159. 通りすがらないで欲しいです(本編)
「やあ、ご無沙汰しております。…………ああ、武器の魔術の気配ですね。はは、これは不愉快だな」
リーエンベルクの外客棟で、挨拶がてら、あっさりそう看破したのはサフィールだ。
青い青い髪は光を透かすと鮮やかな青さを感じさせるものの、影に沈むと濃紺の髪や黒髪のようにも見える。
思ったよりも暗い煌めきの髪色の代わりに、カットした宝石に光を当てたような煌めきを宿した青い瞳は息を呑む程に美しく、妖精達が力を伸ばす夏至祭の夜の姿は、またしてもネアに美しい妖精ランキングの変動を思わせかねないくらいの美しさではないか。
髪色の暗さと瞳の鮮やかさや対比が美しいのだが、そんな髪の色合いも、ただ暗いという色合いではなく、深い夜の戦場で取り出された武器を飾る宝石のひやりとするような色合いに思えた。
また、そこに騎士団長という階位らしい漆黒の騎士服が、なんとも艶やかなのだ。
整った美貌ながら、微笑みにはどこか柔和な印象のあるサフィールには、敢えてこの冷ややかな印象の騎士服が良く似合う。
ふわり広げた羽の色は青と青い炎を宿した鴉羽色で、雨の日や曇天の戦場、或いは雪の王宮などではさぞかし映えるに違いない。
どれだけ美しくても、どんなに優しく微笑んでいても、決して晴れやかな青空の下の花畑が似合う妖精ではなかった。
ネアはまず、そんなサフィールにぺこりと頭を下げた。
「サフィールさん、ご足労いただいてしまい、申し訳ありません。私がそちらに行ければ良かったのですが」
「いえ。この土地の空気の素晴らしさを思えば、どこへでもという気分ですよ」
にっこり微笑んでそう言ってくれたサフィールに、ネアは、この妖精は自分が派生したウィームが大好きなのだなと考えた。
彼が派生したのがウィームのどの土地なのか迄は分からないが、こうして宝石妖精になるくらいの立派な宝石であれば、きっと当時の王都に運ばれた事もあったのではないだろうか。
「ザルツの一件でも、世話をかけた。あちらは問題ないと聞いているが、こちらでもまた力を借りる事になるとはな…………」
そう苦笑したのはエーダリアで、今回はダリルとディノが相談し、リーエンベルクからの依頼で、ネアに付与された魔術の気配を剥がすという形を取る事にしたのだそうだ。
個人的なお願いでも良かったものを、敢えて大事に格上げしてしまったのには理由がある。
今回のネアの問題を経て、ダリルも初めて形を成さない魔術がこのように目を覚ます事があるのだと知ったのだそうだ。
そして、ウィームの書架妖精は、今後同じような問題から起こる事件がないとは言えないからと、早々に手を打つことにした。
(今回は武器に纏わる魔術だけれど、武器狩りの襲撃もあったこのウィームでは、私のように、武器の魔術を知らずに付与されている人が、また現れるかもしれないのだ…………)
つまり、そんなもしもの時にもこの妖精の力を借りられるよう、ダリルは敢えて今回の一件も、知り合いからの頼み事ではなく、リーエンベルク経由の依頼にしたのである。
また、その提案は、サフィールにも好都合であったようだ。
ウィームに害を及ぼさない、或いはウィームにタジクーシャの事情や魔術を持ち込まない事を条件に、こちらに来た際には、ウィーム中央でも買い物や食事が出来るようにして貰えたと、上機嫌で教えてくれる。
「ネア様の手紙で教えていただいた、美術史博物館に行ってみたかったんです。ザハのケーキも食べてみたいですね」
「まぁ、では今夜のお礼の贈答品は、ザハの焼き菓子の詰め合わせにしましょう!」
ネアがそう言えばサフィールはぱっと笑顔になった後にぎくりとしたように恐縮していたが、タジクーシャの妖精は好きなだけ国の外に居られる訳ではない。
今回は、力技で仕事を早く終えて手に入れた、せっかくの観光の時間をこちらに割いて貰っているのだ。
ましてやこの夏至祭の日の夜ともなれば、本来、力を持つ妖精にとっては、あれこれ羽目を外して遊べるとても楽しい時間である。
そんな時間をいただいてしまうのだから、ネアは勿論、リーエンベルクからの正式な報酬とはまた別に、きちんとお礼をするつもりであった。
「今回の物は、拾った魔術だな。障りや呪いに近い物だが、こいつを標的にした物ではない。元は乗り物を魔術の核とした災い型の武器だが、その解析はこちらでやるつもりだ。付与された魔術効果の引き剥がしだけで構わん」
そう説明したアルテアに、サフィールは微笑んで頷いた。
サフィールは、何度もここはいい空気ですねと呟いてにこにこしているので、リーエンベルクの敷地内に居るという事が幸せなのだろうか。
案外こちらの宝石妖精も、デジレのように、リーエンベルクに滞在していた事があるのかもしれない。
「付与効果の確認の術式を敷かれたんですよね?現れたのは、紅茶缶でしたか?銀貨でしたか?或いは、牛の骨か、百合青銅のナイフかな」
「……………銀貨だな」
穏やかな声で問いかけられた内容に、ネア達は目を瞬き、顔を見合わせてしまった。
ディノとアルテアも驚いているが、ネアとしても、この二人が知らない事をサフィールが知っていたのだと驚いてしまう。
「であれば、ウィンダミアの展望列車でしょうね。辻毒の一つで、製作者は白夜の魔物です。因みに、あの辻毒を撃破したのは僕なので、最高の相性ですよ」
「………まぁ、元が何だったのかさえ、分かってしまうのですか?」
「ええ。ほら、僕は特殊な武器から派生した妖精ですので、その種の災いや呪いの撃破に使われる事も多いんです。お陰で、あれこれと物知りになれました。…………それになぜか、一度壊した魔術の再編や復活、或いはその犠牲者に纏わる事件に縁がある事が多いんですよね。これは、因果の魔術が働くのかな」
「君が元となる術式を知っていてくれて良かった。この子に添付された魔術を剥がした後で、なぜ招き寄せてしまったのかを調べようと思っていたからね」
ディノも、思っていた以上に頼もしかったサフィールにほっとしたようだ。
エーダリアは目を瞠り、何だか凄い妖精だったぞと、興奮気味な視線でヒルドに何かを訴えている。
そんなヒルドは、なぜか先程から少しだけ警戒するような目でサフィールを見ていた。
「通りすがりだと思いますよ。個人的な縁があるものだと、もう少し、………結び付きが面倒臭くなりますからね」
「……………と、通りすがらないで欲しいです」
「はは、そうですよね。でも案外多いんですよ。何の由縁も歴史もない土地はありませんから、こればかりはもう運ですよね」
「ほわ、運…………」
「ネア様は、あの魔物の、他の作品に触れた事があるのかもしれませんね。もしかするとそれは、同じような辻毒かもしれません。クライメルは、一つの辻毒が壊れた場合は、その成果を他の辻毒に集めるような仕掛けを好みましたから」
「……ありゃ、随分と詳しいね」
「そりゃ、一時は僕の主人でしたからね」
そしてサフィールは、けろりとそんな事を告白し、その場を凍りつかせた。
しんと静まり返った外客棟にある遮蔽室で、サフィールはくすりと笑うと言葉を続ける。
出された紅茶を飲む仕草は、とても優雅で落ち着いていた。
「でも僕は彼が大嫌いだったので、何度か、ここぞという時に誤作動のある気難しい武器のふりをしました。クライメルはそんな僕に飽きてしまい、とある商人に売ってしまった。因みに、それは欲望の魔物でして、今では十年に一度くらいは飲みに行く仲です。最近では、前回にお会いした後に久し振りに二人で飲みに出かけましたよ」
「まぁ。おまけに、アイザックさんともお知り合いなのですね。お二人で飲みに行かれるくらいとなると、かなりの仲良しさんです」
「仕事柄、荒事ばかりなので、意識して友人とは会うようにしているんです」
「ありゃ、あまりそっちの働きは好まないのかい?」
「はは、武器ですから嫌いではないんですがね。ですが僕は、本当は女性向けの道具になりたかったんです。そうすれば………っと、失礼」
何かを言いかけ、サフィールは少しだけ悪戯っぽい目をして唇に人差し指を当てる。
うっかり話しかけてしまったそこから先は、このような場でのお喋りには向かない、彼の個人的な欲求なのだろう。
だが、そんな会話の切り上げ方も、とても小粋であった。
「君が彼のお気に入りの道具のままであれば、この子には、近付けられないところだった。クライメルを気に入らなかったのは、彼が男だからかい?」
「ええ。主にそこに尽きます。おまけにあの魔物は、自己愛がとても強いんですよ。彼のお喋りを聞かされ続けて、それに微笑んで頷いていると、時々死にたくなったもので」
「わーお、かなり嫌いだね、それ」
「どうせなら、綺麗なご婦人達のお喋りを聞いていたかったですね。………ただ、その後に流れた戦場は、嫌いではありませんでしたよ。とは言え、あまり無駄に長引かない戦場に限りますが。………僕は、仕事と自分の時間をしっかり分けたい派でして」
「成る程な。それで納得した。クライメルとの相性は最悪だろう」
ここで漸く納得した様子のアルテアに、ネアも、一度だけ遭遇した白髪の老人姿の魔物を思い、確かに仕事の時間とプライベートの時間との区別を付けなさそうな御仁であると頷いた。
「関わった事のない、クライメルの事案には明るくないか」
「ええ。僕が知るのは、あくまでも彼の気質や、手癖です。そして、壊した事がある物については対応策を持っている事も。…………さて、そろそろ始めましょうか。銀貨という事は、あの列車の乗客の誰かでしょう。どちらにせよ、大きな事故の顛末なので、女性にはあまり好ましくない気配でしょう。急ぎ剥がしてしまいますね。………ネア様、お手を失礼しても?」
「むむ、サフィールさんの手の上に、私の手を重ねれば良いのでしょうか?」
「ええ。もし可能であれば、僕の手を強く掴んでくれた方が、…………捗ります」
「捗る…………」
「こう見えて、元は長銃の武器ですからね。扱い方は、そちらの方が身に馴染むんですよ」
「で、では、掴みますね!!」
ネアは、そういうものなのだなと目を瞠り、それでいいのかなと周囲を見回して魔物達の了解を得てから、サフィールの腕をがしりと掴んでみた。
するとサフィールは、ふっと羽を広げて、とてもいいですねと素敵な微笑みを浮かべる。
(…………わ、)
その瞬間の感覚を、どう表現すればいいのだろう。
ふわりと体の中を青い炎が駆け巡るようなイメージがあり、けれどもその温度は、じんわり体に染み入るようなお湯に浸かる心地良さなのだ。
目を丸くして見つめる先で、サフィールの微笑みが深くなる。
その微笑みは穏やかで柔和だが、獰猛な狼がじっと佇んでいるような、ひと時の静けさにも感じられた。
そしてその炎に、ぼろぼろと崩れてゆく黒い影がある。
決してネア自身には触れていなかったが、ネアの外周に忍び寄り、そこでじっとこちらを窺っていた悍ましい何かが、強い炎に嬲られてほんの一瞬でざあっと崩れ落ちる。
しゃりんと、どこかでまたくすんだ銀貨が落ちた。
湖の畔に落ちた銀貨は、そのまま転がってゆき、どこかの湖にちゃぽんと落ちる。
(列車事故だ………)
なぜか唐突に、ネアはそこに立っていた。
先日、脱線事故を見たばかりなので、その風景はどこか生々しく、けれども今のネアが見ている事故は、かなり古いものなのだろう。
サフィールの記憶に触れているのかもしれないし、もしかすると、あの銀貨の持ち主の記憶なのかもしれない。
立派だった橋は崩れ、無残に捻じれて燃える列車が、湖に落ちている。
水辺では誰かの啜り泣きが聞こえ、降り始めた雨が幾重にも波紋を描く水面には、投げ入れられた花束が浮かんでいた。
ばさりと風にケープが揺れ、騎士達がその光景を少し離れた場所から見守っている。
こちらに背を向けた亜麻色の髪の男性が、はっとする程青い長銃を手に、部下達に何かを命じていた。
『馬鹿な事を。…………あの夏至祭の夜に、何という悍ましい術式を残していったのか。水辺の魔術は歪み、かつてこの湖で採れた美しい湖水結晶はすっかり見かけられなくなった。今やこの水辺からは、障りばかりが戻ってくる。…………そこまで、お前の憎しみは深かったのか。正式な議会投票で決定されたことではないか。やっと肩の荷が下りたと笑って任された領地に向かったくせに、………それなのに、王位を追われた事が、本当はそこまで我慢ならなかったのか』
誰かがそう呟くのはもう、あの事故の日ではなかった。
青い炎を宿す長銃を手にした男の後ろには、魔術師だと分かる装いの男たちが並び、何か、酷く重たい対価を伴う魔術の錬成を始めようとしている。
『…………そうではないんだ。君の友人は、本当に僻地の領主になる事を喜んでいたし、君がいつかの酒の代金だと、別れ際に投げ渡した銀貨を大事に持っていた。あの日が永遠の別れになるとは思っておらず、君とはずっと、年老いても良い友人でいられると思っていたよ。…………ただ、彼は、…………白夜の魔物の誘いを退けたことで、あの男の機嫌を損ねてしまった。こうして、…………辻毒の材料にされてしまうくらいには』
そう答えた声はサフィールのものによく似ていたが、亜麻色の髪の男には聞こえていないようだった。
詠唱の声が重なり、やがて亜麻色の髪の男は、手に持った長銃を構える。
なぜだかネアにも、この武器を使えばもう、ここにいる者達の命はなくなるのだろうと分かっていた。
「終わりましたよ。おや、………もしかして、あの銀貨の追憶を覗いてしまったのかな」
「………ええ。湖の畔の痛ましい事故と、それを終わらせた方の後ろ姿を見ました。………あの銀貨は、彼等にとっての大事な思い出の品だったのですね」
「ええ。あなたの近くにいたのは、呪いの核となった人間の欠片だったようですね。…………あなたが見た銀貨こそを、クライメルは呪いの核としました。この辻毒の事は、湖と銀貨の毒と呼んでいたようです」
ふわっと強い風に煽られるような感覚の後、もう一度目を瞬くと、そこにはサフィールがいた。
その青い瞳を見上げ、ネアは、小さく頷く。
「…………湖の毒、………くそ、ウィンダミア独立国の湖水結晶の独占取引の一件か………」
「ありゃ、アルテアの顔色が悪いけれど、もしかして関係者かい?」
「まぁ、アルテアさんもご存知の一件だったのですか?」
小さく呻いて遠い目をしたアルテアに、ネアは慌てて振り返る。
先程見た映像の中にはいないようだったが、こちらの魔物もあの事件に絡んでいたのだろうか。
「………ウィンダミアの展望列車の事故は、全部で五回ある。その内の二件がクライメル絡みだが、湖の毒という言葉が出てくるのは一件だ。俺が、手をかけて内乱を抑え込む手助けをしてやった上で、湖水結晶の流通ルートを開拓したところで、クライメルが台無しにした案件だな…………」
僅かに荒くなった言葉に、その時の苛立ちが滲むようだ。
微笑んで頷いたサフィールは何も言わないが、もしかすると彼は、アルテアの介入についても知っていたのかもしれない。
そっとネアの手を外すと、優雅に一礼した宝石妖精に、漆黒のケープがさらりと揺れる。
「サフィールさん、今回は有難うございました」
「いえ、僕が過不足なく引き剥がしが出来る案件で、ほっとしました。………万象の方、魔術の引き剥がしは無事に終わりましたから、ご安心下さい」
「うん。君が来てくれて良かったよ。有難う」
ディノもお礼を言ってくれ、サフィールは、またいつでも声をかけて下さいと言ってくれる。
「今回は、元々既に失われた魔術の残り香のようなものでした。この辻毒が合流しようとしていたであろう魔術も既に失われており、ネア様に近付くだけの理由を失ってもいたものです。…………それに、今回の辻毒の核となった人間は、そもそも、他の辻毒などには合流したくなかったのでしょう。この湖と銀貨の毒は、本来であればもっと甚大な被害を齎してもいい大きな術式でしたが、巻き込まれた人間達が己の意志で抑え込んでくれました。そのお陰で、こうも簡単に剥がせたのだと思います」
「列車の事故で己を魔術の贄にしたと言われているのは、ウィンダミアの第一王子だな。封じたのは、第一王子付きの部隊だった魔術騎士団の団長以下、六十人の騎士達だと聞いている。………あの王子は、人間の第三席程度には食い込める才能を持っていたが、庭園の手入れと辺境域の国防についての興味しか持たない変り者だった」
(ああ、アルテアさんも、その人の事を気に入っていたのだわ………)
何も語らずとも、声音や眼差しからそう伝わってしまう事がある。
やれやれと肩を竦めた選択の魔物は、きっとその王子をとても気に入っていたのだろう。
そして、ネアが見た亜麻色の髪の騎士にとっても、彼は、大切な友人だったに違いない。
そう考えて何ともやるせない気持ちになっていると、背後からディノにぎゅっと抱き締められた。
「ネア、辻毒の追憶に引き摺られてはいけないよ」
「…………ディノ。ついつい、失われた人達の事を考えてしまっていました。あまり心を寄せないようにしますね」
「うん。そのような辻毒は、恐らく他にも犠牲者が数多くいるだろう。通りすがりと言うのであれば、その中で雑多に煮込まれてしまっている魂も、まだ、どこかを彷徨っているかもしれない。今回君の近くにやってきた者は理性的だったようだが、自我を失った魔術の欠片を呼び寄せないようにしよう」
「はい」
無事に処置を終え、サフィールには、エーダリアがあらためてお礼を言ってくれている。
報酬は、ザルツの一件と合わせての支払いになるらしく、ウィーム中央への訪問が叶うという契約料とはまた別に支払われるようだ。
ネアは、その出費に少しだけ申し訳ない気持ちになったが、この契約のやり取りが今後の保険になるので、我が儘に口を出す訳にはいかない。
依頼と支払いの契約魔術は、きちんと結ばれてこそ、大事な魔術証跡になるのだ。
「では、僕はこれで。今からだと、調べておいたザハの営業時間内に充分間に合いますから、早速、楽しんで来ようと思います」
「ああ。この地に暮らす者として、あの店の素晴らしさは保証しよう。夏至祭の日にすまなかったな。是非に楽しんできてくれ。もし良ければ、予約を取っておこうか?」
「…………お手数ですが、ここは、この機会を無駄にしたくないので、お願いしても?」
「では、そのようにしておこう。ヒルド、頼んでいいか?」
「ええ。少々お待ち下さい」
すぐさまヒルドがザハに連絡を入れてくれ、カフェスペースの席が押さえられた。
レストランスペースではないが、軽食は出来ると言われ、サフィールはそこで構わないと頷いている。
林檎のケーキかチョコレートトルテのどちらかを食べたいのだと、嬉しそうに目を輝かせる姿は、どこか可愛らしい程だ。
「サフィールさん、今日は有難うございました。また、お手紙の返事を書きますね」
「僕も、また手紙を書きますよ。念願叶ってのウィーム中央でどう過ごしたのか、その感想もお伝えしませんと」
ネアは柔らかく微笑んだサフィールにもう一度ぺこりとお辞儀をし、何とも万全に辻毒の欠片を引き剥がしてくれた青玉の宝石妖精は、ヒルドとアルテアが外まで見送る事になる。
「むむ、アルテアさんは、サフィールさんを気に入ったようですね」
「そのようだね。クライメルの手の内を知っていて、尚且つ、悪意のない者は得難い。そのような意味でも、他の場面に於いても有用な繋ぎが取れるよう、今の段階から交渉の経路を作っておきたいのだろう」
「うん。僕も、あの妖精はかなり買いだと思うな。僕の妹は、いい人材と知り合いになったね」
「うむ!お手紙の書かれ方がとても素敵な方というだけでなく、なんとも頼もしい方でしたね」
「…………浮気」
「あら、お世話になったので、少し遠慮がちに言いましたね?」
「…………あんな、……妖精なんて」
「ふふ。迷いながら言っても、あまり効果はありませんよ。それに、サフィールさんはトトラさんのような文通のお友達であって、伴侶なディノとは違いますからね?」
「そうなのかい?」
そんなやり取りをしていると、なぜかエーダリアがさかんに首を傾げている。
先に気付いたノアが、何かあったのかと尋ねており、ネアはおやっとそちらに注意を向けた。
「…………いや、ヒルドの様子がな。………何かを警戒して彼を観察しているようだったのだ」
「あ、それは僕も思った。ネアが仲良くしているからかなって思ったけど、どうも、そうじゃなかったみたいだね」
「まぁ、ヒルドさんは何かを心配されていたのですか?………やはり、以前の事があるので、宝石妖精さんの訪問は心配なのでしょうか?」
「かもしれないな。どこかでヒルドにも、彼等の問題は自分事だという感覚があるのかもしれない。その上で、もしもがないようにその動向に注視していた可能性もある」
エーダリアはそう言ったが、戻ってきたヒルドにノアがその理由を尋ねると、思いがけない返事が返ってきた。
「いえ、デジレから、…………彼は、人格的にかなり破綻している部分があると、…………有体に言えば、一種の変態なので、対面した際にはくれぐれも用心するようにと言われていたのですが、どこにもそのような様子はありませんでしたね。公私をしっかりと分けるという事なのでしょうが、好感の持てる青年という印象でしたので、少し不思議に思って観察しておりました」
そんな事を聞いてしまい、ネアは、それはちょっと知りたくなかったぞと思いながらも、変態性などは皆無であったと首を傾げる。
ヒルドだけでなく、顔を見合わせたディノやノアも不思議そうにしているので、このような場で明らかにされる事はない、もっと個人的な嗜好のどこかにその要素があるのかもしれなかった。
窓の向こうでは、夏至祭の夜の賑わいが続いていた。
ザハに立ち寄った後のサフィールも、今夜はウィームで雨の日の夏至祭の夜を楽しむのだろうか。
美術館では妖精達の為の特別展示などもあるようなので、その気になれば足を運んでみればいいだろう。
エーダリア達は、引き続き夏至祭の夜の警戒に戻り、夏至鯨や夏至の行列は、今度は王都のヴェルリアで確認されているようだ。
(……この夏至の夜にも、きっと様々な物語が生まれるのだろう)
銀貨にまつわる悲しい物語を見たばかりのネアは、またどこか遠くの土地や国の、夏至の夜に思いを馳せる。
ちらりと漏れ聞こえた会話によると、今年のウィーム中央の花輪の塔のダンスでは、既に七組の失踪者が出ているらしい。
そこで失われた乙女達にも様々な物語があり、今も尚、この夜に響く、失われた家族を思う者達の嘆きがあるのだろう。
「ディノ、明日の安息日には、私とダンスを踊ってくれますか?」
「うん。…………かわいい」
「初めての雨の夏至祭でしたので、色々な事がありましたね。………今夜はもう、大きな事件はないといいのですが。他にも、雨の日の夏至の夜だけに現れるような、そんな生き物がいるのでしょうか?」
「雨梟や、夏至竜の夜の子が現れる事がある。夜雨の妖精達が現れると、そこでは多くの乙女たちが攫われるそうだ。ただ、そちらについては、既にカルウィの方で姿が確認されているので、こちらには来ないのではないかな………」
「むむ、思っていたよりも、まだまだ、雨の夏至祭だけのものが沢山いるのですね」
新しく鳥籠を必要としている戦場に向かったウィリアムは、明日の朝くらいにかけてそちらで仕事をし、仕事明けには、砂漠のテントでゆっくり眠るのだそうだ。
既に林檎のケーキを食べているので、後は頑張って仕事をしないとなと微笑んでいた終焉の魔物を思い、ネアは、また違う夜の色を思う。
ヴェルクレアのほぼ全域で雨の夏至祭となった今年は、カルウィでも雨が降っているようだ。
ロクマリア域は晴れているそうで、そちらではいつもと同じような夏至祭の夜が繰り広げられているのだろう。
目を閉じると、どこか遠くで、美しくそら恐ろしい音楽が聞こえる。
安全な家の中からその音楽に耳を澄ませ、今度こそふうっと体の力を抜きかけていたネアは、がたんと音を立てて立ち上がり、とても暗い目をしたアルテアが、少し出かけてくると言って姿を消すのを茫然と見送った。
「…………アルテアさんに、何があったのでしょう?」
「直前に通信でやり取りしていた内容だと、どこかの花畑で、商品を雨梟が食い荒らしたようだね」
「なぬ。雨梟さんが………」
そちらは、まだまだ長い夜になりそうな使い魔を思い、ネアは、どうかもうこれ以上の事件は起きませんようにとそっと祈ったのであった。
明日7/14の更新はお休みとなります。
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