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夏至祭と林檎のタルト





夏至祭には、大切な人と林檎のケーキを食べる。

そんな事は誰だって知っているだろう。

古くからある風習なので、やるかやらないかは好き好きだが、その風習に触れずに育つ者はこの国ではとても少ない。


祝祭の習わしが魔術に紐付けされるからこそ、それは、孤児院や生活支援施設でも推奨されており、愛する人を持たない者でも、施しや安らぎを失わない為にと林檎のケーキを食べる事は多い。

だからこそそれはとても一般的でありふれたもので、王子としての肩書を持ちながらも林檎のケーキ一つ、手に入れられないエーダリアはやはり異端だったのだろう。



それでも、小さな頃はまだ良かった。


一緒に林檎のケーキを食べたいと思う事も許されずに喪われた人に対し、その機会が奪われた無念さに胸を痛める事はなかったから。


子供心にも、その人がいつか喪われるのが変えようのない未来である事は明らかで、であればと、残された時間を惜しみはしたものの、これからを願う林檎のケーキをともに食べたいという願いを抱く事はなく。

きっとエーダリアは、もう、諦めていたのだろう。



夏至祭は、忙しい日であった。

王都の儀式には参加せねばならないので、不機嫌そうな顔をした侍女達に支度を手伝われ、まずは、朝のミサに出かけるところから始まる。

そして、その一通りの式典が終わってしまうと、その後からの時間が何よりも長いのだ。



言うまでもない事だが、エーダリアの王都での立場は弱かった。

軽視されているという事は即ち、守護などが手薄だという事に他ならない。

だからこそ、妖精達が力を増す夏至祭になると、部屋に忍び込んだ妖精達に目を取られそうになったり、奴隷にする為に血を抜かれないようにと、浴室に閉じ籠り、同じ年頃の子供達が食べていた林檎のケーキの事など思い出す隙はなかった。


夜が明ければ、自分やその人が生き延びた事には心から感謝はしたものの、そこには安堵と疲労しか残されてはいなかったと思う。



けれどもそれは、ヒルドに出会ってから一変した。



初めて林檎のケーキを食べたいと思ったのはヒルドで、そうして小さな願いを抱いた日から、とうとう、林檎のケーキは、喪失感と落胆を際立たせる残酷な輪郭になったのだと思う。



夏至祭の夜になると、どこかから聞こえてくる不可思議で楽しげな音楽を聴き、窓の向こうに揺れる篝火を見ている。

花輪の塔の下で踊る男女に、わあっと上がる歓声と、振り撒かれて風に舞い散る真紅の薔薇の花びら。


微かに漂うのは、誰かの為の林檎のケーキの甘い香りで、まだ小さな子供だったエーダリアには、それを分け合って食べたいヒルドを、自由に王宮の中を歩き回って探し出す事も、ヒルドとの約束を願う為に林檎のケーキを手に入れる事も出来なかった。



予定にないものを強請り、自分に大切なものが出来たのだと、王妃達に知られてはならない。

また、余分として作られたケーキには、暗殺などの危険が更に色濃く影を落とすだろう。



それでも一度だけ、普通の者達はどのように林檎のケーキを食べているだろうと、魔術を駆使して覗いて見た事がある。

思えば、その時に初めて高度な監視の魔術を扱ったのだから、何とも惨めなことではないか。



その時に見たものの事を、エーダリアは、ずっと忘れられずにいた。


選んだ相手は王宮に通う貴族の子供とその親達で、彼らは風習だからと渋々共に林檎のケーキを食べながら、けれどもそれが当たり前の風景なのだと疑いもしないようだった。


互いに愛情がない訳ではなく、そんな事をせずとも共にいられると知っているからこそ、また今年も林檎のケーキかと呟く父親と息子は、どれだけ恵まれた日々を送ってきたのだろう。

近くの夜会の為に必要な体型の維持に響くのでと、ケーキを一口しか食べない母親はしかし、美味しそうに林檎のケーキを食べている末娘に優しく微笑みかけていた。




ああ、これが普通の形なのか。

まだ小さな手をぎゅっと握り締め、きつくきつく心を律する。

惨めさに打ちのめされないように、愚かにも、誰かに林檎のケーキを頼んでしまい、ヒルドに会いに行かないように。



兄や弟達にも、きっとケーキを共に食べる相手はいる。

父や、その他の者達だって、きっと誰かとそのケーキを食べた事はあるだろう。

そして、とうとう自分に現れたのだ。


それなのに、そんなヒルドと林檎のケーキを食べるというだけの簡単な事が、どうしてこんなに難しいのだろう。




『まぁ、………このケーキを一緒に食べる事で、ずっと誰かと、………大切な人達と、一緒にいられるような願いをかけられるのですか?』



ネアがこの世界で初めての夏至祭を過ごした日、彼女は、驚いたようにそう呟き、まるで初めて温かなスープを飲んだ人のように瞳を揺らしていた。



『なんて素敵で、そして贅沢な風習なのでしょう。であれば私は、毎年忘れずに、この林檎のケーキを食べるしかありませんね。…………もう、これまでずっと、ずっと、…………充分に我慢してきたのです。一生分の取り分を計算すると、他の誰かよりはぐっと損をしている筈なので、これからは、少し多めに食べても許されますよね?』



ネアがそう言った時に、エーダリアはなんと答えただろうか。

その言葉はもう忘れてしまったけれど、あの日のネアの言葉はこうして忘れられずに覚えている。



それよりも前にもう、ヒルドと林檎のケーキを食べた日もあったが、けれどもあの日に初めて、望み方というものをネアに教えられたのだ。

そして、彼女とはずっと上手くやっていけるだろうと考え、少し嬉しくなった日でもあった。




「わぁ!ケーキです!!」


そんな林檎のケーキを、こうして今年も、仲間たちと一緒に食べる。



そこには、当たり前のように日々を共に過ごし、明日やこれからをどう過ごそうかと話し合う者達がいて、例えば、真夜中に何か困った事があればすぐに部屋に起こしに行けるし、場合によっては、狐姿で同じ寝台に寝ていたりもするくらいなのだ。


おはようと挨拶を交わし、日常の中で交わす何でもない、けれども身内だけで理解出来るようなやり取りも増えた。



大切で、愛おしくて、目眩のしそうな程の、けれども何の特別さもない、ただの家族のような者達。




紅茶の香りがふわりと漂う。

窓の外はまだ雨の色に沈んではいるし、今年の夏至祭の被害は久し振りに大きなものになるだろう。

ダリルも先程の連絡では、楽しみにしていた歌劇の予定を一つ取り止めなければいけなさそうだと文句を言っていた。


だが、この風習ばかりは蔑ろには出来ない。

もし、この林檎のケーキを食べる時間を、自分が夏至祭の儀式よりも重んじていると知れば、きっとダリルには厳しく叱られるだろう。

心だけで一領地というものを育むにはやはり足りず、そこには、時として心が発する願いを蔑ろにしなければいけない残酷さもあるのだと、理解しているつもりである。

また、どこを見ても重たい責務が伴う事も、今はもうすっかり安全なのだとは言えない事も、どちらも承知している。



それでもやはりこの時間は格別で、こうして皆でテーブルを囲める時間に、心の奥の柔らかな部分が小さく震える。


広い広い王宮の廊下で、誰かが当たり前のように享受しているその時間を羨み、小さな手を握り締めたあの日の影に、この甘い香りはなんと罪深く染み渡るのだろう。


勿論、ウィームに来てからのこれ迄の夏至祭でも林檎のケーキは出されていたし、それをグラストや騎士達と共に食べた事もある。

厄介な事件ばかりが重なった夏至祭の日には、疲弊して立ち上がる事も出来ないその場所に、バンルが林檎のケーキを持って来てくれて、一緒に食べた事もあった。



だが、やはり違うのだ。

それですら、王都で暮らしていた頃のエーダリアにとっては願う事も許されなかった贅沢であったものの、とは言えやはり、こうして家族のようになった者達と囲むテーブルとは違う。


ここにいるのはいつか、林檎のケーキはもう飽きたと言ってもいいかもしれない者達で、そんな事を言う日はきっと来ないだろうけれど、それでもそんな相手がいる事が嬉しくて堪らなかった。



(ここには、共にウィームで暮らしたかったヒルドがいて、契約をしてくれたノアベルトがいる)


ネアに向ける言葉は、家族のような妹のようなという複雑な思いであるし、その伴侶であるディノに対しては、家族のような輪の中だと言ってしまう事にいささかの遠慮もある。

更には、アルテアやウィリアムに関しては完全にネアを介しての繋がりではあるが、今ではもう、声をかけて何かを相談するような領域にすら、震えずに踏み込めるようになった。


それを含めてもやはり、彼らはもう、エーダリアの家族のようなものなのだ。

遠いあの日に自分が願い、そうして爪先立ちで盗み見るしかなかった幸せな光景が、今はここにある。



小さな欠片だけではなく、好きなだけカットしてもいいのだと誘惑する、ホールのままのケーキのように。




「エーダリア様、こちらと、こちらのどちらにしますか?左側のカットの方が少し大きめなので、ヒルドさんと相談して下さいね」

「私はどちらでも構わないが、…………その、違うのだな?」

「タルトの大きさは、重要なお茶の時間の戦略にかかるのですよ。甘いタルトを美味しくいただき、合間にお茶などをいただくケーキ重視の楽しみ方なのか、香り高い紅茶の合間に美味しいケーキを挟む、お茶重視の楽しみ方なのか。よって、この僅かな差分が、今後の時間の運用にとっての重要な鍵を握ってきますので、どうか真剣に選んで下さいね」

「…………わかった。ヒルド、お前の好きな方を選んでくれるか?」

「このタルトであれば、あなたはお好きな味でしょう。であれば、今回は左側の物を取られて下さい。私は、たまたま紅茶を楽しみながらという食べ方が良いと思っていましたので、それで丁度いいのでは?」


微笑んだヒルドに提案され、頷いた。


いつだったか、こうして毎回紅茶を淹れてくれなくてもいいのだと、ヒルドに言った事がある。

だが彼は、ネアにもそう言われたが、これは私の贅沢なのでと微笑んで首を振っていた。



(ああそうか、それが、お前の幸福の形でもあるのだな…………)



実際に、こうして人数分の紅茶を淹れて皆に配っているヒルドは、とても幸せそうだ。

人間以上に仲間との暮らしを重んじる妖精の王であった彼には、庇護するべき者達が自分の手の内にいるという構図が、例えようもなく心地良いのだろう。


孤立派生型の妖精もいるにはいるが、ヒルドのように一族での生活を得るべき妖精は、庇護するべき者を失うとあまり長くは生きられなくなるのだそうだ。

それを教えてくれたのは、隔離地の森に住むディートリンデで、同じように一族を失った彼にとっての家族は、あの森に暮らす獣達なのだとか。

また、時折しか会えないとはいえ、エーダリアやヒルド、そしてヒルドと共に彼に会いに行く、アーヘムなども大事な存在であるらしい。



(あの、ディートリンデと過ごす時間も好きなのだ………)



深く白い隔離地の森で、小さな獣たちや気の弱い獅子に囲まれて過ごす時間もまた、エーダリアの宝物であった。


今はもう失われた国としての祝祭儀式の美しさや、各国の王族達を招いて行われた華やかな夜会の様子など。

やっと、そのような話をしても大丈夫になったのだなと言って微笑んだディートリンデは、エーダリアの知らないこの国の思い出を惜しみなく分け与えてくれる。



「では、そうしよう」


ヒルドから大きな方の林檎のタルトを受け取りながら、この、ふくよかで温かな時間をゆっくりと反芻する。


(昨晩の花蒸しも美味しかった。…………私はもう、贅沢ばかりしているのだな………)



好きだなと思う時間が増え、愛すべきものがこうして温度を感じられる距離にある。

かつてを支えてくれたグラスト達も幸せそうで、だからこそ、安心してこちらで心を寛げられる贅沢さまで。



「うむ!これで完璧ですね」

「やれやれだな。そこまでの事なのか」

「なぬ。もし、ご自身の戦略を練るのが苦手であれば、アルテアさんはより紅茶の比率を高くして、私にタルトを少し分けてくれるという方法も提案出来ますよ?」

「ほお、今年の夏至祭はダンスもないのにいいのか?腰がなくなるぞ」

「こ、腰は存命です!確かめてみて下さい!!」

「っ、おい!掴ませるな!!いい加減、情緒をどこかから貰ってこい!」

「なぜに腰問題が、情緒に繋がるのだ…………」



だが、こうして共に過ごすのが、当たり前のようにこれ迄の林檎のケーキを享受してきた者達であれば、自分はその関係のどこかに、一人だけ迷い込んだ無知な者のような引け目を感じはしなかっただろうか。

そんな事を考え、小さく心の中で苦笑した。


実際にそうなってみなければ分からないが、そうはならなかった。

全員が初めてだからこそ、同じ熱意でこの風習を楽しむ事が出来るというこの今こそが、全てではないか。



「今日は、がりがりし過ぎない控えめ胡桃と林檎のタルトなのだそうです。今年はウィリアムさんも一緒に食べられるので、とても贅沢な夏至祭になりましたね」

「因みに、ウィリアムはネアには守護をかけてるけどっていう感じで、リーエンベルクそのものとの縁付けはどうかなって思ったんだけど、さっきの夏至祭の行列にいた盲目の文官との交渉をシルから聞いたから、それを生かして、どっちかと言うと死の領域に連れ去る者からの番人って感じに魔術を組み直して敷いてあるからね」

「ああ。俺の方でも、エーダリア達への魔術の繋ぎには工夫しているつもりだ。気になるだろうが、安心してくれ」

「そうか。………すっかりこうして共にテーブルを囲む事にも馴染んでしまっていたが、そのような部分にも気を付けなければいけないのだな。…………すまない、手間をかけさせた」



そう詫びるとなぜか、終焉の魔物は驚いたような目をしてこちらを見る。

何か気になるような言葉選びだっただろうかと目を瞬いていると、なぜか今度は、ノアベルトにがしりと肩を組まれた。

驚いて振り返れば、そんなノアベルトは、ウィリアムの方を見ているようだ。


微笑んだヒルドと目が合い、視線で助けを求めると、ヒルドは、くすりと柔らかく微笑んだものの、ポットを置きに行ってしまった。



「ちょっと、ウィリアム。エーダリアは僕の契約者なんだけど?」

「……いや、驚いただけだ。さすがに俺が契約したら、エーダリアとて命が削られるぞ」

「そのくらいで命が削られるような守護は与えてないけど、でも、僕のだから」

「い、いや、さすがに私も、お前と契約しておいて、他の魔物との契約を重ねようとは思わないぞ?」



慌ててそう言い重ねると、ノアベルトはすぐに上機嫌になった。


どれだけ家族のように馴染んでいても、彼は高位の魔物で、その気分は如実に周囲の魔術を変化させる。

きらきらと輝く青紫色の瞳でこちらを見た魔物は、そりゃそうだよねと唇の端を持ち上げて笑う。



「俺も、ネアの騎士だけで充分だな。ただ、人間で今のエーダリアのように言う者は少ないんだ。少し驚いたし、…………そうだな、少し安堵した」

「ウィリアムさんは私の騎士さんでもあるので、そこばかりは、念願の騎士さんを得たばかりの強欲な私は、エーダリア様にとてお譲りは出来ませんが、こうして一緒に美味しい林檎タルトを食べられるくらいには、仲良しでもありますからね」


ネアがすかさずそんな言葉を挟み、ウィリアムがまた、穏やかな目で微笑む。



「今年はいい夏至祭だな。…………いや、被害も大きいだろうから、安易に言うのも考えものなんだが」

「ネアが騎士に浮気する…………」

「あら、伴侶なディノと、憧れの騎士さんは違うのですよ?ですが、騎士さんという言葉にはやはり、格別な憧れがありますよね。なので、ディノはきっとそこに反応してしまったのでしょう。ウィリアムさんは騎士服ではありませんが、白い軍服も凛々しくてとても素敵なのです」

「ウィリアムなんて…………」

「おい、その措置は、あくまでオフェトリウス除けだろうが」



そうしてネアの周囲に集まった魔物達を眺め、不思議な感慨に浸った。


ネアの周囲は確かに賑やかだが、その様子に、かつて、他の貴族の子供達や兄上、弟達に感じたような羨望を感じた事はない。

アルテアに頬を引っ張られて唸っているネアに出会った時、彼女はまだ、その手の中を空っぽにした探るような目でこちらを見る少女であった。


今ではもうその生い立ちも知り、ネアは、自分と同じように、欲していた家族の輪のようなものを漸く手に入れた側の人間なのだと、そう思うばかり。




「お待たせしました。では、いただきましょうか」



最後にヒルドが席に着き、皆で林檎のタルトを食べ始めた。


湯気を立てている紅茶からの馨しい香りに、甘く、林檎の酸味が程よい美味しいタルト。

人数が増えた場合や、ネア達が多く食べた場合を警戒してか、今年は小さな林檎のカヌレや乾燥林檎をチョコレートでコーティングした林檎菓子も添えられている。


勿論、このケーキは騎士棟にも用意されており、今頃はあちらでも、休憩時間を利用してケーキを食べる者達がいるのだろう。

短い休憩時間でも、騎士達も愛する者達と林檎のケーキを食べられるよう、夏至祭の騎士棟には、有事用の転移門を開いてある。

また、交代で、三年に一度は休みが取れるようにしてあった。



(…………温かなタルトが食べられるように、保温魔術をかけておいてくれたのか…………)


昨晩の晩餐の手間がなかった分と話してくれたが、ケーキ以外の林檎菓子も含め、様々な心遣いをくれる料理人達に感謝しながら、言葉にならない穏やかな喜びを噛み締め、吐き出してはまた胸を満たした。



「おい、何個目のカヌレだ!」

「むぐ?…………しかしもう、タルトがなくなってしまいましたので、致し方ありませんね。何しろ紅茶はほぼ無限にありますし、ヒルドさんの淹れてくれた紅茶は、とても美味しいのですよ?」

「ありゃ、…………窓の外のあれって何だろう?シル、あれ何だか知ってる?」

「ご主人様…………」

「ディノ?何か、怖いものがいたのですか?………ぎゃ!!窓に、びっしりちび竜がへばりついています!!」

「おっと、雨だれ竜だな。夏至祭の花輪付きとなると珍しい個体だが、人間には悪さはしないから、気にしなくていいと思うぞ」

「むぅ。さてはこちらのお菓子目当てですね。ふっ、愚かな竜どもめ。この美味しいおやつは、ひと欠片たりとて渡すつもりはありません!」

「………あのような小さな竜でも、夏至祭の花輪を首にかけるのだな。初めて見るような独特な魔術の織りを持っているようだが………」

「エーダリア様?あまり、窓辺に近付きませんよう。こちらからも何か貰えるのかと、余分な期待を抱かせる事になりますからね」

「あ、ああ。そうだった。…………ヒルド、新しい羽はもう馴染んだのだな」



夏至祭だからだろう。

ヒルドの羽には、よく見なければ分からない程度ではあるが、細やかな煌めきが揺れていた。

思わずその羽を透かして落ちる光に手を翳してしまうと、振り返ったヒルドが微笑む。



「心配性ですね、あなたは。この通り、もう以前と変わらぬ状態です。それと、ポケットの中の隔離金庫に入れた魔術書は、この後は置いてゆくようにして下さい」

「…………気付いていたのだな」

「勿論ですよ。時折、気にするように見ておいででしたからね。雨の夏至祭の魔術を浸透させているのでしょうが、もう充分でしょう。先程の新種の妖精も、不用意に探しに出るような事はされませんよう」

「あ、ああ。分かった」



もう、いつかの夏至祭のように、真夜中に部屋を訪れたヒルドが、寝台で寝たふりをしているエーダリアが生きている事を確かめ、安堵するように深い深い息を吐き、そっと髪を撫でて部屋を出てゆくことはない。


見慣れぬ剣を持ち、血の匂いのしたヒルドが何をしているのだろうと不安に心を震わせる事も、ヒルドが立ち去ったのを確かめてから、また立て籠もれる浴室に戻る事も。



この日々の贅沢さにうっかり油断して望んでしまう物も多いが、今は、こうして心を緩めていると、ヒルドがどれだけ嬉しそうに微笑むことか。

また、何かを相談すると、ノアベルトがどれだけ嬉しそうに教えてくれることか。




だから、これからも毎年、夏至祭には林檎のケーキを食べるだろう。



この穏やかな時間が失われる事はないのだと、エーダリアをすっかり油断させてくれる日々が、これからもずっと続くと信じている。





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