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157. 仲間入りの尻尾を警戒します(本編)



「ディノ、そう言えば、あのくしゃ獣さんはなにやつだったのでしょう?」

「君と、鯨の涙を奪い合った獣かい?」

「はい。ふと思い返してみると、初めて見るような個体でした。雨の夏至祭特有の獣さんなのですか?」

「ただの獣の子供のようにも見えたけれど、保有している魔術から見れば妖精の成体のようだったね。ただ、装飾品の系譜の生き物だと思うのだけれど、植物や鉱石の資質もあったから、何の妖精なのかな………。でも、君に障りなどは付与していなかったから、安心していいよ」

「はい。装飾品で植物で鉱物…………。おまけに妖精さんと、大変謎めいていますが、報復を受けていないのであれば良しとしましょう」



庭から戻った後、ネア達はこんな会話をした。

それは勿論覚えているし、特段問題のない会話であったと思う。


確かにその時、眉を顰めたアルテアが、お前の事故の多さを甘く見ておけないような気もするがなと意地悪に笑ったが、とは言え、その段階ではまだなにも付与されていなかったのだから、その後に起きた騒動は、たいへん不本意ながらも防ぎようのない事態だったと言えよう。



「ネア、………恐らくお前宛てだと思われる妖精の招待状が届いたのだが…………、こちらで対処してしまって構わないか?」



その後、街の方でも夏至祭の行列が確認されたそうだ。


被害の全容は未だに未知数ではあるものの、最新の情報では、ウィーム中央では、二人の住民の失踪が報告されているらしい。

やはり、必要とされる供物だけの被害は出てしまうのだろうかと少し憂鬱になっていたネアに、エーダリアがそんな確認を切り出した。


招待状とは何の事だろうと首を傾げたネアに、なぜかエーダリアは少しだけ顔色が悪い。

ちらちらと隣を見るので、その隣に立って報告書を整えていたヒルドの方を見ると、ぴっちりと整えられていた羽が僅かに開いていた。



「エーダリア様?…………私は、妖精さんに、どこかに招待されてしまったのでしょうか?」

「よくある、夏至祭の見初めの一つですよ。………ネア様には既に私の羽の庇護がありますから、こちらの物は破棄させていただきますね」

「むむ。良く分かりませんが、問題なければぽいして下さい。もし、少し困ったものであれば、ディノやアルテアさんに相談してみましょうか?」

「恐らく、そこまで問題のある書状ではないだろう。だが、勿論、皆に目は通しておいて貰おうと思う」



そう言ってエーダリアが差し出したのは、オリーブ色の上質な厚手の紙に、艶々とぷんとした金色の文字で書かれた招待状の封筒だ。

中に入った招待状は、同じ紙を二つ折りにした揃いのカードになっており、封筒は蝋で封をされていたらしい。


なかなか品のいい誂えにネアは感心してしまったが、ヒルドが身に纏う空気がたいへん冷ややかなので、あまり心を動かされないようにしようと、ささっと姿勢を正した。



まずはこちらからと、その広げられた招待状を手渡されたディノが、ふっと瞳を細める。


その表情の剣呑さにぴっとなったネアの隣で、今度はアルテアの気配迄が、ぐっと冷ややかになるではないか。

長椅子の上で横倒しになっていたノアも慌ててやってきて、どれどれとそのカードを覗き込んでいる。



「…………おや、これは妖精への転属を示唆したものだね。この子は私のものなのに、どうしてこのような物を送ってきたのかな」

「おい、どう考えてもさっきの獣だろうが。また余計なものを拾いやがって」

「なぜ私が責められるのだ。たかが鯨の涙を取り合ったくらいでこのようなお誘いが来るだなんて、完全に想定外なのです………」

「どれどれ、…………ありゃ。恋愛模様の恋文じゃなくて、騎士の雇用みたいになってるのかぁ………」



ノアの言う通り、その優美で上品な書状には、こう書いてあった。


先程の鯨の涙の一件については、こちらが先に見付けた物であるので、奪い取られたいへん遺憾な思いであったものの、御身の才能は評価に値する。

したがって、こちらで筆頭騎士の席を用意するので、是非に転属の上、我が剣になられたし。

ついては、まずは夏至祭の日の内に、こちらの城での舞踏会に招待しようと思うと言うのだ。



ネアはまず、ライラックの木の下でぱしんと手を払った毛皮な生き物を思い出し、狸の子供と毛皮毛玉の中間のような生き物にもお城があるのだなと、おかしなところで感動してしまった。


しかし、競合でなければもしゃもしゃで可愛いかもしれないと考えてみても、言葉遣いがあまり可愛くないので、撫で回して愛でるのには向いていないようだ。

それであれば、フッキュウとへべれけでお腹を見せてくれる使い魔のちびふわの方が愛くるしい。



「まぁ、あのもしゃからの招待状なのですね…………。確かに先程、鯨の涙の争奪戦では、華麗に奴を下しました。私は狩りの女王ですので、その実力に感服してしまうのも致し方ありません」

「さっさと断っておけ。妖精は執念深いぞ」

「…………何の妖精なのだろう。この書状をこちらに届けたのは、紙道具の魔術のようだね」

「おまけに複数属性かよ。…………ノアベルト、心当たりはないのか?」

「うーん。僕もそんな生き物いたっけかなって考えているんだけど、さっぱり思いつかないんだよね。そもそも、ヒルドにも分からないって事は、なかなか珍しい妖精だよねきっと………」

「毛皮を持つ生き物という事ですから、後で、アメリアにも尋ねておきましょう。……ネア様、ディノ様、これはこちらで処理させていただいても?」

「ディノ、ヒルドさんにお任せしてしまって大丈夫ですか?」

「うん。妖精ではあるようだから、ヒルドから断って貰おうか。…………ヒルド、もしそれでも問題が起こるようであれば、こちらであらためて処理するから、教えてくれるかい?」

「ええ。では、取り急ぎ断りを入れてしまいます。ネア様、念の為に、暫くは屋外に出られませんよう」

「はい。そうしますね。ヒルドさん、忙しい日にお手数をおかけしてしまい、申し訳ありません」



ネアがそうお礼を言うと、なぜか、にっこり微笑んで刃物のような目をした森と湖のシーは、夏至祭には毎年このようなものが届きますからねと言うではないか。


その途端にアルテアがじっとりとした目でこちらを見るが、となると、昨年までの夏至祭でも、ネアの素晴らしい素質に目を付けた者達から、仕事の依頼などが来ていたと言う事なのだろう。


「うむ。見る目は確かな方々ですが、とは言え私は、既に専属契約を結んでおりますので、全てお断りしていただくしかありませんね」

「妖精なんて…………」


少しだけ荒ぶってしまった魔物を撫でてやり、ネアは、残念ながら地位や名誉には何の執着もない己の清らかさに、ふんすと胸を張った。


そもそも、ネアにとっての騎士というものは、その素敵さを鑑賞するものであって、己がなるべき職業ではない。

女性騎士なども凛々しくて素敵だろうが、こちらもまた、自分がなってしまっては愛でる事が出来ないものだ。



なお、エーダリアに渡した鯨の涙は、夏至の雨粒の祝福石から作られた透明な箱に入れられ、厳重に保管されている。


夏至の行列が人間にとって得体の知れないものであるだけ、文官の指名を逃れる事が出来る鯨の涙の希少性は高い。

いつ手に入ってもいいようにと、既に保管箱が用意されていたらしい。


鯨の涙が寂しがらないように、箱の中には、状態保存の魔術をかけた花びらと雨水も一緒に保管するようで、ネアは、小さなアクアリウムのようになったその箱を見せて貰い、目を輝かせた。




(…………窓の外はこんなにも不思議な夏至祭模様で、エーダリア様達は、忙しく夏至祭の仕事をしているのにな)



ネアにとっての夏至祭は、これ迄はダンスという方法ながらも、己の役割りを果たせる祝祭であった。

だが、今年は今迄になく待機時間が多いので、こうして忙しくしている上司を見ると、少しだけそわそわしてしまう。


堪らず、今度は封印庫からの被害報告を受けて溜め息を吐いているエーダリアに、何か手伝える事はないかと尋ねてみると、この上司は驚いたような顔をするではないか。


「…………ネア、お前はもう、鯨の涙を回収しただろう。これは本来、何十年かの夏至祭で、一つ見付かればいいような物なのだからな?」

「むぅ。…………しかし、お庭で拾っただけなのですよ。とは言え、足元が不安定な中で我が儘を通して外に出るような真似はしたくありませんが、もし私に出来る範囲でお手伝いが可能であれば、どうぞ言って下さいね」

「夏至祭の行列の供物回収をリーエンベルクから遠ざけ、尚且つ、鯨の涙を手に入れてくれただけで充分なのだが………」



前者はネアの手柄ではないのだが、エーダリアにとっては、それもネアの領分なのだ。

歌乞いという役割を照らし合わせれば確かに、ディノを介して知り合ったウィリアムが手を貸してくれてこその事とも言える。



(…………でも、今日はやはり、…………被害が大きいのだろう。だからこそ、何か役に立てればとも思うのだけれど………)



エーダリアの元に届けられる報告は、絞り込まれた案件ばかりだからこそ、厄介なものが多い。

ウィーム中央を含む各地と連携を取りながら、ダリルの側と意見や情報を擦り合わせ、様々な問題に対処している。


その中でも気になる報告はやはり、被害者や行方不明者の数の圧倒的な多さだろう。


既に、ウィーム領での行方不明者は、三十人を超えている。

同時に入ってくる王都や他の領地よりは被害者数が少ないものの、ネアは、まるで蝕の時のような張り詰めた空気に、へにゃりと眉を下げるしかなかった。


自分が迂闊に動く事の無謀さは承知しているので、であればせめて、何か必要な道具はないだろうか。


そう考えたネアが、慄くエーダリアに、何でもぱくりと食べてしまって美味しいオレンジに変える術符を押し付けていると、なぜか、窓辺で外を見ていた筈のアルテアがさっと駆け付けた。



「…………これをどこで手に入れた?」

「む。この便利道具は、先日のお散歩で遭遇した石鹸からの、素敵な献上品なのです」

「…………は?」

「よく分からないが恐らくは石鹸だろうというおかしな生き物が、私の足にごつんと当たったので踏み滅ぼそうとしたのですが、泣いて詫びるので、仕方なく、慰謝料として貰った物なのですよ」

「最上位の置き換えの魔術符だぞ………」

「…………ありゃ。エーダリア、それは、余程の事がない限りは、使わないで温存しておいた方がいいかな。魔術の系譜的に使えない場合もあるけど、使える場合は、運命を変えるような魔術を展開するものだからね」



ノアにもそう言われてしまうと、エーダリアは渡された魔術符を手に持ったまま、ぴしりと固まってしまった。

とても不安そうにこちらを見るので、ネアは、おや何だろうと眉を持ち上げる。



「ネア、………これは、お前が持っていた方がいいのではないか?」

「二枚セットなので、一枚はこのままエーダリア様に預けておきますね。ディノ曰く、オレンジになってしまった悪いやつを食べてしまうと、相手の保有している固有魔術などを手に入れる事も出来るようです!………ただ、残念ながら私の場合は、あまり有効活用出来そうになく…………」

「だろうな。お前の可動域で扱える魔術はないに等しいだろ」

「そんな事を言うと、今後、アルテアさんの飲むスープは全て凍らせてしまいますよ!」

「ほお、表面を僅かに冷ます程度の間違いじゃないのか?」

「ぐるるる!」



(でも、オレンジの魔術符は、夏至祭には向かないようだ。…………それなら、これはどうだろう)



続けてネアが取り出したのは、以前、人魚のナイフで作った縁切りの鋏に、先日の海忘れの風で更なる魔術強化を図った一品だ。


夏至祭で最も多い被害は、捕食と誘拐と縁結びである。

その中でも最後のものは、妖精の浸食に迄なってしまうとさすがに全てを切り落とすのは難しくなるが、縄をかけられたくらいの初期段階であれば、この鋏でちょきんと切れてしまう場合も多い。


折角強化したばかりなので、今日は是非に現場で使って欲しいと思って預けたところ、エーダリアは天鵞絨の鋏入れに入った鋏を手に持ってこくりと頷いた。



おまけに、幸いにもその鋏はすぐに出番に恵まれた。

リーエンベルクの若い騎士の一人が、雨狂いという厄介な音楽の妖精に求婚されてしまったのだ。

これはノアが対処してくれることになり、その騎士は、鋏を手に駆けつけた塩の魔物の手で、厄介な縁をちょきんと切られて無事に解放されたらしい。


雨狂いというのはその妖精の通り名なのだが、彼等に求婚されると、寝ていても雨音が聴こえ続けたり、土砂降りの雨がずっと体の中に響いていたりするようになる。


そうなってしまった者たちは、妖精の求婚から逃れようとしても狂ってしまう事が多く、安息を得る為には、雨狂いの妖精の求婚に応じるしかなくなるのだとか。




(…………あ、)



また、どこかで鯨の鳴き声が聞こえた。

こうして窓辺に立っただけなのに、大きな水槽を見上げているような不思議な圧迫感があり、けれども同時に、深い水の色に心が溶け出してしまいそうな陶酔感もある。



少し日が傾いてきたからか、先程よりも明度を下げた森の方では、妖精達の光が強くなってきたようだ。

枝葉のあちこちが細やかに煌めく木々は、イブメリアの飾り木を彷彿とさせた。



(そう言えば、外に出ても、今年は、花輪の塔の方は見られなかったな…………)



水辺の篝火の近くも通らなかったので、何となく夏至祭らしいものにはまだ触れていない気がしてしまう。

なまじ、夏至祭本来の日程に慣れてしまっているからか、まるで、全く違う祝祭の日を過ごしているようだ。



ここでエーダリアは、ネアに届いた招待状の返事を送り終えて戻ってきたヒルドと共に執務室に戻り、アルテアは、テーブルの上に仕事道具を広げて、何やら多方面との交渉などを進めているようだ。


こうなってしまうとまさに手持無沙汰といった感じではあるが、僅かな罪悪感さえ飲み込めれば、雨に沈む風景を静かに見ているのは嫌いではない。



「……………むぐふ」

「ネア、踊りたいのなら、後で広間を借りようか?」

「…………むぎゅ。昨年の悲しい事故が思い返されてしまうので、ダンスは、夏至祭が明けてからにしましょう。なぜか、夏至祭に踊り始めてしまうと、懸念するべき事案など何にもない筈なのに、それでも不吉な気がして勝手に不安になってしまいそうです」

「今年は、あの精霊がリーエンベルクの近くにいなくて良かったね」

「ふぁい。………膝の生死と心の生死を賭けた、とても恐ろしい時間でした…………」



窓の向こうにももう、見慣れないおかしなものはいなくなってしまったしと、ネアが、午後のおやつでもいただこうかなと思い始めた頃だ。


背後でかたんと音がして振り返ると、無事に鯨の動向の監視が終わったものか、どこかうんざりとした様子でウィリアムが部屋に入ってくる。


部屋に落ちる青い影の中に浮かび上がる白い軍服のせいか、その横顔は、どきりとする程に排他的に見え、目が合うとふわりと微笑んでくれるが、それでもどこか、拭いきれない疲労の影がある。


もしや鳥籠が必要な場所が出て来てしまったのだろうかとぎくりとしたネアに対し、そちらを見たアルテアも、器用に片方の眉を持ち上げている。



「お前がそこまで疲弊するのは珍しいな………」

「………ああ、いや、ウィームに現れている夏至鯨に、なぜか懐かれまして。この土地からの軌道を逸らすのに、思ったより時間がかかったんですよ。…………十八回目でやっとウィーム中央域から出て行きましたが、…………はは、さすがにもう戻って来ないだろうな…………」

「ほわ、…………それは、むしゃくしゃしますね」

「ああ。うっかり斬りたくなったが、俺の系譜のものであると同時に、祝祭のものでもある。さすがにそうもいかないからな。ネアは、その後、何もなかったか?」

「はい。謎の妖精さんから舞踏会の招待状を貰いましたが、ヒルドさんがお断りの返事を出してくれました」

「謎の妖精?」



どうやらウィリアムは、追い払っても追い払っても、なぜか目をきらきらさせて戻ってきてしまう夏至鯨に懐かれてしまい、すっかり疲れ果ててしまったらしい。


おまけに、疲労困憊しての帰り道には夏至の怪物らしき物がいたので、こちらは滅ぼしてしまったようだ。

花輪の塔の上に現れる夏至の怪物などとは別に、雨の夏至祭では、木の影や石畳の隙間などから、夏至の行列の残滓として良くないものがゆらりと立ち上がったりするのだとか。

こちらについては発見次第に容赦なく滅ぼしてしまっていい怪物なので、たまたま通りかかった終焉の魔物は、ざっくりやってしまったようだ。


ネアは、その後はさしたる事件もないものの、鯨の涙を競った毛皮妖精から、騎士への誘いを兼ねた舞踏会への招待状を貰った事をウィリアムに説明した。

するとなぜか、座ったばかりのウィリアムが、がたんと椅子を揺らして立ち上がるではないか。



「ネア、不愉快かもしれないが、少しだけ我慢してくれ」

「ウィリアムさん?…………むぐ?!…………にぎゃ?!おしり?!」



両手を取られる形で、立ち上がらせられ、ネアは目を丸くする。

そんな人間の椅子になっていたディノも、どうしたのだろうと不安そうに眼を瞬いていた、その時の事だった。


ウィリアムは一言断りを入れた後、いきなりネアの頭を両手で掴むとわしわし指を這わせ、ネアが茫然と固まっている間に、今度は、お尻をぐっと手で押さえたのだ。


当然ながら、いきなりお尻を触られたのと相違ない状態に、可憐な乙女はびゃんと飛び上がってしまう。

しかし、慌てて逃げ出した人間が涙目でふるふるしていても、ウィリアムはなぜか、その場で腕を組み、難しい顔で立ったままだ。



「…………にゃふ。ウィリアムさんに、両手でお尻を掴まれました」

「ウィリアムなんて…………」

「おい、…………説明しろ」


立ったまま何かを考え込む様子のウィリアムに対し、逃げ出した伴侶を慌てて保護しに来てくれたディノは、すぐさまネアを持ち上げてしっかりと抱き締めてくれたし、立ち上がったアルテアも、こちらを守るように立ち、いきなりの暴挙への理由を求めてくれている。



「…………恐らく、ネアに招待状を送った妖精は、壊れ道具の妖精だと思うんですが…………、仲間入りの浸食魔術の影響はなさそうですね。とは言え、その招待状を、出会ったばかりの今日の内に寄越したのが気になりますね。魔術の効果が高まる夏至祭の日の内に、何らかの浸食をかけようとした可能性があるかもしれません」

「…………な、仲間入りの浸食と聞くと、たいへん不穏な感じがします………」

「ああ。壊れ道具の妖精は、俺の系譜の妖精なんだ。………位階としては下位なんだが、因果の系譜も持つので何かと厄介でな。………ネアは、今日はシルハーンの資質を貰っているんだよな?」

「はい。それがあれば、防げそうなものなのです?」

「ああ。恐らくはその結果、浸食を避けられていたんだろう。…………シルハーン、壊れ道具の妖精はかなり珍しい種なんですが、目を付けた人間を仲間に取り込む術に、因果の成就を持つ妖精でもあります。ネアに目を付けたのは、どんな個体でしたか?」



そんな事を言われてしまったディノは、綺麗な水紺の瞳を不安そうに揺らし、ネアがライラックの木の下で出会ったもしゃ毛皮の説明をしてくれた。

するとウィリアムは、小さくうーんと唸り、顎先に手を当てる。


「…………それだけだと、どれとは特定は出来ませんが、やはり、毛皮周りの壊れ道具でしょうね。ネア、妖精の浸食に効くような薬湯を、アルテアに作って貰って飲んだ方がいい。それ迄の間は、耳や尻尾が生えてこないかどうか常に用心していてくれ」

「なぬ。耳や尻尾が生えてしまうのです…………?」

「ネアが合成獣にされる…………」


悲しげにそう呟いたディノに、ウィリアムはゆっくりと頷いた。


「壊れ道具の妖精は、道具屋のあわいに行かず、派生したままこちら側で暮らし続ける妖精の一族なんです。道具類から派生した妖精の中では災いに近い種から育まれた者達ですが、今はもう、妖精種として安定した分布を見せているようで、祝福も含めた様々な資質を持つ者達になりました。………ですが、派生の理由が理由だけに、かつての主人だった人間を取り込む術には長けていて、身に持つ浸食魔術は終焉と因果の成就の組み合わせですからね…………」

「くそ。また妙なものを引き寄せやがって。………ウィリアム、薬湯は、通常のもので構わないんだな?」

「ええ。話した通り、魔術階位が低い妖精なので、付与されたものの剥離も比較的簡単ですよ。ただ、転属や取り込みが完了してしまうと、それを強いた個体を殺すまでは解術が難しくなる」



そこまでを教えて貰って漸く、ウィリアムの反応の理由を理解したネアは、という事は一刻も早く薬湯を飲まねば、獣耳や尻尾が生えてきてしまい、尚且つそのまま放置しておくと、あの、もしゃ毛皮になってしまうのかと震え上がった。


「や、薬湯です!誰か、私に薬湯を下さい!!沼の味でも我慢するので、もしゃ毛皮化を回避せねばなりません!!…………ぎゅ、私が合成獣化したら、ディノが死んでしまうかもしれません。よりにもよって、伴侶の死因になど絶対なりたくはないのだ…………」

「ったく。手のかかる………」

「ぎゅむ…………」



ネアはここで、きりりとこちらを見た伴侶に、頭や耳、お尻などをもう一度丁寧に調べられた。

今度は伴侶なのでと、そのまま調べられるがままにしていたが、二度目の触診でも、幸い獣化の兆候はないようだ。



「この段階で変化がないなら、もしその招待状に魔術添付があっても、シルハーンの資質に階位負けして浸食が叶わなかったんだろう」



ウィリアム曰く、ディノが一緒にいて魔術浸食に気付けないという事はないので、出会った時は何かをするまでもなくアルテアに睨まれて追い払われてしまい、もし付与があったのならという仮定の話であるが、浸食魔術はあの招待状に付与されていた可能性が高いと言う。


何しろ妖精の招待状は、本来、時間をかけて手順を踏んで出されるのが一般的である。

ウィリアムの言うように、確かに、今日出会ったばかりでその日の内に舞踏会の招待状が送られてくるのは、急ぎ過ぎだという感じがした。


しかし、招待状の付与魔術自体も、万象の資質を取り込んだネアには作用せず、だからこそ、あの場にいた誰もがその魔術の気配に気付かなかったのではないかとウィリアムは言う。



「あ、危なかったです…………」

「あんな妖精なんて…………。ネア、アルテアが薬湯を作ってくれるそうだから、すぐに飲むんだよ」

「はい。……お、おのれ、またしても沼味の薬湯を飲む羽目になりました。今度あやつに出会ったら、すかさず踏み滅ぼしてくれる…………」




残念ながら、招待状そのものは、断りの返事を入れた後に、ヒルドが夏至祭の篝火で焼いてしまっていた。


現物が残っていないので、そこに浸食の付与があったかどうかの確認は取れなくなってしまったが、そうしなければ、招待状に残った魔術が、今度は他の誰かに悪さをしたかもしれない。


まさしく、幸運が重なって避けられたようだぞという事案に、ネアは、あらためて伴侶が自分の資質を分けてくれていたことに感謝した。



(私の生まれ育った世界の物語なら、獣耳や尻尾が生えるくらいは可愛いものなのだけれど…………)



だがこの世界では、元々獣の部位を保有している者達以外に獣耳などが生えると、合成獣という悍ましい生き物の区分に入れられてしまう。


ネア自身にはさして影響はないが、魔物達にとっては致命的だ。


特に合成獣類に弱いディノやノア、ウィリアムなどには、多大な被害が齎される可能性があった。

だからこそウィリアムは、あんなに慌ててネアの頭とお尻を調べたのだろう。



「なんと恐ろしい招待状なのだ…………」

「君は、道具屋のあわいに呼ばれたばかりだから、道具類の生き物との縁が結ばれ易くなっているのかもしれないね。……今度の休日にでも、道具祓いの森に行っておいた方が良さそうだ」

「ディノ?…………道具ばらいの森というものがあるのですか?」

「うん。職人等の、長らく道具に関わった人間達が訪れるところだけれど、今回のような縁が続くのであれば、そのような物にも効果がある。そちらは、信仰の魔術と因果の成就で結ばれた土地なんだ。いつでも連れて行ってあげるよ」

「はい。で、では、早い方がいいと思うので、今週末にでも是非に行っておきたいです」



長らく使い込まれた道具は、その持ち主に執着を結ぶ事がある。

それが幸運や祝福を齎す事もあるが、消耗品などの場合は、なぜ離れてゆくのだと、障りが現れる事も少なくはない。

なので勿論、そんな道具達との縁を切る土地もまた、この世界にはあるのだそうだ。



「ウィリアムさんが、あの妖精さんの正体を知っていてくれて、本当に良かったです………」

「ああ。反応が出ていない以上は心配し過ぎな気もするが、シルハーンの資質の効果が切れた後で、気付かない内に異変が現れても困る。こうして手は打っておいた方がいいからな」



ネアの鍵を使い、併設された厨房ではアルテアがことことと薬湯を煮込んでいる。


どうしてお前に関わると薬湯作りばかりする羽目になるんだと文句を言われたが、沼味の薬湯にネアが涙目になると、どこからか素敵なメロンゼリーを取り出してくれる素敵な使い魔だ。



なお、その壊れ道具の妖精の情報を急ぎ共有したところ、エーダリアはすぐに、ネアからの目撃情報を元に、もしゃ獣妖精の手配書を回付した。


他の個体はまるで違う姿である事は間違いないが、とは言え、人間の領域では新種にあたる危険な妖精を放置する訳にはいかない。

無差別に人間を襲わなければ討伐対象にはならないが、事前に注意喚起をしておけば、防げる事故も多いだろう。



(……………むむ!)



だが、そうお礼を言ってくれたウィーム領主の目が、魔術師らしい好奇心に煌めいている事に、ネアは目敏く気付いていた。


同じようにその表情に気付いてしまったヒルドが背後から叱りに来ているので、エーダリアは、早く表情を整えた方がいいと思う。







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