな空間に窓からの陽光だけではない細やかな煌めきを降らせるのが、噂に聞いた薔薇のシャンデリアであった。


「ディノ、ここからも見えました!評判通りの、綺麗なシャンデリアですね。………想像した薔薇感ではなく、一重咲きの薔薇の輪郭なのでしょうか」

「この土地では、王家の紋章に使われる一重咲きの黄色い薔薇があるらしい。それを模しているのではないかな」

「まぁ、それならきっと、その薔薇の意匠なのかもしれませんね」


細やかな細工を施した金板を、花の形に整えた古風なシャンデリアだ。

王宮などで一般的な、幾重にもクリスタルが重なる豪奢な明り取りの形状ではなく、シンプルな円形の金属の輪を天井から吊るす型のシャンデリアを、ここでは薔薇を模して円形ではなく花の輪郭で作ったのだろう。


金属の枠の上には蝋燭を固定する針があるだけという、そこに蝋燭を刺して固定する最も古い型のシャンデリアなので、造りがシンプルな分手入れをし易いだけでなく、冠や魔術の輪を示す、最も古い聖域の魔術陣の役割も持つ。


古い儀式の場では、祭壇の周囲に魔術陣を描き、その円環の輪郭沿いに火を灯した。

だが、多くの人々が集まる教会でそのように空間を使う訳にはいかないのでと、術陣を信者達が踏まないような頭上に上げる為に作られたのが、この型のシャンデリアの始まりなのだという。


円を描くものではないこのシャンデリアは、魔術陣としての役割を果たすのか、それともクリスタルのシャンデリアのような明り取りの役目を果たす物なのかは分からないが、磨き上げられた金板の枠組みの細工に陽光が反射してきらきらと光る様は、日輪のようで美しい。


恐らくウィームにあってもこのようには輝かない筈なので、この土地だからこそ美しく見えるように作られたシャンデリアなのだろう。


「細工の溝に反射した光が、あちこちに細やかな魔術の光のように散らばるだろう?祝福の光を模して作られた、手の込んだ細工だね」

「このきらきらと床に落ちる光をどう表現すればいいのかなと悩んでいましたが、祝福の光によく似ていたのですね。朝の澄んだ光の残る、この時間に来られて良かったです。あの金板と細工だけで、こんなにきらきらと輝くだなんて、…………ふぁ。とても綺麗でいつ迄でも眺められてしまいますね………」

「太陽の系譜の祝福が強い土地でなければ、この輝きは得られないだろう。北海の飛び地にはなっているけれど、この地には陽光の祝福も色濃く残っている。このどちらをも兼ね備えた土地は、とても珍しいんだ」



ウィームの祝福石や結晶石をたっぷり使ったシャンデリアの美しさは例えようもないが、それは、陽光の明るさを思うように得られない土地だからこそ、魔術の輝きで建物の中を照らす必要があるとも言える。

そんな景色にすっかり目が慣れてしまったネアは、久し振りに見る、健やかな太陽の明るさに何だか圧倒されてしまった。


予め用意していたこの国の銅貨を支払い、教会の中にも入らせて貰ったが、どちらかと言えば扉の隙間から教会の中を覗いていた時の方が全景が見えて素敵だったなと、肌に触れるとじりりと暑い陽光の煌めきに思う。


ぐるりと一周、教会の内部を歩かせて貰い、お土産売り場を発見して立ち寄ると、エーダリアへのお土産にと、教会の絵が美しい小さな歴史絵本を購入した。


「さすが、観光立国というだけありますね。お金を払えばこうして教会の中でも見学させて貰えますし、こんなに素敵な絵本も買えてしまいました」

「多くの者達が行き交う土地では、信仰の系譜の者達も寛容になるのだろう。……古い信仰の系譜の名残りもある聖域のようだ」


言ってしまえば、この教会にはウィームの大聖堂や、これまでネアが訪れてきた聖域のような、強い魔術の気配や力は感じられない。


だが、だからこそ開放的で優しく、森や岩山に作られた小さな祠を覗くような素朴な優しさがあった。

実は、人の形をした人ならざるものという印象があまりにも強烈だからか、海の系譜の妖精達が苦手なネアは、この海辺の街の教会も苦手なのかなと思っていたのだ。

こうして、柔和な佇まいであったのは嬉しい誤算である。



「ディノと私には、この絵のポストカードを買いました。この不思議な温かさのある教会に、二人で来た思い出にしましょうね」

「ネアが大胆過ぎる…………」

「そしてこの国は、歌乞いさんが多いのでしょうか?聖人の像に、歌乞いの方のものが多くありました」

「海というのは外界への境界線だからね。その線の上を行き来する人間達は、違う種族の力を借りる事が多い。この国では、それが魔物だったのだろう」

「ヴェルリアでは、力や叡智を借りる人外者は、主に竜さんと魔物さんで、竜さんの方が少し多めだと聞きました。カルウィでは、竜さんと精霊さんが多いのだとか。そのようにして、土地ごとに縁の深い種族が変わってくるのですね………」


今は、周辺諸国からの寵愛を国の運営に充てているこの国にも、その恩恵を得られない時代があった。


そんな時代にどうやって国の防衛を整えたかと言えば、その戦力はやはり船と海に偏る。

結果として、この国の貴族の多くは一族の船を持ち、家督を継がない次男以下の息子達が騎士団に属してそれをどう巧みに操るかを競ったという。

高位の貴族は軍船を、裕福な商人は大きな商船をと、それぞれの手を海へと広げてゆけば、人間の領域の外側で安全を確保する為の船上での守護を借りたくなる。


では、必要なだけの守護をどう勝ち取るのかとなった時、最も身近な手段は、魔術詠唱にもなる歌だったのだという。


(確かに、儀式を執り行って使い魔を召喚するような手順は、船の上では大変そうだもの………)


その点、歌乞いの儀式は、各国で作法に差はあれど、重要なのは歌声という体一つで成せる魔術だ。

結果として、最も守護を強請りやすい手法が持て囃され、この国には歌乞いが増えたという構図であるらしい。


不要に土地を荒らせば、この特別な加護の均衡を保っている特異性が失われるという判断の下、周辺各国はこの国を奪い合う事はせず、共有財産のような中立地として庇護している。

近年必要がなくなった海軍組織は衰退化しているが、歌で魔物との縁を繋いだ歌乞い達は、所属する組織を変え、今も国内の様々な要職に就いているという。


そして、新しく形作ったばかりの国の組織形態は、歌乞いありきで作られてしまったからこそ、今後もこの国は歌乞いという存在を重用してゆくことになるのだろうとディノが教えてくれた。

更にそれは、観光地として独立国の自我を弱める判断をしたこの国にとって、国内の最終防衛線としても機能している。


(この土地のバランスを崩したくもないだろうし、ましてや、歌乞いが多くて魔物が多い土地であれば、いっそうに奪い合って壊してしまった場合には、不利益の方が大きくなる。その抑止力として、歌乞いの契約の魔物は、いるだけで充分な力になるのだわ……………)



植物園はまだ開園していなかったので、ネア達は、高台にある教会から、幅広の階段をゆっくりと下りて眼下の街に向かう事にした。

周囲には小さな工房や土産物屋が立ち並び、その奥には住人達が利用するような果物屋やパン屋などもある。

ネア達が遅めの朝食兼昼食をいただくお店も、このような高台と眼下の街の間にある景観のいいレストランであった。


ピチチと、どこかの家の庭先からあふれた百日紅の枝で小鳥が鳴いている。

この家の百日紅は濃いピンク色で、塀の上には、日差しを求めるように見事な薔薇の茂みも顔を出している。

外の通りや階段に落ちた花びらは、木陰の模様の上の鮮やかなアクセントのようで、ざざんと、遠くの穏やかな海から波音が聞こえた。


「ディノ、見て下さい。この主階段からそれぞれの層の路地に抜ける細い階段があって、それがまた美しいのです。秘密の小道のような楽しさもありますね」

「もう仕事は終わったのだから、そちらも歩いてみるかい?」

「むむ、気儘に街歩きもしてみたいのですが、まずは中腹にある記念公園で美味しい檸檬のシャーベットを買うという使命がありますので、それを終えてしまってからにしましょうか。暑いくらいの陽射しで空気がからりとしているのに、肌に触れる外気が涼しいので、ふぁっと心が緩んでしまいそうな気持のよさですね」


こうして街中を歩けば、やはり高台には貴族や周辺諸国の王侯貴族達のものと思われる壮麗な屋敷が多い。

だが、そのお蔭で景観が整えられており、観光客は優美なお屋敷街の周辺を、壁の向こうから咲きこぼれる花々の彩りを楽しみながら歩けるのだ。


少し歩いただけでも、様々な国の国旗を掲げた屋敷に出会った。

だが、国外に籍を置く居住者達には一定の制限が設けられており、一年の四分の一までの滞在しか認められていないのだそうだ。


そうなると、休暇でこの国を訪れるだけであれば充分ではあるのだが、すっかりこの土地が気に入ってしまい、自国の爵位を継がずにこの地の住人を伴侶としてしまう者も少なくないそうで、そのような繋がりがまた、この小さな国の基盤を頑強にしてゆくらしい。



「………ネア、」

「あら、折角こんな気持ちのいい素敵な観光地にいるのです。手を繋いでくれないのですか?」

「周囲に人がいるから、今はまだ三つ編みにしておこうか」

「ぐぬぬ、恥じらって逃げられてしまうと、私が無体を働いているようではないですか………」

「可愛い。凄く懐いてくる………」

「では、こう腕をくいっとかけて、エスコートして貰います!」

「…………虐待」

「こうしてくっついてしまうと、弱ってしまうのですね………」


だが、この魔物は、伴侶がぐいぐいくっついてくるのは、嫌いではないのだ。

目元を染めて嬉しそうに恥じらい、刺激が強過ぎるので時々死んでしまうものの、幸せそうにはしていてくれる。

困った魔物であると微笑み、ネアはいつものように三つ編みを握り締めた。



その後二人はお目当ての公園の噴水前広場で、しゃりしゃりと美味しい檸檬シャーベットを食べた。

僅かにほろ苦さも残る檸檬シャーベットは、べたべたした甘さがなく、口の中をすっきりとしてくれる。

甘さを求める人には物足りないかもしれないが、街歩きの観光ではぴったりのおやつだ。



「やぁ、お嬢さん。観光かい?」


これは観光途中の水分補給に最適だぞと口をもぐもぐさせていると、ベンチの横に立った男性からそう声をかけられる。


おやっと顔を上げれば、僅かに下がった目尻が人好きのする印象の、なかなかに美しい男性が立っていた。

癖のあるチョコレート色の髪は艶やかで、鮮やかな緑の瞳はウィームの人々より濃い肌の色にぴったりだ。

青色のシャツを羽織った、寛いだ装いだがどこか上品さも感じられる。


「はい。伴侶と一緒に、旅行に来ているのです。ここは、とても素敵な所ですね」

「そう言って貰えると嬉しいね。お相手は魔物かな。俺も魔物なんだ。もし、夜の予定に余裕があれば、海辺のモンテリアクの劇場で踊っているから、観に来てくれると嬉しいな」

「まぁ、劇場に立たれているのですね」

「この街は、夜が美しくて恋多き街だからね。君のような美しい女性に観に来て貰えるのは、いつだって歓迎だ。例え、伴侶の指輪を持っている女の子でもね」

「…………恋?」


こてんと首を傾げたネアは、次の瞬間さっと伴侶の膝の上に抱え上げられていた。

その様子にくすりと笑った男性は、ディノに向かって優雅なお辞儀をすると、さらりと会話を収めて立ち去ってゆく。



「あんな魔物なんて…………」

「ふむ。ちょっと浮ついた感じの言動を得意とされる方なのかもしれませんね。ですがあれは、私個人に特別な興味を持っている様子ではありませんでしたから、あの方なりの、集客目当ての営業文句なのでしょう。なので、そんなに怖がらなくてもいいですからね?」

「あんな魔物なんて…………」

「そう言えば、この街ではファルゴが盛んだと聞きました。あの方の舞台を見たい訳ではないのですが、飲食店ではファルゴを見せてくれるところもあるそうですので、どこかで見られたらいいですね」


ディノはとても荒ぶっていたが、ネアは、先程の男性の言動には嫌な感じは受けなかった。

寧ろ、明らかに高位の魔物であるディノが隣にいても、気安く声をかけてくれたくらいだ。

言葉を選びながら、そうしてただの観光客として扱って貰えるのも悪くないのだと説明すれば、魔物はまだ釈然としない様子であったが、ゆるゆると頷いた。



街角では、穏やかな顔の老人が煙草を咥えてギターに似た弦楽器をかき鳴らし、演奏の合間にちびりとお酒を飲んでいる。

その音楽に合わせて歌っている青年は、老人の孫くらいの年齢に見えた。

コルジュールでの歌声は、愛情などの作法を緩和する独特な音階を使い、祝福魔術としても成り立つのだそうだ。

そのお陰で、観光に来ているネア達は至る所で歌われているその歌声を楽しむ事が出来る。


ゆったりとした穏やかな時間と、美しい海に街並み。

こちらの国では、長方形の一斤仕様ではなく、細長いバゲット仕様だというパンの魔物が、しゃっと路地裏を駆け抜けてゆく。

その光景には少し慄いてしまったが、概ね、のんびりと過ごす観光地での休暇の醍醐味ばかりと言えよう。



「ディノ、この街では、よく貴族の方が飼われている、毛長人魚さんのお店があるそうです。初めて見るので、少しだけ覗いてみてもいいですか?」

「飼いたいのかい…………?」

「いえ。後学のために、どのような生き物なのかを知っておきたいというところでしょうか。少し離れた位置から見学出来れば充分なので、後でお土産通りを歩く際にそのお店の前を通ってみますね」

「うん」



綺麗な青空をぱたぱたと飛んでいった小鳥を、お屋敷の塀の上に潜んでいたパンの魔物が狩っていたが、ネアはそっと視線を外すと、やはりそちらも見ないようにした。




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